昨日遭遇したインスピレーショナルなことば二つ、備忘録メモです。

まずは「コナトゥス」(conatus)。

President Online での山口周さんのインタビュー記事のなかで出会いました。

「哲学者のスピノザが、自分が本来の自分であろうとするエネルギーのことを『コナトゥス』と言っています。このコナトゥスが破壊されたり麻痺したりすると、世の中で『よい』とされているものを盲目的に信じ、うらやましがられるような人になる方向へ、自分のエネルギーが向かってしまうそうです。それは本来の自分から相当ずれたものですから、徹するためにはどうしても無理をすることになる。そうすると、日々の生活が空疎なものになっていきます」

なるほど。コナトゥス。辞書的には「自然の傾向」「事物の持つ自己持続の努力」とありますが、そういうことなのか。それが壊れ、価値基準が「世間から見たステキ」になってしまい、そこを目指そうとすると虚しさばかりが増大することになる。コナトゥスが何なのか、見極めておくことは、孤独を伴いますが、同時に心の安定ももたらしますね。

もうひとつは、consummatory。今年の東京大学総長による卒業式の式辞で出会ったことばです。

「第三はconsummatoryであることです。見田先生は、これはとても良い言葉だが適切な日本語に置き換え難いと断りを入れたうえで、instrumental すなわち『手段的』『道具的』といった認識とは反対の境地だと論じています。それは、私達が行う現在の活動について、未来の目的のための手段として捉えるのではなく、活動それ自体を楽しみ、心を躍らせるためのものと捉えるということです。語源を探っていくと、con-は『ともに』という意味であり、summateは『足し合わせる』という意味ですから、ただ一人だけで楽しむということではありません」

consummateとは辞書的には「完遂する」とか「完了する」「頂点に達する」、そこから派生して「結婚を肉体的に完遂する」という意味にもなります。

consummatoryとは 完了行動の、という形容詞。いまおこなっていることを、なにかの手段としてしょうがなくやるのではなく、その行為そのものをこの上なく完全に、目的そのものとして楽しんで(やりきる)、ということなんですね。そこに幸福のヒントがある、と。

conatusに忠実に、行動をconsummatoryに変えていきなさい、と。思えば私は天然にそういう選択をし、無自覚にそういう行動をとってきたために、社会的には苦労をする羽目になった。子供たちには「大ばかすぎる」と怒られ呆れられています。だからこういう生き方はあまり万人にはお勧めしないけどね。覚えておくと、決断・判断すべき時になんらかの助けにはなることばです。


(写真は全て一年前の千鳥が淵で撮影)

立春の日は、いちばん会いたかった人の講演。NHK文化センターにて。

40分前に会場に行ったらすでに長蛇の列。最終的にかなり追加の椅子を入れた模様でしたが、それでもキャンセル待ちが殺到してたようです。Youtubeで講演は同時中継されていましたが、やはりファンの熱気のなかで、本人の波動を感じながら聴くということには特別の価値がありました。

韓流スターの公演に行って喜んでいるおばさんと何が違うんだよ、という息子たちの冷ややかな視線を浴びましたが。ばっちりサインももらってきたよ!

90分の講演のうち45分が「自分の人生を生きる 『たかがゲーム』と言われても」というウメハラ氏の話、残り45分が質疑応答。

90分、黒板も使わず、スライドも使わず、映像も見せず、語りだけで聴衆を引きつけ続けていたウメハラ氏のトーク力はすばらしかった。この講演で話す内容を考えるためにこの一週間、ひたすら「歩きながら考える」ということを続けたそうなのですが、アプリで計算したその距離は175km。途中、雪の日もあったのに。

(当日は写真撮影NGだったので、こちらは公開動画からの画像キャプチャ。目の光や表情から、達観した人の悟りの域を感じさせました……というのは過大評価?)

175km分の思考。構成といい内容といい表現力といい、その妙をすべてお伝えしきれるわけもないのですが、以下は、ランダムな備忘録メモです(だいたい、メモはなくすからね。アップしておくのが確実)。正確な言い回しは違うかもしれませんし、質問者の「質問」はかなり端折ってあるので適当です。そのあたりなにとぞご寛恕ください。正確なやりとりは動画でご確認ください。

・この講演を引き受けた後、てこずった。テーマが難しいということもあるが、講演のあとのことを考えてしまったから。自分自身で「上手にやって講演の仕事を増やそう」などと計算があるっぽいのがダメなのだ。不純な気持ちがあるときは本領を発揮することが難しい。そこに気づき、この講演一回で完結させよう、話したいことを話そう、と決めてから思考がクリアになっていった。(不純な気持ちがあるときには本領を発揮できないという考え方が、その後に続く話のメインテーマのひとつになっていく)

・プロゲーマーになって9年。現在では「プロゲーマーライセンス」も発行されており、若い人から、プロになることの相談も受ける。若い人に入ってもらわないと業界も困るので「いいんじゃない」とアドバイスはするが、本心すべてがつまっているかというと別。今日この講演では本心・本音を話す。

・格闘ゲームをやっていたのが11歳~23歳、なかでも14歳から加速。おおみそかと正月を除きほぼ毎日、ゲーセンに「住んで」いるようだった。しかしさすがにこれでは生活できないと思い、生活の「手段として」麻雀に行く。それなりに上達し、食えるようになったが、3年で手を引いた。ではゲームとマージャンの違いはなんだったのか?

・(上記のことを示すために、きわめてユニークで示唆的な13歳のときのエピソードが話されるのですが、この話の魅力を再現すると長くなりすぎるので、ぜひYoutubeなどでご覧ください) 要は、麻雀の場合は、他人に馬鹿にされたりひどい目にあわされたりすると、ばからしくなって二度とそこにはいかないが、ゲームで同じことをされた場合は違う。それに甘んじる自分に対して耐えがたい精神的苦痛を感じるので、死ぬ気で対処を考える。手段である麻雀の場合は「どうでもいい」、でも好きなゲームの場合は「自分が自分を許せるまで死ぬ気で対処する」のだ。つまり、比較的向いているところでいいや、生活のための手段でいいや、というところで手を打つと、いざというときに本領を発揮できないのだ。手段でやっている場合は、何か障害にぶつかると理由をつけてやめてしまえる。本気で好きなことに打ち込んでいる人はそんなことはしない。

・つまり、若いプロゲーマー志望者に問いたいのは、ゲームが本当に好きなのか?ということ。進学・就職から逃げて、「けっこう好き」で「向いている」ゲームを仕事にしてみようか、という手段にしていないか? 現在のブームに流されていないか? ウメハラは3年麻雀を「けっこう向いているから生活の手段」にしてみて、それが違うことに気づき、やめた。だから、「心から好きなこと」を見つけるほうが先。

