早く来てほしいような、まだ来てほしくないような、この日がついに来てしまった。『20世紀少年 最終章 ぼくらの旗』初日。壮大で荒唐無稽な3部作がやっと完結した。

どこまでも先が読めない、驚きのエピソードが次々と展開して、2時間半、一瞬たりとも飽きさせない。おどろおどろしいSFに見えたものに、実は原初的でどろくさいからくりがあり、未来に起こるハチャメチャなことの根本的な原因が幼少期の記憶のなかにある、といった過去と未来のつながりを見せる編集がすばらしく、ここ数年で見た映画のなかではダントツにおもしろい。おもしろすぎる。

たとえば、ケンジとオッチョが協力してロボットを倒す場面で、幼少期の同じようなできごとの映像が重ねられるシーン。そうした過去と未来のつながりがドラマティックで、うそくささすれすれの話にヒューマンな厚みが出ている。

原作のマンガのラストでは今少し物足りないなと感じていた部分を、映画ではきめこまかくフォローして、新しい解釈を加え、物語をより濃密に、ふくらみのあるものにしている。観たあとに残るのは、驚き、哀しみ、興奮、やるせなさ、やさしさ、わけのわからないいろいろな感情が深いところでつながりあう、長い余韻。「ともだち」じゃないけど、「終わっちゃうの、いやだ~」状態である。

◇劇場で見るタイミングを逸していた「オーストラリア」をDVDで観る。

バズ・ラーマン監督、ニコール・キッドマンにヒュー・ジャックマン、というオーストラリア出身のゴールデントリオ、ロケは美しいオーストラリア、上映時間は3時間近く・・・・・・ときてこの薄さはなにごと?と驚いた。 あらゆる要素がこれでもかというぐらい詰まっているのに、というか、詰め込みすぎたゆえに、裏目に出たのか。てんこ盛りであっても、バズ・ラーマンなら、「ロミ+ジュリ」や「ムーランルージュ」で見せたB級チックなスピーディーな展開でまとめることはできたはずだと思うのだが、なにやら映画はカクカクさくさくとぎこちなく平板に進んでいって、上映時間の長さの意味がない。脚本に問題があったのかな。壮大な物語になるはずが、奥ゆきやふくらみを感じさせるニュアンスが欠けているため、マーケティングだけで当面の話題にはなるビジネス・自己啓発系のベストセラーみたいな印象になった。

とはいえ、ヒュー・ジャックマンが「ピープル」誌の「もっともセクシーな男2008」に選ばれたのは、この映画の効果だった。たしかに、ヒュー・ジャックマンの男くささ、やさしさ、いいところが全開。牛追いのシーンも迫力があり、見ごたえがある。

次回作では、「マーケティング」「話題性」みたいなことを狙わず、もっとバズ・ラーマンらしさを遠慮なく出し、かつ、少し丁寧に作ってほしいなあと願う(それが許される環境で仕事ができることを祈る)。

◇ママ友にして畏友サツキさんが「ビッグランチ」というか「ビッグディナーバーベキュー」を催してくれる。夕方から、北海道直送のサンマや、タイなどを炭火で焼きつつ、おいしいお酒を飲み、笑っておしゃべりして楽しい日曜の夜を過ごす。サツキさん、やさしく愉快なご近所の皆様、ありがとう!

◇「ココ・アヴァン・シャネル」の試写@ワーナー・ブラザーズ。アンヌ・フォンテーヌという女性監督による映画で、シャネル役はオドレイ・トトゥ。孤児院時代~キャバレーでの歌手時代~最初の愛人バルサンの城での「囲われ(居候?)」時代~最初の恋人カペルとの出会いと死別~デザイナーとしての名声を勝ち取るまで、という「デザイナー、ココ・シャネルが誕生する以前」が描かれる。

オドレイ・トトゥの、引き込まれるような黒い瞳を生かした表情がすばらしく、最後はほんとうにシャネルの肖像写真とぴたり重なるように見えた。

20世紀初頭のファッションが驚くほどきめこまかく再現されていて、カメラもアクセサリーやレース、襟やタイやカフスのディテールまでねっとりとアップで写していく。有名な「らせん階段」のショウで使われたシャネルのドレスも美しく、衣裳・美術だけでも眼福ものである。

