午前中は銀座で宝飾業界の方々にラグジュアリーについての講演。午後は新宿・京王プラザでホテル業界のトップセミナーで、ラグジュアリーをテーマにした講演でした(もちろん、ご参加者に応じて内容を変えています)。

(京王プラザ43階の講師控室からの風景)

午前、午後、トータルで200分ほど、久々にヒールで立ったままのレクチャーでしたが、楽しかったな。お招きいただきありがとうございました。

以下、雑記。

 

「ジェントルマンの定義をすべて満たす男はジェントルマンではない」という”定義”がありますが、実際に会うとこの人はジェントルマンか否かかは感覚で「わかる」。いわく言い難い「ジェントルマンらしさ」というのが確実にあります。表情や言葉の端々、立ち居振る舞いからそれが漂うのです。逆にそれっぽくしていてもニセモノはすぐ「わかる」。

ラグジュアリーにも似たところがあります。ラグジュアリーの言葉による定義には曖昧さが常に残るのだが、実際にサービスを受けるとラグジュアリーであるかないのかが体感で「わかる」。あたたかみのある透明で崇高な清らかさに包まれる感覚というか、現世の価値基準を無にしてしまうような新鮮な感覚というか。(だからおそらくお金の価値基準もなくなるのでしょう)。逆にニセモノもニセモノのオーラをちゃんと出しています。贅沢っぽくしつらえればそれでOKという世界ではない。

ジェントルマンにしてもラグジュアリーにしても言葉による定義に曖昧な部分を残しているからこそ時代に応じて変わり続けることができ、人が追求してやまないという一面があります。言葉を使って考えていくためにはある程度の定義枠も必要ですが、やたらと「定義、定義」と固執しすぎないことも大切なときがあります。

松岡正剛さんはあと20年くらい活躍されるのだと思い込んでいた。

『日本文化の核心』もみずみずしくて、読み直していたところだった。鋭い視点、奥行きも幅もある思考は、目指したい北極星のようだった。

『性とスーツ』を「千夜千冊」でご紹介くださったときは、本当に嬉しく、光栄だった。あらためて感謝し、ご冥福をお祈りいたします。

「千夜千冊」のこの回、実は書評のふりして正剛さん版のスーツ論が長々と展開されるスーツ愛あふれる回になっており、最後にダーバンの広告に出られたときの写真まで掲載されておりますの…。

 

アラン・ドロンが旅立たれました。メンズファッションの世界では殿堂入りの感あるスタイルアイコンで、女性ファンばかりでなく男性ファンも世代を超えて多いと想像します。

アランドロンはメンズ誌でコート特集が組まれると必ず登場します。「サムライ」でのトレンチコートのベルトのあしらいは「フレンチスタイル」としてアメリカのボギーのそれと並べて紹介されるのが常。チェスターコートも頻度高く登場しており、暗殺者だけに白手袋をはめて着こなすのですが、白手袋のイメージはここからマイケルジャクソンへ継承されます。帽子の角度も最高のお手本になっています。男性のスタイルへの影響力は絶大でした。

5年前の連載「スタイルアイコン」でドロンが83歳で映画界を引退したときに書いたエッセイはこちらです。美男子であるということは、彼にとって、ハンデだったのです。それを努力で「克服」したからこそ息の長い俳優として活躍できた。

不滅のスタイルアイコンです。おそらくこれからも。ご冥福を祈ります。

「とやまファン倶楽部世話人」というのを務めていて、年に一回、知事や富山県庁幹部職員を囲み、有識者(私まで入っているのでそう呼んでいいのかどうか?ですが、同じ高校の一学年下に在籍していた映画監督の本木克英さんも世話人のひとり)が意見を交換する会に出席している。今年も今月17日に行われて、新田知事から「ウェルビーイング富山」を実現するためにおこなわれている数々のプロジェクトや成果が報告された。すばらしい実績を上げていると思うし、知事はじめ職員のオープンで積極的にデータを公開し、外部の意見を聞こうとする姿勢はとても好もしいし頼もしい。

一点だけ気になったこと(現場で意見も話したが、さらに時間が経って考えもまとまったので備忘録として)。今年もまた、昨年、一昨年と同様、「25歳から35歳の女性が都市部へ出て行って帰ってこないため、この層の人口が激減している」問題が挙げられていた。

かんじんのこの年代の女性がこうした意見交換の場にいない、ということそのものが問題のようにも感じられたが。すぐに考えられる理由としては、能力が高い女性が多いのに、それを活かして働ける仕事(企業)が富山に少ない。女性は表向きには強いことになっているのだが、いったん結婚すると旧態依然とした「嫁」の役割を暗黙裡に押し付けられ、家事も仕事も育児も介護も全部背負わされることが少なくない。「ムラ」社会が残るので他人への干渉が強め(他村=タムラから嫁に来る、という表現がある)。そもそも高校までは日本一の教育県であるにもかかわらず進学できる大学がないので(富山大学くらい)、18歳で都市部に出たらそのままその地で就職や結婚をしてしまう、というケースも多い。

こうした表向きの理由のほかに、ファッションマーケティングでF1層と位置付けられるこの年代の多くの女性がひそかに感じていることがある。「富山にはおしゃれをして出かけるところがない」。そもそも赤い車に乗っているだけで「派手な人」としてマークされてしまう地味好みの土地なのだ。海外のファッションブランドのショップも皆無に近い。私も実家に帰るときにたまたまプリント柄の服を着ていたりすると、父に「その格好でコンビニに行くな。噂が立つ」とたしなめられる(笑)。

逆にそういう堅実で地味な土地柄が、地に足の着いた堅実な人を育てているのだろう。そういうところは私も好きなところだ。ただ、メリットとは別に、やはりちょっとでも目立つ服装や持ち物が人格否定(少なくとも全肯定ではない)につながるという土地柄では、ファッションで冒険もしてみたいし、休日にはホテルのランチやアフタヌーンティーくらい楽しみたい(そんな素敵なホテルはない)、という25歳から35歳の女性が「どよん」と感じて住むことを敬遠したくなるのは無理からぬことだ。

会ではそんなこともちらっと話したのだが、終了後、何名かの職員の方から「私の知り合いの女性も同じことを語ってました」と言っていたので、私一人の感覚でもないと思われる。

知事は「若い時は青い鳥を探して都会に出ていく」という解釈をされたようだった。そういう見方もできますね。きらきらしたことにはすっかり興味をなくした晩年には「家が広く水もご飯もおいしく住みやすい」富山に帰ってくるという女性も多いので。

地方が都会と同じようにファッショナブルになれとはまったく思わない。地方には地方のよさがある。富山にも実はディオールはじめハイブランドで修業したオートクチュールデザイナーが移住していたり、パリコレに出ているメンズモデルがいたり、レアなシルク素材を作る伝統企業があったり、ゴールドウィンみたいな先端素材を作る企業があったりする。グローバル化されすぎた都市部ではできない最先端の「ラグジュアリー」を作り、発信できる素材と人材と企業が点在しているのだ。突出したブランディングを望むなら、「すし」「水」「立山」もいいけどそれだけでは限界がある。「レヴォ」などのデスティネーションレストランや日本酒の満寿泉、IWAとも連携し、ローカルに根付いた新しい価値を生み出せる可能性を育てていけたらよいのだが。それこそ富山が提唱できる新しいウェルビーイングの延長に。その波及効果が富山のブランド価値を上げ、ひいては、住んでいる人の誇りの源にもなり、新しい事業を生み出す契機にもなるのではないか。

その後の会でいただいた名刺にあまりにも「すし」「すし」「すしのとやま」しか書かれていないので、ちょっといつもの抵抗衝動が芽生えた次第でした。

余談ですが、私は子供のころ、裁縫をしていた母が縫った服を着ており、編み物の先生もしていた叔母の編んだニットを着ていました。生地は大人の服の余り布を活用、毛糸はサイズが小さくなったニットの糸をほぐし、編みなおしたりもしていました。だからいつも身体にピタッとあっていた。今から思えば究極のサステナブル・オートクチュールでした。

(写真は新湊大橋と立山と海王丸の三点セット。私が撮影しました)

 

 

 

 

6月末の天皇皇后両陛下の英国公式訪問で披露された写真や映像は、両国間の友情や信頼や愛にあふれていて、世界中の人々に美しい記憶を刻んだと思います。

勲章はじめジュエリーやファッションも各場面で素晴らしい働きをしていましたね。カミラ王妃のジュエリーやファッションに関してはいつものとおり、イギリスではすぐに詳細が報道されるのですが。精緻な刺繍や優美な生地の質感が画面越しからも伝わってきた皇后雅子様の衣裳ブランドや生地の産地に関しては、一切の報道がありませんでした。ティアラに関してのみ、少し伝えられたのみ。

日本のファッションや伝統産業を世界に宣伝するのにまたとない機会であったと思うのですが(実際、キャサリン皇太子妃は公務のたびに着用ブランドが報道され、イギリスファッション界に絶大な貢献をしています)、なぜ一切公表されないのでしょう??

素朴な疑問をもったので、宮内庁のHPから問い合わせてみました。半月ほど経って、以下のようなお返事をいただきました。支障のない内容だと思いますので、シェアいたします。

 

「お問い合わせの件については、契約相手方等を公表していませんので、回答を差し控えさせていただきます。
なお、参考ではございますが、ドレスコードの指定のあった行事は以下のとおりとなります。

・イブニング・ドレス
国王王妃両陛下主催晩餐会

・デイ・ドレス
歓迎式典
国王陛下主催午餐会
無名戦士の墓御供花
国王王妃両陛下とお別れの御挨拶
V&A子ども博物館
オックスフォード御訪問」

 

まずはご回答いただいたことに心から感謝したいと思います。ですが、やはり「契約相手を公表していないので回答を差し控える」というお答えです。

なぜでしょうね? 公表すると、競合からの売り込みが激しくなったり、そのブランドや産地が注目を浴びることで周囲からの嫉妬によるバッシング問題が起きたりする?? 契約相手本人が遠慮する??理由は推測するしかないのですが、あの精緻な刺繍で歴史に残る白いコートドレスを作ったデザイナーが、何らかの形で報われるとよいですね。

こういう機会はやはり、作った人にも脚光を当てて称賛することが、デザイナーにとっても国にとっても良い影響しかもたらさないように見えるのですが(他国の王室の例が顕著です)。日本の考え方は違うようです。

 

ちょっと文脈は違うのですが、いま、パリオリンピックでのモンゴルの衣裳が話題です。デザイナー、ミシェル&アマゾンカのインスタグラムで、細部の写真を見ることができます。

https://www.instagram.com/michelamazonka/

見れば見るほど、モンゴルの歴史やアイデンティティを刺繍や細部に精緻に織り込んだ、すばらしい作品であることがわかります。このブランドが世界的に飛躍する契機になったと同時に、モンゴルの洗練されたイメージが格段に上がりました。

日本はオリンピックや万博で着用されるユニフォームなど関しては公表されることもありますが、とりわけ最近は、肝心のデザインが「どうしてこうなるのだ?!」と疑問を抱かざるをえない結果になることも多々。美しさというのはブランドイメージに直結します。誰が見てもヒドイ、というデザインは国およびそのイベントの印象をだだ下げするばかりだと感じるのですが、この点に関してあまり真剣に考えられていないようです。

パリオリンピックはLVMHやジャックムス、ケリングなどがここぞとばかりあらゆるビジュアルにおいてイメージコントロール。やはりワクワクするほど素敵なのです。くやしいけど(笑)

 

 

 

 

 

☆カキモトアームズ青山店の西岡さんが「今日の服にはコレです」と有無を言わせず作ったヘアです。

顧客の意見をきかず、むしろ提案、啓蒙する。そのくらいのサービスを提供してくれるからこそ高い価値がある、ということはいろんな場面で見られますね。

「ラグジュアリー」として高い価格を張れるのは、顧客の想定外を出してくる啓蒙型です。顧客の思い込みをむしろ打破して「こうきたか!」と驚かせることができるか。

エルメスも「マーケティングをしない」ことが知られていますね。

 

☆先日のカルティエ展覧会での驚きのひとつは、北野武さんの絵画がたくさん展示されていたこと。なにをやらせても一流なのですね。この方の、芸術の本質を見抜く力がよくわかるのがForbes Japan 掲載の記事

「本当の伝統のよさ」について語っているのです。以下、引用します。

「例えば、なんで俳句や短歌の七五調はこんなにリズムが心地いいのか。綾小路きみまろと川柳をやったとき、オイラは『5・7・5って素数じゃないか』と思ったんだ。5も7も素数。足しても素数。短歌もそう。5+7+5=17、5+7+5+7+7=31、どっちも素数なんだ。「古池や」に続く「蛙飛びこむ 水の音」の7・5は割り算では割れない。「古池や」以外の言葉じゃありえない。

で、奇数を足していくと二乗になる。1+3=4(2の二乗)、1+3+5=9(3の二乗)、1+3+5+7=16(4の二乗)。

これを映画に置き換えてみると、シーンを1秒撮って、次のシーンが3秒、5秒と足していくと、奇数だけ足して二乗になる。映像が倍返しみたいになって、心地よい「間」が生まれるんだ。漫才もそうでさ、奇数と偶数のかけ合いになると間が悪くなっちゃう。

尺の違いに着目して、居合いみたいに間合いを詰めていったら、単なる笑いじゃなくて二乗の笑いが爆発するかもわからない。いままで誰もつくったことがない「二乗のリズム」が映画に生まれるかもわからない。革新の発想だよね。」

まさか、俳句や短歌と映画のリズムの心地よさが「素数」でつながってくるなんて。こういう意外なことがつながる快感が、北野さんの描く絵にもあるんですよね。

 

そういえば、銀座に北野武さんの絵画がたくさん飾られている喫茶店があるんですよ(神田神保町にも支店があるそうです)。陶磁器もヨーロッパの一流ブランドがそろっていて、オーナーの趣味の良さを感じることができます。インバウンド勢に蹂躙されたくない(ゴメン)お店です。

この季節に恒例になった山下公園周辺の満開の薔薇ですが、今年は傘も壊れる雨風のなかの鑑賞となりました。

それはそれで誰一人おらず、人が写りこむことに気兼ねする必要なく撮影できました。

雨に濡れる薔薇も、快晴の下の薔薇とはまた別の美しさがありますね。

気分が沈みがちな雨の日こそ快適に楽しめるよう、心身のコントロールを極めたいものです。

26歳から96歳まで、70年間もの長きにわたり、英国女王という地位を超えて世界の女王という圧倒的な存在感で敬愛されていらっしゃいました。

プラチナジュビリーの祝典を終え、新首相を任命するという務めを果たし終えた後のタイミングでの崩御。最後まで君主としての責任を果たされたのだなあという深い感慨があります。バッキンガム宮殿には二重の虹がかかったようですね。

象徴としての地位を超えてお人柄がなんともチャーミングで大好きでした。個人的には、女王について著書や新聞・雑誌などで多数の記事を書かせていただき、そのたびに新しいことを学ばせていただきました。感謝してもしきれません。

長い長いイギリス史のなかでも、「エリザベスII世時代」はひときわ鮮やかに彩られることでしょう。悲喜こもごものカラフルなできごとがこれでもかと続き、それでも常に女王の不動の安定が「ザ・ユナイテッド・キングダム」を支えてきました。「ワンスタイル・マルチカラー」の女王スタイルさながらに。

ありがとうございました。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

“Grief is the price we pay for love”  エリザベス女王が9.11事件の後に述べた言葉です。

一生さんの訃報の前に、オリビア・ニュートン=ジョンの訃報を聞いた。

1980年代の初めに最もよく聞いていたのが、オリビアの「ザナドゥ」だった。一点の曇りなく、希望と明るさと官能に光り輝いているような歌で、時代のムードと完璧にあっていた。今聞いても、あまりの「きれい」さに泣けてくるほど。

A place where nobody dared to go
The love that we came to know
They call it Xanadu
And now, open your eyes and see
What we have made is real
We are in Xanadu
A million lights are dancing
And there you are, a shooting star
An everlasting world
And you’re here with me eternally

ザナドウは当初、ただのバブリーな「場所(ナイトスポット)」として歌われていたかもしれない。でもこの歌詞の抽象度は高い。メロディがきれいであればあるほど、歌詞が魂に響いてくるようなところがある。オリビアの裏声ギリギリの高音の声がそこまで高めていくんですね。

 

The love, the echoes of long ago
You needed the world to know
They are in Xanadu
The dream that came through a million years
That lived on through all the tears
It came to Xanadu
A million lights are dancing
And there you are, a shooting star
An everlasting world
And you’re here with me eternally

Xanadu, Xanadu

 

Now that I’m here
Now that you’re near
In Xanadu

 

前半は一点の曇りもなく光り輝く愛の世界の祝福。後半は哀しみを隠した天の世界にも感じられてくる。

オリビアはザナドゥにたどりついただろうか。すべての人間はそこに近いところにいることを、あらためて思い出させてくれる。

ご冥福をお祈り申し上げます。

 

*Photo: Pradiso Canto.  Rosa Celeste: Dante and Beatrice gaze upon the highest Heaven, The Empyrean.   Gustave Doré

Wikimedia Public domain

10月4日にHPが突然消えてしまい、ワードプレスにもアクセスできないという事態が発生しました。

青ざめて調べてみると、9月末におこなわれたnifty のmysql5.5から5.7 の移行にともない、データベース5.5で作ったものは消滅してしまったとのことでした。そんなこといつの間に。と問い合わせてみると「メールでお知らせしましたし、告知してあります」とそっけなく、失われたデータに関しても責任はもたない、と。お知らせメールをいちいちチェックしていなかった私が悪いということのようでした。

それって自治体などにありがちな「広報に書いてますよね?読まなかったあなたが悪い」みたいなもので、これほどだいじなことはきちんと「届ける」企業努力をすべきではないのか? と一瞬思った私はわがままでしょうか? しかも私は20年来の顧客ですよって言いそうになるのをぐっとこらえ。まあ、私の危機管理能力が乏しかったということなのでしょう。

このHPは過去作品のアーカイブとして作りました。2008年以降の、手元に何とか保存できていた断片を、読者がこれからファッション、メンズファッション、イギリス文化、ラグジュアリー領域のことで調べたいときになにかご参考になることが少しでもあれば、という思いでこつこつとアップロードしてきました。より見やすくするために、今年の5月にリニューアルしたばかりでした。その年月と労力と莫大な経費があっさり消されてしまったというわけでした。

niftyでは「どうにもできません」、終了。ほとんど絶望して文字通り声も出なくなっていましたが、一縷の望みをかけてTwitter で窮状を訴えたら何人かが救いになるヒントを教えてくださいました。こういうときにインターネットのありがたみを感じます。みなさん、ほんとうにあたたかい。

同じような目に遭って復活させたという方のヒントをもとにして、FTPなるものをダウンロードし、その使い方を覚えることから始めて、なんとか自力で古いデータが「存在する」ことを確認できたときには、安心のあまり号泣です。

とはいえ、それを自力で復元することまでは到底無理そうでした。つてをたより、プロフェッショナルな方々のお力により、無事、9月末までのデータを何とか元に戻すことができました…。それが土曜日、9日のことです。私にとっては、救命医に匹敵する方々です。おおげさではなく。ものすごく高度な(と私には見える)専門知識と技術でお助け下さったみなさま、あたたかいことばをお寄せくださった方々、念の念の念のためにバックアップをダウンロードして備えてくださったHP構築の担当者の方々、ほんとうにありがとうございました。

結局、ほぼ一週間、この作業にかかずらうことに。同時にこの時期には仕事の上での手ひどい裏切りが発覚し、ダメージがきつかった……。その間の仕事の遅れを必死に取り戻しております。人の道に背くようなことをしても、必ずしかるべき天誅が下ります。私と私の仕事仲間は自分たちのやるべきことに集中します。彼らの足元にも及ばない高いレベルのものを創って極上の幸福を味わう、これがいちばんのリベンジになると思っています。

(写真はすべて寺家町です。深呼吸しにいくのにもっともふさわしい場所のひとつ)

 

 

 

熱海の土砂流は恐ろしい災害ですね…。泥の津波が、上からものすごいスピードで押し流されてくる。驚く時間もないほどのあっという間。

巻き込まれて犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げるとともに、ご家族にお悔やみを申し上げます。家を流され、今も避難されている方々の不安はいかばかりかと拝察いたします。コロナの不安も広がる時期、一日も早く復旧がなされますようにお祈り申し上げます。

 

来日したセルビア選手団からまたひとり羽田で陽性判明。残りの選手は富山県で合宿とのこと。善意あふれる富山の受け入れ先の方々の複雑な不安、内心のパニックはいかばかりでしょうか。なぜこんな明らかなリスクをわざわざ広げてまでオリンピックを開催しなくてはならないのか。納得できる説明がまったくなされず、一般の国民側に度を越した犠牲ばかり強いられることに、怒りさえ覚えます。

 

連日の大雨続きで日照時間も少なく、心身の不調を覚える方も多いのではないかと思います。私も連日締め切りの時期で、こもって一日一社の原稿アップという日が続いて疲れが出てきました。大きな仕事も気になりながら追いつかず。遠くを見ると情けなくなり自己嫌悪に陥りますが、まずは目の前のことに一つずつ没頭していきます。「片づける」という意識があるとミスを出すのです(深く反省、自戒)。

 

こちも好きなウォーキングコース。

中華街~元町~山下公園あたり~関内~みなとみらい、でだいたい1時間ちょっと。途中お茶したりなんだりしているともっとかな。

異国情緒があちこちにあふれており、景色のバリエーションが豊かなので飽きません。

こういう壮麗な建物が店舗になっていたり資料館になっていたり。

チューダー建築っぽい。

よく見るとものすごい建築なんだけど、さりげなく街のなかに溶け込んでいるところがまた味わい深い。

ライトアップされるとまた美しいのですが、あえて逆光でシルエットのみ。

ブランディングにおいて細部にいたるまで徹底的に気を抜かないということは大前提なのですが、

同時に、細部に至るまで「ウチの世界観はこれなのです!」という強い主張がはりめぐらされていると、それはそれで問題がある。

最初はすごいな!と感動するのですが、その後は、なんというか、あまりの主張の強さにおなかいっぱいになるのです。

ある程度、第三者を巻き込めるようなイノセントな余白や静けさがあるほうが、長く付き合える気がします。建物も、商品も、人も。

徹底的にブランディングがなされた形跡のある、とあるホテルと商品ラインナップを見て、そんなことを思いました。「私って、こうなの」という自己規定はほどほどに。笑

このあたりはタイムレスな穏やかさがあり、いつ来ても癒されます。

 

2月のラストスパート、良い一週間をお過ごしください。

Happy Valentine’s Day.

教え子さんたちありがとう。恩返し以上の愛情を返してもらっています。


愛のある寛容な社会になりますように。


透き通った濃いブルーの青空に、白い飛行機が一点(かすかに、おわかりでしょうか)。心なしかスピードもゆったりとして見える。

海外からのゲストもなく、海外へ行く取材もない。代わりに、ズームでは海外の人とより頻繁にやりとりできるし、Clubhouseに入れば市井の人々の英語のおしゃべりが聞こえる。脳内グローバル度はコロナが後押ししたテクノロジーのおかげでかえって広がった。ドメスティックなのかグローバルなのかよくわからない不思議な状況。

「始める」ことのハードルも低くなっている。チャンスがごろごろ転がっているから、逆に何をやらないのか、ストイックに誘惑をスルーし、必要なことを選びきることができる人が、「先」に行くだろう。偏在は必ずしも価値上昇につながらない。

 

昨日はJBpress autograph の原稿のため、21歳、24歳、39歳の男性と、彼らが共通して敬愛する師匠77歳にインタビューさせていただいた。4人それぞれ学ぶことに貪欲で、清潔な印象(人格的に)を与える素敵な方だった。年齢をとわず謙虚に学ぶことを楽しむ人って、まなざしが美しいし、未来に希望を感じさせる。3時間もかかったけれど、後味のすがすがしいインタビューだった。

77歳でも常に社会に心を開いて新しいことを謙虚に学び続けている人は、孫くらいの年頃の人からも慕われ、教えを請われる。リスペクト。

80歳でもわきまえてない人に限って、自分が理解できないことをたなにあげて、わきまえろなどと言う。

Know Your Place.

あの世代の支配層の方たちは意識すらせずそうやって思うがままにふるまってきたのかもしれない。それを指導力と取り違えて。

一方、昨日話した77歳のように、10代とフラットに実のある会話ができて慕われる人もいる。日々の心がけ次第で、老害にならないことだってできるのだ。

閉塞して見える時代にも希望の種を見つけて過ごしていけることは、ほんとうにありがたい。

 

 

 

あけましておめでとうございます。

 

旧年中のあたたかいご交誼に心より感謝申し上げます。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

初詣を終えるとちょうど初日の出。青い空にひときわ光り輝いて見えました。

 


西側の空には、ほぼ満月が残っています。マレフィセント味のある木々の間に、うっすらと月が見えています。なにがあろうと淡々と上り、また上るために静かに沈む。

みなさまの2021年がお健やかでお幸せに満ちた年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

先日のイブニングセミナーにご参加くださった方の中に、占星術師の青島ひかりさんがいらっしゃいました。

ブログで、このような感想を書いてくださっています。リンクはこちら

 

占星術の視点から見て、これから200年は風の時代になる、と。星の巡りと社会、とりわけファッションに見られる新時代の兆候がリンクしているというのは非常に心強いです。

 

 

昨日の仕事で久々に訪れたシェラトン都ホテル。庭園のライトアップが美しかったです。

来年早々のイタリアフェアに向けて、始動しております。仕事の成否はひとえに人とのご縁にかかっていることを実感すると、世の中のひとつひとつの現象の背後に膨大な網の目のような人のネットワークがあることに想像が及びます。SNSで「人の断捨離」という言葉をちらっと目にしてなんだか胸が痛んだのですが、合わないと思えばそっと距離を置けばよいだけで、なにもモノのように断捨離宣言することはないのでは。よほど毒の強い関係だったら別ですが。思わぬご縁が、忘れたころに活かされる、ということは少なくないのですよ。

集英社クオータリー「kotoba」2021 winter 本日発売です。

連載「スポーツとファッション」第4回は、「アスリートによる大胆な政治的主張」です。

 

まるまる6頁。8000字くらいの長めの論考ですが、デリケートな問題をできるだけ丁寧に扱ってみました。よろしかったらご覧くださいませ。

 

 (Click to amazon)    特集は、司馬遼太郎。ファンは必読です。

 

 

 

以下、恒例の「季節の写真」集。笑 今の季節の高輪の日本庭園です。

グランドプリンス高輪のティーラウンジからの鑑賞+散策がおすすめ。

四季それぞれに違う顔。

角度によっても来るたびに違う顔を見せてくれるのが自然のいいところ。

もう冬ですね。2020年のラストスパート、くれぐれもお気をつけてお健やかにお過ごしください。

岩田健太郎先生が、11月11日の朝にこんなツイートをなさってました。

 

『マナーって難しいですね。日本の医学部にいると、中で「マナー」と称されているものは偉い人のわがままな価値観の押しつけがほとんどです。一度、目上の人に会うとき白衣で行ったら「作業着を着たまま俺に会う気か」と怒られて、なんてめんどくさい人か、と唖然としました。』

憶測にすぎませんので違ったら恐縮なのですが、岩田先生はその時、もしかしたら、ぺらぺらのポリエステルの白衣を着ていらしたのでは? テイラーの技術で作った見るからに上質な「クラシコ」の白衣を着ていかれたら、先方の反応も違ったのでは?とふと思いました。

「白衣=作業着」という反応をする偉い人にもたしかに問題はあるとは思いますが。

 

ここぞのときの服が相手に与える印象、ひいては場に与える効果って、ほんとうに大きいですね。もちろん、もっとも大切なのは本質的に重要な仕事であることには変わりないですが、こうしたささいな印象の差が、翻って自分のキャリアに跳ね返ってくることもあるので、やはり少しの気遣いをするのにこしたことはないですね。

 

私が「クラシコ」の広報担当者なら、すぐに岩田先生に一着、白衣をプレゼントするんだけどな。お似合いになりそう。で、その後の同じ方の反応を聞いてみたいです。笑

ザクロがたわわに実っている樹をまじかに見たのは初めてかも? (記憶力があやしいのでただ忘れているだけかもしれません) とにかく新鮮だった、ザクロの実。

新高輪プリンスホテルのスロープサイド・ダイナー、ザクロの前にあります。「ざくろ坂」というくらいだから以前からあったのですよね

アップにしてみました。この木はプリンスの持ち物ではなく、東京都の公共財だそうです。こんなに成った実はどうするんだろう? おいしそうだし、健康食品としても使えそうですが。

 

NewsPicksでは日本のニュース、海外のニュース、と朝一に飛び込んできたニュースのなかからいろいろピックしてコメントをしております。もしよろしかったらチェックしてみてくださいね。

ベイルートの爆発。広範囲にわたり、凄惨ですね…。火薬庫に引火したとのことですが、立ち上がる雲が原爆を思わせる。100人以上がなくなり、負傷者も多数、30万人が家を失ったとのこと。コロナで経済がたちいかないこの状況で不条理極まりない事故である。あるいはテロなのか。突然に巻き込まれて命を落とす羽目になった方々の悔しさはいかばかりかと思う。ご冥福をお祈り申し上げます。

Beirut City. 2007. Wikimedia Public Domain.

