31日付朝日新聞「耕論」で、クールビズ15年がもたらしたものについて取材を受けました。

ウェブ版はこちらです。

ウェブ版では写真はカラーになっています。撮影協力は東京タワーから400mの距離にあるザ・プリンスパークタワー東京です。東京タワーに敬意を表し、赤と緑でコラボしてみましたよ。

撮影、取材とも、朝日新聞記者の高重治香さんです。ありがとうございました。Special Thanks to The Prince Park Tower Tokyo.

この一週間で一気に季節が移りましたね。それぞれの季節の美しさを感じさせてくれる大好きなスポットのひとつ、高輪日本庭園の現在の風景でございますよ。

品川駅の喧騒からほんの数分でこの雅やかな静寂にひたることができます。

完璧な光と風と色と匂い。深呼吸して体内の気を総入れ替えし、一瞬で気持ちをリセットするのにもってこいの場所。

さて、「ロイヤルスタイル 英国王室ファッション史」ですが、6月15日発売予定でしたところ、少し延びました。6月26日発売です。お待たせしてたいへん申し訳ございません。表紙をちら見せします。人文学の老舗、吉川弘文館らしい重厚な表紙です。

ご参考までに、6月26日は、一粒万倍日にして天赦日という、この上なく縁起のいい日でもあります。

鎌倉アンティークス主催の田中喜芳博士トークショーに参加させていただきました。「名探偵魅力の世界に遊ぶ」。

田中先生は、日本でも指折りのシャーロキアンでいらっしゃいます。1987年には米国・ベイカー・ストリート・イレギュラーズに2人目の日本人として入会を認められています。世界でも高名なホームズ・グッズ・コレクターの一人でもあります(ホームズ関連の本だけで3000冊はあるそうです)。

実はイラストもお書きになり、毎年、絵の個展を開いていらっしゃいます。6月12日発売の新著『シャーロック・ホームズ トリビアの舞踏会』にはご自身で描かれた繊細なイラストも20枚、収録されているそうです。

おみやげに配っていただいた田中先生イラストが描かれたポストカード。横浜馬車道らしい、素敵なイラスト!

シャーロック・ホームズ、コナン・ドイル、彼らを生んだヴィクトリア朝の時代背景に至るまで。マニアックでディープ、目からうろこが落ちまくりの知的で楽しい時間でした。お客様もみなかなり高いレベルのイギリスマニアな方々(専門職の方も多)で、こういう方々と同じ価値観を共有できる幸せを、しみじみ味わえた時間となりました。

鎌倉アンティークスのヴィクトリアンルームでのヴィクトリア朝の深い話。神は細部に宿ると申しますが、盲点だった細部のお話に常識を覆され続け、論理的ながら楽しい語り口に魅了され続けた、いやもうほんとに楽しいトークショーでした。

田中先生のネクタイは、田中先生デザインによるホームズ協会のクラブタイだそうです。右は鎌倉アンティークス代表の土橋さん。所有するロンドンタクシーがついに10台となったとのこと。祝。土橋さんはイギリスアンティークをテーマにしたミュージアム建設に向けて邁進中で、その一室には田中先生のコレクションも飾られるかもしれません。なんだかワクワクしてきますね。

豊かな機会をありがとうございました。

Jun Ashida & Tae Ashida 2019-2020 AW Exhibition.

今シーズンからメンズをスタートしたTae Ashida. 展示会場にはメンズファッションのジャーナリストの方々もいらして、よい雰囲気。

かねてからファッションは男性と女性セットで考えるべきと申し上げており、著書や記事にもできるだけその姿勢を反映させていますが、やはり展示会場に身をおいても、一方のみに偏っていないほうがほっとします。

最初のシーズンということもあり、当初は試行錯誤の連続で、パンツのファスナーをレディスのように横につけたりという「うっかり」もあったそうなのですが、それも後日、笑い話になるでしょう。継続こそ力、ぜひ、メンズコレクションは続けていただきたいと思いました。上の3枚の写真、すべてメンズコレクションからですが、女性とシェアするのも可能ですね。