・自分にもし子供がいたら、「好きなものを見つけろ」とアドバイスする。見つけたら、迷わずとことんやれ、と背中を押す。それで子供が「好きなことをやっていたらぼこぼこに殴られたり、笑われたりする」と言えば、「関係ない、やれやれ」と背中を押す。さらに子供が、「好きなことをやっていたら友達がみんな離れていって孤立した」と言えば、「ようやく第二段階に入ったな」と背中を押す。そしてさらに「彼女にもふられた」と言えば、「惜しい!もうちょっとだ」と励ます。仕上げの段階として、場合によっては親も敵に回すかもしれない。勘当するかもしれない。それでもやりたいことがあるんだったら、それをやらなきゃいけない、と諭す。ここまでとことんやる。これだけのプロセスが、どうしても必要な「準備期間」なのだ。お金ができないとか友達ができないとか、なにか「足りないもの」が気になるかもしれないが、それはあとでどうにでもなる。「足りない」と思っているものはいつかはなくなる。しかし、本心は死ぬまで付き合っていかねばならない。そこをごまかすことはできない。

・13歳のあのとき、気付きがなかったら、今の自分は100%なかった。やめる理由はゴマンとある。理不尽な思いをしてもやれるのか? 格闘ゲームは手ごわい。最後は気持ちが勝敗を決める。これだけは譲れないという迫力が勝負を決めるのだ。

・(質問:人の目という魔物に対してどのように向き合うか?)人が自分をどのように見るか?ということよりも、自分が自分に対して「おまえ、情けなくないか?」と見るほうがよほどきつい。自分に責められる方がきつい。人はみんないなくなるが、最後に助けてくれるのは自分の本心だけである。

・(質問:明日死ぬ、と言われたら?) 「ああ、やっぱり?」と思う。(会場爆笑)やりたいことを満喫してきて、これだけ楽しんで生かしてもらえた。「ああ、やっぱり?」と言えるほどやりたい放題してきた。悔いはない。

・(質問:e-sportsはこれからが本格始動だが、それについて) 楽しかった時期は終わっちゃったな、と思う。自分の性格として、RPGでも、ラスボスが見えると辞めちゃうというところがある。これまで、楽しいこだわりをつめこんで獣道を開拓してきた。自分の中では大冒険していた気分だった。これから先、大きな力が働くと「開拓」させてもらえなくなるかもしれない。ただ、全体でなかよくやっていく、というよりもそれぞれがそれぞれで居心地のいい空間を創り、各自がやりたいことをやって、棲み分けていけばいいのではないか。

・(質問:好きなことを見つける方法は?) いろいろやってみないとわからない。「好き」で完結することを探す。褒められそうとか、ビジネスになりそうとか、不純な動機が入ると続かない。純粋に好きで、無償で取り組めるものが何なのか、仕事にならなくてもやってしまうものは何なのかを見極めることが大切。そちらのほうが結果的にお金がついてくるし、救いになる。

・(質問:将来に対する不安はないか?) これだけスポンサーが増えると、これ全部なくなっちゃったらどうしようとか、助けられる人を助けていないのではないか、とか、不安に襲われることがある。不安からくる悪循環に悩んでいたのがちょうど一年前。でも、あるインタビュアーに出会い、自分の力でどうにもならないことを悩むな、と助言を得た。そこから吹っ切れ、とにかく自分の能力を発揮することに集中した。それが結果として、他人を助けることにもつながった。そもそも、原点に立ち返ってみると、さんざん好き放題やってきたくせに、今さら何を不安がってるんだ?と気づくと、不安がばからしくなる。

・(勝敗に一喜一憂しないというのは?) 「人気に人がついてくる」(人についてくるのではなく)、という恐怖を小さいときに体験している。だからいま、ギネスがどうの世界一がどうのということで人が寄ってきても、それは「人気」に寄ってきているだけであって俺に寄ってきてるわけではない、ということが見えている。だからいちいち喜んでいない。土台作りが終了した次のステージは、後回しにしてきた、よい人間関係を築くことにエネルギーを使いたい。

 

本物の強さの理由、本当の誠実さというものが伝わってきました。必要なときに必要な人に出会う、というのはまさしくこのようなことなのかと実感できた、幸先のよい立春になりました。

 

 

疲れた時にはページを開く、隠れバイブル。

 