折しも今日、広島に原爆を落とされて75年という日。

 

世界のいたるところに、もちろん日本にも、いつ何が起きてもおかしくない危険が潜んでいる。安全は紙一重、薄氷の上を歩いているようなものだと思う。日本では失策・欺瞞続きの行政のトップが10兆円を保留したまま危機のさなかに雲隠れ?? なぜ国会が開かれない?? 地方自治体のトップが幼稚園児のようなことを言って市場が振り回されている。スケールは小さすぎるけれど、遠景からこの光景を見るとやはり凄惨な図にしか見えないだろうと思う。

梅雨明けしたのもつかの間、明日はもう立秋ですね。暦の上では今日が最後の「夏」。暑さは続きそうですが、せめて自分の頭で考えて、納得できる行動で時間を充実させたいものです。引き延ばしは厳禁。明日はないと思って行動したい(←これは自戒)。

While we are postponing, life speeds by. (By Lucius Annaeus Seneca)

〇集英社インターナショナルのウェブサイトで展開していた「コロナブルーを乗り越える本」が冊子としてまとまりました。

集英社インターナショナルの新書風です。

こんなにきちんとした冊子になるなら、もっとシリアスな文体で書くんだった。「アンケート」として「3冊までご推薦を」とご依頼が来たので、ほとんど反射神経で書いた記憶あり……。もちろん「コロナの日々を耐えている状態に効く本」を意識しておりますが。

他の読み手の方々はすばらしく、回答そのものに力が入ってます。100頁近くあり、これだけでエッセイ集としても読める。

 

一部書店でフリーで配布されているそうです。見かけたらチェックしてね。

 

 

 

 

〇ここしばらく、多様な業界の方々とラグジュアリーに関する議論をしたりインプットをしたりしているのですが。

旧ラグジュアリーが神秘・階級・エクスクルーシブを内包するカソリックだとすれば、新ラグジュアリーは徹底した透明性・リベラルを内包するプロテスタント。

という比喩がひとつあるのですね。

 

ラグジュアリー問題を、ラグジュアリービジネスの方向性としてというよりもむしろ今のところは「個」に帰結する問題としてとらえる私自身がどこに所属するかといえば、やはり両者の妥協の産物である「英国国教会」だと思われます。

よくもわるくも、「中道」なアングリカン・チャーチ。

いずれにせよ、圧倒的な、徹底的な究め方をしないと、いかなる流派のラグジュアリーにもなれない。

新ラグジュアリー論、面白くなりそうです。

(3月に訪れた沖縄です。あ~早く沖縄再訪したい。こんどは本土ではなく島ですね)

 

“He who has a why to live can bear almost any how.” (By Friedrich Niezche)

 

古い書類を片づけていたら、あるあるなのですが、いろいろお宝の発見があって結局片付けがすすまない……。

20年前に文春新書から「スーツの神話」という本を出しているのですが、柴田元幸先生が書いてくださったレビューが出てきました。「本の話」(文藝春秋)2000年4月号。

いまだに、この本を読んだので、と新規の仕事が来るのです。ちなみに絶版で、中古しか流通していません。

続編を書きたいとずっと思っておりましたが、チャンスがないままに20年。忘れたころに、今年、リベンジの機会が到来しました。やはり熱中して向き合っていたこととは、あとになって、思わぬ形でご縁がつながっていくものなのかもしれません。

それにしても、当時の文体の勢いよさからずいぶん丸くなった気がするな。私のクセの強い文体が嫌いだという方の批判の声に引っ張られて、気弱になって書けなくなった時期がありましたからね。しかし、一方、嫌われるその文体こそが取り換えがきかないので続けてください、という励ましもいただいた。そういう方はきちんとした仕事をくださるという形で具体的に応援してくださいました。そういう方々への恩義は忘れていないし、私も、人を励ましたいときは「具体的に」仕事を分担したり役割を担っていただいたりする、ということを心がけるようになりました。

人を故意に傷つけさえしなければ、全方向に好かれようとする努力はしばしば徒労に終わる。薄まった個性は「とりかえ可能」になってしまう。

“Always be yourself, express yourself, have faith in yourself, do not go out and look for a successful personality and duplicate it.” (By Bruce Lee)

 

 

 

 

?21日付の読売新聞連載「スタイルアイコン」です。

JLO ことジェニファー・ロペスについて書きました。


?芳賀徹先生が旅立たれました。大学生のときに、比較文学の授業を受けました。荒っぽいレポートを出したと思いますが、細部に関しては鷹揚で、「こんな才気を大切にしなさい」というコメントだけを添えて返してくださいました。とても励まされて、ごく最近まで保存していました。具体的に比較文学の「何を」教わったのか、内容はさっぱり覚えていないのですが、「どのように」教えていただいたかという語り方や物腰は30年以上経っても忘れていない。「人が人に教える」ことができるのは、具体的情報よりもむしろ「どのように」という在り方なのですね。感謝をこめて、ご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

?斎藤薫さんの名言。「奥ゆかしく相手を傷つけず、心地よくさせる、その結果期せずして相手を引きつけてしまう……それが日本人」「日本人のDNAにある丁寧さと冷静さ、最低限の大人のためのマナーを持って生きれば、それだけで必ず美しさが宿る」「慌てなくていい、がむしゃらにならなくていい」(GINZANISTA Spring 2020 Beauty)    毎朝、読み返してから出かけることにしたいくらい。


義理薔薇でもなんでも、バレンタインデーに薔薇をいただくと嬉しい! ありがとうございました。

 

 

毎年書いていますが、いまだこの日に「チョコもらえなかった」とか言っている男性を見ると、「自分から贈ろうよ」とお声掛けしたくなります(しませんが)。女性からチョコレートを贈るのは日本だけ、しかもそもそも製菓会社のマーケティング戦略から始まった慣習にすぎません。チョコ待ち男性のなんだかなあという姿を見るより、薔薇を抱えた男性が町にあふれる光景を見たいなあ。(だったら海外に住めよ!と怒られそうですが)

全国の花屋さん、来年はさらに強力なキャンペーンを展開してください。

 

もちろん、チョコを贈るのが楽しい!という女性の気持ちもよくわかりますし、経済効果も見逃せないので、それはそれとして並行して残っていてもかまわないと思います。

要は「待ち」の姿勢で一喜一憂するのではなく、主体的に自分の幸福感をコントロールできるよう過ごそうよ、ということですね。

2月のスタートは春を思わせる陽ざしと快晴に恵まれました。

恒例、「1日」には神社へお参りに行きます。シングルペアレントを務めつつフリーランスで仕事を続けることができている幸運に対する感謝を伝えるため。



足りないものを数えたらそれこそキリがありませんが、どん底状況でもとりあえず「ある」ものに感謝して、できることを一つ一つ行動に移していく、というのが不安を解消する唯一の方法です。

 

ウィルスの脅威にも警戒しつつ、日数の少ない2月を大切に健やかに過ごしたいものです。みなさまもどうか最大限の警戒を。

オーストラリアではブッシュの大火事が広がり収まる気配をみせず、アメリカとイランの間で戦争の兆しありで多くの国が無関係ではいられない事態。年頭からテロを起こすような、あの分別を欠いた大統領が核兵器を使わないという保証はどこにもなく、地球レベルで危機が切迫していることを感じます。

ファッションをテーマに語るなんて平和な時代でしかできないこと。地球に平和が訪れるよう、祈ることぐらいしかできないのがもどかしい。自衛隊が激しい紛争の可能性ある地区に派遣されたら日本の平和も完全に保証されるわけではないでしょう。現実は刻々とシビアな方向に向かっているように見えますが、それでも、希望のある2020年となるよう祈願したい。

 

Web LEONでのダンディズムの記事が、Nikkei Style に転載され、本日より公開されています。こちら

こういう時代に念のため振り返っておきたい先人の「ダンディ」として、白洲次郎(拙著では靴下ゆえに非ダンディ認定をしましたが)がいる。白洲次郎は最後まで時代の空気に逆らって参戦に反対して、ぎりぎりまで日英両国の関係者を説得し続けた。結局、それが無理とわかると食糧難を見越して疎開し農業を始めた。召集令状を拒否して兵役につかなかったことで卑怯者呼ばわりもされたが、自分を世のために活かす道は戦後の復興にありと見定め、多大な貢献をする。生前も没後も賛否両論がつきまとう人だが、自分ができることとできないことを見極める分別と、俊敏な行動力は備えていた。

全ダンディ志願者のみなさん。「時代の空気」に鋭敏でありつつ決して空気に流されないよう、歴史の大きな流れを知ってあらためて自戒を。

 何度も推薦しているかと思いますが、白洲次郎の生涯を知るにはおすすめのドラマ。伊勢谷友介さん、「マチネの終わり」にでは英語がイヤミになるちゃらい男の役でしたが、こちらは骨太な英語力を駆使してかっこよすぎるくらい。

A Happy New Year.

May the New Year Bring You Love, Joy and a lot of Ecstatic Moments.


 

あけましておめでとうございます。

旧年中のあたたかなご交誼に心より感謝申し上げます。

皆様の一年が愛と喜びと、感動的な瞬間で満ち溢れますように。

 

1月から「まんまる」連載100回、新刊発売、新刊記念講演、新連載(掲載は翌月)、その他チームでの大きなプロジェクトのキックオフや新企画のお披露目準備など、区切りのイベントやチャレンジングな仕事が目白押しです。年間を通しても10年前の仕事の続編と、20年前の仕事の集大成の機会をいただいております。ひとつひとつ、凡事徹底と想定越えの両立を心がけ、愛情と感謝をこめて向き合ってまいります。どうぞよろしくお願い申し上げます。

2019年をなんとか乗り越えることができそうで、読者のみなさまはじめ支えてくださった多くの方々にあらためて感謝申し上げます。

2017年は全世界から拒絶されたようなどん底状態でしたが、なんとか気持ちだけ立て直し、2018年は先の見えない不安と闘い続け、2019年には、後がないなら前しかないという諦念で、今できることを枠を外して全部注ぎ込む、ということだけに集中してきました。まだまだ勉強不足だし、通過点ではありますが、折々にチャンスをくださった方々、ご支援くださった方々の御恩は忘れず、着実に実績を重ねていきたいと思います。

 

暗闇の時間を乗り切るための心がけ

・なくなったものはしょうがないので、「とりあえず、ある」ものを無理にでも数え上げ、感謝してそれを愛でる
・現在をConsummatory に生きる。将来の手段として現在の活動を不本意ながらおこなうのではなく、活動それ自体を楽しむ
・凡事徹底をきわめる
・チャンスをいただいたら、先方の期待を超えるサービスをする(仕事でも社交でも)
・悲惨なできごとも「ヒーローズ・ジャーニー」のなかの「深淵」としてストーリー化し、復活後のストーリーを妄想する
・古今東西のヒーローには、世間から理解されず、孤独な時間があったということを思い出す
・そういう時こそ「人間」がよく見えるので、善悪の判断ぬきに観察してメモしておく
・会った人、会話した人(メールなどでも)には、別れ際によい印象を残す

 

そんな気持ちの持ち方すらできないほどの不幸や災害に見舞われた方も、大勢いらしゃいます。身近にもおります。明日のわが身としていつも心の片隅で見守り、ささやかながらできることをしています。一日も早く平穏な生活に戻ることができますよう、お祈り申し上げております。

 

?さて、先日アップしました日中のスーツの色が光の加減で今一つ正しく伝わっておりませんでした。カメラマンの写真ではなく、一緒にいた友人がスマホで撮影してくれた写真が、より実物に近い色です↓



(Tailored by Teruo Hirokawa with the fabric of Chugaikunishima 1850)

仕事着として着るものがないとお困りの女性管理職のみなさま、ブランド名がちらつかず、ジャストサイズで長く着ることができて、昼は会議OK夜は上着を脱げばレセプションOKという本格派テイラードスタイルはいかがでしょうか(同じ服でのドレススタイルは、信濃屋さんパーティーの回にてご確認ください。昼間のポケットチーフを夜の首元にあしらっています)。すでに女性用テイラードを提供している百貨店や小売店は、「女性におすすめ」として薄め軽め明るめの生地を推奨していらっしゃいますが、逆です。重役が着るような重厚な服地で作ってください。というか「女性におすすめ」っていう甘いカクテルにしろ薄い服地にしろ、いつまで女性を軽く見ているのか。来年以降、このフレーズは社会的タブーとしたい。笑

 

一年間ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

友人ファミリーがホテルニューグランドに宿泊しているというので、急遽、夕食をご一緒することに。

昼の開放感とはまた一味違う趣があります。

噴水にこんな像があったなんて、昼間には気がつかなかった(どこを見てたんだ)……。

氷川丸も夜には別の印象。


 

 

週刊ポストの「断韓」見出しが話題になっていた。教え子に韓国からの留学生が大勢いるが、みな素直で日本が大好きで(だから留学してきた)勉強熱心、人懐こくてとても良い子たちだ。彼らがこういう文字を電車のなかで見たらと思うと、やるせなく、泣きたくなった。

一方、小学館は巨大な企業で、私が仕事上のお付き合いのある小学館の社員の方々はそれぞれ誠実に向き合ってくれ、充実した仕事の成果を上げるために最大限の努力を惜しまないでいてくれる。良心的で倫理感もあるリベラルな彼らが、自社の暴挙とそれにともなう自社バッシングにどれだけ心を痛めているかと想像すると、これもまたつらくなる。

目の前にいる生きた人を見ず、国や所属団体という塊でくくって差別したり憎んだりしてしまうことの恐ろしさを思った日でもあった。

 

母国への罵詈雑言に耐えている韓国の留学生のみなさん、自社への非難を耐え忍んでいるリベラルな小学館社員のみなさん、がんばれ。

ボリス・ジョンソンが英首相になって、大方の新聞はジェットコースターのようにイギリスが落下する未来しか描いていないようです。

秀逸だったのは、Hey Dude! Don’t make it bad. というタイトルをつけた大衆紙、The Sun。 (解説するのはダサイですが、Hey Judeの歌詞をもじったものですね)

BJは政治的に危険な存在かもしれないですが、ファッションを含めけっこう愛嬌もあります。笑いどころ、つっこみどころが満載。

「ガーディアン」では、胸元にわざわざ「prime minister」と書かれたジャケットを着てスコットランド訪問するBJを茶化していました。  こちら

この方の乱雑な外見は、イギリス上流階級の伝統にあるものなのですね。Choreographed British Scruffiness と表現していたFTの記事がありましたが(振付ずみの英国的ボサボサ、というニュアンス)。銀行にお金を借りに行く必要がない、就職の面接をする必要がない、という特権を誇るボサボサぶりですね。ツイードにひじあてをして、ぼろぼろになっても古い服を着ているカントリージェンツの意識とどこか通じているかもしれません。

さて。先日富山で収録したラジオ番組は、本日15時~ 小林淳子アナウンサーの「でるラジ」で放送されたそうです。「なぜヒールを履くのか」とか「クールビズで気をつけたいこと」などなど服飾史のつれづれなる話をしつつ新刊のお話なども。お聞きくださいました方、ありがとうございました。

「ロイヤルスタイル」に関し、その後もウェブサイト、インスタ、ブログ、メッセージなどで嬉しいご感想を頂戴しております。

日頃、褒められることもないし、12年間の集大成の本を出した直後ぐらい、レビューを集めさせていただいてもご寛恕いただけるかなということで、以下、ご紹介させていただきます。

これから何の先入観もなく読みたい、と思ってくださっている方、拙著のレビューなどに関心のないは、どうぞ本欄スルーしてくださいね。よい週末を?

☆静岡のジャックノザワヤさんは、註にいたるすみずみまで丁寧にお読みくださったうえ、このような読後感想をブログでアップしてくださいました。全文はこちらです。

以下、抜粋です。

「学者でもなく、ジャーナリストでもなく」という立ち位置は、まさに私が「既成の枠」にはまることを拒絶して開拓してきた道でもあり、それを指摘してくださったことは感無量です。ノザワヤさんからは、称賛だけではなく、専門的な用語の正しい表記法に関してもいくつかご指摘をいただきました。「重版」をめざし、その際に改訂表記を反映できるよう、全力を尽くします。心より感謝申し上げます。

☆The Rake Japan でもご紹介いただきました。こちらです。

☆綿谷寛・画伯のインスタグラムでご紹介いただきました。

「服装だけに終始した薄っぺらなお洒落指南書でもない。かといって小難しくて退屈な英国王室研究書でもない。人間愛に溢れたエッセイスト中野香織さんらしい、ちょっとためになる(スタイルについて考えさせられる)エンターテイメント」 ←このまま帯のコピーにしたいくらいのありがたさです。

☆batak社長の中寺広吉さんより、読後のコメントを頂戴しました。ご了解を得て、一部抜粋して紹介します。

「生々しくならない程度のリアルさ」というのはまさに目指したところなので、伝わったことがわかり、嬉しかったです。超多忙な日々の合間の貴重な休日にいち早く読んでくださいました。感謝。

みなさま、ほんとうにありがとうございます。


キム・カーダシアン、さすがマーケティングの天才ですね。インターネット上のバッシングがなによりもPRになることを経験上わかっている人ならではの戦略。

私が2015年からあんなに書き続けている「文化の盗用」。だれも乗ってこなかったのに(笑)キムのkimonoで一瞬で有名になってしまったわ。キム・カーダシアンのことをこれまで知らなかった人さえ、キムの新製品の下着のことまで知ることになった。お金をかけないでこれだけ短時間に世界的にPRできるなんて、あっぱれ。

この人はいずれちゃんと(?)kimonoという名前を撤回するような気がする。撤回してもしなくても、キムの思うつぼ、キムの勝ちである。

こういうあからさまな戦略に巻き込まれたくなかったので、コメントを求められても同じ土俵でものを言う気はしませんでした。ムキになって抗議すればするほどキムがほくそ笑んでいるのが見えるような気がして。

政府側から正式かつ厳重な抗議を一本、アメリカのしかるべき機関に入れていただいたら、あとはみんなでまったく知らんふりしておくのが、キムみたいな「騒がれてなんぼ」というしたたかなツワモノには一番こたえるのでは。

文化の盗用議論の発端になった、2015年のキモノウェンズデー事件。

Worcation の続きです。以下、花々が最高に美しい今の季節のディズニーランド「写真集」です。私が座右の銘としている言葉の数々をさしはさみました。

Happiness radiates like the fragrance from a flower and draws all good things towards you. (By Maharishi Mahesh Yogi)

Loneliness is the poverty of self; solitude is the richness of self. (By May Sarton)

Elegance is not a dispensable luxury but a factor that decides between success and failure. (By Edsger Dijkstra)

Progress is measured by richness and intensity of experience – by a wider and deeper apprehension of the significance and scope of human existence. (By Herbert Read)

For happiness one needs security, but joy can spring like a flower even from the cliffs of despair. (By Anne Morrow Lindbergh)

Our greatest human adventure is the evolution of consciousness. We are in this life to enlarge the soul, liberate the spirit, and light up the brain. (By Tom Robbins)

Knowledge will give you power, but character respect. (By Bruce Lee)

Life is not accumulation, it is about contribution. (By Stephen Covey)

A person often meets his destiny on the road he took to avoid it. (By Jean de La Fontaine)

There are no rules of architecture for a castle in the clouds. (By Gilbert K. Chesterton)

Experiencing sadness and anger can make you feel more creative, and by being creative, you can get beyond your pain or negativity. (By Yoko Ono)

Being brave enough to just be unapologetic for who you are, that’s a goddess. (By Banks)

Special Thanks to Tokyo Disney Resort.

Have a nice week!

登戸で小学生の通学時間に起きた痛ましい事件……。なんと怖ろしく、悲しく、いたたまれない事件なのでしょうか。唐突に未来を奪われてしまった女の子、そして外交官の方、ご家族の絶望や無念や苦しみや怒りはいかばかりでしょう。ことばが虚しくなるばかりですが、心よりお悔やみ申し上げます。

事件はひとごとではなく、いつ身近に起きてもおかしくない。せめて子供たちには防衛のためのチェーンメール(鎖帷子)のような防具を身に着けさせたいと本気で思いました。武具として兵士は大昔から着用してきましたが、刃を通さない金属の鎖で作ったチュニックやベストがあれば現代の子供たちにも着用させたいし、自分も着たい。軽い金属で作れば身体の負担にもなりにくい。チョーカーにも見える首回りのアクセサリーがあれば着用したい。すぐに走れるフットウエアと鎖帷子、チョーカーにも見える防具。メーカーにはぜひご一考をお願いしたいです。

社会の闇の問題を解決することがもっとも重要ということは承知のうえ、解決までに時間がかかるなら、せめてそれまでの自衛措置として何らかの策を講じなくてはならない時代にいるのだという危機感を、深い悲しみとともにおぼえます。




昨日はコートを着ても震えるような寒さでしたが、つきぬけるような快晴。澄み切った空気のなか、満開の桜がひときわ切なく美しく見えました。

幸運なことに、日中の打合せから夜の社交まですべて高輪の日本庭園まわりでしたので、刻々と移り変わる高輪の桜を思う存分楽しみました。

というわけで、仕事の合間に撮った写真集。笑 移り変わる光の下での高輪の桜をお楽しみください。

鉄板のさくらタワーと桜。この組み合わせは最強ですね。

午後一番の光を浴びる桜から、午後6時30頃までの移り変わり。時間順に並べていますが、一切、何の加工もしていません。ライトアップのセンスもよいのです。

光の当たり方でさまざまな表情を見せてくれるので、同じ樹でも違う方向から見ると、また異なる味わいです。

「桜まつり」の灯りがつきはじめる午後6時ごろ。空のブルーと桜のピンクがぼんやりと溶け合っていくような感じがよいよね。

幽玄な印象。非日常感たっぷり。

たわわ、という言葉がでてくるほどの、たっぷりと咲き誇った花。

こういう瞬間に立ち会えるのは、ほんとうに幸運で、幸せだと思う。一期一会の桜。

外はかなり寒いですが、グランドプリンスのラウンジ「光明」からはおいしいお酒またはお茶をいただきながら、堪能できますよ。今のシーズンは大人気なので別途お席料が1000円かかりますが、庭園の手入れやライトアップの手間を考えれば、それだけの価値がある景色。

延々と飽きずに眺めては撮っております。笑 人混みが苦手な私には、桜の下で酔って騒ぐ「花見客」がいないこのような場所がほんとうにありがたいです。

深夜の桜もまたすばらしいのですが、それは次の記事にて。

元号が変わるということで元号フィーバーのような様相を呈しておりますが、私は日頃からほぼまったく元号を使わないので(役所系の書類だけが困る)、ほとんど関心がありません。わざわざ言うほどのことでもないけどフィーバーは淡々とスルーしています。

さて、昨年の9月に日本経済新聞夕刊で書いた、女性スポーツ選手のファッションについての記事がK大学の入試問題として使われました。記事はこちらで読めます。著作権教育研究会からのご連絡。感謝。

Serena Williams

問題は「次の文章を読み、スポーツと女性差別という問題について考えるところを800字から1000字以内で答えなさい」というもの。難しいね。私が受験していたら落ちてたと思われます……? 

「モードとエロスと資本」「ダンディズムの系譜」からも過去に入試問題が出題されています。ともに作者の想像を超える出題がなされておりますが、いったん世に出た作品の解釈は読者のものでもあります。ご子息の入試対策にもぜひどうぞ。笑

Truth, honesty, empowerment – it’s what I want for myself and my readers. (By Rupi Kaur)

*アイキャッチ画像は昨年の千鳥ヶ淵の桜。今年はまだお花見に行けておらず。


あけましておめでとうございます。みなさまにとりまして、2019年が素晴らしい一年となりますよう、お祈り申し上げます。

旧年中のあたたかなご交誼、ご支援に心より感謝します。応援してくださる方、頼ってくださる方をできるだけ幸福で満たせるよう、いっそう力を尽くしたいと思います。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

おおみそかと年明けは、富山にて三世代ファミリーで過ごしました。上は立山連峰からのぼる初日。元旦の朝は雲一つない快晴に恵まれて、白い雪と真っ青な空のコントラストが幻想的ですらありました。

呉羽山丘陵。どこまでも澄み切っている冷たい空気。
木々の間から太陽が顔を出すという瞬間が最高(毎年、どこにいてもこの瞬間を撮っている)


1日の夕方には東京。東京ステーションホテルのラウンジで軽く夕食をいただききました。この天井の高さはいつ来ても快いですね。

強く主張しすぎない、軽やかなつくりゆえにいっそう華やか。
長男撮影。笑

今日から本格的な仕事初めです。今年は旧年からもちこしたいくつかの課題含め、節目となる大きな仕事が山積しています。エゴのためではなく誰かを幸福や愛で満たせる仕事なのか? 10年後にも受け継がれていく価値のある内容なのか? という基準を忘れず、誠意をもってコミットしていきたいと思います。


ケンブリッジ・アナリティカ問題をご記憶でしょうか。2016年のアメリカ大統領選挙において、トランプ陣営がデータ解析企業ケンブリッジ・アナリティカの協力を得て、Facebookのユーザー5000万人分の情報を不正利用していた問題。ユーザーのデータに基づいて、その人の投票行動に影響を与えるような個別の政治広告を配信していたとされます。

その告発を内部から行ったのが、クリストファー・ワイリー(当時28)でした。髪をカラフルに染めている、ゲイのカナダ人で、データオタク。ゲイは流行や時代の流れを敏感に読んで取り入れるアーリー・アダプター(新しもの好き)であることが多く、ワイリーもその点でケンブリッジ・アナリティカ創業者たちに好かれて仲間入りしたようです。

 

そのワイリーが、Business of Fashion のVoicesで、ケンブリッジ・アナリティカがユーザーのファッションブランドの好みをどのように彼らの投票行動に利用したかというおそろしい話を語っております。こちら。

ナイキ、アルマーニ、ルイ・ヴィトンを好む人は、開放的、良心的、外交的、愛想がよく神経症的で、そういう性質を利用し、ケンブリッジ・アナリティカは政治的メッセージを送っていた。

一方、アメリカのヘリテージブランド、たとえばラングラー、LLビーンなどを好む人は、開放度が少なくて保守的で、トランプを支持しようというメッセージにより反応(賛同)する傾向があったという。

醜悪なものであっても、データに基づくインターネット上の心理操作によって、それを好もしいと思えるように導くことは、可能なのですね。たとえばクロックス。あのビニールのサンダルです。どう見ても美しくはないものですが、サイオプス、すなわちサイコロジカル・オペレーション(心理操作)によっていくらでも好もしいものに変えることができるのだ、と。(実際、そうなりました)

大衆に、トランプ大統領やブレグジットを選ばせたものが、まさにこの類の操作だったと彼は告発するのです。醜悪なものがどんどんトレンドになる仕組みと、醜悪な政治リーダーが選ばれる仕組みの背後には、このような背後の力による心理操作があったとは……。

ミウッチャ・プラダは「醜さを掘り下げることは、ブルジョア的な美より興味深い」と語っています( T magazine)。醜悪さってたしかに新鮮でもあるんですよね。醜悪なファッションを時折楽しむ分にはいいですが、醜悪な政治を選んでしまうと、取り返しのつかないことになる。情報操作は、まさに大量破壊兵器になるんですね。

ワイリーに戻ります。

ファッションブランドの好みというユーザーのデータが、ブランドも知らないうちにこのような情報操作&行動を促すことに利用されていたことが分かった今、逆に、ファッションブランド自身が方向転換することによって、人々の行動をよいように導き、文化を守ることもできる、と彼は示唆します。

 

いやしかし、そうなればなったで、さらなる新しい情報戦争が仕掛けられるのだろうな。好きなものを自発的に選んでいるつもりが、実は背後の大きな力によって選ばされている、そんな時代に生きる空恐ろしさを感じます。

「ファッションは服を売るビジネスではない。ファッションはアイデンティティを売るビジネスである。人間の根源的な問題<私は誰なのか? 社会のどこに所属したらいいのか?>に答えるツールを提供するビジネスである」。

だからファッションの問題はおろそかにするわけにもいかないのです。

 

 

 

 

9日に行いましたYomiuri Executive Salon の写真が届きました。


ラグジュアリーストリートからスカンブロへの流れを解説しているところ。

来年のメットガラで炸裂しそうな「キャンプ」を解説。

テーマが「日本のラグジュアリーとその未来」でもあったので、日本ブランドを身に着けていきました。Tae Ashidaのドレス(日本語でワンピースと呼ばれるものは、英語ではドレスと呼ぶ)、ミキモトのブローチ、グランドセイコーの時計、そしてAtsugiのストッキング「輝」。

 

その後にお会いした出席者のみなさまから続々とおほめの言葉をいただき、とても嬉しく、がんばってよかったと思いました。しかしまだまだ。

「点」としてのファッション現象を、さらに大きな社会的背景のなかでのストーリーとしてわかりやすく語ることができるように、日々の研究も怠りなく努めたいと思います。

 

 

〇ドルチェ&ガッバ―ナの上海ショーの中止事件は不幸なことでしたね……。最初の動画(中国人の女の子が箸でピザやパスタを食べる)はたしかに彼らとしては(無知であったとしても)差別意識は皆無であったのでしょう。それだけだったら撤回して、他意のなかったことをお断りして謝ればあれほど大きなダメージは防ぐことができたのでは。決定的な問題は、ステファノが個人的に書いたメッセージでした。相手を怒らせ、画面キャプチャをさらされてしまったのが最悪でした。ハッキングされたと言い訳しているのがますます火に油を注いでしまった(それが嘘であることは、Diet Pradaが証明)。パーソナルメッセージだからと安心して暴言を書くとたちまちさらされ、拡散してしまう透明性の高い時代だということを常に意識しておかねば。録音もどこでされているかわからないから、とにかく油断はできない。他山の石。

ドメニコもステファノも、人間的な欠点は(私たちの多くと同じように)多少はあるのかもしれないですが、才能とサービス精神にあふれるデザイナーです。彼らが日本でおこなった2回のコレクションは、日本文化へのオマージュにあふれたすばらしいものでした。今回の件を挽回すべく、謙虚にコレクションを作り続けてほしいと願っています。

各紙が追悼記事を掲載していますが、読売新聞は一面、21面、36面と3面にわたり、芦田淳先生の功績、評伝を大きく報道しています。

私も僭越ながら、21面でコメントを寄せています。

「戦後の日本にプレタポルテ(高級既製服)の概念を持ち込んだ草分け的存在。常に時代の感覚を反映しながら、決してエレガンスと品格を失わなかった。芦田さんの服を着れば、国際的にどんな舞台にたっても日本の品格を表現できた」。

 

まだ伝えたいことは本当にたくさんあったのですが、紙幅の都合がありますね…。

洋裁師が注文に応じて服を縫っていた戦後日本に、「プレタポルテ」(高級既製服)をもたらしたのが芦田淳先生なのです。

プレタポルテは、日本の女性を半世紀の間に加速度的に美しくしていくのです。プレタポルテへの憧れ→着こなすためのヘアメイク、体型メイク、立ち居振る舞いなどの努力→あかぬける。

 

ほかにもきりがないほど功績がありますが、追って、お伝えできる機会があればと思います。

 

*共同通信社に追悼文を寄稿しました。本日、これから配信されるそうです。明日以降、活字として掲載されましたらお知らせ申し上げます。

台風後は快晴になりましたが、庭の木は一本根こそぎ倒れ、雨どいは破壊され散乱し、雨戸もはずれて飛んでいっており、人間の力ではとても無理な状態で崩壊し散乱した状態が青空との対比でシュールレアリスムのアートのように見えました。

 

たまたま、昨日の仕事では今のセレブトレンドについて書いていたのですが、それが、「高価なブランドをみずぼらしく汚く着るのがクール」というトレンド。(金曜掲載)。

ずんずん調べていくと、スカムカルチャーというのがすでにあったんですね。汚れや散乱や絶望や醜さを称揚する音楽やアートが。アブジェクト・アート(絶望アート)というジャンルもあります。

現在のセレブのファッショントレンドはスカムカルチャーの延長にはないような印象ですが、無関係でもない。

こうした最低のもの、散乱したもの、醜いものを称える美学は、Messthetics と呼ばれているということも知りました。mess (散乱)の美学ですね。

台風後の自宅破壊風景にしても、一瞬、新鮮なものとして見とれてしまったので、このMesstheticsの感覚もじわり、わからないでもない。実際、心の中の情景がこんな感じというのはけっこうあったりするしね。

今日は倒木を一掃してきれいにしてもらう予定ではありますが。人間の感覚って無限の柔軟性があるものですね。

 

2000字のエッセイを書くのも6000字の解説を書くのも、彫刻を削るようなところがありますが、(創る、というよりも削って中身が現れるほうに尽力していく、というイメージ)、2,3ワードのコンセプトコピーを考えるのは、ひたすら無意識の世界に沈潜していくことで浮上してくることがあります。

昨日は重要なキーコンセプトが課題で、心が動き、多くの人の行動の方向を示すことができるような言葉の「浮上」を待ってひたすらぐるぐる芝公園を歩いてました。

緑のなかを歩くと血の巡りがよくなるのか、新鮮な酸素を補給できるためか、あるいは、歩きながらひたすら自分の「本心」の底を見ることができるからか、ウソのないことばの浮上を助けるには効果的なんですね。

(東京プリンスホテルのフロントロビーの花。安定の華やかさ)

結果、無意識の底から浮かび上がってきたコピーが、採用となりました。まだ本決定ではないですが、ほっと嬉しいですね。

 

さて8月も残り少ないですが、あと4本の原稿+単行本の残り全部。できると思えばきっとできる。たぶん。

 

 

 

最近、本を買うのはすべてamazonだったのですが、今日、探したいテーマがあって、久しぶりに書店で時間を過ごしていました。

当初の目的は世界史関係の棚だったのですが、ファッションの棚を通ったときに、吸い寄せられるように見つけたのが、山田登世子先生の「モードの誘惑」(藤原書店)。


なんと発行日が8月30日(これからだ)になっているので、書棚に一足早く並んだばかりだったのでしょうか。

帯のことば「惜しまれつつ急逝した……」という言葉に衝撃を受けました。知らなかった。2年前に亡くなっていらしたとは。

当初の目的を忘れ、山田先生の本をすぐに購入してしばらく近くのカフェで読みながら呆然としていました。(ショックで文字が全部は頭に入らない)

