ダグラス・マレーの『西洋の自死』。500頁以上ある本ですが、具体例が多いので読みやすい。 足元がすくわれるというか背筋が寒くなるというか、明日の日本の姿かもしれない。

ファッションのニュースばかり見ていると、多文化主義やリベラリズム、寛容と多様性と包摂はとてもすばらしいことのように見える。人種差別は撤廃されるべきだと思う。ああでも、ほかならぬこの「人種差別はいけない」というリベラリズムが長期的に見て自国の文化の死をもたらしているとしたら。なんというジレンマ。複雑な問題の奥にあること、個々の具体例がもたらしていることをよく見極めておきたい。移民をどんどん受け入れるとどのような未来がもたらされるのか、日本人も西洋の実例の背後を見極めてから考えたほうがいい。個々の人に対しては、リベラルでありたい。しかし自国の文化の保全を考えることは、また別問題である。

 

〇銀座の老舗の百貨店に、ロックダウン解除後、はじめて買い物するつもりで行ってみました。かねてからひいきにしていたコーナーで、コロナ前はワンシーズンに1~2着は買っていたところです。久々に伺ってみると、新しい売り場ご担当者がいきなり「このブランドはキャサリン妃の妹さんも愛用している云々」と稚拙なブランドの解説をえんえんと始め(よりによってそのブランドの記事を書いている私に)、しばらく聞いていましたが我慢しかねた段階で「少し見せていただいてよろしいですか?」と言って商品を見始めると、「黄色は夏らしくてすてきですよね」「ストレッチが効いて着やすいですよ」などの無意味なお勧め文句を連発し始め、片時も自由を感じなかったので適当にお礼を言って退散しました。販売員のマニュアルセールストーク、あれは拷問に近いです。もっと黙ってくれていたら買うはずだった客をひとり逃がしましたね。

こういう売り方が嫌われるのでECやユニクロなどの「販売員が余計なことを言わない、なんならいない」ところへお客様が走っていたことはすでにコロナ前から明らかだったのでは? 接客をするにしても、ひとりひとり客を見て、適切な対応ができればそれはそれで百貨店販売の良さもあると思いますが、一律マニュアル対応というのはまったく時代に合っていません。コロナの自粛期間を経て何か新しい変化がもたらされているのかと思ったら、旧態依然。

他の売り場を見ても、外気温35度のこの季節に分厚いコートがずらりと並んでいたりします。誰が今買いたいと思うのか(一部の大のファッショニスタさんでしょうか)。こういう顧客のニーズや季節需要と合わない商習慣をやめようという声明が、ロックダウン中に各ブランド「本国」で出されていたはずですが、それは実現されなかったということですね。

自粛期間は抜本的に変えるチャンスでもあったはずなのに、いったい百貨店は何を学んでいたのでしょう? クローズを続けるアメリカの老舗百貨店業界の状況を見たらさすがに何か変化の手を打っていてもよかったのではと思いますが。「百貨店の自死」がもたらされる原因がいたるところに元のまま、放置されています。

 

“Quality is not an act, it is a habit.” (By Aristotle)

 

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