早朝は曇り空だったものの、穏やかな快晴に恵まれた元日でした。

いつものご近所の公園。

毎年同じような景色を撮影していますが。青空と樹と太陽は鉄板の組み合わせですね。

 

?Guardian UKの2019ファッションの総括記事

鍵すらも入らない「ナノバッグ」の流行。ヴィクトリアズ・シークレットが下着オンパレードのショーをやめたこと。「パワフルブローチ」の流行=エリザベス女王だけじゃなく判事や議長まで着用してメッセージを送ったこと。メラニア・トランプの「リテラル・ドレッシング」(まったくそのままに読める服)など。

昨日遭遇したインスピレーショナルなことば二つ、備忘録メモです。

まずは「コナトゥス」(conatus)。

President Online での山口周さんのインタビュー記事のなかで出会いました。

「哲学者のスピノザが、自分が本来の自分であろうとするエネルギーのことを『コナトゥス』と言っています。このコナトゥスが破壊されたり麻痺したりすると、世の中で『よい』とされているものを盲目的に信じ、うらやましがられるような人になる方向へ、自分のエネルギーが向かってしまうそうです。それは本来の自分から相当ずれたものですから、徹するためにはどうしても無理をすることになる。そうすると、日々の生活が空疎なものになっていきます」

なるほど。コナトゥス。辞書的には「自然の傾向」「事物の持つ自己持続の努力」とありますが、そういうことなのか。それが壊れ、価値基準が「世間から見たステキ」になってしまい、そこを目指そうとすると虚しさばかりが増大することになる。コナトゥスが何なのか、見極めておくことは、孤独を伴いますが、同時に心の安定ももたらしますね。

もうひとつは、consummatory。今年の東京大学総長による卒業式の式辞で出会ったことばです。

「第三はconsummatoryであることです。見田先生は、これはとても良い言葉だが適切な日本語に置き換え難いと断りを入れたうえで、instrumental すなわち『手段的』『道具的』といった認識とは反対の境地だと論じています。それは、私達が行う現在の活動について、未来の目的のための手段として捉えるのではなく、活動それ自体を楽しみ、心を躍らせるためのものと捉えるということです。語源を探っていくと、con-は『ともに』という意味であり、summateは『足し合わせる』という意味ですから、ただ一人だけで楽しむということではありません」

consummateとは辞書的には「完遂する」とか「完了する」「頂点に達する」、そこから派生して「結婚を肉体的に完遂する」という意味にもなります。

consummatoryとは 完了行動の、という形容詞。いまおこなっていることを、なにかの手段としてしょうがなくやるのではなく、その行為そのものをこの上なく完全に、目的そのものとして楽しんで(やりきる)、ということなんですね。そこに幸福のヒントがある、と。

conatusに忠実に、行動をconsummatoryに変えていきなさい、と。思えば私は天然にそういう選択をし、無自覚にそういう行動をとってきたために、社会的には苦労をする羽目になった。子供たちには「大ばかすぎる」と怒られ呆れられています。だからこういう生き方はあまり万人にはお勧めしないけどね。覚えておくと、決断・判断すべき時になんらかの助けにはなることばです。


(写真は全て一年前の千鳥が淵で撮影)

オバマ前大統領と2008年の大統領選を戦ったジョン・マケイン上院議員が亡くなりました。

SNSに上げられたオバマ氏の、ことばを尽くした追悼メッセージがすばらしく、高潔さと知性を備えたリーダーとはこのような時にこれだけの言葉によって人々の感情を束ねるべきという模範のようでした。

アレサ・フランクリンの時もそうでしたが、オバマ大統領の追悼メッセージには常に、故人の人生とその家族への敬意と愛情があらわれていて、深い感動を覚えます。(ボキャ貧のトランプ大統領の軽すぎる定型文一言と比較するといっそう)


 

(オバマ前大統領がSNSにアップした追悼のメッセージ)