もう5,6年ほど前になるかと思うが、いちど、都内の高校でおこなわれていた公開講義を聴きに行ったことがあり、フランス文学者らしいシックでスノッブな語り口に魅了されていました。その後、山田先生からぜひ一度お茶しながら話しませんかというメールをいただき、ぜひそのうちに、などと言っているうちに時間が経ってしまっていたのでした。名古屋と横浜では遠いので時間を合わせるのが難しいなどと思っていた私がばかでした。この世とあの世に比べればたった90分で行ける距離ではないか。お会いできたタイミングで、無理にでも時間を作ってお会いしておけばよかった……。人は永遠に生きていないのだ。涙涙涙

 

たまたまふらっと入った書店で、手招きするように見えた、山田先生の遺稿集。偶然かもしれない。でもこの発売日のタイミング(遺稿集が発売されることなど知らなかった)で出会ったということは、山田先生が私になにかを語りかけようとしていたのだとしか思えない。

生前に伺うことができなかった話をゆっくり伺うつもりで、拝読します。

 

そして、本にならなかったエッセイをこうして遺稿集として本の形でまとめ、出版してくれる伴侶に恵まれた山田先生はお幸せだと思う。

比べられるものではないけれど、私が書いてきた膨大な量の記事はほとんど本になっていない。死後にまとめてくれそうな人もいない(息子たちに期待するのはムリ)。おそらく、そのまま埋もれていくだろう。死んだらすべて忘却のかなた。虚しいな。

自分の死後のことはさておき。

山田登世子先生は、フランスのモードを語るのにふさわしい教養とエレガンスと文体をそなえた方だった。2年も訃報を知らず、今さらながらなのですが、衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

 

アフリカ系ばかり活躍する「ブラックパンサー」の大ヒットの記憶がさめないうちに、というわけでもないだろうけど、いまアメリカのカルチュア&ファッション系のニュースをチェックしていると、頻繁に言及されているのが「クレイジー・リッチ・アジアンズ」という映画だということがわかります。

ケヴィン・クワンの同タイトルのベストセラー小説の映画版です。クレイジーなほどのリッチなアジア人ばかりでてくるハリウッド映画。ラブコメですが、ファッション映画としても注目度が高いようです。



ケヴィン・クワンはシンガポーリアンで、中心になるファミリーはチャイニーズ。「リッチ・アジアンズ」というとき、日本人は入ってないのな。

みんな同じがよいという規格品をつくる教育システム、ヘアピンの位置まで同じ真っ黒の就活スーツを着せる文化、仕事とは「お金のためにがまんすべきこと」と思い込ませるような社会のなかで、「クレイジー」が出てくるわけもないですね。

 

ZOZOの前澤氏みたいなattitudeで、仕事に熱狂しながらのびのび楽し気に活躍する人を、もっと周囲がふつうに見る社会になればよいのに(嫉妬で叩くこともせず、羨望もせず、ふつうに多様なあり方として)。前澤氏級にクレイジーな発想で働くリッチでハッピーなビジネスパーソンがあたりまえにごろごろいるという社会のほうが、風通しがよさそう。

 

Go out and chase your dreams no matter how crazy it looks. (by Shanice Williams) 

↑ 昨日の高校生にはこう言ってあげたかったけど、私が言ってもまったく説得力がないので躊躇したのね……。前澤氏みたいな成功者が言うと、説得力がありますね。

 

 

 

コフィ・アナン氏の言動、立ち居振る舞いには、真・善・美の筋が通っていました。4年前に書いていた記事を再掲します。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

“To live is to choose. But to choose well, you must know who you are and what you stand for, where you want to go and why you want to get there.”  (By Kofi Annan)

「生きるとは選択することだ。よき選択をするためには、自分が誰なのかを知り、何のために生きるのかを知り、どこを目指したいのか、なぜそのゴールに行きたいのかを知らねばならない」(コフィ・アナン)

 

私はいつも岐路において世間や周囲が「間違っている」「普通はそうしない」という選択ばかりしてきた。選択の理由は後付けで適当にごまかしてきたが、実はかなり動物的な直感に従い、「たいへんそうなほう」「冒険価値の高そうなほう」を選んでいる。なぜそうしたいのか? いまいちどきちんと考えた上で、ましな選択をしていきなさいというアナン氏からの遺言と受け取りました。心からの感謝をこめて。

昨日、無事に誕生日を迎えることができました。読者のみなさまからもたくさんの心温まるメッセージ、激励のメールを頂戴いたしました。心より感謝申し上げます。

思いがけず、お花までご恵贈いただきました。フレッシュな白い花のミックスで、目にもさわやかですが、生き返るような芳しい香りを放っています。ありがとうございます。

徒歩圏にある近所のイタリアンレストラン、Cantina Coniglio Biancoでバースデーディナー。

ここは公園のそばの住宅街にかわいらしく建っている、ご夫婦おふたりで運営していらっしゃるお店です。ワインもお手頃な価格で迷わぬ程度に用意されており、ほんとうに美味しくて、自分の家の食卓の延長のような感覚で寛げるのです。

(こちらは鯛のアクアパッツア。絶品です。)

思いがけず、お店がバースデードルチェのプレートをプレゼントしてくださいました。感激。

 

新しい一年は、いただいたチャンスに感謝しつつ、いっそう書いて話して服を着て(←これも仕事のうち。笑)、仕事に没頭したいと思います。働き方改革の議論が盛り上がるなか、あまり大声で言ってはいけないことなのかもしれないのですが、私は仕事が何よりも好きで、仕事中にいちばん快楽エンドルフィンが出ているので仕事時間は多ければ多いほど幸せという変態レベル。もう遠慮してもあまり意味がないので、このままマイペースで仕事に熱中していきます。引き続きどうぞよろしくご支援、ご指導をお願い申し上げます。

 

Men’s Preciousブログ、久々に更新しました。アップされております。礼装の和洋混合について。こちらです

先月、日経新聞連載に書いた内容ですが、字数の制限がないので、さらに詳細に、考察も少し多めに加えて、異なるバージョンにしてあります。新聞は800字~900字と制限があり、ぎりぎりまで削り上げるので、これはこれで文章力を鍛えるためにも不可欠な場ですが、やはり字数にゆとりがあると、詳細を盛り込めるので理解してもらいやすいことも多いですね。両方の場があることがありがたいです。

☆☆☆☆☆

 

過激なピューリタン的気質もあるアメリカでは、今度はモーガン・フリーマンがセクハラ告発でキャリアの危機にさらされています。女性キャスターが騒ぎ立てる映像を見たけど、「え?どこがセクハラ???」としか思えない見当違い。攻撃的な魔女狩りになっているのではと危惧するしかない。この名優の栄誉をこんなことで奪うのか。アメリカのリベラルな良心を信じたいですが。

でも誰が何を不快に思うのかって、実際、「受けた」立場になってみないとわからないこともありますね。

私が不快に感じる「性差別」のツボは他の人とはズレているかもしれないのですが、(何度も書いてるが)「女史」と書かれることは侮辱に感じます。相手がただ知らないで使っているだけの場合が多いので、その場で笑顔で「ふつうに男性と同じように<氏>でいいんですよ、<氏>で」と柔らかく言います。

あとやはり、明らかに能力が不足している若い女性が、「女の子」オーラをふりまき、性差別を逆利用して力のある男性に媚びるように仕事をとっていく現場を見ると、実力を地道に磨いていてチャンスを待っている女性たちはどうすればいいんだと彼女たちに心を寄せて不快になります。不満を表明すると「美貌に嫉妬している」とか見当違いなことを言われて悪者扱いされたりするから、黙っているしかない。

このまえのアマゾネス会でもこの話題が出たのですが、やはりどの組織や業界でもこういうのは一定数いて、いなくならないそうです。あるアマゾネスによれば、「まともな業界ならば、必ず、藤原編集長みたいにきちんと本質を見る目をもった男性がいて、そのうちあぶくは淘汰される」そうですよ。まともな業界ならばね。女性もまた、男性の振る舞いを冷静に見ているので、「女の子オーラ」に目がくらんで抜擢した男性は、「そういう輩」として分類されますから、注意したほうがよさそうですね。また、美女とみれば蝶を集めるように片っ端から喜々として「お引き立て」してまわってる男性もいらっしゃいますが、たとえ自分は楽しくても、その行動が他人の目にどのように映っているのか、なんと言われているのか、ちょっと頭を冷やし、引いて眺めてみるとよいかもしれないですね。女性社会の評判っておそろしいんです。

(偉そうにすみません。自分も知らないうちにやらかしてることがあったらブーメランですね。)

 

自分は地味だから引き立てられない、と悶々とする女性たちへ。年齢はあまり関係ないと思いますが、ある程度の成熟という意味での「40」を過ぎたらもうさすがに能力の有無ははっきりします。焦らず、着実に、実力を磨き続けることに没頭しつづけた人に幸運の女神はやってきますよ。そのころには「表情」や「感情や思索の経験」や「立ち居振る舞い」が美醜の印象を左右するから、「美貌」とやらも、逆転しているよ。「そもそも本気の仕事を一緒にしようとするときにそこは勝負ポイントにはならないし」ということを別のアマゾネスも言っていた。

「40」までまだまだ長い、って思ってるでしょ? (私も20代にはそう思っていた) たとえ不本意でも「成熟の年代」と見られるようになるのは、あっという間ですよ! 一瞬、それこそ矢のごとし。短すぎる人生、やりたいことがはっきりしているなら、くだらないことに振り回されているヒマはないと思おう。



独立祝いに、サプライズで届いたゴージャスなお花! ありがとうございました。

大々的にアナウンスするわけでもなくほんとにひっそりとさりげなく起業したので、お祝いなどいただいてしまうとかえって恐縮するところもあるのですが、大学から離れたとたんにわかりやすく去る人もいるなか、思わぬ方が応援してくれたり、これまでと変わらぬ態度でおつきあいしてくださったりする方もいて、人の本質がありありとよく見える、とても面白い経験をしています。変わらぬご厚情を寄せてくださる方には、心より感謝しています。ほんとうにありがとうございます。

どんなアウェイ状況に放り込まれても、しのいでいけるタフネスをいっそう鍛え、磨いていきたいと思います。引き続きどうぞよろしくご指導くださいませ。

さて、半・分解展は、SNSの宣伝だけにもかかわらず、なんと連日来場者200人越えの大盛況となっています。ツイッターでの評判も好評の嵐。ちょっとしたお祭り状態で盛り上がっています。(#半分解展)

ミレニアルズが多いのも特徴。「面白いことを楽しそうにやっている人に接したかった」というコメントもありました。「前例なし」はチャンスだからやったもん勝ち、という私の教え(!)を、驚くほど大きく開花させている長谷川彰良のガッツには、私も学ぶところ大です。いやほんと、よい意味での「前例になる」って最高に楽しいマーケティングなのに、なんでみんな遠慮してるのかしらね。(ゆうこすを見よ、短パン社長を見よ、肩書きを自分で作り、「前例」になって楽しく人生を生きてます)

ただでさえ大混雑の半・分解展なので、トークショーも混雑が予想されています。あと少しだけ当日券もあるそうです。トークショーは聞き逃しても、展示は見てみてね。若い人たちが喜々として試着している会場の様子から、学べるところも多いはず。

fashionsnapさんは、「六本木アートナイト」と同列で紹介してくださいました! こちらです。 肩書きをいちばんに見る(というか、肩書きや著名度あるいは広告料しか見ていない)大手メディアはこういうとき、無名の若者のチャレンジを紹介していいのかどうか躊躇するのですな。笑 メディアの本質もよく見えてなかなか面白い。

Liberty and Freedom. 二種類の自由からスーツを語ってみました。
(それにしても宣伝ばっかりでどこからどこまでが本文なのかわかりませんね(^^;))

(Peak Lounge 朝バージョン)

先日、ご馳走したりされたりすることのEqualityについてちらっと書いたのですが、「ご馳走」はもちろん「ギフト」(モノでも行為でも言葉でもいい)に置き換えても言えることなのですよね。

人は「ギフトをいただいた」と感謝するとおのずから「お返し」を考え始めるものなのだと思っていました(だから政治家のギフトは禁止される。ここでは政治家や公人のギフトの例は考えないことにします)。

感謝の気持ちを表すために「お返し」すると、またそれに対する「お返し」が返ってきたりして、ぐるぐるぐるぐるギフトの循環で人生が成り立っているところがあるとずっと感じていました。

いただいた相手が「天」であれば社会に「お返し」するとか、「大先輩」からいただいたなら後輩に「お返し」するとか、とにかく自分のところで停滞させずにぐるぐるぐ回す。それがなんとか生きていくための秘訣ではないかと思っていたところがあります。

しかし、時折、それが誰かのところでストップしてしまうことがあるのですね。「頼んでもないのに勝手にくれたんだから返礼の必要はない」とか「こいつとはつきあうこともなさそうだから別にお返しの心配はしなくてもいい」とか、あるいはたんに「いそがしい」「めんどくさい」とか、ストップさせる理由は様々だと思いますし、それを咎めるものでもありません。

 

ただ。近頃、続けざまに「閉店のお知らせ」が2件、届いたのですが、実はその2件とも、私が開店に際してお花をお贈りしていたけれどもなんのご挨拶もいただかなかったところなのです。

まあ、頼まれもしないのに勝手にお祝いを贈りましたので、別に「お返し」なんてまったく期待していません。ただ、ひとことのお礼のことばもない、ずさんな扱いをされたことが、ちょっとひっかかっていました(そういうところ、まだ修行不足ですね。贈ったら忘れる、が鉄則なのに)。

負の感情は美容のために(笑)極力さっさと手放すことにしているので、そんなことも忘れていたころ、「閉店」のお知らせがきて、思い出した次第でした。

閉店に至ったのは、お花のお返し云々とは無関係かもしれません。でもほんの少し、ああ、やっぱりそうなるのか、という納得感もあったのです。

世の中は、ほんとうにデリケートな、あまり表立って口にされない、人の心の機微のぎりぎりのバランスの上に成り立っている、と思うことがあります。私への対応は氷山の一角だったのかもしれない。

偉そうに言っててうっかり忘恩してることがありそうなのがコワいですが。ブーメランにならないよう、受けた御恩はひとつひとつ受けとめて次に送り続けるということを意識的にやらないといけないですね。ということを「閉店」のお知らせを見てあらためて自戒したのでした。

某高校で聞いた村上世彰さんの講演では、お金は停滞させず投資し続けることが大事、そうすることで経済全体が豊かになっていき手元に返ってくるお金も増えていく、という話が印象的でした。同じことが、「ギフト」についても言えるんではと思った次第。「ギフト」は停滞させず、ぐるぐる贈り続けることで周囲が幸せになっていき、結果、いつになるかわからないけど手元に返ってくるサプライズも増える(ことがある)。経済も人生も循環こそが鍵。循環してないと生命体も死んでしまいますもんね。

 

 

 

 

 

 

 

さて。

プロフィル写真のデビ夫人風(マリアカラスと注文したんだけどなあ…(^^;))がいくつかの媒体からNGが出たので、おとなしく撤回し、撮り直しました。たいへんしつれいしました。2018年夏バージョンのリラックスモードとビジネスバージョンでございます(「誰もかあちゃんの写真なんか気にしてないからいっこでいいんじゃね?」と次男からつっこみが)。

 

これまでにいただいたたくさんの「ギフト」のお返しのつもりで、出力全開で仕事をしてまいります。試行錯誤も多々あるかと思いますが、どうぞよろしくご指導ください。

 

 

性差別に対して敏感な時代ですが、そんな時代においてなお名前にわざわざ「女史」をつけられることがあります。

これは性差別用語に相当するNGワードであり、名前にそのようにつけられた人が不快になるということを知った上で、意図的につけていると解釈してよいものでしょうか。持ちあげるふりして実は距離をおいて侮蔑している、そんなニュアンスが感じられて悲しくなります。

あるいはまったく無自覚に使っているのであれば、すぐにボキャブラリーから捨て去ったほうがよい言葉です。ふつうに男性と同じように「氏」でいいのです。「氏」で。

 

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性差別ついでに、「割り勘」についての私の考えをちょっこっと書いておきます。あくまで自分の社交上のスタイルなので、一つの例として、こういう考え方もあるのねという程度に読み流していただければ幸いです。

私は「割り勘」での食事をめったにしません。仕事であれ、プライベートであれ、ご馳走するか、ご馳走していただくか。その場で計算して割ったりすることはほとんどありません。レストランで小銭まで勘定して割り勘にする、そんな情景を繰り広げるのはレストランにも失礼ですし、せっかくの夢見心地がしらけてしまうので、お支払はできるだけどちらかがまとめてスマートにするものではないかと思っています。相手が女性でも男性でも、高級レストランでも大衆居酒屋でも、です。

ご馳走していただいた場合は、大々的に感謝し、次回どのように「お返し」をするか、真剣に考えます。後日、サプライズで花を贈ったり小物を贈ったり、仕事であれば期待される以上の成果を出したり、あるいは次回のレストランは自分が考えてこちらでもつとか、素敵なご縁や機会をご紹介するとか、その人にとって良いパブリシティを陰に陽にしてあげるとか、何らかの形で「結果として、平等かそれ以上」にもっていくように努力します。すると相手がまた予想外の「お返し」してくれたりして、そのようにしてなかなか楽しい人生が開けていきます。また、相手がご馳走するのが楽しいからしている、というような大物ケースでは、その場は派手に感謝して、「社会へお返し」のつもりで、今度は私が後輩にご馳走します。そうやって、結果としてぐるぐるぐるご馳走が循環しているというイメージです。

「お返し」を考えるのが心理的な負担になるほどのどうでもよい相手であれば、さくっと割り勘にしておくのがよいのかもしれないですし、その場その場ですっきり割っておくほうがわかりやすく「平等」なので気が楽という考え方も、もちろんわかります。ただ、私にとっての「平等」というのは、同等の金額を負担するということでは全くないのです。同レベルの喜びや価値を互いに与えあうことが「平等」だと思うので、ご馳走される時にはその場を盛り上げるためのドレスアップもしますし会話のネタも仕込んでいきます。さらに後日「お返し」を考えるわけですから、経済的な価値だけで見ればこちらの方が圧倒的に「損」しているように思うこともあります。笑

でも、感動ですとか非日常の楽しさですとか新しい何かの発見ですとか関係の構築ですとか、経済的な価値に還元されない豊かさの価値を考えると、やっぱりこうするほうが感謝も大きくなり、面白い人生を送れるのではないかという気もしています。たとえファーストフードであれご馳走されたり、機会であれご縁であれモノであれ何か贈られたりしたら、「ゲームが始まったな」と思って私はお返しを考え始めます。ゲームにふさわしい相手であれば、お返しラリーが続きます(途中、間延びすることもありますが、それでも価値観がそれほどずれていなければ、最終的なゲームオーバーにはなりません)。その場での割り勘は、ゲームをする必要がないという意志表示と受け取ります。

 

こういう考え方は、すべての人にあてはまるというわけではありません。くどいですが、念のため…。エラソーに聞こえたら、あるいは自慢たらしく聞こえたら、申し訳ありません。世代間でも価値観や役割感の大きな違いがありますし(私など息子たちにいつも化石人種と笑われています)、お互いの価値観が合っていれば、割り勘にもいいことがあると思います。それぞれの価値基準を大切にして、心によどみのない、快適な社交スタイルを作ってくださいね。

 

 

The worst form of inequality is to try to make unequal things equal. (By Aristotle)

 

 

 

 

 

最近話題の「スーツにスニーカー」について原稿を書きました。

 

近日中に活字になるかと思います。

反論も目に留まるだけ見てみましたが、「スーツには革靴を合わせることになっています」という類の原理原則主義をかざす前に、やはり少し歴史を俯瞰してみるのもよいかと思うのです。原理原則をふりかざすならば、それはいつ誰が決めたのか、なぜそうなのかを明確にして、さらに日本人がそれに従う意味を論じなくては説得力がありません。

服装をめぐり、古今東西、「絶対的な正しさ」なんて存在したことはありません。その時代のさまざまな条件がからみあい、落としどころのいいところで落ち着いている。それが10年以上安定して続くようになればその文化圏のcostumeになり、やがて慣習customになっていきます。

 

日本の現行の「礼服」システムにしても、そもそも140年ほど前に宮内庁が定めたあたりからおかしな点が多々あることは、しばしば指摘されている通りです。「少なくとも自分が生きている間にはみんなそうしていたから、そういうものだと思っている」ということで慣習に従っているという人が大多数なのではないでしょうか。

 

 

だから時代が変われば服装の慣行も変わって当然。変化の兆しが訪れており、それが多くの人に支持されるとなれば、まさしく時代の変革期であるということでもありますね。ただのあだ花で終わるか定着するかは、これから10年かけて観察したいところ。

 

スニーカーがらみで。波乱万丈のナイキ創業者の物語。フィル・ナイトの赤裸々な「ヒーローズ・ジャーニー」から起業家精神を同時に学ぶことができる。感情を揺さぶられながらビジネスの発想も学べる。映画化希望。

米山隆一氏に関する週刊誌報道、それに便乗した「エリート」バッシングの記事などを目にするにつけ、残念でなりません。

東大医学部を出て医者になり、さらに弁護士資格も取得し、政治家に転身して新潟県知事にまでなった方とあれば、その頭脳は日本の宝。報道されていること以上のことはわかりませんが、本人の釈明が正直なものであるとするならば、女性に対する接し方があまりにも無知で無防備、ナイーブだったことに起因した不祥事だったようにも見えます。

今回のような、バランスを欠いたエリートの失脚事件を残念に思うゆえ、また、同様の社会的な損失を二度と出さないためにも、かねてから書いたり話したりしてきたことを今一度、提言したいと思います。

男性は、人生のどこかで、「ソーシャル・グレーセズ」(Social Graces)を学んでおくことが絶対に必要です。紳士として世界のどの場面でも敬意を払って扱ってもらえるような、社会的な品格のことです。それを感じさせるための社交術といってもいいかもしれません。

女性が身につけておくべきSocial Gracesに関しては、フィニッシュング・スクールやマナー・スクールなど民間に教育機関が多々あり、また女性は好奇心も行動力もあるので自ら学びとっている人も多い。しかし男性、とりわけ高学歴エリート男性となると、そんな暇もないどころか、そもそも学ぶ必要性すら感じていない方も多い。女性、というかそもそも「人」に対する接し方ひとつ知らないまま仕事に明け暮れてしまう結果、今回のような落とし穴にはまってしまうケースが生まれたらとしたら、それまでの膨大な努力も一瞬で泡になってしまう。本人にとって悲劇であるばかりではありません。長期間にわたり彼に対して費やされてきた莫大な教育資本が無駄になってしまうのですよ。社会的な損失は計り知れません。

高校時代までは学ぶ機会も動機もなく、社会人になってからは学ぶ時間がとれないということであれば、大学の教養課程のカリキュラムに押し込んでしまうという方法もあります。まずは東京大学から教養課程で「紳士のためのソーシャル・グレーセズ(Social Graces)」を必修としてみたらいかがでしょうか。世界の舞台で恥をかかないスーツの基本着装法に始まり、プロトコル、フォーマルのルールはもちろんのこと、レストランや各種社交のシーンでの振る舞い方、女性に対する接し方にいたるまで。表層のハウツーや決まりを教えるのではなく、なぜそうするのか? その起源はどこにあるのか? その行動をとることによって(あるいはとらないことによって)どのような結果の違いが生まれるのか? 国や地方による違いがあるのかないのか、それはなぜなのか? というところまで踏み込めば、十分、アカデミックな講義になるでしょう。

海外のエリートは、といっても国によりさまざまですが、たとえばイギリスのエリートに関していえば、パブリックスクール⇒オクスブリッジという教育環境(校内だけでなく、そのソサエティの社交場面を含みます)や、家庭環境のなかで、ごく自然に社交のルールやスーツの着こなし、女性のエスコート方法などを学んでいます。日本のエリートにそのような環境が欠けているとするならば、早いうちに学んでおく環境を大人が作ってあげるのも手です。

 

 

東京大学に対する世間の偏見を思うと嫌味に聞こえたら申し訳ないのですが、決して自慢でもなんでもなく淡々とした事実として、私は学部から大学院博士課程までトータル12年間、東大で学ばせていただいたうえ、英語の非常勤講師として6年ほど教育に携わる機会もいただきました。だから、東大にはとても感謝しているのです。お世話になった母校の名前が、こういった不祥事のときにここぞとばかり軽蔑や揶揄の対象にされることに、日本の「東大嫌悪」を痛感して、いたたまれない思いがします。一学年3000人も入学するので、実にバラエティに富んだいろんな人がいます。ただ、女性が圧倒的に少ない環境であったために(今はずいぶん改善されていると聞きますが)、女性との普通な接し方がわからないまま女性をいくつかの種類にステレオタイプ化して見てしまう男性も少なくなかったように思います。

エリートによるセクハラや、それに対するエリートによる時代錯誤的な反応、あるいはエリートによる「女性との交際における過誤」を見るにつけ、このような状況を今後、現出させないためにも、ぜひとも、社会的品位も身につけた紳士エリートを東京大学から輩出してほしいのです。もちろん、東大ばかりではありません。家庭でそうした教育を十全におこなうことが難しいとなれば(実際、私自身がひとりで息子たちを教育することには苦労していますし、限界も感じています)、各大学あるいは各専門学校においても、社会的品格のための教育の機会をなんらかの形で設けるべきです。問題が表出した事件はおそらく氷山の一角。10年後、20年後の未来を見据え、Social Graces教育は必須です(ひょっとしたら教員世代の教育から始めたほうがよいのかもしれませんが)。

 

 

“There’s a certain pattern that exists with geniuses – an eccentricity, a lack of social graces and an inability to really communicate with mere mortals.” (By John Noble)

 

ソーシャルグレーセズを欠いていてもコミュ力がなくても、場合によっては人を魅了することもあるんですよね。天然でおそろしくチャーミングな天才であるとか、あるいは人類の「進歩」(があるとすれば)に多大な貢献をするような度はずれた研究成果を出す大秀才であるとか。こういう人材をざくざく輩出していただくなら、上の提言、もちろん撤回です。

 

 

 

 

 

 

 

上は、昨年、ロンドンでダイアナ妃のデザイナーだったポール・コステロ氏にインタビューしたとき(日本人初だそうです)に、コステロ氏が「記念に」とその場でさらさらと描いてくださったデザイン画です。A3サイズだったので縮小してコピーし、データ化しました。もちろん原画は宝物として残しておきますが、やはり多くの人に見てもらってこそいっそう価値が上がるものもあります。

 

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読者や視聴者のご意見から、予想もしなかった面白い視点を与えられることがあります。最近もっとも印象に残ったのは、銀座ローターリークラブの会長さんからの、私の講演後のまとめのお話でした。「ホリスティックにファッションをとらえていらっしゃるので、生活のあらゆる側面に意識を向けることにつながり、また、これだけ多くの観点からファションというものを考えていれば、生涯を通じて楽しくご研究を続けていけることでしょう」という趣旨の話でした。

「ホリスティック」という言葉は医学ではよく聞きますが、こういう使い方もできるのか、という発見がありましたし、なるほどたしかに、ここまで視野を広げておくと、重点をその時々でホットになる観点に移せばよいので、飽きるというはなさそうですね。

 

何度か掲載していますが、私が自分のFashion Studiesにおいて定義している「ファッションの構成要素」です。↓

 

既成の定義がキュウクツだ、と感じたら、誰にも迷惑をかけないかぎりにおいて、自分で書き換えればよいだけのこと。「リベラルアーツ」の起源は、人を奴隷状態から解放するための学びであったことを忘れずにいたいですね。

 

People and land need healing which is all inclusive – holistic. (By Allan Savory)

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆トークショーのご案内です☆☆☆

「半・分解展」東京・名古屋、各会場で、世界にも類を見ないこの展覧会をプロデュースする長谷川彰良氏とのトークショーに登壇します。

「体感するファッション史 ~半・分解展の現在~」 Save The Date!

<東京会場>

日時 5/26(土)14:00~15:30 (受付け開始 13:30)

会場 東京都渋谷区桜丘町23-21 10F 文化ファッションインキュベーション

聴講料 2,000円

お申し込みは、こちらからお願い申し上げます

 

<名古屋会場>

日時 6/17(日)13:00~14:30 (受付け開始 12:30)

会場 愛知県名古屋市東区大幸南1丁目1−1−10 カルポート東 4F ギャラリー矢田 第一展示室

聴講料 2,000円

お申し込みは、こちらからお願い申し上げます

 

昨日の朝日新聞の鷲田先生コラム。

「渋好み」を説明するのにこのめんどくさい感じ、いいですね。渋い。

 

 

☆☆☆

以下は、最近、目に余るなあと思うことに対する苦言。

広報やマーケティングの方法に唯一絶対の正解はないけれど、明らかにこれは逆効果だろうと思われることが横行しています。

一度、名刺を交換しただけの人に、メルマガばりに不特定多数向けの広報メールを勝手に送りつけること。よかれと思って送っている方、ほんとうに宣伝効果があると思っていらっしゃいますか?

正直に申し上げますと、早急に返信の必要な仕事の大量のメールの合間に、この手の宣伝メールが入ってくるのは、決して好感をもてることではありません。

「名刺交換させていただいた方にお送りしています」という注意書きが入っていることが多いですが、こんなことが常態としておこなわれるならば、名刺交換することさえ恐怖になります。「一斉メールは不要です」といちいちお断りするのも気を使い、せっかくお会いした方なので、その旨を丁寧に書きますが、それはそれで時間もとられます。

ほんとうにその企業なり人なりのコアなファンで「ぜひ読みたいから送ってください」という顧客の方にのみお送りされたらいかがでしょうか? それこそお金を払ってもメルマガとして読みたい、というくらいのファンであれば効果的かもしれませんが、そうでない場合、かえって企業のイメージは、宣伝メールが送りつけられてくるたびに、「コミュニケーションの何たるかも知らない迷惑な会社」として、下がるばかりです。(ご自分が受け取る立場になって想像してみれば、すぐにわかることだと思います。)

迷惑メールが来ないかぎりにおいて、御社のご発展を心よりお祈り申し上げております。

“There is a time and place for publicity, but to stay a sane person, you must have a personal life. ” (By Liam Hemsworth)

 

 

 

日本経済新聞土曜夕刊連載「モードは語る」。

本日は、日本特有の礼装「カップルなのに男性はモーニング、女性は黒留め袖」の起源について思うところを書きました。ぜひ、読んでみてくださいね。

参考文献は、先日ご紹介いたしました小山直子さんの著書です。

 

みなさん、あの和洋混合の礼装を奇妙だと思っていないんでしょうか? 式場に和洋とりどりの装いの方がいらっしゃるというのはとても素敵だと思いますが、カップルなのに和洋別々、というのは何なのでしょうか。「そういうものだ」というふうに式場から言われるから、まわりがみんなそうしているから、よけいなエネルギーを使わないように従っておく、という方が圧倒的なのではないのかと憶測するのですがいかがでしょう…。

私はそういうのが耐えがたいのですよね。なぜ明らかに奇妙な組み合わせなのに「みんながそうしているから」「これまでそういうものだったから」という理由だけで従わなくてはならないのか。

せめて起源を知りたい、最初に「決めた」のは誰なのかを知りたい、そんな奇妙な組み合わせを平気で「そういうものだ」ということにしてしまえるメンタリティの仕組みを明らかにしておきたい、と考えながら読んでました。

 

それにしても、「みんなそうしているから」という意味不明の理由だけで周囲と同じことをするなんてまったく理解できない、という性格ゆえに、しなくてもいいソンをしてしまっていること多々でした(今もだが)。自分ひとりだけだったらすがすがしく生きていられるけど、子供までそんな背中を見ているから「巻き添え」にしてしまったな、と哀しく思うこともあり。

がっちり日本的な組織人が言う「個性が大事」「多様性が云々」は口先だけのことが多い。今年初め、あるファッション関連の団体のパーティーに出席したら、1000人ほどの出席者のうち女性は一割もいなくて、全員、誰が誰だか見わけがつかないダークスーツ。そして壇上でスピーチする、ダークスーツ軍団の中の一人が「多様性に向けて……」とか話している。シュールでした。

 

<追記 アップしますね>

 

☆☆☆

さて。フォーマルウエアの話題ついでに、以下、お知らせです。

「一般社団法人日本フォーマルウエア普及協会 (Japan Formalwear Culture Association)」の設立記念パーティーがおこなわれます。

前半はプレス向けですが、夜の部はフォーマルウエアに関心のある方でしたらどなたでもご参加できます。

4月18日(水)19:00~21:00 ザ・リッツカールトン東京 2階グランドボールルームにて。

詳細は協会の専務理事、赤木南洋氏までお問い合わせください。m.akagi@nifty.com

 

 

ファッション誌を見ていて湧いてきた疑問。

なぜ、「知的なファッション」となると、無彩色だったり、ミニマルだったり、反・色気だったりに偏るのでしょうか?