フィギュアスケートの羽生結弦さんが300点越えした理由について、dmenu映画というサイトでの分析が面白かった。

野村萬斎から受けた助言というのが、他の仕事にもすべて通用する内容。たとえば私の仕事にとっても、たいへん有益なアドバイスである。以下、分析の引用です。

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①誤作動しないくらい徹底的に型を身体に覚え込ませること
②同じ演目でもやるたびに新しい驚きを観客に与えるよう演じること
③型を効果的に見せるためには押すだけでなく引く演技も必要であること
④型にはすべて意味があり、その意味は自分で解釈するもの
⑤記憶に残るような演技をすれば結果はついてくる
⑥精神性が重要。場を支配するためには場を味方につける

~~~~~~~~~
とりわけ6番。場を味方につけるため、場の「気」を集めるという発想が、論理的でないようで、実は経験上、きわめて腑に落ちる話なのである。

場の「気」を支配する。これが300点越えの演技をもたらした点について、このライターさんは、次のように表現する。

「天を仰ぎ、地に言い聞かせ、指先に意識を集中させた。「GPシリーズNHK杯」を滑り出した羽生は、すぐに集めた“気”をいったん胸の前で珠にし、すぐに会場の両サイドに放出した。コンビネーションスピンのあと、能でいう“開き”のポーズを取り、再度“気”を引き寄せる。トリプルアクセルに続くダブルトゥーループでは両手を上にあげ、天に持ち上げた“気”を着地と同時に放出。続いて緩やかに右回転し、会場の空気を身にまとったかと思うと、トリプルアクセル、シングルループ、トリプルサルコーと真逆に連続で飛び、身に引き寄せた空気を一気に会場の隅まで放った。すべてのジャンプを決め、コレオグラフィックシークエンスに入る際には、鈴の音とともに両腕を左右に大きく広げ、前の空間にアピール。ラストの足換えコンビネーションスピンで上へと昇りつめ、太鼓の音とともに地上に君臨した」

さらに、ややスピリチュアルが入っていそうなこの「気」を集めるということに対し、中井貴一のことばで集約。「演技とは、一身に集めた様々な気を発散すること。それは、すべての芝居ができたうえで、一度そぎ落としたときに成立する」と。

たとえば成功した講演やトークショーと、その感覚に至らなかった講演の決定的な違いはここなのですね。ある人はそれを「聴衆とのコミュニケーション」と呼び、ある人は「場の空気を読む」と呼びますが、たぶん、内実は同じこと。見えないけれども実は確実に存在する場の空気。これを操ることが最終的な「成功」のカギだ。でなければ、「動画」や「録画」を画面で見ているだけでもいいはずだ。そうではなく、内容がわかっていてもライブをわざわざ体験しにいくのは、場の気を操り、操られるその場限りの感覚を共有するため。

img161WWD 8月31日発行 Vol.1876.  ルイ・ヴィトン ジャパン元社長の秦郷次郎さんの巻、最終回。

「秦:『ラグジュアリー・ブランド』というのは比較的新しい言葉ですよね。かつて、われわれがブランドとかブランドビジネスと呼んでいたときにはファッション・ブランドかトラディショナル・ブランドという区分けでした。ラグジュアリーという言葉は『コーチ』が本格的にマーケットに参入するときに『アクセシブル・ラグジュアリー』とか『アフォーダブル・ラグジュアリー』と自らを定義したときに初めて使われた言葉だったと記憶しています。それと同時にブランドがアイテムの幅を広げてきてファッション・ブランドとトラディショナル・ブランドの境界がだんだんなくなってしまった。そこでラグジュアリーという新しい言葉でくくらないと共通の概念にならなかったということではないでしょうか。まさにその典型がマーク・ジェイコブスが入ってきて、ファッションの要素を加えた『ルイ・ヴィトン』だったと思いますね」

そうだったのか…。コーチが「アクセシブル・ラグジュアリー」(手に入るラグジュアリー)と言いだした時に、はじめて「ラグジュアリー」が意識されたということでもある。なんと皮肉な。

img151朝日新聞8月17日(月)。肖像写真の強い視線にひきつけられた記事。文章も力強い。伊福部昭さんの巻①。

「ひとつのパターンをくり返していると、そろそろ転調か何かやらなきゃ、なんて焦りが来るものなんです。でも伊福部さんの音楽は、無駄な転調も小細工もなく、強い意志でそのまままっすぐ進んでゆく。既存の形式にも頼らず、自身の力だけで曲が立っている。ブレないというのは途方もない胆力の賜物です」

「ほんものの音楽は、特別なものでも理論がつくるものでもなく、その場の自然な感興から何気なく生まれてくるもの」

これよくわかる。

あとから読んでおもしろい文章にしても、理論から生まれたものではなく、その場の感情や空気にどっぷり浸る中からぽっと生まれたものだったりします。アタマで「作文」しようと思ってもだめなんですよね。

 

朝日新聞3月28日(土)夕刊。「あのとき それから」。「パーマも指輪も全部悪」。 1940年の国策標語「ぜいたくは敵だ!」に関して。以下、備忘録としての抜粋です。

img141日本人はここまでやるんだ…という空恐ろしい歴史の実例。img1421940年7月7日、「奢侈品等製造販売制限規則」(7.7禁令)。

おおまじめにとなえられたスローガンの数々。

・「黙って働き笑って納税」「胸に愛国手に国債」「笑顔で受け取る召集令」「りっぱな戦死とえがほの老母」「米鬼を一匹も生かすな!」…。

贅沢禁止が徹底できた理由として、大衆の支持があったというのは、一ノ瀬俊也・埼玉大准教授。

「戦前は貧富の差が激しく現在とは比較にならない格差社会。ぜいたくできない人が社会の大半だった。戦時下でぜいたくは悪となり、貧乏は正義となった。そのお墨付きが『ぜいたくは敵だ!』で、社会の上層部や富裕層に対する恨みを晴らしたい気持ちとその行動を正当化してくれた」。

井上寿一・学習院大学長の著書「理想だらけの戦時下日本」より。

「ぜいたく禁止は、下が上を引きずり下ろす下方平準化だった」。

下方平準化。ネットでの有名人引き摺り下ろしにも同じメンタリティを感じる。であればこそ、この時代を笑えない。

朝日新聞2月15日(土)付け、オピニオン欄「今こそ政治を話そう 二分法の世界観」、是枝裕和監督・談。

こういう人を真のリベラルで良識のある文化人、と呼ぶのでしょう。以下、とくに強く印象に残った言葉のメモ。

★特定秘密保護法案に反対する映画人の会に賛同した件につき、政治的な「色」がつく懸念はなかったか?という記者の質問に対し。

「そんな変な価値観がまかり通っているのは日本だけです。僕が映画を撮ったりテレビに関わったりしているのは、多様な価値観を持った人たちが互いを尊重し合いながら共生していける、豊かで成熟した社会を作りたいからです。(中略)これはイデオロギーではありません」

★「あるイベントで詩人の谷川俊太郎さんとご一緒したのですが、『詩は自己表現ではない』と明確におっしゃっていました。詩とは、自分の内側にあるものを表現するのではなく、世界の側にある、世界の豊かさや人間の複雑さに出会った驚きを詩として記述するのだと」。

★「昔、貴乃花が右ひざをけがして、ボロボロになりながらも武蔵丸との優勝決定戦に勝ち、当時の小泉純一郎首相が『痛みに耐えてよく頑張った。感動した!』と叫んで日本中が盛り上がったことがありましたよね。僕はあの時、この政治家嫌いだな、と思ったんです。なぜ武蔵丸に触れないのか、『二人とも頑張った』くらい言ってもいいんじゃないかと」。