レディスのほうがもちろん、圧倒的に数も多く、素材やデザインにまつわるエピソードも多かったのですが、今回、とりわけ心に残った話をひとつだけ。

各グローバルブランドがファーを使わない宣言を続々出しています。今シーズンはプラダもファーを使用しない宣言をしました。ファーをめぐっては、天然素材でサステナブル、最後は土に還るという「エシカル」な素材であるという主張もあり、議論は常に平行線をたどっています。

それに対し、ジュン アシダのスタンスは……とくに何も宣言しない。今シーズンはファーに替わるあたたかそうな素材を使ったコートを増やしていますが、ファーはない。でも政治的な配慮でそうするわけではない。

この姿勢は、社長の山東さんのお話によれば、「お客様を思ってのこと」。今、トレンドに乗って「ファーを使わない」宣言を出してしまえば、これまで自社のファー製品を買ってくださったお客様に対して一貫した姿勢を示していることにならず、申し訳が立たない。今シーズンはたまたま結果としてファーが出ていないだけで、また時流が変わればファーを使う可能性もあるかもしれない。そういうスタンスでいることが、これまでファー製品を買ってくださったお客様の信頼を裏切らないことになる、と。

顧客第一主義ともよべるこの姿勢は、創業者の芦田淳さんから受け継がれているものでしょう。自社製品を買ってくださるお客様のことを常に第一に考える。芦田淳さんがパリコレから撤退したのも、メディア受けのよいショー用の服を作るより顧客が求めるリアリティのある服作りに注力すべきと判断したから。

ファーに対する姿勢も、ブランドの礎にある考え方、顧客第一主義と結びつく。ブランドは常にこうした一貫性を示すことができることを求められる。翻って自分の仕事においてはどうなのか、学びの多い展示会でした。

登戸で小学生の通学時間に起きた痛ましい事件……。なんと怖ろしく、悲しく、いたたまれない事件なのでしょうか。唐突に未来を奪われてしまった女の子、そして外交官の方、ご家族の絶望や無念や苦しみや怒りはいかばかりでしょう。ことばが虚しくなるばかりですが、心よりお悔やみ申し上げます。

事件はひとごとではなく、いつ身近に起きてもおかしくない。せめて子供たちには防衛のためのチェーンメール(鎖帷子)のような防具を身に着けさせたいと本気で思いました。武具として兵士は大昔から着用してきましたが、刃を通さない金属の鎖で作ったチュニックやベストがあれば現代の子供たちにも着用させたいし、自分も着たい。軽い金属で作れば身体の負担にもなりにくい。チョーカーにも見える首回りのアクセサリーがあれば着用したい。すぐに走れるフットウエアと鎖帷子、チョーカーにも見える防具。メーカーにはぜひご一考をお願いしたいです。

社会の闇の問題を解決することがもっとも重要ということは承知のうえ、解決までに時間がかかるなら、せめてそれまでの自衛措置として何らかの策を講じなくてはならない時代にいるのだという危機感を、深い悲しみとともにおぼえます。



来日中の合衆国大統領夫妻の装いについて、本日28日付の読売新聞でコメントを寄せています。

また、読売新聞が運営する「大手小町」でも別のコメントが掲載されています。こちらです

お時間がゆるすときにでもご笑覧くださいませ。

それにしても、エリザベス女王と記念写真を撮るときでさえスーツの前ボタンを留めなかったミーファーストなトランプ大統領が、天皇陛下と会うときには留めていましたね。

<追記>

掲載記事です。早朝から深夜まで、新しい情報が出てくるたびに記者さんといろいろ連絡をとりあってコメントも出し続けていたのですが、結果として、雅子皇后について触れたこれだけになりました。笑 しかも「 」がとれていますが「外交の場では…」の締めの一文も実は私のコメントとして書き送っているのですが……。まあ、紙幅も限られていればそんなものですね。

メラニア様が着替えて登場するたびふりまわされた一日のあとにしみじみと思ったのは、人さまのファッションを解説するより、自らは語らず人さまからファッションを解説される立場になったほうがはるかにかっこいい、ということでした。(そこですか)

映画版の「キングダム」にあまりにも魅了されてNetflixでアニメ版シーズン1を観了。キングダム世界に入り過ぎてなんども具合が悪くなるほど面白かった。

とりわけ将軍王騎の描き方には完全に脳内を持っていかれた。この原作者は天才か。生きている間にこの作品に出会えたことは幸運だった。エネルギーをもっていかれたのか与えられたのかよくわからないほどの疲労が残る。