カラフルで、デコラティブヴで、セクシーな「知的ファッション」だっておおいにアリでしょう。

私が「この人、痴的なフリして知的だ!」と感動する人はみな、セクシーでカラフルでデコラティブなんですよ。

ミニマルな無彩色が「知的」なイメージを伝えやすいというのは、わかる。そのコンセプトに異を唱えるものではありませんが、ステレオタイプなイメージの枠どまりになっていることそのことじたいが、想像力の貧しさを感じさせる。

 

 

“All genuinely intellectual work is humorous.” (By George Bernard Shaw)

 

 

 

地元の桜も愛でておかなくては。月の初めのお参りついでに、車で数分の寺家ふるさと村です。悠々とした時間が流れている場所です。以下、写真集です。

“The greatest discovery of all time is that a person can change his future by merely changing his attitude. ” (By Oprah Winfrey)


“Real nobility is based on scorn, courage, and profound indifference. ” (By Albert Camus)


“Elegance is not a dispensable luxury but a factor that decides between success and failure. ” (By Edsger Dijkstra)

“You don’ t buy luxury to enter a community, but to set yourself apart from others.” (By Francois-Henri Pinau)


“Be Impeccable With Your Word. Speak with integrity. Say only what you mean. Avoid using the word to speak against yourself or to gossip about others. Use the power of your word in the direction of truth and love. “ ( By Don Miguel Ruiz)

Sakura icecream. Yummy.

「千鳥が淵」に近い会場でアンティークコインのセミナーでした。帰途、ライトアップされた夜桜を見ながら歩く至福。以下、夜桜の写真集です。


Mysterious and profound serenity.  “The only thing I was trying to portray was serenity.  Also, innocence, vulnerability and elegance.” (By Sylvia Kristel)

“Fortune and love favor the brave.”  (By Ovid)


“Follow your bliss and the universe will open doors where there were only walls.” (By Joseph Campbell)

“Price is what you pay. Value is what you get.”  (By Warren Buffett)

“It is no use saying, ‘We are doing our best.’ You have got to succeed in doing what is necessary.” (By Winston Churchill)

“Turn your scars into stars. ”  (By Robert H. Schuller)

“Every production of an artist should be the expression of an adventure of his soul. “(By W. Somerset Maugham)

“It is by going down into the abyss that we recover the treasures of life. Where you stumble, there lies your treasure. ” (By Joseph Campbell)

“Every new beginning comes from some other beginning’s end.” (By Seneca)

“Every great work makes the human face more admirable and richer, and that is its whole secret.” (By  Albert Camus)

 

 

人を褒める効用についての、澤円さんの記事

私も人を褒めまくるタイプです(ブログをご覧になっている読者の方にはとうにおわかりかと思いますが。笑)。自分の状況が苦しいときほど、意識的に人や作品のいいところを発見しようと努めて、褒めます。媚びるのとは違います。褒めどころを探して、褒めどころを作って、できれば、人前で褒める。

その人のためを思って、ということも当然ありますが、人を褒めるのは自分のためでもあるような気がしています。誰かの長所を肯定することによって、褒める言葉を探し続けることによって、関心の方向が自分から離れて、ラクになっていくんですよね。

また、ほめられた人も、たとえ少しの時間であろうと幸せな気持ちになって、さらに成長したり飛躍して大きくなったりして、結果として、こちらが思わぬときに助けてくれたりするという好循環が起きるんですよね。忘れたころに自分に返ってくるのです。(返ってこないことも、もちろんありますが、返ってくることのほうが文字通り「有り難き」ごほうびなので、ひときわ嬉しくなる。笑)

それを狙っているわけでは決してありませんが、やたら人を批判して敵を作るより、よほど世界が明るい光に満たされる気がしますし、幸運を招くことにもつながります。

嫉妬によるものなのか、人を引きずりおろそうとして、匿名でディスりまくっている方もいらっしゃいますが、そんなことをしても、いっときはせいせいするかもしれませんが、結果としてそれがなにかよい効果をもたらしたことはありますでしょうか? ディスった相手はますます人気を高めていたりしませんか? まともな感覚の持ち主であれば、不当にディスっているほうの品性や器の小ささを哀れに思い、ディスられた方にかえって同情して味方したくなるものです。

正当な批判があれば実名で指摘すべき。それでも、言い方には相当の工夫が必要です。

人前で、目の前で、とげのある言葉で批判されたことは、私にも何度かあって、たとえそれが「事実の指摘」であっても、その苦いショックから立ち直るにはずいぶんと時間がかかり、またその人と一緒に仕事をする気にはなかなかなれなかった。批判された時の沈んだ重たい感情がよみがえってきて、萎縮してしまうんですよね。結果として、自由に能力が発揮できなくなる。どんなに指摘が正当なもので、こちらが「改善」を心がけたとしても、仕事はうまくいかなくなるのです。

そういう経験があるからこそ、どうしてもなにか注意すべきことがあれば、人前ではなく、その人だけに、できるだけ柔らかな表現で伝えるようにしています。

 

人間なので誰でもイライラや不快が募ることはあると思うのですが、そのような時こそ、実は「他人褒め」が好循環への切り替えスイッチになってくれることがあります。周囲に褒める人がいなければ、映画でも本でもレストランでもなんでも。褒め言葉のパワー、侮りがたし、です。

結論: 幸運を招きたければ、褒めなさい。

 

羽生結弦選手の別格級の天使(あるいはプリンス)のスケートに世界中が興奮し、沸いておりますが(もちろん私もですが)、「滑ることが楽しくて幸せでしょうがない」というところにやはり彼の強さの本質を感じますよね。スケートのために、食事、睡眠はじめすべての生活をコントロールする。日々、自分に課す厳しさはより良いスケーターになるためのものなので、むしろ喜々として引き受ける。

 

 

羽生選手の強さ、ウメハラの魅力、アルマーニが集める敬意、基本は同じなんですよね。天の声に従った自分の才能の発揮を最大限(というか限界を定めず)にやりきっていくところ。幸福の基準を、日々の成長の実感そのものに置いているというところ。パフォーマンスで人を感動させ、喜びを与えようとするミッションを引き受けているところ。

 才能を追求していく人だけが味わえる孤高の魂の旅から生まれた言葉がちりばめられていて、こちらも大好きな本。長期間の孤独のあとにごくごく少数の限られた同じ魂と出会うことができる幸せも説いている。アルマーニも仕事のためなら孤独もいとわない人。徹底的に美学を追求するために周囲に厳しくあたることもある。でもすべては仕事のクオリティを保つため。

 

以下は「勝負論」のなかでもとりわけ普遍性を感じるフレーズ。

・「さんざん常識やセオリーにいちゃもんをつけ、時間をかけて定石を学んだ人は、抜け出した後のバリエーションが圧倒的に違う。縦横無尽に遊び、好き勝手に活躍できる。結果として、誰も知らなかった価値、誰も目にしたことのないスーパープレーを生み出せるのだ」

・「(トンネルを抜ける瞬間の感覚) 真っ暗闇が終わるときは、それらがすべて、有機的にがっちりと自分の中でつながる感覚になる。同時に、そのゲームとは直接関係ないはずの感覚や経験、教訓も、一緒に再編成されていく。(中略)そこまでには、随分な時間がかかる。でもたどり着いたら一瞬で景色が開ける。そして、そこに行きつけた時の感覚は、ただただ、喜びしかない」

・「観客が感動するような、興奮するようなプレーは、『遊び』からしか生まれない。(中略)観客はプレーヤーの人間的な成長も物語の一面として見ているし、成長のためには『遊び』が必要不可欠なだぶつきである。『遊び』がないことを、もっとリスクとして認識したほうがいい」

・「教えられたり、教えたりという関係のなかで本当に大切なのは、あるジャンルのテクニックではないと思う。もっと人間的なことなのだ」

・「成長し続けることができれば、実はどんなレースにも対応できるようになる」

・「安心感や充足感は、ずっと成長し続けていることだけによって得られる。今成長し続けていれば、きっとこの先だって大丈夫だ。そしてそう思えることそのものが幸せのかたちだと思う。それこそが報われている状態なのだ」

 

どさくさに紛れて下に貼ったのは、

昨年、梅原大吾氏が慶應でおこなった講義。オフィシャルBeasTVにアップされている。春分の日にNHK文化センターで聴いたものとテーマも内容も異なるが、こちらも誠実を感じさせるトーク力で聴衆を釘付けにしているのが伝わってくる。

・周囲の期待に応えない(あなたの思うやり方ではないけれど、あっと言わせるやり方で応える)

・勝負前の気持ち。ノッているときには「おまえら、見てろよ今からすごいことやってやるぜ!」「沸かせてやるぜ」。そうではないときには「勝てるといいな」。

この感覚。「見てろよ今からすごいもの見せてやる」。これが目先の勝ち負けではなく、長期的に見た日々の成長の実感に幸福を感じながら生きている人の底力。

羽生選手の「どうだ観たか」といわんばかりのイーグルポーズにも同じものを感じました。天使と野獣(笑)、どこが同じなんだ一緒にするなと言われそうですが、私には同じ魂の持ち主に見えます。

 

(以下は、羽生選手の演技にうっとりしている方はスルーしてくださいね(^^;) 同じ魂の美しさを見てしまう私がおそらく変人なので)

 

 

銀座の泰明小学校がジョルジオ・アルマーニの制服(標準服)を採用するということで議論が百出しています。

決まるまでにはそれなりの複雑な事情があったはずなので今の段階で安易に是非を議論するつもりはありません。

ただ、一部イメージだけで、アルマーニを「下品」呼ばわりするニュースやSNS投稿などが目に余るにつけ、スルーしておくべきなのかもしれませんが、やはり敬愛するジョルジオ・アルマーニのために一言、擁護しておきたいと思いました。

 

ジョルジオ・アルマーニは高潔な方で、東日本大震災のあといち早く、震災遺児のために多額の寄付をしていらっしゃいますし、その後のプリヴェ(オートクチュールコレクション)では、日本文化を激励し、賛美する作品を展開して、震災直後の日本を経済的・文化的に支援してくれたのです。今生きているデザイナーのなかでも最も志高く、勤勉で、寛大なチャリティ精神を発揮している一人であることは間違いありません。

そのようなアルマーニの功績も知ろうとせず、一部の偏ったイメージだけで下品呼ばわりすることは、恩を仇でかえすようで、聞くにしのびません。

日本のブランドを採用しないのかという声も出たようですが、イングランドのサッカーチームは、ユニフォームとして(サヴィルロウではなく)イタリアのアルマーニのスーツを着ていたりします。アルマーニ・ジャパンも銀座で長くビジネスをおこなっていることを思えば、そこに国粋主義をもってくることもどうなのかなという気もいたします。

 

とりあえず2018年度は採用されるというアルマーニの制服(標準服)。もう決まってしまったことなので、どのような「効果」があるのか、あるいはないのか、じっくり観察する絶好の機会と、ひそかにとらえています。

 この本、名作です。アルマーニブランドを着る生徒さんが、ジョルジオ・アルマーニとはどのような人物で、どのような意志をもって一代でアルマーニ帝国を築いてきたのか、学ぶチャンスになるといいなと思います。

 

 

*この問題は別のところに論点があり、アルマーニが本題ではないことはもちろん重々わかっておりますが、今はその全貌がわからないので議論しません(しつこいですが)。当事者でもないし。ただ、百出する議論のなかで「下品な海外ブランド」とか「ちゃらいブランド」のような表現でアルマーニが言及されることについて耐えられなくなり、その点のみ、擁護した次第です。

最終講義(22日)の感動もさめやらぬまま追い立てられるように外へ出るとすでにかなりの積雪。この日予定されていたプレゼミOBたちとの飲み会も延期となり、早々に帰宅する……はずでした。

 

ところが渋谷駅がとんでもないことに。田園都市線の改札から密集した人々があふれ出ていて、その「人の塊」が動いていない。少しがんばってその後についてみたけれど、すぐにあとに人が続き、集団に八方から押されて息ができない。これは乗るまで苦しいガマンを長時間し続けなくてはならないし、乗ってからがさらに大変だろう……途中で気分が悪くなるかもしれないし、万一、雪のトラブルで電車が停車したらそれこそ地獄だ……と想像し、閉所恐怖症ぎみの私は退散し、タクシーで帰ることにしました。

ところがタクシーもまた長蛇の列のうえ、そもそもタクシー乗り場に30分待ってもタクシーが一台も来ない。人の列だけが長くなっていく。もちろん、流しのタクシーはすべて誰かがすでに乗っている。ホテルのタクシー乗り場に移動しても、同じ状況。タクシーを探す間にも雪は降りしきり、凍死しそうになってくる。

 

まずは食事しながら人が減るのを待とう……と思いゆっくり時間をかけて食事をしたあと戻ってみると、さらに帰宅困難者が増加し、どこもひどい状態に。

 

この時点でさすがに帰宅をあきらめ、都内に泊まっていくことを決め、幸い、ザ・プリンスさくらタワーにぎりぎり部屋がとれました。ほかのホテルはすでにどこも満室だった。この日はレストランはキャンセルが多かったそうですが、ホテルは特需だったようですね。


ホテルに向かう前に、品川プリンスの最上階、Table9でたまたま知人たちが集まって飲んでいたところに合流させていただけるという幸運。最上階からの眺めはいつもの東京とは違う非日常感があり、楽しくおしゃべりしながら3杯ほど美味しいお酒をいただきました。お隣のさくらタワーへ向かう途中も、夜の積雪風景は幻想的なまでに美しく、人通りが少ないこともあり、興奮しながらあちこち写真を撮りつつ移動していたら寒さも感じないほど!

(こちらは、新高輪プリンスのロビーラウンジから見える庭園の風景。ガラスに小市さんデザインによるロビーラウンジの照明が写り込んでいます)

 

さくらタワーはこのまま住みたいと思えるような、洗練された居心地のよいホテル。広々としたバスはジェットバスで、冷え切っていた身体も完全にあたたまり、上質なベッドリネンで癒されました。


(満開の桜のようにも見える、雪のふりつもった樹の美しさときたら。満員電車を選択していたら味わえなかった感動)

慣習に逆らった方向へ、人込みとは逆の方向へと向かったら、予想外の楽しみが次々に訪れて最高の夜になったという、なんというか、天の啓示を感じるような、これから向かう未知の冒険を激励してくれるような「最終講義の夜」でした。



(部屋から見える貴賓館。夜と朝)

 

朝は快晴。青い空に真っ白い雪。最高に澄んでいた朝でした。(前夜の雪の中でのしばしの行列がたたり、少し悪寒はしたけれど)


ザ・プリンスさくらタワー。地下にはサウナや大きなプールバスのあるスパもあり、広い日本庭園を通して新高輪プリンス、グランドプリンス高輪とつながっています。クラブラウンジも厳選されたフード&ドリンクが品よく提供され、外国人ビジネス客が9割ほどを占めていました。大雪のあおりで予定外の宿泊となりましたが、かえってリフレッシュできました。また泊まりたいホテル。

 

?本日、心のピントが合ったDaigo Umehara のことば。「安全そうな道を行くと、結局それが行き止まりになる」。

 

2017年もまたたく間に暮れてしまいました。

今年はたくさんのメモラブルなイベントに彩られています。

・ドルチェ&ガッバ―ナのデザイナー二人が二十数年ぶりに来日、日本経済新聞で単独インタビューをさせていただいて記事を書いた。

・ドル&ガバのふたりはその後、秋にも再来日。イタリア大使館でのアルタモーダのショー&ランチに出席させていただいた。デザイナー自身による、「ファミリー」の感情を喚起するためのマーケティング手法をまのあたりにした。

・日本経済新聞では二度目になる連載、「モードは語る」が始まった。

・読売新聞「スタイルアイコン」の連載が10月に5周年を迎え、6年目に突入した。

・北日本新聞「ファッション歳時記」の連載が75回を記録した。

・IWCとForbes Japanの共同企画でスイスのシャフハウゼンに行き、時計ビジネスのすべてを取材できたばかりか、伝説の時計師クルト・クラウス氏と食事しながらインタビューするという幸運に恵まれた。その間、滞在したのはスイスの国境を超えたドイツだった。


・IWC関連ではその後、大阪でトークショーをおこない、12月にはForbes Women Award 2017に登壇した。


・ロンドン・ファッション・ウィーク・メンズを取材し、日本経済新聞に執筆した(誕生日をロンドンで迎えた)。

・ロンドンでは引き続き、ケンジントン宮殿でのダイアナ妃展を取材、およびダイアナ妃のデザイナーだったアイルランド人、ポール・コステロ氏に日本人として初めてインタビューをおこない、日本経済新聞に執筆した。

・フィレンツェのPitti Imagine Uomo、第92回を取材、CEOのナポレオーネ氏に現地で単独取材を申し込み成功、日本経済新聞に執筆した。

・ニュージーランドを縦断した。

・Men’s EX, Isetan Mens, Grand Seiko, Tokyo Station Hotel共催の大きなイベントTokyo Classic に着物ドレスで登壇、Men’s EX 編集長の大野陽さんとトークショーをおこなった。(大野さんにとってはMen’s EX編集長としての最後を飾る仕事になった。)スモール・ラグジュアリー・ホテルを謳う東京ステーションホテルの、外資系や巨大ホテルにはない魅力を満喫した。日本最高峰、グランドセイコーの美しさと使いやすさを再認識した。

・大学のゲスト講師としてエトロのデザイナー、キーン・エトロ氏と、ギネスブックにも載るモデル、パンツエッタ・ジローラモ氏を招き、レクチャーしていただいた。ブランド(エトロ)とメディア(LEON)と大学を巻きこみ、その前後含めて、お祭りのように盛り上がった。

・大学のゲスト講師として、尾原和啓さん、澤円さんといった、ビジネス界の最前線で活躍する方々をお招きすることができ、その後の懇親会も盛り上がった。学生のモチベーションが面白いほど上昇したばかりか、澤さんのプレゼン方法をすぐまねる学生が続出し、即効性に驚いた。

・JA誌に執筆した中東の大スター、ナジワ・カラームの記事がご縁となり、アラブ駐日大使夫人関係のネットワークが生まれた。

・ホテルのレクチャーコンサルタントとしてのオファーを受け、ホテル全般の各種企画やイベントの現場、および舞台裏に関わらせていただいた。自分がこれまで築いてきた信用やネットワークや知識が現実のビジネスに思わぬ形で活かせることは望外の喜びだった。

ほかにも充実していた仕事はほんとうにたくさんあって、この一年で交換した名刺の数はおよそ600枚。国内、国外で、多くの方々と言葉を交わした。

一方で、お約束しておきながらまだ果たせていない仕事もあり、成果をすべて否定されるような絶望的な経験もいくつかした。口約束をすっかり信用していたら、手ひどく裏切られ、あるいは素知らぬ顔でハシゴをはずされ、取り返しのつかない結果をつきつけられたりもした。規則偏重のあまり現状に不条理なねじれや不幸が生まれているのに、それでも規則第一で人間を取り換え可能な部品として扱う硬直したシステムにも振り回された。世間知らずな自分の甘さを思い知らされると同時に、本来の「正しさ」「フェアネス」「リベラルで合理的な配慮」というものが完全にないがしろにされている狭量な空気にやり場のない憤りを覚えた。カラフルでエキサイティングな出来事の合間に苦しい思いに押しつぶされそうになったこともある一年だったが、最終的には、やはりプラスマイナスゼロになるようにできているのかもしれないなという諦観に落ち着いている。

よいこともそうでないことも全部、自分が招いたこととして潔く引き受けて、喜怒哀楽すべての感情を味わいつくしたら、手放し、いったん自分自身を燃やしてしまうつもりで無になって、また新しく再生します。人の役に立ち、世の中にも貢献でき、さらに自分自身も新しい発見でワクワクし続けられるような仕事を続けていきたいと願うなら、そんな仕事にふさわしい丈夫で大きな器に再生するしかない。

年越してしまった仕事は早めに終わらせます。ごめんなさい。

読者のみなさま、今年もおつきあいいただき、ありがとうございました。(ブログが)コピーできないと苦情をいただいたのですが、理由があります。美術館や配給会社から作品の写真を提供していただくときに、「コピー不可にして掲載すること」という条件がつくことがあるのです。また、自分や友人の写真が、不愉快なサイトに不本意に加工されて使われていたことがあり、安易にコピーできないように設定した次第です。(本気でコピーしようと思えば、方法はあるのでしょうが。)ブログ本文に関しては引用していただくほどのたいした意見を書いておらず、推敲した公用の文章は活字媒体あるいはそのウェブ版で掲載しています。いまやSNSの気軽な投稿も「パブリック」といえば「パブリック」とみなされるので、私の中でのこのような線引きも身勝手なのかもしれませんが……。

本HPは仕事のアーカイブや記録を目的に開設したこともあり、現在まで広告をまったくつけず、むしろ費用を払い続けて運営しています。アマゾンアフィリエイトはほとんど利益にはならず、リンク先で本や映画の詳細をより知ってもらえるという程度の役に立っています。来年、リノベーションを行う(予定)にともない、方向転換することもあるかもしれませんが、いまのところ、そのような方針です。たいへん勝手なことながら、どうぞご理解ご寛恕いただけますと幸いです。

 

重ね重ね、読者のみなさまに心より感謝申し上げます。ときどきコメントをいただけること、とても嬉しく思っております。どうぞ、みなさま、佳い年をおむかえくださいませ。

with Love and Respect.

 

 

 

 

 

 

寝不足続きの上、バイクレースのおかげでタクシーに乗れず歩きどおしで疲労も極致に達していたので、19:30から始まる夜のイベントに備えていったんホテルへ戻って1時間ほど仮眠をとることにしました。

ところが、うとうとしかけたところでけたたましい火災報知器の音が鳴り、万が一本当だったら、と思ってパスポートとお財布だけ持って部屋の外へ。しかし、どうやら間違いらしいと他の客が言うので様子を見ていたら、2分ほどさらになり続けたあとに終了。でもあの音は心臓に響きますね。ドキドキしたまま部屋に戻り、再びうとうとしかけたところ、またしても火災報知器。念のために、もう一度出てみる。やはり間違いとのこと。このときはなんでもなくて幸いでしたが、この誤報事件の翌日、ホテルのあるストランドからは離れるのですがロンドンの高層住宅の火事が発生し、思わずあの報知器の音を思い出して身が凍る思いがしました。巻きこまれてしまった方々は、いかほど恐ろしい思いをなさったことでしょうか……。逃げきれなかった方々に、衷心よりお悔やみ申し上げます。

 

なにかと心労ばかり増え続けた今回滞在のホテルとは違い、その空間にいるだけで疲れが癒される思いがした、リージェントストリートのカフェロワイヤル(ホテル)。「オスカー・ワイルドのバー」に行きたかったのですが、


予約がとれず、ラウンジでカフェ。ここはここで優雅な時間が流れており、別格の居心地よさと安心感を感じさせる対応でした。


高い飲食代や宿泊代には、「安全」や「安心」も含まれているのですね……。

北朝鮮のミサイルが今朝もまた発射されました。情勢がいっそう緊迫していることを感じますが、直接、私が交渉に行けるわけでもなければ抗議行動をしてどうなる相手でもない。外交・防衛を担うプロフェッショナルの方々に最悪の事態を防いでほしいと希望を託しつつ、Keep Calm and Carry On.  恐れてばかりいても何もならず、避難といってもどこにどんな危険が飛んでくるのか全く読めない状態。知人のなかにはすぐに上海に飛べるような用意をしているという方もいますが、私は海外に頼れる知人がいるわけでもないし、家族をおいていきたくもない。こんな時の最善の過ごし方は、日常の業務をいつも以上に丁寧に務め、会う人に笑顔を向けていくこと、という気がしています。たとえ能天気に見えようと、とりあえずは淡々といつも通りの日々を過ごすこと。不安のなかでこそ意識的にこのように心がける一日の終わりと、その翌日の始まりが平穏だと、心から感謝したくなります。本当に大切で必要なものとそうでないものがはっきりとわかってくるのも、実は「今日を生きることができた奇跡」を実感するこんな時だったりしますよね。

さて、少し時間が経ってしまいましたが、せっかくの貴重な機会をいただきましたので、シャフハウゼンDay 3 のその2、写真と個人的な印象を中心に、記録だけ残しておきます。

Gerberstubeでのランチを済ませたあとは、再びIWC本社へ。

CMO(マーケティング最高責任者)のフランチェスカ・グゼルとの会談です。マーケティングのプロフェッショナルとしてチョコレートの「リンツ」でも働いた後、引き抜かれてIWCに来た女性です。今回の同行者のなかにマーケティングのプロが二人もいた(竹尾さんと武井さん)ことで、とりわけ質疑のときにはきわめてハイコンテクストな会話が交わされていました。

私が深く共感を覚えたのは、男性社会において女性が最高責任者としてリーダーシップを発揮するための条件の話になったときです。振り返ってみれば私も同じことを感じていたし、他の同行メンバーも大きくうなずいていたので、スイスも日本も変わらないのだなと思いました。これについてはまた別の媒体で機会をあらためて書きます。

(左から谷本有香さん、中塚翠涛さん、フランチェスカ・グゼルさん、中野、武井涼子さん、竹尾純子さん)

少し休憩をはさんだあと、いよいよ「シャフハウゼン会議」。フォーブス副編集長の谷本有香さんの司会のもと、今回、シャフハウゼンであらゆる角度から時計文化に接した4人が、「時」「プロフェッショナリズム」「美」「これからの時代に求められる価値」などをテーマに議論を交わします。詳細はフォーブス7月号に掲載されますのでここでは書けませんが、それぞれの分野を極めた結果、越境して仕事をすることになった4人の見方は各自においては一貫しているものの、互いにまったく違うもので、非常にエキサイティングでした。

まだまだ語り足りない状態でしたが、時間がきてしまい、続きは後に、移動の車の中や食事の時などに交わされることになります(笑)。実際、今回のメンバーがとてもユニークだなと思ったのは、表層的な世間話がまったくなかったことと、女子会的な同意のノリ(「そうよね~」「わかるわかる」)が皆無だったこと。いきなり「本題」的な話が始まり、「いやそれは違う」から次の議論へ続きます。それぞれの人格と貴重な時間を尊重するからこそ、そうなるんですよね。意見に違いがあるからこそ、面白い。相手の人格を尊重し、信頼するからこそ、「違う」と言える。唯一の人格から出てきた、かけがえのない他人の「違う意見」と、同じように唯一の人格から生まれた「自分の意見」を、どのように掛け合わせ、昇華させていくか。その醍醐味を知るからこその深い会話が、なんとも楽しかったのです。


(自由時間はほとんどないに等しかったのですが、熱い会議のあと、少しだけ町に出てビールを一杯、のセルフィ―)

レストランやカフェは道路までテーブルを出し、こんな光景がちらほらと。平和で穏やかな時間が流れていることの、ありがたき幸せを実感します。

 

 

 

 

 

ドルチェ&ガッバ―ナ、先週は2人のデザイナー来日で白熱した一週間でしたが。何とイタリアにご帰国後のお二人から手書きのカードが届きました(メール経由ですが)。”Dear Kaori san, It has been nice meeting you during our adventure in your beautiful country.  The interview we did together was really interesting. Thank you for your support. Best Wishes.”インタビューが本当に面白かったと、重ねてほめてくれています(ディナーのときにも、またプレスの方経由でも、そのような言葉をくりかえし、いただきました)。感激です。こちらこそ感謝!なのに。お忙しい中、こんなこまやかなお気遣いができるってすばらしいですね。滞在中にお会いになられた他の方々にも送られたようですが、なかなかできない「オートクチュールのお礼状」、この姿勢は私も見習いたい。

 

自慢記事でしつれいしました。ご寛恕くださいませ。

 

先週のイベントですが。カネボウ「コフレドール」のプロモーションで、新色を使ったメイクのあと、プロカメラマンに撮影をしていただきました。

…しつれいしました。季節が春になったということで、ご寛恕ください。(^^;)

 

さて。先週の謝恩会のあと、近くだったので立ち寄ったルパランで、美しいカクテル2種をいただきました。

まずは、ナポレオン。フレッシュなイチゴをジュースにし、シャンパンと合わせたカクテルです。すっきり目が覚め、浄化されるような味わい。お酒なのに。笑

そしてグレタ・ガルボ。見た目もクールでエレガント。味わいもなるほどきりりとジンが効いた「ガルボ」の印象。名前がカクテルに残るっていいですね。銅像を残すよりいいかも。笑

“Every one of us lives this life just once, if we are honest, to live once is enough.”   (By Greta Garbo)
「人生は一回しか生きられない。正直に生きていれば、一回で十分」

正直な声を発する、正直なことを書く、というのはおそろしく勇気のいることですね。だからこそ、そのことばは届くべき心に届くし、成し遂げたときに大きな満足感を伴う。悔いもくすぶりもないから、「一回で十分」。

 

 

“Mad Max Fury Road” 観るのは3回目だが、やはり神話的なので、進路に迷ったときにインスピレーションを得られる。さらに、細部までとことん凝ってサービスする映像に救われる。

“Where must we go, we who wander this wasteland, in search of our better selves?” -The First History Man

冒頭のことばから、すっと神話の世界に引き込まれる。

あとは「怒りのデスロード」にして、「神話のロイヤルロード」。前方に進み続けても生存の望みが薄いならば、逃げてきた世界へ戻るしかない。途中の道を闘い抜いていくならば、元の世界へ帰ることはけっして同じ世界への逆戻りではなく、ヒーローとしての帰還となる。仲間を救う宝と自分を取り戻すアイデンティティをおみやげに。

小人症の俳優の扱いもいいし、闘う老婆、火を噴くギターマンなど、愛すべきキャラがふんだんにちりばめられているところも魅力。

今回、あらためて、いいセリフだなあと感心したのが、

“Witness me!”

War Boyが命の全てをかけて戦う瞬間に叫ぶ、最後のセリフ。生きて、闘った自分の証人となってくれ、というような。

SNS時代は、なんでもかんでも ”Witness me!” ですね。ランチも、すてきな旅行も、「友情」までもが、”Witness me!”  。(皮肉ではなく、そういう状況だという事実の指摘)

そんなこんなのロマンチシズムは、イモータン・ジョーの一言で片づけられてしまいます。

“Ah, mediocre.”

ありきたり。

 

そういえば今日はバレンタインデーですね。Global Japanese Studiesの私のプレゼミ(教養講座)ボーイズには、「チョコをそわそわ待つというような受け身の男になるな。グローバル基準でいけ。花を贈れ。自らアクションを起こせ」という趣旨の指導をしております。

他人の行動に期待してがっかりするよりも、自ら行動を起こした結果のがっかりを経験するほうが、はるかに成長できます。

(もちろん、思いがけずプレゼントをもらったら、最大限に感謝し、喜べばよいのです)

街中で、恥ずかしそうにバラの花束を抱えた大学生を見かけたら、心の中で応援してやってくださいね。

“What a lovely day.”