でもさすがはフランス映画というか。ファッションにさほど関心のない観客にとっても、シャネルとバルサンとカペルの野蛮にして優雅な三角関係は、見ごたえあるドラマとして映るだろう。友人バルサンからその愛人シャネルを「二日間借りる」というエレガントな申し出をしてイヤミではないカペルにはぶっとぶし、それを嫉妬しながらも許し見守るバルサンもわけがわからない(←ホメ)。二人の男の間で、スムーズに愛人の受け渡しが成り立ってしまう過程が、実はもっとも興味深かった。上品に淡々と描かれながらも(それゆえに)、3人それぞれが秘めた心の奥の荒々しい熱情が目に見えるようだった。他の国の映画ではなかなかこんな描き方はできないのではないか。

バルサンがたびたび、労働への軽蔑を口にする。シャネル以前は、ファッションは「労働とは無縁な」有閑階級のものであったのだ、とあらためて認識する。そういうサークルの中にありながら、労働労働、ひたすら労働によって身を立て、名をなし、ゴージャスな恋愛遍歴を重ねたシャネルは、どれほどの意志と魅力の持ち主であったろうか。

「ルパン3世 vs. コナン」。ずいぶん前に放映されて話題になっていたので気になってはいたのだが、DVDを発見し、すかさずゲット。どちらの世界にもはまった一ファンとしては、この上なく楽しい世界だった。一緒に見た長男が「蘭ちゃんはああいうことするキャラじゃないよな」とかぶちぶち小文句を言っていたことから推測するに、たぶんマニアにはいろいろ思うところがあるのかもしれないが。ルパン界の人たちは、やはりたまらなくかっこいい。終わっても、もうしばらくこの世界に浸っていたいのに~と名残り惜しかった。

不二子のバイクとコナンのスケボーのチェイスのあとの、不二子のセリフ。

「あら、おとなげなかったかしら。でも本気にさせるボクが悪いのよ」。

・・・・・・決まりすぎ。

早朝の地震にひやり。台風が日中に関東を直撃するかもしれないとの報道で、アウトドアのイベントの予定を変更して映画でも観にいくことにする。時間のタイミングとして「HACHI」が合ったので、とりあえずハンカチを手に(笑)鑑賞。

子犬から老犬にいたるまでの、秋田犬HACHIのけなげな表情としぐさに、ひたすらウェットに引き込まれる映画。ハチとリチャード・ギアとのコンビネーションもすばらしい。結末がわかっている、淡々とした展開の映画だが、ギア様と賢いお犬様を拝めるだけでありがたいようなところもある。制作者の苦労を思えば、これで充分価値ありとすべきであろう。

エンディングロールの途中でぶちっと映像が切れ、「火事です。火事です。1階が火事です。落ち着いてすみやかに避難してください」の非常放送が! なんとなく、映画が始まる前に非常口を確認してはおいたのだが、こんなことがあるのか。パニック状態の観客にまぎれないよう息子の手を握り、内心あせりつつも冷静に館外に出たのだが、煙ひとつでていない。係員は避難を誘導するはずが誰ひとりとして出てこなかったし、館外に出た後も、フォローの放送がない(@グランベリーモール)。いったいなんだったのか。いずれにせよ、本番(?)の火事のときにはぜったいに係員など出てこないしアテにもできない、ということがよくわかった。非常のアクシデントのときには、頼れるのはマニュアルでも係員でもなく、なにももたない自分自身しかない、ということをひしひしと実感。

映画のクライマックスで館外に追い出された客の不満に比べれば、とりあえずエンディングロールまで座っていることができたというのは不幸中の幸いか? いや、そんな問題じゃないのか。

地震と台風と火事に翻弄された日。今日のトラブルがこれだけで済むことを祈る。

気になりながら観る機会を逸していた「レボルーショナリー・ロード」をDVDで。アメリカの郊外でのぬるま湯のような生活のなかで、かつての夢が日々失われていくことにうんざりした倦怠期の夫婦が、そこから独立しようとしてますます歯車を狂わせていく。最後はとりかえしのつかない悲劇に。