Dolce and Gabbana 2019-2020 AW Exhibition. このブランドは時代に逆行して唯我独尊のラグジュアリーを追求し続ける。そこがたまらなく好きで、リスペクトする理由でもある。

このシルクブロケードにしても、重い。扱いにくい。でも18世紀ヨーロッパの宮廷文化を思わせて血が騒ぐ。

ロゼットつきのシューズもロマンティック。汚れたらどうするとかケアがたいへんそうとか、そんな下世話な視点を寄せつけず、徹底的に「美」の側に立つ姿勢が潔い。

メンズも負けず劣らず、一歩もひかず、ゴージャス。

17世紀~18世紀宮廷服のような素材を駆使したアイテムはほかにも。左端はランジェリーですが、スパンコールで輝くショーツなんてどうやって洗濯するのだ(たぶん一回着たら終了)。人生のあらゆる瞬間を舞台ととらえる人のための、舞台衣装のようなものですかね。

アクセサリー、バッグ類もユーモアと過剰なサービス精神にあふれていて、楽しい。

レザーに細かくパンチングをほどこされたジャケット。16世紀のメンズ宮廷服にこういうのがありました。ストレッチが効くし、むれなくなるし、機能的なのですよね。ただ作るのがとてつもなく難しい。

妥協せず、日和らず、自分の世界を貫くことのすがすがしさと勇気を見せていただいた気分です。たとえ少数派でも、そこにとどまることで輪郭が際立ち、鍛えられる。作品、ないし、モノとしての服の奥に見えるデザイナーの心の姿勢が見える時、ああ来てよかったなと心から思えます。

今回、目を引いたのは、18世紀ロココ的なシルクブロケード素材。

ジョルジオ アルマーニ クルーズコレクション。国立博物館表慶館にて。

メンズ、レディスが溶け合っての上質なコレクション。昨日のインタビューではデザイナーは「売りやすい」ということも強調していた。たしかに、舞台性よりもむしろ間近でみたときの質感が魅力的な、アルマーニらしいコレクション。

「自分が強いということをあからさまに見せない男が、強い男」と昨日のインタビューで語っていたが、セクシーさ、リッチ感においても同様の感覚が伝わってくる。ことさらに美しさやセクシーさを強調したりしないのが「本物」。そういう哲学に支えられた表現なので、奥ゆかしく、逆に想像力をかきたてられ、引き込まれるのだな。

カラフルな色使いも、クルーズならでは。

最後に登場したアルマーニ。合掌し、お辞儀し、長いランウェイを歩いて観客に大サービス。アルマーニがネクタイをつけたスーツを着ているのが驚きだった。アルマーニといえばミニマムな黒か紺のTシャツ(にジャケット)で登場するのが普通だと思っていた。高齢になってスーツを着るようになったのかもしれないが、いや、このネクタイ姿は彼の日本に対する最高の敬意の表現と受け取るべきでしょう。

互いに敬意を表しあい、感謝しあうというのは、なんと人をあたたかな気持ちにさせるのか。なんと豊かな創造を生むのか。異文化間の交流にプラスの循環を生むこうした幸福な効果もファッションの力のひとつだと認識した夜でした。Thank you, Mr. Giorgio Armani.

12年ぶりに来日中のジョルジオ・アルマーニ氏。生きているうちに(私が、です)絶対お会いしたいと思っていた偉大なデザイナーの話を直接、2mほどの至近距離で伺うことができました。


アルマーニ /銀座タワー。ショーの準備、真っ最中のバックステージにて。

ショー前日のプレスカンフェランス。限定20名、各社から1名のみというハードルの高い席でしたが、日本経済新聞社のご高配により、参加させていただくことができました。心より感謝します。

60分間、笑いもまじえながら、姿勢よくエレガントに立ち、記者からの質問に答え、語り続けるアルマーニ氏、84歳。スタッフの多くは疲れて座ってしまったというのに。(写真はオフィシャルフォトグラファーより)