 

 

 

などと冷めたことを言っていましたら、午前中に、宅配便のお兄さんが続々と花やチョコレートを届けてくれました。読者の方や教え子や弟子たちから、あたたかなメッセージとともに、お心のこもったプレゼントを頂戴しました。嬉しいです。ほんとうにほんとうにありがとう!

What a lovely day. Happy Valentine’s Day.

 

2.14.2017.4

abc, NYTimes, Washington Post, BBC, Telegraph などのニュースが送られてくるように設定しているが、刻々と、ものすごいスピードで事態の進展が送られてくるので、いまの時点でのかすかな不安を個人的にメモしておきます。政治評論家ではないので、以下、解釈の大雑把なところはご寛恕のうえ、スルーしてください。

 

トランプ大統領による、ほぼ連日の時代錯誤的な大統領令。国境に壁。中絶禁止。オバマケア無効。環境破壊するパイプライン建設許可。これにサインしている自分の姿をいちいち写真に撮らせてSNSにアップする。(オバマ元大統領がこんなことをしているのを見たことがないように思う。)トランプ氏の「サインするオレ様」写真は、自分の権力がどれほどのものかを確かめたくて無謀な大統領令を次々と発し、悦に入っているナルシストの写真にしか見えない。

ついに中東・アフリカのイスラム7か国からのアメリカ入国を一時的に禁止。

 

人権を無視したこの大統領令に反対を唱える大々的なデモ。アメリカ全土から空港に弁護士が集結し、ボランティアで入国者を助けようとしたり、空港で足止めを食らったり抗議している人たちのためにピザ・エンジェルが無料でピザを配布したり、難民を助けるクラウドファンディングが行われたりと、「大統領令が発せられると、アメリカが一つにまとまる」というバーニー・サンダース氏の名言に納得のヒューマニスティックな光景も繰り広げられる。

 

アメリカに入国を禁止された人々を見かねて、カナダのジャスティン・トルドー首相が「カナダは、宗教、人種、ジェンダーなどに関わらず難民を歓迎します」というメッセージを発し、世界中からの喝采を得る。

 

と思ったら、カナダのケベックのモスクで、イスラム教徒が祈りの儀式を始めたばかりのところをなにものかに銃撃され、罪のないイスラム教徒が5人が亡くなる。(その後、6人に増える。重傷者も多数)

“In this dark hour, let us strive to be the best version of ourselves.” (By Justin Trudeau)

 

これはこれからやってくる大きな嵐の決定的な始まりだろうか。混乱から衝突が起き、収拾がつかなくなると戒厳令が敷かれ、日本だって当然、何らかの形で巻きこまれる……という流れを想像してしまう。

ファッションの歴史から学んだことは、人間の美意識や流行はらせんを描いて変化していくということだ。どちらかの方向へ行けば必ず揺り戻しが来て、再びかつてきた道を通る(が必ずしも同一にはならない)。政治も同じと考えるわけではないが、かつてと同じような道をたどろうとしているように思えてならない。rasen 6

そういう憂いは憂いとして、この世界情勢のもと、まったく能天気にしか見えないファッション記事も書かねばならないし、あれこれの交渉を進め、各種の仕事を終えなくてはならない。家族のケアも。将来設計も。どれも待ってくれない。ひとりダイバーシティには切り替え力と集中力と体力が要る。それぞれの場面で、”Best version of myself” で臨むための体力が。

 

 

朝日新聞1月17日(火)、オピニオン欄「若手政策の乱」。
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小泉進次郎氏はやはり人の心に届くことばの使い手だとわかる。Men’s Exの先月号でも、シャツの着こなしのお手本として小泉氏を挙げた時、一部、業界関係者からは不服の声もあったようなのですが、スタイルアイコンはやはりルックス(着こなし)だけではなく、語ることばと行動とともに総合的に見るべきという考え方は変わりません。

「僕は政治を職業だと思っていない。生き方だと思っています。自分の意志でこの道を選んで本当によかった。もし親から跡を継げと言われて政治の世界に入っていたら、おそらく途中で心が折れていたんじゃないかな」

「いまも苦しいとき、自分の能力の限界を感じることもありますよ。でも最後は自分がこの道を選んだという事実が力として返ってくる」

「将来を考えたら、どんどん課題は大きくなる。経験知を積んでおかないと、次の高さは跳べません」

確かな口調と目力で語られるこんなことばの力があり、行動が伴い、信頼感が生まれる。そうすると見る人の目には、「美しく」見えてくる。

かっこよさだとか美しさは、単独で、鏡の中に存在するものではなく、あくまで、周囲の、その人を見る心の中に生まれる。心が幻滅すれば、どんなイケメンやダンディだって、よく見えるはずはない。

 

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10日付の朝日新聞、鷲田先生。

このようなことは最近、いたるところで感じる。(以下は、触発されて連想したことなので、上の文意とは少しずれていきます、ご寛恕)

「真・善・美」を表現すると、嫌われる。「正しさ」が正しさゆえに疎んじられる。そんなものをふりかざされても生活は崖っぷち、前途まっくら。正しいことを公言されると、そうしたくてもできない人が、自分が間違っている、無視されている気になって深く傷つく。生活と環境が窮地に追い詰められていくとそんなふうに心が反応するのは当然のことなのかもしれない。

真・善・美・正・知を屈託なく表現できるのは、「恵まれた」一部の人間だけなのだ。だからそれが絶対的にいいもの、めざすに値するもの、と何の疑問も抱かず表現してしまうと、そこに至りたくても至れない人々を傷つけてしまう、という構造が生まれる。ヒラリー・ヘイター(ヒラリーを嫌う人たち)、ドナルド支持者、ブレグジット(英EU離脱)賛成者のなかにも、このように「傷ついた」または「むかついた」人が多かったはず。

 

Post-Truthとはこういうことでもあるのか。
(客観的事実よりも感情的な訴えかけの方が世論形成に大きく影響する状況。真実かどうか?などたいして重要ではなくなり、嘘でももうかればいいじゃないか、面白ければいいじゃないかという状況。OEDが2016年のワードとして選んだ)

 

真・善・美・正・知は絶対的でいいもの、表現するにふさわしいものだと思っていたとしても、表現する側は、受け取る側の影の感情にまで思いをめぐらして、そうとう繊細にやらないと、「正論に傷つけられた」と受け取ってしまう人たちから、嫌われる。どころか、不条理な攻撃にさらされかねない。

 

マリー=アントワネットによる「パンがなければお菓子(ブリオッシュ)を食べればいいじゃないの」というコメントは、彼女の世界観においては正しかった。小麦粉がないなら、小麦粉の割合を減らしてバターと砂糖を増やしたブリオッシュを作ればいい、という発想は、宮廷周辺だけで過ごしてきた彼女の世界観における、屈託のない「正論」だった。

brioche

(Still life with brioche, Jean-Baptiste-Siméon Chardin, 1763. Wikimedia Public Domain)

 

正しさを語ることができるそもそもの前提が大きくずれていたから、大衆を傷つけた。

(そもそもこのことばは、ルソーの本のなかの「ある上流階級の女性」のことばの引用であって、王妃が言ったのではなかったらしいのだが。それをマリー=アントワネットと勝手に決めつけ、憎しみの矛先を向けた大衆がいたということこそ、Post Truth。これは現代に始まったことではないのだ。)

 

現在も、正しさや善を語ることができる共通前提が、おそらく、同じ日本語圏においても、なくなってきている。それほど社会格差が広がっている。だからいっそう、慎重になり、警戒する必要がある。正直、足がすくむ。こんな時には、何も語らずやりすごすのがいちばん「無難」だ。それでもあえて真・善・美・正・知を語ろうとするとき、これまで以上に勇気と覚悟と繊細な気遣いが要るような気がしている。

 

あるいはむしろ、なにを表現しても攻撃にあうのであれば、まったく世俗とは切り離された宇宙に住んでいるかのように自由奔放に、別次元の世界の人になってしまうか。

いずれにせよ、中途半端は、淘汰されていくしかない。

成人式ですね。大学生の晴れ着姿が続々、SNSにアップされてまいります。みんな素敵!まぶしい!

新成人になられたみなさまに、心よりお祝いを申し上げます。

☆         ☆         ☆

20歳だったころ何をしていただろうかと思い出すに……今のように日常的に写真を撮るなんてこともなかった時代、アルバムはないし、もうまったくといっていいほど記憶はないのですが、幸か不幸か、旅レポーターのアルバイトは続けていました。

メキシコを筆頭に、グアム、沖縄、奄美大島など、実にいろんなところに出かけては、書いていたのです。

その頃の仕事が掲載された雑誌(レジャーアサヒ 1984年10月号)があったので、恐怖を承知で当時の記事の一部を引っ張り出してみました。33年前ですよ。笑。

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このときの取材のテーマは、「大井川から御前崎 ~森羅万象浴の旅にトライ!」というものでした。金谷で茶畑を取材し、奥大井で森林浴と温泉浴、御前崎で海水浴、そして締めは中部電力原子力発電所で原子力の仕組みを学ぶという知識浴の旅。

なんと20歳の私は原子力発電所の見学にも訪れていたのだった。写真を見てもまったく記憶がよみがえらない。

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右側が私です。髪型がダサすぎるし、服が場違いすぎるしで、憤死しそうです。leisure-asahi-84-10-1右から2人目が私のはずですが、本当に行ったのかどうか、まったく記憶がよみがえらない。

現在の自分から見ると20歳のころのこのヒトはまったく別人にしか見えません。でも書いている文章を読むと、リズムがそのまんまだったりするんですよね。進歩してないというか。

 

思えばこのころから現在まで途切れず、何かを書いてくれという依頼だけは細々と続いているのでした。テーマは依頼主によって映画だったり、レストランだったり、テクノロジーだったり、演劇だったり、マナーだったり、食だったり、ほんと、さまざま。ツボにはまったのが、ファッション史だったのでしょうか。今から思うに、試行錯誤であれ、なにか行動し続けてみないと、自分が何に向いているのか、世の中のどの需要とマッチするのか、わからないものです。(ちなみに、このころは「ファッション関連のことについて書く」という未来はかけらも想像できなかった……それはこのダサすぎる格好をご覧になれば一目瞭然でしょう。笑)

 

私自身がまだまだ大成には程遠く、偉そうなことを言うことなど憚られるのですが、20歳のあなたが、「何をしていいのか、どの方面に向いているのかわからない」と感じても、あまりひとりでうじうじ悩むことはせず、まずは一歩、なにか具体的に行動してみてはいかがでしょうか。

行動して、他の人々と関わっていく中で、次第に他とは違う自分の輪郭もはっきりしてくるものです。そして新たな仕事や、予想もしなかったチャンスをもたらしてくれるのは、常に「人」、血の通った「人」なんですよね。

だからこそ、

・感謝を伝える
・常に、自分のほうが多く与える(サービスする)
・前例がなくても、こうしてあげたい、と思うことはやってみる
・決して人を貶めず、うわさ話も聞き流すだけにとどめる
・排他せず、党派に偏り過ぎず、すべての人にオープンで、裏表なく接する
・他人に依存しすぎず、距離を置くべき人とは品よく距離をとり、上手に頼り、頼られる
・八方美人はもっとも不信を買う。「あちらでもこちらでも仲良しアピール」は、長期的に見ると孤独への道まっしぐら(「あちら」と「こちら」が不仲な場合、両者から警戒される)
・口は堅く、虚栄を慎む

ということを心がけ、実践するようにしておくと、その積み重ねが「信用」につながり、長きにわたって安定して機会に恵まれやすくなるのではないかと思います。あなたが、こういう人と一緒に仕事をしたい、旅をしたい、というまさにそんな人になればよいのですよね。もちろん、武器となる能力を磨き続けることを大前提としたうえでの話ですが。

(組織のなかの処世術は、また違うのかもしれません。独立して、あるいは個人の名前で何か仕事をやっていきたいという方には有効です。)

みなさんの人生が、希望にあふれ、輝かしいものでありますように。With Love and Respect.

 

 

 

 

 

あけましておめでとうございます。

1-2-2017-1

みなさまにとりまして、お健やかで、お幸せな一年となりますよう、お祈り申し上げます。横浜より、愛と敬意をこめて。

 

2日の朝のベイブリッジ方向を臨む「夜明け前」。幻想的な夜明けのギフト。「夜明け前がいちばん昏い」ということばに、思えば、幾度も助けられました。

 

1-2-2017-3

 

 

 

おおみそかのJ-wave ANA World Air Current を聴いてくださった方々から、たくさんのコメントを頂戴いたしました。ありがとうございました。

お恥ずかしながら、こちら、ANA World Air Current 公式HPにおいて、ポッドキャストでも公開されております。

 

あいづちが堅くて色気がなさすぎる(ないものはしょうがないとしても、せめてもっとソフトに)とか、話したいことは一気に話し過ぎてしまう(いったん相手の反応を待て)とか、改善点も多々見えました。できれば向き合いたくない自分の現実に向き合うのはけっして快いものではありませんが、それをやってこそいくばくかの向上も望めるというもの。

理想とする完成形にはまだまだ、はるかに遠く及びませんが、夜明けがいつか訪れると楽観して、一日一日、「昨日よりマシ」になっていけるようさらに厳しく、自身を鍛えていこうと思います。

 

 

水道の蛇口が壊れるやらまぶたにトラブル発生やらで大みそかはあわただしく過ぎようとしています…。

 

2016年もあっという間に終わりましたが、15年前の本の読者、数年前の卒業生、10年以上前にボランティアで奉仕した人、損得ぬきにサービスしてあげた人など、予期せぬ人が、想像すらしなかった新しい出会いや朗報や思いがけない仕事をもたらしてくれることが多かった一年でした。

結果がすぐに現れなくても、行動したこと、言葉にしたことは、忘れた頃に、それなりの利息つきで返ってくるものだと実感しました。

おそらく、よくもわるくもそうなのでしょう。

うまくいかなかったこと、実現できなかったこともありました。それもすべて自分の選択と行動がもたらした結果です。時間は有限。今年、あまりにも多くの文化人やミュージシャン、俳優の訃報が続きました。ひとり、ひとりのご冥福をお祈り申し上げるとともに、私とほぼ年が変わらない方もいらっしゃるという事実を、深く、厳粛に受け止めていました。いつ来るかわからない終わりのときに、やり残した仕事のことで後悔するわけにいかない。

優先順位と改善点を見極め、質・量・速度ともに納得のいく仕事ができるよういっそう精進します。

 

今年一年、多くの方々に、さまざまな場面でお世話になりました。ほんとうにありがとうございました。みなさまどうぞ佳いお年をお迎えください。

 

 今日はやはりこれで締めたい。日本未公開のブランメル伝記映画”Beau Brummell This Charming Man”のDVD。講演でよく使っている映画です。ブランメルが(摂政時代の)ジョージ4世のメイクをふきとり、かつらをとり、彼を近代的に「男らしく」変身させるシーンが最も好き。

今の仕事をするに至った経緯を他のサイトで書きかけていたのですが、諸般の事情でとりやめになりましたので、以下、こちらのブログに転載しておきます。

ケンブリッジ大学客員研究員時代のこと。

1994年の秋から、大学院の博士課程(British Studies)を休学して、客員研究員としてイギリスのケンブリッジ大学を訪れていました。ケンブリッジ大学といってもその名前の建物があるわけではなく、街の中に30といくつかの「コレッジ」が点在しています。それらの総合体がケンブリッジ大学というわけです。

私がお世話になったコレッジは2か所です。「ヒューズ・ホール」と「ホマトン・コレッジ」。ヒューズ・ホールは理系の学問に強く、ホマトンは主に教育系の学問に強いところでした。今回はホマトンでの思い出を書きます。

hommerton(Hommerton College, Cambridge)

 

日本の大学のように決まった時間に講義があるわけではなく(学部生は、大教室でいくつかの講義を受けますが)、「チューター」と呼ばれる人が、一対一、あるいは小人数を対象に、とことん個人と向かい合って指導していきます。私は一応、立場としては学生ではなく、下位の教員と「ほぼ対等」の客員研究員(visiting scholar)として来訪していたので、個人の研究はあくまで個人として責任をもっておこない、そこで生じた疑問やら見解やらを、チューターや、他の研究員たちとディスカッションして発展させていく、という表向きはゆるやかに見える研究生活を送っていました。

自由には責任が伴います。ハードに割り当てられる課題に追われるというプレッシャーはありませんが、最終的に「業績」が出なければ誰にも相手にされなくなります。Publish or Perish(書かなかければ滅びるだけ)という暗黙の掟が学問世界にはあります。限られた時間をいかに自分自身の責任で管理して効率的に成果を上げていくか、それはそれは大きな重荷を、焦りとともに感じていました。

しかも当時、私はまだ3歳だった長男を連れていっていたので、まずは自分のための時間を確保することだけで精いっぱいというところがありました。イギリスの冬は朝9時にようやく明るくなる感じなのですが、その時間に、長男をナーサーリー・スクールに連れていきます。子供にとっては言葉も全く通じない環境ですから、最初の20分くらい、その場になじむまで、一緒にいます。ようやくスクールを後にし、カレッジに向かうと10時近く。

落ち着く間もなく10:30ごろから「コーヒー・モーニング」が始まります。ホマトン・コレッジのチューターや大学院生、各国からの客員研究員たちが一室に集まり、スコーンとコーヒーをいただきながら(紅茶よりもコーヒーを好むイギリスの研究者が多かったのは、意外な発見でした)、研究にまつわるよもやま話を議論しあう場です。ここでいわゆる「世間話」をしていても別にとがめられることはないのですが、何しに来てるんだという目で静かに軽んじられていきます(笑)。昨日の研究成果の一部を披露したり、他の研究員や大学院生の話を聞いたり、チューターの意見を聞いたりしているうちに、あっという間にお昼になります。

コレッジを出て、シティセンターで軽めのランチを食べたら、午後はユニヴァーシティ・ライブラリーにこもります。図書館といっても東西南北多方向にウィングをもつ壮大な建物で、本を倉庫から出してもらう手続きも一仕事。まずは検索ワードにひっかかった本を片っ端から出してもらい、目を通して、必要とあればコピーするのですが、コピー枚数は著作権の関係で限られます。しかたがないので必死にその場で読んで、引っ掛かりを感じたところを、本の概要とともに、片っ端からメモしていく(まだスマホもない時代)。情報は少ないのも困りますが、多すぎても途方にくれるものです。当時、研究課題としてゆるやかに掲げていたのは「イギリス社会におけるジェントルマンの支配」。「ジェントルマン」というワードにひっかかった本だけで、ワンフロアほぼ占めるくらいの本があると知った時の絶望ときたら……。

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(Cambridge University Library)

そんな作業を2時間連続して集中できればいいほうで、あっという間にナーサリーのお迎え時間が迫ります。もう暗くなっている15時半にはライブラリーを出て、ナーサリーまで車を走らせ、長男をピックアップして、「セインツベリ」という大型スーパーで食料品や日用品の買い物をして帰り、食事と家事を済ませたら倒れ込むように子供と一緒に眠る…。翌朝、4時に起きて昨日のメモを整理したり、その日のディスカッションのテーマを見つけたりしていました。

そのころは、まさか、夢中で集めていた膨大な「ジェントルマン」メモが、メンズファッションの領域で役に立つなどとは夢にも思っていませんでした。今の日本のファッション誌は、スーツ姿が素敵というだけで、実態スルーで安易にジェントルマン呼ばわりしますが、本来、これは厳然たる階級が存在する国における、社会的な身分を表す概念(=大土地所有者)だったのです。

(いつか、タイミングがあえば、つづきを書きます)

どの世界でも同じだと思いますが、中ではきわめて大きな違いがあるのに、外から見ている人にとっては、同じようなことに携わっているようにしか見えないことがあります。

その昔、叶恭子さんは、あるセクシータレントと比較されてひとこと、「カテゴリーが、ちがいます」とさらりと一蹴したことがありましたが、ときどき私も、そのように言いたくなることがあります。笑

 

ファッションを研究する、ないし論じる と一口に言っても、実に多様なアプローチがあります。

・ビジネス、産業という観点から研究する(そのなかにも経営・製造・流通・マーケティング・ブランディング・広告・宣伝など細かな分類がある)

・スタイリングという観点から具体的着こなしのルールや方法を論じる

・クリエーション、制作という観点から論じる

・「ファッション・メディア」としてトレンドを創り出す

・ジャーナリスティックにトレンドを調査し、分析し、伝える(モードとストリート、メンズとレディス、都市と地方、日本と海外においてはその方法も伝え方も異なってくる。また、ジュエリー、時計、靴、ヘア&メイク、美容など、ファッション業界とはまた違う独自の業界を築いているジャンルもあり、その扱い方もさまざま)

・アカデミックに考察する(その方法においても、美学的アプローチ、哲学的アプローチ、社会心理学的アプローチ、政治・経済学的アプローチ、文化史的アプローチ、ジェンダー学的アプローチ、倫理学的アプローチなど実に多様)

ほかにもいくつかカテゴリーを設けることができるかと思います。また、厳格に棲み分けがなされているわけではなく、いくつかの領域を横断したりすることも多々あります。私はそのすべてに対し、敬意を表してきたつもりです(たとえ理解が及ばないとしても)。

しかるに、現場(という表現が最適かどうかはわかりませんが)の方はアカデミックな言説に対し「机上の空論」呼ばわりすることが多々あり(私自身が実際に何度か投げつけられました)、文献に基づく議論を主とするアカデミズムの方は、ファッションの現場のありかたを軽視する、ないし関与しない態度を(とくに悪意はなく)貫く傾向が少なからずあります(大昔の話ではありますが、私自身が論文審査でそんな言葉を投げつけられました)。

学生には、できるだけ多くの視点からものごとを見てほしいと願っているので、毎年、異なるカテゴリーから、その人らしい活躍のしかたで社会に貢献している方をゲスト講師としてお招きしています。これまでご来校くださったゲストの方には感謝してもしきれません。それぞれの領域で活躍する方には、惜しみなく敬意を払っていますし、仲良くおつきあいもします。

ただ、異なるカテゴリーの仕事を比較してどうこう言われても……やはり「カテゴリーが違います」とお伝えせずにはいられないこともあります。

 

全方向に気を配るあまり、やや歯切れの悪い表現ですが、たまのつぶやきということでご寛恕。

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あこがれの女性ナンバーワンのアイリーン・アドラーに、10秒だけなりきってみました。

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失礼しました。

南青山のヴァルカナイズロンドンに、カンバーバッチくん、ご来店中です。12日まで。マダムタッソーの館よりも先にこちらへご来店とのことです。みなさまぜひ、ご一緒に記念写真撮っていらしてくださいね。

 

大阪トークショーで大反響をいただいた(ありがたいことにいまだ反響が続く)「ファッション学の教え10か条」についてですが、ちらほらお問い合わせをいただいているので、簡単に。

ご参加くださるお相手によって10か条の内容を変えてはいきますが、「日ごろファッションにはそれほど、あるいはまったく関心のない」方々に講演をするとき、たとえば、高校生や、学校の先生方、他業界の方々などに講演をするときには、この「ファッション学の教え」を中心に話します。

私自身はもともと「ファッション界を志向」したわけではなく、ふつうのアカデミズムの王道を行くのは無理と悟り、なんのキャリアプランもないままにいったんフリーランスの物書きとしてゼロからスタートし、目の前にくる仕事の依頼を断らず、夢中でこたえているうちに気がついたら今の仕事をしている(これからもわからない)という、冒険といえば聞こえはいいが、泥縄な仕事人生を送ってきました。自分のやりたいこと、などという贅沢なことではなく、とりあえず目の前にくる仕事を淡々とひとつひとつやり続ける、その連続です。

ファッション史は独学で学び、独自の方法で教えてきましたが、その経験から学んだ最大のことは、コーディネイトとか似会う着こなしとかトレンドの押さえ方といったことではく、ファッションの力で社会を変えてきた人の生き方や考え方です。

そのような、ファッション史を作り出してきた数々のスタイルアイコンの人生や考え方、膨大な歴史のエピソードから抽出できる法則に、自分自身をゼロから「形作る」経験から得た考え方を加えた人生訓というか処世術を、「ファッション学の教え」として話している次第です。それはむしろ、倫理学に近くなります。

高校生、校長先生方からも(自分で言うのもなんですが、すみません、聞いていただければわかる事実なので)大好評を得ています。また、大学生がいちばん「変わる」のはこの話をしたときだったりします。

読者のみなさまにも、どこかでお話できる機会がありますように?

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昨日のバースデーに、次男が「ゲーム代を節約して買ってきてあげた」と恩着せがましく手渡してくれたブーケ。これを飾り、母子二人で淡々と祝いました。普通の日常があるというのは、ありがたいことですね。

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朝日新聞5月5日付の文化・文芸欄。とてーも興味深い。歴史問題の解答としてはこれで「正しい」と思いますが、「ファッション文化史」の問題となれば、この「解答例」は「間違いではない」という程度の正解なので、100点中40点というところかな。ココ・シャネルによる価値転覆(20点)、フラッパーの台頭(20点)、アールデコの要素(20点)を加えて初めて100点になります。ファッション学は広い視野を求める分、厳しいのだ。笑

Don’t take it seriously!   (Just in case)

アジア圏初の(!) ナジワ・カラームのインタビュー、後半です。

najiwa 7                                  (Photo cited from the official Facebook page of Najwa Karam)

―――ナジワさんは、日頃常にパパラッチに追われる生活を送っていらっしゃいますが、今回、プライベートでの初来日で、パパラッチを意識しなくてもいい数日間を過ごされていますね。そのギャップは、失礼ながら、どのように感じていらっしゃいますか?

「いい面とよくない面があるわね。いい面は、自由でいられること。良くない面は、いつもつきまとうものがなくて物足りないこと(笑)。私は母国でファンやカメラマンに追いかけられると、彼らからの愛を感じるの。それがないと、ちょっとさびしいわ」

ここで、彼女の親友が少し補足します。ナジワはファンのために、いつ、どのような頻度で、どこに現れると効果的なのかということをよく考えているのだ、と。ファンにとっての「プレザンス・ヴァリュー(存在の価値)」を常に頭に入れて、意識的に行動しているのだそうです。

これはスターの責任感というものを通り越して、もはや愛ですね。ファンからの愛に応える思いやり。それを伝える行動。

―――ここでちょっとナジワさんの恋愛観を聞いてみたいと思います。男性に自分を追いかけさせ続ける秘訣のようなものがあったら教えてください。

「それは男性に聞いてみないとわからないけど(笑)。リレーションシップにおいて大切なものなら、お答えできるわ。男女間にもっとも必要なのは、信頼(trust)ね。お互いに率直で何も隠すものがない(clean and clear)、という透明性から生まれる信頼、そして謙虚さは、リレーションシップに不可欠よ」

謙虚さと透明性。これは仕事で成功をおさめる多くの一流の人々の哲学にも通じるもの。

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(By Courtesy of Najwa )

さらにここから、彼女の幸福論が展開していきます。まったく予想もしていなかったこの展開。途中で、私も、ナジワ自身も、他の同席者も、思わず涙ぐむシーンがあったりもしました。すべてを書いていると非常に長くなりますので、かいつまんでご紹介することをお許しください。

「女性は守られているという安心感が必要。一方、男性は女性を愛したいと思っている。男性は、仕事で成功するために、そしてよりよい人間になるために、愛を必要とするんです。この両者のバランスが大切なの。女性はどんなにキャリアを積もうと、決して男のようになってはいけません。女性は、どんなにリッチになろうと、有名になろうと、地位が高くなろうと、忙しかろうと、常に女性であることを忘れず、女性らしさを保ち続けなくては。女性らしくあること、これがすべての根本になるのです」

「樹は、根っこをしっかりと地中に張ることで、どんなに高くなっても、嵐に負けません。女性らしさは、根っこのようなもの。中身(substance)がきちんとあって、かつ、女性らしさを根本として保ち続けることができれば、どんな障害にも負けない強さを手に入れることができるのです。まずはあなたが主体となって女性らしくいようとすることで、リレーションシップをうまく機能させることができ、ひいては、自分自身を強くすることができるのです」

―――仕事や子育てや社会奉仕に没頭していると、つい「男」になってしまう身には、耳が痛い話です……。女性らしくい続けたいと思っても、仕事とのバランスをとることは、本当に難しいと感じます。どうすればいいのでしょう。

「目覚めること(awakening)ね。自覚すること(awareness)! それがすべて」

まずは女性が女らしさをきちんと自覚して、それを根本として保つこと。愛情を注ぐこと。これこそが、リレーションシップにおける幸福をもたらし、ひいてはそれが仕事上の成功をももたらし、人生全般の幸せを感じられる秘訣である、というこの考え方、というか古くて新しい「智恵」。人類に普遍的な「智恵」としてどの文明にも古くからあった考え方であったと思うのですが、女性の解放が進むうえで、いつのまにか「古い」ものとされてきた。でも、いま、自分自身を含むあらゆるところで進行しているアンハピネスを救うのは、まさにこの「智恵」、そして女性がそこに「目覚める」ことなのではないか。

見ないようにしていた痛いところを直撃され、それこそ目覚めをもたらしてくれたような経験でした。

ナジワの歌やファッションばかりではなく、ニューフェミニズムと呼べそうな哲学も彼女の魅力を構成しており、このようなマインドを持つからこそ、彼女がかくも長きに渡り大スターとして活躍し続けられるのだということが実感できました。

今回、同行した彼女の親友がナジワを表して、「One of a kind」(ほかに代わりがいない)と表現したことが印象的でした。
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屋形船のパフォーマンスから得たインスピレーションで、日本とアラブの音楽をミックスしてなにかできないかと真剣に考えているそうです。次回の来日では、ぜひそのような音楽を聴きたい!

さらに、彼女のコミュニケーション手段として、香水があります。もうね、ほんとうによい香りがするんですよ。ナジワの人がら、女らしさを、ことば抜きに、ダイレクトに伝える香り。アラブの香水と、西洋の香水数種類をコンバインして作る、オリジナルな香りだそうです。ご自分の名を冠した香水ブランドを作ることも考えているそうで、こちらも楽しみ。

次の来日を指折り数えない理由はないでしょう?

