26歳から96歳まで、70年間もの長きにわたり、英国女王という地位を超えて世界の女王という圧倒的な存在感で敬愛されていらっしゃいました。

プラチナジュビリーの祝典を終え、新首相を任命するという務めを果たし終えた後のタイミングでの崩御。最後まで君主としての責任を果たされたのだなあという深い感慨があります。バッキンガム宮殿には二重の虹がかかったようですね。

象徴としての地位を超えてお人柄がなんともチャーミングで大好きでした。個人的には、女王について著書や新聞・雑誌などで多数の記事を書かせていただき、そのたびに新しいことを学ばせていただきました。感謝してもしきれません。

長い長いイギリス史のなかでも、「エリザベスII世時代」はひときわ鮮やかに彩られることでしょう。悲喜こもごものカラフルなできごとがこれでもかと続き、それでも常に女王の不動の安定が「ザ・ユナイテッド・キングダム」を支えてきました。「ワンスタイル・マルチカラー」の女王スタイルさながらに。

ありがとうございました。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

“Grief is the price we pay for love”  エリザベス女王が9.11事件の後に述べた言葉です。

一生さんの訃報の前に、オリビア・ニュートン=ジョンの訃報を聞いた。

1980年代の初めに最もよく聞いていたのが、オリビアの「ザナドゥ」だった。一点の曇りなく、希望と明るさと官能に光り輝いているような歌で、時代のムードと完璧にあっていた。今聞いても、あまりの「きれい」さに泣けてくるほど。

A place where nobody dared to go
The love that we came to know
They call it Xanadu
And now, open your eyes and see
What we have made is real
We are in Xanadu
A million lights are dancing
And there you are, a shooting star
An everlasting world
And you’re here with me eternally

ザナドウは当初、ただのバブリーな「場所(ナイトスポット)」として歌われていたかもしれない。でもこの歌詞の抽象度は高い。メロディがきれいであればあるほど、歌詞が魂に響いてくるようなところがある。オリビアの裏声ギリギリの高音の声がそこまで高めていくんですね。

 

The love, the echoes of long ago
You needed the world to know
They are in Xanadu
The dream that came through a million years
That lived on through all the tears
It came to Xanadu
A million lights are dancing
And there you are, a shooting star
An everlasting world
And you’re here with me eternally

Xanadu, Xanadu

 

Now that I’m here
Now that you’re near
In Xanadu

 

前半は一点の曇りもなく光り輝く愛の世界の祝福。後半は哀しみを隠した天の世界にも感じられてくる。

オリビアはザナドゥにたどりついただろうか。すべての人間はそこに近いところにいることを、あらためて思い出させてくれる。

ご冥福をお祈り申し上げます。

 

*Photo: Pradiso Canto.  Rosa Celeste: Dante and Beatrice gaze upon the highest Heaven, The Empyrean.   Gustave Doré

Wikimedia Public domain

10月4日にHPが突然消えてしまい、ワードプレスにもアクセスできないという事態が発生しました。

青ざめて調べてみると、9月末におこなわれたnifty のmysql5.5から5.7 の移行にともない、データベース5.5で作ったものは消滅してしまったとのことでした。そんなこといつの間に。と問い合わせてみると「メールでお知らせしましたし、告知してあります」とそっけなく、失われたデータに関しても責任はもたない、と。お知らせメールをいちいちチェックしていなかった私が悪いということのようでした。

それって自治体などにありがちな「広報に書いてますよね?読まなかったあなたが悪い」みたいなもので、これほどだいじなことはきちんと「届ける」企業努力をすべきではないのか? と一瞬思った私はわがままでしょうか? しかも私は20年来の顧客ですよって言いそうになるのをぐっとこらえ。まあ、私の危機管理能力が乏しかったということなのでしょう。

このHPは過去作品のアーカイブとして作りました。2008年以降の、手元に何とか保存できていた断片を、読者がこれからファッション、メンズファッション、イギリス文化、ラグジュアリー領域のことで調べたいときになにかご参考になることが少しでもあれば、という思いでこつこつとアップロードしてきました。より見やすくするために、今年の5月にリニューアルしたばかりでした。その年月と労力と莫大な経費があっさり消されてしまったというわけでした。

niftyでは「どうにもできません」、終了。ほとんど絶望して文字通り声も出なくなっていましたが、一縷の望みをかけてTwitter で窮状を訴えたら何人かが救いになるヒントを教えてくださいました。こういうときにインターネットのありがたみを感じます。みなさん、ほんとうにあたたかい。

同じような目に遭って復活させたという方のヒントをもとにして、FTPなるものをダウンロードし、その使い方を覚えることから始めて、なんとか自力で古いデータが「存在する」ことを確認できたときには、安心のあまり号泣です。

とはいえ、それを自力で復元することまでは到底無理そうでした。つてをたより、プロフェッショナルな方々のお力により、無事、9月末までのデータを何とか元に戻すことができました…。それが土曜日、9日のことです。私にとっては、救命医に匹敵する方々です。おおげさではなく。ものすごく高度な(と私には見える)専門知識と技術でお助け下さったみなさま、あたたかいことばをお寄せくださった方々、念の念の念のためにバックアップをダウンロードして備えてくださったHP構築の担当者の方々、ほんとうにありがとうございました。

結局、ほぼ一週間、この作業にかかずらうことに。同時にこの時期には仕事の上での手ひどい裏切りが発覚し、ダメージがきつかった……。その間の仕事の遅れを必死に取り戻しております。人の道に背くようなことをしても、必ずしかるべき天誅が下ります。私と私の仕事仲間は自分たちのやるべきことに集中します。彼らの足元にも及ばない高いレベルのものを創って極上の幸福を味わう、これがいちばんのリベンジになると思っています。

(写真はすべて寺家町です。深呼吸しにいくのにもっともふさわしい場所のひとつ)

 

 

 

熱海の土砂流は恐ろしい災害ですね…。泥の津波が、上からものすごいスピードで押し流されてくる。驚く時間もないほどのあっという間。

巻き込まれて犠牲になられた方々のご冥福をお祈り申し上げるとともに、ご家族にお悔やみを申し上げます。家を流され、今も避難されている方々の不安はいかばかりかと拝察いたします。コロナの不安も広がる時期、一日も早く復旧がなされますようにお祈り申し上げます。

 

来日したセルビア選手団からまたひとり羽田で陽性判明。残りの選手は富山県で合宿とのこと。善意あふれる富山の受け入れ先の方々の複雑な不安、内心のパニックはいかばかりでしょうか。なぜこんな明らかなリスクをわざわざ広げてまでオリンピックを開催しなくてはならないのか。納得できる説明がまったくなされず、一般の国民側に度を越した犠牲ばかり強いられることに、怒りさえ覚えます。

 

連日の大雨続きで日照時間も少なく、心身の不調を覚える方も多いのではないかと思います。私も連日締め切りの時期で、こもって一日一社の原稿アップという日が続いて疲れが出てきました。大きな仕事も気になりながら追いつかず。遠くを見ると情けなくなり自己嫌悪に陥りますが、まずは目の前のことに一つずつ没頭していきます。「片づける」という意識があるとミスを出すのです(深く反省、自戒)。

 

こちも好きなウォーキングコース。

中華街~元町~山下公園あたり~関内~みなとみらい、でだいたい1時間ちょっと。途中お茶したりなんだりしているともっとかな。

異国情緒があちこちにあふれており、景色のバリエーションが豊かなので飽きません。

こういう壮麗な建物が店舗になっていたり資料館になっていたり。

チューダー建築っぽい。

よく見るとものすごい建築なんだけど、さりげなく街のなかに溶け込んでいるところがまた味わい深い。

ライトアップされるとまた美しいのですが、あえて逆光でシルエットのみ。

ブランディングにおいて細部にいたるまで徹底的に気を抜かないということは大前提なのですが、

同時に、細部に至るまで「ウチの世界観はこれなのです!」という強い主張がはりめぐらされていると、それはそれで問題がある。

最初はすごいな!と感動するのですが、その後は、なんというか、あまりの主張の強さにおなかいっぱいになるのです。

ある程度、第三者を巻き込めるようなイノセントな余白や静けさがあるほうが、長く付き合える気がします。建物も、商品も、人も。

徹底的にブランディングがなされた形跡のある、とあるホテルと商品ラインナップを見て、そんなことを思いました。「私って、こうなの」という自己規定はほどほどに。笑

このあたりはタイムレスな穏やかさがあり、いつ来ても癒されます。

 

2月のラストスパート、良い一週間をお過ごしください。

Happy Valentine’s Day.

教え子さんたちありがとう。恩返し以上の愛情を返してもらっています。


愛のある寛容な社会になりますように。


透き通った濃いブルーの青空に、白い飛行機が一点(かすかに、おわかりでしょうか)。心なしかスピードもゆったりとして見える。

海外からのゲストもなく、海外へ行く取材もない。代わりに、ズームでは海外の人とより頻繁にやりとりできるし、Clubhouseに入れば市井の人々の英語のおしゃべりが聞こえる。脳内グローバル度はコロナが後押ししたテクノロジーのおかげでかえって広がった。ドメスティックなのかグローバルなのかよくわからない不思議な状況。

「始める」ことのハードルも低くなっている。チャンスがごろごろ転がっているから、逆に何をやらないのか、ストイックに誘惑をスルーし、必要なことを選びきることができる人が、「先」に行くだろう。偏在は必ずしも価値上昇につながらない。

 

昨日はJBpress autograph の原稿のため、21歳、24歳、39歳の男性と、彼らが共通して敬愛する師匠77歳にインタビューさせていただいた。4人それぞれ学ぶことに貪欲で、清潔な印象(人格的に)を与える素敵な方だった。年齢をとわず謙虚に学ぶことを楽しむ人って、まなざしが美しいし、未来に希望を感じさせる。3時間もかかったけれど、後味のすがすがしいインタビューだった。

77歳でも常に社会に心を開いて新しいことを謙虚に学び続けている人は、孫くらいの年頃の人からも慕われ、教えを請われる。リスペクト。

80歳でもわきまえてない人に限って、自分が理解できないことをたなにあげて、わきまえろなどと言う。

Know Your Place.

あの世代の支配層の方たちは意識すらせずそうやって思うがままにふるまってきたのかもしれない。それを指導力と取り違えて。

一方、昨日話した77歳のように、10代とフラットに実のある会話ができて慕われる人もいる。日々の心がけ次第で、老害にならないことだってできるのだ。

閉塞して見える時代にも希望の種を見つけて過ごしていけることは、ほんとうにありがたい。

 

 

 

あけましておめでとうございます。

 

旧年中のあたたかいご交誼に心より感謝申し上げます。

本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

初詣を終えるとちょうど初日の出。青い空にひときわ光り輝いて見えました。

 


西側の空には、ほぼ満月が残っています。マレフィセント味のある木々の間に、うっすらと月が見えています。なにがあろうと淡々と上り、また上るために静かに沈む。

みなさまの2021年がお健やかでお幸せに満ちた年となりますよう、心よりお祈り申し上げます。

先日のイブニングセミナーにご参加くださった方の中に、占星術師の青島ひかりさんがいらっしゃいました。

ブログで、このような感想を書いてくださっています。リンクはこちら

 

占星術の視点から見て、これから200年は風の時代になる、と。星の巡りと社会、とりわけファッションに見られる新時代の兆候がリンクしているというのは非常に心強いです。

 

 

昨日の仕事で久々に訪れたシェラトン都ホテル。庭園のライトアップが美しかったです。

来年早々のイタリアフェアに向けて、始動しております。仕事の成否はひとえに人とのご縁にかかっていることを実感すると、世の中のひとつひとつの現象の背後に膨大な網の目のような人のネットワークがあることに想像が及びます。SNSで「人の断捨離」という言葉をちらっと目にしてなんだか胸が痛んだのですが、合わないと思えばそっと距離を置けばよいだけで、なにもモノのように断捨離宣言することはないのでは。よほど毒の強い関係だったら別ですが。思わぬご縁が、忘れたころに活かされる、ということは少なくないのですよ。

集英社クオータリー「kotoba」2021 winter 本日発売です。

連載「スポーツとファッション」第4回は、「アスリートによる大胆な政治的主張」です。

 

まるまる6頁。8000字くらいの長めの論考ですが、デリケートな問題をできるだけ丁寧に扱ってみました。よろしかったらご覧くださいませ。

 

 (Click to amazon)    特集は、司馬遼太郎。ファンは必読です。

 

 

 

以下、恒例の「季節の写真」集。笑 今の季節の高輪の日本庭園です。

グランドプリンス高輪のティーラウンジからの鑑賞+散策がおすすめ。

四季それぞれに違う顔。

角度によっても来るたびに違う顔を見せてくれるのが自然のいいところ。

もう冬ですね。2020年のラストスパート、くれぐれもお気をつけてお健やかにお過ごしください。

岩田健太郎先生が、11月11日の朝にこんなツイートをなさってました。

 

『マナーって難しいですね。日本の医学部にいると、中で「マナー」と称されているものは偉い人のわがままな価値観の押しつけがほとんどです。一度、目上の人に会うとき白衣で行ったら「作業着を着たまま俺に会う気か」と怒られて、なんてめんどくさい人か、と唖然としました。』

憶測にすぎませんので違ったら恐縮なのですが、岩田先生はその時、もしかしたら、ぺらぺらのポリエステルの白衣を着ていらしたのでは? テイラーの技術で作った見るからに上質な「クラシコ」の白衣を着ていかれたら、先方の反応も違ったのでは?とふと思いました。

「白衣=作業着」という反応をする偉い人にもたしかに問題はあるとは思いますが。

 

ここぞのときの服が相手に与える印象、ひいては場に与える効果って、ほんとうに大きいですね。もちろん、もっとも大切なのは本質的に重要な仕事であることには変わりないですが、こうしたささいな印象の差が、翻って自分のキャリアに跳ね返ってくることもあるので、やはり少しの気遣いをするのにこしたことはないですね。

 

私が「クラシコ」の広報担当者なら、すぐに岩田先生に一着、白衣をプレゼントするんだけどな。お似合いになりそう。で、その後の同じ方の反応を聞いてみたいです。笑

ザクロがたわわに実っている樹をまじかに見たのは初めてかも? (記憶力があやしいのでただ忘れているだけかもしれません) とにかく新鮮だった、ザクロの実。

新高輪プリンスホテルのスロープサイド・ダイナー、ザクロの前にあります。「ざくろ坂」というくらいだから以前からあったのですよね

アップにしてみました。この木はプリンスの持ち物ではなく、東京都の公共財だそうです。こんなに成った実はどうするんだろう? おいしそうだし、健康食品としても使えそうですが。

 

NewsPicksでは日本のニュース、海外のニュース、と朝一に飛び込んできたニュースのなかからいろいろピックしてコメントをしております。もしよろしかったらチェックしてみてくださいね。

ベイルートの爆発。広範囲にわたり、凄惨ですね…。火薬庫に引火したとのことですが、立ち上がる雲が原爆を思わせる。100人以上がなくなり、負傷者も多数、30万人が家を失ったとのこと。コロナで経済がたちいかないこの状況で不条理極まりない事故である。あるいはテロなのか。突然に巻き込まれて命を落とす羽目になった方々の悔しさはいかばかりかと思う。ご冥福をお祈り申し上げます。

Beirut City. 2007. Wikimedia Public Domain.

折しも今日、広島に原爆を落とされて75年という日。

 

世界のいたるところに、もちろん日本にも、いつ何が起きてもおかしくない危険が潜んでいる。安全は紙一重、薄氷の上を歩いているようなものだと思う。日本では失策・欺瞞続きの行政のトップが10兆円を保留したまま危機のさなかに雲隠れ?? なぜ国会が開かれない?? 地方自治体のトップが幼稚園児のようなことを言って市場が振り回されている。スケールは小さすぎるけれど、遠景からこの光景を見るとやはり凄惨な図にしか見えないだろうと思う。

梅雨明けしたのもつかの間、明日はもう立秋ですね。暦の上では今日が最後の「夏」。暑さは続きそうですが、せめて自分の頭で考えて、納得できる行動で時間を充実させたいものです。引き延ばしは厳禁。明日はないと思って行動したい(←これは自戒)。

While we are postponing, life speeds by. (By Lucius Annaeus Seneca)

〇集英社インターナショナルのウェブサイトで展開していた「コロナブルーを乗り越える本」が冊子としてまとまりました。

集英社インターナショナルの新書風です。

こんなにきちんとした冊子になるなら、もっとシリアスな文体で書くんだった。「アンケート」として「3冊までご推薦を」とご依頼が来たので、ほとんど反射神経で書いた記憶あり……。もちろん「コロナの日々を耐えている状態に効く本」を意識しておりますが。

他の読み手の方々はすばらしく、回答そのものに力が入ってます。100頁近くあり、これだけでエッセイ集としても読める。

 

一部書店でフリーで配布されているそうです。見かけたらチェックしてね。

 

 

 

 

〇ここしばらく、多様な業界の方々とラグジュアリーに関する議論をしたりインプットをしたりしているのですが。

旧ラグジュアリーが神秘・階級・エクスクルーシブを内包するカソリックだとすれば、新ラグジュアリーは徹底した透明性・リベラルを内包するプロテスタント。

という比喩がひとつあるのですね。

 

ラグジュアリー問題を、ラグジュアリービジネスの方向性としてというよりもむしろ今のところは「個」に帰結する問題としてとらえる私自身がどこに所属するかといえば、やはり両者の妥協の産物である「英国国教会」だと思われます。

よくもわるくも、「中道」なアングリカン・チャーチ。

いずれにせよ、圧倒的な、徹底的な究め方をしないと、いかなる流派のラグジュアリーにもなれない。

新ラグジュアリー論、面白くなりそうです。

(3月に訪れた沖縄です。あ~早く沖縄再訪したい。こんどは本土ではなく島ですね)

 

“He who has a why to live can bear almost any how.” (By Friedrich Niezche)

 

古い書類を片づけていたら、あるあるなのですが、いろいろお宝の発見があって結局片付けがすすまない……。

20年前に文春新書から「スーツの神話」という本を出しているのですが、柴田元幸先生が書いてくださったレビューが出てきました。「本の話」(文藝春秋)2000年4月号。

いまだに、この本を読んだので、と新規の仕事が来るのです。ちなみに絶版で、中古しか流通していません。

続編を書きたいとずっと思っておりましたが、チャンスがないままに20年。忘れたころに、今年、リベンジの機会が到来しました。やはり熱中して向き合っていたこととは、あとになって、思わぬ形でご縁がつながっていくものなのかもしれません。

それにしても、当時の文体の勢いよさからずいぶん丸くなった気がするな。私のクセの強い文体が嫌いだという方の批判の声に引っ張られて、気弱になって書けなくなった時期がありましたからね。しかし、一方、嫌われるその文体こそが取り換えがきかないので続けてください、という励ましもいただいた。そういう方はきちんとした仕事をくださるという形で具体的に応援してくださいました。そういう方々への恩義は忘れていないし、私も、人を励ましたいときは「具体的に」仕事を分担したり役割を担っていただいたりする、ということを心がけるようになりました。

人を故意に傷つけさえしなければ、全方向に好かれようとする努力はしばしば徒労に終わる。薄まった個性は「とりかえ可能」になってしまう。

“Always be yourself, express yourself, have faith in yourself, do not go out and look for a successful personality and duplicate it.” (By Bruce Lee)

 

 

 

 

?21日付の読売新聞連載「スタイルアイコン」です。

JLO ことジェニファー・ロペスについて書きました。


?芳賀徹先生が旅立たれました。大学生のときに、比較文学の授業を受けました。荒っぽいレポートを出したと思いますが、細部に関しては鷹揚で、「こんな才気を大切にしなさい」というコメントだけを添えて返してくださいました。とても励まされて、ごく最近まで保存していました。具体的に比較文学の「何を」教わったのか、内容はさっぱり覚えていないのですが、「どのように」教えていただいたかという語り方や物腰は30年以上経っても忘れていない。「人が人に教える」ことができるのは、具体的情報よりもむしろ「どのように」という在り方なのですね。感謝をこめて、ご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

?斎藤薫さんの名言。「奥ゆかしく相手を傷つけず、心地よくさせる、その結果期せずして相手を引きつけてしまう……それが日本人」「日本人のDNAにある丁寧さと冷静さ、最低限の大人のためのマナーを持って生きれば、それだけで必ず美しさが宿る」「慌てなくていい、がむしゃらにならなくていい」(GINZANISTA Spring 2020 Beauty)    毎朝、読み返してから出かけることにしたいくらい。


義理薔薇でもなんでも、バレンタインデーに薔薇をいただくと嬉しい! ありがとうございました。

 

 

毎年書いていますが、いまだこの日に「チョコもらえなかった」とか言っている男性を見ると、「自分から贈ろうよ」とお声掛けしたくなります(しませんが)。女性からチョコレートを贈るのは日本だけ、しかもそもそも製菓会社のマーケティング戦略から始まった慣習にすぎません。チョコ待ち男性のなんだかなあという姿を見るより、薔薇を抱えた男性が町にあふれる光景を見たいなあ。(だったら海外に住めよ!と怒られそうですが)

全国の花屋さん、来年はさらに強力なキャンペーンを展開してください。

 

もちろん、チョコを贈るのが楽しい!という女性の気持ちもよくわかりますし、経済効果も見逃せないので、それはそれとして並行して残っていてもかまわないと思います。

要は「待ち」の姿勢で一喜一憂するのではなく、主体的に自分の幸福感をコントロールできるよう過ごそうよ、ということですね。

2月のスタートは春を思わせる陽ざしと快晴に恵まれました。

恒例、「1日」には神社へお参りに行きます。シングルペアレントを務めつつフリーランスで仕事を続けることができている幸運に対する感謝を伝えるため。



足りないものを数えたらそれこそキリがありませんが、どん底状況でもとりあえず「ある」ものに感謝して、できることを一つ一つ行動に移していく、というのが不安を解消する唯一の方法です。

 

ウィルスの脅威にも警戒しつつ、日数の少ない2月を大切に健やかに過ごしたいものです。みなさまもどうか最大限の警戒を。

オーストラリアではブッシュの大火事が広がり収まる気配をみせず、アメリカとイランの間で戦争の兆しありで多くの国が無関係ではいられない事態。年頭からテロを起こすような、あの分別を欠いた大統領が核兵器を使わないという保証はどこにもなく、地球レベルで危機が切迫していることを感じます。

ファッションをテーマに語るなんて平和な時代でしかできないこと。地球に平和が訪れるよう、祈ることぐらいしかできないのがもどかしい。自衛隊が激しい紛争の可能性ある地区に派遣されたら日本の平和も完全に保証されるわけではないでしょう。現実は刻々とシビアな方向に向かっているように見えますが、それでも、希望のある2020年となるよう祈願したい。

 

Web LEONでのダンディズムの記事が、Nikkei Style に転載され、本日より公開されています。こちら

こういう時代に念のため振り返っておきたい先人の「ダンディ」として、白洲次郎(拙著では靴下ゆえに非ダンディ認定をしましたが)がいる。白洲次郎は最後まで時代の空気に逆らって参戦に反対して、ぎりぎりまで日英両国の関係者を説得し続けた。結局、それが無理とわかると食糧難を見越して疎開し農業を始めた。召集令状を拒否して兵役につかなかったことで卑怯者呼ばわりもされたが、自分を世のために活かす道は戦後の復興にありと見定め、多大な貢献をする。生前も没後も賛否両論がつきまとう人だが、自分ができることとできないことを見極める分別と、俊敏な行動力は備えていた。

全ダンディ志願者のみなさん。「時代の空気」に鋭敏でありつつ決して空気に流されないよう、歴史の大きな流れを知ってあらためて自戒を。

 何度も推薦しているかと思いますが、白洲次郎の生涯を知るにはおすすめのドラマ。伊勢谷友介さん、「マチネの終わり」にでは英語がイヤミになるちゃらい男の役でしたが、こちらは骨太な英語力を駆使してかっこよすぎるくらい。

A Happy New Year.

May the New Year Bring You Love, Joy and a lot of Ecstatic Moments.


 

あけましておめでとうございます。

旧年中のあたたかなご交誼に心より感謝申し上げます。

皆様の一年が愛と喜びと、感動的な瞬間で満ち溢れますように。

 

1月から「まんまる」連載100回、新刊発売、新刊記念講演、新連載(掲載は翌月)、その他チームでの大きなプロジェクトのキックオフや新企画のお披露目準備など、区切りのイベントやチャレンジングな仕事が目白押しです。年間を通しても10年前の仕事の続編と、20年前の仕事の集大成の機会をいただいております。ひとつひとつ、凡事徹底と想定越えの両立を心がけ、愛情と感謝をこめて向き合ってまいります。どうぞよろしくお願い申し上げます。

2019年をなんとか乗り越えることができそうで、読者のみなさまはじめ支えてくださった多くの方々にあらためて感謝申し上げます。

2017年は全世界から拒絶されたようなどん底状態でしたが、なんとか気持ちだけ立て直し、2018年は先の見えない不安と闘い続け、2019年には、後がないなら前しかないという諦念で、今できることを枠を外して全部注ぎ込む、ということだけに集中してきました。まだまだ勉強不足だし、通過点ではありますが、折々にチャンスをくださった方々、ご支援くださった方々の御恩は忘れず、着実に実績を重ねていきたいと思います。

 

暗闇の時間を乗り切るための心がけ

・なくなったものはしょうがないので、「とりあえず、ある」ものを無理にでも数え上げ、感謝してそれを愛でる
・現在をConsummatory に生きる。将来の手段として現在の活動を不本意ながらおこなうのではなく、活動それ自体を楽しむ
・凡事徹底をきわめる
・チャンスをいただいたら、先方の期待を超えるサービスをする(仕事でも社交でも)
・悲惨なできごとも「ヒーローズ・ジャーニー」のなかの「深淵」としてストーリー化し、復活後のストーリーを妄想する
・古今東西のヒーローには、世間から理解されず、孤独な時間があったということを思い出す
・そういう時こそ「人間」がよく見えるので、善悪の判断ぬきに観察してメモしておく
・会った人、会話した人(メールなどでも)には、別れ際によい印象を残す

 

そんな気持ちの持ち方すらできないほどの不幸や災害に見舞われた方も、大勢いらしゃいます。身近にもおります。明日のわが身としていつも心の片隅で見守り、ささやかながらできることをしています。一日も早く平穏な生活に戻ることができますよう、お祈り申し上げております。

 

?さて、先日アップしました日中のスーツの色が光の加減で今一つ正しく伝わっておりませんでした。カメラマンの写真ではなく、一緒にいた友人がスマホで撮影してくれた写真が、より実物に近い色です↓



(Tailored by Teruo Hirokawa with the fabric of Chugaikunishima 1850)

仕事着として着るものがないとお困りの女性管理職のみなさま、ブランド名がちらつかず、ジャストサイズで長く着ることができて、昼は会議OK夜は上着を脱げばレセプションOKという本格派テイラードスタイルはいかがでしょうか(同じ服でのドレススタイルは、信濃屋さんパーティーの回にてご確認ください。昼間のポケットチーフを夜の首元にあしらっています)。すでに女性用テイラードを提供している百貨店や小売店は、「女性におすすめ」として薄め軽め明るめの生地を推奨していらっしゃいますが、逆です。重役が着るような重厚な服地で作ってください。というか「女性におすすめ」っていう甘いカクテルにしろ薄い服地にしろ、いつまで女性を軽く見ているのか。来年以降、このフレーズは社会的タブーとしたい。笑

 

一年間ありがとうございました。来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

友人ファミリーがホテルニューグランドに宿泊しているというので、急遽、夕食をご一緒することに。

昼の開放感とはまた一味違う趣があります。

噴水にこんな像があったなんて、昼間には気がつかなかった(どこを見てたんだ)……。

氷川丸も夜には別の印象。


 

 

週刊ポストの「断韓」見出しが話題になっていた。教え子に韓国からの留学生が大勢いるが、みな素直で日本が大好きで(だから留学してきた)勉強熱心、人懐こくてとても良い子たちだ。彼らがこういう文字を電車のなかで見たらと思うと、やるせなく、泣きたくなった。

一方、小学館は巨大な企業で、私が仕事上のお付き合いのある小学館の社員の方々はそれぞれ誠実に向き合ってくれ、充実した仕事の成果を上げるために最大限の努力を惜しまないでいてくれる。良心的で倫理感もあるリベラルな彼らが、自社の暴挙とそれにともなう自社バッシングにどれだけ心を痛めているかと想像すると、これもまたつらくなる。

目の前にいる生きた人を見ず、国や所属団体という塊でくくって差別したり憎んだりしてしまうことの恐ろしさを思った日でもあった。

 

母国への罵詈雑言に耐えている韓国の留学生のみなさん、自社への非難を耐え忍んでいるリベラルな小学館社員のみなさん、がんばれ。

ボリス・ジョンソンが英首相になって、大方の新聞はジェットコースターのようにイギリスが落下する未来しか描いていないようです。

秀逸だったのは、Hey Dude! Don’t make it bad. というタイトルをつけた大衆紙、The Sun。 (解説するのはダサイですが、Hey Judeの歌詞をもじったものですね)

BJは政治的に危険な存在かもしれないですが、ファッションを含めけっこう愛嬌もあります。笑いどころ、つっこみどころが満載。

「ガーディアン」では、胸元にわざわざ「prime minister」と書かれたジャケットを着てスコットランド訪問するBJを茶化していました。  こちら

この方の乱雑な外見は、イギリス上流階級の伝統にあるものなのですね。Choreographed British Scruffiness と表現していたFTの記事がありましたが(振付ずみの英国的ボサボサ、というニュアンス)。銀行にお金を借りに行く必要がない、就職の面接をする必要がない、という特権を誇るボサボサぶりですね。ツイードにひじあてをして、ぼろぼろになっても古い服を着ているカントリージェンツの意識とどこか通じているかもしれません。

さて。先日富山で収録したラジオ番組は、本日15時~ 小林淳子アナウンサーの「でるラジ」で放送されたそうです。「なぜヒールを履くのか」とか「クールビズで気をつけたいこと」などなど服飾史のつれづれなる話をしつつ新刊のお話なども。お聞きくださいました方、ありがとうございました。

「ロイヤルスタイル」に関し、その後もウェブサイト、インスタ、ブログ、メッセージなどで嬉しいご感想を頂戴しております。

日頃、褒められることもないし、12年間の集大成の本を出した直後ぐらい、レビューを集めさせていただいてもご寛恕いただけるかなということで、以下、ご紹介させていただきます。

これから何の先入観もなく読みたい、と思ってくださっている方、拙著のレビューなどに関心のないは、どうぞ本欄スルーしてくださいね。よい週末を?

☆静岡のジャックノザワヤさんは、註にいたるすみずみまで丁寧にお読みくださったうえ、このような読後感想をブログでアップしてくださいました。全文はこちらです。

以下、抜粋です。

「学者でもなく、ジャーナリストでもなく」という立ち位置は、まさに私が「既成の枠」にはまることを拒絶して開拓してきた道でもあり、それを指摘してくださったことは感無量です。ノザワヤさんからは、称賛だけではなく、専門的な用語の正しい表記法に関してもいくつかご指摘をいただきました。「重版」をめざし、その際に改訂表記を反映できるよう、全力を尽くします。心より感謝申し上げます。

☆The Rake Japan でもご紹介いただきました。こちらです。

☆綿谷寛・画伯のインスタグラムでご紹介いただきました。

「服装だけに終始した薄っぺらなお洒落指南書でもない。かといって小難しくて退屈な英国王室研究書でもない。人間愛に溢れたエッセイスト中野香織さんらしい、ちょっとためになる(スタイルについて考えさせられる)エンターテイメント」 ←このまま帯のコピーにしたいくらいのありがたさです。

☆batak社長の中寺広吉さんより、読後のコメントを頂戴しました。ご了解を得て、一部抜粋して紹介します。

「生々しくならない程度のリアルさ」というのはまさに目指したところなので、伝わったことがわかり、嬉しかったです。超多忙な日々の合間の貴重な休日にいち早く読んでくださいました。感謝。

みなさま、ほんとうにありがとうございます。


キム・カーダシアン、さすがマーケティングの天才ですね。インターネット上のバッシングがなによりもPRになることを経験上わかっている人ならではの戦略。

私が2015年からあんなに書き続けている「文化の盗用」。だれも乗ってこなかったのに(笑)キムのkimonoで一瞬で有名になってしまったわ。キム・カーダシアンのことをこれまで知らなかった人さえ、キムの新製品の下着のことまで知ることになった。お金をかけないでこれだけ短時間に世界的にPRできるなんて、あっぱれ。

この人はいずれちゃんと(?)kimonoという名前を撤回するような気がする。撤回してもしなくても、キムの思うつぼ、キムの勝ちである。

こういうあからさまな戦略に巻き込まれたくなかったので、コメントを求められても同じ土俵でものを言う気はしませんでした。ムキになって抗議すればするほどキムがほくそ笑んでいるのが見えるような気がして。

政府側から正式かつ厳重な抗議を一本、アメリカのしかるべき機関に入れていただいたら、あとはみんなでまったく知らんふりしておくのが、キムみたいな「騒がれてなんぼ」というしたたかなツワモノには一番こたえるのでは。

文化の盗用議論の発端になった、2015年のキモノウェンズデー事件。

Worcation の続きです。以下、花々が最高に美しい今の季節のディズニーランド「写真集」です。私が座右の銘としている言葉の数々をさしはさみました。

Happiness radiates like the fragrance from a flower and draws all good things towards you. (By Maharishi Mahesh Yogi)

Loneliness is the poverty of self; solitude is the richness of self. (By May Sarton)

Elegance is not a dispensable luxury but a factor that decides between success and failure. (By Edsger Dijkstra)

Progress is measured by richness and intensity of experience – by a wider and deeper apprehension of the significance and scope of human existence. (By Herbert Read)

For happiness one needs security, but joy can spring like a flower even from the cliffs of despair. (By Anne Morrow Lindbergh)

Our greatest human adventure is the evolution of consciousness. We are in this life to enlarge the soul, liberate the spirit, and light up the brain. (By Tom Robbins)

Knowledge will give you power, but character respect. (By Bruce Lee)

Life is not accumulation, it is about contribution. (By Stephen Covey)

A person often meets his destiny on the road he took to avoid it. (By Jean de La Fontaine)

There are no rules of architecture for a castle in the clouds. (By Gilbert K. Chesterton)

Experiencing sadness and anger can make you feel more creative, and by being creative, you can get beyond your pain or negativity. (By Yoko Ono)

Being brave enough to just be unapologetic for who you are, that’s a goddess. (By Banks)

Special Thanks to Tokyo Disney Resort.

Have a nice week!

登戸で小学生の通学時間に起きた痛ましい事件……。なんと怖ろしく、悲しく、いたたまれない事件なのでしょうか。唐突に未来を奪われてしまった女の子、そして外交官の方、ご家族の絶望や無念や苦しみや怒りはいかばかりでしょう。ことばが虚しくなるばかりですが、心よりお悔やみ申し上げます。

事件はひとごとではなく、いつ身近に起きてもおかしくない。せめて子供たちには防衛のためのチェーンメール(鎖帷子)のような防具を身に着けさせたいと本気で思いました。武具として兵士は大昔から着用してきましたが、刃を通さない金属の鎖で作ったチュニックやベストがあれば現代の子供たちにも着用させたいし、自分も着たい。軽い金属で作れば身体の負担にもなりにくい。チョーカーにも見える首回りのアクセサリーがあれば着用したい。すぐに走れるフットウエアと鎖帷子、チョーカーにも見える防具。メーカーにはぜひご一考をお願いしたいです。

社会の闇の問題を解決することがもっとも重要ということは承知のうえ、解決までに時間がかかるなら、せめてそれまでの自衛措置として何らかの策を講じなくてはならない時代にいるのだという危機感を、深い悲しみとともにおぼえます。




昨日はコートを着ても震えるような寒さでしたが、つきぬけるような快晴。澄み切った空気のなか、満開の桜がひときわ切なく美しく見えました。

幸運なことに、日中の打合せから夜の社交まですべて高輪の日本庭園まわりでしたので、刻々と移り変わる高輪の桜を思う存分楽しみました。

というわけで、仕事の合間に撮った写真集。笑 移り変わる光の下での高輪の桜をお楽しみください。

鉄板のさくらタワーと桜。この組み合わせは最強ですね。

午後一番の光を浴びる桜から、午後6時30頃までの移り変わり。時間順に並べていますが、一切、何の加工もしていません。ライトアップのセンスもよいのです。

光の当たり方でさまざまな表情を見せてくれるので、同じ樹でも違う方向から見ると、また異なる味わいです。

「桜まつり」の灯りがつきはじめる午後6時ごろ。空のブルーと桜のピンクがぼんやりと溶け合っていくような感じがよいよね。

幽玄な印象。非日常感たっぷり。

たわわ、という言葉がでてくるほどの、たっぷりと咲き誇った花。

こういう瞬間に立ち会えるのは、ほんとうに幸運で、幸せだと思う。一期一会の桜。

外はかなり寒いですが、グランドプリンスのラウンジ「光明」からはおいしいお酒またはお茶をいただきながら、堪能できますよ。今のシーズンは大人気なので別途お席料が1000円かかりますが、庭園の手入れやライトアップの手間を考えれば、それだけの価値がある景色。

延々と飽きずに眺めては撮っております。笑 人混みが苦手な私には、桜の下で酔って騒ぐ「花見客」がいないこのような場所がほんとうにありがたいです。

深夜の桜もまたすばらしいのですが、それは次の記事にて。

元号が変わるということで元号フィーバーのような様相を呈しておりますが、私は日頃からほぼまったく元号を使わないので(役所系の書類だけが困る)、ほとんど関心がありません。わざわざ言うほどのことでもないけどフィーバーは淡々とスルーしています。

さて、昨年の9月に日本経済新聞夕刊で書いた、女性スポーツ選手のファッションについての記事がK大学の入試問題として使われました。記事はこちらで読めます。著作権教育研究会からのご連絡。感謝。

Serena Williams

問題は「次の文章を読み、スポーツと女性差別という問題について考えるところを800字から1000字以内で答えなさい」というもの。難しいね。私が受験していたら落ちてたと思われます……? 

「モードとエロスと資本」「ダンディズムの系譜」からも過去に入試問題が出題されています。ともに作者の想像を超える出題がなされておりますが、いったん世に出た作品の解釈は読者のものでもあります。ご子息の入試対策にもぜひどうぞ。笑

Truth, honesty, empowerment – it’s what I want for myself and my readers. (By Rupi Kaur)

*アイキャッチ画像は昨年の千鳥ヶ淵の桜。今年はまだお花見に行けておらず。


あけましておめでとうございます。みなさまにとりまして、2019年が素晴らしい一年となりますよう、お祈り申し上げます。

旧年中のあたたかなご交誼、ご支援に心より感謝します。応援してくださる方、頼ってくださる方をできるだけ幸福で満たせるよう、いっそう力を尽くしたいと思います。本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。

おおみそかと年明けは、富山にて三世代ファミリーで過ごしました。上は立山連峰からのぼる初日。元旦の朝は雲一つない快晴に恵まれて、白い雪と真っ青な空のコントラストが幻想的ですらありました。

呉羽山丘陵。どこまでも澄み切っている冷たい空気。
木々の間から太陽が顔を出すという瞬間が最高(毎年、どこにいてもこの瞬間を撮っている)


1日の夕方には東京。東京ステーションホテルのラウンジで軽く夕食をいただききました。この天井の高さはいつ来ても快いですね。

強く主張しすぎない、軽やかなつくりゆえにいっそう華やか。
長男撮影。笑

今日から本格的な仕事初めです。今年は旧年からもちこしたいくつかの課題含め、節目となる大きな仕事が山積しています。エゴのためではなく誰かを幸福や愛で満たせる仕事なのか? 10年後にも受け継がれていく価値のある内容なのか? という基準を忘れず、誠意をもってコミットしていきたいと思います。


ケンブリッジ・アナリティカ問題をご記憶でしょうか。2016年のアメリカ大統領選挙において、トランプ陣営がデータ解析企業ケンブリッジ・アナリティカの協力を得て、Facebookのユーザー5000万人分の情報を不正利用していた問題。ユーザーのデータに基づいて、その人の投票行動に影響を与えるような個別の政治広告を配信していたとされます。

その告発を内部から行ったのが、クリストファー・ワイリー(当時28)でした。髪をカラフルに染めている、ゲイのカナダ人で、データオタク。ゲイは流行や時代の流れを敏感に読んで取り入れるアーリー・アダプター(新しもの好き)であることが多く、ワイリーもその点でケンブリッジ・アナリティカ創業者たちに好かれて仲間入りしたようです。

 

そのワイリーが、Business of Fashion のVoicesで、ケンブリッジ・アナリティカがユーザーのファッションブランドの好みをどのように彼らの投票行動に利用したかというおそろしい話を語っております。こちら。

ナイキ、アルマーニ、ルイ・ヴィトンを好む人は、開放的、良心的、外交的、愛想がよく神経症的で、そういう性質を利用し、ケンブリッジ・アナリティカは政治的メッセージを送っていた。

一方、アメリカのヘリテージブランド、たとえばラングラー、LLビーンなどを好む人は、開放度が少なくて保守的で、トランプを支持しようというメッセージにより反応(賛同)する傾向があったという。

醜悪なものであっても、データに基づくインターネット上の心理操作によって、それを好もしいと思えるように導くことは、可能なのですね。たとえばクロックス。あのビニールのサンダルです。どう見ても美しくはないものですが、サイオプス、すなわちサイコロジカル・オペレーション(心理操作)によっていくらでも好もしいものに変えることができるのだ、と。(実際、そうなりました)

大衆に、トランプ大統領やブレグジットを選ばせたものが、まさにこの類の操作だったと彼は告発するのです。醜悪なものがどんどんトレンドになる仕組みと、醜悪な政治リーダーが選ばれる仕組みの背後には、このような背後の力による心理操作があったとは……。

ミウッチャ・プラダは「醜さを掘り下げることは、ブルジョア的な美より興味深い」と語っています( T magazine)。醜悪さってたしかに新鮮でもあるんですよね。醜悪なファッションを時折楽しむ分にはいいですが、醜悪な政治を選んでしまうと、取り返しのつかないことになる。情報操作は、まさに大量破壊兵器になるんですね。

ワイリーに戻ります。

ファッションブランドの好みというユーザーのデータが、ブランドも知らないうちにこのような情報操作&行動を促すことに利用されていたことが分かった今、逆に、ファッションブランド自身が方向転換することによって、人々の行動をよいように導き、文化を守ることもできる、と彼は示唆します。

 

いやしかし、そうなればなったで、さらなる新しい情報戦争が仕掛けられるのだろうな。好きなものを自発的に選んでいるつもりが、実は背後の大きな力によって選ばされている、そんな時代に生きる空恐ろしさを感じます。

「ファッションは服を売るビジネスではない。ファッションはアイデンティティを売るビジネスである。人間の根源的な問題<私は誰なのか? 社会のどこに所属したらいいのか?>に答えるツールを提供するビジネスである」。

だからファッションの問題はおろそかにするわけにもいかないのです。

 

 

 

 

9日に行いましたYomiuri Executive Salon の写真が届きました。


ラグジュアリーストリートからスカンブロへの流れを解説しているところ。

来年のメットガラで炸裂しそうな「キャンプ」を解説。

テーマが「日本のラグジュアリーとその未来」でもあったので、日本ブランドを身に着けていきました。Tae Ashidaのドレス(日本語でワンピースと呼ばれるものは、英語ではドレスと呼ぶ)、ミキモトのブローチ、グランドセイコーの時計、そしてAtsugiのストッキング「輝」。

 

その後にお会いした出席者のみなさまから続々とおほめの言葉をいただき、とても嬉しく、がんばってよかったと思いました。しかしまだまだ。

「点」としてのファッション現象を、さらに大きな社会的背景のなかでのストーリーとしてわかりやすく語ることができるように、日々の研究も怠りなく努めたいと思います。

 

 

〇ドルチェ&ガッバ―ナの上海ショーの中止事件は不幸なことでしたね……。最初の動画(中国人の女の子が箸でピザやパスタを食べる)はたしかに彼らとしては(無知であったとしても)差別意識は皆無であったのでしょう。それだけだったら撤回して、他意のなかったことをお断りして謝ればあれほど大きなダメージは防ぐことができたのでは。決定的な問題は、ステファノが個人的に書いたメッセージでした。相手を怒らせ、画面キャプチャをさらされてしまったのが最悪でした。ハッキングされたと言い訳しているのがますます火に油を注いでしまった(それが嘘であることは、Diet Pradaが証明)。パーソナルメッセージだからと安心して暴言を書くとたちまちさらされ、拡散してしまう透明性の高い時代だということを常に意識しておかねば。録音もどこでされているかわからないから、とにかく油断はできない。他山の石。

ドメニコもステファノも、人間的な欠点は(私たちの多くと同じように)多少はあるのかもしれないですが、才能とサービス精神にあふれるデザイナーです。彼らが日本でおこなった2回のコレクションは、日本文化へのオマージュにあふれたすばらしいものでした。今回の件を挽回すべく、謙虚にコレクションを作り続けてほしいと願っています。

各紙が追悼記事を掲載していますが、読売新聞は一面、21面、36面と3面にわたり、芦田淳先生の功績、評伝を大きく報道しています。

私も僭越ながら、21面でコメントを寄せています。

「戦後の日本にプレタポルテ(高級既製服)の概念を持ち込んだ草分け的存在。常に時代の感覚を反映しながら、決してエレガンスと品格を失わなかった。芦田さんの服を着れば、国際的にどんな舞台にたっても日本の品格を表現できた」。

 

まだ伝えたいことは本当にたくさんあったのですが、紙幅の都合がありますね…。

洋裁師が注文に応じて服を縫っていた戦後日本に、「プレタポルテ」(高級既製服)をもたらしたのが芦田淳先生なのです。

プレタポルテは、日本の女性を半世紀の間に加速度的に美しくしていくのです。プレタポルテへの憧れ→着こなすためのヘアメイク、体型メイク、立ち居振る舞いなどの努力→あかぬける。

 

ほかにもきりがないほど功績がありますが、追って、お伝えできる機会があればと思います。

 

*共同通信社に追悼文を寄稿しました。本日、これから配信されるそうです。明日以降、活字として掲載されましたらお知らせ申し上げます。

台風後は快晴になりましたが、庭の木は一本根こそぎ倒れ、雨どいは破壊され散乱し、雨戸もはずれて飛んでいっており、人間の力ではとても無理な状態で崩壊し散乱した状態が青空との対比でシュールレアリスムのアートのように見えました。

 

たまたま、昨日の仕事では今のセレブトレンドについて書いていたのですが、それが、「高価なブランドをみずぼらしく汚く着るのがクール」というトレンド。(金曜掲載)。

ずんずん調べていくと、スカムカルチャーというのがすでにあったんですね。汚れや散乱や絶望や醜さを称揚する音楽やアートが。アブジェクト・アート(絶望アート)というジャンルもあります。

現在のセレブのファッショントレンドはスカムカルチャーの延長にはないような印象ですが、無関係でもない。

こうした最低のもの、散乱したもの、醜いものを称える美学は、Messthetics と呼ばれているということも知りました。mess (散乱)の美学ですね。

台風後の自宅破壊風景にしても、一瞬、新鮮なものとして見とれてしまったので、このMesstheticsの感覚もじわり、わからないでもない。実際、心の中の情景がこんな感じというのはけっこうあったりするしね。

今日は倒木を一掃してきれいにしてもらう予定ではありますが。人間の感覚って無限の柔軟性があるものですね。

 

2000字のエッセイを書くのも6000字の解説を書くのも、彫刻を削るようなところがありますが、(創る、というよりも削って中身が現れるほうに尽力していく、というイメージ)、2,3ワードのコンセプトコピーを考えるのは、ひたすら無意識の世界に沈潜していくことで浮上してくることがあります。

昨日は重要なキーコンセプトが課題で、心が動き、多くの人の行動の方向を示すことができるような言葉の「浮上」を待ってひたすらぐるぐる芝公園を歩いてました。

緑のなかを歩くと血の巡りがよくなるのか、新鮮な酸素を補給できるためか、あるいは、歩きながらひたすら自分の「本心」の底を見ることができるからか、ウソのないことばの浮上を助けるには効果的なんですね。

(東京プリンスホテルのフロントロビーの花。安定の華やかさ)

結果、無意識の底から浮かび上がってきたコピーが、採用となりました。まだ本決定ではないですが、ほっと嬉しいですね。

 

さて8月も残り少ないですが、あと4本の原稿+単行本の残り全部。できると思えばきっとできる。たぶん。

 

 

 