詳細は後日、ショーの印象とあわせて日本経済新聞のThe Style および連載などで書きますが、興味深いと思ったキーワードのなかから支障ない程度にメモしておきます。今は「?」と思われてもご寛恕くださいませ。

「アルマーニよりアルマーニらしい人がたくさんいる」「日本化したアルマーニ」「願いがひとつ叶うとしたら、不死身になりたい」「スーツを着こなすポイントは、おさえた身のこなしと落ち着いた話し方。それがあれば安価なスーツも高級に見える」「大声を立てない」「骨(格)をエレガントに見せること」「将来に対しては予定を立てなかった。好きなものと好きでないものを明確に分け、自分の信じる道をただ懸命に歩いてきた。その結果が今」「強い男とは、自分が強いということをあからさまに見せない男」「今は女性のほうが強い」「美意識に対してはこだわりが強い。美意識にそぐわないものが視界にあると不快になる」「プライベートライフは、ない」「楽しみは、ごく少量」「ネイビーブルーなど暗めの色は、人との正しい距離感を演出してくれる」「生きる意義は、ミステリー。ただ在るだけ」

40年を超えるキャリアから生まれた知恵のことばがナチュラルにエレガントに紡ぎ出されてきたのだった。濃密な60分間でした。

オフィシャルフォトグラファー撮影による記念写真。私が前列で偉そうに目立ってしまいほんとうにごめんなさいという感じなのですが。アルマーニ氏は後方にまわり、立っていらっしゃいます。左から2番めの位置に立っていらっしゃいます。

これまで細々と書いてきてよかった。心からその仕事を尊敬できる人に会うことができ、その言葉を直接聞き、いっそう敬意を深くするということは、めったにない幸福だと思う。貴重な機会を与えてくださったジョルジオ アルマーニ ジャパン社、日本経済新聞社、そしてご同席の各紙記者や各誌編集長のみなさま、あらためてありがとうございました。

オフィシャルフォトグラファー撮影によるアルマーニ氏 in Japan.

紀尾井町でローズウィーク開催中。

赤坂クラシックハウス。薔薇のよい香りに包まれています。以下、ことば不要の薔薇の世界。


さまざまな種類の薔薇が楽しめます。深呼吸をして体内の空気を旬の薔薇の空気に入れ替えていくには格好のスポットですよ?

この日はビジネスランチでザ・プリンスパークタワー東京紀尾井町の和食「蒼天」でした。構築的、立体的な「蒼天」の料理。

国会議事堂や議員宿舎を間近に見下ろす絶景。前方にはスカイツリー。

ブランディング最前線の具体例をみっちり3時間、学ばせていただいた充実した時間でした。オンリーワンでトップを走るランナーはやはりエネルギーが並外れて高い。

体調がまだ本調子でないなか、一日5件の取材やミーティングがありましたが、快晴に恵まれて移動も快適な一日でした。

朝日新聞からはクールビズ15周年に関する取材を受けました。

記者さんのインタビューがさすがにすばらしく上手で、話をしていくうちにいくつか新しい発見にいたり、その発見は別テーマになるのでさらに深めて別の原稿に書こうと思います。

撮影場所は芝公園のザ・プリンスパークタワー東京。東京タワーから400m離れてこの距離感です(すぐ隣のように見える)。万一、333mのタワーがこちらに倒れてきてもホテルにはぶつからない!? 中野ヘアはカキモトアームズ青山店の及川さん。

鉄板のみなとみらい。

今日、明日は来日中の超大御所のインタビューとイベントが続きます。寝込んでいる暇はない。

空腹時のほうがよいパフォーマンスができるという話をしたついでに。

やや論点はずれるのですが、小食によって運を開くという処世術があります。

江戸時代に「修身録」を書いた水野南北という人の主張を現代語でわかりやすく解説した『江戸時代の小食主義』という本があります。

南北は、「相者」(人の相を見る人、観相学者)ですが、放蕩、放浪(牢獄の中にいたこともある)、寺での修行、荒業、試行錯誤のはてに、このような食による「人の見方」を極めるにいたった人です。

南北は開運の基本を、徹底的な小食主義に定めます。食を慎むことで富と長寿、健康がもたらされ、運が開けていく。肉体的な見地、精神的な見地、社会的な見地、宗教的な見地、あらゆる角度から小食の美徳を説きまくります。

