(もう会うこともないだろうけど)またな! っていう「ターミネーター」のシュワちゃんの名セリフ”Hasta la vista, baby!”をここぞで使うボリス・ジョンソン。

ハワード・モートマンさんの投稿から。

最後までボリスらしくて、終始にこやかにさせてくれて、ちょっとだけ泣けた。

それにしても議員たちの多様性と賑やかさと活気ときたら。席の距離感の問題だけじゃないだろう。

ボリスについては読売新聞の連載「スタイルアイコン」でも書いていましたよ。こちらでご清覧ください。

トップ写真はオフィシャルポートレートです。ウィキメディアコモンズより、著作権フリー。

 

Forbes にて新連載が始まりました。

新しいラグジュアリーを作るためのロジックを構築していく連載です。

 

ミラノのビジネスプランナー、安西洋之さんとの共同連載で、毎回、両者で書きますが、リードを交替します。初回は安西さんリードで中野は後半に書いています。

今年の6月から、ビジネス界の有志10人ほどでラグジュアリーの勉強会を重ねてきました。その成果をじわじわと公表していこうと思います。

AIにはできない技能をもつ職人が尊重され、調和のとれた環境のなかでひとりひとりが価値を感じながら生きることができる、ラグジュアリーが尊重される次の社会目指して。ポエムではないロジックで、新しいラグジュアリーを作ろうという人を応援します。

Forbes Japan のウェブサイトでご覧くださいませ。

 

 

勉強会の主なメンバーは、次の方々です(あいうえお順)。

クラシコムの代表、青木耕平さん。ボストンコンサルティングの岩淵匡敦さん。日本経済新聞The Style編集部の太田亜矢子さん。Forbes ウェブ版編集長、谷本有香さん。静岡大学大学院准教授の本條晴一郎さん。TooTの社長、枡野恵也さん。セント・マーチン美術大学出身後、ロンドンのセントマーチン美術大学を卒業後デザイナーとして活躍する松原優子さん。マザーハウスの副社長、山崎大祐さん。医師でアートコミュニケーターの和佐野有紀さん。ひと月に一度のZOOMですが、このほかに毎回、ゲストとして錚々たる方々が参加してくださいます。それぞれ超ご多用の合間を縫って、新しい知の地平を楽しんでくださっております。こうした方々の豊饒な知性と感性の応酬に支えられております連載であることを、お断りしておきたく思います。

?過去最大のメンズウエアの展覧会がロンドンで開かれます。「インヴィジブル・メン (Invisible Men)」。120年の歴史を、170点以上の服飾品で。

これまで「ダンディ」やピーコック系などの華やかなメンズウエアの陰に隠れて「見えなかった(invisible)」メンズウエアに脚光を当てるとこと。

10月21日から11月24日まで。ウェストミンスター大学にて。概略のわかる「インデペンデント」の記事はこちら

ロンドンご出張などのタイミングの合う方はぜひ訪れてみてくださいね。

 

?Cha Tea 紅茶教室による『ヨーロッパ宮廷を彩った陶磁器 プリンセスたちのアフタヌーンティー」(河出書房新社)。カラー図版が豊富で、バロックからゴシックリバイバルまでの紅茶をめぐる文化がよくわかります。保存版の一冊。リスペクト。

 

?平野啓一郎『「かっこいい」とは何か』(講談社現代新書)。日本語の「かっこいい」をめぐる歴史を広範な視野のもとにたどった力作。リスペクト。拙著『ダンディズムの系譜』からも引用してくださっていてありがとうございます。

 

ラルフ・ローレン(79)が、ファッションへの貢献を評価され「名誉最優秀英帝国勲章KBE(ナイト・コマンダー)」を受章しました。


Photo : Chris Allerton 

バッキンガム宮殿で行われた叙勲式において、チャールズ皇太子殿下より名誉ナイト勲章が授与されました。おめでとうございます!