最近、本を買うのはすべてamazonだったのですが、今日、探したいテーマがあって、久しぶりに書店で時間を過ごしていました。

当初の目的は世界史関係の棚だったのですが、ファッションの棚を通ったときに、吸い寄せられるように見つけたのが、山田登世子先生の「モードの誘惑」(藤原書店)。


なんと発行日が8月30日(これからだ)になっているので、書棚に一足早く並んだばかりだったのでしょうか。

帯のことば「惜しまれつつ急逝した……」という言葉に衝撃を受けました。知らなかった。2年前に亡くなっていらしたとは。

当初の目的を忘れ、山田先生の本をすぐに購入してしばらく近くのカフェで読みながら呆然としていました。(ショックで文字が全部は頭に入らない)

もう5,6年ほど前になるかと思うが、いちど、都内の高校でおこなわれていた公開講義を聴きに行ったことがあり、フランス文学者らしいシックでスノッブな語り口に魅了されていました。その後、山田先生からぜひ一度お茶しながら話しませんかというメールをいただき、ぜひそのうちに、などと言っているうちに時間が経ってしまっていたのでした。名古屋と横浜では遠いので時間を合わせるのが難しいなどと思っていた私がばかでした。この世とあの世に比べればたった90分で行ける距離ではないか。お会いできたタイミングで、無理にでも時間を作ってお会いしておけばよかった……。人は永遠に生きていないのだ。涙涙涙

 

たまたまふらっと入った書店で、手招きするように見えた、山田先生の遺稿集。偶然かもしれない。でもこの発売日のタイミング(遺稿集が発売されることなど知らなかった)で出会ったということは、山田先生が私になにかを語りかけようとしていたのだとしか思えない。

生前に伺うことができなかった話をゆっくり伺うつもりで、拝読します。

 

そして、本にならなかったエッセイをこうして遺稿集として本の形でまとめ、出版してくれる伴侶に恵まれた山田先生はお幸せだと思う。

比べられるものではないけれど、私が書いてきた膨大な量の記事はほとんど本になっていない。死後にまとめてくれそうな人もいない(息子たちに期待するのはムリ)。おそらく、そのまま埋もれていくだろう。死んだらすべて忘却のかなた。虚しいな。

自分の死後のことはさておき。

山田登世子先生は、フランスのモードを語るのにふさわしい教養とエレガンスと文体をそなえた方だった。2年も訃報を知らず、今さらながらなのですが、衷心よりご冥福をお祈り申し上げます。

 

 

 

アフリカ系ばかり活躍する「ブラックパンサー」の大ヒットの記憶がさめないうちに、というわけでもないだろうけど、いまアメリカのカルチュア&ファッション系のニュースをチェックしていると、頻繁に言及されているのが「クレイジー・リッチ・アジアンズ」という映画だということがわかります。

ケヴィン・クワンの同タイトルのベストセラー小説の映画版です。クレイジーなほどのリッチなアジア人ばかりでてくるハリウッド映画。ラブコメですが、ファッション映画としても注目度が高いようです。



ケヴィン・クワンはシンガポーリアンで、中心になるファミリーはチャイニーズ。「リッチ・アジアンズ」というとき、日本人は入ってないのな。

みんな同じがよいという規格品をつくる教育システム、ヘアピンの位置まで同じ真っ黒の就活スーツを着せる文化、仕事とは「お金のためにがまんすべきこと」と思い込ませるような社会のなかで、「クレイジー」が出てくるわけもないですね。

 

ZOZOの前澤氏みたいなattitudeで、仕事に熱狂しながらのびのび楽し気に活躍する人を、もっと周囲がふつうに見る社会になればよいのに(嫉妬で叩くこともせず、羨望もせず、ふつうに多様なあり方として)。前澤氏級にクレイジーな発想で働くリッチでハッピーなビジネスパーソンがあたりまえにごろごろいるという社会のほうが、風通しがよさそう。

 

Go out and chase your dreams no matter how crazy it looks. (by Shanice Williams) 

↑ 昨日の高校生にはこう言ってあげたかったけど、私が言ってもまったく説得力がないので躊躇したのね……。前澤氏みたいな成功者が言うと、説得力がありますね。

 

 

 

コフィ・アナン氏の言動、立ち居振る舞いには、真・善・美の筋が通っていました。4年前に書いていた記事を再掲します。ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

“To live is to choose. But to choose well, you must know who you are and what you stand for, where you want to go and why you want to get there.”  (By Kofi Annan)

「生きるとは選択することだ。よき選択をするためには、自分が誰なのかを知り、何のために生きるのかを知り、どこを目指したいのか、なぜそのゴールに行きたいのかを知らねばならない」(コフィ・アナン)

 

私はいつも岐路において世間や周囲が「間違っている」「普通はそうしない」という選択ばかりしてきた。選択の理由は後付けで適当にごまかしてきたが、実はかなり動物的な直感に従い、「たいへんそうなほう」「冒険価値の高そうなほう」を選んでいる。なぜそうしたいのか? いまいちどきちんと考えた上で、ましな選択をしていきなさいというアナン氏からの遺言と受け取りました。心からの感謝をこめて。

昨日、無事に誕生日を迎えることができました。読者のみなさまからもたくさんの心温まるメッセージ、激励のメールを頂戴いたしました。心より感謝申し上げます。

思いがけず、お花までご恵贈いただきました。フレッシュな白い花のミックスで、目にもさわやかですが、生き返るような芳しい香りを放っています。ありがとうございます。

徒歩圏にある近所のイタリアンレストラン、Cantina Coniglio Biancoでバースデーディナー。

ここは公園のそばの住宅街にかわいらしく建っている、ご夫婦おふたりで運営していらっしゃるお店です。ワインもお手頃な価格で迷わぬ程度に用意されており、ほんとうに美味しくて、自分の家の食卓の延長のような感覚で寛げるのです。

(こちらは鯛のアクアパッツア。絶品です。)

思いがけず、お店がバースデードルチェのプレートをプレゼントしてくださいました。感激。

 

新しい一年は、いただいたチャンスに感謝しつつ、いっそう書いて話して服を着て(←これも仕事のうち。笑)、仕事に没頭したいと思います。働き方改革の議論が盛り上がるなか、あまり大声で言ってはいけないことなのかもしれないのですが、私は仕事が何よりも好きで、仕事中にいちばん快楽エンドルフィンが出ているので仕事時間は多ければ多いほど幸せという変態レベル。もう遠慮してもあまり意味がないので、このままマイペースで仕事に熱中していきます。引き続きどうぞよろしくご支援、ご指導をお願い申し上げます。

 

Men’s Preciousブログ、久々に更新しました。アップされております。礼装の和洋混合について。こちらです

先月、日経新聞連載に書いた内容ですが、字数の制限がないので、さらに詳細に、考察も少し多めに加えて、異なるバージョンにしてあります。新聞は800字~900字と制限があり、ぎりぎりまで削り上げるので、これはこれで文章力を鍛えるためにも不可欠な場ですが、やはり字数にゆとりがあると、詳細を盛り込めるので理解してもらいやすいことも多いですね。両方の場があることがありがたいです。

☆☆☆☆☆

 

過激なピューリタン的気質もあるアメリカでは、今度はモーガン・フリーマンがセクハラ告発でキャリアの危機にさらされています。女性キャスターが騒ぎ立てる映像を見たけど、「え?どこがセクハラ???」としか思えない見当違い。攻撃的な魔女狩りになっているのではと危惧するしかない。この名優の栄誉をこんなことで奪うのか。アメリカのリベラルな良心を信じたいですが。

でも誰が何を不快に思うのかって、実際、「受けた」立場になってみないとわからないこともありますね。

私が不快に感じる「性差別」のツボは他の人とはズレているかもしれないのですが、(何度も書いてるが)「女史」と書かれることは侮辱に感じます。相手がただ知らないで使っているだけの場合が多いので、その場で笑顔で「ふつうに男性と同じように<氏>でいいんですよ、<氏>で」と柔らかく言います。

あとやはり、明らかに能力が不足している若い女性が、「女の子」オーラをふりまき、性差別を逆利用して力のある男性に媚びるように仕事をとっていく現場を見ると、実力を地道に磨いていてチャンスを待っている女性たちはどうすればいいんだと彼女たちに心を寄せて不快になります。不満を表明すると「美貌に嫉妬している」とか見当違いなことを言われて悪者扱いされたりするから、黙っているしかない。

このまえのアマゾネス会でもこの話題が出たのですが、やはりどの組織や業界でもこういうのは一定数いて、いなくならないそうです。あるアマゾネスによれば、「まともな業界ならば、必ず、藤原編集長みたいにきちんと本質を見る目をもった男性がいて、そのうちあぶくは淘汰される」そうですよ。まともな業界ならばね。女性もまた、男性の振る舞いを冷静に見ているので、「女の子オーラ」に目がくらんで抜擢した男性は、「そういう輩」として分類されますから、注意したほうがよさそうですね。また、美女とみれば蝶を集めるように片っ端から喜々として「お引き立て」してまわってる男性もいらっしゃいますが、たとえ自分は楽しくても、その行動が他人の目にどのように映っているのか、なんと言われているのか、ちょっと頭を冷やし、引いて眺めてみるとよいかもしれないですね。女性社会の評判っておそろしいんです。

(偉そうにすみません。自分も知らないうちにやらかしてることがあったらブーメランですね。)

 

自分は地味だから引き立てられない、と悶々とする女性たちへ。年齢はあまり関係ないと思いますが、ある程度の成熟という意味での「40」を過ぎたらもうさすがに能力の有無ははっきりします。焦らず、着実に、実力を磨き続けることに没頭しつづけた人に幸運の女神はやってきますよ。そのころには「表情」や「感情や思索の経験」や「立ち居振る舞い」が美醜の印象を左右するから、「美貌」とやらも、逆転しているよ。「そもそも本気の仕事を一緒にしようとするときにそこは勝負ポイントにはならないし」ということを別のアマゾネスも言っていた。

「40」までまだまだ長い、って思ってるでしょ? (私も20代にはそう思っていた) たとえ不本意でも「成熟の年代」と見られるようになるのは、あっという間ですよ! 一瞬、それこそ矢のごとし。短すぎる人生、やりたいことがはっきりしているなら、くだらないことに振り回されているヒマはないと思おう。



独立祝いに、サプライズで届いたゴージャスなお花! ありがとうございました。

大々的にアナウンスするわけでもなくほんとにひっそりとさりげなく起業したので、お祝いなどいただいてしまうとかえって恐縮するところもあるのですが、大学から離れたとたんにわかりやすく去る人もいるなか、思わぬ方が応援してくれたり、これまでと変わらぬ態度でおつきあいしてくださったりする方もいて、人の本質がありありとよく見える、とても面白い経験をしています。変わらぬご厚情を寄せてくださる方には、心より感謝しています。ほんとうにありがとうございます。

どんなアウェイ状況に放り込まれても、しのいでいけるタフネスをいっそう鍛え、磨いていきたいと思います。引き続きどうぞよろしくご指導くださいませ。

さて、半・分解展は、SNSの宣伝だけにもかかわらず、なんと連日来場者200人越えの大盛況となっています。ツイッターでの評判も好評の嵐。ちょっとしたお祭り状態で盛り上がっています。(#半分解展)

ミレニアルズが多いのも特徴。「面白いことを楽しそうにやっている人に接したかった」というコメントもありました。「前例なし」はチャンスだからやったもん勝ち、という私の教え(!)を、驚くほど大きく開花させている長谷川彰良のガッツには、私も学ぶところ大です。いやほんと、よい意味での「前例になる」って最高に楽しいマーケティングなのに、なんでみんな遠慮してるのかしらね。(ゆうこすを見よ、短パン社長を見よ、肩書きを自分で作り、「前例」になって楽しく人生を生きてます)

ただでさえ大混雑の半・分解展なので、トークショーも混雑が予想されています。あと少しだけ当日券もあるそうです。トークショーは聞き逃しても、展示は見てみてね。若い人たちが喜々として試着している会場の様子から、学べるところも多いはず。

fashionsnapさんは、「六本木アートナイト」と同列で紹介してくださいました! こちらです。 肩書きをいちばんに見る(というか、肩書きや著名度あるいは広告料しか見ていない)大手メディアはこういうとき、無名の若者のチャレンジを紹介していいのかどうか躊躇するのですな。笑 メディアの本質もよく見えてなかなか面白い。

Liberty and Freedom. 二種類の自由からスーツを語ってみました。
(それにしても宣伝ばっかりでどこからどこまでが本文なのかわかりませんね(^^;))

(Peak Lounge 朝バージョン)

先日、ご馳走したりされたりすることのEqualityについてちらっと書いたのですが、「ご馳走」はもちろん「ギフト」(モノでも行為でも言葉でもいい)に置き換えても言えることなのですよね。

人は「ギフトをいただいた」と感謝するとおのずから「お返し」を考え始めるものなのだと思っていました(だから政治家のギフトは禁止される。ここでは政治家や公人のギフトの例は考えないことにします)。

感謝の気持ちを表すために「お返し」すると、またそれに対する「お返し」が返ってきたりして、ぐるぐるぐるぐるギフトの循環で人生が成り立っているところがあるとずっと感じていました。

いただいた相手が「天」であれば社会に「お返し」するとか、「大先輩」からいただいたなら後輩に「お返し」するとか、とにかく自分のところで停滞させずにぐるぐるぐ回す。それがなんとか生きていくための秘訣ではないかと思っていたところがあります。

しかし、時折、それが誰かのところでストップしてしまうことがあるのですね。「頼んでもないのに勝手にくれたんだから返礼の必要はない」とか「こいつとはつきあうこともなさそうだから別にお返しの心配はしなくてもいい」とか、あるいはたんに「いそがしい」「めんどくさい」とか、ストップさせる理由は様々だと思いますし、それを咎めるものでもありません。

 

ただ。近頃、続けざまに「閉店のお知らせ」が2件、届いたのですが、実はその2件とも、私が開店に際してお花をお贈りしていたけれどもなんのご挨拶もいただかなかったところなのです。

まあ、頼まれもしないのに勝手にお祝いを贈りましたので、別に「お返し」なんてまったく期待していません。ただ、ひとことのお礼のことばもない、ずさんな扱いをされたことが、ちょっとひっかかっていました(そういうところ、まだ修行不足ですね。贈ったら忘れる、が鉄則なのに)。

負の感情は美容のために(笑)極力さっさと手放すことにしているので、そんなことも忘れていたころ、「閉店」のお知らせがきて、思い出した次第でした。

閉店に至ったのは、お花のお返し云々とは無関係かもしれません。でもほんの少し、ああ、やっぱりそうなるのか、という納得感もあったのです。

世の中は、ほんとうにデリケートな、あまり表立って口にされない、人の心の機微のぎりぎりのバランスの上に成り立っている、と思うことがあります。私への対応は氷山の一角だったのかもしれない。

偉そうに言っててうっかり忘恩してることがありそうなのがコワいですが。ブーメランにならないよう、受けた御恩はひとつひとつ受けとめて次に送り続けるということを意識的にやらないといけないですね。ということを「閉店」のお知らせを見てあらためて自戒したのでした。

某高校で聞いた村上世彰さんの講演では、お金は停滞させず投資し続けることが大事、そうすることで経済全体が豊かになっていき手元に返ってくるお金も増えていく、という話が印象的でした。同じことが、「ギフト」についても言えるんではと思った次第。「ギフト」は停滞させず、ぐるぐる贈り続けることで周囲が幸せになっていき、結果、いつになるかわからないけど手元に返ってくるサプライズも増える(ことがある)。経済も人生も循環こそが鍵。循環してないと生命体も死んでしまいますもんね。

 

 

 

 

 

 

 

さて。

プロフィル写真のデビ夫人風(マリアカラスと注文したんだけどなあ…(^^;))がいくつかの媒体からNGが出たので、おとなしく撤回し、撮り直しました。たいへんしつれいしました。2018年夏バージョンのリラックスモードとビジネスバージョンでございます(「誰もかあちゃんの写真なんか気にしてないからいっこでいいんじゃね?」と次男からつっこみが)。

 

これまでにいただいたたくさんの「ギフト」のお返しのつもりで、出力全開で仕事をしてまいります。試行錯誤も多々あるかと思いますが、どうぞよろしくご指導ください。

 

 

性差別に対して敏感な時代ですが、そんな時代においてなお名前にわざわざ「女史」をつけられることがあります。

これは性差別用語に相当するNGワードであり、名前にそのようにつけられた人が不快になるということを知った上で、意図的につけていると解釈してよいものでしょうか。持ちあげるふりして実は距離をおいて侮蔑している、そんなニュアンスが感じられて悲しくなります。

あるいはまったく無自覚に使っているのであれば、すぐにボキャブラリーから捨て去ったほうがよい言葉です。ふつうに男性と同じように「氏」でいいのです。「氏」で。

 

☆☆☆

 

性差別ついでに、「割り勘」についての私の考えをちょっこっと書いておきます。あくまで自分の社交上のスタイルなので、一つの例として、こういう考え方もあるのねという程度に読み流していただければ幸いです。

私は「割り勘」での食事をめったにしません。仕事であれ、プライベートであれ、ご馳走するか、ご馳走していただくか。その場で計算して割ったりすることはほとんどありません。レストランで小銭まで勘定して割り勘にする、そんな情景を繰り広げるのはレストランにも失礼ですし、せっかくの夢見心地がしらけてしまうので、お支払はできるだけどちらかがまとめてスマートにするものではないかと思っています。相手が女性でも男性でも、高級レストランでも大衆居酒屋でも、です。

ご馳走していただいた場合は、大々的に感謝し、次回どのように「お返し」をするか、真剣に考えます。後日、サプライズで花を贈ったり小物を贈ったり、仕事であれば期待される以上の成果を出したり、あるいは次回のレストランは自分が考えてこちらでもつとか、素敵なご縁や機会をご紹介するとか、その人にとって良いパブリシティを陰に陽にしてあげるとか、何らかの形で「結果として、平等かそれ以上」にもっていくように努力します。すると相手がまた予想外の「お返し」してくれたりして、そのようにしてなかなか楽しい人生が開けていきます。また、相手がご馳走するのが楽しいからしている、というような大物ケースでは、その場は派手に感謝して、「社会へお返し」のつもりで、今度は私が後輩にご馳走します。そうやって、結果としてぐるぐるぐるご馳走が循環しているというイメージです。

「お返し」を考えるのが心理的な負担になるほどのどうでもよい相手であれば、さくっと割り勘にしておくのがよいのかもしれないですし、その場その場ですっきり割っておくほうがわかりやすく「平等」なので気が楽という考え方も、もちろんわかります。ただ、私にとっての「平等」というのは、同等の金額を負担するということでは全くないのです。同レベルの喜びや価値を互いに与えあうことが「平等」だと思うので、ご馳走される時にはその場を盛り上げるためのドレスアップもしますし会話のネタも仕込んでいきます。さらに後日「お返し」を考えるわけですから、経済的な価値だけで見ればこちらの方が圧倒的に「損」しているように思うこともあります。笑

でも、感動ですとか非日常の楽しさですとか新しい何かの発見ですとか関係の構築ですとか、経済的な価値に還元されない豊かさの価値を考えると、やっぱりこうするほうが感謝も大きくなり、面白い人生を送れるのではないかという気もしています。たとえファーストフードであれご馳走されたり、機会であれご縁であれモノであれ何か贈られたりしたら、「ゲームが始まったな」と思って私はお返しを考え始めます。ゲームにふさわしい相手であれば、お返しラリーが続きます(途中、間延びすることもありますが、それでも価値観がそれほどずれていなければ、最終的なゲームオーバーにはなりません)。その場での割り勘は、ゲームをする必要がないという意志表示と受け取ります。

 

こういう考え方は、すべての人にあてはまるというわけではありません。くどいですが、念のため…。エラソーに聞こえたら、あるいは自慢たらしく聞こえたら、申し訳ありません。世代間でも価値観や役割感の大きな違いがありますし(私など息子たちにいつも化石人種と笑われています)、お互いの価値観が合っていれば、割り勘にもいいことがあると思います。それぞれの価値基準を大切にして、心によどみのない、快適な社交スタイルを作ってくださいね。

 

 

The worst form of inequality is to try to make unequal things equal. (By Aristotle)

 

 

 

 

 

最近話題の「スーツにスニーカー」について原稿を書きました。

 

近日中に活字になるかと思います。

反論も目に留まるだけ見てみましたが、「スーツには革靴を合わせることになっています」という類の原理原則主義をかざす前に、やはり少し歴史を俯瞰してみるのもよいかと思うのです。原理原則をふりかざすならば、それはいつ誰が決めたのか、なぜそうなのかを明確にして、さらに日本人がそれに従う意味を論じなくては説得力がありません。

服装をめぐり、古今東西、「絶対的な正しさ」なんて存在したことはありません。その時代のさまざまな条件がからみあい、落としどころのいいところで落ち着いている。それが10年以上安定して続くようになればその文化圏のcostumeになり、やがて慣習customになっていきます。

 

日本の現行の「礼服」システムにしても、そもそも140年ほど前に宮内庁が定めたあたりからおかしな点が多々あることは、しばしば指摘されている通りです。「少なくとも自分が生きている間にはみんなそうしていたから、そういうものだと思っている」ということで慣習に従っているという人が大多数なのではないでしょうか。

 

 

だから時代が変われば服装の慣行も変わって当然。変化の兆しが訪れており、それが多くの人に支持されるとなれば、まさしく時代の変革期であるということでもありますね。ただのあだ花で終わるか定着するかは、これから10年かけて観察したいところ。

 

スニーカーがらみで。波乱万丈のナイキ創業者の物語。フィル・ナイトの赤裸々な「ヒーローズ・ジャーニー」から起業家精神を同時に学ぶことができる。感情を揺さぶられながらビジネスの発想も学べる。映画化希望。

米山隆一氏に関する週刊誌報道、それに便乗した「エリート」バッシングの記事などを目にするにつけ、残念でなりません。

東大医学部を出て医者になり、さらに弁護士資格も取得し、政治家に転身して新潟県知事にまでなった方とあれば、その頭脳は日本の宝。報道されていること以上のことはわかりませんが、本人の釈明が正直なものであるとするならば、女性に対する接し方があまりにも無知で無防備、ナイーブだったことに起因した不祥事だったようにも見えます。

今回のような、バランスを欠いたエリートの失脚事件を残念に思うゆえ、また、同様の社会的な損失を二度と出さないためにも、かねてから書いたり話したりしてきたことを今一度、提言したいと思います。

男性は、人生のどこかで、「ソーシャル・グレーセズ」(Social Graces)を学んでおくことが絶対に必要です。紳士として世界のどの場面でも敬意を払って扱ってもらえるような、社会的な品格のことです。それを感じさせるための社交術といってもいいかもしれません。

女性が身につけておくべきSocial Gracesに関しては、フィニッシュング・スクールやマナー・スクールなど民間に教育機関が多々あり、また女性は好奇心も行動力もあるので自ら学びとっている人も多い。しかし男性、とりわけ高学歴エリート男性となると、そんな暇もないどころか、そもそも学ぶ必要性すら感じていない方も多い。女性、というかそもそも「人」に対する接し方ひとつ知らないまま仕事に明け暮れてしまう結果、今回のような落とし穴にはまってしまうケースが生まれたらとしたら、それまでの膨大な努力も一瞬で泡になってしまう。本人にとって悲劇であるばかりではありません。長期間にわたり彼に対して費やされてきた莫大な教育資本が無駄になってしまうのですよ。社会的な損失は計り知れません。

高校時代までは学ぶ機会も動機もなく、社会人になってからは学ぶ時間がとれないということであれば、大学の教養課程のカリキュラムに押し込んでしまうという方法もあります。まずは東京大学から教養課程で「紳士のためのソーシャル・グレーセズ(Social Graces)」を必修としてみたらいかがでしょうか。世界の舞台で恥をかかないスーツの基本着装法に始まり、プロトコル、フォーマルのルールはもちろんのこと、レストランや各種社交のシーンでの振る舞い方、女性に対する接し方にいたるまで。表層のハウツーや決まりを教えるのではなく、なぜそうするのか? その起源はどこにあるのか? その行動をとることによって(あるいはとらないことによって)どのような結果の違いが生まれるのか? 国や地方による違いがあるのかないのか、それはなぜなのか? というところまで踏み込めば、十分、アカデミックな講義になるでしょう。

海外のエリートは、といっても国によりさまざまですが、たとえばイギリスのエリートに関していえば、パブリックスクール⇒オクスブリッジという教育環境(校内だけでなく、そのソサエティの社交場面を含みます)や、家庭環境のなかで、ごく自然に社交のルールやスーツの着こなし、女性のエスコート方法などを学んでいます。日本のエリートにそのような環境が欠けているとするならば、早いうちに学んでおく環境を大人が作ってあげるのも手です。

 

 

東京大学に対する世間の偏見を思うと嫌味に聞こえたら申し訳ないのですが、決して自慢でもなんでもなく淡々とした事実として、私は学部から大学院博士課程までトータル12年間、東大で学ばせていただいたうえ、英語の非常勤講師として6年ほど教育に携わる機会もいただきました。だから、東大にはとても感謝しているのです。お世話になった母校の名前が、こういった不祥事のときにここぞとばかり軽蔑や揶揄の対象にされることに、日本の「東大嫌悪」を痛感して、いたたまれない思いがします。一学年3000人も入学するので、実にバラエティに富んだいろんな人がいます。ただ、女性が圧倒的に少ない環境であったために(今はずいぶん改善されていると聞きますが)、女性との普通な接し方がわからないまま女性をいくつかの種類にステレオタイプ化して見てしまう男性も少なくなかったように思います。

エリートによるセクハラや、それに対するエリートによる時代錯誤的な反応、あるいはエリートによる「女性との交際における過誤」を見るにつけ、このような状況を今後、現出させないためにも、ぜひとも、社会的品位も身につけた紳士エリートを東京大学から輩出してほしいのです。もちろん、東大ばかりではありません。家庭でそうした教育を十全におこなうことが難しいとなれば(実際、私自身がひとりで息子たちを教育することには苦労していますし、限界も感じています)、各大学あるいは各専門学校においても、社会的品格のための教育の機会をなんらかの形で設けるべきです。問題が表出した事件はおそらく氷山の一角。10年後、20年後の未来を見据え、Social Graces教育は必須です(ひょっとしたら教員世代の教育から始めたほうがよいのかもしれませんが)。

 

 

“There’s a certain pattern that exists with geniuses – an eccentricity, a lack of social graces and an inability to really communicate with mere mortals.” (By John Noble)

 

ソーシャルグレーセズを欠いていてもコミュ力がなくても、場合によっては人を魅了することもあるんですよね。天然でおそろしくチャーミングな天才であるとか、あるいは人類の「進歩」(があるとすれば)に多大な貢献をするような度はずれた研究成果を出す大秀才であるとか。こういう人材をざくざく輩出していただくなら、上の提言、もちろん撤回です。

 

 

 

 

 

 

 

上は、昨年、ロンドンでダイアナ妃のデザイナーだったポール・コステロ氏にインタビューしたとき(日本人初だそうです)に、コステロ氏が「記念に」とその場でさらさらと描いてくださったデザイン画です。A3サイズだったので縮小してコピーし、データ化しました。もちろん原画は宝物として残しておきますが、やはり多くの人に見てもらってこそいっそう価値が上がるものもあります。

 

☆☆☆

読者や視聴者のご意見から、予想もしなかった面白い視点を与えられることがあります。最近もっとも印象に残ったのは、銀座ローターリークラブの会長さんからの、私の講演後のまとめのお話でした。「ホリスティックにファッションをとらえていらっしゃるので、生活のあらゆる側面に意識を向けることにつながり、また、これだけ多くの観点からファションというものを考えていれば、生涯を通じて楽しくご研究を続けていけることでしょう」という趣旨の話でした。

「ホリスティック」という言葉は医学ではよく聞きますが、こういう使い方もできるのか、という発見がありましたし、なるほどたしかに、ここまで視野を広げておくと、重点をその時々でホットになる観点に移せばよいので、飽きるというはなさそうですね。

 

何度か掲載していますが、私が自分のFashion Studiesにおいて定義している「ファッションの構成要素」です。↓

 

既成の定義がキュウクツだ、と感じたら、誰にも迷惑をかけないかぎりにおいて、自分で書き換えればよいだけのこと。「リベラルアーツ」の起源は、人を奴隷状態から解放するための学びであったことを忘れずにいたいですね。

 

People and land need healing which is all inclusive – holistic. (By Allan Savory)

 

 

 

 

 

 

 

 

☆☆☆トークショーのご案内です☆☆☆

「半・分解展」東京・名古屋、各会場で、世界にも類を見ないこの展覧会をプロデュースする長谷川彰良氏とのトークショーに登壇します。

「体感するファッション史 ~半・分解展の現在~」 Save The Date!

<東京会場>

日時 5/26(土)14:00~15:30 (受付け開始 13:30)

会場 東京都渋谷区桜丘町23-21 10F 文化ファッションインキュベーション

聴講料 2,000円

お申し込みは、こちらからお願い申し上げます

 

<名古屋会場>

日時 6/17(日)13:00~14:30 (受付け開始 12:30)

会場 愛知県名古屋市東区大幸南1丁目1−1−10 カルポート東 4F ギャラリー矢田 第一展示室

聴講料 2,000円

お申し込みは、こちらからお願い申し上げます

 

昨日の朝日新聞の鷲田先生コラム。

「渋好み」を説明するのにこのめんどくさい感じ、いいですね。渋い。

 

 

☆☆☆

以下は、最近、目に余るなあと思うことに対する苦言。

広報やマーケティングの方法に唯一絶対の正解はないけれど、明らかにこれは逆効果だろうと思われることが横行しています。

一度、名刺を交換しただけの人に、メルマガばりに不特定多数向けの広報メールを勝手に送りつけること。よかれと思って送っている方、ほんとうに宣伝効果があると思っていらっしゃいますか?

正直に申し上げますと、早急に返信の必要な仕事の大量のメールの合間に、この手の宣伝メールが入ってくるのは、決して好感をもてることではありません。

「名刺交換させていただいた方にお送りしています」という注意書きが入っていることが多いですが、こんなことが常態としておこなわれるならば、名刺交換することさえ恐怖になります。「一斉メールは不要です」といちいちお断りするのも気を使い、せっかくお会いした方なので、その旨を丁寧に書きますが、それはそれで時間もとられます。

ほんとうにその企業なり人なりのコアなファンで「ぜひ読みたいから送ってください」という顧客の方にのみお送りされたらいかがでしょうか? それこそお金を払ってもメルマガとして読みたい、というくらいのファンであれば効果的かもしれませんが、そうでない場合、かえって企業のイメージは、宣伝メールが送りつけられてくるたびに、「コミュニケーションの何たるかも知らない迷惑な会社」として、下がるばかりです。(ご自分が受け取る立場になって想像してみれば、すぐにわかることだと思います。)

迷惑メールが来ないかぎりにおいて、御社のご発展を心よりお祈り申し上げております。

“There is a time and place for publicity, but to stay a sane person, you must have a personal life. ” (By Liam Hemsworth)

 

 

 

日本経済新聞土曜夕刊連載「モードは語る」。

本日は、日本特有の礼装「カップルなのに男性はモーニング、女性は黒留め袖」の起源について思うところを書きました。ぜひ、読んでみてくださいね。

参考文献は、先日ご紹介いたしました小山直子さんの著書です。

 

みなさん、あの和洋混合の礼装を奇妙だと思っていないんでしょうか? 式場に和洋とりどりの装いの方がいらっしゃるというのはとても素敵だと思いますが、カップルなのに和洋別々、というのは何なのでしょうか。「そういうものだ」というふうに式場から言われるから、まわりがみんなそうしているから、よけいなエネルギーを使わないように従っておく、という方が圧倒的なのではないのかと憶測するのですがいかがでしょう…。

私はそういうのが耐えがたいのですよね。なぜ明らかに奇妙な組み合わせなのに「みんながそうしているから」「これまでそういうものだったから」という理由だけで従わなくてはならないのか。

せめて起源を知りたい、最初に「決めた」のは誰なのかを知りたい、そんな奇妙な組み合わせを平気で「そういうものだ」ということにしてしまえるメンタリティの仕組みを明らかにしておきたい、と考えながら読んでました。

 

それにしても、「みんなそうしているから」という意味不明の理由だけで周囲と同じことをするなんてまったく理解できない、という性格ゆえに、しなくてもいいソンをしてしまっていること多々でした(今もだが)。自分ひとりだけだったらすがすがしく生きていられるけど、子供までそんな背中を見ているから「巻き添え」にしてしまったな、と哀しく思うこともあり。

がっちり日本的な組織人が言う「個性が大事」「多様性が云々」は口先だけのことが多い。今年初め、あるファッション関連の団体のパーティーに出席したら、1000人ほどの出席者のうち女性は一割もいなくて、全員、誰が誰だか見わけがつかないダークスーツ。そして壇上でスピーチする、ダークスーツ軍団の中の一人が「多様性に向けて……」とか話している。シュールでした。

 

<追記 アップしますね>

 

☆☆☆

さて。フォーマルウエアの話題ついでに、以下、お知らせです。

「一般社団法人日本フォーマルウエア普及協会 (Japan Formalwear Culture Association)」の設立記念パーティーがおこなわれます。

前半はプレス向けですが、夜の部はフォーマルウエアに関心のある方でしたらどなたでもご参加できます。

4月18日(水)19:00~21:00 ザ・リッツカールトン東京 2階グランドボールルームにて。

詳細は協会の専務理事、赤木南洋氏までお問い合わせください。m.akagi@nifty.com

 

 

ファッション誌を見ていて湧いてきた疑問。

なぜ、「知的なファッション」となると、無彩色だったり、ミニマルだったり、反・色気だったりに偏るのでしょうか?

カラフルで、デコラティブヴで、セクシーな「知的ファッション」だっておおいにアリでしょう。

私が「この人、痴的なフリして知的だ!」と感動する人はみな、セクシーでカラフルでデコラティブなんですよ。

ミニマルな無彩色が「知的」なイメージを伝えやすいというのは、わかる。そのコンセプトに異を唱えるものではありませんが、ステレオタイプなイメージの枠どまりになっていることそのことじたいが、想像力の貧しさを感じさせる。

 

 

“All genuinely intellectual work is humorous.” (By George Bernard Shaw)

 

 

 

地元の桜も愛でておかなくては。月の初めのお参りついでに、車で数分の寺家ふるさと村です。悠々とした時間が流れている場所です。以下、写真集です。

“The greatest discovery of all time is that a person can change his future by merely changing his attitude. ” (By Oprah Winfrey)


“Real nobility is based on scorn, courage, and profound indifference. ” (By Albert Camus)


“Elegance is not a dispensable luxury but a factor that decides between success and failure. ” (By Edsger Dijkstra)

“You don’ t buy luxury to enter a community, but to set yourself apart from others.” (By Francois-Henri Pinau)


“Be Impeccable With Your Word. Speak with integrity. Say only what you mean. Avoid using the word to speak against yourself or to gossip about others. Use the power of your word in the direction of truth and love. “ ( By Don Miguel Ruiz)

Sakura icecream. Yummy.

「千鳥が淵」に近い会場でアンティークコインのセミナーでした。帰途、ライトアップされた夜桜を見ながら歩く至福。以下、夜桜の写真集です。


Mysterious and profound serenity.  “The only thing I was trying to portray was serenity.  Also, innocence, vulnerability and elegance.” (By Sylvia Kristel)

“Fortune and love favor the brave.”  (By Ovid)


“Follow your bliss and the universe will open doors where there were only walls.” (By Joseph Campbell)

“Price is what you pay. Value is what you get.”  (By Warren Buffett)

“It is no use saying, ‘We are doing our best.’ You have got to succeed in doing what is necessary.” (By Winston Churchill)

“Turn your scars into stars. ”  (By Robert H. Schuller)

“Every production of an artist should be the expression of an adventure of his soul. “(By W. Somerset Maugham)

“It is by going down into the abyss that we recover the treasures of life. Where you stumble, there lies your treasure. ” (By Joseph Campbell)

“Every new beginning comes from some other beginning’s end.” (By Seneca)

“Every great work makes the human face more admirable and richer, and that is its whole secret.” (By  Albert Camus)

 

 

人を褒める効用についての、澤円さんの記事

私も人を褒めまくるタイプです(ブログをご覧になっている読者の方にはとうにおわかりかと思いますが。笑)。自分の状況が苦しいときほど、意識的に人や作品のいいところを発見しようと努めて、褒めます。媚びるのとは違います。褒めどころを探して、褒めどころを作って、できれば、人前で褒める。

その人のためを思って、ということも当然ありますが、人を褒めるのは自分のためでもあるような気がしています。誰かの長所を肯定することによって、褒める言葉を探し続けることによって、関心の方向が自分から離れて、ラクになっていくんですよね。

また、ほめられた人も、たとえ少しの時間であろうと幸せな気持ちになって、さらに成長したり飛躍して大きくなったりして、結果として、こちらが思わぬときに助けてくれたりするという好循環が起きるんですよね。忘れたころに自分に返ってくるのです。(返ってこないことも、もちろんありますが、返ってくることのほうが文字通り「有り難き」ごほうびなので、ひときわ嬉しくなる。笑)

それを狙っているわけでは決してありませんが、やたら人を批判して敵を作るより、よほど世界が明るい光に満たされる気がしますし、幸運を招くことにもつながります。

嫉妬によるものなのか、人を引きずりおろそうとして、匿名でディスりまくっている方もいらっしゃいますが、そんなことをしても、いっときはせいせいするかもしれませんが、結果としてそれがなにかよい効果をもたらしたことはありますでしょうか? ディスった相手はますます人気を高めていたりしませんか? まともな感覚の持ち主であれば、不当にディスっているほうの品性や器の小ささを哀れに思い、ディスられた方にかえって同情して味方したくなるものです。

正当な批判があれば実名で指摘すべき。それでも、言い方には相当の工夫が必要です。

人前で、目の前で、とげのある言葉で批判されたことは、私にも何度かあって、たとえそれが「事実の指摘」であっても、その苦いショックから立ち直るにはずいぶんと時間がかかり、またその人と一緒に仕事をする気にはなかなかなれなかった。批判された時の沈んだ重たい感情がよみがえってきて、萎縮してしまうんですよね。結果として、自由に能力が発揮できなくなる。どんなに指摘が正当なもので、こちらが「改善」を心がけたとしても、仕事はうまくいかなくなるのです。

そういう経験があるからこそ、どうしてもなにか注意すべきことがあれば、人前ではなく、その人だけに、できるだけ柔らかな表現で伝えるようにしています。

 

人間なので誰でもイライラや不快が募ることはあると思うのですが、そのような時こそ、実は「他人褒め」が好循環への切り替えスイッチになってくれることがあります。周囲に褒める人がいなければ、映画でも本でもレストランでもなんでも。褒め言葉のパワー、侮りがたし、です。

結論: 幸運を招きたければ、褒めなさい。

 

羽生結弦選手の別格級の天使(あるいはプリンス)のスケートに世界中が興奮し、沸いておりますが(もちろん私もですが)、「滑ることが楽しくて幸せでしょうがない」というところにやはり彼の強さの本質を感じますよね。スケートのために、食事、睡眠はじめすべての生活をコントロールする。日々、自分に課す厳しさはより良いスケーターになるためのものなので、むしろ喜々として引き受ける。

 

 

羽生選手の強さ、ウメハラの魅力、アルマーニが集める敬意、基本は同じなんですよね。天の声に従った自分の才能の発揮を最大限(というか限界を定めず)にやりきっていくところ。幸福の基準を、日々の成長の実感そのものに置いているというところ。パフォーマンスで人を感動させ、喜びを与えようとするミッションを引き受けているところ。

 才能を追求していく人だけが味わえる孤高の魂の旅から生まれた言葉がちりばめられていて、こちらも大好きな本。長期間の孤独のあとにごくごく少数の限られた同じ魂と出会うことができる幸せも説いている。アルマーニも仕事のためなら孤独もいとわない人。徹底的に美学を追求するために周囲に厳しくあたることもある。でもすべては仕事のクオリティを保つため。

 

以下は「勝負論」のなかでもとりわけ普遍性を感じるフレーズ。

・「さんざん常識やセオリーにいちゃもんをつけ、時間をかけて定石を学んだ人は、抜け出した後のバリエーションが圧倒的に違う。縦横無尽に遊び、好き勝手に活躍できる。結果として、誰も知らなかった価値、誰も目にしたことのないスーパープレーを生み出せるのだ」

・「(トンネルを抜ける瞬間の感覚) 真っ暗闇が終わるときは、それらがすべて、有機的にがっちりと自分の中でつながる感覚になる。同時に、そのゲームとは直接関係ないはずの感覚や経験、教訓も、一緒に再編成されていく。(中略)そこまでには、随分な時間がかかる。でもたどり着いたら一瞬で景色が開ける。そして、そこに行きつけた時の感覚は、ただただ、喜びしかない」

・「観客が感動するような、興奮するようなプレーは、『遊び』からしか生まれない。(中略)観客はプレーヤーの人間的な成長も物語の一面として見ているし、成長のためには『遊び』が必要不可欠なだぶつきである。『遊び』がないことを、もっとリスクとして認識したほうがいい」

・「教えられたり、教えたりという関係のなかで本当に大切なのは、あるジャンルのテクニックではないと思う。もっと人間的なことなのだ」

・「成長し続けることができれば、実はどんなレースにも対応できるようになる」

・「安心感や充足感は、ずっと成長し続けていることだけによって得られる。今成長し続けていれば、きっとこの先だって大丈夫だ。そしてそう思えることそのものが幸せのかたちだと思う。それこそが報われている状態なのだ」

 

どさくさに紛れて下に貼ったのは、

昨年、梅原大吾氏が慶應でおこなった講義。オフィシャルBeasTVにアップされている。春分の日にNHK文化センターで聴いたものとテーマも内容も異なるが、こちらも誠実を感じさせるトーク力で聴衆を釘付けにしているのが伝わってくる。

・周囲の期待に応えない(あなたの思うやり方ではないけれど、あっと言わせるやり方で応える)

・勝負前の気持ち。ノッているときには「おまえら、見てろよ今からすごいことやってやるぜ!」「沸かせてやるぜ」。そうではないときには「勝てるといいな」。

この感覚。「見てろよ今からすごいもの見せてやる」。これが目先の勝ち負けではなく、長期的に見た日々の成長の実感に幸福を感じながら生きている人の底力。

羽生選手の「どうだ観たか」といわんばかりのイーグルポーズにも同じものを感じました。天使と野獣(笑)、どこが同じなんだ一緒にするなと言われそうですが、私には同じ魂の持ち主に見えます。

 

(以下は、羽生選手の演技にうっとりしている方はスルーしてくださいね(^^;) 同じ魂の美しさを見てしまう私がおそらく変人なので)

 

 

銀座の泰明小学校がジョルジオ・アルマーニの制服(標準服)を採用するということで議論が百出しています。

決まるまでにはそれなりの複雑な事情があったはずなので今の段階で安易に是非を議論するつもりはありません。

ただ、一部イメージだけで、アルマーニを「下品」呼ばわりするニュースやSNS投稿などが目に余るにつけ、スルーしておくべきなのかもしれませんが、やはり敬愛するジョルジオ・アルマーニのために一言、擁護しておきたいと思いました。

 

ジョルジオ・アルマーニは高潔な方で、東日本大震災のあといち早く、震災遺児のために多額の寄付をしていらっしゃいますし、その後のプリヴェ(オートクチュールコレクション)では、日本文化を激励し、賛美する作品を展開して、震災直後の日本を経済的・文化的に支援してくれたのです。今生きているデザイナーのなかでも最も志高く、勤勉で、寛大なチャリティ精神を発揮している一人であることは間違いありません。

そのようなアルマーニの功績も知ろうとせず、一部の偏ったイメージだけで下品呼ばわりすることは、恩を仇でかえすようで、聞くにしのびません。

日本のブランドを採用しないのかという声も出たようですが、イングランドのサッカーチームは、ユニフォームとして(サヴィルロウではなく)イタリアのアルマーニのスーツを着ていたりします。アルマーニ・ジャパンも銀座で長くビジネスをおこなっていることを思えば、そこに国粋主義をもってくることもどうなのかなという気もいたします。

 

とりあえず2018年度は採用されるというアルマーニの制服(標準服)。もう決まってしまったことなので、どのような「効果」があるのか、あるいはないのか、じっくり観察する絶好の機会と、ひそかにとらえています。

 この本、名作です。アルマーニブランドを着る生徒さんが、ジョルジオ・アルマーニとはどのような人物で、どのような意志をもって一代でアルマーニ帝国を築いてきたのか、学ぶチャンスになるといいなと思います。

 

 

*この問題は別のところに論点があり、アルマーニが本題ではないことはもちろん重々わかっておりますが、今はその全貌がわからないので議論しません(しつこいですが)。当事者でもないし。ただ、百出する議論のなかで「下品な海外ブランド」とか「ちゃらいブランド」のような表現でアルマーニが言及されることについて耐えられなくなり、その点のみ、擁護した次第です。

最終講義(22日)の感動もさめやらぬまま追い立てられるように外へ出るとすでにかなりの積雪。この日予定されていたプレゼミOBたちとの飲み会も延期となり、早々に帰宅する……はずでした。

 

ところが渋谷駅がとんでもないことに。田園都市線の改札から密集した人々があふれ出ていて、その「人の塊」が動いていない。少しがんばってその後についてみたけれど、すぐにあとに人が続き、集団に八方から押されて息ができない。これは乗るまで苦しいガマンを長時間し続けなくてはならないし、乗ってからがさらに大変だろう……途中で気分が悪くなるかもしれないし、万一、雪のトラブルで電車が停車したらそれこそ地獄だ……と想像し、閉所恐怖症ぎみの私は退散し、タクシーで帰ることにしました。

ところがタクシーもまた長蛇の列のうえ、そもそもタクシー乗り場に30分待ってもタクシーが一台も来ない。人の列だけが長くなっていく。もちろん、流しのタクシーはすべて誰かがすでに乗っている。ホテルのタクシー乗り場に移動しても、同じ状況。タクシーを探す間にも雪は降りしきり、凍死しそうになってくる。

 

まずは食事しながら人が減るのを待とう……と思いゆっくり時間をかけて食事をしたあと戻ってみると、さらに帰宅困難者が増加し、どこもひどい状態に。

 

この時点でさすがに帰宅をあきらめ、都内に泊まっていくことを決め、幸い、ザ・プリンスさくらタワーにぎりぎり部屋がとれました。ほかのホテルはすでにどこも満室だった。この日はレストランはキャンセルが多かったそうですが、ホテルは特需だったようですね。


ホテルに向かう前に、品川プリンスの最上階、Table9でたまたま知人たちが集まって飲んでいたところに合流させていただけるという幸運。最上階からの眺めはいつもの東京とは違う非日常感があり、楽しくおしゃべりしながら3杯ほど美味しいお酒をいただきました。お隣のさくらタワーへ向かう途中も、夜の積雪風景は幻想的なまでに美しく、人通りが少ないこともあり、興奮しながらあちこち写真を撮りつつ移動していたら寒さも感じないほど!