4.6.7
それにしても今回のきらめくようなご縁には、ただただ感謝するしかありません。ナジワの左は、彼女の親友のビジネスパートナーであるニッケイグローバルの代表、皆見友紀子さん。2月のブガッティのパーティーでお会いしたのが、ご縁の始まりでした。彼女の通訳っぷりがあまりに大胆すぎて面白く、場もわきまえずわははと笑ってしまったのが打ち解けるきっかけでした。だってほんとに面白いんだもん。次回来日時もお会いしましょう、と言っていたのが実現したわけですが、それにしても今回、彼らがまさかこんな大スターを伴っていらっしゃるとは誰が想像できたでしょうか。

ソウルメイト云々の言説を持ちだすとうさんくさくなりますが、しかしほんとうに、スピリットというかソウルとかマインドと呼ばれるようなものを淡々と地道に磨き続けていると、時に、予想もできないような出会いがプレゼントされるものなのですね。目の前の人にフェアでオープンであること、自分の心にも目の前の人にも率直であること、ジャッジせず寛容とユーモアで包み込むこと、こちらがひとつ大きめのギフトを差し上げるつもりで接すること。心がけてきたのはそんなことでしたが、ナジワがまさにその理想型のような人でした。しかも究極の「ザ・ウーマン」!これからは「女性らしくあること」も心がけなくてはね。言葉遣い、心遣い、香水使いも含め、あたたかで愛ある「ウーマン」の余韻を残していくこと。ナジワから学んだことはとても大きい。

 

 

前項で紹介したような中東の大スター、ナジワ・カラームが、プライベートで初来日するということじたい、スリリングで興奮ものだと思うのですが、来日中に二度もゆっくりとお会いすることができたナジワは、スター気取りなどとは全く無縁の、周囲への気配りを絶やさないあたたかくてオープンマインドな女性でした。

屋形船に続き、二度目に会ったリッツカールトン東京のスイートルームでも、大きな目をまっすぐに私に向け、「まちがいない。あなたに会ったことがある」と再び真顔で言われたのでした。嘘をつくような人ではなく、お世辞や社交辞令を言うような人でもない(私にそんなことを言う必要がそもそもない)。私も心の深いところで、同じような懐かしさを覚えたので、これは真実として受け止めました。たぶん、前世で会っているか、同じ魂を共有しているのかもしれません。そういう不思議な感覚って、あるのですね。

いずれにせよ、私を全面的に信頼してくれて、今回のようなインタビューができることになりました。通常であれば、マネージャーや事務所を通した、写真制限・時間制限ありの不自由なインタビューしか許されないところです。スマートフォンでの写真なのに、ナジワはわざわざハンサム&セクシーなスーツに着替えてくれ、言葉を選び、誠実に話をしてくれました。その場に居合わせた全員が、涙ぐむほどの深い愛を感じさせる言葉も発せられたほどのこの経験は、生涯忘れがたいものになるでしょう。najiwa 12
(By Courtesy of Najwa.  話に熱が入ると、英語からアラビア語になり、それを彼女の親友が英語に訳してくれました)

中東文化にほとんどなじみのない私は、中東といえばイスラム教と結びつけがちだったのですが、彼女の生まれた土地、レバノンのザハレという地方都市は、住民のほとんどがクリスチャンという町です。ナジワもカトリックの家庭で、フランス語で教育を受けています。英語も話します。ファッション上の制約もほとんどないそうです。

保守的な家庭で、四人兄弟の末っ子として育った彼女は、キリスト教系の大学を卒業して教師になりますが、幼少時からの歌手への夢をあきらめることができず、テレビのオーディション番組に出場します。ここで優勝し、厳しい父の許しを得て、レバノン音楽院で4年間学び、1989年にプロの歌手としてデビューしました。22歳のときです。

デビュー後しばらくは売れない時代が続きますが、キャリアのためには大手レコード会社からアルバムを出すことが必要と痛感し、1994年、アラブ語圏最大のレーベルである「ロターナ」と契約します。そこから出した最初のアルバム「Naghmat Hob(愛のリズム)」が大ヒット、その年の最優秀アーチスト賞を受賞し、以後、快進撃を続けて、活躍の幅を広げ続けているのは、前項で紹介した通り。

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(Photo cited from the official Facebook page of Najwa Karam)

―――ナジワさんは私とほぼ同世代ながら、ほとんど年齢を感じさせない美しさをキープしていらっしゃるのですが、若さや美しさを保つ秘訣は?

「あら、日本人は世界でいちばん若さを保つことが上手な国民でしょう?(笑) それはともかくとして、純粋なスピリットを保つことがもっとも大切。スピリットは天からのギフトで、歳をとらないの。スピリットを高めれば、それが肉体に影響を及ぼして、心のレベルに相ふさわしい肉体でいられます」

このようなスピリチュアルな考え方は、信仰というよりもむしろ「ウィズダム(智恵)」である、と隣に座る彼女の親友が解説してくれます。

―――デビューから30年近く、第一線で活躍し続けていらっしゃるというのは偉業だと思いますが、成功の秘訣は?

「モデスティ(謙虚であること)ね。私はゼロから出発したわ。自分で自分のことはよくわからないけど、他人が自分のことをどのように見るか、評価するかはとても重要視してきた。ファンや周囲の人の意見に対して謙虚であることは大切ね」

彼女の親友はここで「とうもろこし」の喩えも出してくれた。とうもろこしは実れば実るほど穂を垂れる、と。中身が充実している人ほど、謙虚なんだ、と伝えたいのですね。同じような喩えが、日本にもありました……。成功のためには「モデスティ」がなによりも大切、という考え方は、同じレバノン出身の成功者である彼女の親友と共通するもの。

―――ナジワさんはポップ・ミューシャンであるばかりでなく、ファッションアイコンでもありますね。ファッションの影響力をどのように考えていらっしゃいますか?

「世界から見るアラビア語圏のイメージには、きなくさいものも多いけれど、それだけじゃない。アラビアの文化には、美しいもの、夢や愛や幸福に満ちたものもたくさんあるのだということを、私自身の歌やファッションを通して世界に伝えることができれば、うれしいわ」。

ここで親友の解説が入る。「彼女は、アラビア語圏の女性のシンボルであり、アラビア女性のロールモデルになろうとしているんだ」。

―――アラビア語圏の女性のファションアイコン、ビューティーアイコンといえば、ほぼナジワさんが第一号と言ってもいいくらいなので、シンボルとなれば責任が重大ですね。

「私はとても保守的な家に育ったの。歌手になったのは22歳の時ですが、父は当初、猛反対しました。でも、私は父と約束をしたのです。レバノンや、ザハレや、ファミリーに、恥ずかしくないよう、誇りと思ってもらえるよう、良い女性でいつづけると。歌手というキャリアを築くこと、世界的に有名な歌手になることにおいて、中東では女性の前例がなく、私が第一号です。だからこそ、アラビア文化のよい象徴になれるよう、後進の女性たちのロールモデルになれるよう、努力しているわ。私は天から歌の才能を授かりました。それを使って、アラビア女性のイメージをより良いように変えたいのです」。

ナジワ・カラームはアラビア語圏の女性のファッションアイコンであるだけでなく、教育、キャリア、女性のあり方においてのリーダーであり、ロールモデルなのですね。それを自覚し、行動しているナジワの責任感、芯の強さ、謙虚さ、あたたかさ、純粋さに心を洗われる思いがしました。

4.6.8
そしてインタビュー後半は、次項に続きます。

 

まったく思いもかけなかった幸運な出会いに恵まれるというのは、人生が与えてくれる最高の幸福の一つだと思いますが、私のささやかな生涯のなかでも最も運命的な、印象深い出会いになるだろうと思われるもののひとつが、この4月に訪れました。ナジワ・カラームとの出会いです。

2日の屋形船でご一緒したとき、「あなたを知っている。あなたに会ったことがある」と真顔で言ってくれ、私に好感をもってくれたナジワに、なんとアジア圏初の独占インタビューをするという機会に恵まれました。たっぷりと90分近く、ナジワに親しく話を伺いました。その余韻が、数日たった今もなお続いてます。

その詳細を書く前に、日本の読者の皆さんに対し、ナジワ・カラームとは何者かという話をしなくてはなりません。

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ナジワ・カラーム(Najwa Karam)は、1966年レバノンの地方都市ザハレ生まれの中東を代表するアーティストです。日本では言葉の壁が大きく、なかなか情報が入ってきませんが、中東、ヨーロッパ、北米、オセアニアではすでに60ミリオンのレコードを売り上げ、数え切れないほどの賞を受賞しています。18枚のスタジオアルバムのうち、大半がミリオンセラー。1999年、2000年、2001年、2003年、2008年には、中東でもっとも多く売れたアーティストとして記録されています。

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ポップミュージシャンとして成功するばかりでなく、テレビのスーパースターでもあります。「Arab’s Got Talent」という人気タレント発掘番組のメインジャッジを4年間つとめ、どこへいってもパパラッチに追いかけられているというセレブリティです。

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コマーシャルの世界においても、アラブ首長国連邦の不動産会社、Pearl Propertiesのブランドアイコンを務めたり、高級宝飾会社Mouawad Jewelryの時計ライン、La Griffeの「顔」として活躍、ブランドイメージのアイコンになっています。また、2012年は化粧品のロレアル・パリから初のアラブ系スポークスマンとして選ばれ、アラビック・ビューティーの代表的な存在になっています。

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ファッションアイコンとしても名高く、カンヌのレッドカーペットで着たZuhairのマーメードドレスをジェニファー・ロペスがその年のゴールデン・グローブで着用する(まねする)など、彼女が何を着るかは、ファンばかりではなく、他のスターたちからも注目されています。

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当然、ソーシャルメディアでの人気も高く、たとえば今年のニューイヤーコンサートで披露したこの姿には、スターのフェイスブック史上最高値である432,000のLikesがつきました(写真は、Likes 最高値のものではありませんが、そのドレスを着てのパフォーマンス風景)。ドレスは、Nicolas Jebranのもの。

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どのくらい人気のある大スターであるか、以上の情報でおわかりいただけましたでしょうか…。本欄では、ナジワの公式フェイスブックページから写真を引用させていただきましたが、Najwa Karamと検索していただければ、ほかにも多くの美しくゴージャスな写真や輝かしい情報が出てきます。

そのナジワに独占インタビューさせていただいた内容は、次の記事で。

レバノン出身のラスベガスの不動産王、フィリペ・ジアード氏のフォーブズジャパンによるインタビューに立ち会いました。4.6.1

フィリペが滞在するリッツカールトンのスイートにて。

不動産や投資に関するハードな話題は、門外漢の私には難しいところもありましたが、成功し続けるためのマインドセットに関しては、前回、うかがったとき以上に論理的にお話くださって、共感するところ大。

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仕事に対するフィリペの哲学に関しては、またあらためて別媒体で書きます。

それがいかに彼の人生とリンクしてくるのかに関しては、アジア圏初の(!)ナジワ・カラム独占インタビューで知ることになるのです……。これについては近日中に。

4.6.14

記念写真です。左端が今回インタビューしてくださった、フォーブズジャパン副編集長の谷本友香さん。中央がフィリペ。その左が日経グローバルの代表、皆見友紀子さん。

 

“Being a dandy is a condition rather than a profession. It is a defense against suffering and a celebration of life.” (By Sebastian Horsley)

早春に発売予定の、某有名難関高校の入試対策問題集に、『ダンディズムの系譜』から一部抜粋して問題が作られるそうです。

全国の高校受験生のみなさん。ダンディズムのお勉強は必須ですね!笑

ちなみに、設問の半分も解けませんでした。数年前には『モードとエロスと資本』からも実際の入試問題が何回か作られるという光栄なことがありましたが、やはり全問正解とはいきませんでした。

作品はいったん出たら、パブリックなもの。入試問題に使われれば、それは出題者のもの。「誤解」されてなんぼ、誤解の余地が大きければ大きいほどヒットするというのは、みうらじゅん尊師も言っておる。

シェイクスピアなんて、いろんな時代、いろんな国で「誤解」されまくりだからこそ、今に生きているっていうところがありますもんね。

ご参考までに「傍線部の作者の気持ちを述べよ」という設問に対して、作者側の「正解」があるとしたら。

「はやく締め切りクリアしてシャンパン飲みたい」。

 

入試問題がでたらめだと言っているわけでは毛頭ありません。念のため。入試とは、出題者と解答者のコミュニケーション、というところがあります。一定のコミュニケーションのルールのもと、双方納得のもとにおこなう「こういう世界でやっていけるかどうかの選抜」であって、解答者の「能力」うんぬんは、また別の次元の話になると思っています。

 

 

それにしても数年前に書いた文章、若すぎて今読むと恥ずかしいなあ。ル・パランの本多バーテンダーも「若い時に作っていたマティーニはエッジが効き過ぎていた」と言いましたが。ダンディズムなんて重たく受けとめる話じゃないよ!(重たくしすぎるのはもっともダンディズム本来の態度とはかけ離れている)というメッセージもこめてあえて軽く書きましたが、それが今読むとちょっとつっぱってる感じかな。経験とともにとれるべき「角」はとれていくものですね。たんなる摩耗にならないように気をつけないとね!

 

 

 

 

 

 

 

 

“Going to a party, for me, is as much a learning experience as, you know, sitting in a lecture.” (By Natalie Portman)

2015年感謝のまとめ その5、ソーシャルイベント。ただの阿呆なパーリーピーポーと言われればそれまでですが、社交は人の意外な本質を観察することができ、また自分の思わぬ面があらわれる現場に立ち会うことができる、きわめて学びの多い機会です。書物や芸術の「行間」の隠れた意味がわかるようになったのは、実地の社交の経験を積んだからこそ、というところが多々あります。またファッション史に登場するアイテムの大部分は、社交の場で着られていたもの。その場でのリアルな心身の動きを理解することで、300年前の衣裳に隠された知恵がわかるということもあります。また私の場合、次につながる仕事やご縁の多くは、出席したパーティーがきっかけになっていることが少なくありません。というわけで言い訳がましくてすみませんが、今年もさまざまなソーシャルイベントにお声掛けいただき、多くの方々と忘れがたい時間を共有できたこと、たいへんありがたいことと心より感謝しています。

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ブルックス・ブラザーズのパーティーでは「ジャッキー・ケネディを連想させる」(!)という理由で女性部門の「ベストドレッサー」に選ばれ、WWDにも掲載されたのでした。笑  ジャッキーと似てるのはエラ張ってるところだろう、ということぐらいは自覚しております。

コニャックの「ルイ13世」と東京フィルのコラボイベントはこの上なくラグジュアリーなもので、その後に続く貴重なご縁が生まれたし、チャーリー・ヴァイスやイセタンメンズのパーティーはいつだって新しいファッションを目にすることができる上、おもしろい方々がいらしてなにかと盛り上がり、楽しかった。改装前のオークラで6月生まれの誕生会を開いていただいたのも印象深いし、そのメンバーで真夏に汗だくになりながら屋外バーベキューをしたあと六本木ヒルズの屋上に上って月をあおいだのも忘れがたい。教え子のOGOB(僧侶もいる)が「キリストンカフェ」に集まって花園神社に詣でに行くという神仏習合のミーティングも強烈だった。グローブ・トロッター英本国会長来日のディナーも今年のハイライトを彩るほどの……とひとつひとつ挙げたらとうてい終わりそうもないくらいたくさんの思い出がぎっしりつまっています。

なかでも異色でひときわ強烈な思い出になりそうなのが、12月最後の土曜日に中目黒のスナックで行われた綿谷画伯主催の爆笑忘年会でした。コラムニストのいであつしさん、メンズプレシャスのファッションディレクター山下英介さん、画伯のお弟子さん「セクシーまちゃ」さん、そしてなんとあの国民的イケメン有名俳優Tさんが、もったいないくらいのカラオケ熱唱合戦。あの伝説の「おしゃれ似顔絵講座」から半年、まさか再会できるとは思っていなかったので再び同席できただけで感激でしたが、全員、信じられないくらいカラオケがうますぎる、面白すぎるのです。Tさんも3曲歌ってくれましたが、ルックスの美しさは言うまでもなく、選曲のセンスはよいし、声はつややかで渋いし、最高のクリスマスプレゼントとして聞かせていただきました。不思議なのは、狭いスナックは途中からほぼ満席になったのですが、だれもTさんに気付かなかったということ。さすがに最後に山口百恵を熱唱したときには気づかれたようで、Tさんが「♪ さよならのかわりに~」と歌い終わるとスナックにいた全員が拍手喝采。天井で大きな鈴がふたつに割れて中から金銀クリスタルのオーナメントがはらはらと降り注いでくるような(あくまでイメージ)こんな瞬間、短い人生であとどのくらい味わえるんだろうか。

Tさんが歌った「さよならの向こう側」のこのフレーズをそのまま、今年会ったみなさん、そして読者のみなさまにも伝えたい。

” ♪ Thank you for your kindness. Thank you for your tenderness. Thank you for your smile, thank you for your love.  Thank you for your everything  ♪”

私の退職記念講義もこの歌で締めようかな。

Miracle happens when you open your mind and sincerely trust your working partner.

2015感謝のまとめ その4、明治大学編。通常の講義内に、特別ゲスト講師として、レオン編集長の前田陽一郎さん、気仙沼ニッティング代表の御手洗瑞子さん、ミャンマー出身のデザイナー渋谷ザニーさん、そして後期にはマジシャンGO!こと佐々木剛さんにご来校いただきました。それぞれが、壇上に立っただけでただならぬオーラを放つ存在感のある方々で、ましてや話をしたら時間を忘れるほどの魅力と説得力で心をつかむ実力の持ち主。学生にとっては(私にとってもですが)、日頃の生活態度やものごとのとらえ方、ひいては人生そのものを変えるほどのインスピレーションに満ちた時間になったはずです。授業内ではありませんでしたが、ロンドンからRude Boyも遊びに来てくださいました。超豪華ラインナップです。

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また、2014年12月のシンポジウムのまとめを原稿にしたものですが、執筆者として参加した、明治大学商学部編の「ザ・ファッションビジネス」が今年、出版されました。

そして社会人にも開かれているリバティーアカデミー。ひとつひとつが奇跡の(!)講座になりました。まずは春学期にコーディネートした地引由美さんによる香水学、こちらは大人気ですぐに定員クリア、増員して満員御礼。そして綿谷寛・画伯による「おしゃれ似顔絵」講座。イラスト講座の第一回目は私がモデルをつとめ、第二回目には美人プレゼミ生二人も「チイママ」に扮して手伝ってくれました。そしてそして最終回にはなんと国民的イケメン有名俳優Tさんがサプライズでご来校、モデルをつとめてくれるという、にわかには信じがたいできごとが起きました。その後、画伯とTさんとともに、荒木町でお鮨をご一緒させていただくというここは天国ですかというありがたき経験をさせていただきました。この日の記憶は宝物です。さらに私自身が講師をつとめた公開講座「シャネル、ディオール、そしてサンローラン」には、430名もの受講者が申し込んでくださいました。平日の夜なのに、ファッションの講座にこれほど社会人の方がお運びくださるとは。驚くとともに、一般の方々にもファッション学への関心をもっていただくまたとない機会として、内容やプレゼンテーションの方法をますます磨き上げていかねばと心に誓った日でもありました。

後期は堤信子さんによるプレゼンテーション講座をコーディネートしました。前期の地引さん講座同様、当初の定員をすぐにクリアしたので増員、満員御礼でした。人前に立つときに心掛けるべきことを私自身もしかと学ばせていただきました。

最後に、11.11の田窪寿保さんとのボンド講座こと「ブリティッシュ・ラグジュアリービジネスの秘密をジェームズボンドに学ぶ」公開講座。タキシードで登壇してくださるという田窪さんの心意気を尊重すべく、私もなんちゃってボンドウーマン風ドレスに白いファーでがんばってみました。笑。当日、壇上に現れた田窪さんはまさかのカジノロワイヤル風着くずし! 常に期待の上を行く方です。かなりハイコンテクストな、スピーディーで濃い内容の対談講座になりましたが、会場の熱気高く、受講者のみなさまからのあたたかなコメントを前例がないほど(!)たくさんいただきました。ドレスアップして受講してくださった方も多く、終了後のロビーは、いったいここは本当に大学なんだろうかと一瞬くらっとするほど華やかな空気に包まれました。

教えるという立場を超えて、実は私のほうが多大な学びや感動をいただきました。ユーフォリアってこういう感覚?というほどの至福つづきでした。いやもうほんとうに楽しかったなー。特別なご配慮をしてくださった事務局のみなさまのおかげでもあります。お引き受けくださった講師のみなさま、関わってくれたすべてのみなさま、ご参加くださったみなさま、ありがとうございました。

来年度も、学生のみなさまと、リバティーアカデミーに来てくださるみなさまに、学ぶことの豊かさと楽しさを経験していただけるよう、計画を立てております。知は無味乾燥でかび臭いものではなく、有閑階級の知識人がもてあそぶだけのものでもない。本来、すべての人に開かれた、自分自身ひいては社会の可能性を広げ、人生と世界をより豊かにするセクシーなものなのです。「何のために」という目的を問うことすらナンセンスに見えてしまうほどの学びが目標です。すたれゆく人文学の分野ですが、最後の小さな灯?(笑)の一つを端っこのほうで燃やし続けていきます。

Special thanks to all my colleagues, administrative staff and students in Meiji Universiry, Mr. Yoichiro Maeda, Mr. Zarny Shibuya, Ms. Tamako Mitarai, Mr. Go!, Mr. Rude Boy, Ms. Yumi Jibiki, Mr. Hiroshi Watatani, Ms. Catherine Haruka, Ms. Amy Ayaka, Mr. T, Ms. Nobuko Tsutsumi, Mr. Toshi Takubo, and all my friends who attended the classes and administrative staff of Liberty Academy.

Everything happens for a reason.  Even unexpected collaboration works bring you great joy and happiness.

2015感謝のまとめ その3。そのほかのテーマでのレクチャー、トークショー、対談など。2015 lecture talk 1
老舗百貨店のファッション史研修講師、老舗宝飾会社の研修講師、美容室グループの研修講師のほか、主に香水の専門家の方々を対象としたファッションと香水の話、一橋大学での音楽とファッションの話、大阪日英協会主催のロイヤルスタイルの話、リーガロイヤルホテルでのブランドの話、「レジィーナ・ロマンティコ」オーナーデザイナー角野元美さんとの開運トークショー、J-Waveでのハリー杉山さんとの対談、古着マニアのパタンナー長谷川彰良くんのデビュー応援を兼ねたコラボ講義、メンターをつとめさせていただいた「気仙沼ニッティング」御手洗瑞子さんの応援対談、そして「リシェス」英国紳士特集での田窪寿保さんとのハイコンテクストな対談などなど、対談相手や視聴者・参加者のみなさまとの<コラボレーション>によって、自分一人では決して到達しえないところまで導かれた感が強い仕事に多々恵まれました。

とりわけ立場の変化を強く意識させられたのは、長谷川彰良くんのデビュー支援と、御手洗瑞子さんのメンターとしての仕事。上を見ると本当にハイレベルな方々が大勢いらっしゃるので、ぶりっこでもなんでもなく、私としてはまだまだ学ばなくてはならない修業の身というか若輩のつもりで気楽でいたので(こう書いてみると厚かましいね…、やはり)、三好一美様の推薦で日本投資銀行さまより瑞子さんのメンターを依頼されたときには驚愕したし、長谷川くんデビューに関し全面的に頼られた時にも内心、かなり違和感があった。でも訪れるご縁はなにかの理由があって訪れるのだと受け入れ、相手の立場に立って真面目に取り組んでやってみると、予想以上に喜ばれ、何より私自身が視点を変えることでたくさんの気づきを得ることができました。

でもやはり、いまだに苦手なんですよ、大学以外の場所で「先生」と呼ばれるのが。

Special thanks to DBJ, Kesen’numa Knitting, Ms. Kazumi Miyoshi, 45rpm, Horus, Regina Romantico, Rihga Royal Hotel, Richesse, Mitsukoshi Isetan Holdings, Mikimoto, Zele Network, Hitotsubashi University, BLBG, Fondation des Arts de la Fragrance Franco-Japonaise, The Japan-British Society, Penhalogon, Koko-no-Gakkou by Yoshikazu Yamagata,  J-Wave.

What is the most thrilling aspect of fashion is, it sometimes helps us to reveal the most unexpected side of ourselves.

2015年感謝のまとめシリーズその2。ファッション、ライフスタイル全般に関するエッセイに関しても、多くの媒体で書かせていただきました。もっとも印象深かった仕事は、「ソーシャルカレンダー」連載も担当していたリシェス誌での特別記事、シェリー・ブレアさんへのインタビュー記事です。8.29.1      (8月29日 プリンスホテルさくらタワーにて)

25ansでは35周年記念巻頭エッセイを、レギュラー執筆陣の一人として寄稿させていただいたのは感無量。ラグジュアリー、ダイアナ妃、ロイヤルスタイルなどその後に続くテーマはすべて25ansでの仕事がスタートでしたから。読売新聞、北日本新聞「まんまる」、両連載もともに50回を超える長期連載となり、多くの人に感想などのお声をかけていただけるようになりました。アシダジュンさんの広報誌JAも、もう10年近く書かせていただいており、長いお付き合いが続くのはなによりもありがたいことと感謝しています。最新号には満を持して?「ファッション学宣言」を書きました。もう後に引けない思いです。

Japan-in-Depthに寄稿した「ボストン美術館キモノウェンズデー事件」総括記事はウェブ上でも話題となり多くの方に読まれ、いま、英語版を準備中です。また、GQ誌に書いた「ノームコア」の記事は、ウェブ版がいまだに根強く読まれ続けています。トレンドの話であるからこそ、普遍性をもつ文体で確実に書いていくことの大切さをあらためて肝に銘じています。

さらに、多くのブランドから、コレクション、ショールーム、展示会、新作発表会へお招きいただき最先端のファッションがうまれゆく現場に立ち会うことができたことは幸いでした。そしてある高級化粧品会社×ファッション誌タイアップの「輝く女性10人」の一人に選んでいただいたのはおまけのような幸運!

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フレグランス、ビューティー関連の展示会、発表会にも数多くお招きいただき、よい香りと新しい情報が途切れることのない一年でした。心より感謝申し上げます。
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Special thanks to Jun Ashida, Tae Ashida, Mikimoto, British Luxury Brand Group, Regina Romantico, Tadashi Shoji, Richesse, 25ans, Kitanippon Shinbun, Yomiuri Shinbun, Sarai, Precious, Mitsukan Water Research Center, Japan-in-Depth, GQ, Shiseido, Guerlain, Sisley, Parfum de Rosine, Penhaligon, Different Company, Fueguia, Jo Malone, Dunhill, Valentino, Ferragamo, Laboratory Perfume……

I recommend this article of Elle Japon, to whom attracted to these keywords;  English Gentleman, Public School, Eton, British Culture, etc.

ジェントルマン、イギリス階級制度、イートン、パブリックスクール、というキーワードにぐっとくるかたにお勧めの記事。エルジャポンのイートン校潜入記事です。Fourth of Juneのことはこの写真つきの記事ではじめて具体的に知ることができました。

メンズファッションに関しては、今年もたくさんの原稿を書かせていただき、研修講師を務めたりトークショーのゲストとして話をさせていただいたりしました。また刺激的なファッションシーンにも立ち会うことができて幸運でした。

Special Thanks to United Arrows, D’urban, Fairfax, British Luxury Brand Group (including Hacket London, Globe-Trotter), Mitsukoshi Isetan, Isetan Mens (including Chalie Vice, Salon de Shimaji), Batak House Cut, Ralph Laurent, Giorgio Armani, Union Works, 45rpm, Rude Boy, Le Parrin, Men’s Preciou, GQ, Asahi Shinbun digital, Sarai, Openers, J-Wave……

お仕事をご一緒させていただいたみなさま、そして読者のみなさまに心より感謝申し上げます。引き続き、ジェントルマンシップやダンディズムを論じるときには、専門的に学んできたイギリス文化史の視点を活かし、知識と感性をブラッシュアップしてお役に立てるようがんばります。mensfashion 2015のコラージュ

 

 

A beautiful sunset gifted from heaven yesterday.12.5.2015“The first stab of love is like a sunset, a blaze of color — oranges, pearly pinks, vibrant purples…” ― Anna Godbersen, The Luxe

I do not know whether it is just a coincidence or not…  But it is true that the less I attach to a thing or a person, the more I am rewarded.  People say I write only superficially nice words, actually I do, but beautiful incidents like this sunset do happen to me when I release my obsession and throw away my ego.  Give what I have, then the unexpected gift comes from the unexpected people or place. It is a mystery, maybe I am only lucky for the moment, but I believe it has been a good strategy for me to stay passive for the opportunities but create active within them as my heart and other people feel pleasant.

☆☆☆

積極的に活動しているように見えるかもしれませんが、私の「機会」や「人」に対する態度は徹底的に受け身です。イヤミに聞こえたら申し訳ないのですが、自分から何かをつかみにいくとか、追うということはめったにしません。訪れない機会は縁がない、どんなに好きでも振り向かない人は縁がない、と思い、去る人も決して追いません。逆に、執着やエゴを手放せば手放すほど、予想もしない機会が訪れることがあります。それに対しては、持てるものをすべて注ぎ込んで自由にフルに最大限に活かす。「機会」のほうが予想すらしなかったほどに。この結果が「積極的」に見えるだけなのだろうと思います。エネルギーは強く、我は弱く、采配は天に委ねる。機会も人も来なければ、それはそれで淡々と一人でなんとかやっていける。長い長いトンネルを経て、たくさんの後悔と決心を繰り返した果てに、そういう境地に最近、至りました。「きれいごとばっかり」と批判されたので書いてみました。浅瀬に流れていく水のようなそんな生き方を理想とし、実践しようとしているので、ある人々にとっては不愉快で底の浅い「きれいごと」ばかりに見えるのでしょう。早晩この世を去らねばならない、しかも残された時間がそれほど多くないのですから、きれいごと嫌いな方は、穏やかにスルーしてくださいませ。

A year has passed since the great exhibition of the “Survival of Elegance” of Jun Ashida.  Here comes the official short movie. I am very honored to have taken a small part of this exhibition, by writing almost all the text part of the exhibition.

A year ago. Time flies away.  I wish the Elegance of Jun Ashida and Tae Ashida will shine forever !

☆☆☆

Just a murmur. Remembering the way I was this year..

I hope I have grown up a little bit more than a year ago.  I’ve got self-control and possessed self-sufficiency enough to feel light-hearted, even when I had to go through tough emotional experiences. I could manage to go on to the next step, after a little bit of tears. I’ve got this strength through my own methods and thinking of “Fashion Studies”.  Special thanks to imaginative Mr. Bond, who has always been active as my source of inspiration and kept me up to aim at the supreme ideal of elegance.

池内紀先生の寄稿。朝日新聞8.14「私の歩んだ戦後70年」。「国は信用ならない 他人は頼りにしない 自分で考え決断する」。

文学部時代に池内先生の授業をとっていた。「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」という奇書を一年間かけて読む授業で、受講生は最初8人くらいだったのがついに2~3人くらいになったような記憶がある。ときどき1人とかいうこともあった。それでも淡々と講義をする池内先生の記憶はなかなか強烈に残っております。出席などとらない先生でしたので私の存在すら知られていなかったと思うが。laurence sterne

こちらは「トリストラム・シャンディ」の作者、ロレンス・スターン(1713-68)。Wikimedia Commonsより。18世紀に黒を着てるって珍しいな。当時はこの冗長な小説のなにがおもしろいんだかよくわからなかった。でもそれを語る池内先生の淡々と品のいいたたずまいが記憶に残っている。

そのなつかしい池内先生の寄稿。やはり淡々として、でもきちんと筋が通っていてそこはかとないユーモアが漂うあたり、お人柄だなー。
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「『戦後50年』を自分だけの目印にして、55歳でサラリー生活を切り上げた」。定年退官前にお辞めになったので周囲は驚いていた記憶がありますが、そういうご自分のけじめもあったのですね。

「人を動かすのは、事実そのものではないのである。事実についての情報、情報をめぐるオピニオンこそ人を動かす。そして情報は、いつだって『正しく』ない。それが証拠に、情報はつねに新しくもたらされ、オピニオンは際限なくあふれ出るではないか」

「語られていること以上に、語り方が真意をあらわしているものである。時の権力者、また権力にすり寄る人々の語り口を、少し意地悪く見張っているのも悪くない。気をつける点として、つぎの3つがあるような気がする。1.主題をすりかえる。2.どうでもいいことにこだわる。3.小さな私的事実を織り込む」

「(カントの『永遠平和』)そこには国どうしが仲良くといった情緒的な平和は、ひとことも述べられていない。カントによると、隣り合った人々が平和に暮らしているのは、人間にとって『自然な状態』ではないのである。むしろ、いつもひそかな『敵意』のわだかまっている状態こそ自然な状態であって、だからこそ政治家は平和を根づかせるために、あらゆる努力をつづけなくてはならない」

「そのような平和を根づかせるには、ひとかたならぬ忍耐と知恵が必要だが、敵意のわだかまる『自然な状態』を煽り立てるのは、ごくたやすい。カントによると、その手の政治家はつねに『自分の信念』を言い立て、『迅速な決断』を誇りつつ、考えていることはひとえに、現在の世界を『支配している権力』に寄りそい、ひいては『自分の利益』を守ることだという。いまさらながら、この哲学者の理性のすごさを思わずにはいられない」

いいなあ。カントの話をこんなふうにタイムリーに現代の私たちに提示してくれる。人文学の学者はこうあるべき、というような。この知性の豊かさが人に与える影響力を「役に立たない」とか「ムダ」とみなす現在の文科省の方針のほうが、よほど「役に立たない」。

「トリストラム・シャンディ」、今読むと面白さがわかるかもしれないという気がしている。でも、主人公がなかなか出てこないくらいにほんとに長いんだ、これが…。

「語られていること以上に、語り方」。何を読んだかではなく、先生がどう語ったかだけを覚えているのも、そういうことですね。わたしもたぶん、そんな風に記憶されている?笑 と思いながら述べ約800人分のレポートの採点を終える……。

折に触れて思い出すジョージ・ルーカスのことば。

“Always remember, your focus determines your reality.”