★「世の中には意味のない勝ちもあれば価値のある負けもある。(中略)武蔵丸を応援している人間も、祭りを楽しめない人間もいる。『4割』に対する想像力を涵養するのが、映画や小説じゃないかな」。

★「日本では多数派の意見がなんとなく正解とみなされるし、星の数が多い方が見る価値の高い映画だということになってしまう。『浅はかさ』の原因はひとつではありません。それぞれの立場の人が自分の頭で考え、行動していくことで、少しずつ『深く』していくしかありません」。

わかりやすい星いくつの評価とか、すぱっと明快な分類とか。そこからとりこぼれる複雑でわりきれないものに惹かれる人がいる限り、映画も小説も絵画もなくならないはず。それがいやおうなくランク付けされてしまうのは矛盾してるとも思うのですが。

12月号。続々届く、月末発売の雑誌が「12月号」なのである。今年の終わりということ。もう、ですか(@_@;) 以下、気になった記事の備忘録メモです。

☆「25ans」お悩み相談室。「男っぽい性格を直したい」というエレ女32歳の質問に対し、名越康文先生のお答え。

「仏教では、人間の行いは『身口意(しんくい)』の3つに表せるといいます。『身=動作』『口=言語』『意=精神』の3つに対して、それぞれひとつずつ心がけるポイントを考えてみてください。たとえば『身』では、エレベーターや道で知り合いに会ったとき、先に笑顔でゆったりと会釈をする、『口』では会話の語尾を強く引っ張らず、少しこもらせるようにやわらかい鼻声を意識して発音する、『意』では毎朝、お世話になった人をひとり思い浮かべて感謝してから出発する、というように。(中略) こうやって二つ三つ、具体的なことにあらゆる面にこの行動がゆるやかに波及して、所作やふるまいに女らしさや優しさが表れてくるのです。すると人間関係にも、協力者が増えたり、深いところで心のつながりが出てきたり、といった変化が起きてくるものですよ」

変わりたいと思えば、具体的な、毎日の小さな行動を変えていくしかないのですよね。

☆同、斉藤薫「審美人論」。女の称号の話。

「最終的に女が人生かけて獲得したい称号は何か?と言ったらやっぱり『女神』なのだろう。(中略) 女は自分が生きている環境の中で、いつでもどこでもどんなふうにも女神になれるわけで、だったら女神たる存在を目指すべきではないか。もちろん美しく魅惑的でいつもオーラを放っているのが女神の条件だけれども、彼女がいれば大丈夫、彼女といると元気になれる、心が洗われる、心が温まる、心がしゃんとする……そう言われる立場になることって、やっぱり女として最高位」

ああ、ミューズってそういうことだったのですね。キレイなだけではダメ。周囲の心にエネルギーを与え、明るくし、安心させ、「しゃんとさせる」ような存在。

ちょっとハナシが逸れるけど、私がいちばん嬉しくない呼ばれ方は「女史」。他人にも絶対使わない。あと、教え子でもないのに「先生」と呼ばれるとおそろしく居心地悪い。でも最近はそう呼ぶ方の気持ちもわかってきたので、適当に呼ばれ流している。

☆同、木村孝さん「木村孝先生に叱られたい!Returns」、Q&A。「先生のようにずっと輝いて生きるためにはどうすべきですか?」というQに対し。

「自分で輝こうなどとあつかましいことを考えてはいけません。輝いているかいないかなんて、本人にはわかりません。それより、自分が錆びつかないよう、考えが濁らないためにはどうしたらよいかを考えて。そして怠けず一生懸命生きましょう。やらねばならないと思うことをさせていただくの」。

ごもっともです。 自分でどうこう見せたいというエゴは、排除すべき(自戒をこめて)。どう見えるかは人が勝手に決めていく。自分はこうありたいということを淡々と慎ましく「実行」していくほうがはるかに「輝き」への道に近いのだと思う。近頃の、セルフブランディングとやらで躍起になって表層に凝る風潮がきもちわるい。みんな同じようにつるんとしている。底光りしてない。

☆朝日新聞 27日付「仕事力」、舛添要一「苦境から底力をもらおう」の巻、その1「思い通りなら面白いのか」

この方、やはりタダモノではなかった。父を中2でなくし、経済的におそろしく苦労しながらも、周囲の応援と努力と情報戦で大学まで卒業した。立派だ。写真に後光がさしてみえる。

「どんな百万長者の子どもでも、大学に入ったら自分で努力し、制度の情報を集め、働きながら卒業しろと。そうしてこそ『セルフ メード マン』、自立した人間であり、社会で仕事ができる人材であると」

「人は、予想していたように物事が進んでいくと、力を出せる範囲が小さいのかもしれない。私は思わぬ父の早逝によって金銭的な苦境に追い込まれ、周囲の人の応援や情報に助けられて進んできましたが、これに対応しつつ活路を見出してきた。それが本当に私を鍛えてくれたと感じます。

入りたい会社に入れなかった、やりたい仕事に就けなかった。それはほとんどの人にとって当然のこと。本当のあなたの仕事は、その次に始まるのではありませんか」。

☆朝日新聞23日付夕刊、スポーツ欄。NY米野球殿堂のジェイ・アイドルソン氏のイチロー評。

「イチローは、この野球殿堂に過去5回も来た。(中略)私が知るどの大リーガーよりも、彼は米国野球の歴史を深く知ろうとしている。彼以外にあれほど熱心に足を運んで、歴史を学ぼうとした人はいない」

「新しいことを学んだり、有名な選手のバットを握ったりしている時のイチローの笑顔や温かさを見れば、彼が歴史を感じていることは簡単に読み取れる。その姿を見るだけでも、とても温かい気持ちになる。一般の人々はここに見学しに来るけれど、彼は何かを吸収しに来ているんだ」

歴史に敬意を評して、そこから学ぼうとしている人の顔には、奥行きとあたたかさがあるのですよね。「教養」ってそういうことかもしれない。知識が断片的にたくさんあるということではなくて、その蓄積が、イマジネーションの力で、領域を超えて、現在・未来のあらゆる言動のはしばしに、おのずと生かされている、というような。

☆同、25日付求人欄、「仕事力」、岩田弘三さんの巻、「出過ぎてごらんなさい」、その4。

「人間は簡単に、自分が属する業界や居心地のいい仲間の価値観に染まります。(中略) 世の中で認められているマジョリティーの一員であることは、心地良い安心感があるでしょう。しかし、それは仕事の力が削がれていくことにもなります。とがった異分子になることが怖くなり、脳のどこかにある『挑戦』意識にふたをすることになりかねないのですね」

「スティーブ・ジョブズが残した、Think Different, Stay Hungry, Stay Foolishという言葉は、どれも異端児であれ、人とは違う道を考え抜けと私を刺激します。それは、ただとっぴであれというのとは異なります。本質を見つめつつ、常識で良しとされるような分別はやめよということではないか。どのようにささやかなことでも、『人の喜び』を自分の頭でオリジナルに追求せずして、仕事の達成はないとも言えます」

リスペクト。こういうことが大事だと声高に「言う」人は、他にもたくさんいるけれど、実際に静かに行動に移している人はどれほどいるのか。がんがん言ってるひとにかぎって、「いいね」をたくさんもらって安心してるみたいな風情が(苦笑)。ときどきはこのような実績の裏付けある言葉での励ましをもらいながら、だれの承認がなくても、群れを離れて、ひとりで淡々と行動に移していった人が生き残る。フィールグッドな言葉こそ、それを反芻することで満足せず、行動して成果を見せていかないと。いいことばっかり得々と唱えてるだけじゃバカ以下。自戒をこめて。