(こちらは、新高輪プリンスのロビーラウンジから見える庭園の風景。ガラスに小市さんデザインによるロビーラウンジの照明が写り込んでいます)

 

さくらタワーはこのまま住みたいと思えるような、洗練された居心地のよいホテル。広々としたバスはジェットバスで、冷え切っていた身体も完全にあたたまり、上質なベッドリネンで癒されました。


(満開の桜のようにも見える、雪のふりつもった樹の美しさときたら。満員電車を選択していたら味わえなかった感動)

慣習に逆らった方向へ、人込みとは逆の方向へと向かったら、予想外の楽しみが次々に訪れて最高の夜になったという、なんというか、天の啓示を感じるような、これから向かう未知の冒険を激励してくれるような「最終講義の夜」でした。



(部屋から見える貴賓館。夜と朝)

 

朝は快晴。青い空に真っ白い雪。最高に澄んでいた朝でした。(前夜の雪の中でのしばしの行列がたたり、少し悪寒はしたけれど)


ザ・プリンスさくらタワー。地下にはサウナや大きなプールバスのあるスパもあり、広い日本庭園を通して新高輪プリンス、グランドプリンス高輪とつながっています。クラブラウンジも厳選されたフード&ドリンクが品よく提供され、外国人ビジネス客が9割ほどを占めていました。大雪のあおりで予定外の宿泊となりましたが、かえってリフレッシュできました。また泊まりたいホテル。

 

?本日、心のピントが合ったDaigo Umehara のことば。「安全そうな道を行くと、結局それが行き止まりになる」。

 

2017年もまたたく間に暮れてしまいました。

今年はたくさんのメモラブルなイベントに彩られています。

・ドルチェ&ガッバ―ナのデザイナー二人が二十数年ぶりに来日、日本経済新聞で単独インタビューをさせていただいて記事を書いた。

・ドル&ガバのふたりはその後、秋にも再来日。イタリア大使館でのアルタモーダのショー&ランチに出席させていただいた。デザイナー自身による、「ファミリー」の感情を喚起するためのマーケティング手法をまのあたりにした。

・日本経済新聞では二度目になる連載、「モードは語る」が始まった。

・読売新聞「スタイルアイコン」の連載が10月に5周年を迎え、6年目に突入した。

・北日本新聞「ファッション歳時記」の連載が75回を記録した。

・IWCとForbes Japanの共同企画でスイスのシャフハウゼンに行き、時計ビジネスのすべてを取材できたばかりか、伝説の時計師クルト・クラウス氏と食事しながらインタビューするという幸運に恵まれた。その間、滞在したのはスイスの国境を超えたドイツだった。


・IWC関連ではその後、大阪でトークショーをおこない、12月にはForbes Women Award 2017に登壇した。


・ロンドン・ファッション・ウィーク・メンズを取材し、日本経済新聞に執筆した(誕生日をロンドンで迎えた)。

・ロンドンでは引き続き、ケンジントン宮殿でのダイアナ妃展を取材、およびダイアナ妃のデザイナーだったアイルランド人、ポール・コステロ氏に日本人として初めてインタビューをおこない、日本経済新聞に執筆した。

・フィレンツェのPitti Imagine Uomo、第92回を取材、CEOのナポレオーネ氏に現地で単独取材を申し込み成功、日本経済新聞に執筆した。

・ニュージーランドを縦断した。

・Men’s EX, Isetan Mens, Grand Seiko, Tokyo Station Hotel共催の大きなイベントTokyo Classic に着物ドレスで登壇、Men’s EX 編集長の大野陽さんとトークショーをおこなった。(大野さんにとってはMen’s EX編集長としての最後を飾る仕事になった。)スモール・ラグジュアリー・ホテルを謳う東京ステーションホテルの、外資系や巨大ホテルにはない魅力を満喫した。日本最高峰、グランドセイコーの美しさと使いやすさを再認識した。

・大学のゲスト講師としてエトロのデザイナー、キーン・エトロ氏と、ギネスブックにも載るモデル、パンツエッタ・ジローラモ氏を招き、レクチャーしていただいた。ブランド(エトロ)とメディア(LEON)と大学を巻きこみ、その前後含めて、お祭りのように盛り上がった。

・大学のゲスト講師として、尾原和啓さん、澤円さんといった、ビジネス界の最前線で活躍する方々をお招きすることができ、その後の懇親会も盛り上がった。学生のモチベーションが面白いほど上昇したばかりか、澤さんのプレゼン方法をすぐまねる学生が続出し、即効性に驚いた。

・JA誌に執筆した中東の大スター、ナジワ・カラームの記事がご縁となり、アラブ駐日大使夫人関係のネットワークが生まれた。

・ホテルのレクチャーコンサルタントとしてのオファーを受け、ホテル全般の各種企画やイベントの現場、および舞台裏に関わらせていただいた。自分がこれまで築いてきた信用やネットワークや知識が現実のビジネスに思わぬ形で活かせることは望外の喜びだった。

ほかにも充実していた仕事はほんとうにたくさんあって、この一年で交換した名刺の数はおよそ600枚。国内、国外で、多くの方々と言葉を交わした。

一方で、お約束しておきながらまだ果たせていない仕事もあり、成果をすべて否定されるような絶望的な経験もいくつかした。口約束をすっかり信用していたら、手ひどく裏切られ、あるいは素知らぬ顔でハシゴをはずされ、取り返しのつかない結果をつきつけられたりもした。規則偏重のあまり現状に不条理なねじれや不幸が生まれているのに、それでも規則第一で人間を取り換え可能な部品として扱う硬直したシステムにも振り回された。世間知らずな自分の甘さを思い知らされると同時に、本来の「正しさ」「フェアネス」「リベラルで合理的な配慮」というものが完全にないがしろにされている狭量な空気にやり場のない憤りを覚えた。カラフルでエキサイティングな出来事の合間に苦しい思いに押しつぶされそうになったこともある一年だったが、最終的には、やはりプラスマイナスゼロになるようにできているのかもしれないなという諦観に落ち着いている。

よいこともそうでないことも全部、自分が招いたこととして潔く引き受けて、喜怒哀楽すべての感情を味わいつくしたら、手放し、いったん自分自身を燃やしてしまうつもりで無になって、また新しく再生します。人の役に立ち、世の中にも貢献でき、さらに自分自身も新しい発見でワクワクし続けられるような仕事を続けていきたいと願うなら、そんな仕事にふさわしい丈夫で大きな器に再生するしかない。

年越してしまった仕事は早めに終わらせます。ごめんなさい。

読者のみなさま、今年もおつきあいいただき、ありがとうございました。(ブログが)コピーできないと苦情をいただいたのですが、理由があります。美術館や配給会社から作品の写真を提供していただくときに、「コピー不可にして掲載すること」という条件がつくことがあるのです。また、自分や友人の写真が、不愉快なサイトに不本意に加工されて使われていたことがあり、安易にコピーできないように設定した次第です。(本気でコピーしようと思えば、方法はあるのでしょうが。)ブログ本文に関しては引用していただくほどのたいした意見を書いておらず、推敲した公用の文章は活字媒体あるいはそのウェブ版で掲載しています。いまやSNSの気軽な投稿も「パブリック」といえば「パブリック」とみなされるので、私の中でのこのような線引きも身勝手なのかもしれませんが……。

本HPは仕事のアーカイブや記録を目的に開設したこともあり、現在まで広告をまったくつけず、むしろ費用を払い続けて運営しています。アマゾンアフィリエイトはほとんど利益にはならず、リンク先で本や映画の詳細をより知ってもらえるという程度の役に立っています。来年、リノベーションを行う(予定)にともない、方向転換することもあるかもしれませんが、いまのところ、そのような方針です。たいへん勝手なことながら、どうぞご理解ご寛恕いただけますと幸いです。

 

重ね重ね、読者のみなさまに心より感謝申し上げます。ときどきコメントをいただけること、とても嬉しく思っております。どうぞ、みなさま、佳い年をおむかえくださいませ。

with Love and Respect.

 

 

 

 

 

 

寝不足続きの上、バイクレースのおかげでタクシーに乗れず歩きどおしで疲労も極致に達していたので、19:30から始まる夜のイベントに備えていったんホテルへ戻って1時間ほど仮眠をとることにしました。

ところが、うとうとしかけたところでけたたましい火災報知器の音が鳴り、万が一本当だったら、と思ってパスポートとお財布だけ持って部屋の外へ。しかし、どうやら間違いらしいと他の客が言うので様子を見ていたら、2分ほどさらになり続けたあとに終了。でもあの音は心臓に響きますね。ドキドキしたまま部屋に戻り、再びうとうとしかけたところ、またしても火災報知器。念のために、もう一度出てみる。やはり間違いとのこと。このときはなんでもなくて幸いでしたが、この誤報事件の翌日、ホテルのあるストランドからは離れるのですがロンドンの高層住宅の火事が発生し、思わずあの報知器の音を思い出して身が凍る思いがしました。巻きこまれてしまった方々は、いかほど恐ろしい思いをなさったことでしょうか……。逃げきれなかった方々に、衷心よりお悔やみ申し上げます。

 

なにかと心労ばかり増え続けた今回滞在のホテルとは違い、その空間にいるだけで疲れが癒される思いがした、リージェントストリートのカフェロワイヤル(ホテル)。「オスカー・ワイルドのバー」に行きたかったのですが、


予約がとれず、ラウンジでカフェ。ここはここで優雅な時間が流れており、別格の居心地よさと安心感を感じさせる対応でした。


高い飲食代や宿泊代には、「安全」や「安心」も含まれているのですね……。

北朝鮮のミサイルが今朝もまた発射されました。情勢がいっそう緊迫していることを感じますが、直接、私が交渉に行けるわけでもなければ抗議行動をしてどうなる相手でもない。外交・防衛を担うプロフェッショナルの方々に最悪の事態を防いでほしいと希望を託しつつ、Keep Calm and Carry On.  恐れてばかりいても何もならず、避難といってもどこにどんな危険が飛んでくるのか全く読めない状態。知人のなかにはすぐに上海に飛べるような用意をしているという方もいますが、私は海外に頼れる知人がいるわけでもないし、家族をおいていきたくもない。こんな時の最善の過ごし方は、日常の業務をいつも以上に丁寧に務め、会う人に笑顔を向けていくこと、という気がしています。たとえ能天気に見えようと、とりあえずは淡々といつも通りの日々を過ごすこと。不安のなかでこそ意識的にこのように心がける一日の終わりと、その翌日の始まりが平穏だと、心から感謝したくなります。本当に大切で必要なものとそうでないものがはっきりとわかってくるのも、実は「今日を生きることができた奇跡」を実感するこんな時だったりしますよね。

さて、少し時間が経ってしまいましたが、せっかくの貴重な機会をいただきましたので、シャフハウゼンDay 3 のその2、写真と個人的な印象を中心に、記録だけ残しておきます。

Gerberstubeでのランチを済ませたあとは、再びIWC本社へ。

CMO(マーケティング最高責任者)のフランチェスカ・グゼルとの会談です。マーケティングのプロフェッショナルとしてチョコレートの「リンツ」でも働いた後、引き抜かれてIWCに来た女性です。今回の同行者のなかにマーケティングのプロが二人もいた(竹尾さんと武井さん)ことで、とりわけ質疑のときにはきわめてハイコンテクストな会話が交わされていました。

私が深く共感を覚えたのは、男性社会において女性が最高責任者としてリーダーシップを発揮するための条件の話になったときです。振り返ってみれば私も同じことを感じていたし、他の同行メンバーも大きくうなずいていたので、スイスも日本も変わらないのだなと思いました。これについてはまた別の媒体で機会をあらためて書きます。

(左から谷本有香さん、中塚翠涛さん、フランチェスカ・グゼルさん、中野、武井涼子さん、竹尾純子さん)

少し休憩をはさんだあと、いよいよ「シャフハウゼン会議」。フォーブス副編集長の谷本有香さんの司会のもと、今回、シャフハウゼンであらゆる角度から時計文化に接した4人が、「時」「プロフェッショナリズム」「美」「これからの時代に求められる価値」などをテーマに議論を交わします。詳細はフォーブス7月号に掲載されますのでここでは書けませんが、それぞれの分野を極めた結果、越境して仕事をすることになった4人の見方は各自においては一貫しているものの、互いにまったく違うもので、非常にエキサイティングでした。

まだまだ語り足りない状態でしたが、時間がきてしまい、続きは後に、移動の車の中や食事の時などに交わされることになります(笑)。実際、今回のメンバーがとてもユニークだなと思ったのは、表層的な世間話がまったくなかったことと、女子会的な同意のノリ(「そうよね~」「わかるわかる」)が皆無だったこと。いきなり「本題」的な話が始まり、「いやそれは違う」から次の議論へ続きます。それぞれの人格と貴重な時間を尊重するからこそ、そうなるんですよね。意見に違いがあるからこそ、面白い。相手の人格を尊重し、信頼するからこそ、「違う」と言える。唯一の人格から出てきた、かけがえのない他人の「違う意見」と、同じように唯一の人格から生まれた「自分の意見」を、どのように掛け合わせ、昇華させていくか。その醍醐味を知るからこその深い会話が、なんとも楽しかったのです。


(自由時間はほとんどないに等しかったのですが、熱い会議のあと、少しだけ町に出てビールを一杯、のセルフィ―)

レストランやカフェは道路までテーブルを出し、こんな光景がちらほらと。平和で穏やかな時間が流れていることの、ありがたき幸せを実感します。

 

 

 

 

 

ドルチェ&ガッバ―ナ、先週は2人のデザイナー来日で白熱した一週間でしたが。何とイタリアにご帰国後のお二人から手書きのカードが届きました(メール経由ですが)。”Dear Kaori san, It has been nice meeting you during our adventure in your beautiful country.  The interview we did together was really interesting. Thank you for your support. Best Wishes.”インタビューが本当に面白かったと、重ねてほめてくれています(ディナーのときにも、またプレスの方経由でも、そのような言葉をくりかえし、いただきました)。感激です。こちらこそ感謝!なのに。お忙しい中、こんなこまやかなお気遣いができるってすばらしいですね。滞在中にお会いになられた他の方々にも送られたようですが、なかなかできない「オートクチュールのお礼状」、この姿勢は私も見習いたい。

 

自慢記事でしつれいしました。ご寛恕くださいませ。

 

先週のイベントですが。カネボウ「コフレドール」のプロモーションで、新色を使ったメイクのあと、プロカメラマンに撮影をしていただきました。

…しつれいしました。季節が春になったということで、ご寛恕ください。(^^;)

 

さて。先週の謝恩会のあと、近くだったので立ち寄ったルパランで、美しいカクテル2種をいただきました。

まずは、ナポレオン。フレッシュなイチゴをジュースにし、シャンパンと合わせたカクテルです。すっきり目が覚め、浄化されるような味わい。お酒なのに。笑

そしてグレタ・ガルボ。見た目もクールでエレガント。味わいもなるほどきりりとジンが効いた「ガルボ」の印象。名前がカクテルに残るっていいですね。銅像を残すよりいいかも。笑

“Every one of us lives this life just once, if we are honest, to live once is enough.”   (By Greta Garbo)
「人生は一回しか生きられない。正直に生きていれば、一回で十分」

正直な声を発する、正直なことを書く、というのはおそろしく勇気のいることですね。だからこそ、そのことばは届くべき心に届くし、成し遂げたときに大きな満足感を伴う。悔いもくすぶりもないから、「一回で十分」。

 

 

“Mad Max Fury Road” 観るのは3回目だが、やはり神話的なので、進路に迷ったときにインスピレーションを得られる。さらに、細部までとことん凝ってサービスする映像に救われる。

“Where must we go, we who wander this wasteland, in search of our better selves?” -The First History Man

冒頭のことばから、すっと神話の世界に引き込まれる。

あとは「怒りのデスロード」にして、「神話のロイヤルロード」。前方に進み続けても生存の望みが薄いならば、逃げてきた世界へ戻るしかない。途中の道を闘い抜いていくならば、元の世界へ帰ることはけっして同じ世界への逆戻りではなく、ヒーローとしての帰還となる。仲間を救う宝と自分を取り戻すアイデンティティをおみやげに。

小人症の俳優の扱いもいいし、闘う老婆、火を噴くギターマンなど、愛すべきキャラがふんだんにちりばめられているところも魅力。

今回、あらためて、いいセリフだなあと感心したのが、

“Witness me!”

War Boyが命の全てをかけて戦う瞬間に叫ぶ、最後のセリフ。生きて、闘った自分の証人となってくれ、というような。

SNS時代は、なんでもかんでも ”Witness me!” ですね。ランチも、すてきな旅行も、「友情」までもが、”Witness me!”  。(皮肉ではなく、そういう状況だという事実の指摘)

そんなこんなのロマンチシズムは、イモータン・ジョーの一言で片づけられてしまいます。

“Ah, mediocre.”

ありきたり。

 

そういえば今日はバレンタインデーですね。Global Japanese Studiesの私のプレゼミ(教養講座)ボーイズには、「チョコをそわそわ待つというような受け身の男になるな。グローバル基準でいけ。花を贈れ。自らアクションを起こせ」という趣旨の指導をしております。

他人の行動に期待してがっかりするよりも、自ら行動を起こした結果のがっかりを経験するほうが、はるかに成長できます。

(もちろん、思いがけずプレゼントをもらったら、最大限に感謝し、喜べばよいのです)

街中で、恥ずかしそうにバラの花束を抱えた大学生を見かけたら、心の中で応援してやってくださいね。

“What a lovely day.”

 

 

 

などと冷めたことを言っていましたら、午前中に、宅配便のお兄さんが続々と花やチョコレートを届けてくれました。読者の方や教え子や弟子たちから、あたたかなメッセージとともに、お心のこもったプレゼントを頂戴しました。嬉しいです。ほんとうにほんとうにありがとう!

What a lovely day. Happy Valentine’s Day.

 

2.14.2017.4

abc, NYTimes, Washington Post, BBC, Telegraph などのニュースが送られてくるように設定しているが、刻々と、ものすごいスピードで事態の進展が送られてくるので、いまの時点でのかすかな不安を個人的にメモしておきます。政治評論家ではないので、以下、解釈の大雑把なところはご寛恕のうえ、スルーしてください。

 

トランプ大統領による、ほぼ連日の時代錯誤的な大統領令。国境に壁。中絶禁止。オバマケア無効。環境破壊するパイプライン建設許可。これにサインしている自分の姿をいちいち写真に撮らせてSNSにアップする。(オバマ元大統領がこんなことをしているのを見たことがないように思う。)トランプ氏の「サインするオレ様」写真は、自分の権力がどれほどのものかを確かめたくて無謀な大統領令を次々と発し、悦に入っているナルシストの写真にしか見えない。

ついに中東・アフリカのイスラム7か国からのアメリカ入国を一時的に禁止。

 

人権を無視したこの大統領令に反対を唱える大々的なデモ。アメリカ全土から空港に弁護士が集結し、ボランティアで入国者を助けようとしたり、空港で足止めを食らったり抗議している人たちのためにピザ・エンジェルが無料でピザを配布したり、難民を助けるクラウドファンディングが行われたりと、「大統領令が発せられると、アメリカが一つにまとまる」というバーニー・サンダース氏の名言に納得のヒューマニスティックな光景も繰り広げられる。

 

アメリカに入国を禁止された人々を見かねて、カナダのジャスティン・トルドー首相が「カナダは、宗教、人種、ジェンダーなどに関わらず難民を歓迎します」というメッセージを発し、世界中からの喝采を得る。

 

と思ったら、カナダのケベックのモスクで、イスラム教徒が祈りの儀式を始めたばかりのところをなにものかに銃撃され、罪のないイスラム教徒が5人が亡くなる。(その後、6人に増える。重傷者も多数)

“In this dark hour, let us strive to be the best version of ourselves.” (By Justin Trudeau)

 

これはこれからやってくる大きな嵐の決定的な始まりだろうか。混乱から衝突が起き、収拾がつかなくなると戒厳令が敷かれ、日本だって当然、何らかの形で巻きこまれる……という流れを想像してしまう。

ファッションの歴史から学んだことは、人間の美意識や流行はらせんを描いて変化していくということだ。どちらかの方向へ行けば必ず揺り戻しが来て、再びかつてきた道を通る(が必ずしも同一にはならない)。政治も同じと考えるわけではないが、かつてと同じような道をたどろうとしているように思えてならない。rasen 6

そういう憂いは憂いとして、この世界情勢のもと、まったく能天気にしか見えないファッション記事も書かねばならないし、あれこれの交渉を進め、各種の仕事を終えなくてはならない。家族のケアも。将来設計も。どれも待ってくれない。ひとりダイバーシティには切り替え力と集中力と体力が要る。それぞれの場面で、”Best version of myself” で臨むための体力が。

 

 

朝日新聞1月17日(火)、オピニオン欄「若手政策の乱」。
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小泉進次郎氏はやはり人の心に届くことばの使い手だとわかる。Men’s Exの先月号でも、シャツの着こなしのお手本として小泉氏を挙げた時、一部、業界関係者からは不服の声もあったようなのですが、スタイルアイコンはやはりルックス(着こなし)だけではなく、語ることばと行動とともに総合的に見るべきという考え方は変わりません。

「僕は政治を職業だと思っていない。生き方だと思っています。自分の意志でこの道を選んで本当によかった。もし親から跡を継げと言われて政治の世界に入っていたら、おそらく途中で心が折れていたんじゃないかな」

「いまも苦しいとき、自分の能力の限界を感じることもありますよ。でも最後は自分がこの道を選んだという事実が力として返ってくる」

「将来を考えたら、どんどん課題は大きくなる。経験知を積んでおかないと、次の高さは跳べません」

確かな口調と目力で語られるこんなことばの力があり、行動が伴い、信頼感が生まれる。そうすると見る人の目には、「美しく」見えてくる。

かっこよさだとか美しさは、単独で、鏡の中に存在するものではなく、あくまで、周囲の、その人を見る心の中に生まれる。心が幻滅すれば、どんなイケメンやダンディだって、よく見えるはずはない。

 

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10日付の朝日新聞、鷲田先生。

このようなことは最近、いたるところで感じる。(以下は、触発されて連想したことなので、上の文意とは少しずれていきます、ご寛恕)

「真・善・美」を表現すると、嫌われる。「正しさ」が正しさゆえに疎んじられる。そんなものをふりかざされても生活は崖っぷち、前途まっくら。正しいことを公言されると、そうしたくてもできない人が、自分が間違っている、無視されている気になって深く傷つく。生活と環境が窮地に追い詰められていくとそんなふうに心が反応するのは当然のことなのかもしれない。

真・善・美・正・知を屈託なく表現できるのは、「恵まれた」一部の人間だけなのだ。だからそれが絶対的にいいもの、めざすに値するもの、と何の疑問も抱かず表現してしまうと、そこに至りたくても至れない人々を傷つけてしまう、という構造が生まれる。ヒラリー・ヘイター(ヒラリーを嫌う人たち)、ドナルド支持者、ブレグジット(英EU離脱)賛成者のなかにも、このように「傷ついた」または「むかついた」人が多かったはず。

 

Post-Truthとはこういうことでもあるのか。
(客観的事実よりも感情的な訴えかけの方が世論形成に大きく影響する状況。真実かどうか?などたいして重要ではなくなり、嘘でももうかればいいじゃないか、面白ければいいじゃないかという状況。OEDが2016年のワードとして選んだ)

 

真・善・美・正・知は絶対的でいいもの、表現するにふさわしいものだと思っていたとしても、表現する側は、受け取る側の影の感情にまで思いをめぐらして、そうとう繊細にやらないと、「正論に傷つけられた」と受け取ってしまう人たちから、嫌われる。どころか、不条理な攻撃にさらされかねない。

 

マリー=アントワネットによる「パンがなければお菓子(ブリオッシュ)を食べればいいじゃないの」というコメントは、彼女の世界観においては正しかった。小麦粉がないなら、小麦粉の割合を減らしてバターと砂糖を増やしたブリオッシュを作ればいい、という発想は、宮廷周辺だけで過ごしてきた彼女の世界観における、屈託のない「正論」だった。

brioche

(Still life with brioche, Jean-Baptiste-Siméon Chardin, 1763. Wikimedia Public Domain)

 

正しさを語ることができるそもそもの前提が大きくずれていたから、大衆を傷つけた。

(そもそもこのことばは、ルソーの本のなかの「ある上流階級の女性」のことばの引用であって、王妃が言ったのではなかったらしいのだが。それをマリー=アントワネットと勝手に決めつけ、憎しみの矛先を向けた大衆がいたということこそ、Post Truth。これは現代に始まったことではないのだ。)

 

現在も、正しさや善を語ることができる共通前提が、おそらく、同じ日本語圏においても、なくなってきている。それほど社会格差が広がっている。だからいっそう、慎重になり、警戒する必要がある。正直、足がすくむ。こんな時には、何も語らずやりすごすのがいちばん「無難」だ。それでもあえて真・善・美・正・知を語ろうとするとき、これまで以上に勇気と覚悟と繊細な気遣いが要るような気がしている。

 

あるいはむしろ、なにを表現しても攻撃にあうのであれば、まったく世俗とは切り離された宇宙に住んでいるかのように自由奔放に、別次元の世界の人になってしまうか。

いずれにせよ、中途半端は、淘汰されていくしかない。

成人式ですね。大学生の晴れ着姿が続々、SNSにアップされてまいります。みんな素敵!まぶしい!

新成人になられたみなさまに、心よりお祝いを申し上げます。

☆         ☆         ☆

20歳だったころ何をしていただろうかと思い出すに……今のように日常的に写真を撮るなんてこともなかった時代、アルバムはないし、もうまったくといっていいほど記憶はないのですが、幸か不幸か、旅レポーターのアルバイトは続けていました。

メキシコを筆頭に、グアム、沖縄、奄美大島など、実にいろんなところに出かけては、書いていたのです。

その頃の仕事が掲載された雑誌(レジャーアサヒ 1984年10月号)があったので、恐怖を承知で当時の記事の一部を引っ張り出してみました。33年前ですよ。笑。

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このときの取材のテーマは、「大井川から御前崎 ~森羅万象浴の旅にトライ!」というものでした。金谷で茶畑を取材し、奥大井で森林浴と温泉浴、御前崎で海水浴、そして締めは中部電力原子力発電所で原子力の仕組みを学ぶという知識浴の旅。

なんと20歳の私は原子力発電所の見学にも訪れていたのだった。写真を見てもまったく記憶がよみがえらない。

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右側が私です。髪型がダサすぎるし、服が場違いすぎるしで、憤死しそうです。leisure-asahi-84-10-1右から2人目が私のはずですが、本当に行ったのかどうか、まったく記憶がよみがえらない。

現在の自分から見ると20歳のころのこのヒトはまったく別人にしか見えません。でも書いている文章を読むと、リズムがそのまんまだったりするんですよね。進歩してないというか。

 

思えばこのころから現在まで途切れず、何かを書いてくれという依頼だけは細々と続いているのでした。テーマは依頼主によって映画だったり、レストランだったり、テクノロジーだったり、演劇だったり、マナーだったり、食だったり、ほんと、さまざま。ツボにはまったのが、ファッション史だったのでしょうか。今から思うに、試行錯誤であれ、なにか行動し続けてみないと、自分が何に向いているのか、世の中のどの需要とマッチするのか、わからないものです。(ちなみに、このころは「ファッション関連のことについて書く」という未来はかけらも想像できなかった……それはこのダサすぎる格好をご覧になれば一目瞭然でしょう。笑)

 

私自身がまだまだ大成には程遠く、偉そうなことを言うことなど憚られるのですが、20歳のあなたが、「何をしていいのか、どの方面に向いているのかわからない」と感じても、あまりひとりでうじうじ悩むことはせず、まずは一歩、なにか具体的に行動してみてはいかがでしょうか。

行動して、他の人々と関わっていく中で、次第に他とは違う自分の輪郭もはっきりしてくるものです。そして新たな仕事や、予想もしなかったチャンスをもたらしてくれるのは、常に「人」、血の通った「人」なんですよね。

だからこそ、

・感謝を伝える
・常に、自分のほうが多く与える(サービスする)
・前例がなくても、こうしてあげたい、と思うことはやってみる
・決して人を貶めず、うわさ話も聞き流すだけにとどめる
・排他せず、党派に偏り過ぎず、すべての人にオープンで、裏表なく接する
・他人に依存しすぎず、距離を置くべき人とは品よく距離をとり、上手に頼り、頼られる
・八方美人はもっとも不信を買う。「あちらでもこちらでも仲良しアピール」は、長期的に見ると孤独への道まっしぐら(「あちら」と「こちら」が不仲な場合、両者から警戒される)
・口は堅く、虚栄を慎む

ということを心がけ、実践するようにしておくと、その積み重ねが「信用」につながり、長きにわたって安定して機会に恵まれやすくなるのではないかと思います。あなたが、こういう人と一緒に仕事をしたい、旅をしたい、というまさにそんな人になればよいのですよね。もちろん、武器となる能力を磨き続けることを大前提としたうえでの話ですが。

(組織のなかの処世術は、また違うのかもしれません。独立して、あるいは個人の名前で何か仕事をやっていきたいという方には有効です。)

みなさんの人生が、希望にあふれ、輝かしいものでありますように。With Love and Respect.

 

 

 

 

 

あけましておめでとうございます。

1-2-2017-1

みなさまにとりまして、お健やかで、お幸せな一年となりますよう、お祈り申し上げます。横浜より、愛と敬意をこめて。

 

2日の朝のベイブリッジ方向を臨む「夜明け前」。幻想的な夜明けのギフト。「夜明け前がいちばん昏い」ということばに、思えば、幾度も助けられました。

 

1-2-2017-3

 

 

 

おおみそかのJ-wave ANA World Air Current を聴いてくださった方々から、たくさんのコメントを頂戴いたしました。ありがとうございました。

お恥ずかしながら、こちら、ANA World Air Current 公式HPにおいて、ポッドキャストでも公開されております。

 

あいづちが堅くて色気がなさすぎる(ないものはしょうがないとしても、せめてもっとソフトに)とか、話したいことは一気に話し過ぎてしまう(いったん相手の反応を待て)とか、改善点も多々見えました。できれば向き合いたくない自分の現実に向き合うのはけっして快いものではありませんが、それをやってこそいくばくかの向上も望めるというもの。

理想とする完成形にはまだまだ、はるかに遠く及びませんが、夜明けがいつか訪れると楽観して、一日一日、「昨日よりマシ」になっていけるようさらに厳しく、自身を鍛えていこうと思います。

 

 

水道の蛇口が壊れるやらまぶたにトラブル発生やらで大みそかはあわただしく過ぎようとしています…。

 

2016年もあっという間に終わりましたが、15年前の本の読者、数年前の卒業生、10年以上前にボランティアで奉仕した人、損得ぬきにサービスしてあげた人など、予期せぬ人が、想像すらしなかった新しい出会いや朗報や思いがけない仕事をもたらしてくれることが多かった一年でした。

結果がすぐに現れなくても、行動したこと、言葉にしたことは、忘れた頃に、それなりの利息つきで返ってくるものだと実感しました。

おそらく、よくもわるくもそうなのでしょう。

うまくいかなかったこと、実現できなかったこともありました。それもすべて自分の選択と行動がもたらした結果です。時間は有限。今年、あまりにも多くの文化人やミュージシャン、俳優の訃報が続きました。ひとり、ひとりのご冥福をお祈り申し上げるとともに、私とほぼ年が変わらない方もいらっしゃるという事実を、深く、厳粛に受け止めていました。いつ来るかわからない終わりのときに、やり残した仕事のことで後悔するわけにいかない。

優先順位と改善点を見極め、質・量・速度ともに納得のいく仕事ができるよういっそう精進します。

 

今年一年、多くの方々に、さまざまな場面でお世話になりました。ほんとうにありがとうございました。みなさまどうぞ佳いお年をお迎えください。

 

 今日はやはりこれで締めたい。日本未公開のブランメル伝記映画”Beau Brummell This Charming Man”のDVD。講演でよく使っている映画です。ブランメルが(摂政時代の)ジョージ4世のメイクをふきとり、かつらをとり、彼を近代的に「男らしく」変身させるシーンが最も好き。

今の仕事をするに至った経緯を他のサイトで書きかけていたのですが、諸般の事情でとりやめになりましたので、以下、こちらのブログに転載しておきます。

ケンブリッジ大学客員研究員時代のこと。

1994年の秋から、大学院の博士課程(British Studies)を休学して、客員研究員としてイギリスのケンブリッジ大学を訪れていました。ケンブリッジ大学といってもその名前の建物があるわけではなく、街の中に30といくつかの「コレッジ」が点在しています。それらの総合体がケンブリッジ大学というわけです。

私がお世話になったコレッジは2か所です。「ヒューズ・ホール」と「ホマトン・コレッジ」。ヒューズ・ホールは理系の学問に強く、ホマトンは主に教育系の学問に強いところでした。今回はホマトンでの思い出を書きます。

hommerton(Hommerton College, Cambridge)

 

日本の大学のように決まった時間に講義があるわけではなく(学部生は、大教室でいくつかの講義を受けますが)、「チューター」と呼ばれる人が、一対一、あるいは小人数を対象に、とことん個人と向かい合って指導していきます。私は一応、立場としては学生ではなく、下位の教員と「ほぼ対等」の客員研究員(visiting scholar)として来訪していたので、個人の研究はあくまで個人として責任をもっておこない、そこで生じた疑問やら見解やらを、チューターや、他の研究員たちとディスカッションして発展させていく、という表向きはゆるやかに見える研究生活を送っていました。

自由には責任が伴います。ハードに割り当てられる課題に追われるというプレッシャーはありませんが、最終的に「業績」が出なければ誰にも相手にされなくなります。Publish or Perish(書かなかければ滅びるだけ)という暗黙の掟が学問世界にはあります。限られた時間をいかに自分自身の責任で管理して効率的に成果を上げていくか、それはそれは大きな重荷を、焦りとともに感じていました。

しかも当時、私はまだ3歳だった長男を連れていっていたので、まずは自分のための時間を確保することだけで精いっぱいというところがありました。イギリスの冬は朝9時にようやく明るくなる感じなのですが、その時間に、長男をナーサーリー・スクールに連れていきます。子供にとっては言葉も全く通じない環境ですから、最初の20分くらい、その場になじむまで、一緒にいます。ようやくスクールを後にし、カレッジに向かうと10時近く。

落ち着く間もなく10:30ごろから「コーヒー・モーニング」が始まります。ホマトン・コレッジのチューターや大学院生、各国からの客員研究員たちが一室に集まり、スコーンとコーヒーをいただきながら(紅茶よりもコーヒーを好むイギリスの研究者が多かったのは、意外な発見でした)、研究にまつわるよもやま話を議論しあう場です。ここでいわゆる「世間話」をしていても別にとがめられることはないのですが、何しに来てるんだという目で静かに軽んじられていきます(笑)。昨日の研究成果の一部を披露したり、他の研究員や大学院生の話を聞いたり、チューターの意見を聞いたりしているうちに、あっという間にお昼になります。

コレッジを出て、シティセンターで軽めのランチを食べたら、午後はユニヴァーシティ・ライブラリーにこもります。図書館といっても東西南北多方向にウィングをもつ壮大な建物で、本を倉庫から出してもらう手続きも一仕事。まずは検索ワードにひっかかった本を片っ端から出してもらい、目を通して、必要とあればコピーするのですが、コピー枚数は著作権の関係で限られます。しかたがないので必死にその場で読んで、引っ掛かりを感じたところを、本の概要とともに、片っ端からメモしていく(まだスマホもない時代)。情報は少ないのも困りますが、多すぎても途方にくれるものです。当時、研究課題としてゆるやかに掲げていたのは「イギリス社会におけるジェントルマンの支配」。「ジェントルマン」というワードにひっかかった本だけで、ワンフロアほぼ占めるくらいの本があると知った時の絶望ときたら……。

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(Cambridge University Library)

そんな作業を2時間連続して集中できればいいほうで、あっという間にナーサリーのお迎え時間が迫ります。もう暗くなっている15時半にはライブラリーを出て、ナーサリーまで車を走らせ、長男をピックアップして、「セインツベリ」という大型スーパーで食料品や日用品の買い物をして帰り、食事と家事を済ませたら倒れ込むように子供と一緒に眠る…。翌朝、4時に起きて昨日のメモを整理したり、その日のディスカッションのテーマを見つけたりしていました。

そのころは、まさか、夢中で集めていた膨大な「ジェントルマン」メモが、メンズファッションの領域で役に立つなどとは夢にも思っていませんでした。今の日本のファッション誌は、スーツ姿が素敵というだけで、実態スルーで安易にジェントルマン呼ばわりしますが、本来、これは厳然たる階級が存在する国における、社会的な身分を表す概念(=大土地所有者)だったのです。

(いつか、タイミングがあえば、つづきを書きます)

どの世界でも同じだと思いますが、中ではきわめて大きな違いがあるのに、外から見ている人にとっては、同じようなことに携わっているようにしか見えないことがあります。

その昔、叶恭子さんは、あるセクシータレントと比較されてひとこと、「カテゴリーが、ちがいます」とさらりと一蹴したことがありましたが、ときどき私も、そのように言いたくなることがあります。笑

 

ファッションを研究する、ないし論じる と一口に言っても、実に多様なアプローチがあります。

・ビジネス、産業という観点から研究する(そのなかにも経営・製造・流通・マーケティング・ブランディング・広告・宣伝など細かな分類がある)

・スタイリングという観点から具体的着こなしのルールや方法を論じる

・クリエーション、制作という観点から論じる

・「ファッション・メディア」としてトレンドを創り出す

・ジャーナリスティックにトレンドを調査し、分析し、伝える(モードとストリート、メンズとレディス、都市と地方、日本と海外においてはその方法も伝え方も異なってくる。また、ジュエリー、時計、靴、ヘア&メイク、美容など、ファッション業界とはまた違う独自の業界を築いているジャンルもあり、その扱い方もさまざま)

・アカデミックに考察する(その方法においても、美学的アプローチ、哲学的アプローチ、社会心理学的アプローチ、政治・経済学的アプローチ、文化史的アプローチ、ジェンダー学的アプローチ、倫理学的アプローチなど実に多様)

ほかにもいくつかカテゴリーを設けることができるかと思います。また、厳格に棲み分けがなされているわけではなく、いくつかの領域を横断したりすることも多々あります。私はそのすべてに対し、敬意を表してきたつもりです(たとえ理解が及ばないとしても)。

しかるに、現場(という表現が最適かどうかはわかりませんが)の方はアカデミックな言説に対し「机上の空論」呼ばわりすることが多々あり(私自身が実際に何度か投げつけられました)、文献に基づく議論を主とするアカデミズムの方は、ファッションの現場のありかたを軽視する、ないし関与しない態度を(とくに悪意はなく)貫く傾向が少なからずあります(大昔の話ではありますが、私自身が論文審査でそんな言葉を投げつけられました)。

学生には、できるだけ多くの視点からものごとを見てほしいと願っているので、毎年、異なるカテゴリーから、その人らしい活躍のしかたで社会に貢献している方をゲスト講師としてお招きしています。これまでご来校くださったゲストの方には感謝してもしきれません。それぞれの領域で活躍する方には、惜しみなく敬意を払っていますし、仲良くおつきあいもします。

ただ、異なるカテゴリーの仕事を比較してどうこう言われても……やはり「カテゴリーが違います」とお伝えせずにはいられないこともあります。

 

全方向に気を配るあまり、やや歯切れの悪い表現ですが、たまのつぶやきということでご寛恕。

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あこがれの女性ナンバーワンのアイリーン・アドラーに、10秒だけなりきってみました。

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失礼しました。

南青山のヴァルカナイズロンドンに、カンバーバッチくん、ご来店中です。12日まで。マダムタッソーの館よりも先にこちらへご来店とのことです。みなさまぜひ、ご一緒に記念写真撮っていらしてくださいね。

 

大阪トークショーで大反響をいただいた(ありがたいことにいまだ反響が続く)「ファッション学の教え10か条」についてですが、ちらほらお問い合わせをいただいているので、簡単に。

ご参加くださるお相手によって10か条の内容を変えてはいきますが、「日ごろファッションにはそれほど、あるいはまったく関心のない」方々に講演をするとき、たとえば、高校生や、学校の先生方、他業界の方々などに講演をするときには、この「ファッション学の教え」を中心に話します。

私自身はもともと「ファッション界を志向」したわけではなく、ふつうのアカデミズムの王道を行くのは無理と悟り、なんのキャリアプランもないままにいったんフリーランスの物書きとしてゼロからスタートし、目の前にくる仕事の依頼を断らず、夢中でこたえているうちに気がついたら今の仕事をしている(これからもわからない)という、冒険といえば聞こえはいいが、泥縄な仕事人生を送ってきました。自分のやりたいこと、などという贅沢なことではなく、とりあえず目の前にくる仕事を淡々とひとつひとつやり続ける、その連続です。

ファッション史は独学で学び、独自の方法で教えてきましたが、その経験から学んだ最大のことは、コーディネイトとか似会う着こなしとかトレンドの押さえ方といったことではく、ファッションの力で社会を変えてきた人の生き方や考え方です。

そのような、ファッション史を作り出してきた数々のスタイルアイコンの人生や考え方、膨大な歴史のエピソードから抽出できる法則に、自分自身をゼロから「形作る」経験から得た考え方を加えた人生訓というか処世術を、「ファッション学の教え」として話している次第です。それはむしろ、倫理学に近くなります。

高校生、校長先生方からも(自分で言うのもなんですが、すみません、聞いていただければわかる事実なので)大好評を得ています。また、大学生がいちばん「変わる」のはこの話をしたときだったりします。

読者のみなさまにも、どこかでお話できる機会がありますように?

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昨日のバースデーに、次男が「ゲーム代を節約して買ってきてあげた」と恩着せがましく手渡してくれたブーケ。これを飾り、母子二人で淡々と祝いました。普通の日常があるというのは、ありがたいことですね。

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朝日新聞5月5日付の文化・文芸欄。とてーも興味深い。歴史問題の解答としてはこれで「正しい」と思いますが、「ファッション文化史」の問題となれば、この「解答例」は「間違いではない」という程度の正解なので、100点中40点というところかな。ココ・シャネルによる価値転覆(20点)、フラッパーの台頭(20点)、アールデコの要素(20点)を加えて初めて100点になります。ファッション学は広い視野を求める分、厳しいのだ。笑

Don’t take it seriously!   (Just in case)

アジア圏初の(!) ナジワ・カラームのインタビュー、後半です。

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―――ナジワさんは、日頃常にパパラッチに追われる生活を送っていらっしゃいますが、今回、プライベートでの初来日で、パパラッチを意識しなくてもいい数日間を過ごされていますね。そのギャップは、失礼ながら、どのように感じていらっしゃいますか?

「いい面とよくない面があるわね。いい面は、自由でいられること。良くない面は、いつもつきまとうものがなくて物足りないこと(笑)。私は母国でファンやカメラマンに追いかけられると、彼らからの愛を感じるの。それがないと、ちょっとさびしいわ」

ここで、彼女の親友が少し補足します。ナジワはファンのために、いつ、どのような頻度で、どこに現れると効果的なのかということをよく考えているのだ、と。ファンにとっての「プレザンス・ヴァリュー(存在の価値)」を常に頭に入れて、意識的に行動しているのだそうです。

これはスターの責任感というものを通り越して、もはや愛ですね。ファンからの愛に応える思いやり。それを伝える行動。

―――ここでちょっとナジワさんの恋愛観を聞いてみたいと思います。男性に自分を追いかけさせ続ける秘訣のようなものがあったら教えてください。

「それは男性に聞いてみないとわからないけど(笑)。リレーションシップにおいて大切なものなら、お答えできるわ。男女間にもっとも必要なのは、信頼(trust)ね。お互いに率直で何も隠すものがない(clean and clear)、という透明性から生まれる信頼、そして謙虚さは、リレーションシップに不可欠よ」

謙虚さと透明性。これは仕事で成功をおさめる多くの一流の人々の哲学にも通じるもの。

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(By Courtesy of Najwa )

さらにここから、彼女の幸福論が展開していきます。まったく予想もしていなかったこの展開。途中で、私も、ナジワ自身も、他の同席者も、思わず涙ぐむシーンがあったりもしました。すべてを書いていると非常に長くなりますので、かいつまんでご紹介することをお許しください。

「女性は守られているという安心感が必要。一方、男性は女性を愛したいと思っている。男性は、仕事で成功するために、そしてよりよい人間になるために、愛を必要とするんです。この両者のバランスが大切なの。女性はどんなにキャリアを積もうと、決して男のようになってはいけません。女性は、どんなにリッチになろうと、有名になろうと、地位が高くなろうと、忙しかろうと、常に女性であることを忘れず、女性らしさを保ち続けなくては。女性らしくあること、これがすべての根本になるのです」

「樹は、根っこをしっかりと地中に張ることで、どんなに高くなっても、嵐に負けません。女性らしさは、根っこのようなもの。中身(substance)がきちんとあって、かつ、女性らしさを根本として保ち続けることができれば、どんな障害にも負けない強さを手に入れることができるのです。まずはあなたが主体となって女性らしくいようとすることで、リレーションシップをうまく機能させることができ、ひいては、自分自身を強くすることができるのです」

―――仕事や子育てや社会奉仕に没頭していると、つい「男」になってしまう身には、耳が痛い話です……。女性らしくい続けたいと思っても、仕事とのバランスをとることは、本当に難しいと感じます。どうすればいいのでしょう。

「目覚めること(awakening)ね。自覚すること(awareness)! それがすべて」

まずは女性が女らしさをきちんと自覚して、それを根本として保つこと。愛情を注ぐこと。これこそが、リレーションシップにおける幸福をもたらし、ひいてはそれが仕事上の成功をももたらし、人生全般の幸せを感じられる秘訣である、というこの考え方、というか古くて新しい「智恵」。人類に普遍的な「智恵」としてどの文明にも古くからあった考え方であったと思うのですが、女性の解放が進むうえで、いつのまにか「古い」ものとされてきた。でも、いま、自分自身を含むあらゆるところで進行しているアンハピネスを救うのは、まさにこの「智恵」、そして女性がそこに「目覚める」ことなのではないか。

見ないようにしていた痛いところを直撃され、それこそ目覚めをもたらしてくれたような経験でした。

ナジワの歌やファッションばかりではなく、ニューフェミニズムと呼べそうな哲学も彼女の魅力を構成しており、このようなマインドを持つからこそ、彼女がかくも長きに渡り大スターとして活躍し続けられるのだということが実感できました。

今回、同行した彼女の親友がナジワを表して、「One of a kind」(ほかに代わりがいない)と表現したことが印象的でした。
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屋形船のパフォーマンスから得たインスピレーションで、日本とアラブの音楽をミックスしてなにかできないかと真剣に考えているそうです。次回の来日では、ぜひそのような音楽を聴きたい!

さらに、彼女のコミュニケーション手段として、香水があります。もうね、ほんとうによい香りがするんですよ。ナジワの人がら、女らしさを、ことば抜きに、ダイレクトに伝える香り。アラブの香水と、西洋の香水数種類をコンバインして作る、オリジナルな香りだそうです。ご自分の名を冠した香水ブランドを作ることも考えているそうで、こちらも楽しみ。

次の来日を指折り数えない理由はないでしょう?

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それにしても今回のきらめくようなご縁には、ただただ感謝するしかありません。ナジワの左は、彼女の親友のビジネスパートナーであるニッケイグローバルの代表、皆見友紀子さん。2月のブガッティのパーティーでお会いしたのが、ご縁の始まりでした。彼女の通訳っぷりがあまりに大胆すぎて面白く、場もわきまえずわははと笑ってしまったのが打ち解けるきっかけでした。だってほんとに面白いんだもん。次回来日時もお会いしましょう、と言っていたのが実現したわけですが、それにしても今回、彼らがまさかこんな大スターを伴っていらっしゃるとは誰が想像できたでしょうか。

ソウルメイト云々の言説を持ちだすとうさんくさくなりますが、しかしほんとうに、スピリットというかソウルとかマインドと呼ばれるようなものを淡々と地道に磨き続けていると、時に、予想もできないような出会いがプレゼントされるものなのですね。目の前の人にフェアでオープンであること、自分の心にも目の前の人にも率直であること、ジャッジせず寛容とユーモアで包み込むこと、こちらがひとつ大きめのギフトを差し上げるつもりで接すること。心がけてきたのはそんなことでしたが、ナジワがまさにその理想型のような人でした。しかも究極の「ザ・ウーマン」!これからは「女性らしくあること」も心がけなくてはね。言葉遣い、心遣い、香水使いも含め、あたたかで愛ある「ウーマン」の余韻を残していくこと。ナジワから学んだことはとても大きい。

 

 

前項で紹介したような中東の大スター、ナジワ・カラームが、プライベートで初来日するということじたい、スリリングで興奮ものだと思うのですが、来日中に二度もゆっくりとお会いすることができたナジワは、スター気取りなどとは全く無縁の、周囲への気配りを絶やさないあたたかくてオープンマインドな女性でした。

屋形船に続き、二度目に会ったリッツカールトン東京のスイートルームでも、大きな目をまっすぐに私に向け、「まちがいない。あなたに会ったことがある」と再び真顔で言われたのでした。嘘をつくような人ではなく、お世辞や社交辞令を言うような人でもない(私にそんなことを言う必要がそもそもない)。私も心の深いところで、同じような懐かしさを覚えたので、これは真実として受け止めました。たぶん、前世で会っているか、同じ魂を共有しているのかもしれません。そういう不思議な感覚って、あるのですね。

いずれにせよ、私を全面的に信頼してくれて、今回のようなインタビューができることになりました。通常であれば、マネージャーや事務所を通した、写真制限・時間制限ありの不自由なインタビューしか許されないところです。スマートフォンでの写真なのに、ナジワはわざわざハンサム&セクシーなスーツに着替えてくれ、言葉を選び、誠実に話をしてくれました。その場に居合わせた全員が、涙ぐむほどの深い愛を感じさせる言葉も発せられたほどのこの経験は、生涯忘れがたいものになるでしょう。najiwa 12
(By Courtesy of Najwa.  話に熱が入ると、英語からアラビア語になり、それを彼女の親友が英語に訳してくれました)

中東文化にほとんどなじみのない私は、中東といえばイスラム教と結びつけがちだったのですが、彼女の生まれた土地、レバノンのザハレという地方都市は、住民のほとんどがクリスチャンという町です。ナジワもカトリックの家庭で、フランス語で教育を受けています。英語も話します。ファッション上の制約もほとんどないそうです。

保守的な家庭で、四人兄弟の末っ子として育った彼女は、キリスト教系の大学を卒業して教師になりますが、幼少時からの歌手への夢をあきらめることができず、テレビのオーディション番組に出場します。ここで優勝し、厳しい父の許しを得て、レバノン音楽院で4年間学び、1989年にプロの歌手としてデビューしました。22歳のときです。

デビュー後しばらくは売れない時代が続きますが、キャリアのためには大手レコード会社からアルバムを出すことが必要と痛感し、1994年、アラブ語圏最大のレーベルである「ロターナ」と契約します。そこから出した最初のアルバム「Naghmat Hob(愛のリズム)」が大ヒット、その年の最優秀アーチスト賞を受賞し、以後、快進撃を続けて、活躍の幅を広げ続けているのは、前項で紹介した通り。

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(Photo cited from the official Facebook page of Najwa Karam)

―――ナジワさんは私とほぼ同世代ながら、ほとんど年齢を感じさせない美しさをキープしていらっしゃるのですが、若さや美しさを保つ秘訣は?