マケイン上院議員とオバマ前大統領の間には、ともに高い理想のために闘っているというリスペクトが基本前提としてありました。政策上の違いについては分かれて戦っているけれど、最終ゴールはよりよい国家。そのために献身的に奉仕して、理想のために言葉を尽くして闘う。相手も同じ立場であることに関してはリスペクトを失わない。そんな高潔さと正義と倫理観をもっていることが政治家にとってはあたりまえだったのに。今ではそんな基本的な前提が完全に崩壊してしまったんだな。アメリカでも、日本でも。

政治家として、人として、高潔な姿を見せてくれたジョン・マケイン氏に敬意を捧げるとともに、ご冥福を祈ります。

 

 

 

大きな仕事をなしとげた方の訃報が続きますね。

さくらももこさん、「老若男女、誰でも知っている」というキャラクターを作り上げるということは、簡単にできることではありません。誰もがほっこりとあたたかい気持ちになれた、愛にあふれた世界を作り上げた、すばらしい漫画家。

まだ53歳って、私より若かったのに……。ご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

人は亡くなったときに、おこなってきたことによって総括されてしまう。好むと好まざるとにかかわらず。肩書きも財産ももっていけないのだ。社会に対して、あるいは周囲の人々に対して、おこなったこと、かけた言葉で総括され、記憶に残る(あるいは残らない)。そのことを常に頭の片隅において選択の基準のひとつにしていかねばとあらためて思う。

 

立春の日は、いちばん会いたかった人の講演。NHK文化センターにて。

40分前に会場に行ったらすでに長蛇の列。最終的にかなり追加の椅子を入れた模様でしたが、それでもキャンセル待ちが殺到してたようです。Youtubeで講演は同時中継されていましたが、やはりファンの熱気のなかで、本人の波動を感じながら聴くということには特別の価値がありました。

韓流スターの公演に行って喜んでいるおばさんと何が違うんだよ、という息子たちの冷ややかな視線を浴びましたが。ばっちりサインももらってきたよ!

90分の講演のうち45分が「自分の人生を生きる 『たかがゲーム』と言われても」というウメハラ氏の話、残り45分が質疑応答。

90分、黒板も使わず、スライドも使わず、映像も見せず、語りだけで聴衆を引きつけ続けていたウメハラ氏のトーク力はすばらしかった。この講演で話す内容を考えるためにこの一週間、ひたすら「歩きながら考える」ということを続けたそうなのですが、アプリで計算したその距離は175km。途中、雪の日もあったのに。

(当日は写真撮影NGだったので、こちらは公開動画からの画像キャプチャ。目の光や表情から、達観した人の悟りの域を感じさせました……というのは過大評価?)

175km分の思考。構成といい内容といい表現力といい、その妙をすべてお伝えしきれるわけもないのですが、以下は、ランダムな備忘録メモです(だいたい、メモはなくすからね。アップしておくのが確実)。正確な言い回しは違うかもしれませんし、質問者の「質問」はかなり端折ってあるので適当です。そのあたりなにとぞご寛恕ください。正確なやりとりは動画でご確認ください。

・この講演を引き受けた後、てこずった。テーマが難しいということもあるが、講演のあとのことを考えてしまったから。自分自身で「上手にやって講演の仕事を増やそう」などと計算があるっぽいのがダメなのだ。不純な気持ちがあるときは本領を発揮することが難しい。そこに気づき、この講演一回で完結させよう、話したいことを話そう、と決めてから思考がクリアになっていった。(不純な気持ちがあるときには本領を発揮できないという考え方が、その後に続く話のメインテーマのひとつになっていく)

・プロゲーマーになって9年。現在では「プロゲーマーライセンス」も発行されており、若い人から、プロになることの相談も受ける。若い人に入ってもらわないと業界も困るので「いいんじゃない」とアドバイスはするが、本心すべてがつまっているかというと別。今日この講演では本心・本音を話す。

・格闘ゲームをやっていたのが11歳~23歳、なかでも14歳から加速。おおみそかと正月を除きほぼ毎日、ゲーセンに「住んで」いるようだった。しかしさすがにこれでは生活できないと思い、生活の「手段として」麻雀に行く。それなりに上達し、食えるようになったが、3年で手を引いた。ではゲームとマージャンの違いはなんだったのか?