アメリカのデザイナーとしては、はじめてのKBE受勲者となります。



Photo: Chris Allerton

このデザイナーの最大の功績は、アメリカに「上流階級」という幻想ないし夢を作り、それをファッションによって具現化したことでしょう。ついにはデザイナー自身のファミリーがブッシュ家との婚姻関係により「ロイヤル」な印象を与えるまでに。創るべきは「モノ」そのものというよりもむしろ、モノの奥にある思想や夢や哲学であることを、ラルフ・ローレンは教えてくれます。

*写真はラルフ・ローレン社ご提供のオフィシャルフォトです。

12日は、プリンセス・ユージェニーのロイヤルウェディング。ウィンザーのセント・ジョージ礼拝堂でおこなわれました。プリンセス・ユージェニー(28)は、ヨーク公アンドリューと、(離婚した)セーラ・ファーガソンとの間に生まれた次女で、エリザベス女王のお孫さんにあたる方。王位継承権は第9位。お相手はジャック・ブルックスバンク(32)、ワイン商で、テキーラのアンバサダーのお仕事もなさるソーシャライトです。

ユージェニーのドレスは、ピーター・ピロット&クリストファー・ド・ヴォスのデザインで、背中が大きく開いていることが目に留まります。そこには傷跡が。プリンスセスが12歳の時に受けた脊椎側彎症(脊椎が右または左に曲がる病態)の手術の跡で、この病気に注意を喚起するため、あえてこのような見せ方をしたのだそう。

ダイヤとエメラルドのイヤリングはブルックスバンクからの贈り物で、エメラルドのココシュニク・ティアラは女王から借りたもの。1919年にブシュロンが制作したものだそうです。

ヘアスタイリストはソニー・ジョー・マクファーレーンによる「ルーズ・シニヨン」。靴はシャーロット・オリンピア。メイクアップはハンナ・マーティンとボビー・ブラウンが仕上げたということなどなど、細部にわたる情報がいち早く発信されました。

ゲストは850人。ナオミ・キャンベルやリヴ・タイラー、デミ・ムーアらセレブリティも続々。

プリンセス・ユージェニーはたびたびロイヤルドレスコード破りを(あえて)おこなってきた気の強さを備える方。真っ赤なリップやミニスカート、胸の谷間見せやストッキングなしの素足、などなど。

傷跡見せドレスもなるほど彼女らしいなと納得。

末永くお幸せに!

 

LEON×Nikkei Style Magazineの取材と撮影でした。

芝公園ザ・プリンスパークタワー東京にて。

撮影場所として使わせていただいたのは、ハーバーロイヤルスイート。

LEONのチームはノリがよくて、終始笑わせていただきました。


楽しい現場でした。左からヘアメイクの伊藤さん、ライターの持田さん、編集の清水さん、中野、編集の市村さん、そしてカメラマンの齊藤さんです。ありがとうございました! きめ細やかにご配慮くださったパークタワーのスタッフにも心より感謝申し上げます。

 

そのままパークタワーでTokyo Music Cruise 2018.
ボールルーム、メロディライン、森のチャペル、どこも満席で立ち見であふれている! 世代も若い方からご年配の方まで、それぞれのペースでライブを楽しんでいらっしゃる光景は何とも美しいものでした。(撮影不可につき、写真がなくて残念ですが、どの場所も、ミュージシャンと観客が一体になって盛り上がっています。)


そして穴場的なスポットでもある、鈴虫カフェ。


ここでは芝公園から流れてくるライブと鈴虫の音色、そしてアーティスティクな照明と線香花火の香りに包まれ、和の雰囲気のなか、おしゃれでおいしいフードとドリンクを楽しめます。


オプションで浴衣も着つけてもらえますよ。若い女性グループばかりか、男性だけのグループもいらして、ほんわかとノスタルジックな雰囲気のなかリフレッシュできました。

大人気の鈴虫カフェは、来週いっぱい、開いています。

そして今回のTMCのメイン、スカイチャペルでのミッドナイトライブ。

迫る東京タワーを真横に見ながら、アン・サリーと畠山美由紀、そして土岐麻子、という何ともゴージャスなトリオによるライブ。宿泊プラン限定なので観客もそのまま泊まっていくだけでいいというリラックスしたムード。シャンパンを飲みながら日付が変わるまで3人の歌とトークを楽しむという、ファミリーのような一体感に包まれた贅沢な時空でした。

17日、そして日付が変わった18日はそれぞれアン・サリーさんと畠山美由紀さんのバースデーということで、ホテルからゴージャスなケーキと花束がサプライズでプレゼントされました!