朝日新聞本日付求人欄、「仕事力」。リシャール・コラスさんの最終回「ラグジュアリーに挑め」。

25ans誌上であつかましくも「ラグジュアリー・クエスト」なんて連載記事まで書いていたことのある身ではありますが、ラグジュアリーの定義を万人に納得してもらえるように書くというところまでつきつめて探求してはいなかった。コラスさんの定義は明確にしてシンプル、力強く説得力あり。

「ラグジュアリーというのは、何万年も前から人間が求めてきた本能であり、それは、心の豊かさを求める行為だからです。例えば一万5千年も前にクロマニヨン人が描いたラスコー洞窟の壁画には、様々な色を用いて牛などの動物が描かれていますが、すでに絵画が日常を楽しく豊かにしていたことが伝わってきます。ラグジュアリーとは、自分の心が安らいだり、楽しみを発見できたりする状態のことだと、私はその本質をそう捉えています」

「見栄でもなければ、金額でもなく、その人なりの日常のベーシックな衣食住がかなって、それから、何か『ときめく』ことを見つけるのがラグジュアリーです。別の空気が流れたり、ささやかな憧れに歩み寄れたりすること、と言い換えてもいい」

「定義ができれば応用ができます。あなたが手がけている仕事に、ラグジュアリーという視点を入れていくとどうなるでしょうか」

(若い人のクールジャパンは自然な勢いに任せておけばいい、というハナシのあとで)「それよりも、何千年も続く、日本人の遺伝子に組み込まれた繊細で豊かな仕事力こそ、世界に類を見ない能力です。(中略)優雅な『エクセレントジャパン』を商品として売っていくことです」

「ビジネスは合理的にするべきだと考えている男性は特に、人の暮らしに目を凝らし、自分の中に潜むその感覚を引き出して欲しい。これから10年、20年と生き残る仕事力は、そこから生まれてくるでしょう。恥ずかしがったり、言い訳したりして、自分が作ってしまっている壁を守るのではなく、壊せない壁はないと静かに心に決めてください。日本人はラグジュアリーな仕事で、勝ち残っていくと思います」。

…「壊せない壁はないと静かに心に決めてください」。この一言にいたるまでの静かな説得力に、泣けました。地に足がついた、建設的で優雅なエクセレントラグジュアリー。遠慮や負い目を感じることなく、むしろ、堂々と推進していくべき誇らしい価値。いずれ少数派かもしれないラグジュアリークエストを続けていこうとするならば、こういう世界をめざさないとね。

[E:clover]ルミネのコピーの快進撃つづく。18日(火)の朝日新聞全面広告。「脱いでいるわたしより、着ているわたしが、わたしに近い」。

「すっぴんの顔がホントのわたし。

それはたしかに間違いない。

だけどメークをしている顔が、

嘘のわたしというわけでもない。

人は飾ることで、

自分を露出している。

むしろ裸よりも、

その人となりの多くをさらす。

どんな人間なのか、気分なのか。

どう見られたいのか、なりたいのか。

東京の街を飾る女の子たちは、

自分を隠さずに今日も生きている。」

[E:clover]19日付朝日新聞教育欄、「子どもを読む」、週刊少年マガジン副編集長 朴鐘顕(ちょんひょん)さん。

「100万部を超すようなメガヒットを飛ばす作品の条件はシンプル。最大のポイントは老若男女に受け入れられることだ。(中略)「老若男女」のうち、最も難易度が高いのが女性なのだ。まず、女性が嫌いそうな要素を精査する。意味のないパンチラ、行き過ぎた薀蓄、不快なほど不細工なキャラクターなどが本当に必要かどうか考え直す。次に増強するべき要素を考える。登場キャラクターの過去やトラウマ、キャラ同士の相克と友情、そしてデザイン。(中略)こうして読者を意識することで、日本の漫画は世界に誇るエンターテイメントとなってきたと思う」

あたりまえのことのようで、でもなかなかこうして文章化して整理してくれた人はいなかった気がする。

鷲田先生のレクチャーの続きです。

[E:clover]1980年代は、高度消費社会。それまでは、消費者の欲望にこたえればよかったのだけれど、80年代には欲望の対象となる商品が飽和状態となった。

もはや欲望の対象がないとなれば、新しい欲望を作るしかない。欲望それ自身を生産する、それが80年代におこなわれたことだ。当時の広告なんて完全にイメージ広告。ライフスタイルや空気の表現でしかない。機能を超えたところで人を誘惑する。実はこれこそがファッションなのだ。

ただ、たえず欲望を生産、更新し続けていかなくてはいけないという自転車操業となると、欲望更新のために、アンチ・モードまで飲み込む必要がでてくる。自然派の生き方がいいとなれば、それが最新モードとなる。モードに唾をはきかけるパンクがいいとなれば、それが最新モードとなる。究極は「無印」。アンチ・ブランドがブランドとなってしまう…というパラドクスまで起きた。つまり、モードを無視するもの、モードに唾するもの、モードを否定するもの、それらすべてを最新モードとして飲み込むようになったのが80年代

モードの論理からいかに降りるかということが最新モードになっている。その居心地の悪さの中で、80年代の日本デザイナーは闘っていた。

[E:clover]消費者自身も、欲望をなえさせていた。そこには中世の無常観に等しいものがある。どんなにわくわくするものでも、半年で何も人をときめかさないものに変わる。決定的なモノはなく、すべては色あせていく…という無常観のなかに人がひたりはじめている。「未来に、もっとかっこいいものがある」ということが、感覚的にわからなくなっている。

上手い表現だなあ、と思ったのが村上龍の「ラブ&ポップ」に出てくる女の子。「いま、どうしてもコレがほしい。だって今買わないと、明日になったら欲しくなくなってしまうから」。欲望がなえていくことを知っているから、どうしても今買わなくちゃいけない、という。どんなときめきも色あせ、フェイドアウトしていく、この感覚が、今の「リアル」。

ネクスト・ニュウとか、ワンランク・アップとか、エッジイとかが、感覚的にわからなくなっている。「モード」以降の服の在り方を考えざるをえない位相に、現在は突入している。

[E:clover]ただ、常に「かっこいい」というのが、ファッションにおけるコアな感覚としてある。「かっこいいとは何か」といえば、それは、マジョリティ、メインストリームへの違和感。なじまない。むれない。そまらない。その孤立はこわいけれど、少数派であることを恐れずそれをやっている人がまぶしく見える。社会に対する違和感をもっているのが、かっこいい、ということ。たとえば震災直後、写真家のなかにはあえて被災地の写真を撮らない人がいた。「私たちにできることをしよう」の大合唱のなかで、あえて沈黙を守り続ける写真家がいた。これはこれでかっこいいことだった。

[E:clover]かっこいい、とは「ハズレ」を「ハズシ」に変えること。顔が不自由だったり、背が低かったり、髪が脱落してきたりという「ハズレ」。これを、社会へのハズシに変えるのだ。そのためにファッションを戦闘服として用いるのだ。

[E:clover]だから、日本の前衛ファッションは応援団の学ランに似てくる。格闘しないと着られない服なのである。服と格闘することから、人間のハズシが始まる。