「あら、日本人は世界でいちばん若さを保つことが上手な国民でしょう?(笑) それはともかくとして、純粋なスピリットを保つことがもっとも大切。スピリットは天からのギフトで、歳をとらないの。スピリットを高めれば、それが肉体に影響を及ぼして、心のレベルに相ふさわしい肉体でいられます」

このようなスピリチュアルな考え方は、信仰というよりもむしろ「ウィズダム(智恵)」である、と隣に座る彼女の親友が解説してくれます。

―――デビューから30年近く、第一線で活躍し続けていらっしゃるというのは偉業だと思いますが、成功の秘訣は?

「モデスティ(謙虚であること)ね。私はゼロから出発したわ。自分で自分のことはよくわからないけど、他人が自分のことをどのように見るか、評価するかはとても重要視してきた。ファンや周囲の人の意見に対して謙虚であることは大切ね」

彼女の親友はここで「とうもろこし」の喩えも出してくれた。とうもろこしは実れば実るほど穂を垂れる、と。中身が充実している人ほど、謙虚なんだ、と伝えたいのですね。同じような喩えが、日本にもありました……。成功のためには「モデスティ」がなによりも大切、という考え方は、同じレバノン出身の成功者である彼女の親友と共通するもの。

―――ナジワさんはポップ・ミューシャンであるばかりでなく、ファッションアイコンでもありますね。ファッションの影響力をどのように考えていらっしゃいますか?

「世界から見るアラビア語圏のイメージには、きなくさいものも多いけれど、それだけじゃない。アラビアの文化には、美しいもの、夢や愛や幸福に満ちたものもたくさんあるのだということを、私自身の歌やファッションを通して世界に伝えることができれば、うれしいわ」。

ここで親友の解説が入る。「彼女は、アラビア語圏の女性のシンボルであり、アラビア女性のロールモデルになろうとしているんだ」。

―――アラビア語圏の女性のファションアイコン、ビューティーアイコンといえば、ほぼナジワさんが第一号と言ってもいいくらいなので、シンボルとなれば責任が重大ですね。

「私はとても保守的な家に育ったの。歌手になったのは22歳の時ですが、父は当初、猛反対しました。でも、私は父と約束をしたのです。レバノンや、ザハレや、ファミリーに、恥ずかしくないよう、誇りと思ってもらえるよう、良い女性でいつづけると。歌手というキャリアを築くこと、世界的に有名な歌手になることにおいて、中東では女性の前例がなく、私が第一号です。だからこそ、アラビア文化のよい象徴になれるよう、後進の女性たちのロールモデルになれるよう、努力しているわ。私は天から歌の才能を授かりました。それを使って、アラビア女性のイメージをより良いように変えたいのです」。

ナジワ・カラームはアラビア語圏の女性のファッションアイコンであるだけでなく、教育、キャリア、女性のあり方においてのリーダーであり、ロールモデルなのですね。それを自覚し、行動しているナジワの責任感、芯の強さ、謙虚さ、あたたかさ、純粋さに心を洗われる思いがしました。

4.6.8
そしてインタビュー後半は、次項に続きます。

 

まったく思いもかけなかった幸運な出会いに恵まれるというのは、人生が与えてくれる最高の幸福の一つだと思いますが、私のささやかな生涯のなかでも最も運命的な、印象深い出会いになるだろうと思われるもののひとつが、この4月に訪れました。ナジワ・カラームとの出会いです。

2日の屋形船でご一緒したとき、「あなたを知っている。あなたに会ったことがある」と真顔で言ってくれ、私に好感をもってくれたナジワに、なんとアジア圏初の独占インタビューをするという機会に恵まれました。たっぷりと90分近く、ナジワに親しく話を伺いました。その余韻が、数日たった今もなお続いてます。

その詳細を書く前に、日本の読者の皆さんに対し、ナジワ・カラームとは何者かという話をしなくてはなりません。

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ナジワ・カラーム(Najwa Karam)は、1966年レバノンの地方都市ザハレ生まれの中東を代表するアーティストです。日本では言葉の壁が大きく、なかなか情報が入ってきませんが、中東、ヨーロッパ、北米、オセアニアではすでに60ミリオンのレコードを売り上げ、数え切れないほどの賞を受賞しています。18枚のスタジオアルバムのうち、大半がミリオンセラー。1999年、2000年、2001年、2003年、2008年には、中東でもっとも多く売れたアーティストとして記録されています。

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ポップミュージシャンとして成功するばかりでなく、テレビのスーパースターでもあります。「Arab’s Got Talent」という人気タレント発掘番組のメインジャッジを4年間つとめ、どこへいってもパパラッチに追いかけられているというセレブリティです。

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コマーシャルの世界においても、アラブ首長国連邦の不動産会社、Pearl Propertiesのブランドアイコンを務めたり、高級宝飾会社Mouawad Jewelryの時計ライン、La Griffeの「顔」として活躍、ブランドイメージのアイコンになっています。また、2012年は化粧品のロレアル・パリから初のアラブ系スポークスマンとして選ばれ、アラビック・ビューティーの代表的な存在になっています。

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ファッションアイコンとしても名高く、カンヌのレッドカーペットで着たZuhairのマーメードドレスをジェニファー・ロペスがその年のゴールデン・グローブで着用する(まねする)など、彼女が何を着るかは、ファンばかりではなく、他のスターたちからも注目されています。

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当然、ソーシャルメディアでの人気も高く、たとえば今年のニューイヤーコンサートで披露したこの姿には、スターのフェイスブック史上最高値である432,000のLikesがつきました(写真は、Likes 最高値のものではありませんが、そのドレスを着てのパフォーマンス風景)。ドレスは、Nicolas Jebranのもの。

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どのくらい人気のある大スターであるか、以上の情報でおわかりいただけましたでしょうか…。本欄では、ナジワの公式フェイスブックページから写真を引用させていただきましたが、Najwa Karamと検索していただければ、ほかにも多くの美しくゴージャスな写真や輝かしい情報が出てきます。

そのナジワに独占インタビューさせていただいた内容は、次の記事で。

レバノン出身のラスベガスの不動産王、フィリペ・ジアード氏のフォーブズジャパンによるインタビューに立ち会いました。4.6.1

フィリペが滞在するリッツカールトンのスイートにて。

不動産や投資に関するハードな話題は、門外漢の私には難しいところもありましたが、成功し続けるためのマインドセットに関しては、前回、うかがったとき以上に論理的にお話くださって、共感するところ大。

4.6.13

仕事に対するフィリペの哲学に関しては、またあらためて別媒体で書きます。

それがいかに彼の人生とリンクしてくるのかに関しては、アジア圏初の(!)ナジワ・カラム独占インタビューで知ることになるのです……。これについては近日中に。

4.6.14

記念写真です。左端が今回インタビューしてくださった、フォーブズジャパン副編集長の谷本友香さん。中央がフィリペ。その左が日経グローバルの代表、皆見友紀子さん。

 

“Being a dandy is a condition rather than a profession. It is a defense against suffering and a celebration of life.” (By Sebastian Horsley)

早春に発売予定の、某有名難関高校の入試対策問題集に、『ダンディズムの系譜』から一部抜粋して問題が作られるそうです。dandyism

全国の高校受験生のみなさん。ダンディズムのお勉強は必須ですね!笑

ちなみに、設問の半分も解けませんでした。数年前には『モードとエロスと資本』からも実際の入試問題が何回か作られるという光栄なことがありましたが、やはり全問正解とはいきませんでした。

作品はいったん出たら、パブリックなもの。入試問題に使われれば、それは出題者のもの。「誤解」されてなんぼ、誤解の余地が大きければ大きいほどヒットするというのは、みうらじゅん尊師も言っておる。

シェイクスピアなんて、いろんな時代、いろんな国で「誤解」されまくりだからこそ、今に生きているっていうところがありますもんね。

ご参考までに「傍線部の作者の気持ちを述べよ」という設問に対して、作者側の「正解」があるとしたら。

「はやく締め切りクリアしてシャンパン飲みたい」。

 

入試問題がでたらめだと言っているわけでは毛頭ありません。念のため。入試とは、出題者と解答者のコミュニケーション、というところがあります。一定のコミュニケーションのルールのもと、双方納得のもとにおこなう「こういう世界でやっていけるかどうかの選抜」であって、解答者の「能力」うんぬんは、また別の次元の話になると思っています。

 

 

それにしても数年前に書いた文章、若すぎて今読むと恥ずかしいなあ。ル・パランの本多バーテンダーも「若い時に作っていたマティーニはエッジが効き過ぎていた」と言いましたが。ダンディズムなんて重たく受けとめる話じゃないよ!(重たくしすぎるのはもっともダンディズム本来の態度とはかけ離れている)というメッセージもこめてあえて軽く書きましたが、それが今読むとちょっとつっぱってる感じかな。経験とともにとれるべき「角」はとれていくものですね。たんなる摩耗にならないように気をつけないとね!

 

 

 

 

 

 

 

 

“Going to a party, for me, is as much a learning experience as, you know, sitting in a lecture.” (By Natalie Portman)

2015年感謝のまとめ その5、ソーシャルイベント。ただの阿呆なパーリーピーポーと言われればそれまでですが、社交は人の意外な本質を観察することができ、また自分の思わぬ面があらわれる現場に立ち会うことができる、きわめて学びの多い機会です。書物や芸術の「行間」の隠れた意味がわかるようになったのは、実地の社交の経験を積んだからこそ、というところが多々あります。またファッション史に登場するアイテムの大部分は、社交の場で着られていたもの。その場でのリアルな心身の動きを理解することで、300年前の衣裳に隠された知恵がわかるということもあります。また私の場合、次につながる仕事やご縁の多くは、出席したパーティーがきっかけになっていることが少なくありません。というわけで言い訳がましくてすみませんが、今年もさまざまなソーシャルイベントにお声掛けいただき、多くの方々と忘れがたい時間を共有できたこと、たいへんありがたいことと心より感謝しています。

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ブルックス・ブラザーズのパーティーでは「ジャッキー・ケネディを連想させる」(!)という理由で女性部門の「ベストドレッサー」に選ばれ、WWDにも掲載されたのでした。笑  ジャッキーと似てるのはエラ張ってるところだろう、ということぐらいは自覚しております。

コニャックの「ルイ13世」と東京フィルのコラボイベントはこの上なくラグジュアリーなもので、その後に続く貴重なご縁が生まれたし、チャーリー・ヴァイスやイセタンメンズのパーティーはいつだって新しいファッションを目にすることができる上、おもしろい方々がいらしてなにかと盛り上がり、楽しかった。改装前のオークラで6月生まれの誕生会を開いていただいたのも印象深いし、そのメンバーで真夏に汗だくになりながら屋外バーベキューをしたあと六本木ヒルズの屋上に上って月をあおいだのも忘れがたい。教え子のOGOB(僧侶もいる)が「キリストンカフェ」に集まって花園神社に詣でに行くという神仏習合のミーティングも強烈だった。グローブ・トロッター英本国会長来日のディナーも今年のハイライトを彩るほどの……とひとつひとつ挙げたらとうてい終わりそうもないくらいたくさんの思い出がぎっしりつまっています。

なかでも異色でひときわ強烈な思い出になりそうなのが、12月最後の土曜日に中目黒のスナックで行われた綿谷画伯主催の爆笑忘年会でした。コラムニストのいであつしさん、メンズプレシャスのファッションディレクター山下英介さん、画伯のお弟子さん「セクシーまちゃ」さん、そしてなんとあの国民的イケメン有名俳優Tさんが、もったいないくらいのカラオケ熱唱合戦。あの伝説の「おしゃれ似顔絵講座」から半年、まさか再会できるとは思っていなかったので再び同席できただけで感激でしたが、全員、信じられないくらいカラオケがうますぎる、面白すぎるのです。Tさんも3曲歌ってくれましたが、ルックスの美しさは言うまでもなく、選曲のセンスはよいし、声はつややかで渋いし、最高のクリスマスプレゼントとして聞かせていただきました。不思議なのは、狭いスナックは途中からほぼ満席になったのですが、だれもTさんに気付かなかったということ。さすがに最後に山口百恵を熱唱したときには気づかれたようで、Tさんが「♪ さよならのかわりに~」と歌い終わるとスナックにいた全員が拍手喝采。天井で大きな鈴がふたつに割れて中から金銀クリスタルのオーナメントがはらはらと降り注いでくるような(あくまでイメージ)こんな瞬間、短い人生であとどのくらい味わえるんだろうか。

Tさんが歌った「さよならの向こう側」のこのフレーズをそのまま、今年会ったみなさん、そして読者のみなさまにも伝えたい。

” ♪ Thank you for your kindness. Thank you for your tenderness. Thank you for your smile, thank you for your love.  Thank you for your everything  ♪”

私の退職記念講義もこの歌で締めようかな。

Miracle happens when you open your mind and sincerely trust your working partner.

2015感謝のまとめ その4、明治大学編。通常の講義内に、特別ゲスト講師として、レオン編集長の前田陽一郎さん、気仙沼ニッティング代表の御手洗瑞子さん、ミャンマー出身のデザイナー渋谷ザニーさん、そして後期にはマジシャンGO!こと佐々木剛さんにご来校いただきました。それぞれが、壇上に立っただけでただならぬオーラを放つ存在感のある方々で、ましてや話をしたら時間を忘れるほどの魅力と説得力で心をつかむ実力の持ち主。学生にとっては(私にとってもですが)、日頃の生活態度やものごとのとらえ方、ひいては人生そのものを変えるほどのインスピレーションに満ちた時間になったはずです。授業内ではありませんでしたが、ロンドンからRude Boyも遊びに来てくださいました。超豪華ラインナップです。

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また、2014年12月のシンポジウムのまとめを原稿にしたものですが、執筆者として参加した、明治大学商学部編の「ザ・ファッションビジネス」が今年、出版されました。

そして社会人にも開かれているリバティーアカデミー。ひとつひとつが奇跡の(!)講座になりました。まずは春学期にコーディネートした地引由美さんによる香水学、こちらは大人気ですぐに定員クリア、増員して満員御礼。そして綿谷寛・画伯による「おしゃれ似顔絵」講座。イラスト講座の第一回目は私がモデルをつとめ、第二回目には美人プレゼミ生二人も「チイママ」に扮して手伝ってくれました。そしてそして最終回にはなんと国民的イケメン有名俳優Tさんがサプライズでご来校、モデルをつとめてくれるという、にわかには信じがたいできごとが起きました。その後、画伯とTさんとともに、荒木町でお鮨をご一緒させていただくというここは天国ですかというありがたき経験をさせていただきました。この日の記憶は宝物です。さらに私自身が講師をつとめた公開講座「シャネル、ディオール、そしてサンローラン」には、430名もの受講者が申し込んでくださいました。平日の夜なのに、ファッションの講座にこれほど社会人の方がお運びくださるとは。驚くとともに、一般の方々にもファッション学への関心をもっていただくまたとない機会として、内容やプレゼンテーションの方法をますます磨き上げていかねばと心に誓った日でもありました。

後期は堤信子さんによるプレゼンテーション講座をコーディネートしました。前期の地引さん講座同様、当初の定員をすぐにクリアしたので増員、満員御礼でした。人前に立つときに心掛けるべきことを私自身もしかと学ばせていただきました。

最後に、11.11の田窪寿保さんとのボンド講座こと「ブリティッシュ・ラグジュアリービジネスの秘密をジェームズボンドに学ぶ」公開講座。タキシードで登壇してくださるという田窪さんの心意気を尊重すべく、私もなんちゃってボンドウーマン風ドレスに白いファーでがんばってみました。笑。当日、壇上に現れた田窪さんはまさかのカジノロワイヤル風着くずし! 常に期待の上を行く方です。かなりハイコンテクストな、スピーディーで濃い内容の対談講座になりましたが、会場の熱気高く、受講者のみなさまからのあたたかなコメントを前例がないほど(!)たくさんいただきました。ドレスアップして受講してくださった方も多く、終了後のロビーは、いったいここは本当に大学なんだろうかと一瞬くらっとするほど華やかな空気に包まれました。

教えるという立場を超えて、実は私のほうが多大な学びや感動をいただきました。ユーフォリアってこういう感覚?というほどの至福つづきでした。いやもうほんとうに楽しかったなー。特別なご配慮をしてくださった事務局のみなさまのおかげでもあります。お引き受けくださった講師のみなさま、関わってくれたすべてのみなさま、ご参加くださったみなさま、ありがとうございました。

来年度も、学生のみなさまと、リバティーアカデミーに来てくださるみなさまに、学ぶことの豊かさと楽しさを経験していただけるよう、計画を立てております。知は無味乾燥でかび臭いものではなく、有閑階級の知識人がもてあそぶだけのものでもない。本来、すべての人に開かれた、自分自身ひいては社会の可能性を広げ、人生と世界をより豊かにするセクシーなものなのです。「何のために」という目的を問うことすらナンセンスに見えてしまうほどの学びが目標です。すたれゆく人文学の分野ですが、最後の小さな灯?(笑)の一つを端っこのほうで燃やし続けていきます。

Special thanks to all my colleagues, administrative staff and students in Meiji Universiry, Mr. Yoichiro Maeda, Mr. Zarny Shibuya, Ms. Tamako Mitarai, Mr. Go!, Mr. Rude Boy, Ms. Yumi Jibiki, Mr. Hiroshi Watatani, Ms. Catherine Haruka, Ms. Amy Ayaka, Mr. T, Ms. Nobuko Tsutsumi, Mr. Toshi Takubo, and all my friends who attended the classes and administrative staff of Liberty Academy.

Everything happens for a reason.  Even unexpected collaboration works bring you great joy and happiness.

2015感謝のまとめ その3。そのほかのテーマでのレクチャー、トークショー、対談など。2015 lecture talk 1
老舗百貨店のファッション史研修講師、老舗宝飾会社の研修講師、美容室グループの研修講師のほか、主に香水の専門家の方々を対象としたファッションと香水の話、一橋大学での音楽とファッションの話、大阪日英協会主催のロイヤルスタイルの話、リーガロイヤルホテルでのブランドの話、「レジィーナ・ロマンティコ」オーナーデザイナー角野元美さんとの開運トークショー、J-Waveでのハリー杉山さんとの対談、古着マニアのパタンナー長谷川彰良くんのデビュー応援を兼ねたコラボ講義、メンターをつとめさせていただいた「気仙沼ニッティング」御手洗瑞子さんの応援対談、そして「リシェス」英国紳士特集での田窪寿保さんとのハイコンテクストな対談などなど、対談相手や視聴者・参加者のみなさまとの<コラボレーション>によって、自分一人では決して到達しえないところまで導かれた感が強い仕事に多々恵まれました。

とりわけ立場の変化を強く意識させられたのは、長谷川彰良くんのデビュー支援と、御手洗瑞子さんのメンターとしての仕事。上を見ると本当にハイレベルな方々が大勢いらっしゃるので、ぶりっこでもなんでもなく、私としてはまだまだ学ばなくてはならない修業の身というか若輩のつもりで気楽でいたので(こう書いてみると厚かましいね…、やはり)、三好一美様の推薦で日本投資銀行さまより瑞子さんのメンターを依頼されたときには驚愕したし、長谷川くんデビューに関し全面的に頼られた時にも内心、かなり違和感があった。でも訪れるご縁はなにかの理由があって訪れるのだと受け入れ、相手の立場に立って真面目に取り組んでやってみると、予想以上に喜ばれ、何より私自身が視点を変えることでたくさんの気づきを得ることができました。

でもやはり、いまだに苦手なんですよ、大学以外の場所で「先生」と呼ばれるのが。

Special thanks to DBJ, Kesen’numa Knitting, Ms. Kazumi Miyoshi, 45rpm, Horus, Regina Romantico, Rihga Royal Hotel, Richesse, Mitsukoshi Isetan Holdings, Mikimoto, Zele Network, Hitotsubashi University, BLBG, Fondation des Arts de la Fragrance Franco-Japonaise, The Japan-British Society, Penhalogon, Koko-no-Gakkou by Yoshikazu Yamagata,  J-Wave.

What is the most thrilling aspect of fashion is, it sometimes helps us to reveal the most unexpected side of ourselves.

2015年感謝のまとめシリーズその2。ファッション、ライフスタイル全般に関するエッセイに関しても、多くの媒体で書かせていただきました。もっとも印象深かった仕事は、「ソーシャルカレンダー」連載も担当していたリシェス誌での特別記事、シェリー・ブレアさんへのインタビュー記事です。8.29.1      (8月29日 プリンスホテルさくらタワーにて)

25ansでは35周年記念巻頭エッセイを、レギュラー執筆陣の一人として寄稿させていただいたのは感無量。ラグジュアリー、ダイアナ妃、ロイヤルスタイルなどその後に続くテーマはすべて25ansでの仕事がスタートでしたから。読売新聞、北日本新聞「まんまる」、両連載もともに50回を超える長期連載となり、多くの人に感想などのお声をかけていただけるようになりました。アシダジュンさんの広報誌JAも、もう10年近く書かせていただいており、長いお付き合いが続くのはなによりもありがたいことと感謝しています。最新号には満を持して?「ファッション学宣言」を書きました。もう後に引けない思いです。

Japan-in-Depthに寄稿した「ボストン美術館キモノウェンズデー事件」総括記事はウェブ上でも話題となり多くの方に読まれ、いま、英語版を準備中です。また、GQ誌に書いた「ノームコア」の記事は、ウェブ版がいまだに根強く読まれ続けています。トレンドの話であるからこそ、普遍性をもつ文体で確実に書いていくことの大切さをあらためて肝に銘じています。

さらに、多くのブランドから、コレクション、ショールーム、展示会、新作発表会へお招きいただき最先端のファッションがうまれゆく現場に立ち会うことができたことは幸いでした。そしてある高級化粧品会社×ファッション誌タイアップの「輝く女性10人」の一人に選んでいただいたのはおまけのような幸運!

2015 fashion 2
フレグランス、ビューティー関連の展示会、発表会にも数多くお招きいただき、よい香りと新しい情報が途切れることのない一年でした。心より感謝申し上げます。
2015 perfume

Special thanks to Jun Ashida, Tae Ashida, Mikimoto, British Luxury Brand Group, Regina Romantico, Tadashi Shoji, Richesse, 25ans, Kitanippon Shinbun, Yomiuri Shinbun, Sarai, Precious, Mitsukan Water Research Center, Japan-in-Depth, GQ, Shiseido, Guerlain, Sisley, Parfum de Rosine, Penhaligon, Different Company, Fueguia, Jo Malone, Dunhill, Valentino, Ferragamo, Laboratory Perfume……

I recommend this article of Elle Japon, to whom attracted to these keywords;  English Gentleman, Public School, Eton, British Culture, etc.

ジェントルマン、イギリス階級制度、イートン、パブリックスクール、というキーワードにぐっとくるかたにお勧めの記事。エルジャポンのイートン校潜入記事です。Fourth of Juneのことはこの写真つきの記事ではじめて具体的に知ることができました。

メンズファッションに関しては、今年もたくさんの原稿を書かせていただき、研修講師を務めたりトークショーのゲストとして話をさせていただいたりしました。また刺激的なファッションシーンにも立ち会うことができて幸運でした。

Special Thanks to United Arrows, D’urban, Fairfax, British Luxury Brand Group (including Hacket London, Globe-Trotter), Mitsukoshi Isetan, Isetan Mens (including Chalie Vice, Salon de Shimaji), Batak House Cut, Ralph Laurent, Giorgio Armani, Union Works, 45rpm, Rude Boy, Le Parrin, Men’s Preciou, GQ, Asahi Shinbun digital, Sarai, Openers, J-Wave……

お仕事をご一緒させていただいたみなさま、そして読者のみなさまに心より感謝申し上げます。引き続き、ジェントルマンシップやダンディズムを論じるときには、専門的に学んできたイギリス文化史の視点を活かし、知識と感性をブラッシュアップしてお役に立てるようがんばります。mensfashion 2015のコラージュ

 

 

A beautiful sunset gifted from heaven yesterday.12.5.2015“The first stab of love is like a sunset, a blaze of color — oranges, pearly pinks, vibrant purples…” ― Anna Godbersen, The Luxe

I do not know whether it is just a coincidence or not…  But it is true that the less I attach to a thing or a person, the more I am rewarded.  People say I write only superficially nice words, actually I do, but beautiful incidents like this sunset do happen to me when I release my obsession and throw away my ego.  Give what I have, then the unexpected gift comes from the unexpected people or place. It is a mystery, maybe I am only lucky for the moment, but I believe it has been a good strategy for me to stay passive for the opportunities but create active within them as my heart and other people feel pleasant.

☆☆☆

積極的に活動しているように見えるかもしれませんが、私の「機会」や「人」に対する態度は徹底的に受け身です。イヤミに聞こえたら申し訳ないのですが、自分から何かをつかみにいくとか、追うということはめったにしません。訪れない機会は縁がない、どんなに好きでも振り向かない人は縁がない、と思い、去る人も決して追いません。逆に、執着やエゴを手放せば手放すほど、予想もしない機会が訪れることがあります。それに対しては、持てるものをすべて注ぎ込んで自由にフルに最大限に活かす。「機会」のほうが予想すらしなかったほどに。この結果が「積極的」に見えるだけなのだろうと思います。エネルギーは強く、我は弱く、采配は天に委ねる。機会も人も来なければ、それはそれで淡々と一人でなんとかやっていける。長い長いトンネルを経て、たくさんの後悔と決心を繰り返した果てに、そういう境地に最近、至りました。「きれいごとばっかり」と批判されたので書いてみました。浅瀬に流れていく水のようなそんな生き方を理想とし、実践しようとしているので、ある人々にとっては不愉快で底の浅い「きれいごと」ばかりに見えるのでしょう。早晩この世を去らねばならない、しかも残された時間がそれほど多くないのですから、きれいごと嫌いな方は、穏やかにスルーしてくださいませ。

A year has passed since the great exhibition of the “Survival of Elegance” of Jun Ashida.  Here comes the official short movie. I am very honored to have taken a small part of this exhibition, by writing almost all the text part of the exhibition.

A year ago. Time flies away.  I wish the Elegance of Jun Ashida and Tae Ashida will shine forever !

☆☆☆

Just a murmur. Remembering the way I was this year..

I hope I have grown up a little bit more than a year ago.  I’ve got self-control and possessed self-sufficiency enough to feel light-hearted, even when I had to go through tough emotional experiences. I could manage to go on to the next step, after a little bit of tears. I’ve got this strength through my own methods and thinking of “Fashion Studies”.  Special thanks to imaginative Mr. Bond, who has always been active as my source of inspiration and kept me up to aim at the supreme ideal of elegance.

池内紀先生の寄稿。朝日新聞8.14「私の歩んだ戦後70年」。「国は信用ならない 他人は頼りにしない 自分で考え決断する」。

文学部時代に池内先生の授業をとっていた。「紳士トリストラム・シャンディの生涯と意見」という奇書を一年間かけて読む授業で、受講生は最初8人くらいだったのがついに2~3人くらいになったような記憶がある。ときどき1人とかいうこともあった。それでも淡々と講義をする池内先生の記憶はなかなか強烈に残っております。出席などとらない先生でしたので私の存在すら知られていなかったと思うが。laurence sterne

こちらは「トリストラム・シャンディ」の作者、ロレンス・スターン(1713-68)。Wikimedia Commonsより。18世紀に黒を着てるって珍しいな。当時はこの冗長な小説のなにがおもしろいんだかよくわからなかった。でもそれを語る池内先生の淡々と品のいいたたずまいが記憶に残っている。

そのなつかしい池内先生の寄稿。やはり淡々として、でもきちんと筋が通っていてそこはかとないユーモアが漂うあたり、お人柄だなー。
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「『戦後50年』を自分だけの目印にして、55歳でサラリー生活を切り上げた」。定年退官前にお辞めになったので周囲は驚いていた記憶がありますが、そういうご自分のけじめもあったのですね。

「人を動かすのは、事実そのものではないのである。事実についての情報、情報をめぐるオピニオンこそ人を動かす。そして情報は、いつだって『正しく』ない。それが証拠に、情報はつねに新しくもたらされ、オピニオンは際限なくあふれ出るではないか」

「語られていること以上に、語り方が真意をあらわしているものである。時の権力者、また権力にすり寄る人々の語り口を、少し意地悪く見張っているのも悪くない。気をつける点として、つぎの3つがあるような気がする。1.主題をすりかえる。2.どうでもいいことにこだわる。3.小さな私的事実を織り込む」

「(カントの『永遠平和』)そこには国どうしが仲良くといった情緒的な平和は、ひとことも述べられていない。カントによると、隣り合った人々が平和に暮らしているのは、人間にとって『自然な状態』ではないのである。むしろ、いつもひそかな『敵意』のわだかまっている状態こそ自然な状態であって、だからこそ政治家は平和を根づかせるために、あらゆる努力をつづけなくてはならない」

「そのような平和を根づかせるには、ひとかたならぬ忍耐と知恵が必要だが、敵意のわだかまる『自然な状態』を煽り立てるのは、ごくたやすい。カントによると、その手の政治家はつねに『自分の信念』を言い立て、『迅速な決断』を誇りつつ、考えていることはひとえに、現在の世界を『支配している権力』に寄りそい、ひいては『自分の利益』を守ることだという。いまさらながら、この哲学者の理性のすごさを思わずにはいられない」

いいなあ。カントの話をこんなふうにタイムリーに現代の私たちに提示してくれる。人文学の学者はこうあるべき、というような。この知性の豊かさが人に与える影響力を「役に立たない」とか「ムダ」とみなす現在の文科省の方針のほうが、よほど「役に立たない」。

「トリストラム・シャンディ」、今読むと面白さがわかるかもしれないという気がしている。でも、主人公がなかなか出てこないくらいにほんとに長いんだ、これが…。

「語られていること以上に、語り方」。何を読んだかではなく、先生がどう語ったかだけを覚えているのも、そういうことですね。わたしもたぶん、そんな風に記憶されている?笑 と思いながら述べ約800人分のレポートの採点を終える……。

折に触れて思い出すジョージ・ルーカスのことば。

“Always remember, your focus determines your reality.”

「どこに焦点をあてるかで、あなたの現実が決まる」

朝日新聞7月19日(日)、求人欄「仕事力」。「企画アタマが生き残れる」、増田宗昭さんの巻、第3回目。「斜陽の分野はしぼむのか」img143あの代官山蔦谷書店は、増田さんが2年間、あの代官山の土地の地主さんのもとへ通い続けて実現したものだった。

「本が読まれなくなったのではない。本を読みたくなるライフスタイルが手に入らなかったのだと、それこそ考え方も書店企画も真剣勝負で挑みました」

「企画の素材は何かと言えば、夢に加えて、確かなデータと広い情報です。アイデアは情報でひらめき、それを企画に練り上げていくにはビッグデータの裏付けがいる。気になったデータは、社内、官公庁やメディアが発表する数字まで蓄えておき、また、思いついた考えは徹底的にメモに残すこと」

「でも僕は、データと情報の具体的な探し方を教育したりはしません。なぜなら、企画というのはあなた自身の感受性から始まるものだから。(中略)自分をとがらせ、それを実現するための資材を、あらゆる所から自分の磁石で拾い集めてくるんです。そして、集まったものの収集がつかなくても、僕はそのまま課題を持って眠りに就く。不思議なことに脳は、睡眠中に情報を肉体化してくれるようです。なかなかまとまらない企画に悩んでいる時でも、目覚めると自然に整理されているという体験を何度もしました。なぜか。おそらく自分の思考が一貫しているからです」

これは早朝(3時~7時)に原稿を書くことが多い私も納得するなあ。前の日までにできるだけの調べ物をしておく。調べても調べてもきりがなく、どこからどう書いていいかまったく収拾がつかない。そういうときは、そのまま眠るんです。朝起きると、すっきり書けるんですよね。脳が勝手に整理してくれているという実感があります。なにもせず眠るというのとは違います。前日までに資料を集めるだけ集めて、悩むだけ悩んでおく、で、あとは脳に委ねて眠る。これがとても重要。徹夜はぜったいにNG。

もちろん、何日かぶっ通して徹夜したほうがよい仕事ができるという人もいる。そういう人もいる。

それにしても、増田さんはいい顔しているなあ。

 

 

 

週間エコノミスト知人の、そのまた知人が見つけてSNSアップしてくれていた「週刊エコノミスト」7月7日号の記事。

母校の富山中部高校編。鉄板は田中耕一さんや坂東真理子さん、高橋はるみさん。
私まで「文化人」枠で名前を挙げてくださっておる。「学者」枠じゃないのね。笑

「枠」はあくまで他人が決めるもの。型に入ろうとか既存のイメージをなぞろうと意識したことは一度もないですが、ちょっと考えさせられました。

アイキャッチ画像は、昨年11月に母校で講演したときの写真です。

ブルームーンの日は、仕事を通して多くの感動を分かち合ってきた広報ウーマン二人の転機の日でもありました。

仕事とプライベートの友人は全く別ものであるという話をしばしば聞きます。もちろん、両者の区別はきちんとつけるべきで、プライベートの友人を仕事にもちこむようなことはめったにいたしません。

しかし、その逆はあり。実際に自分の周囲を見渡してみると、プライベートで友人になった人は、仕事を共にしたことがきっかけになった場合がほとんどであることに気づきます。仕事の苦楽、達成までの道のりをともにしてこそ、その人の本質がよくわかり、強い絆を感じることができる……ということが私の場合、多い気がいたします。仕事の性格も大いに関係しているのだと思いますが。そもそも私はあんまり世間的な意味での「遊ぶ」こと(消費型レジャーとか観光旅行とか)に興味がない。仕事があればこそ、信頼できる友人も増えた、というのが偽らざる実感です。

そんなふうに、仕事を通して敬いあい、シンパシーを感じてきた女性ふたりが、長く親しんだ職場を離れ、新天地に挑むことになりました。衝撃大きく、その人との時間を振り返ってしんみりしてしまった、感慨深い一日となりました。

まずは、BLBGの広報だった岡田亜由美さん。初めてお会いしてから3年ちょっとほど経ちますが、数多くのお仕事やイベントをご一緒しました。どの瞬間も、忘れがたく、一瞬一瞬が、宝石さながらに輝いています。okada 5 のコラージュAyumi san, I am so happy to have shared a lot of precious moments with you. Every moment has been shining like a jewel and I am so proud of the works we collaborated. I am really sorry you should leave BLBG and I will miss you soooo much, but I hope your further success in the new world.
Thank you and Good Luck!!

 

そして、もうひとり。ラルチザンパフュームとペンハリガンの広報だった、宮地麻美さん。
ラルチザン日本法人が7月いっぱいで撤退してしまったのです。ハートはあたたかく、物腰おだやかなのに決めるべきところは決める、ハンサムウーマンと呼ぶにふさわしい女性です。

ご一緒したひとつひとつの個性的な香りが、脳内であざやかによみがえってきます。心からの敬意と感謝を捧げます。新しい世界でのいっそうのご活躍を願ってやみません。
miyachi collage

お二人とご一緒した仕事をひとつひとつふりかえってみると、やはりそこにはただの時間、ただのイベント、ただの仕事、以上のものがあった。もてるリソースをすべて投入して喜んでもらおうとするサービス精神、ここまでやるかというチャレンジ精神、志を同じくする者どうしのチームワーク。だから感動があって、その時間が永遠に色あせない記憶として刻まれていることに気づく。

SNSはたかがSNS ですが、個人の「表=現実」世界でのイメージを大きく左右するというのはもはや常識になっています。

ブランドはここ2、3年、やたらとコレクションやイベントを増やしていますが、その背景にはSNSの隆盛があります。雑誌に何百万円と広告をかけるくらいなら、インスタグラマーやブロガーに来ていただいて、おしゃれな写真スポットを提供し、写真を各SNSで拡散していただいたほうが、よほど宣伝効果が高いということになってきたようです。ジャーナリストが苦労して書き上げる2000字の原稿よりもインスタグラマーの一瞬のかっこつけポーズのほうが評価され、影響力も大きいというのは、微妙に悔しかったりするのですが。笑

誰もかれもがSNSで写真をアップするような時代には、そこに参戦しないのがもっともセクシーだとは思います。謎めいていたほうが、断然、神秘的でいいですし、よけいな人間関係のトラブルに心煩わされることもありません。しかし、たとえば私などは仕事上、書いたものを少しでも多くの方に読んでいただくためには媒体を告知するほうがいいし、公開講座などはできるだけ多くのお客様に知っていただくために宣伝する必要がある。そうすることが、編集者や出版社、大学事務局の方など、関わってくださる多くの関係者のご尽力に報いることにもつながります。

ただ、その必要だけに徹し、宣伝だけしかアップしないとなれば、それはそれで人は敏感なので、「なんだ宣伝かよ」と途端に冷淡になるものです。時たま宣伝をさせていただくのであれば、それ以外の、フォロワーの方にとって有益であったり楽しみになったりする情報も折々に提供する。そうして情報のバランスを保ち、人様に受け入れていただくことで、はじめて宣伝も機能する、そういうものではないかと思っています。(ちなみに匿名で罵詈雑言もとびかうTwitterにはついぞ近寄っていません。いかなる情報も、だれが、どのような文脈で発するのか、ということが重要なので、それが不詳な情報が飛び交う場は混乱を増やすだけです……もちろんメリットもあることは承知していますが。)

そのようなスタンスでSNSとお付き合いする中で、マナーブックには書いてないかもしれないけれど、それをやっちゃだめだろうと思うことがあります。今日は、日頃「これはSNSタブーだろう」と感じていることを3点、書いてみます。

・イベントの招待やイベントの告知での公開コメントに、「たいへん残念ですがその日は出席できません」とわざわざ書きこむこと。これが一つでも書きこまれると空気が盛り下がります。ましてや「その日は法事で…」とか、縁起のよくない理由を書くものではありません。「できるだけ調整します」もしらけます。「万難を排して参加する」のが本来の姿勢であろうと思うので、それができないのであれば、わざわざそのことを公に見える場で書きこむ必要はまったくありません。あなたの都合なんて誰も知ったことではない。主催者の立場になってみて、どうしても不参加メッセージを伝えたいのであれば、こっそり、主催者にだけ送れば十分です。

・プライベートの会合写真は、その人がどういう方々とおつきあいをされているのかがよくわかって非常に興味深いので(つきあう人はその人を映し出す鏡)、観察者としては大歓迎なのですが、そこにわざわざ「この仲間はやっぱりサイコー」「このメンバーだと心許しあえるのよね」みたいなコメントを書くのはいかがなものか。そのグループに近いところにいながらその輪に入れてもらえなかった人はどのように感じるのか、ちょっと想像してみればわかることでしょう。そのようなコメントをわざわざ書くならば、写真に写っている人のみで共有できる設定にしてからにすべき。

・あっちのカワイイ子ちゃんを褒めちぎったとおもえば、こっちの美人さんを褒めそやす男性。あるいは、あっちの「ダンディ」さんに媚びまくったと思えば、こっちの「紳士」にもすりよりまくりの女性。そのような「行動」がセクシーであるわけないどころか、かげで、いや、リアルの世界で多くの人に嘲笑されている滑稽な愚行であるということ、いいかげん気づきましょう。笑われているのを知らないのは本人ばかりなり。

つまり、現実社会と同じ、想像力の問題です。周囲の人にどのように見えるのか、どのように受け取られるのか。アップする瞬間はハイテンションになっていることが多いので、私もときたま「やらかす」こともありますが、やはりちょっと頭を冷やし、情報を受け取る他人の気持ちになってみたうえで、アップする。その一瞬のささやかな考慮の積み重ねをするかどうかが、その人の印象を決定的に変えていくように思います(自戒を込めて)。

 

 

 

朝日新聞6月28日求人欄、「仕事力」。猪子寿之さま第4回め。『「美意識」を次へ進めるよ』。

「例えば米国の芸術家のアンディ・ウォーホルは、女優マリリン・モンローなどの一枚の写真を様々に加工して、大量生産でもカッコいいよ、と時代の価値観を変えたよね。キャンベルのスープ缶もウォーホルの手によって堂々と表現になった。それは、当時のお金のない人が買うような安い大量製品でもカッコいいと、アートが時代の概念を変えたから。ほら現代では、個人用の仕立て服より、大量に出回る既製服の方がお気に入りのほとんどを占めるようになったというように、『美意識』は進むんです」

「誰もが、こんな社会になったらいいなというビジョンを直感的に持っていると思うのですね。パワーで動いてきた20世紀とは違う、新たな社会を求めているでしょう。その実現のために『美』の用い方を工夫し、泥臭く武器として取り入れていけば、ビジネスでも長期的な競争力になるはずです。なぜなら人間は、美しいもの、カッコいいもの、面白いものが大好きだから」

ファッションの歴史って、その具体例の宝庫ですね。歴史に残るファッションデザイナーのリストとはすなわち、社会の価値観を変え、新しい人間像をプレゼンテーションすることに成功した人のリスト。トレンドにあわせたきれいな服を作ってる人じゃないんです。

ただ、天才デザイナーの場合、社会変革を目指したというよりもむしろ、美しいと思うものを孤独に追求していったら、結果として社会が変わっちゃったということのほうが多い。結果としてそうなってしまう、という。

サンローランも、黒人モデルを起用することで多文化社会を後押ししたが、それは決して、政治的な配慮ゆえではなかった。「黒人は挑発的でセクシー。僕の服を着せたい」というピュアな動機でランウェイを歩かせた。結果として、サンローランの服をまとった黒人の美しさに人々は感動し、時代が「多文化社会」へと進んでいったのである。

多くの「成功物語」は、往々にしてそうですね。なにかをピュアに追っていった結果、社会のほうが変わっていく。結果としてそうなってしまう。かけひきや戦略ではなく。そのあたりをはきちがえると、永久に「自己啓発病」サイクルから抜け出せない。

猪子さんも在学中から「チームラボ」を立ち上げてるんですね。エネルギーがあってなにかを成し遂げようとする人は、19とか20からすでに「行動」している場合が圧倒的に多い。

先週、パタンナーの長谷川彰良さんと「メンズファッションの源流」というコラボセミナーをおこないました。本ブログでも書きました通り、自分で言うのも厚かましいのですが、すでに伝説の講座として語られるほどの大成功をおさめました。私自身も勉強になった刺激的な経験ではありましたが、上から目線に見えたら恐縮ながら、まだ20代の彼のデビューを、私がバックアップしたセミナーでもありました。彼にとっては「ビッグチャンス」であったわけです。

そこで、チャンスのつかみ方という視点で長谷川さんの行動を俯瞰してみると、やはりそれなりの備えと行動を続けていたことがよくわかります。今日はその経緯をご紹介します。チャンスはどこに転がっているのかと悩む多くの若い人にとってのヒントになれば、幸いです。

長谷川さんは、ヴィンテージウエアのマニアックなコレクターです。19世紀中ごろから20世紀中ごろにかけてのさまざまなメンズウエアを大量に買い集め、夜な夜な徹底的に解剖し、ときには当時の型紙をそのまま使って「現物」を縫い上げるなどという変態的な(ホメ言葉です)ことをしながら、メンズウエアの研究にどっぷりとつかりきっています。

時は3年前に遡ります。今やテレビでも紹介されてすっかり有名になられましたが、フランスでテイラーとして活躍する鈴木健次郎さんにご指名いただき、私は彼のデビュートークショーのお相手を務めさせていただきました。その時、会場となった銀座和光のサロンで、「肩傾斜」がどうの、というきわめて専門的な質問をして強い印象を残す若い方がいらしたのですが、それが長谷川さんでした。

私の本をぼろぼろになるまで読み込んでいる、という長谷川さんはその後も、私の講演やトークショー、サロンなどに姿を見せ、会場では必ず強烈に印象に残る質問をしていきました。

そうこうして顔を覚えるうちに連絡先も交換するようになりますが、彼は折を見て、「自分のヴィンテージウエアのコレクションをぜひぜひ見に来てほしい、絶対、感動させてみせます」というアピールをしてくるのですね。

そのタイミングも絶妙で、熱心なのだけれどストーカーではない程度。社交辞令ではなく本気らしいとわかったころ、しょうがないなあとあきらめ(笑)、やや渋々ながら、長谷川さんが勤めるアパレル会社の倉庫まで拝見しにうかがったのが、今年の2月14日。

その膨大なコレクションそのものの圧倒的な面白さと、それを語る長谷川さんの「狂い」(これも、ホメです)の入ったプレゼンテーションに感心し、これは私一人で聞くのはもったいない、もっと多くのメンズウエア関係者に聞かせたい、と思い、その感動をそのままお伝えしました。

彼はそれを「リップサービス」とは受け取らず、また、「まだ自分は若すぎるから無理」とも思わず、あっという間に具体的に話をとりつけてきたのです。

機を見てはアピールする、ということをあきらめず地道に続け、いざ時が来たら確実にチャンスをものにできるように備えを万全にしておく。この3年間の彼の行動と成長を見ていると、チャンスをつかんで人生を切り開いていくというのはこういうことか、と教えられる思いがするのです。

備えよ常に。Be Prepared.

ボーイスカウトを創設したロバート・バウデン=パウエルによる、ボーイスカウトのモットーです。本来は、困難に備えよ、いざとなれば国のために命を投げ打つ覚悟をせよ、という文脈でも用いられてはいましたが、ここでは、必ず到来するチャンスに備えよ、との意味をこめて使わせていただきます。不遇をかこつ暇があったり、人をやっかんで中傷するエネルギーがあったり、無駄な時間を過ごしているなという自覚があったら、すっぱりと心と行動の方向転換をして、着実に、未来に向けてのチャンスの種まきをしていきましょう。

志高く努力している若い人を助けたい、と思っている大人は、意外と大勢いるものです。

8日、明治大学リバティーアカデミーの齋藤孝先生×坂東玉三郎さんの対談形式の講演を聴きに行きました。駿河台キャンパス、アカデミーコモンは1000人を超える観客で満席となり、観客の集中力と熱気をひしひしと感じました。最近、アウトプット続きでスカスカになりかけていた自分への誕生日プレゼントでもありましたが、予想以上の面白さで、脳内に革命が起きたような経験でした。

玉三郎さんの「実(じつ)」のある話を、齋藤先生が軽妙に、でも確実な方向へと導いていく。「人と人が出会って学び合う」、創発に満ちたライブ体験。1000人の観客が一体となり、まさにひとつの演劇を共有したような、濃密な時間でした。

こういうことをいくら文字で列挙しても、そのときの会場の体験には遠く及ばないのですが、忘れたくないなあと思ったことを以下ランダムにメモしておきます。

・人と人とがめぐりあい、感情でぶつかりあうことができなくなり、当たらずさわらずの人生を送らざるをえなくなっているのが、現代。

・そんな時代ゆえか、30人~40人ほど収容のライブハウスでのパフォーマンスや落語などの上演が、激増している。小さいサークルで人に会う、ということが始まっているのが、今。

・(学生からの質問)「夜になると叫びたくなる」。(玉三郎さんの答え)「僕は昼間でも叫びたいです」。叫びたいほどの、やむにやまれぬ思いを一つずつ解剖していく、そこから文学が生まれる。

・このような「実(じつ)の質問」をする。そこからすばらしい人とのめぐりあいが始まる。

・生命力とは、やむにやまれぬ情感のほとばしり。手の内にある自分の思いが止まらないという感覚。

・(齋藤先生)玉三郎さんは、生命力がないように見せて、ある。時代の先取り?!