人を見るにも、「人相ではなく、その者の食を問え」。つまり容貌よりもむしろ内側の徳のあらわれとして食とどのようにつきあっているのかを見ろ、と。慎みある食を守り抜いている人は必ず開運すると。

言われなくても私は昔から小食です。健康や開運のためではなく、パフォーマンスを最大限に上げるという目的のために生きていると、自然と「腹八分」ならぬ「腹六分」をキープすることになります。時折、贅沢なレストランにも招かれますし、そういう場を楽しむことは大好きなので、ボリュームが多すぎるなと思う時にはシェフに頼んでポーションを小さめにしてもらいます。そうすれば失礼もありません。

本書を読んで、なるほど、ここぞのときに強運なのは小食のおかげだったのか…と。

すみません。そんなしょぼいことを自慢したかったわけではありません。

慎みを重んじる、という視点に立つと、高位の人とのつきあいも戒められるのですね。SNS時代、有名人と遭遇すると思わず舞い上がってツーショット写真をとってしまうような愚行(ああ、私もやらかします……)を今後、自戒するために以下の名言、記しておきたかったまで。

「低い身分でありながら、殿上人と交わることは、大きく徳を損なう。恐れるべきである。ここでひとたび高位と接するということは、それがあなたの一生の頂点となる。人間としての成長なしにその頂きに至ってしまったのなら、それ以上のことはもう起こり得ない」「身の程を知らぬ愚か者にいたっては、高位と交わって栄誉を得たいと願い、その結果、大きく徳を損なってしまう」。

まさしくその通りですね。偉い人と意味なくツーショットを撮ったからってあなたまで偉くなったわけではなく、かえってその心根のあさましさや虚栄心が浮き彫りになるばかり。(意味や必然があって一緒にいる場合はこのかぎりではありません。)SNS上での「いいね」というのは、それがその人の「一生の頂点」に見えるから「よかったね」ということなのでしょう。そう受け取るべきなのでしょう。慎み第一を心がけるにこしたことはありません。はい。


 

あのカーネギー氏の書く『話す力』、しかも新潮社から出ているというので、ふつうのハウツー本とは異なるのではないか、という期待をもちつつ。

 

声の出し方、のような具体的なハウツーは書いてないけれど、本質をつく、ある意味ではごくあたりまえの心の姿勢が説かれる。多くの人は「人前で話す」というだけでパニックになり、この基本的な姿勢を忘れてしまうのでしょうね。

メッセージ(やりたいこと)を明確にしておくこと、情熱を維持すること、生活の管理、敵を作らぬ人格の陶冶、心をこめる、無意識レベルへの自分の掘り下げ、勝てると信じる。つまるところ、そういう日々の積み重ねがよい話し手になるための基本的大前提であるということ。

 

以下、備忘録メモ。

「知的水準が高い読者は、主張の押し付けを嫌う。押し付けにならない範囲で、はっきりと言い切る」

「聞き手を愛する人は、成功する」

「ビジネスにおける成功は、高い知能よりも個性による」

「人を引きつける人ほど、エネルギーが高い」

「プリマドンナでいるためには、社交も、友だちも、おいしい料理もあきらめなければならない」(リリアン・ノルディカ)

そして実は本書でもっともツボにはまったのは、食べることと話すこととの相関関係の話。そうそうそう、と思わずうなずき、どさくさにまぎれて「昼食講演会」を主催する方々への提言です。

「説教師、歌手は、話したり、歌ったりする予定がある前には、ほとんど食べない」という話が書かれています。⇒昼食講演会とかディナー講演会を主催する方にぜひ知っておいてほしい常識です。私もこれまでの講演でいちばん試練だなと思ったのは、昼食を、聞き手となる方々と一緒にいただき、その直後に講演をしなければならない「昼食講演会」。カーネギー自身の体験談としても書かれていますが、そもそも、食べた直後の講演は脳や直感の働きが鈍くなり、質が落ちてしまうのです。だったら食べずに待っていればと思うのですが、これから聞き手となる人に「食べ物を残す人だ」という悪印象を植え付けたくないし、そもそも同じ食のテーブルに座りながら一人だけ「食べない」でいるのは失礼だろうと思って無理に食べる。こんな状態では三ツ星レストランのお料理だっておいしくは思えない。結果、話の質は落ちる。聞き手も眠くなっている(とりわけ年長者が多い場に行くと、何割かは食後必ず寝ている)。さらに、主催者側が男性ばかりという場合、食後の化粧直しの気遣いを誰もしてくれない。こちらは歯磨きだってしたいし、リップ直しだってしたいですがそれも許されないこともある。だれにとっても、最上の結果がもたらされるわけがないでしょう。