・(上記のことを示すために、きわめてユニークで示唆的な13歳のときのエピソードが話されるのですが、この話の魅力を再現すると長くなりすぎるので、ぜひYoutubeなどでご覧ください) 要は、麻雀の場合は、他人に馬鹿にされたりひどい目にあわされたりすると、ばからしくなって二度とそこにはいかないが、ゲームで同じことをされた場合は違う。それに甘んじる自分に対して耐えがたい精神的苦痛を感じるので、死ぬ気で対処を考える。手段である麻雀の場合は「どうでもいい」、でも好きなゲームの場合は「自分が自分を許せるまで死ぬ気で対処する」のだ。つまり、比較的向いているところでいいや、生活のための手段でいいや、というところで手を打つと、いざというときに本領を発揮できないのだ。手段でやっている場合は、何か障害にぶつかると理由をつけてやめてしまえる。本気で好きなことに打ち込んでいる人はそんなことはしない。

・つまり、若いプロゲーマー志望者に問いたいのは、ゲームが本当に好きなのか?ということ。進学・就職から逃げて、「けっこう好き」で「向いている」ゲームを仕事にしてみようか、という手段にしていないか? 現在のブームに流されていないか? ウメハラは3年麻雀を「けっこう向いているから生活の手段」にしてみて、それが違うことに気づき、やめた。だから、「心から好きなこと」を見つけるほうが先。

・自分にもし子供がいたら、「好きなものを見つけろ」とアドバイスする。見つけたら、迷わずとことんやれ、と背中を押す。それで子供が「好きなことをやっていたらぼこぼこに殴られたり、笑われたりする」と言えば、「関係ない、やれやれ」と背中を押す。さらに子供が、「好きなことをやっていたら友達がみんな離れていって孤立した」と言えば、「ようやく第二段階に入ったな」と背中を押す。そしてさらに「彼女にもふられた」と言えば、「惜しい!もうちょっとだ」と励ます。仕上げの段階として、場合によっては親も敵に回すかもしれない。勘当するかもしれない。それでもやりたいことがあるんだったら、それをやらなきゃいけない、と諭す。ここまでとことんやる。これだけのプロセスが、どうしても必要な「準備期間」なのだ。お金ができないとか友達ができないとか、なにか「足りないもの」が気になるかもしれないが、それはあとでどうにでもなる。「足りない」と思っているものはいつかはなくなる。しかし、本心は死ぬまで付き合っていかねばならない。そこをごまかすことはできない。

・13歳のあのとき、気付きがなかったら、今の自分は100%なかった。やめる理由はゴマンとある。理不尽な思いをしてもやれるのか? 格闘ゲームは手ごわい。最後は気持ちが勝敗を決める。これだけは譲れないという迫力が勝負を決めるのだ。

・(質問:人の目という魔物に対してどのように向き合うか?)人が自分をどのように見るか?ということよりも、自分が自分に対して「おまえ、情けなくないか?」と見るほうがよほどきつい。自分に責められる方がきつい。人はみんないなくなるが、最後に助けてくれるのは自分の本心だけである。

・(質問:明日死ぬ、と言われたら?) 「ああ、やっぱり?」と思う。(会場爆笑)やりたいことを満喫してきて、これだけ楽しんで生かしてもらえた。「ああ、やっぱり?」と言えるほどやりたい放題してきた。悔いはない。

・(質問:e-sportsはこれからが本格始動だが、それについて) 楽しかった時期は終わっちゃったな、と思う。自分の性格として、RPGでも、ラスボスが見えると辞めちゃうというところがある。これまで、楽しいこだわりをつめこんで獣道を開拓してきた。自分の中では大冒険していた気分だった。これから先、大きな力が働くと「開拓」させてもらえなくなるかもしれない。ただ、全体でなかよくやっていく、というよりもそれぞれがそれぞれで居心地のいい空間を創り、各自がやりたいことをやって、棲み分けていけばいいのではないか。