主流への抵抗とか、欠点をてこにしてブレイクする(ハズレをハズシに変える)、というのは私が『ダンディズム』で説いていることと同じではないか、とちょっとうれしくなったのであった。

にしても鷲田先生の言葉づかいは、やわらかくてユーモラスで的確。すばらしいレクチャーをありがとうございました。

昨日は東京都現代美術館にて「Future Beauty 日本ファッションの未来性」展プレセミナー。

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KCIが所有する日本ファッションのこの30年(とこれから)の展示じたいは7月28日から開催されるのだが、この日はそれに先立ち、鷲田清一先生、東京都現代美術館チーフ・キュレーターの長谷川祐子さん、そして深井晃子先生によるレクチャー、というとても贅沢な学びの機会を与えていただいた。

なんてったって、ひたすら仰ぎ見、背中を追い続けてきた鷲田清一先生に初めてお会いできるという願ってもないチャンス。これを逃しては一生の後悔(おおげさ…)と思って出かけたのだが、期待以上のお話をきかせてくださった鷲田先生。一時間の講演のなかにぎっしりと豊かに思索の果実がつまっていて、一言一言に、心からの共感を感じられた幸福なひとときだった。

終了後、ご挨拶に行くと、なんと私の本を読んでくださっているとのことで、感涙。完全なるミーハーと化してちゃっかり一緒に記念写真を撮ってもらう^_^;  先生のあたたかい対応に感謝。

長谷川さんのアタマよすぎ(!)な解説もすばらしかったし、深井先生の解説も明瞭でわかりやすく説得力があった。

鷲田先生のレクチャー、「私はなぜファッションに興味をもったのか」のお話で、印象に残った概要を以下にランダムにメモ。

[E:clover]鷲田先生は京都の島原で育った。近くには野球で有名な平安高校がある。小さいころから、日常的に、豪華のきわみのように着飾った芸者と、丸坊主の、修行僧のような姿を見てきた。つまり、贅の極みと貧相の極みという両極を見てきた。どんな過激なファッションが出てきても、その両極の間におさまるから驚かないのだ。何を見ても驚くことはないが、ただ、ファッションとは(ここまでやらねばならないのか、と思わせるほどの)「気合い」であるということは感じ取っていた。

[E:clover]1980年代の半ばからファッションに関心をもちはじめたのだが、それは、今に通じるradical(=根源的な)問いとして。

現在(震災後)、近代建築に対するラディカルな問いがつきつけられている。近代建築には3つの条件があった。1.壊れない 2.自然のどんな力にも不動 3.密封されている。 しかし、その条件が根本から問いなおされている。佐々木幹郎という詩人が、「やわらかく壊れる」という言葉を使ったが、ゆっくり壊れる間に逃げることができて、津波が来たらぷかぷかういていて、隙間だらけ、という建築があってもいいのではないか?と問われている。そのようなradicalな問いを、ファッションについて論じるつもりになった1980年代に問おうとしていた。

1980年代にはファッションデザインに革命が起きていて、もう単なる「服飾」を超えていた。一方の極には、津村耕佑の「ファイナル・ホーム」という「服であり、家でもある」デザインがあり、また一方の極には、ボディデザインが始まっていた。サプリなどを用いて体の中の物質的要素そのものをデザインしまおうという発想が生まれていた。この振幅は大きい。そのすべてを視野に入れる必要があった。

つまり、現在、「家とは何か?」という根本的な問いがつきつけられているように、1980年代には「着るとは何か? 服とは何か?」という根本的な問いに向き合う必要があった。

[E:clover]日本ファッションは、イッセイ・ミヤケ以降、エキゾティシズム(異国趣味)に頼ることを自ら禁じた。ローカリズムでもない、エキゾティシズムでもない。きわめて個性的な普遍をめざしはじめた。

個性的な普遍とは、たとえば、フランスであれば、衣食住や人間関係全般においてエレガンスを何よりも優先するということ。シトロエンの窓は逆三角形で「開かない」のだが、それでも「美しい」のでフランス人はそれをよしとする。ドイツであれば、exactness。精密さ、厳格さ、緻密さを最優先する。犬と子供の教育はドイツ女性に任せておけ、というほど。時計や刃物ばかりか政治においてもこれが特徴となっている。また、イタリアであれば、官能性を何よりも優先する。というふうに、普遍的な価値としてどれを前景にもってくるのか、は文化によって違う。

そしてまさしく1980年代、日本のデザイナーが個性的な普遍を探求し始めたのである。

[E:clover]彼らは、ファッションの価値をゼロ還元した。セクシー、美しい、エレガント、ゴージャス、という西洋ファッションの前提となっていた価値をゼロとし、まったく異なる服装の原理をもちこんだ。

西洋の服は、だぶつきがない動きやすさを追求してきた。カッティングによって、いかに複雑なボディをラッピングするか、体をいかに梱包するか、ということにすべての技を注いできた。だが、日本のデザイナーはそれとはまったく違う場所から服を構想した。

ここから連想されるのは、椅子である。西洋には椅子のデザインに実に多様なバリエーションがある。会議のための椅子、食事用の椅子、居眠りのための椅子、などなど。それに対して日本の座布団はどうだ。まったく改善されない。というか改善する気がない。「自分で工夫して座れ」ということなのだ。これはこれで一つの価値観なのである。体を賢くしておく、「アホにしない」デザインなのだ。使う側が絶えず考えないといけないから

同じ発想のものに竹笛がある。これも、使う側が努力し続けなくてはならない。日本の着物だって同じだ。ワンサイズで改良しない。自分で調整しろ、という原理なのである。

ヨーロッパはシルエットを重視するのに対し、日本の着物においては、しぐさ、たたずまい、なり、というものが重要になる。形ではなく、動く身体のしなりとかゆるみ、粋。ふるまいを演出するものとして着物がある。つまり、日本の着物には、ふるまいをどうデザインするかという思想があるのだ。身体を梱包するのではなく、身体をふるまいの座とする、という思想が。

<続きは次の記事で>

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◇朝日新聞から3つ、面白いと思った記事の記録。ランダムな書きっぱなしで申し訳ないが、引っ掛かりだけでも書いておくと、いくばくかの時間がたったときに、「あ、そういうことだったのか」と、意外なことがらと結びつくことがある。というわけで、まずは25日付、論壇時評。高橋源一郎の「伝えたいこと、ありますか」。

ジプリの小冊子「熱風」表紙になった、宮崎駿による「NO!原発」のひとりデモ、についてのコメントである。

「この面白さは、この写真が醸しだす『柔らかさ』から来ている、とぼくは思った。『柔らかさ』があるとは、いろんな意味にとれるということだ。ぼくたちは、このたった一枚の写真から、『反原発』への強い意志も、そういう姿勢は孤独に見えるよという意味も、どんなメッセージも日常から離れてはいけないよという示唆も、でも社会的メッセージを出すって客観的に見ると滑稽だよねという溜め息も、同時に感じとることができる。