・生命力がアツイかどうかによって、作品の迫り方が違ってくる。

・口に出すセリフと、思っていることが、まったく反対であることがある。それを読むのが「本を読む」ということ。

・セリフとは、想念の羅列である。

・芝居は、増幅と凝縮である。自分の人生から想念をひっぱりだして、増幅してセリフにのせていく。思いが凝縮すると、観客は見てくださる。

・感情が濃いとき、子音が強い。感情が爆発しているとき、子音も爆発する。子音に感情が宿る。

・生きている間は、想念の連続である。生成された想念を動かすのが、役作りということ。想念を経験から発掘し、生成し、並べていく。これが芝居。

・細胞レベルにまでなった想念を、線にし、面にし、立体にし、肉体にしていく。これが増幅。型と想念を一つにしていくのが、稽古。

・生命力は体幹に宿る。背骨の可動域が、人生の幅。毎日背骨を前後、左右、270度にねじり、アンチエイジングを。

最後は全員が背骨を回転させて、祝祭的に終了。齋藤先生が最初に「みなさんが心身共に健やかな状態で帰られることを望んでいます」と笑いをとっていたが、それはこういうことだったのですね。完全に文字で表現することなど不可能な、心身共に衝撃を受けた90分。

会場の想念をまとめあげる齋藤先生と玉三郎さん、それぞれの力量とオーラ。そのパワーの源泉は意外に、取り繕うこととは真逆の、「実(じつ)」のことばのやりとりであったような気がする。観客の「実」の質問が、真のめぐりあいを生んだ、そんな瞬間に立ち会った思いです。

「実を語る」。今年一年のテーマにしよう。

 

 

 

 

 

 

昨日は誕生日でしたが、プレゼミ生たちがサプライズでミニ花束とカードを贈呈してくれました!6.8.3感激です。ありがとう!!

毎年毎年、ほんとうに心優しくて行動力のある学生に恵まれます。

6.5.8多くの人は年を重ねることを不快と思うようですが、いえたしかに、体の機能や弾力やらいろんなところがぼろぼろになってきてそれはもうげんなりといやになってくるばかりであるのは事実です。

でも、年を重ねると、いいこともあります。これまで積み重ねてきた過去のもろもろのことが、意外な形でつながって、あのときのあの経験がこんな形で実を結ぶのかという驚きのできごとが、連続花火のように訪れることがあります。

黄色とブルーがさわやかにアレンジされたこの花束は、20年前の教え子が贈ってくれたもの。20年前、東大駒場の非常勤講師として大教室で英語を教えていました。そのとき、私に鮮烈な印象を受けていたという学生が、20年間社会の荒波に鍛えられ、成長して、立派なジェントルマンになって目の前に現れ、大きな花束を抱えて笑顔で立っている。「大人になってから先生に会いたかった」と。なんと映画みたいな。泣笑。

20年経たなければできないことがある。それをばっちり決めてみせてくれた教え子がいるって、なんと幸せなことか。この感覚は、英語でいうeuphoriaに近い。多幸感というか、陶酔感というか。若い時には味わえない、歳を重ねないと味わえない経験や感情もあります。20年後、またその年でなければ経験できないできごとや感情が訪れるかもしれない…と思うと、やはり年を重ねていくのは未知の世界を旅する冒険ですね。今いただいているひとつひとつの仕事に愛とエネルギーを注ぎ込んでいくこと、それがきっとさらなる20年後への「種まき」になっているのでしょう。

などとかっこよさげなことを言っているひまあれば原稿を書きなさいというお叱りを受けました。はい。すみません。

フランスのヴィンテージ狩猟服についているボタンについて、疑問が解決しました。ecoute a la teteフランス文学に造詣が深く、匂いや香水に関する著作も多い鈴木隆さんに教えていただきました。鈴木さんが調べてくださったところによれば、このボタンは、Vautrait du Perche (ヴォトレ・デュ・ペルシュ)という、狩猟チームの制服に使われていたボタンとのこと。フランスのノルマンディーの丘陵地帯にある「ペルシュ」という地方の、犬を使ったイノシシの狩猟チームの名前です。vautraitとは、犬の群れという意味ですね。

このチームのモットーが、ボタンに書かれているecoute a la tete 「知性で聞く」。

なるほど!!! 鈴木さんに感謝、ありがとうございます。

松岡正剛さんの秘密の会?にも参加されていらっしゃる鈴木さんから、次のこともお知らせいただきました。

松岡正剛さまの「千夜千冊」において、女性の書き手の「つわもの」のカテゴリーに入れられていますよ、と。

酒井順子さんの引き立て役カテゴリーでもありますが、知の巨人のような方から「物の数」に数えられていたことは、たいへん光栄でございます。

どちらかといえば、私は「女」目線などほとんど意識したことがなく、高い目標(高すぎることは承知の上)としてきたのが荒俣宏さんや鹿島茂先生なので、万一、次にとりあげていただく機会があるならば(笑)、「女」枠がないところで話題にしていただけるよう精進したいと思います。

「女」というだけで、ジャンルがまったく違うところで引き合いに出されるということは多々あるのですが、今回のように光栄に感じることもあれば、なんでここでいっしょくたにされるのかと苦笑することもあり。「女」枠でくくりたくなること、それが人の素直な反応なのかと思ってじっくり観察することにしています。

シャウ・シンチーの「西遊記 はじまりのはじまり」DVDで。

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B級感むんむんの映画だが、爆笑の連続、号泣で終わり、と激しく感情をゆさぶられる。あの西遊記が始まるまでには、こんな始まりの物語があった…という趣旨の、妖怪ハンターたちの物語。ヒロインの段と三蔵法師の物語がいいですね、やはり(途中のばかばかしさも含めて)。好き嫌いはきっぱりと分れると思いますが、「少林サッカー」以来、シャウ・シンチーのギャグセンスには救われています。少林サッカーのラストシーンは何度見なおしたことか(「俺たちフィギュアスケーター」のラストシーンと双璧をなす名シーン)。

折しも6月3日付け朝日新聞の文化欄に掲載されていた姜尚中さんのインタビューを読んで感銘を受けていたタイミング。

「悪」を考察する本を書きたいという姜先生の話。その理由は、

「世の中、悪が満ちあふれている。資本主義の本性が出て、人間が社会性を失っていく。それが罵詈雑言の限りとなり、例えばネット上に噴き出しているように見えます。」

そして指摘される、「悪」の「反対」。

「現代は、自己責任だ、自助能力を発揮しろとせき立てられ、そこに社会がないわけです。私は、悪の反対は、善ではなく愛だと思うんです。さらに言うと社会だとも思う。いま、人間は自己中心のガリガリ亡者になって、社会はあてにできない。むしろ、社会からさげすまれているという気持ちの人がたくさんいます。ですから、悪を解き明かすことで、社会を取り戻すことに目を向けたい」

西遊記の妖怪たちも、もともとはみなよい人や動物であったのに、社会から理不尽に虐げられたり、身近な人にひどく裏切られたりして、妖怪になっていった。だからハンターが、妖怪の中に潜む邪悪な気を吸い取ると、もとの善良な姿に戻っていく。

「悪」の反対が「社会」であるということが、実は妖怪の世界にすでに描かれているんですね。

「ダウントンアビー」ではやはり、「悪」だったトーマスが、ダウントンの住人から善なる扱いを受けることで、次第に良い人になっていく。

「悪」を生み出すのはやはり社会であるということ、逆に、社会が変わることで悪も少なくなっていくということ、ここにもさりげなく示唆されている。

 

 

神宮前のRust Londonが改装され(なんとすべてDIY!)、渡英17年、現在はワイト島で暮らすデザイナーの内海直仁さんが3年ぶりに来日して、今日まで受注会をおこなっています。2階のメンズフロアはイギリスの新しい「クリエイティヴ・クラス」の心意気を感じさせてくれる空間になっています。

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Rust とは「さび」、時を経るからこそ得られるもの。彼が作るジュエリーには「ホールマーク」が刻印されています。ホールマークとは、イギリス政府による地金の保証です。製作者、地金の素材、純度、製作地、製作年度が記号化されたものです。時の経過とともに価値を得ていくジュエリー、たとえば記念日リングなどには最適ではないかと思います。

多くの日本人がイギリスに抱きがちなイメージ(「王室御用達」とかコスプレ風「古き良き伝統」とか)ではない、リアルで自然でアヴァンギャルドな現代のイギリスらしさを伝えたいと語るデザイナーは、静かな情熱をたたえた理知的な方です。

一緒にお招きいただいたイギリス好きの方々と。前列右は、山内美恵子さん。後列左からユニオンワークス社長の中川一康さん、中央がデザイナーの内海直仁さん、右はハケットロンドンの大西慎哉さん。

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2014年もあっという間に終わろうとしています。昨年の大みそかに何を書いていたか見直してみたら、「あれもこれも収束せず来年に持ち越し」みたいなことを書いていて、なんだ去年からぜんぜん進歩していないよ私は。

いまもやはり、まったく収束の気配を見せないまま来年に持ち越されようとしている仕事と格闘中…。情けない。

進歩はないままに、ちょこちょこと書いたりしゃべったりする仕事にはおかげさまでほどほどに恵まれました。今年書いた活字原稿は約50本、講演とトークショーで32回ほど、本の帯コピー2冊分、3年越しの監訳1冊完成、ウェブ対談とラジオ出演で4回ほど。初めての試みとして展覧会の展示の文字部分のコピーライティングと監修を手がけたり、サロンを共催したりというチャレンジもありました。仕事じゃないけど監訳を出したご縁で帝国ホテルの舞台でドリームガールズ(!)もやっちゃったし(笑)。週5コマの大学の講義のほかにこれだけやれば、じゅうぶん、盛りだくさんですね。関わってくださったすべてのみなさまに、心より感謝申し上げます。

大学にもすばらしいゲストの方々に講義に来ていただきました。山縣良和さん、坂部三樹郎さん、地引由美さん、鈴木光司さん、軍地彩弓さん、串野真也さん、森川マサノリさん。あらためて、ありがとうございました。プレゼミ生たちとは「制服ディズニー」を敢行したりランチや飲み会もおこなったりと、楽しい時間もともにしました。

こうして振り返ってみると、仕事を通してほんとうにたくさんの、すばらしい方々に出会えました。一つの仕事がさらに次の仕事につながり、ご縁の網の目が、たとえるならばスパイダーマンがビルの谷間にかけていく巨大なスパイダーウェブのように広がっていくのを、半ば畏れ多い気持ちで感じていました。謹んで、感謝を忘れず、いただいたお仕事をひとつひとつ丁寧に手がけていこうと思います。

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落ち着きのない私におつきあいくださいました読者のみなさまにも、心より感謝申し上げます。イベントや講座に来ていただき、お会いできた方も大勢いらっしゃいます。みなさん、それぞれに素敵な方々で、あらためて身が引き締まる思いがしました。わざわざ足を運んで言葉をかけてくださって、時にはお花まで贈ってくださる読者がいるということ、これはほんとうに幸運で、幸福なことだと思っています。ありがとうございました。

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ではみなさま、どうぞよい新年をお迎えくださいませ!

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後日、いろいろな舞台裏が明らかになり、感動を新たにしたことがあります。

タキシード騎士団のなかで、ひときわパンチある和装で場に高揚感を添えてくださったのが、20代の頼富雄介さんでした。
実は彼がこのスタイルで参加するために、ファッションレスキューの齋藤さまの着付けのご指導があり、さらには代表の政近準子さんの「中途半端な気持ちで行っては相手に対するギフトにならない」という厳しくもあたたかな助言があったことを、後日、知りました。
頼富さんを通して、準子さん、齋藤さんからのギフトを、会場のすべての人が確かに受け取りました。ありがとうございました!

また、やはり20代の大橋秀平くん(右端)は私のプレゼミ一期生ですが、この日がタキシードデビューとなりました。タキシードの選び方や着こなしを直接指導してくれたのが、ルパランのマスター本多啓彰さんであったことを、これも後日知りました。

たったひとつの服装の陰にも多くの大人がこうしてあたたかく関わっていて、服装をダシに(?)さまざまな知恵が次世代に伝えられていくということ、ちょっと素敵だなあと感動。

また、もう一人の20代の方、渡邊敦也さん(左から3人目)は、三越伊勢丹の新入社員研修で私の講義を受け、さらにもう一度聴きたいからと有給をとってまで聴きにきてくださいました。媚びるのではなく、ただひたむきに熱心。そのような若い方にどんどんチャンスをあげたいと思うのは大人の常なのですね。大人にかわいがられ、チャンスをつかんで抜きんでていく人というのは、たぶん、素直に気持ちを表現し、行動を惜しまない人なのだ……と彼ら若い人たちから学ばせていただいた貴重なイベントでもありました。
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「行動が必ずしも幸せをもたらすとは限らないが、行動なくして幸せなし」(ディズレーリ)

2日前に書いた「私の常識は必ずしも世間の常識ではない」ということにも関連しますが。

世代の格差が広がれば、知識の格差も広がり、住む世界の違いが広がれば、必要とされる情報の格差も広がります。

監訳した『シャネル、革命の秘密』(ディスカヴァートウェンティワン)に関し、日本人に関係のなさそうな詳細が省略されているというご批判をいただいたので、謹んでお答えさせていただきます。

出版社が主に読者ターゲットとしたのは、これから初めてシャネルに触れる若い人や「ファッションの専門家ではない人」です。

原作はかなり精緻に脚注つきで情報が書き込まれた、ジャーナリスティックにしてアカデミックな大著です。原作の本文にはいちいち、出典を示す脚注番号が入り、巻末にその「典拠」が載っています。かなりの分量です。これをすべて反映させていたのでは、本としてかなり読みづらいうえ、本のページ数も格段に増える勢いでした。

さらに、本文をすべてもれなく翻訳するとなれば、ただでさえ分量の多い(上下2段組み、500ページ超)今の形の二倍、すなわち上下二巻セットとなります。

このような形でも、出版が可能な経済事情や購入してくれる読者が想定できればよいのですが。

シャネルに初めて触れる人や、なにかと忙しい現代人にとって、これはかなりハードルの高い体裁です。したがって、できれば1冊で読み切りたい読み手の事情を考慮して、すべての脚注を省き、物語を冗長にしそうな詳細すぎる記述を大胆に「超訳」し、「次へ次へと読み進めたくなるリズム」を最優先にしてあります(もちろん、可能な限り原文の情報は生かしております)。

ちなみに、日本語版のタイトルも出版社がマーケットを考慮したうえで、決定しています。

舞台裏の事情をさらに少し明かすならば、この本は、シャネル社「公認」ではなく、むしろシャネル社が「書いてほしくなかった」ことが明かされている本です。そのため、シャネル社が広告を出している多くのファッション誌は、書評の掲載を見送りました(わざわざ、配慮がある旨を告げられました。ブランドから圧力がかかったということでは全くありません。むしろ、編集部が自主的に配慮するのです)。ファッション誌を出しているような大手の出版社が手を出そうとしなかった理由の一つもそこにあります。私は、原作者のジャーナリストとしての姿勢に敬意を表し、また、「明かされた秘密」によってかえってシャネル本人に対する愛と理解が深まり、決してシャネル社の名誉を傷つけることはない、それどころか逆にシャネルファンを増やすだろうと判断したので、監訳を引き受けました。

そのことで、一時的にシャネル社と気まずくなったとしても、最終的には、シャネルへの一般の関心が高まり、歴史家としても正しい判断であったと思っています。ブランドもオトナですから、それほど引きずることもないと信じています(あるいは、かくも大ブランドとなれば、これしきのことはまったく気にもかけていないかもしれません)。

巻末のクレジットをご覧になればおわかりになるかと思いますが、本一冊に50人以上のスタッフがかかわっています。ターゲットとする若い一般読者に対し、少しでも親しみやすい形で届けられるように、全方位からあらゆる考慮が払われた結果、一部の専門家の方々にとっては、不満の残る結果となったかもしれません。その点は、深くお詫び申し上げます。

1冊の監訳本にしても、多くのスタッフが関与するビジネスでもあり、日ごろあまり本を読まない初心者から専門家まで、すべての読者を完璧に満足させることなど本当に難しいということ、ほんの少しでもご理解いただけたら幸いです。

ビジネスとはいえ、この本に関しては莫大な経費がかかっている割には何千部も売れるタイプのものでもなく、経済的なことだけをいえば、監訳者含め、負担のほうがはるかに上回っています。何万部も売れるビジネス書の存在が、マイナス分を補ってくれているのですね。これまで「スカスカの」売れ筋のビジネス書を軽んじていてごめんなさい。30分で読めるビジネス本が何万部、何十万部と売れてくれるからこそ、私が手掛けるようなマイナーで、経済的利益にはつながらない仕事が助けられているのです。今回はとくにその仕組みを垣間見て、安易にものごとの是非を決めつけないようにしようと誓いました。

話がとんで失礼しました。ご意見に心より感謝申し上げます。一つ一つの仕事によって、どのような形で世の中に役立てるのか、ほんとうに手探り状態ですが、引き続き、研鑽を積んでまいります。

弟のK大学医学部教授就任祝い&母の喜寿祝いの、ささやかなファミリーの会、箱根のザ・クラシック「富士屋」ホテルにて。

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私が断念した医学部(←「Flash」記事)に、姉の無念を晴らしてくれるかのように入学した弟は、「内科」や「外科」など開業につながる分野を選ばず、「地球の病を治したい」と言って「もっとも儲からない」領域へ。長い間、イタイイタイ病の研究を地道に続けてきました。その葛藤や苦労を知るからこそ、喜ばしさひとしお。

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箱根の森の緑が目に沁みる。

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国際日本学部第一期から第六期までの、インフォーマルなOBOG会。

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すでに起業して「社長」の名刺をもっている学生や卒業生も何人かいて、時代の流れを感じるなあ。韓国からの留学生には男子必須の2年間の軍事訓練の話を聞いたりして、なかなか興味深かった。伝統をこれから創っていく、っていいですね。みんながんばれ。

本日発売の「Flash」にちょこっと載ってます。

西麻布交差点での路駐をフラッシュされたった!

……っていうんならかっこいいのですが、んな華やかな事件には縁がなく。

先週、編集部の方が大学に取材にいらして、がっちり一時間ほど濃いめの話をしましたが、ごくさらりあっさりとまとめられました。そんなもんですね。自分も取材をするのでよくわかる。

提供した大学時代の写真は、タイミングよく、友人の大里真理子さん(本サイトのデザインをしてくれているアーク・コミュニケーションズの社長でもあります)に送ってもらった、なつかしのもの。本誌ではモノクロで一部しか使われなかったのですが、せっかくなので、こっちで公開。ちょうど30年前の写真です。ちなみに左の真理子さんも同じ特集に載ってます。

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にしても「ご笑覧くださいませ」とは勧めづらい表紙だわ……・中身も、いきなり袋閉じだし……(^-^; 

アンジェリーナ・ジョリーについての原稿を仕上げた、と思ったとたんにまた新しいニュース。

なんとエリザベス女王からデイムの称号を与えられることになったと。あっぱれ!

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…だが原稿書き直さねば(^-^;

abcニュースのサイトで知ったのだけれど、ジョリーの、誰も反論できない「どや」スピーチの前に出てくるジャギュア(イギリス人はジャガーをこう発音する)の広告が面白い。

コマーシャルフィルム単独の映像はこちら

アメリカ映画では悪役の多くがイギリス人だ、それはなぜか?という分析をするのだけど、もっともらしい性格分析が続いたあと、最後のオチが…「われわれはジャギュアを運転するから」。そしてシメのひとこと。

It’s Good to be Bad.(ワルいのも、なかなかいい)

こういうセンスがたまらなく好きなんです。

コットンクラブのみなさまに、長年かかった仕事の完成をねぎらっていただきました。

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半蔵門のARGOにて。昼も夜も窓からの眺めがすかっと美しい、とても雰囲気のいいレストランです。和のエッセンスを取り入れたフレンチで、サービスもすばらしい。

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お祝いの品としてセンスのいいバカラグラスの一輪挿しをいただきました。そのうえ、豪華な花束まで。感激。興子ちゃんが、私のイメージを花屋さんに伝えたらこのようになったそうです。ゴージャスに見えるけど実はシャイとか。わはは、照れるね! 一生懸命私のために考えてくれた、その粋なやさしさが何よりもうれしい(涙)。バカラの一輪挿しは家宝にします。

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店内に飾られる1000冊のビジュアルブックを背景に。後列左からbatak社長の中寺広吉さん、Yon-ka社長の武藤興子さん、ユニオンワークス社長の中川一康さん、前列左イラストレーター・ソリマチアキラ王子、右は綿谷寛・画伯です。
コットンクラブの名前は会長の名前に由来。

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場所を変えて二次会、三次会まで延々と話題が尽きずに気が付いたら午前三時(-_-;) 仕事の疲れも苦労もすっかりふっとび、次の仕事へのエネルギーチャージができた楽しい時間でした。笑いじわくっきり。みなさんありがとう!

フィレンツェからバスでトスカーナへ。

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周辺の大聖堂などを見て、メインのピサの斜塔。

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中はがらんとした空洞になっていました。

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塔を囲むようにして螺旋階段が293ステップ。外へ出ると斜塔の上。トスカーナが一望できる。この日の外気温22度、カラッとした気持ちのいいお天気でした。

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芝生の上で上半身裸になって日光浴している人もちらほらいた「トスカーナの休日」。

気分良く油断していたら、帰途に悪名高いスリ軍団に遭遇。少女やら、赤ん坊(おそらくダミー)を抱えた女たちがすりよってきて「ユーロ、ユーロ」(ユーロをくれ)と。無視して早足で歩いていたら、ダンボールを赤ん坊の上にかぶせ、体当たりで擦り寄ってくる。ハッと思ってダンボールに隠れたバッグを見たらちょうど留め金を開けられた直後でした。絶叫したら逃げて行き、何も盗られずにすみましたが、ガイドさんによれば、この「ダンボールや新聞で手元を隠す」やり方は、かなり多いのだそうです。観光客の多いこの道はスリとぼったくり&ひったくりの天国らしい。

こういうことを生活の糧にしなくては生きていけない人たちがいる。しかも大勢。しぶとく生き抜こうとしているだけあっぱれなのか。年間数万人の自殺者を出す日本は、スリが比較的少なく安全だからといって「平和」といっていいのだろうか。答えの出ないことをとめどなく考える・・・。

藤巻幸夫さんのお通夜。増上寺に少なくとも1000人以上が焼香の順番を待っていた。

お気に入りのケイタマルヤマのジャケットを着た笑顔の写真。いまにも大きな声で「よーかんちゃん行こう!」と喋りだしそうな…。よーかんちゃんとは、名物店主のいる藤巻さんお気に入りの店。

共通の知り合いと会場で会ったら、あらためて楽しい時間がよみがえり、泣けてきた。

ちょうどこのタイミングで、ある新聞社から「男のおしゃれと美容」について電話取材を受けた。

いずれ灰になるのに、おしゃれするなんて虚しいことだろうか。いや、いずれ灰になるからこそ、生きているうちはかっこよく装え。って藤巻さんなら言うだろうな。

男は女のようにヘアメイクできないから、と藤巻さんはメガネを4種類持ち歩いていた。藤巻百貨店オープンの対談のときに、4本すっきり収納できるメガネケースとともに見せてもらった。昼間のオフィシャルな会議用。昼間、人に会うとき用。夜の会食用。深夜、アブナくなるとき用(笑)。いちばん最後のメガネは、レンズの形が左右で違うのだ。右が□で左が○。メイクなんかよりはるかに変身効果がある。

なんのためにここまでするのかといえば、サービス精神なのですね。目の前の人に最大限楽しんでもらいたいという、無邪気なサービス精神。その結果、コミュニケーションが深まり、忘れがたい時を共有する結果につながれば、それはおしゃれの功績といえるのではないか。いや、そもそもそんな功績を計算する精神はおしゃれじゃないが。

WWD編集長だった山室さんも、ちょうど去年の今頃、50代前半の若さで、東京コレクションの直前に急逝した。やはり過剰なほどのサービス精神とファッション愛の持ち主で、周囲を引き立て、結果として周囲に信頼され、愛された人だった。藤巻さんと同じ魂の持ち主だ。みんなの喪服がダサイね、もっとおしゃれにならなきゃだめだね。なんて向こうで二人熱く議論を交わしていらっしゃるだろうか。

藤巻さんのいるところ、いつもにぎやかで熱気と笑い声にあふれていた。ときどき、楽しいユーレイになってこちらの世界のパーティーにも遊びに来てください。

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藤巻幸夫さんが54歳で天に召されました。一昨日、藤巻百貨店さんとの仕事の打ち合わせで、病状のお話を聞いていたばかりでした。

いつもエネルギッシュでポジティブで、パーティーに行けばしゃべりっぱなし、必ず周囲にたくさんの人垣ができる太陽のような人だった。ケチくさいことやもったいぶることが大嫌いで、いいと思えば、どまんなかストレートの剛速球でどんどん話を進めていく。世の中をよくすること、周囲を楽しませることにエネルギーを惜しまず、過剰なほどのサービス精神で、状況も人もすべてをいい方向に変えていく、「場の錬金術師」のような人だった。朝の5時まで飲んで、7時からテレビ出演をするような、そんなハードな生活で身体に無理がきてしまったのかもしれない。でも、身体をいたわるために減速しろといってできるような人でもなかった。いまできることは全部今やっておかねば生きている意味がないと考えるような人だった。

あのアツイ語りはもう聞けないのかと、ほんとうに大勢の人が泣いているだろう。日本の未来にとっても貴重なリーダーだった。

藤巻百貨店オープン時の対談の第一回目にゲストとして呼んでいただいたほか、どんなパーティーでも必ず引き立ててくださって、多くの方々と知り合いになるきっかけをいただいた。藤巻さんの友人というだけで信用保証になり、仕事と友人のネットワークが豊かに広がった。大学にもゲスト講師として来ていただき、学生たちに本気の刺激を与えてくださった。あの場で将来を決めた学生さえいる。もう一度ぜひ、という話をしていたのに、叶わないままになってしまった。感謝してもしきれないほどの恵みを与えてもらい、今度はこちらが恩返しをしなくてはと思っていたのに、それも叶わぬままになってしまった。

藤巻さん、ありがとうございました。日本をよくしたい、日本をもっともっと美しくしたい、というかねてから聞いていた藤巻さんの志を、微力ながら、受け継いで働いていくことが、少しでもご恩返しになるでしょうか…。ご冥福を祈ります。

どん底から絶頂まで感情をゆさぶられたソチオリンピックも終わり。虚脱感。限界越え、想像超えの、崇高な世界を見せてくださった日本代表選手はじめ世界中の代表選手のみなさま、ありがとうございました! 最上級の敬意を表したい。

オリンピックも3年越しの仕事も最終章の大詰めにきていた先週金曜は、忙中閑、外苑前のイタリアン、「イル・デジデリオ」にてランチでした。「25ans」 & 「Richesse」 編集長の十河ひろ美さん、「Yon-ka」を扱うヴィセラジャパン社長の武藤興子さんと。このレストランが入っている「パサージュ青山」一帯は石畳が美しくて、「フィガロ」なんかに出てきそうな外国の街並みのよう。

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「てんさい」のアイスクリームに、「きんかん」をあしらったデザート。旬の食材を生かしたお料理の数々、美味しかったです。

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食後に記念写真。武藤興子さん(左)と、十河ひろ美さん(右)。話がはずみすぎて時間を忘れるほどでした。

寒さが厳しい最近はこのブルー×グレーのニットワンピースばかり着ていますが、Jun Ashidaのものです。シーズン初めに一目惚れして購入。あたたかくて着心地がよく、まったく型くずれしないし仕事にも社交にも旅行にもOK。これだけ毎日のようにヘビロテすれば投資価値以上のものがあります。なによりも、ほんとうに丁寧に作られているので、作り手の愛情とプロフェッショナルな心意気の波動に守られているという安心感があります。

楽しくランチでエネルギーをチャージしたあとは、気持ちを引き締めて、最後の最後の校正作業で出版社に自主缶詰。総ページ数544ページ、本文は二段組になります。なにせシャネルときたらばフランス、ロシア、ドイツ、イギリス、イタリア、アメリカ、オーストリア…にまたがる活躍ぶりなので、出てくる地名と人名の確認が半端ではない。ロシア語とドイツ語の地名と人名の読み方がとりわけ人泣かせ。こういうときはゴール(総量)をあえて見ないで、目の前にきたものを一つ、一つクリアしていくのが、とりあえず気が狂わないコツ。夢中になっていたらすっかり時間が経つのも忘れ、ビルを出たのが夜10時になっていた。干場社長はじめ社員のみなさまはさらに遅くまで頑張っていらっしゃいました。

この翻訳は干場社長肝入りの本で、社長直々に編集作業にあたっています。写真は、干場さんのフェイスブックアップからシェア。

Chanel

泣いても笑ってもこれで終了。こっちの仕事でもぐったり虚脱感。ほんとうに多くの人に助けてもらった3年間。

いつも思うのだけど、完成直前がいちばんつらい。でもつらいときを経たものほど、完成時の喜びは大きい。

夜明け前がいちばん暗い。種が発芽するときも、土から出る直前がいちばんエネルギーを使う。なにかが実現する直前が、おそらくいちばん苦しい。……っていうことと同じなのかな。

一緒にするのも厚かましい限りだが、ドラマでも演出不可能な、圧倒的なパフォーマンスで「天才と努力の輝かしい集大成」を世界中に見せてくれた浅田選手の、あの直前の苦しみも、あとから振り返れば、(メダルを超える成果にとっての)意義深いできごとだったのかなとすら思えてくる。どん底から頂点へと突き抜けるカタルシス。この感情のジェットコースターの振り幅が大きければ大きいほど、人は「ことばにならない感動」で揺さぶられる。


神足裕司さんが新作『一度、死んでみましたが』(集英社)をお送りくださいました。大学宛に届いており、帰途読み始めたらボロボロ泣けてきて。

重度くも膜下出血から生還し、まだ脳に機能障害が残るなか、書くことだけが残された機能と感謝して綴られた奮闘記。

ご病気前の華麗なレトリックや饒舌でウィットに富んだ表現はなく、むしろ一文一文がシンプルで、本を開くと余白が目立つ。だが。その余白から立ち上ってくるものに圧倒される。ただただ、生きていることの尊さ。すばらしいご家族や友人の愛とあたたかさ。死の淵から復活し、徐々に機能を回復していく生命の奇跡。感情を、人にちゃんと伝えることの大切さ。

「潜水服は蝶の夢を見る」という映画を連想した。

涙とまらない中に、不意打ちに、自分の名前が出てくる。『スーツの神話』が神足さんの心のお守り的な本になっているという話が紹介される。

自分の本が誰かの心のお守りになる。こんな状況でも記憶から消えていなかった。これほどの賛辞が、はたしてあるだろうか。

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ご病気前の神足さんの文章は、「こんな文章を書きたい」とお手本にしていた。15字×87行で、と注文を受けたら、起承転結をつけてオチまで鮮やかにまとめて収める、というコラムのお手本だった。今の神足さんの心の姿勢も、お手本にしたい。こちらがかえって激励された気分です。

ありがとうございます。これからもたくさん書き続けてください。

神足さんのお母様が広島でかつて「シャネル」という洋品店を営んで繁盛しており、「シャネル」社からクレームの電話がかかってきたことがあるというエピソードに笑いました。来月出版される「シャネル」伝、お送りします(笑)。

✩香水会社を退社し、独立したばかりの青木美郷さんとランチ。青山ブノワにて。

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本ブログにも何度か登場してくださっていますが、ボキャブラリーが詩的で豊富なので(「睫毛の上に涙の粒」とか。笑)、「香り」という正体のあいまいなものの表現をするときに、いつもユニークな視点を与えてくださいます。実は、はじめて年齢を知りましたが、私の息子にどちらかといえば近い(~_~;) そういえば、これまでまったく年齢など気にならず対等のリスペクトをもって話していた(たぶん、お互いに)。感性に年齢はさほど関係ありませんね。

その後、一緒にラルチザンパフューム本店に立ち寄り、「今年をスタートする開運香水」を選ぶ助言もいただきました。昨年は、「あまりにもイメージど真ん中すぎて」避けていた女の王道的なフレグランスですが、この日はすっと直感に入ってきたので素直に。ひねりとかギャップとか寄り道はもういい。堂々とシンプルに直球で勝負することにした。という気分なのか。実際、トンネルをひとつくぐり抜けるたびにシンプルな悟りみたいなほうへ向かっている。

✩パリから来日中で、銀座和光での受注会最終日の鈴木健次郎さんにお目にかかりに。NHKの「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演して以来、すっかり有名になり、あちこちで声をかけられるとのこと。土曜日のトークショーも一日に3回もおこない、各回大盛況だったようです。ほぼ60日間におよぶ密着撮影のことや、新たに発見したスーツの各国の違いのことなど、お話尽きず。

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イギリスとイタリアのスーツは腰から下のドレープの表現に力を入れるが、パリは上半身に重きをもってくること。スーツはカッティングが重視されがちだが、「縫い」によっても表現ができること。最初に徹底して教え込まれる生地の持ち方や姿勢が、実は合理性にのっとったものであること。ロンドンから来る20代のお客さんのスーツの注文の仕方がたとえば「シングルとダブル一着ずつ、替えのトラウザーズを2本」というようなスマートさであったりすること。それはたぶん父から息子へと「伝統的に受け継がれる」ものであること。パリのお客さんは採寸中も冗談ばっかり言って笑いっぱなしだが、日本ではきわめて生真面目に注文が行われること。などなど。

2年前の和光でのトークショーをご一緒してから、ますます勢いにのっていらっしゃいます。(髪型の変化も成長の表れ?!笑) 今後はスーツでの世界制覇もめざしたいとのこと。目標が高くて明確ですがすがしい。努力を怠らず、次々実現しているのもあっぱれ。リスペクト。私も着実にひとつひとつ、がんばらなくてはね!

就職して2年経った一期生が遊びにくる。いろいろ課題を抱えて。振り返るに、24歳なんてほんとに幼稚園児みたいだった。今の知恵が当時にあれば…(T_T)(T_T)

大上段から道を語るのはこっぱずかしくて到底できないが、学生と一緒のごはんやお酒の席では、できるだけ教えている心がけ9カ条+1。自戒もこめて。こういうことを、20代のときにはっきりと教わっておきたかったから、そういう柄ではないけど、伝える。素直に受け止めて実践している女子学生がどんどんチャンスをつかんで次のステージに上るのを見るのはほんとうにうれしい。(男子学生にはちょっとコレは効かないのだな)

Be Confident

Be Positive

Be Open and Fair

Be Independent

Be Thankful

Be Mysterious

Be Quick to Take a Chance

Be Different and Enjoy your Blue Ocean

Be Proud and Never Follow Boys  (Let Them Follow You)

…Always with Smile and Grace.

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中野キャンパス隣接の四季の森公園にライトアップされているメイジロウくん。写真ではわかりづらいけど、なかなかかわいい。笑。周辺一帯は、昼も夜も、お客様が必ず驚くほどのおしゃれっぷり。

ツイッターをやっていないので、ツイッター連打的?プチつぶやき。

・釈明アタフタの都知事。カネの話より情けなかったのが、元不倫相手の品のなさすぎる暴露話と罵倒。ルール違反だろう。過去の関係を暴露することが。しかもこのタイミングで。こういう相手を選んだ都知事の「男として」のレベルが知れる。どっちもどっちか。

・こんなとんでもないリスクも出てくるから、愛人はある意味、友人以上に慎重に選ばなくてはならないのではないか? 

・「女磨きをしすぎると恋愛が遠ざかる」説。「がんばって男の人よりも稼ぐようになると幸せな結婚ができなくなる」説。女子学生にしょっちゅう相談される。それは、一面、事実かもしれない。その定説内のささやかな幸福というのもあるからね。それはそれで否定しない。でも、私の助言は違う。

・そこをさらに突き抜けていけ。限界と思われるレベルをさらに超えて女を磨け。男以上に、というか、誰よりも稼ぐ女になれ。と背中を押す。(実際、彼女たちの潜在能力は膨大なのだ。これを男性に遠慮することでムダに埋もれさせるのはもったいない)

・世間並みの幸福(って何?)という世界をさらに突き抜けていけばその先には、そのときの自分にふさわしい、ごくごく少数だが、同じかそれ以上に高いレベルの男性と出会う機会がかえって増える。同質の人間が濃密にそろうソサエティに行けば、逆に、選び選ばれやすくなる。マニュアル無用、駆け引き不要、スペック不問の、「世間並み」などはるかに凌駕する男性が現れる確率が高くなる。

・ちまちました数字で比較しあうスペックなど、あほらしいではないか。スペックなど、必要十分でよろしい(ロールスロイスね。笑)。スペック上の比較のはてに選ぶ(選ばれる)のではなく、とりかえのきかない存在として認めあうことができる。

・そんな関係においては、ライバルがいないから嫉妬もない。若さや表面上の美しさだけで選ばれるわけではないから悠々と年を重ねていける。自分が忙しければ多少の音信不通もかえってラッキー。突き抜けた世界に行けば、そんな究極にロマンチックで、ストレスのない恋愛関係を築くチャンスはかえって増える、と。

・そんな男はいない、そこまでがんばったときにはもう誰も残っていない、と彼女たちは必ず言う。だからこそ、10代20代で時間を浪費してるヒマなどないのだ。しかも、地球上に何億男がいると思っているのだ!笑。あとは幸運を祈る。くどいが、「世間並みの幸福」に収まるための妥協をしたければ、別にそれは否定はしない。そんな幸福が似合う人のほうがむしろ多いだろう。

・ただ、妥協の果てに、他人頼みゆえに不満だらけの人生、常に比較の基準が「他人」なので嫉妬でくすぶり続ける人生を送る確率と、究極の自立に賭け、ブルーオーシャンでストレスの少ない人生を享受する確率は、同じくらいではないかと思う。たとえそこでパートナーと出会えなくても、あらゆる意味において自立を果たしていれば、同質の仲間に恵まれて前者よりもはるかに充実した人生を送ることはできる(可能性は高まる)。

・どっちにせよ、未来は不確定要素だらけである。それでも、ブルーオーシャンに賭けようというガッツある少数の女子学生は、冒険に出る。めざせ、比較対象のいない青い海。覚悟を決めたら、その決断を最高にするように最善の努力をすればいい。たぶんその努力に無我で没頭している邪念のない過程にこそ、幸福がある。

仕事こぼれネタ。今回のお仕事には使えなかったけれど、あまりにも惜しいので。

文芸春秋2000年10月号、芦田淳「上流ファッション回想50年 最高にお美しかった美智子様が示された心遣い」。

美智子さまのお人柄を伝える数々のすてきなエピソードが紹介されている記事のなかの一節。というか、美智子さまのおことばの引用です。

「芦田さん、イメージを大切になさい。そのためには死守なさい。高いイメージをつくるには苦しい長い時間がかかるけれど、そのイメージも気をゆるめると一瞬にして転落するものよ。落ちたイメージはもう元に戻らない。また初めから低いイメージで出発したら、高いイメージになることはないのです」。

ラグジュアリー・ブランディングにも通じるお話。

もうひとつ、同じ記事から、美智子さまエピソード。

「老人ホームをご訪問になる時は、『芦田さん、ご老人がいちばん喜ばれる色は何色でしょうか』とお尋ねになります。冬季オリンピックが開催される時は、『表彰台に上がる時、選手たちにはどの色が励ましになるでしょうか』とお尋ねになります。ご自分が美しく見えることをお考えになるのではなく、常に相手の立場に立ってお考えになる方でいらっしゃいました」。

自分より相手ありき。相手を喜ばせることを考える。この心がけが、たぶん、愛される美しさのシンプルにして力強い普遍的なルール。自分を美しく見せたいというエゴがちらと見えたとたん、ほんとに美しくても、そこどまり。相手の心まで届かない。それを手放すのがなかなか難しいこともわかるけれど。

仕事の延長で、真正面から不意打ちに飛んできた言葉。

You are the climax of my ideals.  I want to be  you.

あまりの唐突さにフリーズするしかなかったけれど、今まで生きてきたなかで最高に「肯定された」感があった、自分的には記念碑にしたいくらいの、想定外の、究極の賛辞。これまでの修行やら鍛錬やらがすべて報われたと感じられたセリフ。

あとから気づいたけれど、前半は白洲次郎、後半はブランメルがらみ。ひときわ感動が深くなる。

仕事は仕事、自分は自分。個人としての自分は仕事と切り離された別もの、という考えがぼんやりとあったが、おそらくこのくらいの年になればそうではなくなっているらしいことにようやく気がついた。仕事も自分の延長、というか仕事を含めての自分。それが他人の目に映る自分の姿。今さら自覚する(遅い…)。人のことはよく見える(こともある)のに、自分のことはまったく見えていなかった。

You are the fountain of my inspiration.

この言葉をお返ししたい(笑)。

Googlerになった教え子の朋美さんのご案内でGoogleオフィスツアーをしていただきました。六本木ヒルズ高層階、数フロアにわたるレジャーランドかリゾートホテルのような(!)オフィスには、ちょっとしたカルチュアショックを与えられました。すでにいろんな媒体で紹介されているのでいちいち驚きを書きませんが、これは働くのが楽しくなるだろうな~という徹底した仕掛けの数々。

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すっかり有名ではありますが、ぐーぐる湯。細部の細部にいたるまで、とことん本格的な銭湯風。富士山の絵も、国内に2人くらいしかいない専門の絵師を呼んで描いてもらったものだとか。「男湯」「女湯」(という名のミーティングルーム)からは本物の富士山が見える。

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すれちがう社員のみなさまも、クールでおしゃれ。というか女性社員は美女ぞろい(@_@;)


偶然ですが、数年前、明大にレクチャーに来てくださったデイヴィッド・マークスさんもグーグルの広報部長として勤務していました。当時はまだハーバードを出て日本の大学院を出て日本の消費行動などを研究してたかと。

都内を見下ろすガラス張りの社員レストラン(日替わりで各国料理の専門のシェフがくる。フリー。社内にいたるところにある飲食施設は、自動販売機にいたるまですべてフリー)で、3人でタイ料理のランチをしつつ、デイヴィッドが執筆中の日本の戦後メンズファッションの本(英語)の話を拝聴。ヴァン、倉敷のデニムと制服の関係、裏原などに関する知識は日本人の、いちおう専門家に近い立場の私も知らないほどマニアック(褒め)だし、話す日本語は、日本人以上に美しかったりする^_^;。

これを、グーグル社員の仕事としてではなく、個人としての趣味(?)研究、としてやっちゃうというのは、どれだけ優秀なんでしょう。

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身長190㎝超のデイヴィッド。日本ファッションのディープでクレバーな理解者として、来年あたり、再び大学にゲストとしてレクチャーに来ていただく予定です。

という仕事のいいご縁がつながるのも、朋美さんに10年ぶりくらいに再会したバーニーズのパーティーのおかげ。あのときは知人が関わるイベント3件のハシゴで疲れも限界近くきてましたが、ムリしてよかった。徹底して遊ぶと良い効果が生まれます、やはり^_^;

BLBG社長の田窪寿保さんをお招きし、英国のラグジュアリービジネスをテーマにお話しいただきました。

ブランディング、ラグジュアリー・マーケティング、イギリス人とのビジネス、アントレプレナーシップ、英国らしさとは、ジェントルマンとは、アメリカとの違い……などなど、イギリスとのビジネス最前線の現場のなかから見えてくるお話は、たいへん興味深いものでした。

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・ブランディングにおける「落差」の生かし方と「ルール」を貫くことによる差別化

・常識を疑い、常識の「逆」を行くことがブランディングの基本
    →Virginが恐竜のようなBritish Airwaysに対抗するためにとった戦略は、飛行機での旅をエンターテイメント化する、という無茶苦茶な発想だった。
  →フォックスの傘は、「閉じると美しい」。傘の常識の逆を行って勝利
・需要があるときにこそ「絞る」ことの重要性。売れるときに売れ、では長生きはできない。
  →スマイソンは、ロンドンオリンピックの時、店舗を閉めていた!
 
・「本当に好きなものを言うこと」の重要性(いかに「変わってる」かが大事)

→イギリス人社会にはいじめがない。だれもが「変わってる」ことを尊重するから。
・「クラブ」に入ると「話が早く」なること
・「本物のジェントルマン」は、(サムライのように)今では姿・形がなく、心の中にあり、自分なりのルールをもっていること
・Nobody is perfect. 完璧なモノはないが、あなたの愛情によって、完璧になる…という発想もあり
・言い訳のない人生を送るためにどうすべきかということ
・ピンチのときにはブレーキではなく、アクセルを踏め
・ロジックを鍛えろ。海外ビジネスで「土下座」は通用しない。

などなど、就活生にも、参考になること多々。

究極のブランディングの目標は、「代名詞」になること。
旅行鞄=グローブトロッター、カステラ=文明堂、みたいに。
そのための「自分軸」と「時間軸」をつくることが重要、と。

さらに、「自転車操業」=「たえず新しい冒険を仕掛け続けていくこと」の必要性も。
ビジネスの現場の話はやはり生々しくて刺激的です。人としてどうありたいかという話としても響いてくる。
私がいちばん楽しませていただいたかも^_^;

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7日(木)の夜会。スペインの陶器ブランド、リヤドロ主催、スペイン大使館後援の、日本スペイン交流400年記念チャリティガラディナー。マンダリンオリエンタル東京にて。

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200人超のタキシード&ロングドレス(とお着物)のボールルームは壮観。マンダリンは照明が暗めで色っぽくて、こういう装いがしっくりなじむのですよね。中田英寿さんも協力、大地真央さんや室伏広治さんなどのお顔も。(1613年にスペインに派遣された慶長遣欧使節団の大使)支倉常長の子孫にあたる方も参加とか。

売り上げの一部が寄付されるチャリティオークションでは、「スペイン大使館公邸での一組限定特別ディナー」とか「ウー・ルーチンによるプライベートコンサート権」とか「森田泰通デザインのリヤドロ製の馬」とか、限定感たっぷりのものが出品され、スタート価格から2倍、3倍、ときにはそれを超えてばんばん落札されていく。売り上げの一部はチャリティに回るそうです。落札者のひとり、あるお着物の方は、虐待されている子どもたちを救う慈善活動をされているとかで、その活動をこうした場に来る人たちに知ってもらいたい、とアピール。これもリシェス・オブリージュの一つの在り方?