・(質問:好きなことを見つける方法は?) いろいろやってみないとわからない。「好き」で完結することを探す。褒められそうとか、ビジネスになりそうとか、不純な動機が入ると続かない。純粋に好きで、無償で取り組めるものが何なのか、仕事にならなくてもやってしまうものは何なのかを見極めることが大切。そちらのほうが結果的にお金がついてくるし、救いになる。

・(質問:将来に対する不安はないか?) これだけスポンサーが増えると、これ全部なくなっちゃったらどうしようとか、助けられる人を助けていないのではないか、とか、不安に襲われることがある。不安からくる悪循環に悩んでいたのがちょうど一年前。でも、あるインタビュアーに出会い、自分の力でどうにもならないことを悩むな、と助言を得た。そこから吹っ切れ、とにかく自分の能力を発揮することに集中した。それが結果として、他人を助けることにもつながった。そもそも、原点に立ち返ってみると、さんざん好き放題やってきたくせに、今さら何を不安がってるんだ?と気づくと、不安がばからしくなる。

・(勝敗に一喜一憂しないというのは?) 「人気に人がついてくる」(人についてくるのではなく)、という恐怖を小さいときに体験している。だからいま、ギネスがどうの世界一がどうのということで人が寄ってきても、それは「人気」に寄ってきているだけであって俺に寄ってきてるわけではない、ということが見えている。だからいちいち喜んでいない。土台作りが終了した次のステージは、後回しにしてきた、よい人間関係を築くことにエネルギーを使いたい。

 

本物の強さの理由、本当の誠実さというものが伝わってきました。必要なときに必要な人に出会う、というのはまさしくこのようなことなのかと実感できた、幸先のよい立春になりました。

 

 

疲れた時にはページを開く、隠れバイブル。

N高校で、村上世彰さんの授業を、高校生とともにたっぷり2時間受けるという幸運に恵まれた。

現在シンガポールに在住の村上さんは、ビジネスにおいては「1億円以上の話じゃないと助言はしない」という方。しかし、未来を担う高校生に対しては、タダでも話をするということで、しかもコミュニケーションをとりながらのたっぷり2時間。なんと贅沢な授業だったのだろう。

授業は代々木校でおこなわれたが、心斎橋校とネットワーク中継でつなぎ、心斎橋校の生徒からも質問やプレゼンテーションを受けるというスタイル。

1時間目は、村上さんのお金との付き合い方について。実際におこなってきたことをエピソードを交えながらその哲学を披露。2時間目は、生徒さん数人からプレゼンテーションを聞き、一人一人にプロの目からの鋭いツッコミやアドバイスを。相手が高校生だからって容赦ないのがいい。

想定外の面白さだったのが、N高校の生徒たち。すでに株式投資や、ファッションバイヤーとしてお金を稼いでいる子たちがいる。ビットコインで500万円稼いだ子もいるし、ひふみ投信で着実に増やしている子もいる。未来への考え方もすばらしく、将来やりたい起業プランが社会貢献に通じるもので、それが勉強のモチベーションになっていたり。心斎橋からこの日のために夜行バスで来た高校生もいる。ビジョンも情熱も賢さもある。頼もしいなあ、応援したいなと思ったのは村上さんだけではないだろう。

村上さんの話しぶりも、すばらしかった。やはりこの人は天才で、自分ができるやり方での日本社会への貢献を続けていて、一度は嫉妬のために追放されたようになったけど、めげずに投資による社会貢献を続け、そこに幸福感を見出している。以下はランダムな備忘録程度のメモなので、詳しくは村上さんのご著書をお読みください。

・お金とのつきあい方は4通り。「稼ぐ」「貯める」「殖やす」「使う」。日本では、たくさん「稼ぐ」ことが嫌われる。しかし、村上さんはお金儲けの何が悪いんだ?と心から思い続けている。儲けたお金を何に使うか、最終的に何に回るのかが重要なのだ。