お腹が空いては話に力が入らないでしょう、という配慮はありがたいのですが、ちがうのです。実は講演だけではなくクリエイティブな仕事に関しては、空腹時のほうがはるかに質・量ともに善い仕事ができるものなのです。こちらもプロなので、その時間に最上のパフォーマンスができるよう、食事量を含めたコントロールをしていきます。

どうしても昼食講演会をということであれば、先にスピーカーに話をさせ、そのあと一緒になごやかに食べる、という流れにしてはいかがなものでしょう。(その場合、話がつまらないと、聞いている人が空腹+つまらない話をきく忍耐の二重苦に耐えることになりますが。)あるいは聞き手にとって食後のほうが好都合というなら、その時間に間に合うように到着させていただければそれでよいです。

 

もちろん、人間界のことには常にそうではない例がつきものなので、たっぷり食べた直後によいパフォーマンスができるという方もいらっしゃるでしょう。カーネギーの本書によれば、そちらのほうが「例外」ということですね。

 

 

 

 

 

出先でちょうど時間がぽっかりと空いて、タイミングがよいからというだけで入ってみた映画。『キングダム』。

これが! ちょっと血がわくくらいはまりました。原作は有名なマンガだったんですね。そんなことも知らずごめんなさい。原作もストーリー展開もまったく知らないまっさら状態で見たのですが、息子によれば「小・中学生が熱狂しそうな、わかりやすすぎる映画」なのだそうですが、脳内中学生の私もばっちり楽しませていただきました。

アクションシーンはさすがに中国のカンフー映画のレベルから見れば甘いかもしれない。セリフ回しもやすっぽいところはあったかもしれない。それは差し引いても、山崎賢人、吉沢亮、長澤まさみといった若い美男美女にエネルギーと情熱があり、彼らのフレッシュな魅力でずっと見ていられる。

実はこの映画を見てから3日間ちょっと、高熱を出しました。何年ぶりかくらいの発熱(頑丈なだけが取り柄)。一応病院に行ったけどインフルでもなく他に異常はなく原因不明。なにかに火をつけられたのか。単に映画館で風邪のウィルスに感染しただけなのか。

Men’s Precious Web連載更新しました。

黒い略礼服の起源をめぐる物語、日経連載にも書きましたが紙幅の都合でかなり簡略版(というか、凝縮版)になりました。ウェブではロングバージョン、より詳細に紹介しています。こちらでございます。

12年がかりの1冊が手を離れたのもつかの間、すぐに次の本に本格的に着手しはじめました。こちらもいわば、ファッション史を教え始めた12年前あたりからのひとつの集大成になります。今年は、この12年ほどの間に流れのままに関わってきたさまざまなテーマを回収して、「まとめる」年になりました。そのように予定していたわけではなく、まったくの偶然なのですが。あらゆる依頼に応えていたら「何をやりたいのかわからない」と言われるような状況になったこともありましたが(仕事の依頼があるということじたいがありがたく、ほぼ全部応えていただけなのですが)、「意味」など時間が経ってみてようやくわかる、ようやく「点と点がつながる」ということもありますね。もちろん、つながらないことも多々あります。むしろつながらない徒労感や不条理感を覚えたことのほうが多い。だからこそ、まれにつながればそれはきわめてラッキーなことなので感謝しなくては。

そのようなわけで、多くの歴史本を、「ビジネスパーソンであればどこに興味を示すのか?」という視点で読み直していますが、なかでも時代の変革期の今だからこそ多くの人にすすめたいとあらためて思ったのが、こちらです。

まんがで描かれたエルメスの社史。2000年の作品ですが、これはほんとうにすばらしい。当時は、といっても19年前なのですが、マンガでブランドの歴史を描くなんて!とかなり否定的意見もあったらしい。いやしかし、やはりエルメスには先見の明というか本質を見抜く目があったということでしょう。