「どこに焦点をあてるかで、あなたの現実が決まる」

朝日新聞7月19日(日)、求人欄「仕事力」。「企画アタマが生き残れる」、増田宗昭さんの巻、第3回目。「斜陽の分野はしぼむのか」img143あの代官山蔦谷書店は、増田さんが2年間、あの代官山の土地の地主さんのもとへ通い続けて実現したものだった。

「本が読まれなくなったのではない。本を読みたくなるライフスタイルが手に入らなかったのだと、それこそ考え方も書店企画も真剣勝負で挑みました」

「企画の素材は何かと言えば、夢に加えて、確かなデータと広い情報です。アイデアは情報でひらめき、それを企画に練り上げていくにはビッグデータの裏付けがいる。気になったデータは、社内、官公庁やメディアが発表する数字まで蓄えておき、また、思いついた考えは徹底的にメモに残すこと」

「でも僕は、データと情報の具体的な探し方を教育したりはしません。なぜなら、企画というのはあなた自身の感受性から始まるものだから。(中略)自分をとがらせ、それを実現するための資材を、あらゆる所から自分の磁石で拾い集めてくるんです。そして、集まったものの収集がつかなくても、僕はそのまま課題を持って眠りに就く。不思議なことに脳は、睡眠中に情報を肉体化してくれるようです。なかなかまとまらない企画に悩んでいる時でも、目覚めると自然に整理されているという体験を何度もしました。なぜか。おそらく自分の思考が一貫しているからです」

これは早朝(3時~7時)に原稿を書くことが多い私も納得するなあ。前の日までにできるだけの調べ物をしておく。調べても調べてもきりがなく、どこからどう書いていいかまったく収拾がつかない。そういうときは、そのまま眠るんです。朝起きると、すっきり書けるんですよね。脳が勝手に整理してくれているという実感があります。なにもせず眠るというのとは違います。前日までに資料を集めるだけ集めて、悩むだけ悩んでおく、で、あとは脳に委ねて眠る。これがとても重要。徹夜はぜったいにNG。

もちろん、何日かぶっ通して徹夜したほうがよい仕事ができるという人もいる。そういう人もいる。

それにしても、増田さんはいい顔しているなあ。

 

 

 

週間エコノミスト知人の、そのまた知人が見つけてSNSアップしてくれていた「週刊エコノミスト」7月7日号の記事。

母校の富山中部高校編。鉄板は田中耕一さんや坂東真理子さん、高橋はるみさん。
私まで「文化人」枠で名前を挙げてくださっておる。「学者」枠じゃないのね。笑

「枠」はあくまで他人が決めるもの。型に入ろうとか既存のイメージをなぞろうと意識したことは一度もないですが、ちょっと考えさせられました。

アイキャッチ画像は、昨年11月に母校で講演したときの写真です。

ブルームーンの日は、仕事を通して多くの感動を分かち合ってきた広報ウーマン二人の転機の日でもありました。

仕事とプライベートの友人は全く別ものであるという話をしばしば聞きます。もちろん、両者の区別はきちんとつけるべきで、プライベートの友人を仕事にもちこむようなことはめったにいたしません。

しかし、その逆はあり。実際に自分の周囲を見渡してみると、プライベートで友人になった人は、仕事を共にしたことがきっかけになった場合がほとんどであることに気づきます。仕事の苦楽、達成までの道のりをともにしてこそ、その人の本質がよくわかり、強い絆を感じることができる……ということが私の場合、多い気がいたします。仕事の性格も大いに関係しているのだと思いますが。そもそも私はあんまり世間的な意味での「遊ぶ」こと(消費型レジャーとか観光旅行とか)に興味がない。仕事があればこそ、信頼できる友人も増えた、というのが偽らざる実感です。

そんなふうに、仕事を通して敬いあい、シンパシーを感じてきた女性ふたりが、長く親しんだ職場を離れ、新天地に挑むことになりました。衝撃大きく、その人との時間を振り返ってしんみりしてしまった、感慨深い一日となりました。

まずは、BLBGの広報だった岡田亜由美さん。初めてお会いしてから3年ちょっとほど経ちますが、数多くのお仕事やイベントをご一緒しました。どの瞬間も、忘れがたく、一瞬一瞬が、宝石さながらに輝いています。okada 5 のコラージュAyumi san, I am so happy to have shared a lot of precious moments with you. Every moment has been shining like a jewel and I am so proud of the works we collaborated. I am really sorry you should leave BLBG and I will miss you soooo much, but I hope your further success in the new world.
Thank you and Good Luck!!

 

そして、もうひとり。ラルチザンパフュームとペンハリガンの広報だった、宮地麻美さん。
ラルチザン日本法人が7月いっぱいで撤退してしまったのです。ハートはあたたかく、物腰おだやかなのに決めるべきところは決める、ハンサムウーマンと呼ぶにふさわしい女性です。

ご一緒したひとつひとつの個性的な香りが、脳内であざやかによみがえってきます。心からの敬意と感謝を捧げます。新しい世界でのいっそうのご活躍を願ってやみません。
miyachi collage

お二人とご一緒した仕事をひとつひとつふりかえってみると、やはりそこにはただの時間、ただのイベント、ただの仕事、以上のものがあった。もてるリソースをすべて投入して喜んでもらおうとするサービス精神、ここまでやるかというチャレンジ精神、志を同じくする者どうしのチームワーク。だから感動があって、その時間が永遠に色あせない記憶として刻まれていることに気づく。

SNSはたかがSNS ですが、個人の「表=現実」世界でのイメージを大きく左右するというのはもはや常識になっています。

ブランドはここ2、3年、やたらとコレクションやイベントを増やしていますが、その背景にはSNSの隆盛があります。雑誌に何百万円と広告をかけるくらいなら、インスタグラマーやブロガーに来ていただいて、おしゃれな写真スポットを提供し、写真を各SNSで拡散していただいたほうが、よほど宣伝効果が高いということになってきたようです。ジャーナリストが苦労して書き上げる2000字の原稿よりもインスタグラマーの一瞬のかっこつけポーズのほうが評価され、影響力も大きいというのは、微妙に悔しかったりするのですが。笑

誰もかれもがSNSで写真をアップするような時代には、そこに参戦しないのがもっともセクシーだとは思います。謎めいていたほうが、断然、神秘的でいいですし、よけいな人間関係のトラブルに心煩わされることもありません。しかし、たとえば私などは仕事上、書いたものを少しでも多くの方に読んでいただくためには媒体を告知するほうがいいし、公開講座などはできるだけ多くのお客様に知っていただくために宣伝する必要がある。そうすることが、編集者や出版社、大学事務局の方など、関わってくださる多くの関係者のご尽力に報いることにもつながります。

ただ、その必要だけに徹し、宣伝だけしかアップしないとなれば、それはそれで人は敏感なので、「なんだ宣伝かよ」と途端に冷淡になるものです。時たま宣伝をさせていただくのであれば、それ以外の、フォロワーの方にとって有益であったり楽しみになったりする情報も折々に提供する。そうして情報のバランスを保ち、人様に受け入れていただくことで、はじめて宣伝も機能する、そういうものではないかと思っています。(ちなみに匿名で罵詈雑言もとびかうTwitterにはついぞ近寄っていません。いかなる情報も、だれが、どのような文脈で発するのか、ということが重要なので、それが不詳な情報が飛び交う場は混乱を増やすだけです……もちろんメリットもあることは承知していますが。)

そのようなスタンスでSNSとお付き合いする中で、マナーブックには書いてないかもしれないけれど、それをやっちゃだめだろうと思うことがあります。今日は、日頃「これはSNSタブーだろう」と感じていることを3点、書いてみます。

・イベントの招待やイベントの告知での公開コメントに、「たいへん残念ですがその日は出席できません」とわざわざ書きこむこと。これが一つでも書きこまれると空気が盛り下がります。ましてや「その日は法事で…」とか、縁起のよくない理由を書くものではありません。「できるだけ調整します」もしらけます。「万難を排して参加する」のが本来の姿勢であろうと思うので、それができないのであれば、わざわざそのことを公に見える場で書きこむ必要はまったくありません。あなたの都合なんて誰も知ったことではない。主催者の立場になってみて、どうしても不参加メッセージを伝えたいのであれば、こっそり、主催者にだけ送れば十分です。

・プライベートの会合写真は、その人がどういう方々とおつきあいをされているのかがよくわかって非常に興味深いので(つきあう人はその人を映し出す鏡)、観察者としては大歓迎なのですが、そこにわざわざ「この仲間はやっぱりサイコー」「このメンバーだと心許しあえるのよね」みたいなコメントを書くのはいかがなものか。そのグループに近いところにいながらその輪に入れてもらえなかった人はどのように感じるのか、ちょっと想像してみればわかることでしょう。そのようなコメントをわざわざ書くならば、写真に写っている人のみで共有できる設定にしてからにすべき。

・あっちのカワイイ子ちゃんを褒めちぎったとおもえば、こっちの美人さんを褒めそやす男性。あるいは、あっちの「ダンディ」さんに媚びまくったと思えば、こっちの「紳士」にもすりよりまくりの女性。そのような「行動」がセクシーであるわけないどころか、かげで、いや、リアルの世界で多くの人に嘲笑されている滑稽な愚行であるということ、いいかげん気づきましょう。笑われているのを知らないのは本人ばかりなり。

つまり、現実社会と同じ、想像力の問題です。周囲の人にどのように見えるのか、どのように受け取られるのか。アップする瞬間はハイテンションになっていることが多いので、私もときたま「やらかす」こともありますが、やはりちょっと頭を冷やし、情報を受け取る他人の気持ちになってみたうえで、アップする。その一瞬のささやかな考慮の積み重ねをするかどうかが、その人の印象を決定的に変えていくように思います(自戒を込めて)。

 

 

 

朝日新聞6月28日求人欄、「仕事力」。猪子寿之さま第4回め。『「美意識」を次へ進めるよ』。

「例えば米国の芸術家のアンディ・ウォーホルは、女優マリリン・モンローなどの一枚の写真を様々に加工して、大量生産でもカッコいいよ、と時代の価値観を変えたよね。キャンベルのスープ缶もウォーホルの手によって堂々と表現になった。それは、当時のお金のない人が買うような安い大量製品でもカッコいいと、アートが時代の概念を変えたから。ほら現代では、個人用の仕立て服より、大量に出回る既製服の方がお気に入りのほとんどを占めるようになったというように、『美意識』は進むんです」

「誰もが、こんな社会になったらいいなというビジョンを直感的に持っていると思うのですね。パワーで動いてきた20世紀とは違う、新たな社会を求めているでしょう。その実現のために『美』の用い方を工夫し、泥臭く武器として取り入れていけば、ビジネスでも長期的な競争力になるはずです。なぜなら人間は、美しいもの、カッコいいもの、面白いものが大好きだから」

ファッションの歴史って、その具体例の宝庫ですね。歴史に残るファッションデザイナーのリストとはすなわち、社会の価値観を変え、新しい人間像をプレゼンテーションすることに成功した人のリスト。トレンドにあわせたきれいな服を作ってる人じゃないんです。

ただ、天才デザイナーの場合、社会変革を目指したというよりもむしろ、美しいと思うものを孤独に追求していったら、結果として社会が変わっちゃったということのほうが多い。結果としてそうなってしまう、という。

サンローランも、黒人モデルを起用することで多文化社会を後押ししたが、それは決して、政治的な配慮ゆえではなかった。「黒人は挑発的でセクシー。僕の服を着せたい」というピュアな動機でランウェイを歩かせた。結果として、サンローランの服をまとった黒人の美しさに人々は感動し、時代が「多文化社会」へと進んでいったのである。

多くの「成功物語」は、往々にしてそうですね。なにかをピュアに追っていった結果、社会のほうが変わっていく。結果としてそうなってしまう。かけひきや戦略ではなく。そのあたりをはきちがえると、永久に「自己啓発病」サイクルから抜け出せない。

猪子さんも在学中から「チームラボ」を立ち上げてるんですね。エネルギーがあってなにかを成し遂げようとする人は、19とか20からすでに「行動」している場合が圧倒的に多い。

先週、パタンナーの長谷川彰良さんと「メンズファッションの源流」というコラボセミナーをおこないました。本ブログでも書きました通り、自分で言うのも厚かましいのですが、すでに伝説の講座として語られるほどの大成功をおさめました。私自身も勉強になった刺激的な経験ではありましたが、上から目線に見えたら恐縮ながら、まだ20代の彼のデビューを、私がバックアップしたセミナーでもありました。彼にとっては「ビッグチャンス」であったわけです。

そこで、チャンスのつかみ方という視点で長谷川さんの行動を俯瞰してみると、やはりそれなりの備えと行動を続けていたことがよくわかります。今日はその経緯をご紹介します。チャンスはどこに転がっているのかと悩む多くの若い人にとってのヒントになれば、幸いです。

長谷川さんは、ヴィンテージウエアのマニアックなコレクターです。19世紀中ごろから20世紀中ごろにかけてのさまざまなメンズウエアを大量に買い集め、夜な夜な徹底的に解剖し、ときには当時の型紙をそのまま使って「現物」を縫い上げるなどという変態的な(ホメ言葉です)ことをしながら、メンズウエアの研究にどっぷりとつかりきっています。

時は3年前に遡ります。今やテレビでも紹介されてすっかり有名になられましたが、フランスでテイラーとして活躍する鈴木健次郎さんにご指名いただき、私は彼のデビュートークショーのお相手を務めさせていただきました。その時、会場となった銀座和光のサロンで、「肩傾斜」がどうの、というきわめて専門的な質問をして強い印象を残す若い方がいらしたのですが、それが長谷川さんでした。

私の本をぼろぼろになるまで読み込んでいる、という長谷川さんはその後も、私の講演やトークショー、サロンなどに姿を見せ、会場では必ず強烈に印象に残る質問をしていきました。

そうこうして顔を覚えるうちに連絡先も交換するようになりますが、彼は折を見て、「自分のヴィンテージウエアのコレクションをぜひぜひ見に来てほしい、絶対、感動させてみせます」というアピールをしてくるのですね。

そのタイミングも絶妙で、熱心なのだけれどストーカーではない程度。社交辞令ではなく本気らしいとわかったころ、しょうがないなあとあきらめ(笑)、やや渋々ながら、長谷川さんが勤めるアパレル会社の倉庫まで拝見しにうかがったのが、今年の2月14日。

その膨大なコレクションそのものの圧倒的な面白さと、それを語る長谷川さんの「狂い」(これも、ホメです)の入ったプレゼンテーションに感心し、これは私一人で聞くのはもったいない、もっと多くのメンズウエア関係者に聞かせたい、と思い、その感動をそのままお伝えしました。

彼はそれを「リップサービス」とは受け取らず、また、「まだ自分は若すぎるから無理」とも思わず、あっという間に具体的に話をとりつけてきたのです。

機を見てはアピールする、ということをあきらめず地道に続け、いざ時が来たら確実にチャンスをものにできるように備えを万全にしておく。この3年間の彼の行動と成長を見ていると、チャンスをつかんで人生を切り開いていくというのはこういうことか、と教えられる思いがするのです。

備えよ常に。Be Prepared.

ボーイスカウトを創設したロバート・バウデン=パウエルによる、ボーイスカウトのモットーです。本来は、困難に備えよ、いざとなれば国のために命を投げ打つ覚悟をせよ、という文脈でも用いられてはいましたが、ここでは、必ず到来するチャンスに備えよ、との意味をこめて使わせていただきます。不遇をかこつ暇があったり、人をやっかんで中傷するエネルギーがあったり、無駄な時間を過ごしているなという自覚があったら、すっぱりと心と行動の方向転換をして、着実に、未来に向けてのチャンスの種まきをしていきましょう。

志高く努力している若い人を助けたい、と思っている大人は、意外と大勢いるものです。

8日、明治大学リバティーアカデミーの齋藤孝先生×坂東玉三郎さんの対談形式の講演を聴きに行きました。駿河台キャンパス、アカデミーコモンは1000人を超える観客で満席となり、観客の集中力と熱気をひしひしと感じました。最近、アウトプット続きでスカスカになりかけていた自分への誕生日プレゼントでもありましたが、予想以上の面白さで、脳内に革命が起きたような経験でした。

玉三郎さんの「実(じつ)」のある話を、齋藤先生が軽妙に、でも確実な方向へと導いていく。「人と人が出会って学び合う」、創発に満ちたライブ体験。1000人の観客が一体となり、まさにひとつの演劇を共有したような、濃密な時間でした。

こういうことをいくら文字で列挙しても、そのときの会場の体験には遠く及ばないのですが、忘れたくないなあと思ったことを以下ランダムにメモしておきます。

・人と人とがめぐりあい、感情でぶつかりあうことができなくなり、当たらずさわらずの人生を送らざるをえなくなっているのが、現代。

・そんな時代ゆえか、30人~40人ほど収容のライブハウスでのパフォーマンスや落語などの上演が、激増している。小さいサークルで人に会う、ということが始まっているのが、今。

・(学生からの質問)「夜になると叫びたくなる」。(玉三郎さんの答え)「僕は昼間でも叫びたいです」。叫びたいほどの、やむにやまれぬ思いを一つずつ解剖していく、そこから文学が生まれる。

・このような「実(じつ)の質問」をする。そこからすばらしい人とのめぐりあいが始まる。

・生命力とは、やむにやまれぬ情感のほとばしり。手の内にある自分の思いが止まらないという感覚。

・(齋藤先生)玉三郎さんは、生命力がないように見せて、ある。時代の先取り?!

・生命力がアツイかどうかによって、作品の迫り方が違ってくる。

・口に出すセリフと、思っていることが、まったく反対であることがある。それを読むのが「本を読む」ということ。

・セリフとは、想念の羅列である。

・芝居は、増幅と凝縮である。自分の人生から想念をひっぱりだして、増幅してセリフにのせていく。思いが凝縮すると、観客は見てくださる。

・感情が濃いとき、子音が強い。感情が爆発しているとき、子音も爆発する。子音に感情が宿る。

・生きている間は、想念の連続である。生成された想念を動かすのが、役作りということ。想念を経験から発掘し、生成し、並べていく。これが芝居。

・細胞レベルにまでなった想念を、線にし、面にし、立体にし、肉体にしていく。これが増幅。型と想念を一つにしていくのが、稽古。

・生命力は体幹に宿る。背骨の可動域が、人生の幅。毎日背骨を前後、左右、270度にねじり、アンチエイジングを。

最後は全員が背骨を回転させて、祝祭的に終了。齋藤先生が最初に「みなさんが心身共に健やかな状態で帰られることを望んでいます」と笑いをとっていたが、それはこういうことだったのですね。完全に文字で表現することなど不可能な、心身共に衝撃を受けた90分。

会場の想念をまとめあげる齋藤先生と玉三郎さん、それぞれの力量とオーラ。そのパワーの源泉は意外に、取り繕うこととは真逆の、「実(じつ)」のことばのやりとりであったような気がする。観客の「実」の質問が、真のめぐりあいを生んだ、そんな瞬間に立ち会った思いです。

「実を語る」。今年一年のテーマにしよう。

 

 

 

 

 

 

昨日は誕生日でしたが、プレゼミ生たちがサプライズでミニ花束とカードを贈呈してくれました!6.8.3感激です。ありがとう!!

毎年毎年、ほんとうに心優しくて行動力のある学生に恵まれます。

6.5.8多くの人は年を重ねることを不快と思うようですが、いえたしかに、体の機能や弾力やらいろんなところがぼろぼろになってきてそれはもうげんなりといやになってくるばかりであるのは事実です。

でも、年を重ねると、いいこともあります。これまで積み重ねてきた過去のもろもろのことが、意外な形でつながって、あのときのあの経験がこんな形で実を結ぶのかという驚きのできごとが、連続花火のように訪れることがあります。

黄色とブルーがさわやかにアレンジされたこの花束は、20年前の教え子が贈ってくれたもの。20年前、東大駒場の非常勤講師として大教室で英語を教えていました。そのとき、私に鮮烈な印象を受けていたという学生が、20年間社会の荒波に鍛えられ、成長して、立派なジェントルマンになって目の前に現れ、大きな花束を抱えて笑顔で立っている。「大人になってから先生に会いたかった」と。なんと映画みたいな。泣笑。

20年経たなければできないことがある。それをばっちり決めてみせてくれた教え子がいるって、なんと幸せなことか。この感覚は、英語でいうeuphoriaに近い。多幸感というか、陶酔感というか。若い時には味わえない、歳を重ねないと味わえない経験や感情もあります。20年後、またその年でなければ経験できないできごとや感情が訪れるかもしれない…と思うと、やはり年を重ねていくのは未知の世界を旅する冒険ですね。今いただいているひとつひとつの仕事に愛とエネルギーを注ぎ込んでいくこと、それがきっとさらなる20年後への「種まき」になっているのでしょう。

などとかっこよさげなことを言っているひまあれば原稿を書きなさいというお叱りを受けました。はい。すみません。

フランスのヴィンテージ狩猟服についているボタンについて、疑問が解決しました。ecoute a la teteフランス文学に造詣が深く、匂いや香水に関する著作も多い鈴木隆さんに教えていただきました。鈴木さんが調べてくださったところによれば、このボタンは、Vautrait du Perche (ヴォトレ・デュ・ペルシュ)という、狩猟チームの制服に使われていたボタンとのこと。フランスのノルマンディーの丘陵地帯にある「ペルシュ」という地方の、犬を使ったイノシシの狩猟チームの名前です。vautraitとは、犬の群れという意味ですね。

このチームのモットーが、ボタンに書かれているecoute a la tete 「知性で聞く」。

なるほど!!! 鈴木さんに感謝、ありがとうございます。

松岡正剛さんの秘密の会?にも参加されていらっしゃる鈴木さんから、次のこともお知らせいただきました。

松岡正剛さまの「千夜千冊」において、女性の書き手の「つわもの」のカテゴリーに入れられていますよ、と。

酒井順子さんの引き立て役カテゴリーでもありますが、知の巨人のような方から「物の数」に数えられていたことは、たいへん光栄でございます。

どちらかといえば、私は「女」目線などほとんど意識したことがなく、高い目標(高すぎることは承知の上)としてきたのが荒俣宏さんや鹿島茂先生なので、万一、次にとりあげていただく機会があるならば(笑)、「女」枠がないところで話題にしていただけるよう精進したいと思います。

「女」というだけで、ジャンルがまったく違うところで引き合いに出されるということは多々あるのですが、今回のように光栄に感じることもあれば、なんでここでいっしょくたにされるのかと苦笑することもあり。「女」枠でくくりたくなること、それが人の素直な反応なのかと思ってじっくり観察することにしています。

シャウ・シンチーの「西遊記 はじまりのはじまり」DVDで。

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B級感むんむんの映画だが、爆笑の連続、号泣で終わり、と激しく感情をゆさぶられる。あの西遊記が始まるまでには、こんな始まりの物語があった…という趣旨の、妖怪ハンターたちの物語。ヒロインの段と三蔵法師の物語がいいですね、やはり(途中のばかばかしさも含めて)。好き嫌いはきっぱりと分れると思いますが、「少林サッカー」以来、シャウ・シンチーのギャグセンスには救われています。少林サッカーのラストシーンは何度見なおしたことか(「俺たちフィギュアスケーター」のラストシーンと双璧をなす名シーン)。

折しも6月3日付け朝日新聞の文化欄に掲載されていた姜尚中さんのインタビューを読んで感銘を受けていたタイミング。

「悪」を考察する本を書きたいという姜先生の話。その理由は、

「世の中、悪が満ちあふれている。資本主義の本性が出て、人間が社会性を失っていく。それが罵詈雑言の限りとなり、例えばネット上に噴き出しているように見えます。」

そして指摘される、「悪」の「反対」。

「現代は、自己責任だ、自助能力を発揮しろとせき立てられ、そこに社会がないわけです。私は、悪の反対は、善ではなく愛だと思うんです。さらに言うと社会だとも思う。いま、人間は自己中心のガリガリ亡者になって、社会はあてにできない。むしろ、社会からさげすまれているという気持ちの人がたくさんいます。ですから、悪を解き明かすことで、社会を取り戻すことに目を向けたい」

西遊記の妖怪たちも、もともとはみなよい人や動物であったのに、社会から理不尽に虐げられたり、身近な人にひどく裏切られたりして、妖怪になっていった。だからハンターが、妖怪の中に潜む邪悪な気を吸い取ると、もとの善良な姿に戻っていく。

「悪」の反対が「社会」であるということが、実は妖怪の世界にすでに描かれているんですね。

「ダウントンアビー」ではやはり、「悪」だったトーマスが、ダウントンの住人から善なる扱いを受けることで、次第に良い人になっていく。

「悪」を生み出すのはやはり社会であるということ、逆に、社会が変わることで悪も少なくなっていくということ、ここにもさりげなく示唆されている。

 

 

神宮前のRust Londonが改装され(なんとすべてDIY!)、渡英17年、現在はワイト島で暮らすデザイナーの内海直仁さんが3年ぶりに来日して、今日まで受注会をおこなっています。2階のメンズフロアはイギリスの新しい「クリエイティヴ・クラス」の心意気を感じさせてくれる空間になっています。

2.27.1

Rust とは「さび」、時を経るからこそ得られるもの。彼が作るジュエリーには「ホールマーク」が刻印されています。ホールマークとは、イギリス政府による地金の保証です。製作者、地金の素材、純度、製作地、製作年度が記号化されたものです。時の経過とともに価値を得ていくジュエリー、たとえば記念日リングなどには最適ではないかと思います。

多くの日本人がイギリスに抱きがちなイメージ(「王室御用達」とかコスプレ風「古き良き伝統」とか)ではない、リアルで自然でアヴァンギャルドな現代のイギリスらしさを伝えたいと語るデザイナーは、静かな情熱をたたえた理知的な方です。

一緒にお招きいただいたイギリス好きの方々と。前列右は、山内美恵子さん。後列左からユニオンワークス社長の中川一康さん、中央がデザイナーの内海直仁さん、右はハケットロンドンの大西慎哉さん。

2.27.6

2014年もあっという間に終わろうとしています。昨年の大みそかに何を書いていたか見直してみたら、「あれもこれも収束せず来年に持ち越し」みたいなことを書いていて、なんだ去年からぜんぜん進歩していないよ私は。

いまもやはり、まったく収束の気配を見せないまま来年に持ち越されようとしている仕事と格闘中…。情けない。

進歩はないままに、ちょこちょこと書いたりしゃべったりする仕事にはおかげさまでほどほどに恵まれました。今年書いた活字原稿は約50本、講演とトークショーで32回ほど、本の帯コピー2冊分、3年越しの監訳1冊完成、ウェブ対談とラジオ出演で4回ほど。初めての試みとして展覧会の展示の文字部分のコピーライティングと監修を手がけたり、サロンを共催したりというチャレンジもありました。仕事じゃないけど監訳を出したご縁で帝国ホテルの舞台でドリームガールズ(!)もやっちゃったし(笑)。週5コマの大学の講義のほかにこれだけやれば、じゅうぶん、盛りだくさんですね。関わってくださったすべてのみなさまに、心より感謝申し上げます。

大学にもすばらしいゲストの方々に講義に来ていただきました。山縣良和さん、坂部三樹郎さん、地引由美さん、鈴木光司さん、軍地彩弓さん、串野真也さん、森川マサノリさん。あらためて、ありがとうございました。プレゼミ生たちとは「制服ディズニー」を敢行したりランチや飲み会もおこなったりと、楽しい時間もともにしました。

こうして振り返ってみると、仕事を通してほんとうにたくさんの、すばらしい方々に出会えました。一つの仕事がさらに次の仕事につながり、ご縁の網の目が、たとえるならばスパイダーマンがビルの谷間にかけていく巨大なスパイダーウェブのように広がっていくのを、半ば畏れ多い気持ちで感じていました。謹んで、感謝を忘れず、いただいたお仕事をひとつひとつ丁寧に手がけていこうと思います。

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落ち着きのない私におつきあいくださいました読者のみなさまにも、心より感謝申し上げます。イベントや講座に来ていただき、お会いできた方も大勢いらっしゃいます。みなさん、それぞれに素敵な方々で、あらためて身が引き締まる思いがしました。わざわざ足を運んで言葉をかけてくださって、時にはお花まで贈ってくださる読者がいるということ、これはほんとうに幸運で、幸福なことだと思っています。ありがとうございました。

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ではみなさま、どうぞよい新年をお迎えくださいませ!

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後日、いろいろな舞台裏が明らかになり、感動を新たにしたことがあります。

タキシード騎士団のなかで、ひときわパンチある和装で場に高揚感を添えてくださったのが、20代の頼富雄介さんでした。
実は彼がこのスタイルで参加するために、ファッションレスキューの齋藤さまの着付けのご指導があり、さらには代表の政近準子さんの「中途半端な気持ちで行っては相手に対するギフトにならない」という厳しくもあたたかな助言があったことを、後日、知りました。
頼富さんを通して、準子さん、齋藤さんからのギフトを、会場のすべての人が確かに受け取りました。ありがとうございました!