夢破れたぬるま湯ライフの夫婦を描くという意味では「アメリカン・ビューティー」の系譜だろうか?  にしては笑いもまったくない、「ど」リアリズム映画。50年代のハリウッドでこういう映画がたくさん作られていたのではなかったか? なぜ、今? 美しいはずのディカプリオとウィンスレットが、ぜんぜんきれいに撮れてなくて(あえて、であろうけれど)、さびしい。ラブシーンも殺伐として乾いている。救いも笑いも美もなくて、観た後、なんだかどよーんと落ち込む。とはいえ、こんな重苦しい感覚をときどきフィクションを通して味わっておくことも必要だなあとは思う。というか、フィクションだけでイナフである。

ミカ・X・ペレドのドキュメンタリー映画のDVD「女工哀歌(CHINA BLUE)」を観る。

「安い!」ことが絶対の価値であるかのようにモノを買う人は、どうかこれを観てほしい、と思う。信じられないほど安い服が存在するのはなぜか? 理由があるのだ。多くは暗い理由が。製造・流通のどこかの段階で、誰かが不当な目にあっている。

「ウォルマート」の製品を請け負う中国のジーンズ工場で、出稼ぎとして働いている少女たちの、あまりにも過酷な労働状況が描かれる。一日18時間以上、ときには貫徹の、休みなしの労働、時給7円(!)以下。残業代ゼロ。眠らないよう、まぶたに洗濯ばさみをはさまれる。ただでさえ安すぎる賃金から、食事代(粗末きわまりない)だの水道代だの管理費だのが天引きされる。初任給は、退職を防ぐための「デポジット」として支払われない。夜間の外出は禁止になることもあり、それでも禁をおかすと罰金が課される。当然、帰省すらままならない。インターナショナル査察官にはウソを申告させられる。奴隷労働以下であるが、まともな教育も受けていない少女たちは、そんな状況が「労働基準法」に反する不当なことであることさえわからない。工場長も、「ジーンズ1本あたりの価格を下げて国際競争に勝つ」というプレッシャーのもとでは、それだけやらないと利益を上げられない。

この非人間的な搾取の上に成り立っている、明らかに適正ではないレベルの「安い服」を、それでも「安いから」という理由で買っていいのだろうか? マスメディアも、「激安!」ということだけで、手放しでホメていいのだろうか? 

雨宮さんにインタビューしたとき、デモ隊に参加するプレカリアートの多くは、299円のTシャツを着ている、と知らされた。ネットカフェの近くに、自動販売機で「シャツ、パンツ、靴下」のセットが300円で売っている、とも。(材料調達、製造、梱包、流通、販売の手間を想像すれば)ひとりの労働者の最低限の時給以下の価格で衣類のセットが売られている、そのことじたい、異常なことであるはずだ。

でも、不当にこきつかわれているフリーターや派遣労働者の多くは、古着をもらうことを除けば、異常なほどに安い服を買うという選択肢しかない。選択肢そのものがない。生きることにめいいっぱいで、値段のしくみまで考えている余裕はない。それは痛いほど理解できる。で、その安い服を作らされているのは、彼らよりもさらにひどい搾取の上に働かされている海外の労働者なのだ。不当に搾取されている労働者が買える唯一の服が、さらに酷く搾取されている海外労働者が作った服であるという哀しみ。理不尽きわまりない悪循環で、どうにもやるせなくなる。

せめて、選択肢がほんの少しだけでもある消費者は、「安さ」の理由の奥を知って、そのうえで何を買う(=一票を投じる)か買わないか、考えて決める義務があるように感じる。

って、すまん、エラソーで恐縮だが。でもやはり、ひどすぎる条件にも負けず、夢を抱いてひたむきに働いている10代の少女たちの姿に、「働き者で勇敢な中国人たち~♪」という歌が皮肉に重なるラストあたりでは、悲しいのをとうに通り越して、涙も枯れ、自分にできることはなにか、と問い始めている。

表現がわかりやすくデフォルメされているという点で、アニメのような感覚で楽しんだ。

たぶん、ドラマからずっと追っかけてきた人には、最後の「グラウンドでの卒業式」シーンがたまらない格別なものになるんだろうなあ・・・・・とはもちろん想像できたものの、映画から入った観客には、あのお涙ぼろぼろシーンはちょっと蛇足にも見えた。スクリーンの中の人は泣かずに、スクリーンの外の観客を泣かせる、という演出がほしかった気もちょっとだけします。