世の中の主流の流れに従うとブランド価値はどうなるのか、もっとも大切にすべきは何なのか、運を引き寄せる心がけや行為とは何なのか、能力を活かせると思った仕事につけなかったらどのように発想を変えるべきか、19年前に読んだときにはピンとこなかったことも、今だからこそわかるという学びどころが多い。

田中宏『よそおいの旅路』(毎日新聞社)にとても感銘を受けた。戦後の日本ファッション史である。

著者の田中さんは新聞記者としての晩年をファッションの世界を取材することに捧げた。経済記者として長年過ごしてきて、「ファッションなんてミーハーにすぎないと思っていた。実のところ軽蔑していた」。それが三宅一生との出会いで衝撃を受け、時代を解読する有効な装置であることに気づき、没入した。

そんな田中記者が真剣勝負で描き切った戦後の日本のプレイヤーたちの活躍。前例のないなかで試行錯誤してきた先駆者たちの苦闘、そして栄光が、生々しく再現される。

いまもなお名前を輝かせる人たち、あるいは消えていった人たちとの違い、その原因もわかってくる。文体もさすがに確かで、さまざまな読み方を許す名著だと感じた。33年ほど前に書かれた本で、もはや絶版。

ファッションの芸能化を危惧するあとがきで締められるのが1986年。いまだに状況は変わっていない。


ヴァージル・アブローの『複雑なタイトルをここに』(アダチプレス)。”Insert Complicated Title Here” が原題。

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ヴァージルがハーバード大学デザイン大学院でおこなった講義の講義録。だから話し言葉だし、薄いし(全93ページ、しかも文字部分はその半分しかない)、なんですが、ヴァージルの仕事に対するスタンスや発想法、歴史の捉え方などがやはりなんともDJ的に語られ、独特の感性ことばの世界にしばし浸った。

ヴァージルもダイアナ妃からインスピレーションを受けているということにちょっと嬉しくなる。

1.Renaissance
2. Renaissance to Neoclassicism
3. Romanticism
4 . Romanticism to Modern Art
5. Modern Art
6. Comtemporary Art
6a “Streetwear”

うわ、やられたと思った美学の歴史。なんだけど自分自身のこの流れに沿って成長しているっていう。おもしろいアイディアがぽんぽん投げ込まれているけどどれひとつ論理的に結論はつけられず、DJ風に話が進んでいく。この話法は。

微妙にわかりづらいところも含めて「クール」と感じさせる。これがヴァージル印なのかと納得。

↑ この本についてのコメントが読みづらいかもしれないのも、ヴァージルの話法に影響を受けているということでご寛恕ください。

さて。

細部の細部の詰めに時間がかかった再校ゲラもようやく手を離れました。


アマゾンでの予約が始まりました。12年間のささやかな集大成です。人文学の老舗、吉川弘文館より6月15日発売です。

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日本経済新聞夕刊連載「モードは語る」。

昨夕は、Virtue Signalling について書きました。美徳のひけらかし、についてです。

本ブログではすでにメーガン妃の「妊娠中の大きなおなかさすり」がVirture Signallingとしてバッシングされているという記事を紹介しましたが。

紙幅ゆえに、具体例の紹介を最小限にする必要がありましたが、この視点から見ると、ひとつの現象もがらっと違う見え方もすることがあり、そのことについてはまた別の機会に書きたく思っております。

読売新聞夕刊連載「スタイルアイコン」。昨日は、ニュージーランド首相のジャシンダ・アーダーンについて書きました。

第94回めとなります。100回までのカウントダウン、油断なきよう務めます。

3月のまんまるトークショーの概要が、本日発行の「まんまる」6月号に掲載されました。

もう6月号って…。2019年、折り返しですよ。

?連載「ファッション歳時記」第92回は「行き場のなくなる技術を活かせ」。(←Follow my Twitter) あと8回で100回です。

みなさまにお勧めしておりました5月5日、6日のザ・プリンスパークタワー東京「Park Day」。

連休疲れを休めにくる方、あるいはリフレッシュにいらっしゃる方、意図はどうあれ、大盛況でした。ブッフェも大人気で、芝の上でピクニックをする家族連れやカップル、あるいはおひとりさまが、思い思いに食べたり飲んだり昼寝をしたり映画を見たり。