なぜ、そんなことをしたのか。それは、どうしてもあることを伝えたいと考えたからだ。そして、なにかを伝えようとするなら、ただ、いいたいことをいうだけでは、ダメなんだ。それを伝えたい相手に、そのことを徹底して考えてもらえる空間をも届けなければならない。それが『柔らかさ』の秘密なのである」。

◇次は24日付、美の季想。高階秀爾先生による「日本美術の傑作 根底に『鑑賞の美学』」。

西洋の傑作は、芸術家の優れた才能によって生み出されるマスターピース、「創造の美学」であるのに対し、日本では「名」が関わってくる、というお話。

「名所」とは、多くの人が訪れ、歌に詠み、絵に描くなどした場所。「その先人たちの記憶の遺産が『名所』を『名所』たらしめるのである」

「広重晩年の名作『名所江戸百景』では、自然景に加えて、七夕祭りや両国の花火などの年中行事が大きな役割を果たしている。年中行事もまた、繰り返されることで人々を過去の記憶と結びつけ、また参加をうながす。日本人の美意識の根底には、西欧の『創造の美学』に対して、『鑑賞の美学』ないしは『参加の美学』とも呼ぶべきものが根強く横たわっているのである」

……深く納得。語られ、描かれ、繰り返されること。それによって、「名」がつく。

◇最後は、26日夕刊のHeroes File Vol. 57。俳優の柄本時生による「父のマネも演じる僕のもの」。

「街で『かっこよかったですよ』と声をかけられたらめちゃくちゃうれしいですが、『かっこよく映りたい』と思いながら演じていたら、それはすごく恥ずかしいこと。でも、気づくとお金がほしい、こんなふうに見られたいという欲が、年齢と主に以前よりも強くなっている自分がいて」

「欲を出したら途端に自分の浅さを見破られる」

……無心で、邪心なく、人前に立つこと。そのむずかしさ、とてもよくわかる。自分以外のものを演じようとしたり、「よく見られたい」という意識がちらついたりしたら、人はとたんに浅はかに、みっともなく見える。文においても同じなのだ、結局。21歳の若者とはいえ、あの柄本明の背中を見て育った息子。ひときわ説得力をもつ。

◇「25ans」6月号発売です。ロイヤル婚特集にて、歴代の英王室のロイヤルウーマン5人分のラブストーリーと総論、「スローニー」ファッション特集にて扉の解説コラムを書いています。合計7本分のエッセイ&コラムですが、心血注いで書いてます。機会がありましたら、ぜひご笑覧ください。

◇朝日新聞27日付朝刊、斎藤美奈子の文芸時評。「原子力村と文学村 勇気を試される表現者」。さすが斎藤氏、他の「村」の人々にも訴えかける、タイムリーな問題提起をしていた。

伊坂幸太郎の「PK」を論じての結び。

「誘惑や脅しに屈しただれかの諦めと妥協と挫折の結果がたとえば戦争であり、原発事故ではなかったのか。先の戦争の後、『文学者の戦争責任』が取りざたされた時期があった。ならば『文学者の原発責任』だって発生しよう。安全神話に加担した責任。スルーした責任」。

続いて、川村湊が『福島原発人災記』を出したその態度を褒めたあとの結び。

「今月の文芸誌にも震災をめぐる作家の言葉が多少は載ったが、高橋源一郎が連載小説の丸々一回分を費やしてこの震災と先の戦争との薄気味悪いほどの類似を語ったのが目についたくらいで、多くはモゴモゴとした『文学的』な内省を語るのみ。文学の人は文学だけを追求してりゃいいんだよ、という態度は、『文学村』の内部の言語である点において、『原子力村』と同質ではないか?」

最後に、「PK」のフレーズを引用し、文学村に向けてハッパをかける。

「『臆病は伝染する。そして、勇気も伝染する』。ほとんど少年漫画のせりふである。でも『つながろう日本』よりはずっといい。(中略)いま必要なのは、『勇気の伝染』なのではないか。文学村から放たれるシュートを待ちたい」。

「文学村」ばかりではなく、ほかのさまざまな「村」からのシュートも待たれている(自戒をこめて)。

朝日新聞23日(土)朝刊、オピニオン欄。「いまこそ歌舞音曲」。悲嘆、自粛ムードが世を覆い、復興に向けて具体的に建設的に貢献しなくてはいけないというプレッシャーが押し寄せる中、たとえばファッションのような「浮薄な」(と思われている)領域で働く者は、どのような気持ちで仕事に取り組んだらよいのだろうか? と日々仕事をしながら自問していたが、この記事もまた考えるヒントを与えてくれた。

舞踏家の麿赤児さん、指揮者の松尾葉子さん、そして吉本興業の社長、大崎洋さんという、「踊り、音楽を奏で、笑わせる」ジャンルで働く人々の言葉。

麿「死や自然災害など、どうしようもないものに対する恐怖と折り合いをつけるために、宗教や芸術というものがある。ただ、宗教は価値観を固定化するけど、芸術は抽象的だから、むしろ価値観をどんどん多様にしてゆく」

麿「原発を見てると、太陽に向かって、ろうの翼で飛んでいくイカロスを思い出す。手にしてしまった便利さを手放せず、もっともっと、と破滅に至るまで欲望を肥大化させてゆく。これもまた、人間の業なのだろうが」。

原発=イカロス の喩えに膝を打つ。たしかに、いまの原発の状況は、破滅に向かおうとも、「もっともっと」と欲望をコントロールできない哀しい人間の業をあらわした図に見えてくる。

松尾「音符や言葉を介さず、音と自らの心を直接結ぶ回路を、子供たちは持っている。遠くの人を思いながら音楽を奏でる経験は、子供たちに、真の音楽の力を知ってもらう最高のきっかけになったはずなのに」

大崎「歌や笑いは、根底に愛情というか、人と人との心のつながりがないと成立しないんです。吉本興業の公共性は、芸能を通じて、この心のインフラを確保することにある。現実がどんなに荒れ狂っている時でも」。

芸能を通じた心のインフラ確保。なるほど。ファッションだって似たようなものかもしれない。「心のインフラ」というキーワードを少し心にとどめておくことにする。とはいえ、現実離れしたように見える世界の仕事をしながら、やはり少しばかり、揺れ続ける。

4日付朝日新聞夕刊「彩・美・風」欄、市川亀治郎さん「異界を住処とするもの」、呪縛力の強い文章に目が釘付けになる。以下その一部をメモ。

「美も醜悪さも、こちらの度肝を抜くくらいのインパクトで迫り来る、それでなくてはならない。此の岸に立つ者の魂を奪い取り、彼岸の果てにある混沌の極みへ連れ去ったとき、はじめて美は、醜悪は、ひとつの真の美へと昇華する」

きわめて下世話な例だが、ベス・ディットーの「美」もこの類の美かもしれない、とつらつら連想する。たぶん、女性誌的な「キレイ」界の基準からみれば「醜」に属するのだろうが、存在の迫力に度肝を抜かれ、混沌の極みへ連れ去られる。そこらへんの「キレイ」など蹴散らしてしまう生命力は、やはり「美」だ。だれがだれだか区別がつかない「キレイ」よりも、一段つきぬけたこっちのほうが、かっこいい。

「美を発見するには、見えぬものを幻視する目、異界の匂いを嗅ぎ分ける鼻、あの世の声を聞く耳を持たねばならない。縄文土器に異様な美しさを見つけ出した岡本太郎は、やはり魔界の住人だったと思う。仏界入り易く、魔界入り難し。魔界に入った者だけが美の創造者たりえる」

魔界への誘い。空気が燃えて見えるほどの盛夏の日差しの下で読むと、ひときわ鳥肌が立つような一文。

腑に落ちたことばのメモ。

◇山崎正和さんの「リーダーも熱狂もないまま揺れたポピュリズム選挙」(「朝日新聞」9月2日)より。