タイプのちがうイケメンがぞろぞろ、という楽しさもある。それぞれのキャラクターが互いに互いを引き立てあっているという点にこそ最大の魅力があるので、、誰がどう、という問題ではないのだが。安仁屋役の市原隼人、新庄役の城田優、赤星役の山本裕典はとりわけ強く印象に残る。あ、平塚役の桐谷健太もマンガになりきっていい味出していました。

それにしても、今っていうのは、まっすぐに「ベタ」なものが好まれるのでしょうか。ストレートに「感動してくださいっ!」と迫る映画やドラマがヒットしたり、「友愛」「正義」の鳩山ブラザーズに人気が出たり。80年代後半のひねりカルチュアの洗礼を受けた身には、やや戸惑うところもあり。

ゴールデンウィークの序章はやはりこの映画から。「コナン」がなくては始まりません。で、当然のごとく、初日の観客動員数にカウントしてもらうべく、駆けつけます。

今年もやはり、期待を裏切らないすばらしいできばえでした。謎解き、細部のゆるいギャグにヒューマンドラマ、アクション、最後の爽快なカタルシスにいたるまで、よくぞここまで、という完成度の高いエンターテイメントを堪能しました。個人的には、ビートルズの第5番目のアルバムにまつわる謎解きと、蘭のロングヘアに貫通する弾丸の絵柄(007か?!)、予想もできなかったコナン君のラストの逆襲にしびれました(ネタバレになるので詳しく書けないのがツライ)。

製作にかかわった方々、よいものを見せていただき、ほんとうにありがとうございます!毎年毎年、「去年以上」のものを作り続けるのがどれほどたいへんなことか。 いちどなにかもの作りに関わった人間なら、そのすごさがわかるはず。終わると映画館は拍手の嵐でした。劇場でほかの観客とこんな一体感を味わえる映画もなかなかありません。製作者にこの拍手を聞かせたかった。おめでとうございます。帰宅して飲んだチェイサー(口直しのお酒)に、気分よく酔えました。

帰りの機内で、見逃していた映画をチェック。まずは「ベンジャミン・バトンの数奇な人生」。老人として生まれ、赤ん坊として死んで行く男の物語と聞いていて、キワモノか?と思っていたのだけど、これがなかなか、人の一生を考えさせる暗喩に満ちていて、味わい深い静かな感動の余韻にひたれるよい映画だった。

人と出会うタイミングの重要さとか、小さな一瞬一瞬の積み重ねが変える人の運命とか、外見と中身の関係とか、赦し、老い、愛のさまざまな表現についてとか・・・。ブラッド・ピットとケイト・ブランシェットの、特殊メイクを過不足なく生かす繊細な演技にも圧倒された。キワモノ映画にならないのは、ほんの一瞬しか訪れない時期の、感情や表情、姿勢などをきめこまかく美しく表現することができるこの二人の演技力にもよるだろう。さまざまな事情や不都合をかかえながらも、今こうして生きている瞬間が、ほんとうに奇跡のようなかけがえのない宝物なのだ、ということを教えられる。

「スラムドッグ$ミリオネア」は今年のアカデミー賞作品賞ほか数々の映画賞を受賞している。スラム育ちの無学な青年が、なぜクイズ・ミリオネアで勝ち抜いていけたのか? ストーリーテリングの手法がクールでスタイリッシュなうえ(なんてったって監督がダニー・ボイルだ)、インドのスラムの状況がもう想像を絶する壮絶さで、見終わったらアドレナリン全開のままつい友人知人に「見て見て」とすすめたくなる。

問題の答は、スラムでの壮絶な一瞬一瞬の中にあった。思い出すのも悲しすぎるような、すべての瞬間を、感情とともにしっかり記憶に刻みつけておくことことで、青年の人生は一転する。ここにもまた、いかにみじめで無力な日々に見えても、必ずいつかその日々が意味をもつときがやってくる、というメッセージを読み取りたくなる(・・・疲れてるんだろうか)。

最後はみんなでダンス!のシーンで、「インド映画だからね」という監督(ボイルはイギリス人)のウィンクを感じ取る。