5日(私は京都で仕事でした)は快晴に恵まれ、やや暑いくらいだったそうです。6日の午後、仕事帰りに訪れましたが、ほどよい雲がかかり日焼けの心配もなく、快適なピクニック日和でした。

東京プリンス屋上でのヨガも2日間満席。東京アーバンリゾートのすばらしさが全面的に活かされた、すてきなイベントでした。

イベントをおこなっていない時でも、プリンス公園を楽しむことができますよ。今の季節はラベンダーや薔薇が咲き誇っていて、深呼吸すると東京タワーエリアのパワーあふれる気とともに、植物のよい香りに満たされます。都心でリラックスしたいときのお勧めスポットです。

このあたりをひとしきり歩いた後、ホテル1階のラウンジでお茶するのがマイブームです。お勧めは窓際。一段低くなっているので他の席からは見えないうえ、眼前に水の流れと東京タワーがあります。リセットに、あるいはヒントを得るのに最高のインスピレーションスポットです。

USJ を回復させた森岡毅さんの新刊。就活が始まった娘さんのために書き溜めたものをまとめた本とのこと。前半のマーケティングの基本の話もためになるが、後半の「黒歴史」が生々しく、引き込まれた。本社アメリカ人たちの強烈な意地悪ぶり、それに立ち向かう森岡さんのガッツが読んで面白く(当人はほんとうに地獄の最中であったと思うが)、よくぞこういう実話をシェアしてくださったという思い。かような試練に立ち向かって、乗り越えて、本物として鍛えられていくんですね。追い詰められたら、退路を断たれたら、いやでも覚醒する。(逃げればそれまでの人間だということ)

資本家の世界を射程圏に見据えるパースペクティブがとにかく必要。世界の、商品の、人の見え方が変わる。

Everything has cost. 何を実現するにせよ、犠牲を払わなくてはならない。自分に合った苦労を選びやすくするために、パースペクティブを広く持つということ。


アガサ・クリスティの小説『春にして君を離れ』。事件も殺人も起きないけど、ぞっとする恐怖でしばらく人と話す気力を奪われた。ここまで人間をえぐりだすとは、クリスティおそるべし。

現代とはスピード感もリズムも違うので、お話の進行も会話のテンポも冗長に感じられるのですが、最後の最後にえぐられる真実は深い。ここまで事実を理解していながら主人公の女性が選択する行動はといえば……。ある種の「心理ミステリー」。肉体的な殺人事件は起きないけど、心の殺人事件の一種と呼べるのかもしれない。

表層的な価値観で人を見て扱ってしまうことのおそろしさ。人間の心のリアリティはそんなものではない。周囲を不幸にし、結果として本人に底なしの孤独がもたらされる。それでも「幸せそうに生きていける」ことに背筋が凍る。画一的な基準に基づいた「幸せそうな」光景を承認されたい人たちはこういう真実にもおそらく気づいていないのかもしれない。また、「いいことをしている」と信じ込んで「善意」を押しつけてしまうことの無神経も描かれる。押しつけられる方はどうにもつらくなっていく。押しつけるほうは「なんで? あなたにとっていいことをしてあげているのに」と永遠に気づかない。気づかなくても自己肯定しながら「幸せに生きていける」ことがなんとも残酷というか。

日経連載の次の記事にも書くけど、「善意」ほど取扱い注意なものはないのだ。無邪気に善意を押しつけられるくらいなら、「悪人」のほうがよほどさっぱりしていてつき合いやすい。

 

 

島田紳助が若手芸人のために話した講演を収録。短いとはいえ、目からうろこの秘訣やエピソードが満載で思わず二度読みした。この人が売れたのは必然だった。ちゃんと理論にもとづいた行動を果敢にとっていた。だからこそ、飲食店をやっても成功する。飲食店の成功は、才能の証明でもある。こういう考えで行動すれば、何をやっても成功するのだろう。

知識はドーナツ的に(中央を語るな)。一分野、一テーマをマニアックに深掘りすることの効果など、ビジネスパーソンにも納得の教え。