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先週の京都のパーティーでご一緒したばかりのVerbalとも再会! オークションにはVerbalの新作に「出演」する権利も出品されていて、高価格で競り落とされていました。

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サングラスをかけてないと気さくでやさしい笑顔の持ち主なのですが、写真を撮るときにはさっとサングラスをかけてクールに決めてくれます。そんなイメージの集積が(アーティストとしての)ブランドイメージになるのですね。ささやかな努力の積み重ねが大きな結果の違いを生む。見習わねば。

富山在住の父(77)が作詞家としてデビューしました。
まったく畑違いの商売をしておりましたが、
数年前から引退後を見越してこつこつと書き溜めていたようです…。
デビュー作は「八尾浪漫」。榊原舞さん歌、作詞:堀口兵策、作曲:山崎さだみ、
TWIN’Sエンタテイメントからの発売のシングルです。
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娘としては相当こっぱずかしいですが(-_-;)
ま、応援するしかないか…。
万一、お耳にすることがあったら、どうぞよろしくお願いします。

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ワードスパイの新語から、最近、知ったことば。以下、関連のランダムなつぶやき。

・Frenemy (>friend + enemy) フレネミー。初出は1953年。前からあるんですね。表向きは「フレンド」のふりをしているが、実は裏では足を引っ張る敵のこと。

おそろしい。フレネミーが10人いるくらいだったら、一人でいたほうがはるかに幸せ。

現実がそれだからこそひとしお、なのかもしれないが、フレネミーぞろぞろの「ゴシップガール」の世界が面白すぎる。すでにシーズン5の「これでもか」の世界に完全に染め上げられ中。毎回のビターな結末と教訓が中毒になる。

このシーズンで登場するダイアナ役のエリザベス・ハーレーのビッチぶりもかっこいい。投資家という設定みたいだが、なぜか職場にいつもボディコン露出過多のセクシードレス。イギリスなまりの発音にカンロクありすぎ。

ダイアナ・ペイン役のハーレー。毎日この手の姿でオフィスに。ネイト役のチャンス・クロフォードもEpitome of ideal woman と称賛。彼女は私とほぼ同年代。カテゴリーが違う方に希望を見てもしょうがないが(笑)。

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・Dioworsify (>diversify + worse)  たとえばリスクを分散させようとしてますます悪化させること。断ることができずになんでもひきうけ、結果、多様化して状況が悪化しているというのは私のことですね(T_T)

・shampaign (>sham + campaign ) インチキで不誠実なキャンペーン。とりわけ政治的なキャンペーンに対して。2020東京オリンピック決定に対しては、もちろん祝意を表するものではあるけれど、直前の首相のスピーチに対して感じたのが、「シャムペーン」ではなかったかということ。福島の汚染水の状況が完璧にコントロールされていると世界に対して言明できるって……。

ビターサイド、グレイサイド、ダークサイド、生きていれば必ずくっついてくる。あれやこれやの状況をすべて併せのんで少しでも希望の見える方向へ進まなくてはね。

鈴木光司さんの長編『エッジ』が、アメリカのシャーリー・ジャクスン賞を受賞。「変人」が40人ほど集って祝賀会がおこなわれました。神宮前の「レストラン・アイ」にて。

メニューも、アミューズからして「白い粉灰、黒い灰チュールに包まれ 塩で『エッジ』を利かせたトリュフグラス」など、祝賀の趣き。

アメリカで売るために戦略を練った、という鈴木さんのお話が興味深かった。『リング』は世界中で売れたのに、アメリカではさほど売れなかった。おそらく、日本のローカルな土地で始まりローカルな土地で終わる話だからだろう、と考えた鈴木さんは、『エッジ』の舞台をアメリカにもってきた。アメリカの砂漠に始まり、アメリカで終わる話にした。アメリカ人は、案外、知っている土地の話だと読みたがる単純なところがある。その読みが当たった、と。

日本の本が世界で「売れる」ための戦略はまだまだありそう。

貞子さんもお祝いの席にいらっしゃいました! あらためて、受賞おめでとうございます。

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尊敬するコラムニスト、闘病中の神足裕司さんが、拙著、「スーツの神話」について、こんなにも素敵なレビューを寄せてくださっていました。月曜日に放送されたTBSラジオだそうです。

http://linkis.com/p.tl/gycn

神足さんの文は、つぎのように結ばれていました。

「そして後に出合った『スーツの神話』を読んで、

スーツの威力は本当だったと確信する。
いまでも「スーツの神話」は僕のお守り的な本。
ボロボロになってしまっても、
それを直し直し着るのがスーツを愛している人の着方なのだそうだ。

それを実践しよう。
『スーツの神話』も持ち歩いてるからスーツ同様ボロボロなのです。」

泣けました…。これほどうれしい言葉があるでしょうか。私も、このお言葉を心の中に持ち歩き、お守りにしたいと思います。

神足さま、ありがとうございます。一日も早い全快を、心から祈っています。

レビューのことを教えてくれた友にも感謝します。

☆文春新書のこの本は絶版中ですが、Kindle版で「スーツの文化史」として電子書籍になっています。→の本の写真をクリックしていただくと、amazonに飛びます。宣伝御寛恕。

こぼれネタのメモ。Word Spyの新語のなかから。

☆「パーソナリティ・スパム (Personality Spam)」

ネット上にひっきりなしに投稿される、個人の生活やご意見。(Incessant online posts and messages relating to one’s personal life and interests. )

わはは。依存症すれすれの人は、スパム扱いされないように、気をつけようね~!

☆「ソーシャル・ノットワーキング(Social Notworking)」

仕事しないで、ソーシャルネットワーキングをしていること。(Surfing a social networking site instead of working)

ネットではなくノットね。こういうの、いますね、大手の会社員で、勤務時間のはずなのに、なぜかSNSでまったく仕事と関係のないところに絡んでコメント書いたりしているヒト。雇っている会社も寛大だなあ(この会社の製品はいいかげんそうだ、買うのやめよう…)としか見えません。

☆フォーダクティビティ(Fauxductivity)

しょうもない、どうでもいいことで忙しそうにしていること。偽のプロダクティビティのことですね。(Pretending to work hard; busyness that consists of trivial or unproductive activities) 

こんなふうに言われないように気をつけよう^_^; 

土曜におこなわれた、母校・富山中部高等学校の神通会(同窓会総会)。富山県知事、富山市長もOBとしてご出席。ほかパワフルなOBOGが。右となり、赤い花をつけていらっしゃるのが石井知事です。

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二次会は同期だけ、今年は「幹事年」だったこともあり、約80名の同期生。恩師がほぼ80代になっていて、感無量……。写真は師のテーブル。

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文章における「エレガンス」の感覚は、何度も書いてるが、この高校の数学の証明問題の特訓(「エレファントではなく、一行ですっきり、エレガントにやれ」)で鍛えられたような気がする。プロフェッショナルな、すばらしい先生たちだったのだ。同期生もそれぞれの分野で第一線で活躍、こういう環境でタフに鍛えられたのは、今から思えば、ほんとに幸運だった。感謝。

銀座ミキモトホールで、「花珠爛漫:中国・庫淑蘭の切り絵宇宙」展が開催されます。プレビューにうかがいました。
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中国で「剪紙」と呼ばれる切り絵。貧しい農村の女性たちの手になる民間芸術だそうです。今回、展示されている庫淑蘭は、数々の受賞歴をもつ作家ですが、日本では初公開。切り絵の上にさらに切り絵をかさねていく凝った技法の作品約30点から、ダイナミックな宇宙観と、神秘的な民間信仰、そして強い生命の感覚が伝わってきます。

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生命力がすり減ってるなあ…とお疲れの方、生活の貧しさをものともせずに、たくましくあふれ出てくる、豊かな原初のエネルギーに触れてみるのはいかが。

深い溝に転落し、蘇生した後に湧き上がる生命力のイメージたる「生命樹」から伝わる波動に、共振してしまいました。

講演するときに必ず引き合いに出している「ヒーロー・ジャーニー」にも同じメッセージがありますね。どん底からの蘇生こそが、ホンモノとして花を開かせるための勝負だということ。

8月1日から9月17日まで。入場無料ですよ!

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「剪紙娘子」の、どっしりと大地に根を張るおおらかさと愛嬌、包容力と吉祥感。心身の疲労のどん底にあったこともあり(やっぱり疲れは顔にモロに出るなあ(-_-;))、ああ、あやかりたい(笑)、と願って記念写真。

3日におこなわれた、東京神通会総会。神通会とは、そのスジの会合の名前っぽいですが、富山中部高校同窓会の名称です。

大先輩の坂東眞理子さまと。モノトーンの海のなか、警告!と退場!の色で浮きまくってますが^_^; 

坂東先生が昭和女子大学の学長になられてから、入学希望者が2倍以上に増えたそうです。信頼感を与えるこの笑顔の引力ですね。

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坂東先生をはじめ、タフで堅実でパワフルな同窓生が多いのですが(ノーベル賞受賞の田中耕一さんとか)、いちばん破壊力が強いのは、「ラーメン二郎 目黒店」の名物店主、若林くんかもしれません。3年間同じクラスでした。メディアではよく拝見するものの、忙しすぎるようで、あまり同窓会には出ていらっしゃいませんが、ワカ、元気ですか~?

昨日は、藤巻百貨店一周年の祝賀パーティーでした。おめでとうございます。

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匠の技とすばらしいアイディアをもつ職人、メーカーの方々が
全国から集まった、熱気にあふれた会でした。
大勢の人を惹きつけ、盛り上げ、つなぎ、行動に駆り立てる藤巻さんのお人柄とエネルギーにあらためて感動。

日本を元気にしていくリーダーとしてのますますのご活躍を応援します。

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美しい日本製品の数々は、機会をとらえて、ふさわしいメディアで紹介していけたらと思っています。

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不意打ちのスピーチ指名にしどろもどろ、みなさんごめんなさい。まったく自覚と経験と修行が足りなすぎです。あとから、言うべきことはやまほど出てきたのに。ほんとに情けない……。

記念撮影は、同じ「香織族」の安田香織さんと。オスカープロモーション所属でいらっしゃいます。会場で何人にも「姉妹ですか?」と聞かれました。親子ほど年は離れてはおりますが^_^; 似ている印象を与えるようです。藤巻さんつながりでお会いするのは二度目ですが、同じモンダイというか弱点を抱えることが判明、このあと二人でディープに飲みに。「香織族」の切実な悲哀(これについては、機会をあらためて、勇気が出たら、書いてみたいと思っています)を共有し、課題克服を誓い合う。戦友に年齢関係なしですね。

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26日は、パルファン・クリスチャン・ディオール主催のディナーでした。新生ルージュ・ディオールのお披露目記念。おめでとうございます。フランス大使公邸にて。ルージュ・ディオールのミューズであるナタリー・ポートマン、駐日フランス大使ご夫妻もご一緒でした。

ナタリー・ポートマンは高校時代に日本語を習っていたそうです。
でも今覚えている日本語はこれだけ、と紹介してくれたことばが…

「(私は)トリドシデス(酉年です)」

ポートマン、楽しすぎる!

雨の中、ライトアップされた広大な庭園はなんとも幻想的でした。

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同じテーブルでご一緒したパワフルな方々。画家の松井冬子さん、ミュージシャンのシシド・カフカさん、そして映画監督の安藤モモ子さん。

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一見、クールな印象の方々ですが、それぞれに率直で愛らしくお話楽しく、その魅力的なギャップに、私が男だったら間違いなくホレていました(笑)。予想外に盛り上がり、別れがたい気分に。

ディナーが始まる前のカクテルタイムでは、テラスにて、メディアでお見かけするものの初対面という美女(&美男)の方々に大勢お会いしました。

左はヴァイオリニストの松本蘭さん、右はビューティージャーナリストのSAKURAさん。二人とも、吸い込まれそうな、凛とした魅力の持ち主。

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野宮真貴さんとも「クロワッサン」での対談以来、久しぶりにお話することができました。いつまでも年をとらない妖精のようにチャーミングな女性です。

そんなこんなの花も実もあるパワフルな美女たちとお話をして、日本女性の頼もしい底力を感じた日でもありました。

昨夜はダイナースクラブ イタリアンレストランウィークのレセプションでした。イタリア大使館にて。和洋がいい感じで折衷した、広大で美しい庭は眼福もの。

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レストランウィークは11月2日(土)~17日(日)。参加レストランは関東を中心に114店舗。

「ラ・ベットラ」の落合務シェフと記念撮影などしつつ(天然ミーハー…)、

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いろいろな方々とおしゃべりを楽しんでいるうちに、抽選会となり・・・。

なんと、アリタリア航空さんがご提供くださった、イタリア往復ビジネスクラスの航空券を引き当ててしまいました。 神様ありがとう! 昨年もPTA代表というでかいクジを引き当てましたが^_^; 「PTAおつかれさま」の天からのギフトかな?と思いたい。笑。さらに世の中に3倍返しのつもりでがんばらなくてはね!

今年は「日本におけるイタリア」年なのだそうですが、「日本におけるイタリア」といえばこの方、ファッションディレクターの干場義雅さん。大学にも講演に来ていただいたことがありますが、会場で久しぶりにお目にかかりました。男性誌・女性誌の枠をはずした男女セットのライフスタイル誌、クルーズの雑誌の創刊準備中だそうです。

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昨日発売のWWD Vol.1753、ギャッツビーナイトが載ってました。

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ドン小西さんのとなりにいますが、これはそれぞれの写真を合成したコラージュ^_^; 上の川島なお美ご夫妻だけはセットかと。

この号の最後の「ファッションパトロール」に「おフェロ」という新語が。メスガールを生み出した雑誌「アール」が7月号のセクシー特集で「おフェロなワンピ生活」を提案しているのだそうです。「エッチでキュートに生きるためのフェロモンたっぷりのワンピース」。笑。エロ五段活用がすっかり飽きられた後に登場した、おフェロ。このゆる~くて楽しげなコトバの感覚、脱力しながらも、いいですね。

ブルックスナイトに戻ります。どさくさにまぎれて、この日、着ているのは、ソフィー・ヒュームというイギリスの新進デザイナーのセットアップ(ノースリーブトップ+スカート)です。表面は、恐竜柄のカットワークだけで作られています。その合間から、下のシルクのライニング(?)が見えるという、奥行きのある面白い作り。ライトが当たっている下の写真だと、恐竜柄がはっきりわかるでしょうか…。昨年、ヴァルカナイズで出会い、この時代にこれだけのものを作ろうとするデザイナーの心意気を応援したくなって、「投票」のつもりで買いました。着るのに緊張を強いられる技巧的カットワーク+ティラノザウルスは、おフェロには程遠いですが^_^;-。

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HPと名刺のデザインを作ってくださっているのは、(株)アークコミュニケーションズさん。CEOの大里真理子さんが大学の文学部で一緒だったというご縁でお願いしています。
30年前の互いを知るだけに^_^;、直視したくない真実をきっぱり言ってくれる貴重な友人でもあります。南青山の「モザイク」にて久々にランチ。

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クラウドファンディングによる奨学金制度を実現させた実行力の持ち主でもあります。東京大学に進学したいけれど経済的に困難、という地方の女子学生を対象とした奨学金制度です。出資者(寄付者)は卒業生。昨年度は、退職金をすべて寄付してくださった方もいらしたそうです。
お心当たりの女子学生が身近にいらっしゃれば、ぜひ、この制度を教えてあげてください↓

http://www.u-tokyo.ac.jp/stu02/h02_12_j.html

☆その後、ほかの仕事の打ち合わせ。アルマーニ表参道に併設されたカフェにて。カプチーノを頼んだらドルチとビスコットもついてきてちょっとうれしい。インテリアもアルマーニらしくて楽しく、気分が上がってしゃべりすぎ。反省。

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背景の半ズボンモデルの写真の前に座っているのが私です。写真もこれくらい大きいと爽快ね。

点、点、点。たどって半年前の自分に戻ってみると、誰これ?みたいな(笑)。同じように、半年後、別人になっていればいい。パリ帰りの「サブリナ」のオードリー。パリ帰りのアン・ブーリン。半年後、別人になって帰ってきたヒロインの例は事欠かない。現実にパリに行くわけにはいかないが^_^;、脳内で半年間、留学するつもりになればいいのだ。再会したら変身してた!というほうが人を感動させる。あの猿岩石の有吉くんが、この有吉に化けて戻ってきたのか!(感慨ひとしお)みたいに。細胞は三か月で入れ替わる。そのひとつひとつに変化のタネを植え付けるイメージでいけば、半年で激変する。

脳内を変化させる最大の刺激は、苦味だと思う。苦い思いとか苦い経験、これをほっとかないでなんとかしようとすれば、自分を変えるしかない。もちろん、なんにもしないで苦味を蓄積しておくというやり方も、それはそれで味わい深い。

(こうしよう、とか、こうすべき、なんてことをだれか他人に押し付けたり、推奨したりすることなんて、恥ずかしくてできるわけがない。生き方やコミュニケーションの流儀みたいなものは、そのひと固有の経験と性格から決まってくるもの。)

☆苦味といえば、ヴェスパー・マティーニ。2006年版の「カジノ・ロワイヤル」では、ボンドとヴェスパー・リンドによる、パンチの利いたオトナの会話が。

B:I think I’ll call it a Vesper.(これをヴェスパーと呼ぼう)
V:Because of the bitter aftertaste? (後味が苦いから?)

B:No, because once you’ve tasted it, that’s all you want to drink(一度味わうと、他の酒が飲めなくなるから)

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「カジノ・ロワイヤル」の原作が書かれたのは50年代半ば。イギリス産のゴードンズ(ジン)、フランス産のキナ・リレ、ソ連産のウォッカ、米国産のレモンピールを混合するというのは、世界平和への願い、なんだそう。(東理夫の「グラスの縁から」)

などとすぐウンチクに走るのが私の欠点ね。わはは。

ボンドとヴェスパーに戻ると、こんな色っぽいセリフが出てくる前の二人の会話も苦み走っている。

カジノに向かう車の中での会話。スイートに一緒に泊まることになったけど、寝室は別、という話の流れの中で、

V: Am I going to have a problem with you, Mr. Bond? (私がいて、なにかモンダイになる?)
B:No, don’t worry, you’re not my type. (心配無用。オレのタイプじゃない)
V:Smart? (アタマいいから?)
B:Single (独身だから)

渋すぎ。半年後、こういう苦みばしった渋い大人の会話を、複数言語(方言含む。笑)で自然に交わせるタフなレベルにまで変身できるかどうか。

サライ連載記事のため、青山フラワーマーケットにて取材。本社のオフィスのいたるところに花があふれ、取材の間中、なんだか幸せな気分でした。

写真左は、同社の「センスの源」と呼ばれるブランドクリエーターの江原久司さん、右はマネージャーの拝野多美さん。
ご協力ありがとうございました。

ちなみに、テーマは、紳士の花贈り、です。もっともっと、花を贈りましょう。花を贈っていただいた人は、一生、忘れません。詳しくは本誌にて。

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双子座が新月に入る。願いごとを書くチャンスですね。仕事上の願いごと(というか、こうするという意志)を決めた直後に開いた朝日新聞に、たまたま天啓のような記事がふたつ。

その1。6月7日(金)付の天声人語。DJポリスさんのお話。知らなかったので、Youtubeでチェックしたらたちまち現場の映像がでてきた。なんという便利な時代になったの。

サッカーの日本代表がW杯出場を決めた4日夜の、渋谷交差点を埋めた大群衆を指揮車の上から誘導し、けが人も逮捕者も出さなかった快挙をなしとげた「おまわりさん」の話。

「警備にあたっている怖い顔をしたお巡りさんも、皆さんと気持ちは同じです。皆さんのチームメートです。チームメートの言うことを聞いてください」「お互い気持ちよく、きょうという日をお祝いできるよう、ルールとマナーを守りましょう」「声援もうれしいですが、皆さんが歩道に上がってくれる方がうれしいです」。

遅まきながら、映画みたいなあっぱれなお仕事ぶりに感動。理じゃなくて情。対立構造じゃなくて、協力をよびかける。威嚇じゃなくて、共感。権威じゃなくて、個の自由。思い込みや偏見を覆されて、なんだかものすごく自由で爽快な視界が開けてきた感じ。「琴線に触れる」ってこういうこと。

天声人語の書き手は、「どうやって自立した選手になって『個』を高められるか」(本田圭祐)にDJポリスの気概を重ねて結んでいたが、まさしく同感。

Voix Populi: DJ Police keeps order with flair

その2。9日(日)付「仕事力」。リシャール・コラスさんの第2回目「ブランドの『腰に立つ』」。

・「創業者のココ・シャネルは、上流階級の女性ではなく活動的なキャリアウーマンでした。(…)シャネルは短髪にし、動きやすいスタイルで仕事に没頭していました。ショルダーバッグ、ジャージ素材の服、筒型の口紅、パンツルック、日焼け止めなど、全ては働く女性のために、シャネル自身が機能を追求した発明です。私はそのキャリアウーマンの志をもっと日本で広めるべきだと主張しましたが、これが難航しました。猛反発の理由は、『高級ブランドとして確立した価値を下げてしまうのではないか』という懸念です。しかし、そのように守りに入って、次にどんな成長が望めるでしょうか。『守る』という姿勢で閉鎖的に思考停止してしまったら、あとは死にゆくのみ。私はそう強く主張して『ブランドを活かす』方針へ舵をとりました」

・「会社のブランドと共に自分の力をどう伸ばしていくか。必要なのはまずブランドが社会の中で求められているポジションや、価値をつかみ、徹底して自社のフレームを学ぶことです。そしてちょうどストレッチをするようにそのフレームを引っ張って広げていくイメージをもつこと。(…)一人ひとりが自分の仕事の中で、時代を読みながら、どんなに小さなことでも冒険的に新しい発想をしていくことが必要なのです。あいさつ文の一行を考え抜いて変える、お客を楽しませるイベントを企画する。どんなことでも、ブランドのために動こうとする視点が必ずあなたの仕事力を育てます」

・「腰の真上に立つ。腰に重心を置く。重心を決めて胸を開いて座ると、自分の体がしっかりと落ち着き、オープンに自由に動けるのです。『ああ、ブランドと同じではないか』と思いました。スピリットという土台に腰を立たせると、上半身は自分らしく解放されるのにぶれないからです」

DJポリスさんがやったことと、リシャール・コラスさんがなしとげていることには、共通点がある。大きな組織の一員ではあるのだが、そのゴールを見極めて、目的のために、個のパワー全開にして、自由に冒険していること。その結果、ブランド(機動隊なり、シャネルなり)の社会的な価値も高まっていること。

新月のタイミングで見せていただいた、すてきなお手本二例。

Richard Collasses: Sold on brand Japan

「ルレ・エ・シャトー・ジャパン2013」のレセプションでした。

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会場は、国立近代美術館内のレストラン、L’art et Mikuni(ラー・エ・ミクニ)。テラスもある、こんなにモダンですてきなレストランが美術館内にあったとは!

「オテル・ド・ミクニ」の三國清美、「ラ・ベガス」の渋谷圭紀、「サン・パウ」の岡崎陽介、「古今青柳」の小山裕久、「神戸北野ホテル」の山口浩、「柏屋」の松尾英明、各シェフが勢ぞろいしたお料理に、「あさば」「強羅花壇」「ホテルアナガ」「扉温泉」「明神館」「べにや無何有・別邸」「仙寿庵」といった超有名お宿(どちらにも宿泊したことはありませんが……^_^;)のオーナー各氏がホストし、さらには今年のアンバサダー、サルヴァトーレ・フェラガモ夫妻がおもてなしくださいました。 フェラガモのワイン、IL BORROもおいしく、きらびやかな一夜でした。

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ミーハーに、フェラガモご夫妻と記念撮影。長身ですてきなカップルでした。奥様はオフホワイトよりのベージュを華やかに着こなし、ひときわ目立っていらっしゃいました。イタリアンマダムの貫禄ですね。

ご参考までに、「ルレ・エ・シャトー」とは。

1954年にフランスで誕生した、世界的権威を誇るホテルとレストランの会員組織。5Cで表される基準による厳格な審査をクリアしたホテルとレストランのみに加盟が認められてきました。

選択基準となる5Cとは。

Courtesy (心のこもったおもてなし)。Charm (洗練された魅力あるスペース)。Character (特色や個性あるスタイル)。Calm (落ち着きやリラックスできる場所)。そして、Cuisine (質の高い料理)。この5つの要素を見たし、5つの要素すべてにおいて、「ホンモノ」であることが求められる。「世界のどこにおいても、世界にただ一つ」であることが、その精神で、似てるところがどこもない、というのが特徴。
 

2013年には、世界60カ国で、520のホテルとレストランがメンバーになっているそうです。
 

5月28日は、占星術によれば、10年に一度の、双子座の大幸運日ということだった。

たまたまその日に、グローバルに活躍するビジネスパーソンと、濃い会話をする機会に恵まれた。

他人のご機嫌をうかがうムダな時間があれば、孤独にすごし、人生をより深めることにエネルギーを費やすべきこと。いまできる最高の無茶をすること。人付き合いにおいては上善如水さらさらと、でも自分のインサイドは血のように濃く情熱的であったほうがいいこと。全てを見せず、ミステリアスであるべきこと。未踏の領域も、冒険を楽しむつもりで挑んでみること。二流の世界におけるNo.1と、一流の世界における最下ランクのもの、どちらかを選択しなくてはならなくなったら、一流の世界における最下ランクを選んでみるべきこと(もちろん、余裕があれば一流におけるNo.1を選ぶにこしたことはない)。

会話なので、それこそ、その場限りのものとしてさらさらと流したほうが粋なのかもしれない話も多々あったが、スケールの大きな活躍を支える発想の数々に、こうありたいという理想の世界とのチューニングが合ったような思いをする。狭い世界の些細なことにいちいち優しい態度をとり、貴重な時間とエネルギーを注ぐのはもういいかげんやめよう。どうでもいいこととつきあっていれば、傷つくこともないかわりに、さしたる感動もない。根拠もないことをとやかく言う人がいれば、それはヒマなその人の問題であって、私の問題ではない。千手観音的あり方を卒業しようと決心できた、大幸運日。

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一軒家、3階建てのバー。CITABRIA BAR。秘密めいたコードを入力すると扉が開く…。

3日、4日と、一年にほぼ1回できるかどうかの家族サービス。30周年を迎えたネズミの国のリゾートへ。

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48時間、「姫」を封印して^_^;、「七人の小人」役を1人でやっていたらさすがに疲れたけれど、ファミリーの笑顔を見たらすっかりリフレッシュできた。日頃、溺死寸前の生活ながらなんとかサバイバルできているのは、ひとえに、ファミリーのセーフティーネットが支えてくれているおかげ。ちょっとは罪滅ぼしできたかな。

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2日間、気持ちのいい快晴に恵まれたことに感謝。ひたすら寛ぎたいときには、ゴミひとつ落ちていない、うそくさい人工の「自然」もまた、いっときの癒しになります…。

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ちょっと話が飛びますが。

実は30年前、このテーマパークのプレオープンに来たことがある。学生時代から旅行雑誌のレポーターなどの仕事を始めていたことはあちこちで書いているのだが、このテーマパークのリポートの仕事もたしかその一環だったと思う。一緒に行ったのが、今は環境ジャーナリストとして最前線で活躍中の枝廣淳子さんである。当時の「旅行読売」に、「同級生」二人でレポートした温泉地の記事なんかが載っているはず(二人とも姓が今とは違いますが)。まさか30年後、お互いにかくもぜんぜん違う方向(?)の仕事をしているとは、「夢の国」のなかでは夢にもにも思わなかったなあ。笑。Life is mysterious…

昨日、あるプロジェクトの打ち合わせの後に連れて行ってもらった、とっておき感のあるバー。渋谷の猥雑すぎる喧騒の中に、「え?」とびっくりするような静かなたたずまいの店が。


昭和初期の古い民家を改造した、レトロモダンな「Bar すがはら」。天井には、どっしりとした梁が見える。

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靴を脱いでスリッパに履きかえて、厚い一枚板で作られたバーカウンターに座るのだけれど、照明といい、雰囲気といい、あらゆる要素がなんとも落ち着くのですね。お酒の種類も多い。

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ぎくりとしたのは、芋虫がまるごと入ったお酒の瓶。酒好きの間では常識なんだそうですが、私は初見。メスカルという、まあ、テキーラもこれの一種、というお酒らしいのですが、生の芋虫を入れることで、アルコール度数が正しく高い、という証明になったとのこと。(ある程度高いと、芋虫がそのまま保存される) 

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ボトルの最後の酒を注いで、芋虫がでてきて、それを飲み干したら幸運が訪れるのだとか。メキシコではイモムシを粉状にひいた食品もあるそうなので、まあ、別になんということはないらしいのですが・・・。それにこんな程度でぎょっとしていたら、マムシ酒とか、さそり酒なんてどうなる。でもやっぱり、芋虫さんとひきかえの幸運は、ちょっと遠慮したいかな^_^; 私はおとなしく、イチゴのカクテルにしとく。でもイチゴの形状っていうも、改めてみると不気味だな。最初に食べた人は勇気が要ったかも。イチゴも芋虫も神の創造物という意味では平等のはずなんだけど。

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芋虫メスカルのようなキャパ超えのモノや、民家改造バーのような新しいイマジネーションに出会うたび、およそ人間の想像力とタフネスに限界はないことを思い知らされる……。

大量の仕事と連日の社交で少し疲れが出たのか、昨日は熱まで出た。悲喜こもごも、いろんなことが盛りだくさんに起きた一週間だった。コントロールできないことが暴走している現実もある。どんなにそのことを考えても現実が変わるわけではない。コントロールできるのは自分自身のみ。そんなときは、ひたすらブッダとか千手観音(になった自分)をイメージする(笑)。すべて受けとめ、対処できることには善処し、くだらなすぎることは、微笑んで流していく努力をする。しかるべき時がくれば、すべて、納まるべきところへ納まるだろう。心の痛みも、少しずつ、癒えていくだろう。そんなふうに考えながら安らかに過ごすには、まだまだ強い意志の力が要る。闘いの本当の相手は、外界の「敵」ではなく、自分自身だと思う。

PTA総会も無事終了し、次年度の役員へバトンタッチした。フルタイム率が高かったメンバーだったが、だからこそ、「慣例」をばっさばっさと省略して、風通しのいい効率的な運営ができた。ひとりひとりが、忙しい中でも「自分ができること」に貢献、というポジティブな姿勢だったので、横並びの協力体制がスムーズにできあがった。生活のペースや性格に応じた役割分担が、ごく自然に定まっていった感じ。いざ前向きで明るい気持ちでやってみれば、一年前の心配はすべて杞憂だった。もちろん、想定外のトラブルは起きるし、それなりのエネルギーを使ったのでたいへんはたいへんであったけれど、仕事やただの社交では得られない、貴重な、得難い経験ができた。こういうメンバーとともに奉仕することができたことを誇りに思うし、心からの感謝でいっぱい。総会を終えて帰るとき、ともに役員をつとめた友人が「かぐや姫が月に帰っていくみたい」とつぶやいた(笑)。かぐや姫はさすがにないけど(-_-;)、一年間「アウェイ」でがんばった感はあるかな。アウェイに身を置いてみてこそ、見慣れたはずの景色も違って見えてくるし、自分自身も強くなっていける。とりあえずしばらくは、PTAに時間をとられて滞っていた「ホーム」の仕事に全力を尽くさなければ。

そんなこんなの各種イベントがてんこ盛りだった今週、いちばん寛いで楽しかったのは、イギリス関係者数人と久々に「ル・パラン」を訪れた時。

ターンブルアッサーのフラワーホールドは、数回来てなじみになったらようやく教えてもらえる、とか、

ビスポークと吊しの両方着こなせてこそホンモノ、だからチャールズ皇太子のターンブルアッサーの吊しは正しいとか、いやそうではない実はあれには裏があってほんとうのところは、とか、

Vulcanize Londonの"z"、あれは正しくは"s"なんだけど、モンティパイソンみたいな意味があってあえて"z"になってる、でも別にそれは一般に知られなくてもよくてわかる人がわかってニヤッとできるのがいい、とか、

ここ(ル・パラン)のインテリアは完璧だけど、これで床がミシミシと言ったらもっといい、とか、トイレも昔のロイヤル・ドルトンの絵が描いてあるやつを探してこなきゃ、とか、

延々とマニアックな議論で12時まで過ごしたシンデレラタイム。

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通常のマティーニより強いボンド・マティーニを2~3杯飲んで平気という酒豪ばかりだったが、さすがにマスターは私には配慮してくれて、小さなバカラグラスに作ってくれた。勝手ながらこれをボンドガール・マティーニと命名させていただきます。

かぐや姫やらシンデレラやらボンドガールやら、なんか今日は厚かましいわね(-_-;) ま、せめて脳内だけでもヒロインになりきらないと厳しい現実はなかなか乗りこえられない、ってことで、ご寛恕ね(T_T)。

 

木曜夜、マルキシさんの主催で、ブリティッシュ・プレミアム・ブランド・ナイト。
網町三井倶楽部はパープルの照明でライトアップされ、幻想的な雰囲気。

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たくさんのイギリスブランドの逸品を間近に目にできる豪華な夜でした。服地ブランド、ハリソンズ・オブ・エジンバラが創業150周年を迎えた記念レセプションでしたが、

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あわせて次のようなブランドがブースを出していました。ダイヤモンドウォッチメーカーのバックス&ストラウス、香水のペンハリガン、

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そして傘のフォックス、テイラーのヘンリー・プール…。

会場は盛装のゲストで大盛況でした。ライトアップされた広大な庭園にはアストンマーティンが三台。レアな一台は、岐阜のオーナーからわざわざこの日のために借り受けてきたものだとか。

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写真は主催マルキシの三代目社長の岸秀明さん。お招きありがとうございました!

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この一週間、入学式やら新学期やらパーティーやら食事会やらで幸運な出会いに多々恵まれた一方、別れも目白押しだった。仕事やら所属研究会やら所属団体やらが異常に増えすぎてどうにも中途半端なことが多くなってきたので、エネルギーを集中して成果を出すためにいくつかをナミダをのんで脱けさせていただいた。あまりにも不義理と身勝手を繰り返す友人に断腸の思いで別れを告げたり、ふとしたことで機嫌を損ねさせた友人に去られたりもした。大波のように押し寄せる出会いと別れの波に感情が落ち着かず、昨夜は寝不足の上に酔いがまわって柱でしたたかにまぶたを打ち、今朝起きたら右まぶたが青紫色に内出血していた。打ったのがこの場所でよかった。ナチュラルアイシャドウとしてごまかせる。たぶん。私はやはり強運のもちぬしだ(と思うことにする)。別れの儀式のトリは今朝、PTAの仕事を通してお世話になった副校長の離任式。「きちんとお別れをする」ということの大切さを痛感する。役員全員でお送りした花束。「カスミソウとパステルカラーはやめてね」と注文したらこっくりとシックにまとめてくださった。いつも<特別な気持ち>を美しく表現してくれる、大好きな花屋。

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Don’t cry because it’s over.  Smile because it happened.  ~Theodor Seuss Geisel

「終わってしまった、といって泣くんじゃない。終わらせることができた、と笑いなさい」。

癒えがたく思える痛みにも、「日にち薬」が確実に効いていくだろう。そして新しいシーズンの幕が、開いていく。

<追記>新しいシーズンの目標などを考えていたところ、タイミングよく、ジュン アシダの超優秀プレス、クマイさんが、先月のTae Ashidaコレクション会場での写真を送ってくださった。撮られていることを意識していない一瞬なので、他人の目に映る自分を、ヒトゴトのように見ることができる。なんだか、カンロクあるなあ。体型もだけど、雰囲気も。顔の各パーツは大きすぎるし、骨太だし。これは、コワイわ。笑。でもまあ、両親も子供もおんなじ顔だし。この現状をまず自分が真正面から受け入れていくことからしか、新しいスタートはなさそうですね。

先日、友人のバースデーパーティーで会った「メンタルコーチ」のような方が、「あなたに必要なのは、新しいことを開拓していくんじゃなくて、本来の自分を整理すること」と助言してくれたことがひっかかっていた。当面の目標はこれかな^_^;。

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日本の同質性を脱し、イノヴェーティヴな「変人」を増やそう、ということで、以前、当ブログでもご紹介したFB友、博報堂の川下和彦さんが、「HENGINE 01」(仮)会議を立ち上げました。ENGINE 01のもじりでもあるんですが、ENGINEに「H」がついただけで、HENGINE (変人)となるのは、ちょっとした発見。

金曜夜は、川下さんがHENGINEと見込んだ(?)立ち上がりメンバー、作家の鈴木光司さん、歌手の広瀬香美さん、なぜか私の4人で、変人会議。赤坂「ひかわ」にて。鈴木さん、広瀬さんは初対面でしたが、陽のオーラをがんがん発するブレのない変人ぶり。

その後の「二次会」として、鈴木光司さんのご自宅に招いていただきました。
訪れる前に聞かされていた言葉は、「ぼくの奥さんは、最高の女性で、僕の理想」。
突然の遅い時間の訪問になったにもかかわらず、奥様、お嬢様ともに、満面の笑顔、オープンハートでもてなしてくださいました。

鈴木さんと奥様は小学校時代の同級生で、鈴木さんは10歳のときにすでに「彼女と結婚する」と信じて、ラブレターを送っていたそうです。次女にあたるお嬢様もそのラブレターをご覧になったところ、「あなたは僕の太陽だ」となるべきところ、「あなたは僕の太洋だ」になっていたとか。無意識に書いた当時としては、「誤字」になるんだろうけど、現在の鈴木さんの海の男っぷりを見るに、やはりこの字しかありえない。太陽+大洋=太洋、もう無敵ですね。

お嬢様によれば、「ママはなにがあろうと、必ずパパを立てる」。
これが、「最高の女性で、僕の理想」として愛され続ける秘訣!
そういえば白洲次郎が正子にあてたメッセージにもClimax of my ideals (理想の極致)という言葉がありましたね。こんなふうに公言し合える関係は、幸福の境地だと思う。
強い信頼の絆で結ばれた、すてきなファミリーです。

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いただいたサイン入りのご著書。
両側が黒く長く垂れているのは、「貞子」のイメージだそう。笑。

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「世の中に生息する、いい変人に会わせるのも、父の重要な役割」という鈴木さんのことばで、私もHENGINEと認めていただいたことになるかな^_^; 変人は変人を引き寄せるというか、巷の評価や他人が作ったノウハウではなく、自分の心の直感を基準にして、目の前にいる人に誠実に行動していた結果、予想外の素敵な出会いに恵まれたというのが実感。川下さんと神に感謝。このまま淡々と変人やってまいります。

<補足:ご参考までに、以下、川下さんによる「H型人材」の定義です>

「H型人間とは、タテに2つの専門性を持ち、ヨコに広い視野と見識を持っている人材。
Hという文字のてっぺんとてっぺんをくっつけると、Aになります。つまり、H型人材とは“Answer”をつくり出すことができる人材なのです。

H型人材の代表と言えば、アートとテクノロジーという2本の柱を融合させた故スティーブ・ジョブズが思い浮かびます。

H型人材のHは“Hybrid”の頭文字であると同時に、同質性に媚びない“Henjin”の頭文字でもあります」

人とのご縁であれ、仕事であれ、目の前のことに対して、なにか無心で行動しているときに、ふわっと偶然のドライブがかかって、まったく予期しなかったところへ導かれ、それがこの上なく完璧な場所。ということがしばしば起こる。ぼんやりとそんな力のことを考えていたら、腑に落ちた文がコレでした。

「UOMO」5月号、「仕事の学校」から。川村元気×沢木耕太郎。

沢木「あらゆる創作物は偶然によってドライブがかからないとよりよいものにならないことがあるんだよね」

ただ、なにもせずにタナボタを待っていても、よりよいものにしてくれる「偶然のドライブ」はかからないのよね。ひたすら集中と苦闘の長い時間があって、まったくゴールすら意識しなくなった無心のときに、神のご褒美のようにそんなドライブがかかった、と感じる瞬間がある。いい仕事になった、と感じられるのはほぼこんな瞬間。出会うべき仲間と出会った、と感じられるのもこんな瞬間。自分の意志で目指した場所へ到達するんじゃなくて、意図したよりもはるかにすばらしい<圏外>へ受動的に導かれる感覚、これが至福の感覚だなあ。

自分が想定する目標なんて、タカがしれているし。もうひとつ、同誌から沢木さん語録。

沢木「1人で登れない山もあり得るわけで、そういうときにソロで生きられる力のある人が緩やかなパーティーを組むのが、何かを達成するときにはいちばん強い。だから大切なのは『どこにいてもソロで生きられる力をつけろ』ってこと。新たなパーティーに誘ってくれる人がいるときに、参加できる力を身につけておくことが生き方の理想型だと思う」

チャーチルの「地獄を経験しているなら、そのまま突き進め」の真意は、このあたりにあるんですよね。地獄のトンネルのその出口で、偶然のドライブがかかる。地獄のトンネルを抜けることができれば、ソロで生きられるタフネスを身につけていることになる。その暁に、より魅力的で強力なパーティーと組むことができるステージが待っている。

そんなパーティーと出会う秘訣(という言い方はなんだかキモチワルイけれど)は、ふりかえってみると、やはり目の前の人に対し、丁寧に誠実に接することに尽きる。「いい出会いはないかな」ときょろきょろしたりする人、「ここは私の居場所じゃない」と心ここにあらずのような人には、だれも寄ってはこないのだ。いまこの瞬間、目の前にいる人に対し、あたたかく誠実に接していると、その人が、友達とか縁者を次々に連れてきてくれる。そんな、友達の友達の友達のなかに、お宝のような出会いがある。

昨日は山室さんの訃報に、すっかり打ちのめされたようになっていた。現場での取材活動に誰よりも熱心で、誰よりもボキャブラリー豊富に、誰よりも早く、誰よりも楽しそうに、誰よりも大量に、それを伝え続けてきた人だった。権威などものともせずに批判し、弱い人は全力でかばい、新人を熱く応援する、フェアな人だった。ファッショナブルであることに臆さず、いつも舞台衣装のように決めたファッションで、周囲を明るく楽しませてくれた。明治大学に講義にいらしたときだって、ピンクのジャケットだった。気分はいつも「ヒロミ・ゴー」で、でもそれがぜんぜんイヤミじゃなく、キャラクターとして溶け込んでいた。私の書くものを「同業者で唯一、嫉妬する文章」と評してくれた。最高の讃辞だった。まちがったことは正々堂々と批判するけれども、それが正当なものだったので、誰からもリスペクトされ、愛されていた、唯一無比の人だった。こんな、ファッション界にとってお宝のような人が、キャリアの絶頂でこの世を去るというのは、あまりにも惜しいし、あまりにも悲しい。

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写真は昨年、ゲスト講師としてレクチャーしてくださった山室さん。学生の質問も真正面から受け止めて、真剣に答えてくださった。

53歳。なんだよそれ。この前亡くなったばかりの山口淳さんも52歳だった。なんでいい人ばかりが、才能のある書き手ばかりが、早く去るのだろう。

このところ、張りつめて、あれもこれも完璧にしなくてはと無理して頑張りつづけてきたのが、この訃報で、ぷつんとなにかが切れたようになって、しばらく虚脱状態になって沈み込んでしまっていた。

そんなところへ、カルチュア・コンシェルジェでもあるル・パランのマスターから「クラウド・アトラス」がよかったというお勧め映画のメッセージが届く。ほんとに偶然なのだが、これは、「一つの死は次の生の扉を開くこと、全ての生や魂はつながりあっている、そんなテーマの映画」とのこと。バーカウンターを離れても、いつだってこの方は、絶妙のタイミングで最適の言葉をそっとさしだしてくれるのだ。ありがとね(涙)。

元気を出してください、と教えてくれた映画のセリフがこれ。

「命は自分のものではない 子宮から墓まで 人は他者とつながる 過去も 未来も すべての罪が あらゆる善意が 未来を生み出す」

Our lives are not our own. From womb to tomb, we are bound to others. Past and present. And by each crime and every kindness, we birth our future.

そのように考えていくと、山室さんの急死も、決して単なる喪失などではなく、必ずやどこかでつながって、新しい生、新しい未来を、確実に生み出しているのだと信じたくなる。

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少なくとも、多くの人々の心に、確かな善意のくさびを打ち込んできた人だ。その人たちが生きて、山室さんならどう考えるだろうという視点で、考えて、行動することで、山室さんの志が未来を生み出したことになる。そのように生きることが、いちばんの弔いになるのかな。

人の最期に臨んでみて、ありありと実感することば。Book of Quoteより。

「人生の終わりになって本当に重要になってくるのは、購入したものではなくて、築き上げたもの。得たものではなく、シェアしたもの。能力ではなく、キャラクター。成功ではなく、意義。価値のある人生を生きなさい。愛のある人生を」

"At the end of life, what really matters is not what we bought but what we build; not what we got but what we shared; not our competence but our character; and not our success, but our significance.  Live a life that matters.  Live a life of Love…"

Muro, You lived a life that really matters. Please Rest In Peace.

昨日は次男の小学校卒業式。ミッションPTA代表、壇上で挨拶。長くハードだった6年間を思うと、うるうるしそうになりましたが、なんとかお祝いの言葉を読みあげました。専門分野の講演とはまったく違った緊張がありますね(-_-;) 泣かないように気を散らしつつ、かつ、心を込めて読むことに集中しなくてはならないという難しい仕事でした…。慣れたころには一年間の任務が終了する。PTA総会まであと一か月のおつとめです。

仕事多すぎで子どもに完璧に手をかけられなかったときでも、地域や友人のあたたかなネットワークがあって、すくすくのびのびと育ってくれました。背丈はもう私を超えそうです。みなさんほんとにありがとう!

Graduation


コドモの式服は、ビジネスマンのコスプレのようなスーツ(笑)。女子学生の制服ファッションは多種類あるのに、男の子用の式服となると、ブレザーかスーツ。しかもサイズが微妙に中途半端。160~170センチくらいの「男児」服というのが案外、ないのである。キッズサイズだと小さすぎるし、大人サイズだとデザインが老けすぎて合わない。海外ブランドのラルフローレンみたいなところにはあるのだが、高価なので、フルラインでそろえるのも厳しい。どなたかこの分野を開拓してください。

ミッションPTA。地元の中学校の卒業式に「来賓」として出席してきました。お客さんなのに、もらい泣きでうるうる。卒業式はいいですね。心が浄化されていきます。「大地賛歌」の合唱を聴いていたら、15歳だったころまでタイムスリップさせていただきました。

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「<卒業>はコンセプトにすぎない。毎日、あなたは<卒業>するのだ。<卒業>は人生最後の日まで続くプロセスなのである。それを理解できれば、大きな違いを生み出すことができるだろう」

Graduation is only a concept. In real life every day you graduate. Graduation is a process that goes on until the last day of your life. If you can grasp that, you’ll make a difference. by Arie Pencovici

創刊から延々と愛読している雑誌のひとつに「25ans」があって、そこに数年前から執筆者としてお声がかかるようになったのは感無量なのだけれど。

さらに、ライフ・イズ・ワンダフル&ミラクル&ビューティフル(笑)と感激することが。90年代から「香港マダム」としてしばしば25ans誌面に登場していらして、雲の上の方だと思っていたかっこいいマダム、坂巻恵子さんと、お会いしました。昨日のことです。半年ほど前にFB友になり、ここしばらくコメントやメッセージなどのやりとりをしていたのだが、マダムから「お会いしましょう」のお誘いがあり、ランチをすることに。

勢いで、またとないよい機会だからと、BIANCAオープニングで偶然お会いしたFBマダム友、花千代シンガーさんもご一緒に。青山のTWO ROOMS GRILL & BARにて。食後のコーヒーはテラスにて。陽射しがもう春でした。

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中央がシンガーさん、右が恵子さん。おふたりともほんとうにクールかつ刺激的なマダムで、知らない世界のあれやこれやのことを楽しく教えていただき、あっというまに時間が経過していました。なんというか、眠っていた細胞の一部が「覚醒」した気分である…。人は人からいちばん大きな刺激を受けますね。

帰途、発見して即買いしたジョエル・ロブションとエビスのコラボビール。冬は冷えるのであまりビールを飲んでいなかったけれど、これはかなり華やかな風味。脳内にぱあっと春の到来を感じるような味でした。

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懸案の仕事も続々と会心の仕上がり、注文主様にもとても喜んでいただけた。ポジティヴなオーラに触れると、脳内も良い感じに回っていくのかな。縁のないものは執着せずに手放してしまう、そうすれば、もっとふさわしい新しいものがやってくる。ほんとにそう、と実感した一日。

楽しみのひとつだった、朝日新聞の谷川俊太郎さんの連載が終了してしまった。4日(月)夕刊。

3月の詩 「そのあと」も、暗誦したい力強く美しい世界。

「そのあとがある 大切なひとを失ったあと もうあとはないと思ったあと すべて終わったと知ったあとにも 終わらないそのあとがある

そのあとは一筋に 霧の中へ消えている そのあとは限りなく 青くひろがっている

そのあとがある 世界に そして ひとりひとりの心に」

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「芸術家の作品はすべて、彼の魂の冒険の表現であるべきだ」by サマセット・モーム

“Every production of an artist should be the expression of an adventure of his soul.”
― W. Somerset Maugham, The Summing Up

そのあとの世界を冒険する勇気が与えられますように。

「アンナ・カレーニナ」がすばらしすぎて二度見。当初、あざといと見えた演出に慣れると、物語の本質というか、時代が変わっても変わらない人間の真実があますところなく描かれていることがわかる。だからこその古典なんですね。

大学の文学部が落ち目で哀しいかぎりだけど、文学部に2年間身をおいた経験からいえば、文学部というのは、主に、人間の変わらぬ真実、時代や場所が変わっても変わらない心の動きや行動様式を学ぶところだったと思う。英語やらフランス語やらの語学じゃないのだ。まあ、いろんな考え方がありますが…。

で、ジョー・ライト版「アンナ・カレーニナ」、トム・ストッパードの脚本もすばらしい。あらためて学ぶところが多い。原稿にも書くが、書けなかった気づきをランダムにメモ。

草食男子など、この世にはいない。そいつはアナタに興味がないだけだ。絶食男子にいたっては、女が自分から神秘のベールをはぎとってしまった無謀な勘違い行為が生んだものだ。(反論も承知の上)

恋愛を幸福に続けるために必要なのは感情の素直な吐露ではない。むしろ感情の冷静なコントロールである。

不安に耐え切れず白黒決着をつけようとすると、関係は壊れる。相手に決着を強いるのは、エゴでしかない。壊す必要がないものを壊さないためには、ダメだと思ってもとりあえず放置し、ほかのことに没頭するのが正しい。時間がたって双方成長していれば、なるようになっている。

どさくさにまぎれ、FBに流れてきた英語のおことばから、思わずうなってしまった名言をピックアップ。知っておくと、心の免疫力を高めてくれますね。

「決して君を傷つけるようなことはしない、と言った人が、もっともあなたを手ひどく傷つける」"It’s funny how the people that hurt you the most are the ones that swore they never would."

「女は生涯に一度か二度、ワルイ男を愛さなくてはならない。ほんとうにいい男に感謝するために」"A woman has got to love a bad man once or twice in her life to be thankful for a good one."