「(ポピュリズムの定義として)ここでは『ある問題を、主として否定することをテーマに、大多数の人がムードに乗って一気に大きく揺れること』としましょう。人々が互いに過剰に適合しあって、雪だるまのように世論が形成されていく、そういう状態です」

「あるいは、シェークスピアの悲劇『ジュリアス・シーザー』が教えてくれます。古代の民主制ローマで、民衆がわーっとあつまって『殺ってしまえ』と叫ぶ。しかし、演説者がかわると次の瞬間、逆の方向を向いて『あいつを殺ってしまえ』となる。まさにこういう動きです」

「ポピュリズムは、人間はどう振る舞ったら良いかが暗黙の了解として存在している時には発生しません。不安な時代、あるいは既成の秩序がゆるんだ時に起きやすいのです」

「たとえば携帯電話で見るニュースは非常に速いものの、断片的であることが特徴的です。何が起きたかはわかっても、それはなぜなのか、背景や構造は教えてくれません」

「娯楽や芸能の世界でも同じことが起きています。すぐ面白い、すぐわかる、そういう速効性が求められ、面倒くさいドラマはテレビの世界でも減っています。長期間訓練し、ある構造を持ったドラマを演じるような役者が減り、筋書きなしになんでも出来るタレントが増えています」

「即反応、即断定、二者択一。そうした性向を持った多数の人々が、時代の『空気』を読んで行動したら、その集積は巨大な変化を生むでしょう。私は『世論形成の液状化現象』と呼んでいます」

時代のムードを正確に言語化した、論理的で明快きわまりない文章。山崎さんの文章は20代のころにずいぶんお手本にしたが、今なおますます健在の筆力で、頼もしい。

◇川上未映子さんの「おめかしの引力」(「朝日新聞」9月3日夕刊)より。

「似合わなさって他人と自分のどっちを主軸にした感覚なのか。頭にりぼんつけてる人を見るに付けて『自分にも当然出来るおめかし』だと信じて疑わなかった自分っていったい何だったのか。今回のりぼんに関しては単に『似合わない』だけじゃない、何か『世間に申し訳がたたない』感じも確かにあって、極控え目に言ってショックだった・・・」

「『好きな服を着てるだけ、悪いことしてないよ♪』なんて歌もありましたが、悪くなくても、無理なことって、遠慮した方がいいことって、あるんだね! りぼんで諸々における時の過ぎたるを知ってしまったインサマー」

なにを書くか、っていうより「どう書くか」っていうことが問題ということをあらためて教えてくれる快文。一文を無作為に抜粋しただけで、あ、あの人の文章だ、と誰にでもわかる。それを若くして極めている川上さんは、とても幸福な作家だと思う。

◇地震のときにこれが落ちてきたらぜったい重みでつぶされる、と感じた過去何年分かの資料のスクラップを一部整理。ほんの2~3年前の切り抜きですらまったく「使えない」情報と化していることにガクゼンとする。自分はおそろしく虚しいことに時間を費やしてきたのではないかという徒労感に襲われ、しばし落ち込む。気をとりなおし、ざっと目を通した上で30冊分ほどのファイルを捨てたが、「切り抜きを処分する前にいま一度覚えておきたい」と思ったことがらを、以下に記す。ジャンルは雑多だが。

・藤沢周さんが今はなき「ストレート」に連載していた「独酌余話」の第4回「反・蘊蓄」より――「知識があること。あるいは極言すれば、頭がいい、ということに対する恥じらいを知らない大人は、見苦しく情けない。不惑過ぎれば、嫌でも何かしら一家言持つであろうに、何も衒うほどのことでもなかろう。むしろ、それを隠す所作にこそ色気が生まれるのである。・・・(中略)・・・何より、人間の抱える知識や経験の豊穣に対する面白さは、そこに執着してしまうその人の狂いが面白いわけで、知識なぞ本にいくらでも詰まっている」。

・シチュエーショナル・インティマシー(situational intimacy)。恋愛関係にあるわけではないのだけれど、場所や行動をともにしているために、いやでも発生してしまう親密な感情のこと。職場の同僚とか、社長と秘書の間に発生する感情がコレ? 案外見過ごされがちな感情に名前があったり、感情に名前をつけたりすることは、なかなか面白い。

・2006年7月31日のAERAの記事。「ストーリィ」8月号と「NIKITA」8月号の表紙が同じ「ダイアン フォンファステンバーグ」の格子柄ワンピでかぶってしまったという記事。業界的には、かなり恥ずかしい失態として話題になっていた。でも、「上品奥様」と「アデージョ」(恥)がともに着こなせる服として、かえってブランドにとってはよい宣伝になったのではなかったか。たしかこの事件をあるファッション誌に好意的に書こうとしてダメ出しをされたのだった。ブランド的には二度と触れてほしくないタブーだったので。でも、時間がたって「歴史」となれば、ブランドにとってはよい効果をもたらしたできごととなっているはず。それにしても、「NIKITA」は笑える雑誌で、言語感覚もシャープ、毎号ほんとうに楽しみにしていたのに、「ヴァケーション」に行ってしまった。復活を強く望む。

・「恋愛サイクルMD」。たぶん「繊研新聞」の切り抜きだと思うが、掲載紙と日づけをメモしていなかった。9月は合コン強化月間として、キメ服であるワンピースを仕掛ける、というMDの話題。9月に本命をゲットし、10月から付き合い始めないと、クリスマスを一人で過ごすことになりかねないので、9月は合コン市場が拡大するんだそう。季節に応じたMDよりも確実なのかもしれない、と苦笑。

・2006年9月8日(金)朝日新聞の「ニッポン人脈記」。鷲田清一先生がモードについてお書きになっていた当初、恩師の一人にさりげなく言われた言葉が、「『世も末だな・・・・・・』」。「ファッションに無関心だという人ほど、たとえばドブネズミ色の背広といったその時代の流行服を敏感に着ている。『そんな皮肉の意味を解き明かすことも面白かった』」。私も「世も末」に似たようなことばを何度も頂戴している。「そんな仕事はカス以下」と吐き捨てるように言われたこともある。さらさらと受け流すことのほうが多いが、心のどこかに残り、ことばが蘇ってきては「そうかもしれないなあ」と力なく思う自分もいる。

・同記事の深井晃子先生。「モードのジャポニズム展」など国外で高い評価を得たすばらしい展覧会を開催しても、「国内での反響はいま一つだった。特に『服飾関連業界からの反応が冷たかった』という。ファッションは理屈や歴史で考えるものではない、との当事者の考え方が強かったからだ」。アカデミズムからはカス以下呼ばわりされ、ファッション産業からは冷ややかに無視される。それが日本におけるファッション学である。鷲田先生、深井先生はそんな厳しい状況のなかで世の尊敬を勝ち得てきた。並大抵のことではない。そこまでのレベルに行くために必要なのは、執着する「狂い」?

◇どこまで信用できる情報なのか定かではないが、駿河湾から神奈川にかけてイオン濃度が高くなっているとか。ガセの可能性も否めないが、最近2~3日おきに続く地震のこともあり、いちおう、ヘルメットなど用意しておく。ちょうど模試を終えてきた長男が、「明日の朝あたりデカいのがくるかもしれん」→「今日の晩飯は最後の晩餐になるかもしれんな。助かってもしばらくは非常食だな」→「後悔しないようにうまいもの食べておこうぜ」というおそろしく飛躍した論理を展開する。買い物行くにも暑いしなあとひそかに思っていた私も賛同し、近くのヘイチンロウに北京ダックのコースを食べにいく。白ワインも(ひとりで)1本あけて、「これで明日きても悔いなし」状態。これも「備え」のひとつ、ということにする。