・もっともよくないことは、稼いだお金をじっと手元で停滞させておくこと。これをすると社会が崩壊する。お金=血液である。回らないと社会が死んでしまうのだ。だから、寝かさずにぐるぐる回す。最終的には社会貢献に使うと、気持ちがいい。(3.11の震災のとき、村上さんのNPOは森ビルの上からヘリコプターを飛ばし、救援物資を届けたりしている。)

・日本ではお金=汚いという見方が根強く、村上ファンド時代、村上さんは2000億稼ぐと批判された。日本にいたら殺されるというほどの状況で、部下たちはシンガポールに逃げた。おそらくお金=汚いという見方は、殖やしたあとの使い方に人々が腹を立てることから生まれたのではないか? 社会貢献、人助けのために使うと喜んでもらえて、ああやってよかったという幸福感が得られる。

・お金を殖やす能力とは。勉強して賢くなること。お金を殖やすためのお金を持っていること。そしてガッツがあること。

・すべての価格は需要と供給のバランスで決まる。紀伊国屋文左衛門は、嵐のあと、チャンスと見て、悪天候のなか船で江戸まで魚を売りに行き大金持ちになった。さやを取りに行くのだ。

・アイディアさえあれば、劇的にお金が集まる世の中になった。

・ビジネスの基本は、広く薄く。どうやって汎用性を持たせるのかを考える。

・他とは違う、この人しかできない、という独自性を生み出すこと。

・日本社会では、既得権益の中で生きていて、過去やってきたことを否定されたくない、という人が圧倒的に多い。彼らがお金をため込んでいて経済が回っておらず、日本社会をダメにしている。

・60になったら前の会社と縁を切るのがよい。自分がどこまでできるのか実験をしてみるという生き方もある。

・お金を寄付することで「あげたら終わり」というところもある(哀しい)。寄付する時には、「寄付させていただいてありがとう」と思えるところに寄付をする。役に立ててよかったな、と思えるようなところに寄付をする。

実は話の合間に出される具体例が面白かった。ホリエ、フジタ、ウノ、セト、ミヤウチ、フジタデン、ソン、などなどの方々の知られざるエピソードが鮮やかで、上のような話に説得力を与えていた。

世の中の見方が変わった衝撃の講演だった。講演者としては、質問への対応の仕方はこうすべき、という態度も学んだ。機会を与えてくれたN高に心より感謝します。高校生のときにこんな話を聞けたら視座も高くなり、将来への展望も変わるだろう。

昨日アップしたフェアファクスのブログにも引用しましたが、ミシェル・オバマ氏のスピーチには、彼女の真心からわきあがる本物のパワー、深い慈愛にあふれていて、いつだって激励されてきました。

ファーストレディーとしての最後のスピーチがおこなわれたのが、昨日。力強いボキャブラリー、快いリズム、心にダイレクトに届くあたたかさにあふれた、ファイナルスピーチにふさわしいすばらしさでした。

 

“Don’t be afraid. Be focused. Be determined. Be hopeful. Be empowered. Empower yourself with a good education. Then get out there and use that education to build a country worthy of your boundless promise. “

(「恐れないで。目標を定めなさい。決然といきなさい。希望をもちなさい。力を得なさい。よい教育によって力を得なさい。教育を終えたら、無限の可能性をもつあなたにふさわしい国を作るために、教育を役立てなさい」)

“Being your first lady has been the greatest honor of my life and I hope I’ve made you proud.”
(「ファーストレディーであったことは、私の人生においてもっとも名誉なことでした。みなさんが私を誇りに思ってくださるとうれしいです」)
CNNのこちらのサイトでもスピーチの一部が聴けます。
I will miss her….
善と愛と希望にあふれた、力のある美しい言葉で、人を正しい勇気の方向へ導いたオバマ夫妻はほんとうに偉大だと思う。

 Austin Brooks, “Michelle Obama:A FEMININE LEADERSHIP. Strategies for Female Leadership without Resorting to Male Skills”