「バカ者の定義。真実を知り、真実を見ていながら、なお嘘を信じている者のこと」"Definition of Stupid: Knowing the truth, seeing the truth, but still believing the lies."

「この上なく強い女は、あらゆる欠点を超えて愛し、扉の陰で泣き、誰も知らないところで闘う、そんな女である」"Sometimes the strongest women are the ones who love beyond all faults, cry behind closed doors and fights battles that nobody knows about."

ついでに、Dr.ユキコからの痛くてシンプルな真実。

「すべての理由は、惚れていないから・・に尽きます。今交際している彼、婚姻生活を送る夫の、自分へのそっけない、つれない、思いやりのない態度等につき、『なぜ、彼(夫)は、こういう行動をとるのですか?』と理由を一生懸命探そうとする女性の方がいますが、答えは簡単です。『惚れていないから』です。惚れていないから、彼(夫)はアナタに連絡もしないし、デートにも誘わないし、大切にもしないし、お金を使わないし、アナタの欠点を挙げ、文句をいい、ないがしろにするのです。いいですね?もう理由は探さないでください。理由は一つしかありませんから」

不可解な心理や行動探求の旅に、終わりはなさそうですね。真理なんて、ほんとはあるようでないのかもしれないし。Climax of Idealsへの道は遠くて険しい。To Be Continued…。

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写真はFBの「Anna Karenina」ページから。この映画、しばらくマイブームだわ。

2012年、公私にわたり、ご厚誼を賜ったみなさま、読者のみなさまに感謝します。

今年書いたエッセイは約60本、そのほかウェブや週刊誌でのインタビュー、テレビ、ラジオ、講演、トークショー、と多くの仕事を与えていただき、そのつど120%の力をだしきるつもりで臨んできました。大学にも、エネルギッシュな知人たちにゲスト講師として来ていただき、教室が一体となって白熱するすばらしい化学反応を目の当たりにしました。目の前に次々に飛んでくるボールをを片っ端から打っていた感もあり、空振りも多々ありましたが、その経験も次につなげていこうと思います。来年は延び延びになっている単行本の仕事にエネルギーを注ぎます。

図は、常に私の中にあるロードマップです。「ヒーローズ・ジャー二―」。古今東西1000人のヒーローを分析した神話学者、ジョセフ・キャンベルの「千の顔をもつ英雄」がベースになっています。神話のなかの主人公は、常に、不本意な冒険の旅に出ます。「願った通り」「予想通り」の道を行く人なんて一人もいない。その旅の道程で、師に出会い、敵と闘い、友人と会い、愛を知り、一度は死にかけ、絶望の淵から蘇り、贖罪を得て、アイデンティティと「人類を救うお宝」(あくまで喩えですが)を獲得して、元の世界に戻ります。

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私のような仕事をする者にとって、仕事の醍醐味は、予期せぬ出会いの驚き、「圏外」と思っていた人や仕事と想定外の反応が起きてしまった喜びにあります。今年は、去年まで「圏外の仕事」と思いこんでいたトークショーの現場を10回近くこなしていくなかで、神話のロードマップの意味が少しわかりかけた、記念すべき年でもありました。あるトークショーの終わりにプレゼントしていただいた、奇跡の青い薔薇アプローズ80本(写真)。これを抱え、高貴な香りに包まれた帰途の、神意にふれたかのような喜びを忘れることはできません。

Hankyu

そうそうそう、くじびきで不本意にあたってしまって、やらざるをえなくなったPTA代表職にもまた、「神意」を感じました。くじびき組がほかにもいて、ほとんどがフルタイムの仕事をもっている。時間を十分にPTA活動にあてられないなか、業務を見直し、ばっさばっさと「慣例」を削減していき、役職を超えて「できる人がやる」という風通しのいいPTA運営委員会を実現することができました。結果的に、私がいちばんラクすることになったかもしれないですが<m(__)m>、すてきな仲間に出あえたことに、感謝します。

プライベートでも、たくさんの楽しい友人に恵まれ、印象的な社交の場面をかつてないほどたくさん経験して、「脱皮」できたかな。なかでも、巳年連合(暴走族ではありません)とコットンクラブのメンバーのひとりひとりには、感謝してもしきれないほど。そのなかのひとりが忠告して曰く、「脱皮後の、表面が柔らかい時がいちばん危険」。気をつけます。畏友サツキさんは、変わらぬ大きな友愛で、破綻すれすれの私の日常を支えてくださいました。パワーウーマン8人の女子会では、「根拠なき<自信のなさ>」を喝破され、これまでうまくいかなかったあれこれの、決定的原因に気づくことができたかな。神戸ブランメル倶楽部の皆様にも、社交を通じて多くのことを教えていただきました。他にも、多くの方々とすてきな時間を共有できたこと、記憶に鮮やかに残っています。痛く悲しい思い、悔しい思いも多々経験しましたが、それも含めて、ほんとうに、いい出会いに恵まれた年でした。

ご支援いただき、見守り、助けてくださったみなさま、愛読してくださったみなさまに、心から愛と感謝を捧げます。ほんとうにありがとう。

よい年をお迎えください。

昨日、届いたWWDを開いたら、パーティーページに自分の写真が載っていた。タケオキクチ路面店のオープニングの日に、そういえば、写真を撮られていたかなあ? ……いずれにせよ、WWDデビューだ(原稿以外での)。

でも、この日、実は私は招待客ではなかったの。ココの部署にいたFB友から、たまたまこの日誘われ、仕事帰りにぶらっと立ち寄っていたのでした。しかも、コート着たままだし。なんか申し訳ない感じ。WWDさん、今度はパーティー仕様のときに撮ってください。

Takeo

芦田多恵さんの新しいブランド、Tae Ashidaのデビューコレクション。日本橋三井ホールにて。

グラフィカルなロゴ、絶妙なバランスの非対称、大胆ではっとさせる色の組み合わせ、定義不可能(なのが魅力的)な新アイテム、野性と都会性のミックス、さりげない技巧の数々に、これまでの多恵さんの集大成+新境地を見る。おめでとうございます!

コレクション終了後の会場で、女優の秋吉久美子さんとお話しする。秋吉さんはしばしば会場でお見かけするゲストのひとりで、スタイリッシュにMiss Ashidaを着こなしている。最近まで大学院に聴講に行っていたという秋吉さんは、「多恵さんのコレクションには、いつも女性の未来像を見るのよ」と。であれば、私が今回感じ取った「未来像」のポイントは、野生かな? 都会的なんだけど、どこかおさまりきらない野生のような、ワイルドな情熱があふれ出ているような女性のイメージを感じ取った。

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その後、多恵さん、藤原紀香さんらとともにディナー。マンダリンオリエンタルホテル内のチャイニーズ「センス」にて。夜景が絶景すぎ(ディズニーランドの花火まで見える)。インテリアがなまめかしすぎ。モダンチャイニーズとワインがおいしすぎ。なによりも、多恵さんも紀香さんも美しくて楽しすぎ。

多恵さんによれば、今回のコレクションは、生地選びに苦労して、時間がかかってしまったとのこと。いい生地にさえ巡り合うことができれば、「生地が勝手にドレスになってくれる」(!)くらいの勢いですんなり作ることができるのだそう。名語録入りね。

紀香さんも、ここいちばんの場面で着る洋服やドレスは、多恵さんデザインのもの。実際にお会いするのは初めてだったけれど、オープンマインドでセクシーかつタフ、しかも直情直行で進むハッピーオーラにあふれたすてきな女性で、たちまち打ち解けることができた。お店の方が今日のメニューをもってきて「なにか食べられないものはありますか?」と聞いたとき、彼女はメニューを見もしないで即答したのである。「ぜんぶ食べられます!」と。この瞬間、紀香に惚れたぞ。

やりたいと思った企画は自分で書いてプロデューサーにもっていく、というガッツも知り、プロの仕事人としても大いに刺激を受けた。やっぱり、仕事に自分スタイルを貫いてメラメラ生きている女っていうのは、面白くて魅力的で、いいわあ。

ワイルドな話題は多岐にわたり、時を忘れて心の底から幸福を感じられるようなひとときを過ごさせていただきました。ありがとうございました!

Mandarine

いまやなんでもゲームになる。ダンディだってゲームになる。Dandy Makerという着せ替え人形ゲームがあることを知った。

そのゲーム世界において、ダンディの定義は明快である。

A dandy is a refined gentleman who dressed well, dotes on his appearance and acts like an aristocrat.

「ダンディとは、服を美しく着こなし、自分の外見をこよなく愛し、貴族のように振る舞う洗練された紳士である」

な、なるほど、すっきり。こういう外見の問題だけのダンディであれば、知人にお手本がわんさといますが^_^;

ヤボを承知でちょこっとだけマジメな話をすると、「貴族のように振る舞う」ダンディが出てきたのは、貴族社会が崩壊した後の19世紀初頭。近代市民社会において、貴族のように振る舞うなんて馬鹿げているわけなのですが、であるからこそあえて、精神の貴族性を忘れず、貴族がとったような行動をとってみせるわけですね。それによって市民社会の欺瞞を挑発する。それがオリジナルダンディたちだった。

現代の「なんちゃってダンディ」たちも、平板安易簡素絆効率至上主義になんの疑問もなしに向かう時代の流れに対して、彼らなりに掉さし、抵抗しようとしています。たぶん。遠目に見たら鼻持ちならない振る舞いと紙一重だとしても。

昨日は目黒区議会の議員、鴨志田リエさんにお声かけいただき、総理大臣官邸&国会&ザ・キャピトル東急ホテルのVIP見学ツアー。議員秘書さんや建築家さんたちのマニアックな解説つきで、日ごろなかなか見られない官邸の中や、国会議事堂内の各部屋を見学させていただいた。お昼は議員食堂でのお弁当(^^)v。

新しい総理大臣官邸は緑があふれていて、天井も高く、和の美しさをバランスよく取り入れたモダンで贅沢なつくり。空気もとてもきれい。セキュリティの関係で、写真はあまり撮れなかったのだが、広い空間にさりげなく配置されたSPに、萌える^_^;

国会議事堂は、高校生くらいのときに「社会見学」した記憶がぼんやりとあるが、今見るとまた違った印象。建築といい、インテリアといい、かなり意匠を凝らした豪奢な場所であることを実感する。議事堂内部の壁の絵は、左から、日本を代表する春・夏・秋・冬の景色が描かれていることを知る(いまさら)。

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基本的にすべて国産のものを使っているが、3つだけ外国産があり、それは、イギリス製のステンドグラス、アメリカ製のドアノブとポスト。

このポストである。なんでアメリカでつくらせたんだろ。 わざわざこの漢字をアメリカ人が彫るくらいなら日本でいくらでもつくれただろうに…。

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速記は、衆議院式と参議院式があって、流儀が違うので、衆議院の速記者は参議院の速記者の記録が読めない、とかマニアすぎるお話も(~_~;)

いちばん気持ちがハイになった部屋は、ロココですかバロックですかアールヌーヴォーですかという華麗なインテリアでしつらえてあり、ここで運営委員会などが開催されるという。議長席に座らせてもらってミーハーに喜ぶの図。マントルピースや椅子やテーブルの柄に注目、です。「貴族院」の趣味だったのでしょうか。こんな時代錯誤的な場所にいると、ものすごく落ち着く(^_^;)

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ザ・キャピトル東急ホテルについては、次の記事で。

小学校の運動会。来賓の受付やらPTA代表としての挨拶やらで一日中、奔走したけど、子供&先生&保護者&地域の方々が一体となって興奮して楽しむことができた、とてもいい日だった。PTAはやっぱりやってみると、面白い発見も新鮮な感動も多いのですよね。

自分の仕事も多すぎて追いつかず、前日にお弁当の買い物にさえ行けない状況だったけど、助けてくれたのはママ友の畏友のSさまでした。「お弁当は私が作っていくから心配しなくていいわよ~」との力強いお言葉に甘え、当日は美しく盛り付けられた美味しいお弁当で、次男ともどもほっと一息できたのです。こんな太っ腹でやさしい友人たちに支えられて、なんとか、日々、やっていけている。ほんとうにありがとうございました!

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やっぱり三池崇史。どういう人に共感を抱くのか、列挙してみると、自分がどういう志向というか憧れをもつ人間かがぼんやりうっすらとわかってくる気がすることもありますね。

「ダンディズム」関連の本や記事などで引き合いに出している男たちの例がわかりやすいですね(^_^;)。

三池崇史監督もキネ旬連載時には何度も褒めまくっていた一人(「牛頭」ビフォア・アフターで映画観が変わった(~_~;))。やっぱりこの人の言葉とか作品とかたたずまいとか世間に対する態度とか、好きだなあ。朝日新聞21日付、オピニオン欄、「邦画の強さは本物か」でもやはり三池節全開で、嬉しくなったのであった。

「お金を出す側からは色々と注文があります。『時流に合わせて受けたい』という気持ちはわかりますが、実際に撮っているとおもしろくて夢中になって、つい我を忘れちゃう。スポンサーとの約束を守るよりも、『今、乗っているこの役者を、もっともっと走らせて撮るぞ!』ということになる。その結果できあがったものが、最初の約束と違ってもそれは仕方がない」

「企画はきっかけや方便に過ぎず、過程こそ映画ですから。テレビ局のプロデューサーがつくるような『企画から完成まで、客を入れるための徹底的なリサーチに基づいてつくった映画』との違いは大きいでしょうね」

映画界の窮状を嘆かず、どうこうしようという義務も責任も感じず、ひたすら現場で一番楽しいことを追求していった過程の結果こそ三池印の映画。だから筋が多少とおってなくても、ところどころ破綻していても、無茶が滑っていても、それもありだなあと笑顔で観られるのよね。

新作「愛と誠」の試写状もいただいているが、仕事びっしりで、行く時間がとれるかどうか。「愛と誠」は中学生時代に一番熱狂していた愛読書だった。それを三池監督が撮るとなれば、観るまで死ねないくらいなもの。時間ない、を言い訳にしちゃいかんな。

以下はすべて、山室一幸さんからのメッセージです。ほんとに鋭い。

「スキャパレリ&プラダ」展の記者会見がありました。アートシーンに対するコミットの仕方、二人の服作りの姿勢には、アブストラクトでありながら女性が着る服としてのリアリティという共通項がありますね。
ココ・シャネルと川久保玲という比較論で言えば、スキャパレリに匹敵するのがミウッチャという構図には納得できます。ただ、川久保さんとココの間には、美しく愛された女と、世俗的な女性の美的観念へのルサンチマンを抱えた女という隔たりを感じるのですが…。ファッション界において神聖不可侵なオーラを放つ川久保玲ですが、誤解を恐れずに言うならば、モード史上初めて美・醜というヒエラルキーを超えたクリエイションだと思うところがあって、このあたり是非とも中野さんの御見解を伺いたいものです。

ココ・シャネルと川久保玲の比較。その視点、面白いですね!川久保さんが立派すぎて、だれも言わなかった(^_^;)というか、「カテゴリーが違う」というふうに、無意識にとらえていました。シャネルは、今の女性誌風に言えば「働く女性のモテ服」を作ったのですよね。でも川久保さんは、そういった価値から疎外されている女が、それを「見下ろす」べく、超越すべく、まったく違ったカテゴリーをもちこんだ…ともいえるかもしれないですね。多くのデザイナーたちが「いや私の考えるモテはそうではない」とやってるレベルを「論外」にしちゃったことで、逆に川久保さんは一段高みに昇って、全デザイナーの尊敬を勝ち得ているところがある。…もっと考えてみたい問題だと思いました。」(2012年2月26日)

 

    • 「それと中野さんからの川久保玲さんに関するご見解、興味深く読ませて頂きました。
      昨日のFBで「美・醜のヒエラルキーを超えた」と書いた真意について、もう少し詳しく説明させて頂きます。例えばファッションに物凄く精通した醜男(特に誰かを特定しているわけじゃありませんよww)が、ランバンやプラダの最新コレクションを着て自慢気に薀蓄を語ろうとも、その傍で単なるおバカなモデル風のイケメンが考えもなしに、同じブランドを見事に着こなしている風情には敵わないと思うのです。ただギャルソンだけに関しては、そいつがイカレポンチ(死語)なルックスでも、彼なりのファッション偏差値みたいな要素が如実に出て、その偏差値によって似合う度合が表現できる服であるように感じます。
      同じことが女性にも当てはまるかは言及を避けますが、少なくとも美女、美男に生まれてこなかったファッションフリークたちの救世主になっていることは事実ですよね。
      三宅一生さんの服が民族的なヒエラルキーを超越した美学を生み出したとするならば、川久保玲さんのアプローチにはモードクリエイションの更なる奥義が潜んでいると思うのですが、如何でしょうか?」(2012年2月27日)

    • 以下は、中野より山室さんへの返信です。

      「山室さん…その指摘が業界のタブーをついていて、おもしろすぎる ^_^; みんなひそかにわかっていたことですが、決してそれを口にしてはいけなかったのですよ。『そういうオマエはどっちのつもりなんだ?』みたいな批判もこわかったりするので。『境界やヒエラルキーを超える』というのは、どの分野においても『かっこいいこと』の条件ですよね。三宅一生の超え方も納得です。川久保さんの『美醜のヒエラルキーの超え方』というのは、たしかに、もっとも難しい『超越』だと思います。『生まれ』以上に、『美・醜』というのは人間のアイデンティティ形成にとって深くかかわってくる問題だと思うので…。

      なぜなんだろう、とぐるぐる考えています。やはり『美・醜』がモテや権力に直結する不条理な現実を目の当たりにするという現実もあるからでしょうか。そういえば、川久保さんは『不条理を超えたい』とよく言ってますね。」

       

何が楽しいって、バラバラで、一見、何の関連もなさそうな断片が、脳内でつながった!と感じられたときの快楽ときたら。

ル・パランでいただいた「ブリティッシュ・フェスティバル」で火をつけられたボニー・プリンス・チャーリーへの関心。この王子様のことを調べていたら、なんと、小さいころからなじみ聞いていたあの歌、「マイ・ボニー」(My Bonnie Lies Over the Ocean)のボニーって、このプリンスのことを歌っていたらしいことを知る。

http://www.youtube.com/watch?v=N-Kow7RPkgM&feature=player_detailpage

Bring back, bring back, oh bring back my bonnie to me, to me (私のボニーをどうか返してちょうだい)…

っていうふうに歌われるボニーの姿が、はじめてはっきりと立ち現われてきた…。

なんだそんなことも知らんかったのか。と言われれば、はい、そんなことも今の今まで知りませんでした ^_^;

で「私のボニーを返してちょうだい」と言ってる女性なのだが。あとは想像というか、あまり根拠が定かではないところもあるのだが、有望なヒロインといえば、フローラ・マクドナルド。

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ヘブライディーズ諸島のある島の族長の娘として育てられていた彼女は、24歳のとき、カロデンの戦いに敗れてベンベキューラへ逃げてきたボニー・プリンス・チャーリーを発見し、かくまう。そしてボニー・プリンスを、自分のアイルランド人メイド「ベティ―・バーク」として女装させ、スカイ島まで連れて行くのである。衛兵たちの目をごまかす必要がでてきたときに、彼女はハイランド・ダンスを踊る。その間に、プリンスはスカイ島からの脱出に成功。これがいま、Flora MacDonald’s Fancyと呼ばれているダンス。

無事にプリンスを逃がしたあと、彼女はつかまってロンドン塔に投獄されるが、まもなく釈放される。その後、フローラの勇敢さと忠誠心は称賛の的になり(マナーも気立てもよかったこともあり)、社交界でも人気者となる。1773年にフローラに会ったジョンソン博士は、彼女をこのように評す。

‘A woman of soft features, gentle manners, kind soul and elegant presence. (柔らかな物腰で、立ち居振る舞いは品よく、優しい心をもち、エレガントな存在感のある女性)

彼女の記念碑に刻まれていることばも、ジョンソン博士によるもの。

‘A name that will be mentioned in history, and if courage and fidelity be virtues, mentioned with honour.’ (その名は歴史の中に語られるであろう。勇気と忠誠が美徳であるならば、名誉とともに語られるであろう)

無事にフランスへ逃亡したボニー・プリンスは、その後二度とブリテン島の地を踏むことはなかった。で、冒頭の歌である。凛々しくもエレガントな愛国の士であるフローラが、再会を約束して果たせなかったボニー・プリンスを思って歌う場面が想像されてくるのである。「私のボニーを返してちょうだい」と (T_T) 

・・・ドランブイ単品でもう一杯飲みたくなってくる。

島地勝彦さんにお引き合わせいただき、資生堂名誉会長の福原義春さんにお会いしました。

品格そのもの、というオーラに接し、また、福原会長と島地さんの掛け合いの面白さに笑った、豊かな時間だった。というか、もっと意識的に教養を磨いていかないと、とても太刀打ちできないなあ…。

「現代ビジネス」島地対談の福原会長の回で、「そうお」という相槌が頻繁に出てきていて、文字だけで読んでると、冷たくそっけない感じがするのだけれど。実際、福原会長ご本人が「そうお」を発するその絶妙なニュアンスときたら! 高貴で、ちょっと怖くて、あたたかくて、でもそれしかありえないだろうという優雅な音。このノーブルな相槌がサマになるのは、天皇陛下と福原会長しかいらっしゃらないでしょう。平民が真似をするには、難度が高すぎる ^_^;

サインをしていただいたご高著。福原会長の生い立ちから、駆け出し時代、社長になってからのさまざまな取組みなどが易しく書かれている。

もっとも感動したエピソードが、社長になってから、社員全員に「言葉のカード」を贈ったというお話。テレホンカードでもないし、キャッシュカードでもないけれど、「無限に知恵を引き出せる」というカード。それが社員を動かし、社員との絆を深める贈り物になった、というくだりに、共感する。

「お客さまは、もっと美しくなれる。まず。私たちが美しくなろう。お客さまが支持してくださるのはそのときです」と書かれたカードの写真が、例として掲載されていた。

社長と社員の関係ばかりではなく、他の多くの関係においても、やはり「言葉を交わしあうことができる(それが続く)」関係というのが、いちばん確かな絆を築くことができるように思う。時折、ピリッとすてきな言葉で心に届くメールをくれる友人は、たとえあまり会えなくても、ちゃんと心の中心近くに存在しているもの。福原会長と島地さんの交友も長く、福原会長が新聞を読まない島地さんのために、面白いと思った記事をクリッピングし、コメントをつけて送り続けているのだそう。なんと贅沢な友情。

スーツは、同じ生地、同じ型のものを数着仕立て、それを毎日、着替えるのだそうです。本物の紳士の気品を感じました。写真は、品格の象徴のような福原会長。未熟者の私は、引き立て役として並んでおります。

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今年終えるべき仕事がまだ納まらない。でも私から仕事をとったら「酒飲み」と「キティマニア(=変態)」しか残らないし。仕事があることに感謝しつつ、仕事のタネを与えてくれたモード界のさまざまなできごとの回顧と雑感。これだけは「とりあえず」でもやっておいたほうが、後になって、2011年のムードを振り返るときの手がかかりにもなる。とりわけ、地球全体(いまや宇宙も含まれる)から見ると、まったく狭すぎるモードの世界のことは、あまり振り返る人もいないので…。‎

1.アレクサンダー・マックイーンの回顧展が、Metropolitan Museum of Artで開かれ、661,501人というMET史上8番目の動員数を記録。

→ファッションとアートのコラボが今年は目立った。その勢いは来年以降も続く予感。

2.ジョン・ガリアーノのスキャンダル。酔って人種差別発言、その後素人による「I love Hitler」動画が投稿され、天才&人気デザイナーは一気に転落。

→それほどの制裁を受けるに値する事件だったのか? 人々の関心はもはやディオールの後任デザイナーにしかない。非情な世界だ。モードのサイクルがデザイナーに与えるプレッシャーも、あらためて考えさせられる。

3.キャサリン妃のウェディングドレスをピークとする、キャサリン妃フィーヴァー。

→彼女は新時代の「ジャッキー」みたいな立ち位置を獲得してファッション史に残りそう。もう妹のピッパ人気のほうが高いみたいだけど。なにか特別な発信をしているわけでも特別な地位にあるわけでもないピッパ・ミドルトンの人気が上昇しているという現象にも、かなり不思議な一面を感じる。

4.ルブタンvs.サンローランの「赤いソール」訴訟。

→ルブタンの主張が認められなかったことで、赤いソールを堂々と出し始めたブランドもちらほら。赤いソールならルイ王だって履いていた……という話をし始めたら、モードにおける新しさなんて、どこにあるのだろう。モードにおける「オリジナリティ」とか「新しさ」の意味を考えさせられた事件。

5.エリザベス・テイラーの宝石類が競売にかけられ、記録的な数字で売れる。

→リズと2度結婚したリチャード・バートンは「彼女は面白くて、ワクワクさせてくれる(interesting and exciting) 女性だった」と回顧している。今年はレディ・ガガ人気も沸騰したが、彼女に目が行っちゃうのも、面白くて、ワクワクさせてくれるから。ただの美人なんて一日で飽きる。人を魅了しつづけるのは、「おもろくて、ワクワク」することを提供できるかどうかの知性とガッツ、ということを実感。

今年は、震災があり、原発事故が続き、ヨーロッパの経済が危機に陥り……とファッションを語るには「不謹慎」ではないかというムードを強く感じた年だった。

でも、そんな時にも人は服を着て、自分が何者かを考え、他人や社会とコミュニケーションをとろうとする。その欲求は、今年、明るい時代にもましていっそう強くなったのではないかとも感じる。今年フェイスブックに参加してみたことも、そう感じる理由の一つなのかもしれない。

ファッションを探求するというのは、どこのだれかも知らない独裁者が「おしゃれ」と決めたルールに従うことでは毛頭ないし、雑誌が提案する「キレイ」「モテ」とやらを追求することでもない。自分を形づくるもの。社会を形づくるもの。二つと同じものがないそれが何なのかを、時代の渦中にありながら自分の感覚を総動員して探し、考え続けていくこと。そうした作業を通して、自身が歩んでいく足元をしっかり固めていくこと。その暁にこそ、本物の「かっこよさ」がついてくる。

ということを、今年出会った多くのクリエイターやビジネスパーソンや異分野の学者さんや学生・友人たちとの対話の中から学んだ年だった。コメントを寄せてくださったり、メールをくださったりした多くの読者のみなさまにも、刺激を受けました。ありがとうございました!

というわけで引き続きありがたく感謝して仕事をします。今年を締める原稿は、中国のファッション雑誌に寄稿するもので、もう3月号のお話。頭の中は春風のなかのマリンテイストでいっぱいです(笑)。送られてくる雑誌を通して、中国ファッションの勢いというのも肌で感じた年でした。

よい新年をお迎えください。

大学時代に英文学史というのを勉強していたことがある。それぞれの専門分野での第一人者の高潔な教授陣の講義は、すばらしいものであったのだろうけれど、当時は、「何のために」学んでいるのかさっぱりわからなかった。歴史上の文学者の人間関係とか作品とか、ぷっつりと今と切り離して美しく解説をされても、「今、ここに、こうして座っている」私との関係がさっぱり見えてこなかったのだ。

大学の講義でもなんでもだけど、専門家であればあるほど、目の前の聴衆の「今の問題」とのかかわりを(本人がきちんと感じ取るように)示唆してあげなきゃ、モチベーションも高まらないし、学習効果も上がらないのだと思う。自戒をこめて。

で、英文学史である。30年たった今なら、ようやく腑に落ちて理解できることがたくさんでてきた。そのなかのひとつが、ジョン・キーツが表現した、Negative Capability ということば。

平板すぎるポジティブ・シンキングがあまりにもバラ色の思考法のように唱えられている現状に対し、「違うだろう!」と言いたくてその根拠を探していたら、運命的に再会してしまった。

キーツが1817年に弟あてに書いた書簡の中で使っている。

‘… it struck me what quality went to form a Man of Achievement, especially in Literature and which Shakespeare possessed so enormously-I mean Negative
Capability, that is when man is capable of being in uncertainties, Mysteries, doubts, without any irritable reaching after fact and reason.’

「ハッとした。人に偉業をなしとげさせるもの、とりわけ、シェイクスピアがたっぷりと持っていたもの、それがネガティヴ・ケイパビリティなのだ。手っ取り早く理由や正解を求めることなく、不確かなこと、不可解なこと、疑いだらけといった状態のなかに人がとどまることができるときに見出される能力、それがネガティヴ・ケイパビリティである」

さっさと自分が納得する理屈をくっつけて安心して、明るく前進する。そんなポジ・シンも結構かもしれないけど、むしろ、不確かでわからないことだらけのことをまるごと受容し、その不可解の渦中にがっつりととどまってみる。ネガ・ケパ(ひどい略だな…)。それができる辛抱強さからこそ、なにかホンモノのクリエイティビティというのが生まれてくるのかもしれない。

アンジェリーナ・ジョリーの慈善活動について書くためにリサーチをする。記事の中には盛り込めなかったけれども、心に残った彼女の言葉。 

「痛みがなければ、苦しみもないでしょう。苦しみがなければ、過ちから学ぶこともないでしょう。痛みと苦しみはあらゆる窓に通じるカギとなります。それがなければ、きちんと生きることなどできないわ」

「私はいつも、自分がデートしたいと思う女を演じている」

この人が多くの男性をとりこにする秘密(と思われること)を、コリン・ファレルが語っている。

「彼女の目をのぞきこんで、そのまなざしや落ち着きを目の当たりにしたんだ。本当に素晴らしいよ、堂々としているんだ」

ついでにレディ・ガガの慈善活動についても。記事内容には無関係だったけど、心惹かれるエピソードがけっこうある。この人も名言の宝庫ね。

「名声っていうのは、お金持ちのフリをすることじゃないのよ。音楽、アート、釣り、何でもいいから、あなたが夢中になってることへの自信や情熱を全身から滲み出させて。ほかの人が、『いったいあれは誰?』と知りたくなるように」

紫綬褒章を受章した女優の大竹しのぶが、会見で「過去の男」たちへの感謝を述べたということが週刊誌などで取り上げられているが。

「最初に結婚した主人(服部晴治氏)、つかこうへいさん、蜷川幸雄さん、野田秀樹さん、いろんな男の人たちが私を支えてくれた。(明石家)さんまさんには、私の中の“軽い”部分、コメディーも楽しく思えるって部分を出してもらった」

ウェブで紹介されていた週刊文春の記事では、こんなコメントも紹介されていた。

「大竹は男性の才能に惚れるタイプ。野田氏も大竹の女優としての才能に惚れていた部分が強かったから、別れた今も、仕事を通じて交流できるのでしょう」(演劇関係者)

「男に溺れるのではなく、最初の夫からはドラマを学び、さんまから笑いを、野田から舞台の魅力を教わって、着実にステップアップしてきた希有な例」(テレビ関係者)

これを読んですぐ連想したのが、ココ・シャネル。きら星のような愛人たちとの交際から、そのつど、さまざまなインスピレーションを受け、ファッションや香水やアクセサリーに昇華させた。別れたあとも、友情を保ち、イギリス、ロシア、スペイン、フランス、イタリア、ドイツなどなどにまたがる元愛人たちのネットワークは、生涯にわたりシャネルを支え続けている。

サンローラン(男だが、まあ、この方のパートナーは男だし)もそうだけど、やはり突出した成果を出す人は、公私混同というか、仕事をプライベートをきっちり分ける、みたいなせこいこととは無縁なのであるなあ…とあらためて感じ入る(オノ・ヨーコとか、神楽坂恵とか、マリア・カラスとか、エディット・ピアフとか、マリー・キュリーとか、ほかにも例を挙げればきりがない)。恋愛の情熱と仕事への情熱、それが不可分になってその人の中でトータルな化学反応を起こしているからこそ、人の心を動かすようなものが生み出されている。公私混同って、うまく機能すればだが、少なくともアーティスティックな分野においては、最強のモチベーションとなるばかりか、想定を超える成果を生み出す起爆剤になるらしい。

横浜トリエンナーレでも観に行こうとのこのこ出かけたら、横浜美術館のチケット売り場に見たこともないほどの長蛇の列! 美術館前にはいろんな表情のモニュメントが。コワかわ系。

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チケットを買うだけで一時間以上待つ勢いだったので、トリエンナーレはいったんあきらめ、これまで「いつでも行ける」と思ってスルーしていた観光スポットなどにあらためて行ってみる。

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ランドマークタワー展望台からの眺め。下、ピンクのインクで書かれた、たくさんのハートの願いごとたち。どさくさにまぎれて一枚書いてみる(笑)。

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帰途、車の中で聞いていたFM東京で、たまたま「未来授業」というのをやっていて、講師が宮台真司さんだった。声も話し方も素敵で、話の内容も面白く、ついつい真剣に引き込まれる。なにせ運転しながら聞いていたのでところどころ集中力を欠いているが、印象に残ったことは次のようなこと。

・エネルギーの代替問題を論じるより前に、まずは私たちがどういう社会を築きたいのかを論じることが大事。そのビジョンに応じて、必要なエネルギーが決まってくるはずだ。

・「任せてブーたれる」、という日本人特有の政治文化では、幸せな社会など訪れない。「幸せではない」と感じるのは、自分たちが一体何をやっているのかという実感や手ごたえがないから。「引き受けて、自分たちが決定する」というやり方にシフトしないと、幸せな社会など訪れない。

・第二次世界大戦開戦の直前を回顧して、意志決定に関わった多くの人が「今さら止められるような空気ではなかった」と言っている。原発の推進に関わった人たちも、「今さら止められるような空気ではない」と同じことを言っている。私たちにはこのように、空気に流されてしまいがちな傾向があることを意識し、止めるべき時には、空気に逆らってでも止めるための行動をとらねばならない。

・コンビニエントで快適な社会、取り換え可能な人やモノが簡単に手に入る社会をめざしてきたわけだが、それは結局、私たちを幸福にはしなかった。これからは、不便であろうと「取り換えのきかない」共同体の絆を築いていかなくては。スローフードの概念も実はそれだった。顔が見える生産者から、知っている土地のものを、少々高くても買う。自分たちの共同体の幸せ、ひいては自分自身の幸せのために。

ナビゲーターの茂木健一郎さんのシメも、短かったが、印象に残る。「脳が完全にいい状態で働くためには、まずは自分で自分自身を受け入れていることが必要になる。ずんぐりむっくりのどらえもんのようであっても、そういう自分をまるごと認めて受け入れることで、脳が完全に働き始める。宮台さんが言った<取り換えがきかない>というのはまさにそこにも通じる問題。カワイイとか、お金持ちとかという属性ではなく、<取り換えがきかない>あなたでなくてはだめだ、という人間の絆を築くことが、幸せのためには大切になってくる」というような趣旨だったかと思う。拡大解釈だったらゴメンなさい。とにかく、偶然にこのお二人からうけとったメッセージは以上のようなこと。

<取り換えがきかない>あなたでなくては、と思った人に拒絶されたり去られたりする不幸、という問題がまあ、現実には多々起きるわけだが。それはそれで乗り越えるほどにタフになっていけるのでしょうかね……。答えの出なさそうな問題だが、少なくとも、それを機に、モノゴトを考えるようになる。喪失感を埋めるかのように。

だいぶ前に「おもしろい!」と思って切り抜いておいた記事だが。朝日新聞9月28日付の、斎藤美奈子氏による文芸時評。「夢まぼろし 大家の弛緩芸」。

その業界の大御所となっている方の、明らかにゆるい仕事をけなすのは難しい。大先輩としてリスペクトしなくてはならないが、いや仕事人としてそれはどうなのだろう…と思うとき。さすが斎藤氏、芸をもってそれを揶揄してしまった。なかなかできないことだわ。勇気と芸とユーモアのセンスに敬意を表したい。

揶揄の対象になってるのは、筒井康隆、丸谷才一、片岡義男。こんな超ベテラン、だれもけなせないじゃないですか! それぞれの大家の最新作に対し、いちおう、ホメるところはホメてはいるのだが、最後のチクっとした批判が、効いている。

まずは筒井康隆の「小説に関する夢十夜」に対し。

「……それなりに読めてしまうのが困ったところなのだが、これがほかの作品を押しのけて『文学界』の巻頭を飾っているのを見ると、つい『来賓の挨拶』とか『接待』という言葉を思い出す。どこか特別枠の扱いなのだ」

次、丸谷才一の「持ち重りする薔薇の花」に対し。

「大物作家の久方ぶりの長編小説という特別枠の限定を外してみると、細部のズレっぷりはいかんともしがたい。(中略) が、そうしたズレ方も、記憶があいまいな老経済人の一人語りだから、という一点でみごとに免罪されてしまうのだ。記憶の再現と夢まぼろしは紙一重。語り手の記憶に難があった場合、中身がどうあれそれは小説として成立し、老練の技は大向うを唸らせ、往年のファンを魅了する。だがそれは、やはり大家だけに許された弛緩芸だろう」

で、最後、片岡義男の「大根で仕上げる」に対し。

いちおう、「ルーティーンのなかに、手順や段取り、必要とするものなどすべてが、いっさいなんの無理もなく、端正に収まっていた。必要最小限の動作で、手際良く、素早く、なめらかにすべてをこなす」という小説の中の一説を引用して、それがそのままこの小説のたたずまいでもある、とホメ(?)てはいる。が、最後に。

「…などと語るスケベ心いっぱいのこの語り手は何者なのだろうか。まあでもこれも一世を風靡した片岡義男の青春小説の残滓と思えば頬が緩まぬでもない」

まとめがすばらしすぎる。

「年長者には寛容をもって接する。それが礼儀と心得れば苦笑も微笑に変わる。小説を読む側にも礼儀が求められる。無礼者には大変である」

業界をとわず、年長者の弛緩芸に苦笑している多くの人は、この一文を読めばちょっとはスッキリするかもしれません(?)

FB考その1につき、早速、何人かの方が、私も気づかなかったそのプラス面やマイナス面について教えてくださった。ありがとうございました。やはり使う人に応じて、というか、使い方次第で、さまざまな効用やデメリットが生じるみたい。

で、またしてもFBのおかげで経験できたことなのだが。FB上でキティ好きを公言していたところ、サンリオのジェネラルマネージャーに「発見」され、昨日、展示会にお招きいただいたばかりか、社長室やデザインルームまで案内していただいた。

展示会では、ありとあらゆる企業とサンリオとのコラボ新製品が。リヤドやレオナールといった高級ブランドとのコラボがやはりおもしろい。学校法人や製薬会社や郵便局や、それこそありとあらゆるところにキティがいる。Hello Kitty, overkill. うれしいめまいで、頬が緩みっぱなし。写真は社長室で執務するキティ・ホワイト。棚には本物のオスカー像も飾られる。

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コリー・アキノさんもキティファンだったようで、デザインルームには、アキノさんによるキティの絵も。

辻社長にもお目にかかり、お名刺をいただいたが、なんとレースのカットワークを施したような、ゴージャスで美しい紙のお名刺。キティーの顔までカットワークになっている。たぶん、これまでもらった名刺の中でも、もっともおしゃれな名刺の一枚にちがいない。

というわけで、無条件にアドレナリンが噴出する楽しい経験をさせていただいた。やはり、好きなものは好き、と素直に公言してみると、いいこともあるもんだなあ、と心の底からうれしかった日。ありがとうございました!

以下、満月にさそわれてのささやかな感情のひっかかりの吐露、というかたんなるつぶやき。

◇英語にembarrassmentという言葉があって、「当惑」とか「気まずい思い」「バツの悪さ」なんて訳語がついているのだけど。感情と感情の間に、まさしく bar(柵)が入るような気分の時、このembarrassmentという動詞がぴったりとくる。(語源としては別の解釈もあるようだが、個人的実感としては、気持ちと気持ちの間にbar 、なのである)

どういうときに感じるかというと、まあ、いろいろな場合があるのだけれど、たとえば、最後に「返信要りません」という一言が添えてあるメールを頻繁にいただくが、これってどうなのだろう。相手の優しさは痛み入るほどわかるのだ。こちらの「お忙しい」時間を割いてまで返信に気を遣ってほしくない、という思いやり。そのやさしさ、しかと受け止め、こまやかなお気遣いに、感謝するのである。

一方、「返信要りません」とは、「あなたとの交流はとくにこれ以上したくありません」というさりげない意思表示とも感じられることがある。

マナ―本の類には、「忙しい相手には、<返信要りません>と書き添えると相手の気持ちの負担がなくなります」と書いてある。なるほど、「返信不要」はマナーにかなった一言でもあるわけか…。

それでも、まあ、相手や状況や内容にもよるけれど、相手の気持ちのなにがしかが感じられるメールのあとに、「返信不要」と目にすると、その気持ちに対する反応をシャットアウトされたようで、embarrassmentを感じることがあるのもたしか。

こちらも自由意思をもつ人間。不要である、と感じれば返信しないし、なにか一言返したい気持ちが起きたら返信したいのに。

ええい、言ってしまおう。「返信不要」かどうかは、こっちが決めるから。

・・・・・・・とか言いながら、あわただしい時間だったりすると、こっちから「レスいらないからね!」と書きっぱなしにしたりしてね。ホント、勝手なことであるっ(笑)。

◇気持ちと気持ちの間に、ささやかなbarが入る当惑その2。本を読んでくださって、「尊敬しています」とか、「いろいろとご指導願いたい」と言って会いに来てくださる方がときどきいる。まあ、多くはあたりさわりのない社交辞令だと思って、とりつくろってもしょうがないので、こちらも自然体で接しているが、embarrassmentを感じるケースもままある。

だいたいにおいて、こういうケースで私に期待されるのは、「冷静で客観的な分析をきちんと下してくれる先生とか上司」みたいな役柄である。相手によっては、そのようにふるまうことも仕事のうち、とわりきってご期待に添えるように演技することもあるけれど。

私はどっちかといえば、その対極にあるような人間で、感情のふり幅が大きいし、いちいち、感覚や感情に振り回されるようなところがある。それをコントロールできるようになるために学問してるんだから(笑)。

というわけで、こちらが自然体で接すれば接するほど、冷静でクールな……という幻想を抱いていらっしゃる相手をがっかりさせることがあるわけだ。ときに、その相手に対して、こちらが(相手にとっては想定外の)好意を見せてしまったりすると、相手がembarrassmentを感じているのが手に取るようにわかる。「尊敬」というのは、「敬して遠ざけておきたい」という意味であって「お近づきになりたい」わけではないのだな、と痛く知る瞬間。

逆の立場も経験しているだけに、幻想を抱きたい人の気持ちもよくわかる。それだけにいっそう、このようなケースでのembarrassmentが、微妙にこたえる……。

まっ。ささいといえばささいなことばかりね。笑い飛ばしてください。

富山市の芝園中学校で、ミニ講演会。芝園中学校の校長(石上正純先生)が、小学校6年生のときの担任の先生(しかも教員になりたての新任)だった、というご縁で、急遽、依頼されてお話をすることになった。

「学ぶこと、仕事をすること」をテーマに、作文好きな生徒さん、保護者の方、教職員の方を対象に、自分の仕事から学んださまざまな発見などを、お話させていただいた。熱心に聴いてくださったみなさま、ありがとうございました。サプライズできてくれた、中学時代の卓球部男子部長(現・教育委員会)、高校の同窓生にも感謝。とても充実した楽しい時間を過ごさせていただいた。

富山市は教育環境がすばらしく、芝園中学にも、校長先生はじめ、熱意にあふれたすてきな先生方、スタッフがそろっていた。保護者との連携も理想的で、こんなところで子供を学ばせたいなあ、と誰もが思うであろう素敵な環境。校舎も明るくモダンであるばかりか(全国から見学者が訪れるとのこと)、花やグリーンにあふれているので、明るくあたたかな印象。よく手入れされた植物に迎えられると、「歓迎されている」という気持ちになれる。多感な時期の生徒にとって、この効果はとても大きい。植物はすべて教職員や保護者の方がボランティアでもちより、世話をしているとのこと。写真は、校舎の2階から屋上に向けて伸びやかに育っている「緑のカーテン」。近くで見ると、なかなかの壮観。

Green_cartain

芝園中学は、かの田中耕一さんの母校でもあるそうだ。

Tanaka_kouichi

未来の日本の国力のベースになるのは、教育である。石上校長は、そういう使命感も抱いて、さまざまな改革をしながら情熱的に取り組んでいる。新任(22歳)のときも、熱血教師だったが、定年を迎えるという今、ますますアツくいらしたのであった(笑)。恩師が変わらず元気に活躍しているというのは、とても励みになる。今なお、教えられること多。感謝。

英「インデペンデント」30日付に、興味深い記事。The New York Timesの記者としてパリに赴任したElaine Sciolinoが、アングロサクソン系の視点から「誘惑の国フランス」を観察・分析している。Liberte, egalite, flirtation: How I learnt to play France’s national sport of seduction.