また、やはり20代の大橋秀平くん(右端)は私のプレゼミ一期生ですが、この日がタキシードデビューとなりました。タキシードの選び方や着こなしを直接指導してくれたのが、ルパランのマスター本多啓彰さんであったことを、これも後日知りました。

たったひとつの服装の陰にも多くの大人がこうしてあたたかく関わっていて、服装をダシに(?)さまざまな知恵が次世代に伝えられていくということ、ちょっと素敵だなあと感動。

また、もう一人の20代の方、渡邊敦也さん(左から3人目)は、三越伊勢丹の新入社員研修で私の講義を受け、さらにもう一度聴きたいからと有給をとってまで聴きにきてくださいました。媚びるのではなく、ただひたむきに熱心。そのような若い方にどんどんチャンスをあげたいと思うのは大人の常なのですね。大人にかわいがられ、チャンスをつかんで抜きんでていく人というのは、たぶん、素直に気持ちを表現し、行動を惜しまない人なのだ……と彼ら若い人たちから学ばせていただいた貴重なイベントでもありました。
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「行動が必ずしも幸せをもたらすとは限らないが、行動なくして幸せなし」(ディズレーリ)

2日前に書いた「私の常識は必ずしも世間の常識ではない」ということにも関連しますが。

世代の格差が広がれば、知識の格差も広がり、住む世界の違いが広がれば、必要とされる情報の格差も広がります。

監訳した『シャネル、革命の秘密』(ディスカヴァートウェンティワン)に関し、日本人に関係のなさそうな詳細が省略されているというご批判をいただいたので、謹んでお答えさせていただきます。

出版社が主に読者ターゲットとしたのは、これから初めてシャネルに触れる若い人や「ファッションの専門家ではない人」です。

原作はかなり精緻に脚注つきで情報が書き込まれた、ジャーナリスティックにしてアカデミックな大著です。原作の本文にはいちいち、出典を示す脚注番号が入り、巻末にその「典拠」が載っています。かなりの分量です。これをすべて反映させていたのでは、本としてかなり読みづらいうえ、本のページ数も格段に増える勢いでした。

さらに、本文をすべてもれなく翻訳するとなれば、ただでさえ分量の多い(上下2段組み、500ページ超)今の形の二倍、すなわち上下二巻セットとなります。

このような形でも、出版が可能な経済事情や購入してくれる読者が想定できればよいのですが。

シャネルに初めて触れる人や、なにかと忙しい現代人にとって、これはかなりハードルの高い体裁です。したがって、できれば1冊で読み切りたい読み手の事情を考慮して、すべての脚注を省き、物語を冗長にしそうな詳細すぎる記述を大胆に「超訳」し、「次へ次へと読み進めたくなるリズム」を最優先にしてあります(もちろん、可能な限り原文の情報は生かしております)。

ちなみに、日本語版のタイトルも出版社がマーケットを考慮したうえで、決定しています。

舞台裏の事情をさらに少し明かすならば、この本は、シャネル社「公認」ではなく、むしろシャネル社が「書いてほしくなかった」ことが明かされている本です。そのため、シャネル社が広告を出している多くのファッション誌は、書評の掲載を見送りました(わざわざ、配慮がある旨を告げられました。ブランドから圧力がかかったということでは全くありません。むしろ、編集部が自主的に配慮するのです)。ファッション誌を出しているような大手の出版社が手を出そうとしなかった理由の一つもそこにあります。私は、原作者のジャーナリストとしての姿勢に敬意を表し、また、「明かされた秘密」によってかえってシャネル本人に対する愛と理解が深まり、決してシャネル社の名誉を傷つけることはない、それどころか逆にシャネルファンを増やすだろうと判断したので、監訳を引き受けました。

そのことで、一時的にシャネル社と気まずくなったとしても、最終的には、シャネルへの一般の関心が高まり、歴史家としても正しい判断であったと思っています。ブランドもオトナですから、それほど引きずることもないと信じています(あるいは、かくも大ブランドとなれば、これしきのことはまったく気にもかけていないかもしれません)。

巻末のクレジットをご覧になればおわかりになるかと思いますが、本一冊に50人以上のスタッフがかかわっています。ターゲットとする若い一般読者に対し、少しでも親しみやすい形で届けられるように、全方位からあらゆる考慮が払われた結果、一部の専門家の方々にとっては、不満の残る結果となったかもしれません。その点は、深くお詫び申し上げます。

1冊の監訳本にしても、多くのスタッフが関与するビジネスでもあり、日ごろあまり本を読まない初心者から専門家まで、すべての読者を完璧に満足させることなど本当に難しいということ、ほんの少しでもご理解いただけたら幸いです。

ビジネスとはいえ、この本に関しては莫大な経費がかかっている割には何千部も売れるタイプのものでもなく、経済的なことだけをいえば、監訳者含め、負担のほうがはるかに上回っています。何万部も売れるビジネス書の存在が、マイナス分を補ってくれているのですね。これまで「スカスカの」売れ筋のビジネス書を軽んじていてごめんなさい。30分で読めるビジネス本が何万部、何十万部と売れてくれるからこそ、私が手掛けるようなマイナーで、経済的利益にはつながらない仕事が助けられているのです。今回はとくにその仕組みを垣間見て、安易にものごとの是非を決めつけないようにしようと誓いました。

話がとんで失礼しました。ご意見に心より感謝申し上げます。一つ一つの仕事によって、どのような形で世の中に役立てるのか、ほんとうに手探り状態ですが、引き続き、研鑽を積んでまいります。

弟のK大学医学部教授就任祝い&母の喜寿祝いの、ささやかなファミリーの会、箱根のザ・クラシック「富士屋」ホテルにて。

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私が断念した医学部(←「Flash」記事)に、姉の無念を晴らしてくれるかのように入学した弟は、「内科」や「外科」など開業につながる分野を選ばず、「地球の病を治したい」と言って「もっとも儲からない」領域へ。長い間、イタイイタイ病の研究を地道に続けてきました。その葛藤や苦労を知るからこそ、喜ばしさひとしお。

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箱根の森の緑が目に沁みる。

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国際日本学部第一期から第六期までの、インフォーマルなOBOG会。

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すでに起業して「社長」の名刺をもっている学生や卒業生も何人かいて、時代の流れを感じるなあ。韓国からの留学生には男子必須の2年間の軍事訓練の話を聞いたりして、なかなか興味深かった。伝統をこれから創っていく、っていいですね。みんながんばれ。

本日発売の「Flash」にちょこっと載ってます。

西麻布交差点での路駐をフラッシュされたった!

……っていうんならかっこいいのですが、んな華やかな事件には縁がなく。

先週、編集部の方が大学に取材にいらして、がっちり一時間ほど濃いめの話をしましたが、ごくさらりあっさりとまとめられました。そんなもんですね。自分も取材をするのでよくわかる。

提供した大学時代の写真は、タイミングよく、友人の大里真理子さん(本サイトのデザインをしてくれているアーク・コミュニケーションズの社長でもあります)に送ってもらった、なつかしのもの。本誌ではモノクロで一部しか使われなかったのですが、せっかくなので、こっちで公開。ちょうど30年前の写真です。ちなみに左の真理子さんも同じ特集に載ってます。

Kaori_mariko
にしても「ご笑覧くださいませ」とは勧めづらい表紙だわ……・中身も、いきなり袋閉じだし……(^-^; 

アンジェリーナ・ジョリーについての原稿を仕上げた、と思ったとたんにまた新しいニュース。

なんとエリザベス女王からデイムの称号を与えられることになったと。あっぱれ!

Angelinajolie467
…だが原稿書き直さねば(^-^;

abcニュースのサイトで知ったのだけれど、ジョリーの、誰も反論できない「どや」スピーチの前に出てくるジャギュア(イギリス人はジャガーをこう発音する)の広告が面白い。

コマーシャルフィルム単独の映像はこちら

アメリカ映画では悪役の多くがイギリス人だ、それはなぜか?という分析をするのだけど、もっともらしい性格分析が続いたあと、最後のオチが…「われわれはジャギュアを運転するから」。そしてシメのひとこと。

It’s Good to be Bad.(ワルいのも、なかなかいい)

こういうセンスがたまらなく好きなんです。

コットンクラブのみなさまに、長年かかった仕事の完成をねぎらっていただきました。

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半蔵門のARGOにて。昼も夜も窓からの眺めがすかっと美しい、とても雰囲気のいいレストランです。和のエッセンスを取り入れたフレンチで、サービスもすばらしい。

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お祝いの品としてセンスのいいバカラグラスの一輪挿しをいただきました。そのうえ、豪華な花束まで。感激。興子ちゃんが、私のイメージを花屋さんに伝えたらこのようになったそうです。ゴージャスに見えるけど実はシャイとか。わはは、照れるね! 一生懸命私のために考えてくれた、その粋なやさしさが何よりもうれしい(涙)。バカラの一輪挿しは家宝にします。

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店内に飾られる1000冊のビジュアルブックを背景に。後列左からbatak社長の中寺広吉さん、Yon-ka社長の武藤興子さん、ユニオンワークス社長の中川一康さん、前列左イラストレーター・ソリマチアキラ王子、右は綿谷寛・画伯です。
コットンクラブの名前は会長の名前に由来。

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場所を変えて二次会、三次会まで延々と話題が尽きずに気が付いたら午前三時(-_-;) 仕事の疲れも苦労もすっかりふっとび、次の仕事へのエネルギーチャージができた楽しい時間でした。笑いじわくっきり。みなさんありがとう!

フィレンツェからバスでトスカーナへ。

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周辺の大聖堂などを見て、メインのピサの斜塔。

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中はがらんとした空洞になっていました。

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塔を囲むようにして螺旋階段が293ステップ。外へ出ると斜塔の上。トスカーナが一望できる。この日の外気温22度、カラッとした気持ちのいいお天気でした。

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芝生の上で上半身裸になって日光浴している人もちらほらいた「トスカーナの休日」。

気分良く油断していたら、帰途に悪名高いスリ軍団に遭遇。少女やら、赤ん坊(おそらくダミー)を抱えた女たちがすりよってきて「ユーロ、ユーロ」(ユーロをくれ)と。無視して早足で歩いていたら、ダンボールを赤ん坊の上にかぶせ、体当たりで擦り寄ってくる。ハッと思ってダンボールに隠れたバッグを見たらちょうど留め金を開けられた直後でした。絶叫したら逃げて行き、何も盗られずにすみましたが、ガイドさんによれば、この「ダンボールや新聞で手元を隠す」やり方は、かなり多いのだそうです。観光客の多いこの道はスリとぼったくり&ひったくりの天国らしい。

こういうことを生活の糧にしなくては生きていけない人たちがいる。しかも大勢。しぶとく生き抜こうとしているだけあっぱれなのか。年間数万人の自殺者を出す日本は、スリが比較的少なく安全だからといって「平和」といっていいのだろうか。答えの出ないことをとめどなく考える・・・。

藤巻幸夫さんのお通夜。増上寺に少なくとも1000人以上が焼香の順番を待っていた。

お気に入りのケイタマルヤマのジャケットを着た笑顔の写真。いまにも大きな声で「よーかんちゃん行こう!」と喋りだしそうな…。よーかんちゃんとは、名物店主のいる藤巻さんお気に入りの店。

共通の知り合いと会場で会ったら、あらためて楽しい時間がよみがえり、泣けてきた。

ちょうどこのタイミングで、ある新聞社から「男のおしゃれと美容」について電話取材を受けた。

いずれ灰になるのに、おしゃれするなんて虚しいことだろうか。いや、いずれ灰になるからこそ、生きているうちはかっこよく装え。って藤巻さんなら言うだろうな。

男は女のようにヘアメイクできないから、と藤巻さんはメガネを4種類持ち歩いていた。藤巻百貨店オープンの対談のときに、4本すっきり収納できるメガネケースとともに見せてもらった。昼間のオフィシャルな会議用。昼間、人に会うとき用。夜の会食用。深夜、アブナくなるとき用(笑)。いちばん最後のメガネは、レンズの形が左右で違うのだ。右が□で左が○。メイクなんかよりはるかに変身効果がある。

なんのためにここまでするのかといえば、サービス精神なのですね。目の前の人に最大限楽しんでもらいたいという、無邪気なサービス精神。その結果、コミュニケーションが深まり、忘れがたい時を共有する結果につながれば、それはおしゃれの功績といえるのではないか。いや、そもそもそんな功績を計算する精神はおしゃれじゃないが。

WWD編集長だった山室さんも、ちょうど去年の今頃、50代前半の若さで、東京コレクションの直前に急逝した。やはり過剰なほどのサービス精神とファッション愛の持ち主で、周囲を引き立て、結果として周囲に信頼され、愛された人だった。藤巻さんと同じ魂の持ち主だ。みんなの喪服がダサイね、もっとおしゃれにならなきゃだめだね。なんて向こうで二人熱く議論を交わしていらっしゃるだろうか。

藤巻さんのいるところ、いつもにぎやかで熱気と笑い声にあふれていた。ときどき、楽しいユーレイになってこちらの世界のパーティーにも遊びに来てください。

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藤巻幸夫さんが54歳で天に召されました。一昨日、藤巻百貨店さんとの仕事の打ち合わせで、病状のお話を聞いていたばかりでした。

いつもエネルギッシュでポジティブで、パーティーに行けばしゃべりっぱなし、必ず周囲にたくさんの人垣ができる太陽のような人だった。ケチくさいことやもったいぶることが大嫌いで、いいと思えば、どまんなかストレートの剛速球でどんどん話を進めていく。世の中をよくすること、周囲を楽しませることにエネルギーを惜しまず、過剰なほどのサービス精神で、状況も人もすべてをいい方向に変えていく、「場の錬金術師」のような人だった。朝の5時まで飲んで、7時からテレビ出演をするような、そんなハードな生活で身体に無理がきてしまったのかもしれない。でも、身体をいたわるために減速しろといってできるような人でもなかった。いまできることは全部今やっておかねば生きている意味がないと考えるような人だった。

あのアツイ語りはもう聞けないのかと、ほんとうに大勢の人が泣いているだろう。日本の未来にとっても貴重なリーダーだった。

藤巻百貨店オープン時の対談の第一回目にゲストとして呼んでいただいたほか、どんなパーティーでも必ず引き立ててくださって、多くの方々と知り合いになるきっかけをいただいた。藤巻さんの友人というだけで信用保証になり、仕事と友人のネットワークが豊かに広がった。大学にもゲスト講師として来ていただき、学生たちに本気の刺激を与えてくださった。あの場で将来を決めた学生さえいる。もう一度ぜひ、という話をしていたのに、叶わないままになってしまった。感謝してもしきれないほどの恵みを与えてもらい、今度はこちらが恩返しをしなくてはと思っていたのに、それも叶わぬままになってしまった。

藤巻さん、ありがとうございました。日本をよくしたい、日本をもっともっと美しくしたい、というかねてから聞いていた藤巻さんの志を、微力ながら、受け継いで働いていくことが、少しでもご恩返しになるでしょうか…。ご冥福を祈ります。

どん底から絶頂まで感情をゆさぶられたソチオリンピックも終わり。虚脱感。限界越え、想像超えの、崇高な世界を見せてくださった日本代表選手はじめ世界中の代表選手のみなさま、ありがとうございました! 最上級の敬意を表したい。

オリンピックも3年越しの仕事も最終章の大詰めにきていた先週金曜は、忙中閑、外苑前のイタリアン、「イル・デジデリオ」にてランチでした。「25ans」 & 「Richesse」 編集長の十河ひろ美さん、「Yon-ka」を扱うヴィセラジャパン社長の武藤興子さんと。このレストランが入っている「パサージュ青山」一帯は石畳が美しくて、「フィガロ」なんかに出てきそうな外国の街並みのよう。

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「てんさい」のアイスクリームに、「きんかん」をあしらったデザート。旬の食材を生かしたお料理の数々、美味しかったです。

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食後に記念写真。武藤興子さん(左)と、十河ひろ美さん(右)。話がはずみすぎて時間を忘れるほどでした。

寒さが厳しい最近はこのブルー×グレーのニットワンピースばかり着ていますが、Jun Ashidaのものです。シーズン初めに一目惚れして購入。あたたかくて着心地がよく、まったく型くずれしないし仕事にも社交にも旅行にもOK。これだけ毎日のようにヘビロテすれば投資価値以上のものがあります。なによりも、ほんとうに丁寧に作られているので、作り手の愛情とプロフェッショナルな心意気の波動に守られているという安心感があります。

楽しくランチでエネルギーをチャージしたあとは、気持ちを引き締めて、最後の最後の校正作業で出版社に自主缶詰。総ページ数544ページ、本文は二段組になります。なにせシャネルときたらばフランス、ロシア、ドイツ、イギリス、イタリア、アメリカ、オーストリア…にまたがる活躍ぶりなので、出てくる地名と人名の確認が半端ではない。ロシア語とドイツ語の地名と人名の読み方がとりわけ人泣かせ。こういうときはゴール(総量)をあえて見ないで、目の前にきたものを一つ、一つクリアしていくのが、とりあえず気が狂わないコツ。夢中になっていたらすっかり時間が経つのも忘れ、ビルを出たのが夜10時になっていた。干場社長はじめ社員のみなさまはさらに遅くまで頑張っていらっしゃいました。

この翻訳は干場社長肝入りの本で、社長直々に編集作業にあたっています。写真は、干場さんのフェイスブックアップからシェア。

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泣いても笑ってもこれで終了。こっちの仕事でもぐったり虚脱感。ほんとうに多くの人に助けてもらった3年間。

いつも思うのだけど、完成直前がいちばんつらい。でもつらいときを経たものほど、完成時の喜びは大きい。

夜明け前がいちばん暗い。種が発芽するときも、土から出る直前がいちばんエネルギーを使う。なにかが実現する直前が、おそらくいちばん苦しい。……っていうことと同じなのかな。

一緒にするのも厚かましい限りだが、ドラマでも演出不可能な、圧倒的なパフォーマンスで「天才と努力の輝かしい集大成」を世界中に見せてくれた浅田選手の、あの直前の苦しみも、あとから振り返れば、(メダルを超える成果にとっての)意義深いできごとだったのかなとすら思えてくる。どん底から頂点へと突き抜けるカタルシス。この感情のジェットコースターの振り幅が大きければ大きいほど、人は「ことばにならない感動」で揺さぶられる。


神足裕司さんが新作『一度、死んでみましたが』(集英社)をお送りくださいました。大学宛に届いており、帰途読み始めたらボロボロ泣けてきて。

重度くも膜下出血から生還し、まだ脳に機能障害が残るなか、書くことだけが残された機能と感謝して綴られた奮闘記。

ご病気前の華麗なレトリックや饒舌でウィットに富んだ表現はなく、むしろ一文一文がシンプルで、本を開くと余白が目立つ。だが。その余白から立ち上ってくるものに圧倒される。ただただ、生きていることの尊さ。すばらしいご家族や友人の愛とあたたかさ。死の淵から復活し、徐々に機能を回復していく生命の奇跡。感情を、人にちゃんと伝えることの大切さ。

「潜水服は蝶の夢を見る」という映画を連想した。

涙とまらない中に、不意打ちに、自分の名前が出てくる。『スーツの神話』が神足さんの心のお守り的な本になっているという話が紹介される。

自分の本が誰かの心のお守りになる。こんな状況でも記憶から消えていなかった。これほどの賛辞が、はたしてあるだろうか。

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ご病気前の神足さんの文章は、「こんな文章を書きたい」とお手本にしていた。15字×87行で、と注文を受けたら、起承転結をつけてオチまで鮮やかにまとめて収める、というコラムのお手本だった。今の神足さんの心の姿勢も、お手本にしたい。こちらがかえって激励された気分です。

ありがとうございます。これからもたくさん書き続けてください。

神足さんのお母様が広島でかつて「シャネル」という洋品店を営んで繁盛しており、「シャネル」社からクレームの電話がかかってきたことがあるというエピソードに笑いました。来月出版される「シャネル」伝、お送りします(笑)。

✩香水会社を退社し、独立したばかりの青木美郷さんとランチ。青山ブノワにて。

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本ブログにも何度か登場してくださっていますが、ボキャブラリーが詩的で豊富なので(「睫毛の上に涙の粒」とか。笑)、「香り」という正体のあいまいなものの表現をするときに、いつもユニークな視点を与えてくださいます。実は、はじめて年齢を知りましたが、私の息子にどちらかといえば近い(~_~;) そういえば、これまでまったく年齢など気にならず対等のリスペクトをもって話していた(たぶん、お互いに)。感性に年齢はさほど関係ありませんね。

その後、一緒にラルチザンパフューム本店に立ち寄り、「今年をスタートする開運香水」を選ぶ助言もいただきました。昨年は、「あまりにもイメージど真ん中すぎて」避けていた女の王道的なフレグランスですが、この日はすっと直感に入ってきたので素直に。ひねりとかギャップとか寄り道はもういい。堂々とシンプルに直球で勝負することにした。という気分なのか。実際、トンネルをひとつくぐり抜けるたびにシンプルな悟りみたいなほうへ向かっている。

✩パリから来日中で、銀座和光での受注会最終日の鈴木健次郎さんにお目にかかりに。NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演して以来、すっかり有名になり、あちこちで声をかけられるとのこと。土曜日のトークショーも一日に3回もおこない、各回大盛況だったようです。ほぼ60日間におよぶ密着撮影のことや、新たに発見したスーツの各国の違いのことなど、お話尽きず。

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イギリスとイタリアのスーツは腰から下のドレープの表現に力を入れるが、パリは上半身に重きをもってくること。スーツはカッティングが重視されがちだが、「縫い」によっても表現ができること。最初に徹底して教え込まれる生地の持ち方や姿勢が、実は合理性にのっとったものであること。ロンドンから来る20代のお客さんのスーツの注文の仕方がたとえば「シングルとダブル一着ずつ、替えのトラウザーズを2本」というようなスマートさであったりすること。それはたぶん父から息子へと「伝統的に受け継がれる」ものであること。パリのお客さんは採寸中も冗談ばっかり言って笑いっぱなしだが、日本ではきわめて生真面目に注文が行われること。などなど。

2年前の和光でのトークショーをご一緒してから、ますます勢いにのっていらっしゃいます。(髪型の変化も成長の表れ?!笑) 今後はスーツでの世界制覇もめざしたいとのこと。目標が高くて明確ですがすがしい。努力を怠らず、次々実現しているのもあっぱれ。リスペクト。私も着実にひとつひとつ、がんばらなくてはね!

就職して2年経った一期生が遊びにくる。いろいろ課題を抱えて。振り返るに、24歳なんてほんとに幼稚園児みたいだった。今の知恵が当時にあれば…(T_T)(T_T)

大上段から道を語るのはこっぱずかしくて到底できないが、学生と一緒のごはんやお酒の席では、できるだけ教えている心がけ9カ条+1。自戒もこめて。こういうことを、20代のときにはっきりと教わっておきたかったから、そういう柄ではないけど、伝える。素直に受け止めて実践している女子学生がどんどんチャンスをつかんで次のステージに上るのを見るのはほんとうにうれしい。(男子学生にはちょっとコレは効かないのだな)

Be Confident

Be Positive

Be Open and Fair

Be Independent

Be Thankful

Be Mysterious

Be Quick to Take a Chance

Be Different and Enjoy your Blue Ocean

Be Proud and Never Follow Boys  (Let Them Follow You)

…Always with Smile and Grace.

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中野キャンパス隣接の四季の森公園にライトアップされているメイジロウくん。写真ではわかりづらいけど、なかなかかわいい。笑。周辺一帯は、昼も夜も、お客様が必ず驚くほどのおしゃれっぷり。

ツイッターをやっていないので、ツイッター連打的?プチつぶやき。

・釈明アタフタの都知事。カネの話より情けなかったのが、元不倫相手の品のなさすぎる暴露話と罵倒。ルール違反だろう。過去の関係を暴露することが。しかもこのタイミングで。こういう相手を選んだ都知事の「男として」のレベルが知れる。どっちもどっちか。

・こんなとんでもないリスクも出てくるから、愛人はある意味、友人以上に慎重に選ばなくてはならないのではないか? 

・「女磨きをしすぎると恋愛が遠ざかる」説。「がんばって男の人よりも稼ぐようになると幸せな結婚ができなくなる」説。女子学生にしょっちゅう相談される。それは、一面、事実かもしれない。その定説内のささやかな幸福というのもあるからね。それはそれで否定しない。でも、私の助言は違う。

・そこをさらに突き抜けていけ。限界と思われるレベルをさらに超えて女を磨け。男以上に、というか、誰よりも稼ぐ女になれ。と背中を押す。(実際、彼女たちの潜在能力は膨大なのだ。これを男性に遠慮することでムダに埋もれさせるのはもったいない)

・世間並みの幸福(って何?)という世界をさらに突き抜けていけばその先には、そのときの自分にふさわしい、ごくごく少数だが、同じかそれ以上に高いレベルの男性と出会う機会がかえって増える。同質の人間が濃密にそろうソサエティに行けば、逆に、選び選ばれやすくなる。マニュアル無用、駆け引き不要、スペック不問の、「世間並み」などはるかに凌駕する男性が現れる確率が高くなる。

・ちまちました数字で比較しあうスペックなど、あほらしいではないか。スペックなど、必要十分でよろしい(ロールスロイスね。笑)。スペック上の比較のはてに選ぶ(選ばれる)のではなく、とりかえのきかない存在として認めあうことができる。

・そんな関係においては、ライバルがいないから嫉妬もない。若さや表面上の美しさだけで選ばれるわけではないから悠々と年を重ねていける。自分が忙しければ多少の音信不通もかえってラッキー。突き抜けた世界に行けば、そんな究極にロマンチックで、ストレスのない恋愛関係を築くチャンスはかえって増える、と。

・そんな男はいない、そこまでがんばったときにはもう誰も残っていない、と彼女たちは必ず言う。だからこそ、10代20代で時間を浪費してるヒマなどないのだ。しかも、地球上に何億男がいると思っているのだ!笑。あとは幸運を祈る。くどいが、「世間並みの幸福」に収まるための妥協をしたければ、別にそれは否定はしない。そんな幸福が似合う人のほうがむしろ多いだろう。

・ただ、妥協の果てに、他人頼みゆえに不満だらけの人生、常に比較の基準が「他人」なので嫉妬でくすぶり続ける人生を送る確率と、究極の自立に賭け、ブルーオーシャンでストレスの少ない人生を享受する確率は、同じくらいではないかと思う。たとえそこでパートナーと出会えなくても、あらゆる意味において自立を果たしていれば、同質の仲間に恵まれて前者よりもはるかに充実した人生を送ることはできる(可能性は高まる)。

・どっちにせよ、未来は不確定要素だらけである。それでも、ブルーオーシャンに賭けようというガッツある少数の女子学生は、冒険に出る。めざせ、比較対象のいない青い海。覚悟を決めたら、その決断を最高にするように最善の努力をすればいい。たぶんその努力に無我で没頭している邪念のない過程にこそ、幸福がある。

仕事こぼれネタ。今回のお仕事には使えなかったけれど、あまりにも惜しいので。

文芸春秋2000年10月号、芦田淳「上流ファッション回想50年 最高にお美しかった美智子様が示された心遣い」。

美智子さまのお人柄を伝える数々のすてきなエピソードが紹介されている記事のなかの一節。というか、美智子さまのおことばの引用です。

「芦田さん、イメージを大切になさい。そのためには死守なさい。高いイメージをつくるには苦しい長い時間がかかるけれど、そのイメージも気をゆるめると一瞬にして転落するものよ。落ちたイメージはもう元に戻らない。また初めから低いイメージで出発したら、高いイメージになることはないのです」。

ラグジュアリー・ブランディングにも通じるお話。

もうひとつ、同じ記事から、美智子さまエピソード。

「老人ホームをご訪問になる時は、『芦田さん、ご老人がいちばん喜ばれる色は何色でしょうか』とお尋ねになります。冬季オリンピックが開催される時は、『表彰台に上がる時、選手たちにはどの色が励ましになるでしょうか』とお尋ねになります。ご自分が美しく見えることをお考えになるのではなく、常に相手の立場に立ってお考えになる方でいらっしゃいました」。

自分より相手ありき。相手を喜ばせることを考える。この心がけが、たぶん、愛される美しさのシンプルにして力強い普遍的なルール。自分を美しく見せたいというエゴがちらと見えたとたん、ほんとに美しくても、そこどまり。相手の心まで届かない。それを手放すのがなかなか難しいこともわかるけれど。

仕事の延長で、真正面から不意打ちに飛んできた言葉。

You are the climax of my ideals.  I want to be  you.

あまりの唐突さにフリーズするしかなかったけれど、今まで生きてきたなかで最高に「肯定された」感があった、自分的には記念碑にしたいくらいの、想定外の、究極の賛辞。これまでの修行やら鍛錬やらがすべて報われたと感じられたセリフ。

あとから気づいたけれど、前半は白洲次郎、後半はブランメルがらみ。ひときわ感動が深くなる。

仕事は仕事、自分は自分。個人としての自分は仕事と切り離された別もの、という考えがぼんやりとあったが、おそらくこのくらいの年になればそうではなくなっているらしいことにようやく気がついた。仕事も自分の延長、というか仕事を含めての自分。それが他人の目に映る自分の姿。今さら自覚する(遅い…)。人のことはよく見える(こともある)のに、自分のことはまったく見えていなかった。

You are the fountain of my inspiration.

この言葉をお返ししたい(笑)。

Googlerになった教え子の朋美さんのご案内でGoogleオフィスツアーをしていただきました。六本木ヒルズ高層階、数フロアにわたるレジャーランドかリゾートホテルのような(!)オフィスには、ちょっとしたカルチュアショックを与えられました。すでにいろんな媒体で紹介されているのでいちいち驚きを書きませんが、これは働くのが楽しくなるだろうな~という徹底した仕掛けの数々。

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すっかり有名ではありますが、ぐーぐる湯。細部の細部にいたるまで、とことん本格的な銭湯風。富士山の絵も、国内に2人くらいしかいない専門の絵師を呼んで描いてもらったものだとか。「男湯」「女湯」(という名のミーティングルーム)からは本物の富士山が見える。

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すれちがう社員のみなさまも、クールでおしゃれ。というか女性社員は美女ぞろい(@_@;)


偶然ですが、数年前、明大にレクチャーに来てくださったデイヴィッド・マークスさんもグーグルの広報部長として勤務していました。当時はまだハーバードを出て日本の大学院を出て日本の消費行動などを研究してたかと。

都内を見下ろすガラス張りの社員レストラン(日替わりで各国料理の専門のシェフがくる。フリー。社内にいたるところにある飲食施設は、自動販売機にいたるまですべてフリー)で、3人でタイ料理のランチをしつつ、デイヴィッドが執筆中の日本の戦後メンズファッションの本(英語)の話を拝聴。ヴァン、倉敷のデニムと制服の関係、裏原などに関する知識は日本人の、いちおう専門家に近い立場の私も知らないほどマニアック(褒め)だし、話す日本語は、日本人以上に美しかったりする^_^;。

これを、グーグル社員の仕事としてではなく、個人としての趣味(?)研究、としてやっちゃうというのは、どれだけ優秀なんでしょう。

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身長190㎝超のデイヴィッド。日本ファッションのディープでクレバーな理解者として、来年あたり、再び大学にゲストとしてレクチャーに来ていただく予定です。

という仕事のいいご縁がつながるのも、朋美さんに10年ぶりくらいに再会したバーニーズのパーティーのおかげ。あのときは知人が関わるイベント3件のハシゴで疲れも限界近くきてましたが、ムリしてよかった。徹底して遊ぶと良い効果が生まれます、やはり^_^;

BLBG社長の田窪寿保さんをお招きし、英国のラグジュアリービジネスをテーマにお話しいただきました。

ブランディング、ラグジュアリー・マーケティング、イギリス人とのビジネス、アントレプレナーシップ、英国らしさとは、ジェントルマンとは、アメリカとの違い……などなど、イギリスとのビジネス最前線の現場のなかから見えてくるお話は、たいへん興味深いものでした。

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・ブランディングにおける「落差」の生かし方と「ルール」を貫くことによる差別化

・常識を疑い、常識の「逆」を行くことがブランディングの基本
    →Virginが恐竜のようなBritish Airwaysに対抗するためにとった戦略は、飛行機での旅をエンターテイメント化する、という無茶苦茶な発想だった。
  →フォックスの傘は、「閉じると美しい」。傘の常識の逆を行って勝利
・需要があるときにこそ「絞る」ことの重要性。売れるときに売れ、では長生きはできない。
  →スマイソンは、ロンドンオリンピックの時、店舗を閉めていた!
 
・「本当に好きなものを言うこと」の重要性(いかに「変わってる」かが大事)

→イギリス人社会にはいじめがない。だれもが「変わってる」ことを尊重するから。
・「クラブ」に入ると「話が早く」なること
・「本物のジェントルマン」は、(サムライのように)今では姿・形がなく、心の中にあり、自分なりのルールをもっていること
・Nobody is perfect. 完璧なモノはないが、あなたの愛情によって、完璧になる…という発想もあり
・言い訳のない人生を送るためにどうすべきかということ
・ピンチのときにはブレーキではなく、アクセルを踏め
・ロジックを鍛えろ。海外ビジネスで「土下座」は通用しない。

などなど、就活生にも、参考になること多々。

究極のブランディングの目標は、「代名詞」になること。
旅行鞄=グローブトロッター、カステラ=文明堂、みたいに。
そのための「自分軸」と「時間軸」をつくることが重要、と。

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