 Vogue U.S.  December 2016

 

次の大統領の言葉は、そのまま、額面通りにうけとっていいのかどうか、それとも、表層はある程度「無視」してよいのか、まったくの未知数。言葉の表層はただ「ニュースになるため」だけの仕掛けで、それとは別に、やることはやるのか。それとも、ほんとうに「言葉のまんま」なのか。就任式の演説がどういうトーンになるのか、予測もつかない。

6月30日付朝日新聞。秋山訓子さんによる「ザ・コラム」。細野豪志氏が「白染め」している話から始まり、政治家の生き方や品性が顔に出るという話。

img264「議員になることで顔が変わるのではない。その過程、どんな選挙をしてどう人と触れ合ったかが、顔に出るのだ」

政治家だけではない、多くの人がそうだろう。実際に顔を見て(SNSの盛り写真ではなく)、言葉を聞いていると、どのような人なのか、わかってくる。久々に会う知り合いの場合、顔の変化で、どのような時間を過ごしてきたのかが、伝わってくる。

「彼を批判するタレントや評論家の人相も日増しに悪くなったと感じる。時間が経過し、舛添さんの表情や声が憔悴していく中で人々の人相が批判からイジメモードに変わった」

女性の場合はとくに、メイクなどで隠しきれない。というか厚塗りすればするほど醜く見えてくることがある。

会ったこともない人に対して狭量な正義を振りかざし、完膚なきまでバッシングすることで溜飲を下げたつもりで高価なエステに通っても、人相は確実に心映えを反映する。その瞬間の「キレイ」は、長い目で見れば、周囲の人に「美しさ」として伝わることはないだろう。

日頃の思いや行動が積み重なって顔に露呈すると思えば、逆に言えば、心がけ次第で「美しい」印象を与えることができる。時間が、確かな答えをくれる。これほど安上がりな「美容」もない。

なんだか齋藤薫さまチックになった(^-^;

 

 

共感したことば。

☆16日(木)付朝日新聞夕刊、「イチロー 最多4257安打」の記事より、イチローのことば。FullSizeRender (101)

「打撃に関して、これという最後の形はない。これでよし、という形は絶対にない。でも今の自分の形が最高だ、という形を常につくっている。この矛盾した考え方が共存していることが、僕の大きな助けになっている」

「いま、ここを最高にする」というファッション学の教えとも通じる話。うつりかわっていくべきだけど、そのときどきは「最高」と思えるような形をつくる、という点において。

☆17日(金)付朝刊。鷲田清一先生の「折々のことば」より。

「月に叢雲、花に風」という言い習わしを受けて。

FullSizeRender (95)
前きらめきを慎む、という戒めもある。調子が良いときほどいっそう謙虚にして感謝を忘れるな、とは父の教え。

大竹しのぶさんによる、蜷川幸雄氏追悼文。朝日新聞 5月20日付夕刊。

どこがどう、ということを指摘するとほかの素晴らしさが抜け落ちてしまう気がするような、感情をわしづかみにする追悼文。

img255

本気でぶつかっている人だけが本気の一流を引き寄せる。「最高の仕事をして、この人を喜ばせたい」という気持ちを持てる人と仕事をしているか。「この人を喜ばせたい」という思いを仕事仲間から引き出せているのか。このような関係の積み重ねの暁にこそ高いレベルの仕事がなせるのだと教えられる。

 

8日付の朝日新聞。ジャッキーさま、さすがの懐の深さ。暴走するバッシングに対する、さりげないたしなめにもなっている。この優しさと賢さに洗い清められるような。jacky
「彼以上の苦しみに耐えて、ここまで爽やかな人間に育てあげた母なる人の、精神の強さと聡明さに、改めて感動した」

さらりと書かれたこの一文の重みときたら。涙。

やはり、言葉を使うならば、赦しとユーモアと愛と寛容を促す力として使いたいと、あらためて決意する。

4.8

Wisdom of Woods. 寺家町。