『誘惑:フランス人はどのように人生のゲームを楽しむのか』という彼女の著書からの抜粋記事である。ちょうど今、来週の「ブランメル倶楽部×DANSEN」のイベントに備えて「フランスらしさとは何か?」を研究中だったので、自分のメモを兼ねて、以下、とくに興味をひかれた部分の概要を抜粋。まわりくどいところは超訳で。

・エレーンがフランスで学んだことは、誘惑の重要性。いたるところにflirtationessが浸透している。ただし、英語でseduce(誘惑)というと、否定的で、性的なことがらに限られるが、フランスではもっと広い意味で使われる。イギリス人が、charm, engage, entertain と表現するようなところでも、フランス人はseduceを使う。フランスでいう誘惑は、必ずしもボディコンタクトを伴わない。偉大な誘惑者は、言葉で愛撫する才能をもち、視線で相手をひきつける術を知り、完璧なロジックで同盟関係を結ぶ。誘惑のターゲットは、男であれ女であれ、魔力のシャワーあるいは磁石のような引力を経験することになる。

・誘惑のゲームを行うためには、いくつかの武器を習得しておく必要がある。

[E:one] 視線:視線がからみあえば、電気的なエネルギーが生まれ、それによって「絆は結ばれた」とたちまちに理解できる。ほのかにセクシーな視線はまた、相手の武装を解除させることにも有効である。2009年4月、カーラ・ブルーニは、自分の名を呼ぶ大勢のフォトグラファーの前に立たねばならなかった。彼女は、その中の一人に自分をゆだねることにした。5分間、他の男は無視し、その男だけを見ていた。その男は仰天し、完全に骨抜きにされた。このフランス的視線は、大きく口をあけるアメリカンスタイルの笑いを伴ってはならない。謎めいて奥深い瞳を使って届けなければならない。決してウィンクはするな。フランスの女はウィンクをしない。ウィンクをすれば顔を歪めることになるのだから。

[E:two] 言葉:フランス人にとって会話というのは、情報の授受というよりもむしろ、言葉による相互愛撫である。言葉が性的誘惑の道具として使われるとき、曖昧で控えめな表現がもっとも効果的である。正面から切り出すのは、野蛮で卑俗とみなされがち。女性は甲高い声を出さないようにすること、そして男性は低いトーンを磨くこと。

[E:three] ソーシャルキス:ほとんどのソーシャルキスは、儀礼的に、互いの頬にキスするもの。だが、これが甘美であると同時に困ったものでもありうる。どの程度「濃い」ものにするかはその人次第。

[E:four] 3C、すなわち、climate, calembour, contact:climateとはコンテクストというか、雰囲気。なんでもない状況であっても、互いにキスしたくなるような、マジカルな雰囲気に変えうる。calembourは、ジョーク。男は女を笑わせなくてはならない。ただし、さりげなく。contactは道路を渡るときにさりげなく腕に触れるなどのフィジカルコンタクト。

大事なことは、フランス人は、以上のような前後のプロセスそのものを重んじ、スリリングで価値あるものとして楽しんでいる、ということ。

・このフランス式誘惑術が、政治の世界においても不可欠な影響を与えているという指摘が面白かった。対するアングロサクソン系は、政治にセクシュアルな要素が入り込んでくることは危険で、タブー。

・誘惑テクニック: フランスとイギリスの比較。

[E:wine]フランス:注意深く選んだ相手にだけ、「贈り物」として微笑みが与えられる。

[E:wine]イギリス:相手かまわず微笑む。とりわけ、酔っぱらったとき。

[E:boutique]フランス:メイクアップは、目元か口元かどちらかのみ。決して両方強調することはない。

[E:boutique]イギリス:メイクアップは顔中ぬかりなく。加えてフェイクの日焼けまで。

[E:restaurant]フランス:食事は、誘惑の儀式の一部である。

[E:restaurant]イギリス:ディナーはソファで、テレビつき。

[E:rouge]フランス:香りはごくかすかに、謎めきながらもこっちへおいでというサインとしてまとわれる。

[E:rouge]イギリス:香水は力をふるいすぎる傾向にある。

[E:pen]フランス:秘密厳守は絶対である。メディアにおいても。

[E:pen]イギリス:キス・アンド・テル。(情事はバラす)

[E:eye]フランス:電気的なエネルギーをもつ視線が交わされる。

[E:eye]イギリス:あからさまな色目か、まったく目を合わせないかのどちらか。

[E:kissmark]フランス:社会階級により、2回から4回のあいさつのキス。

[E:kissmark]イギリス:キスは1回。その後はぎこちなくうろつくのみ。

記事概要以上。

英・米・仏各国のファッション、メイク、香水、ワイン、食、結婚制度、男のスーツ、メディア、政治、すべて以上の視点を考慮する必要があること、あらためて強く認識する。

励ましたいのだが、どう声をかけていいのかもわからない、ということが多々ある。一緒に行動できないならば、偽善的なことばなど、かえってしらじらしく聞こえてしまうのではないかと危惧する。でも、少しでも励みになりたいという思いもウソではない。

被災地で日々闘っている人たち、職を失って、あるいは得られなくて絶望しかけている人たち、重い病気と闘っている友人や知人。

「ニューヨーク・タイムズ」に、<病気と闘っている人に対して言ってはいけないことば>に関する記事があった。10日付。’You Look Great’ and Other Lies. 大雑把に概要をメモ。

言ってはいけないフレーズ、6つ。

1.What Can I do to help you? (患者はそんなこと聞かれたってぜったいに言わない。だまって冷蔵庫掃除してあげるとか、電球変えてあげるとか、さっさと行動しなさい)

2.My thoughts and prayers are with you. (何も考えてない常套句でしかない)

3.Did you try that mango colonic?  (レイシとか、紅茶きのことか、スピリチュアル系の水晶とか、そういうのを勧められても、困るわけだ)

4.Everything will be O.K. (医者の診断や現状と違うことを、部外者に調子よく言われてもなあ・・・)

5.How are we today? (身体が不自由になった患者だからってコドモ扱いするな)

6.You look great. (そう言われれば言われるほど、顔色はよくないのだな、と実感するのが患者)

逆に、言ってもらったらうれしいかもしれないこと、4つ。

1..Don’t write me back. (お礼状とか返事はいらないから、と言われると気がラクになる)

2.I should be going now. (見舞いは20分以下、すみやかにゴミを持って帰ること)

3.Would you like some gossip? (病気の話には飽き飽き。病気とは全然関係のないゴシップって、けっこう楽しい)

4.I love you. (本心からこう言ってもらうと、やはり最高のパワフルギフトになる)

相手の性格にもよっても、関係によっても、状況によっても異なってくると思うが、想像力をどのように働かせるべきかという参考にはなった。逆の立場になれば、同じ常套句をくりかえしくりかえし言われるとたしかにゲンナリするだろう。「心よりお見舞い申し上げます」って、ただ冒頭に書いておけばいいってもんじゃない。形式的な、「自分は礼儀正しい人である」アピールをするためだけのお決まりのごあいさつ文としてなら、もう使うまい。

19世紀に大英帝国の拡大とともに世界に広がったのが、英語とスーツとジェントルマン理念。その余波が今に及ぶ。スーパークールビズを考えるときには、「ではそもそもなぜいったい亜熱帯に住むわれわれまでが、寒いヨーロッパで生まれたスーツを着ているのだ?」という原点から見直してみなくてはならないと思うんだが。

英語とスーツとジェントルマン理念のように、言葉と衣装と理念は、完璧と思える三位一体になると、強い影響力を及ぼすことがある。

ここで引き合いに出すのはヒンシュクものと感じる人がいるかもしれないが、「言葉と衣装と理念」が一体になった強力なメッセージとしても心打たれた、盛岡の広告マンらによる「復興の狼煙」プロジェクト。力強いことば、服と表情、そして「被災地じゃねえ正念場だ。」の心意気。被災地に対するウェットな感情を飛び越え、アート作品としても敬意を捧げたくなる。

http://fukkou-noroshi.jp/

ポスターを買えば、義援金となる。

また、ここで一緒にしたら狼煙プロジェクトには申し訳ないかもしれないが、この名(迷)コピーと服とスピリットも、つきぬけている。FBで山口淳さんに教えてもらったもの。メンズナックルなどでやっていたアレが、さらにバージョンアップした感じの、ホストナックル編。

http://matome.naver.jp/odai/2125566699177299415

服+パワフル(すぎる)言葉+スピリットで、無敵なヒトたち。ホストだって生き残りをかけて闘わなくてはならない。中途ハンパでは誰も見向きもしない。「これが人間を超越した先にある奇跡の世界だ」「神の視点でしかオレを理解できないぜ」……た、たしかに。

鷲田清一『わかりやすいはわかりにくい?―臨床哲学講座』(ちくま新書)。これまで読んできた鷲田先生の本と重複する部分も多々ありながら、やっぱり「知性の王道」だなあ、と思わせる言葉と思想。

ほんとうに大事なことには、「答えがない」。政治上の駆け引き、地域や家族間のもめごと、介護をめぐる問題、子育てをめぐる問題、死、自分は誰かという問い、などなど。答えがないまま、それにどのように「正確に対処するか」が智恵、という前提のもと、その智恵を鍛えるためのさまざまな視点が示される。

白黒はっきり、とか、とりあえず「ベストアンサー」(最大多数の感情)を知って、叩かれないようにそれに従っておこう、とかの薄っぺらい風潮に対し、「それは違う」と大人の立場で諭してくれるこういう方がいるのは心強い。

「大事なことは、困難な問題に直面したときに、すぐに結論を出さないで、問題が自分のなかで立体的に見えてくるまでいわば潜水し続けるということなのだ。それが、知性に肺活量をつけるということだ。目の前にある二者択一、あるいは二項対立にさらされつづけること、対立を前にして考え込み、考えに考えてやがてその外へ出ること、それが思考の原型なのに、そうした対立をあらかじめ削除しておく、均しておくというのが、現代、ひとびとの思考の趨勢であるように思われてならない」。

「わたしたちがとるべきでないのは、周囲(つまりはマジョリティ)の意向を斟酌しあうというかたちで互いに同調を強いる、そういう行動である。それよりもむしろ、自分と他人とがすぐには同調できないという事実、同調できないひとたちがあちこちにいるという事実から出発して、それらをどう摺り合わせてゆくのかという智恵と対話の技量が、何より求められるものである。そういうおのれの瘡蓋をめくるような痛い経験を繰り返すなかでしか、ほんとうの意味での<民主主義>の社会などというものは生まれようがない」。

震災前に書かれた本だが、震災後にいっそう強くなっている「同調圧力」に警告を鳴らし、一面的な「正しい」イデオロギー支配に疑問をさしはさむという点でも、耳を傾けるに値する言葉。

◇「メンズプレシャス」2011 spring号発売です。特集「奥深き"御用達"名品の真実」において、扉の記事と英国王室御用達についてのエッセイ、2本を書いています。機会がありましたら、ご笑覧ください。

今号には、チャールズ皇太子・讃、の記事が目立つ。政治的にはともかく、メンズファッション業界では絶大な人気を誇る人であること、再認識。

◇4月末のケイト&ウィリアムご成婚にあわせた記事を7本書く。一冊の雑誌でこれだけの数を書いたのは初めてのこと。志なかばで人生を断たれたり、仕事をしたくてもできない、つらい状況におかれている人々のことを思うと、「ムリ」なんてぜったい言えるわけがない。被災者の方々に励まされてできたような仕事だった。おまえが励まされてどうするっ!てもんだけど、ほんとうにそんな思い。

日本のシビアな現実とはかけ離れた世界の話だが、たとえば避難所で雑誌を広げた時に、心の滋養になったり、少し士気が高まったりするような記事になるようにと、祈りをこめて書く。編集者もみな同じ思いである。

◇そうこうするうちに、1号機が水素爆発の危機にあるらしいことが報じられる。政府は被爆量の上限を引き上げるとか、不条理なことばかり言っている。与党も野党もこの危機にあってせこいプライドだかなんだかしらないが、大連立するのしないの、駆け引きみたいなことに奔走している。未来を描けない福島の人の悲痛な叫びが聞こえてくる。リーダーのことばがどこからも聞こえてこない。というよりリーダーの顔も見えない。世界中で日本レストランの多くが倒産の危機に追い込まれているというニュースが届く。

こういう「有事」において、外界の現実とどうやって心の中で折り合いをつけて仕事をしていくのがいいのか、日々、考える。納得のいく答えなんか出ないだろうが、少なくとも、同じ状況を生きる読者の心の中の反応というのを、以前よりも長時間、考えるようになった。てんでばらばらの現実を生きる読者の関心事が多岐にわたっていた以前は、「あとは受け取る人まかせ」にしていた部分もあったが(それはそれで信頼のつもりで)、今は多くの読者が同じ苛酷な現実を共有している(共有部分の大小はあるかもしれないが)。そこに届くことばを見つけることが、私などが仕事をする領域で果たして可能なのかどうか。重苦しい現実と、美しい虚飾の世界を、手探りで行きつ戻りつ。

◇昨日の森川先生のツイートからつらつら考え、今さらながらはっきりとわかったこと。カワイイ礼賛・美魔女志向・アニメとマンガに対する過度な崇拝っていう3・11前の日本のカルチュアと、大人の責任がとれるリーダー不在という現実は、地続きである。それでもなお、幼稚なカルチュアを「クールジャパン」とかいってもてはやすのか。大人はちゃんと成熟して、大人の責任をとれ。

◇日々少しずつ数字が加算されていく死亡者数。日々状況が悪化する原発。ついに東電は低濃度の(っていう表現もごまかされているようで気持ち悪い)汚染水を意図的に海へ流し始めた。高濃度の汚染水の流出も止められないまま。茨城ではコウナゴ汚染。

シャングリラホテルの休業。外国船の日本への寄港忌避。農業と漁業への長期的なダメージ。

じりじり、じりじり、と事態が悪化していくことに対し、不思議なことに、最近は、当初のような不安を覚えない。長期間こういうのが続いて、心身が<日々、悪いことが加速していくこと>に慣れてしまったようなのだ。それとも感覚がマヒしたのだろうか。「関心がなくなった」とか「ニュースに飽きた」ということとは違う。「冷静になった」「楽観するようになった」というのとはもっと違う。毎朝NYタイムズやウォールストリートジャーナルの記事と日本政府の発表を読み比べては、腹を立てたり疑問を抱いたり、<気にしすぎない努力>をしたりしている。ただただ、身体が「不安に慣れた」としか思えない状態。

大戦中、空爆の恐怖をどのように人々はしのいだのか、と常々不思議に思っていたが、ここにも「不安や恐怖に対する、慣れ」のようなものが、ひょっとしたら生まれていたのだろうか? 憶測にすぎないが、ある程度の慣れによって、極度のストレスから心身が守られるということもあるのではないか、と感じる。

あるいは、来るかもしれないより大きな恐怖に備えて、心身が自発的にエネルギーを消耗させないようにしているのだろうか? との思いもよぎる。

大学の同僚、森川嘉一郎先生のツイートより。あまりにすばらしいので引用させていただく。

「今回の地震対応に対する海外の報道を見ると、日本という「国家」には、よく訓練された子供達(国民)がいる一方、責任を担う大人達がいないという、既成の日本観をさらに戯画化したようなイメージが醸成されつつある。他方でそうした自国の戯画を笑えるかどうかが、文化的成熟の一つの指標でもあるが」。

さすがの洞察。

責任を担う大人が、笑いごとではなくて、いない。政府と東電の、後手後手の無責任ぶり(がんばりは認めるが、それとこれとは別問題)。あれだけは、ぜったいに「慣れ」てなんかやらない。そもそも、そういう政府を<しかたなく>選んだ私たち大人、原発のことを深く考えずにいいとこだけ享受していた私たち大人の無責任にも、これ以上、「慣れ」てはいけない。自戒。

絶望に近い状況をなんとか「なだめる」べく、必死に放水をしつづけるというアナログな作業を、NYタイムズの記者は「作戦(plan)などではなく、祈り(pray)である」と表現していた。その文面には「こんなことをしたって、決定的危機を回避するのはムリに決まっている」というニュアンスが(はっきりとは書かれなかったけれど)暗黙裡に漂っていた。

知人からも、夜半、「回避できなくなってから5時間で東京はパニックになる。西へ逃げる準備をして」というメールがきた。世界中の多くの人々が半ば最悪の事態を覚悟をしていたような状況だった。

でも、ハイパーレスキュー隊は、身の危険をものともせずに、夜を徹して3号機への放水を続けたのである。勝ち目はないかもしれない状況において、決して負けたりはしない闘いを、闘いぬいてくれた。一晩中、水を放ち続ける赤い消防車は、全国民の「祈り」の象徴に見えた。

(「勝ち目のない戦いにおいて、負けない」という兵士の態度がひとつのモラルとして存在することを、もうすぐ出版される河毛さんの本で知って印象に残っていたのだが、ハイパーレスキュー隊員の闘いぶりがまさしくそれだった。)

明け方、まだまだ安心できない状態とはいえ、誰もが恐れた「この日に起こるはずだった最悪」をとりあえずは回避することができた。この瞬間に、私は日本のプロフェッショナルを信じることにした。もちろん、まだまだ楽観は許されない空気ではあるが、だれもが絶望視する状況のなかで命がけの最大限の努力を遂行し続けることができる、という(おそらく)日本にしかいないプロフェッショナルの力を、信じてみることにした。

東京消防庁ハイパーレスキュー隊の方々には、「落日のマッチョ」連載のときに取材に伺って以来、ひときわ親近感を抱いている。頼もしい隊員はじめ、彼らを理解して支えるご家族の皆様に、最大限の敬意と感謝をささげたい。

消防隊員ばかりではない。警察、自衛隊、現場に残り続ける東電の職員の方々。草食化・軟弱化が嘆かれていた日本だったが、実は重要な局面になればこんなにも強い責任感を発揮し、こんなにも頼りになる男たちが大勢あらわれてくるのだということに、日々、深い感銘を受けている。彼らの勇気と行動は、日本が誇るべき宝物として、長く語り継いでいくべき。

買い置きをなにもしなかった。食糧・生活に必要な備品・仕事に必要なA4の紙、すべて入手がままならない。ガソリンも尽きたので外食にも遠方への買い出しにも行けない。

被災地では(たとえ乏しいものであるとしても)平等に食糧をいきわたらせようという集団の意思が働いているが、被災しなかったところでは、早い者勝ち、であるらしい。そんな争いに参加するエネルギーも気力もない。被災もしていないのに「備品を分けてください」などという頼み事などできるはずもない。被災地のことを思えば、この程度のことで不便をかこつことはもっとゆるされない。が、現実問題としてとにかく子供たちを食べさせなくてはならない。

放射能漏れが報じられたこともあり、まずはあらゆる不安から子供を守るべく、一時的に関東を離れ、「疎開」することにした。東京電力の圏外に行けば、ひと家族分のささやかな節電にも貢献できる。

そうこうする間にもさまざまな情報が入り乱れる。ヒステリックな政府非難。専門家意見や素人判断がまじった放射能情報。やたらハイテンションでフィールグッドな、がんばろうメッセージ。海外の新聞では日本政府とは異なる見解。いちいち、心がざわつく。こういうときは、専門教育を受けていない者は、人さまの判断の邪魔にならないよう、むやみに「発信」や「拡散」や「リツイート」などしないのも分別のひとつかと考えたりする。

ガソリン売り切れ、映画館休館、イベント中止、一部の棚が空っぽになったスーパーマーケットも早めの閉店、となにか「映画で見たような戦争中」のような空気を感じた日曜だったが、朝起きて、知人から「拡散希望」として回ってきたメールに心が洗われるような思いをした。アメリカ大統領が、日本へ救援に向かう兵士に向けて語った演説の要約とのことだった。

☆☆

おはよう、諸君。
後一時間足らずで、諸君ら140名は、極東に向かって旅立ち、史上最強の敵と交戦する。 時を同じくして、世界各地の米兵たちも、他の35隻の原子力空母で、同様の救助に向かう行う手はずだ。

諸君がまもなく赴く戦いは、人類史上最強の救出活動となるだろう。そう、人類史上最強の・・・・
人類・・・・・この言葉は、今日、我々全員にとって、新たな意味を持つ。地球に対する今回の暴虐行為に少しでも意味があるのなら、
それは我々人類が共有するものの大きさに気づかせてくれた、という点につきるだろう。
今回の侵略は、この惑星で共に生きるのがういうことかを、新たなる視点から見直させてくれた。
人間同士の無数の差異など瑣末事でしかないことを痛感させ、共通の利益というものの意味を実感させてくれた。
そしてさらに、歴史の方向を変え、人間であることがどういうことかをも定義し直してくれた。
今日このときより、世界の諸民族と諸国家がいかに深く相互に依存しあっているかを、我々は決して忘れることがないだろう。

諸君は日本を愛し、この日本を守り抜くために自らの才能と技術を差し出し、命すら投げ出す覚悟を固めている。
諸君と共に戦列に立てることを、私は心から誇りに思う。

3月11日は日本の祝日だけではなく、地球上のあらゆる国家が肩を組み、こう叫ぶ日となるだろう。
”我々は決して従容と死を受け入れたりしない!我々は生き続ける!生き続けてみせる!”と。
その日こそ、我々は真の独立記念日の祝うのだ!

アメリカ軍作戦名
「Operation Tomodachi」

☆☆

じーんと感動したのもつかの間、これはどうやら映画「インデペンデンス・デイ」の大統領演説のパロディらしかった。日本の指導者がこの演説の10分の1でも力のあることばを話してくれれば、と願ってはみたのだが。

今日もやはり、スーパーはあらゆるモノが品切れで13時にもう閉店のところとか、入店制限をしている店とか、レジ待ち40分とか。牛乳は4軒まわって、ついにどこにも見つけられなかった。

小学校は計画停電にともない、明日から給食停止、早めの帰宅になる。食べ盛りの男子二人分の最低限の食料を確保するのにも一苦労する。被災者の方々の困窮を思えば苦労にも入らないが。

今週一週間のイベントの延期と中止の連絡が殺到。記者会見、試写会、コレクション、すべて中止または延期。前評判が高い映画「唐山大地震」の公開も26日に予定されていたが、これも被災者の心情を考慮して延期となるとのこと。よけいなエネルギーを使わない、ということも今は消極的な協力になる。

「激甚災害」という指定基準があったこともはじめて知ったが、人が想像しうる「激甚」の基準をはるかに超えている。

被災された方々の苦しみや悲しみをいくら思ってもその痛みの深さには到底届かないとは思うが、心からお見舞いを申し上げます。まだ瓦礫の下にいる人を救うために休みなしに働いているレスキュー隊員や自衛隊員、放射能漏れを最小限に食い止めようと命がけで働いている職員の方々にも、頭が下がる思いがする。(放射能排出のための)ヨウ素を飲まされ避難させられている住民の方々の不安や心労もいかばかりかと心が痛む。被害がこれ以上広がらないこと、一人でも多くの人の命が助かることを祈るばかりである。

インターネットは安否情報や救援物資の送り先などの情報を知るにも便利だが、あやふやな情報も勝手に飛び込んでくる。コンビナートの爆発で有害物質を含んだ雨が降ってくるから警戒せよとか、大気が放射能汚染されている間はこもって窓や換気扇にガムテープをとめろとか、今日明日停電になるからレンジ不要の食料を買い込んでおけとか。危機的な状況だからこそ不安をあおられる。乾電池だけでも買い置きしておいたほうがよいのだろうかと思って買い物にでかけたが、単一乾電池は3軒ほどまわってすべて売り切れ。スーパー、ドラッグストアなどはどこもあらゆるものを買い置きしておこうという人たちで長蛇の列だった。

不安や恐怖は伝播していく。「正しい情報」を知ろうとすることは大事だが、ふりまわされてパニックに落ちていいことはなにひとつない。非常時こそ冷静になって、心のゆとりと平安を保たないと。

家で仕事中だった。ゆら~ゆら~と揺れ始め、やがて部屋全体が平行四辺形になって揺れてこれは危ないと思って外へ出たら、足元が定まらず、電信柱もぐるりぐるりといった感じで回り、空が灰色にくすみ、空気全体がゆがんで渦巻いているように見えた。部屋の中に戻ると本やDVDは散乱。アロマポット破壊。それくらいですんだのが意外に思えた。

次男の確保のため小学校へ迎えに行ったら、本人は平然としていたが、クラスメイトのなかには目を泣き腫らしている子も多かった。おとなも経験したことのない揺れだ。さぞかし怖かったことだろう。

テレビを見たら宮城が大津波と火災で地獄絵図のような状況になっている。韓国映画のTSUNAMIに描かれるよりも、はるかに恐ろしい状況である。現実の自然の猛威は、フィクションの想像も及ばないほどすさまじい威力ですべてを破壊しつくす。茫然とする。遠い親戚もいるし、実家があのあたりにあるという友人や教え子もいる。まだ安否すらわからない。

長男が帰宅難民となり、携帯も不通で連絡もとれずにいたので、明日の朝まで待つしかないかと覚悟していたら真夜中に帰宅。偶然、居合わせた人が、帰途をたずね、車ではるばる送ってくれたのだという。夜食用のパンまでいただいて。こんな非常時にも、まったくの他人に対して善意を発揮してくれる心の余裕がある人がいることが、大きな救いに感じられる。感謝。

とりたてて話題にすべきほどでもないんだけど、ちょっとひっかかった言葉のメモ。。

◇その1 「ムーア現象」。

クレアトゥールでヘアエステ中に流れていたDVDのなかに、’Flirting with Forty’(あとから調べた邦題は、「39歳からの女性がモテる理由」。安っぽいタイトル・・・)という、40歳のバツイチ子持ち女が27歳のサーフィンインストラクターと恋をする、という設定の話があった。自分では買わないだろうというDVDだったが、意外とのめりこむ。

そのなかにでてきた「ムーア現象」という言葉。

デミ・ムーアにジュリアン・ムーア、ともに再婚だったり再再婚だったりする50歳前後の女優だが、共通するのは、最新のパートナーが10歳以上年下であるということ。

なるほど(笑)。

◇その2 後輩が先輩に言う、「お元気ですか?」

ずいぶん前からいろんな友人から散発的に聞いてはいたし、わたしもうすうす感じてはいたのだが。

女は、女の先輩におたよりをだすときに、決して「お元気ですか?」などと書いてはいけない!

仕事の打ち合わせの延長で他愛ない話をしていて、ムカツク年賀状の話になり、みなおなじ不快を感じたというのが、後輩からの「お元気ですか?」とだけ書かれた年賀状だった。同感。

理由は、なんだろう。とにかく、この一言だけ走り書きしてある後輩からの年賀状は、決して快いものではない。自戒も込めて。

◇ロイヤルウェディングにタイミングを合わせ、4月末発売の「25ans」でロイヤル婚大特集が組まれるとのこと。歴史上の英王室のドラマティックカップル4組分+総論を寄稿するため、編集者の方々と打ち合わせ。膨大な量の資料がすでに準備されていて、驚く。英国史オタクの私も知らなかった写真豊富な本もあり。史実のおもしろさに、「25ans」視点でのジュエリーやファッションのビジュアルが加われば、ロイヤル度において無敵であろう。一読者としても、特集が今から楽しみ。

◇帰ったらジョン・ガリアーノから大きな封筒に入ったラブレターが届いていた。と思ったら、ラブレター仕様にした新作香水のサンプルだった。「パルレ・モア・ダムール」。ブルーベリー、ジンジャー、ベルガモットがトップに香り、ジャスミンやラベンダー、ターキッシュローズがミドルに、そこにムスクやサイプレスが加わっていく……というガリアーノらしい力強く官能的なフレグランス。

とりわけブルーベリーの香りが新鮮で、パソコン疲れの目にまで効きそうな気がするのだが、ああでもよりによってこのタイミングである。4月27日発売、とあるが大丈夫なのだろうか。ビジネス的な面でも、市場のガリアーノ受容(あるいは拒絶)ムードにおいても。挑発的なアムールの香りが、なんだか切ない香りに感じられてくる。

「インターネットや携帯、Eメールで恋に落ちるという術で、恋そのものの魅力を失ったように思うのです。私は、手紙に感情を書きつらねるような愛すべきロマンスと、現代的なミューズの精神とを組み合わせた香りを作りたい」―ジョン・ガリアーノ

とプレスシートにある。インターネットと携帯によって「ハメられた」感も強いガリアーノ。反インターネットをうたう香水のコンセプトがさらに切ない。

◇パリコレのハイライトをいくつかのウェブサイトでチェック。ガレス・ピューのコレクションでは、モデルが口の中に青いLEDライトを加えている。魂がモデルの体から抜け出している!?という感じで、はっとした。たしかに、あまりにも無表情すぎるモデルを見ていると、「魂(or感情)あるのかな?」と思うことはあるにはあるが。

次男をダシにして応募した「リリー・フランキーのイラスト講座」、応募者多数ということだったが運よく当選、「保護者」として参加する@慶応義塾大学日吉キャンパス、ワークショップ・コレクション。

「生徒」は21名ばかりの小学生。それぞれが作文を書き、それに合わせたイラストを描く。ひとりひとりの作品が、リリーさんのコメントつきで紹介される2時間のワークショップ。

リリー先生が登場したとたんに空気がほんわかとなごむ。保護者席(リリーさんの言葉を借りれば、「おかあさんち」)の熱気がすごかった。やはり応募するのは(私も含め)、リリーファンの保護者だから当然か。

いい文章のコツ、というリリー先生の指導――「本当に思っていることを書きなさい。きらわれてもいいし、お母さんにおこられてもいいから、本当のことを書く。人にこう見られたいとか、こう思ってもらいたいとか、これを書いたら売れないだろうな、とかいうよけいな思いが入ると、つまらなくなるんです。こんなものを書いたら恥ずかしい、くらいのほうがちょうどいいんです。そもそも表現をするとは恥ずかしいこと。恥ずかしいことを書くからこそ、いいんです」

「書くことがないひといますか? 書くことがない人は先生といっしょにタバコすいに行きましょう」などなど、ぼそっとつぶやく何気ないことばにいちいち爆笑していたのが「おかあさんち」(おとうさんも大勢いらっしゃいましたが)のほうで、生徒のほうは「なにがおかしいのか?」という顔で、けっこう真剣にとりくんでいた。

うまい似顔絵のコツ、というリリー先生の指導――「だいたいがね、似てるのか似てないのかわからない顔になります。ほらね。そういうときは、絵の隣にその人の名前を書くんです。<ハマ>とか。プロはさらにそこに矢印を入れます(といって、名前から顔のイラストに向かって矢印を入れる)。そうすると、その人だってわかります」

かなりオトナな裏ワザの指導である。っていうかそれ、リリー先生じゃなかったらサギじゃん(笑)。

作品一つ一つに対するコメントにも、笑いと愛情があふれていた。ほめてるのか茶化してるのかわからないコメントも多々あったけれど(「このミッキーはカダフィ大佐みたいだね」とか)、最後は必ず生徒のキラリと光るところを見つけて、勇気を与えて作品を返してくれる。「遅刻ぐらいで腹を立てる友達はほんとうの友達じゃありません」という楽屋オチのコメントもぴょんぴょん出てきて、やはりそういうのは「おかあさんち」だけでウケていた。

最後は、リリー先生も予定外だったみたいだけど、ひとりひとりの似顔絵を、サイン入りで描いてプレゼントしてくれた。予定時間を大幅にオーバーして。リンパ腺が腫れているとかで、体調は必ずしもよくなかった様子なのに、一人として手抜きはなかった。誠実な方である。

どさくさにまぎれて「エコラム」にサインしていただく。「こんな下品な本を読んでくださってすいません・・・」と言いつつ、おでんくんのイラストつきのサインを書いてくださった。「おかあさんち」のひとりとして、リリー先生の人柄にふれた楽しい時間だった。ありがとうございました。

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写真は、「イラストは紙からはみだすくらいのつもりで描きましょう」と教えるリリー先生。

あけましておめでとうございます。

新しい年が、みなさまにとって良い年になりますよう。

◇ヴィレッジバンガードで予期せず出会った澁澤龍彦『快楽主義の哲学』(文春文庫)。ダンディズム、反効率のロマン主義、反トレンドの個人主義、などなどの日頃ぼんやりと唱えていたことがすべて「快楽主義」というこの一点にフォーカスしていき、波長がぴたりと合って増幅したような感激をおぼえた一冊。

1965年にカッパブックスの一冊として刊行されたときには、「澁澤がこんな俗っぽい本を」とずいぶんファンをがっかりさせたようである。たしかに「らしく」ない平易すぎる語りだが、決して「薄く」はない。博覧強記の「アニキ」がおしゃべりしながら古今東西の快楽主義を説いてくれるような、読みやすさと読み応えが両立している本。

冒頭の、幸福と快楽の区別。「要するに、幸福とは、まことにとりとめのない、ふわふわした主観的なものであって、その当事者の感受性や、人生観や、教養などによってどうにでも変わりうるものだ、ということです。これに反して、快楽には確固とした客観的な基準があり、ぎゅっと手でつかめるような、新鮮な肌ざわり、重量感があります」

「文明の発達は、かならずしも幸福の増加を約束しない。むしろ人間の自由を束縛し、『現実原則』を発達させ、いきいきした快楽をつかもうとする人間本来の欲求を沮喪させる」

というわけで、現在書店に並ぶ凡百の幸福論をかるくふっとばす爽快な論が繰り広げられ、あらためて「快楽主義でいこう!」という意を新たにさせられたわけなのであるが、再読、再再読ののち残ったエッセンスのメモはまた後日に。

◇何ヶ月か前に、まったく別々に予約注文していた「マッドメン」シーズン3のボックス、「ゴシップガール」シーズン2のボックス1、「ビートルズアンソロジー」のボックスがほぼ同時に届く。そんな。どれを先に見るべきか。

◇とはいえ、目前の締め切りをクリアするまで封印。インスピレーションを求めてフィリップ・メイソン『英国の紳士』を読み直したら、新しい発見がいくつもあって、しばし没頭してしまう。やはり「ジェントルマン学」は奥深くて面白いとあらためて実感する。

チェスタトンの引用に、にやりとさせられる。

「近代イギリス国家の少数独裁的性格は、多くの独裁国とは違い、富者の貧者に対する残虐性に基づいてはいない。富者の貧者に対する思いやりにさえ基づかない。貧者の富者に対する永続的で確実な思いやりに基づいている」

紳士の美徳を支えてきたのは、紳士階級ではない人々の、紳士に対する「思いやり」。この視点がまたイギリス的。

◇ピンクリボン月間がスタートということで、都内でも東京タワーはじめいくつかの高層建築がピンクに染まる。

そのなかのひとつ、ペニンシュラホテルで開催のチャリティパーティーにちょこっと参加させていただく。ドレスコードは「ファビュラス・ピンク」。ペニンシュラ広報、マークさんのピンクの帽子にさすがと感心。

◇NHKドラマスペシャル「白洲次郎」のDVD3枚セットを買い、さっそく見始める。Disc.1は「カントリージェントルマンへの道」で、父の文平の隆盛と没落、ケンブリッジでの生活、正子との出会い、政治との関わり、そしていち早く鶴川に「疎開」を始めるまで。

正子役の中谷美紀と次郎役の伊勢谷友介が英語で会話する。こそばゆい感じ。とはいえ、次郎初心者にも次郎ファンにも、次郎のキャリアの筋道を追っていける、とてもよくできたドラマだと思う。優雅な20年代~30年代のファッション、インテリア、建築も堪能できる。美しすぎるケンブリッジの風景にナミダ。

よくできているからこそ、気になったこと1点。次郎が「ノブレス・オブリッジ」と何度も発していたが、これは「ノブレス・オブリージ(ュ)」と「リ」のあとはのばして発音するのが正しいのではないか? (少なくとも何度もそのように指導を受けた記憶がある)

次男のピアノ発表会@フィリアホール。渡辺信子先生の門下生16人+プロとしてもご活躍の渡辺敬子さんの特別演奏。

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ベートーベンのソナチネ第5番、バダジェフスカの乙女の祈り、モーツアルトのトルコ行進曲はじめ、ローティーンの時代に「弾かされた」(苦笑)記憶のある懐かしい楽曲に、当時の平和で幸福な時間が蘇る。音楽も、においと同様、無意識の層から古い記憶を引っ張り出す力があるようだ。

今だったらぜひとも「弾きたい」と思うけれど、肝心の指が動かない。

ベートーヴェンの悲愴、ショパンの英雄ポロネーズ、ショパンのワルツは何度聴いてもうっとりするし、演奏者によって異なる解釈を聴き分けながら、演奏者の性格や内面をつらつら想像したりするのも、また楽しい。

夏休みも終わり。今年はとりわけ暑くて長い夏だった。

佐藤優氏講師による「カール・マルクスの『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』を読む」会@衆議院第一議員会館。

なぜ、政治の世界で「風」が起きるのか? 小泉純一郎氏は、立派な政策をもたなかったにもかかわらず、なぜあれほど国民の支持を得たのか? 田中真紀子氏は、いっとき、なぜ「風」を起こすことができたのか? ひるがえって、浮動票を使うためには、どのようにしたらよいのか? 

こうした「制度の盲点」というか「民主主義のおとし穴」のような政治的現象を、共和制下フランスのルイ・ナポレオンが圧倒的支持を得た状況と照らし合わせながら考え、日本人の集合的無意識を言語化していく、というとても興味をそそられるテーマ。

歴史的現象は、「一度は偉大な悲劇として、もう一度はみじめな笑劇として」現れる。つまり、モノゴトは無意識のうちにらせんを描きながら反復する。だから過去の事例から類似の「構造」というかモデルを探し出すことができる、という本書にも記される考え方を確認したうえで、現代に起こっている政治・経済・社会の大小さまざまな現象を、過去の事例と比較しながら次々に分析していく過程は、たいへんに刺激的である。

現在の円高。民主党の党首選。普天間問題。浅田次郎「終わらざる夏」が今、売れている理由。団地の中で白骨化した死体と同居できる日本人がいることの意味。村木裁判のウラの意味。検察と官僚と民主党の力関係。「官僚」という一つの塊をなす階級の存在を認めなくてはいけない現状。自衛官が反旗を翻すことができる現状の不気味さ。民族と国家と市場とのバランス関係。「帝国」の本来の意味。卑近な話題では、マルクスとエンゲルスの、俗っぽくどろどろの私生活。足利義満が建てた金閣寺の中にある、むだにも見える広間の政治的意味。

革命(Revolution)の本来の意味の解説も、目からうろこが落ちる思い。レボリューションとは元来、「天体が回ること」であった。つまり、「天体の運行が変わると、それに応じて地上が変わる」というのが「革命」で、これはどちらかといえば、あきらめの思想に近い、と。

(こんなふうに、語源順に意味が書いてある英和辞典は、Oxford English Dictionaryに準じてつくられた「岩波英和辞典」のみで、1970年代に出たのが最後の版とのこと)

ちなみにレヴォリューション=革命、と訳されることになったのは、孟子の易姓革命から。天の意志が変われば、地上の王朝が変わる、というのが、易姓革命の思想。その「天の意志」に呼応するのが、ほかならぬ、民衆。

前回に引き続き、多岐にわたる圧倒的な情報のシャワーを浴びた思いがする。

外は満月。

品川よしもとプリンスシアターにて、よしもと若手~中堅(?)の芸人さんたちの寄席公演。

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ほとんど「はんにゃ」目当てであったが(笑)、アジアン、品川庄司、中山功太、ロバート、はりけ~んず、それぞれ個性が際立っていて、腹筋が痛むほど笑わせていただいた。瀧川なんとかさんの「冬ソナ」ヨン様に扮したマジックも楽しく、水玉れっぷう隊のパフォーマンスには感動(コントは少し長すぎたかも)。包丁、まな板、ビニール傘、おろし金、ごみ箱、といったどの家庭にもありそうなものたちを使って、キレのいいミュージックを生みだすパフォーマンスは、驚きに満ちていて、もっとたくさん見たかった。

品川のエプソン水族館。「TSUNAMI」の記憶が生々しいので、この水槽トンネルが地震で決壊したら……とついつい想像してしまう。

トンネルの真上には、ノコギリザメがはりついていた。コワい「顔」(?)がそこはかとなくユーモラス。

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恒例のイルカショウ。今夏のテーマは「イナズマイレブン」ということで、高くジャンプしてヘディングをするイルカたち。

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近くに、なつかしいマーライオン像が見えたので近づいてみたら、「シンガポール・シーフード・リパブリック」なるレストランがあった。かの「ジャンボ」はじめ、シンガポール政府観光局おすすめのシーフードレストラン数件が名を連ねている。今夏は行けなかったので、せめて雰囲気だけでも、と入ってみる。湿度も気温も、建物もインテリアもメニューもシンガポールそのまんまという感じで、楽しくて美味しかったけど、やや割高感もあったかな。現地にいっそう行きたくなる。

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昨日の試写後、日比谷線ついでに出光美術館に寄り、「日本美術のヴィーナス―浮世絵と近代美人画」展を観たときのメモ。

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江戸時代の浮世絵から昭和初期の美人画まで、「和美人」を堪能。美人はS字曲線で描かれる。美人はすっと筋が通っているが、力みがない。美人は押し出しが強いのではなく、引き込む力が強い。などなど、日本人が「美人」として描いてきた絵を眺めながら、つらつらと考える。

西洋のドレスが足元にも及ばない和服の美しさも再発見する。幾重にも重ねられた繊細な布のちら見せ、大胆な色と柄の組み合わせ(組み合わせは無限にあるから、同じものがふたつとない)、ドレープの美しさ。帯の立体感。扇子や傘などの小物のあでやかさ。扇子をお盆にして盃を運ぶ、だなんて。

明治・大正・昭和初期に活躍した近代美人画の画家たちに出会えたことも大収穫だった。鏑木清方の「五月晴」、伊藤深水の「通り雨」、上村松園の「冬雨」など、絵の前から離れがたいほどの艶めかしさ。

上村松園のミニ画集も購入。「一点の卑俗なところもなく、清澄な感じのする香高い珠玉のような絵こそ私の念願とするところのものである」という松園のことばの引用あり。納得。伝統的和美人のエッセンスも、「清澄で、香高い珠玉」かなあ、と。

久々に来た丸の内界隈、いつのまにかおしゃれになっていた。三菱一号館美術館(あいにく休館中)も入るブリックスクエアに、ジョー・マローンの店舗も発見。うれしさ半分、あんまりあちこちに店舗を作ってほしくない感じも半分。どこででも手に入るようになると、便利な反面、ありがたみも薄まっていくので・・・。

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昨日の取材のあと、渋谷ついでに、「ブリューゲル版画の世界」@BUNKAMURA。150点を超える圧倒的な展示で、真剣に見入っていたら、最後はほとんど足も疲れ、頭も朦朧としてくる。ゲイジュツにも体力が必要。

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予想したよりも一点一点の作品の大きさは小さい。だが、一点一点のなかに、予想したよりもはるかに豊穣な世界が、これでもかというくらい過剰につめこまれている。

おびただしい数の作品のなかでも、ワクワクするほど面白かったのは、「七つの原罪シリーズ」や人間の愚行を描く版画、そして諺をビジュアル化した世界。

「貪欲」「傲慢」「激怒」「怠惰」「大食」「嫉妬」「邪淫」、それぞれの中にみっちりと描かれるディズニーランドの建物のようなオブジェ、どこからイメージがでてくるのだろうかというグロテスクで奇怪な生き物たちは、ブキミを通り越して、魅惑的である。

実際、会場のなかでは、ヘンな生き物たちは、ひとつひとつ抽出されて、壁の垂れ幕に描かれていたり、ソファの柄になったり、デジタル化されてスクリーンの中で動いていたりしたが、かなり「かわいい」のである。一緒に見た次男は、「昔のポケモン?」と言っていた。たしかに、足のある魚や、手と翼をもつモンスター、甲羅をかぶり、頭から尻尾を生やし、手で歩く顔のキャラクターなどは、そのまんまポケモンになってもぜんぜん不思議ではない。

さまざまな動物、楽器、モノの象徴性など、はじめて知ったこともたくさん。というか学びきれないほどの情報量。人間の愚行が400年前と今とほとんど変わらないということも、あらためて実感する。

ワンコが「いぬかき」で海水浴をしていた。あたりまえ、なのかもしれないが、実際に見たことがあまりないような気がして、思わず見入る。

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「オルセー美術館展2010<ポスト印象派>」@国立新美術館。

のほほんとして出かけて行ったら、入場までになんと60分待ちの大混雑。ようやく入場できてからも人垣でほとんど絵と向き合えない。会期があと1週間しかない「空前絶後の展覧会」ということで、なんだかアジア中から人が来ている、といった感(中国語、韓国語も飛び交っている)。美術館がこんなに混むのも、空前絶後?

そんな状況のなかでも、なんとか隙間を見つけてじっくり見ることができた絵の中では、アンリ・ルソーの「蛇使いの女」に心を奪われた。妖しい夢を見ているような、こってりと濃厚な熱帯林のヴィジョン。写真からは伝わってこない、艶やかな陰影にうっとり。

ファッション史の「資料」として頻繁に引き合いに出される、モネの「日傘の女性」や、サージェントの「カルメンシータ」、ジェルヴェクスの「ヴァルテス・ド・ラ・ビーニュ夫人」の絵にも、心打たれる。思っていたよりも、絵のサイズがはるかに大きい。有無を言わせぬほどの迫力の美に圧倒される。

ゴッホの有名すぎる「星降る夜」や自画像も、ああこれがあの!という感激とともに観る。油彩ならではの艶と立体感を味わうことができて、満足。

オルセー美術館が改装工事をする期間を利用して、今回の大展覧会が可能になったとのこと。あまりの混雑で、小さなサイズの絵がよく見られなかったのが心残りなので、次回はぜひ本家の美術館で見たい(って言っても、今以上に混んでいる可能性大ですかね・・・)。

◇「クロワッサン」より著者インタビューを受ける。書いた本に関心をもっていただけるのは、とてもありがたいことである。感謝。

◇旧知の編集者ジュリちゃんと、ピエール・ガニェール@ANAインターコンチネンタルでランチ。ピエール・ガニェール・ア・トウキョウが南青山から撤退してさびしく思っていたら、こんなところに移転していた。

36階に、別天地のように広がる空間。外を見ながらゆったり並んで座れるソファ席もあり、夜のデートに使えばさぞかし艶やかなムードで過ごせるであろうなあ、と思わせる店。今日は女二人で色気のないことであるが。料理は期待以上にすばらしい。

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青山にあったときよりも、「わかりやすい美味しさ」が演出されているように感じる。メインは豚ロースのディアボロ風。辛口のロゼと一緒に。

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コーヒーについてくるプチフールも、小さいのにひとつひとつくっきりとしたパンチがある。食べられるスミレがのったチーズケーキ(上)、梅干し(!)のピューレ(中央)がとりわけ印象的だった。

スタッフの対応も、フレンドリーで、くつろげる。制服があまりにもかわいいので、どなたのデザインかと聞いてみたら、コシノジュンコさんとのこと。ポイントに赤が効果的に使われている。ソムリエの制服は黒っぽい詰襟だけど、ボタンホールの縁取りやそで口から見えるシャツにきれいな赤がちらちらと配されていて、テーブル周りでの所作を優雅に見せている。

◇「ファッションが教えてくれること」DVDで。「セプテンバー・イシュー(=9月号=広告がたっぷりとつく秋のファッション特大号)」ができるまでの、ヴォーグ編集長アナ・ウィンターを追ったドキュメンタリー。この人ならではの名言もちりばめられて(「ファッションを軽蔑する人は、ファッションを恐れている」には考えさせられる)、トレンドが実際に生み出されていく過程に関しても、発見が多い。アナ・ウィンターの働きぶりは、「一流の仕事人」のお手本として、かっこいい。

◇中央公論8号書評(by井上章一さん)感謝。

◇本はいったん世に出たら「読者のもの」である。どこでだれがどのように読むのか、作者はコントロールすることなどできない。ときどき、思わぬところで意外な読み方をされていることを知り、驚くこともある。

たとえば昨日、中学校の同級生がひさびさにメールをくれたと思ったら『モードとエロスと資本』が20日付の某政党機関紙「赤旗」で引用されている、と(←GOKIちゃん、教えてくれてありがとう!)。一面のコラム「潮流」という欄で、引用というより、コラムの大半が本の紹介にあてられていた。私の生活圏にもっとも「ない」ものといえば政治色で、まさか政党の機関紙にとりあげられるなど夢にも思わなかっただけに、ちょっとびっくり(とはいえ、ご紹介いただき、感謝します)。

◇「ニューヨーク・タイムズ」の「Tマガジン」19日付で、「タイツをはいた男」の歴史。ラッセル・クロウの新作「ロビンフッド」にからめての記事だが、どうやら、ラッセルは観客の熱い期待にこたえず、タイツをはかなかったらしい(映画は未見なので、いったい何を着てロビンフッドを演じたのかは今のところ不明)。

で、備忘録までに、タイツ男の歴史。こんな男たちが紹介されていました。

・1537年 ハンス・ホルバインが描いた「ヘンリー8世」。

  この絵は私も大好きで、何度も引用! スカートとコッドピース、シルクストッキングでの脚線美、詰め物たっぷりの胴体は、チューダー・マッチョの極み。

・1922年 ダグラス・フェアバンクス主演の「ロビンフッド」。

 タイツとキュートなベストに帽子。

・1938年 エロール・フリン主演の「ロビンフッドの冒険」。

 グリーンのタイツとベルベットのケープ。現在のロビンフッドのイメージは、たぶん、このエロール・フリン版の緑のタイツで決まったのでは?

・1959年 「お熱いのがお好き」のジャック・レモンとトニー・カーチス

 女装だからな・・・。男らしさとしてのタイツ、という観点ではちょっとはずれる気も。

・1966年 「白鳥の湖」のルドルフ・ヌレエフ

 未見。一度見てみたいと思い続けている、男版の白鳥の湖。

・1978年 「スーパーマン」のクリストファー・リーヴ

・1993年 ケアリー・エルウィスの「ロビンフッド:タイツをはいた男」

 タイツ男に対し、ややからかいの調子も入る。

以上。それにしても、ラッセルのタイツ姿、観たかった~!

こどもの日ということで、次男のリクエストにこたえ、横浜・桜木町。Photo_2

新しい施設もオープンしていて、かなり混雑している。遊園地のお決まりコースをひととおりまわった後、横浜みなと博物館と帆船日本丸の探訪。いつも外から見るだけだったが、中まで入るのは初めてのことであった。

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思わぬ収穫も多かった。「ポンコツ」の語源がpunishment、「チャブ台」のそれがchop house、「ウワヤ」はwarehouseで、「ペケ」がpig。そんなこと夢にも思っていなかっただけにびっくり。博物館っていうのは、なにかしら、得るところがあるものだ。

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観覧車と日本丸とパンパシフィックに加えて鯉のぼり。なんだか「てんこもり」感を覚える。

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わざわざお断りするほどのことではないのかもしれないですが、ときどき、別の業界で活躍なさっている同姓同名の方と同一人物だと思いこんでいらっしゃる方に遭遇するので、混同された方に対しても申し訳ないことと思い、「別人です」と、あらためて、くどく申し上げておくことにしました。

プロダクション所属のモデルの方に、同姓同名の中野香織さんがいらっしゃいます。もちろん、まったく別人です。「タレントまがい」と私を中傷する方がいらっしゃるのですが、それはこのモデルさんのご活躍と混同されているためかと思われます。私は地味なただのモノカキで、どちらのプロダクションなどにも所属しておりません。

他の私立大学に、マーケティング論をご専攻なさっている同姓同名の先生がいらっしゃるようです。もちろん、別人です。

女装マニアの男性に、同姓同名(芸名?)がいらっしゃるようで、しばしば混同されます。私は確かにオトコ顔で、よく「オカマが化粧するとこういうケバイ顔になる」とは指摘されるものの、残念ながら、同一人物ではありません。

フランス書院から、同姓同名で本をだしていらっしゃる方がいます。たぶん、筆名かと思いますが、私ではありません。「出版年代から見て、学生時代にバイトのつもりで書いたものでしょう」などとまことしやかに言われることもあって、目がテン状態です。だいたい学生時代は苗字が違ってましたし。否定すればにやにやされるばかりで、なんだかなあ・・・どうしても私が書いたことにしておきたいのかなあ・・・という感じで、げんなりしてきます。ほんとうの作者に対しても、申し訳ない限りです。フランス書院の本は素晴らしいとは思いますが、私にはそちらの領域の読者を満足させられるようなものを書く才能もなければ、ご縁も興味も素養も決定的にありません。

以上の同姓同名の各界のみなさまの、それぞれのご活躍を心からお祈りしております。