先ほど森のチャペルでライブをしていた澤田かおりさんも実はお誕生日で、かおりさんにもスペシャルケーキが。なんとトリプルバースデーだったのですね。パークタワーのパティシエさんたち、がんばりましたよね(^^;)

翌朝の芝公園も晴れ渡って、まだ暑いとはいえ、秋を感じさせる風が心地よい。

(A room with a view of Tokyo Tower, Shiba-Park, Skytree, etc.)

ザ・プリンスパークタワー東京は改装後の部屋が快適で洗練されており、非日常空間ながらゆったりと寛げるばかりか、クラブラウンジの朝食は、極上です。えり抜きの素材と丁寧に作られた料理が、最適のバランスで並べられたブッフェです。

ここはよい「気」が流れており、来るたびに浄化されるような感覚を味わえます。

 

 

Tokyo Music Cruise は本日18日もやってますよ。午後2時オープンからミッドナイトまで、大勢のアーティストが登場します。今日のミッドナイトはジルデコイと澤田かおり、そしてミズノマリです。こちらもガールズトークが楽しそう。(うかがえないのが残念です)

ライブトークでは、話題を作り込まず、その場を楽しんでいるありのままの自分自身から出てくる言葉が観客との一体感を作るんだということも、あらためて学ばせていただきました。

 

 

前項で紹介したような中東の大スター、ナジワ・カラームが、プライベートで初来日するということじたい、スリリングで興奮ものだと思うのですが、来日中に二度もゆっくりとお会いすることができたナジワは、スター気取りなどとは全く無縁の、周囲への気配りを絶やさないあたたかくてオープンマインドな女性でした。

屋形船に続き、二度目に会ったリッツカールトン東京のスイートルームでも、大きな目をまっすぐに私に向け、「まちがいない。あなたに会ったことがある」と再び真顔で言われたのでした。嘘をつくような人ではなく、お世辞や社交辞令を言うような人でもない(私にそんなことを言う必要がそもそもない)。私も心の深いところで、同じような懐かしさを覚えたので、これは真実として受け止めました。たぶん、前世で会っているか、同じ魂を共有しているのかもしれません。そういう不思議な感覚って、あるのですね。

いずれにせよ、私を全面的に信頼してくれて、今回のようなインタビューができることになりました。通常であれば、マネージャーや事務所を通した、写真制限・時間制限ありの不自由なインタビューしか許されないところです。スマートフォンでの写真なのに、ナジワはわざわざハンサム&セクシーなスーツに着替えてくれ、言葉を選び、誠実に話をしてくれました。その場に居合わせた全員が、涙ぐむほどの深い愛を感じさせる言葉も発せられたほどのこの経験は、生涯忘れがたいものになるでしょう。najiwa 12
(By Courtesy of Najwa.  話に熱が入ると、英語からアラビア語になり、それを彼女の親友が英語に訳してくれました)

中東文化にほとんどなじみのない私は、中東といえばイスラム教と結びつけがちだったのですが、彼女の生まれた土地、レバノンのザハレという地方都市は、住民のほとんどがクリスチャンという町です。ナジワもカトリックの家庭で、フランス語で教育を受けています。英語も話します。ファッション上の制約もほとんどないそうです。

保守的な家庭で、四人兄弟の末っ子として育った彼女は、キリスト教系の大学を卒業して教師になりますが、幼少時からの歌手への夢をあきらめることができず、テレビのオーディション番組に出場します。ここで優勝し、厳しい父の許しを得て、レバノン音楽院で4年間学び、1989年にプロの歌手としてデビューしました。22歳のときです。

デビュー後しばらくは売れない時代が続きますが、キャリアのためには大手レコード会社からアルバムを出すことが必要と痛感し、1994年、アラブ語圏最大のレーベルである「ロターナ」と契約します。そこから出した最初のアルバム「Naghmat Hob(愛のリズム)」が大ヒット、その年の最優秀アーチスト賞を受賞し、以後、快進撃を続けて、活躍の幅を広げ続けているのは、前項で紹介した通り。

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(Photo cited from the official Facebook page of Najwa Karam)

―――ナジワさんは私とほぼ同世代ながら、ほとんど年齢を感じさせない美しさをキープしていらっしゃるのですが、若さや美しさを保つ秘訣は?

「あら、日本人は世界でいちばん若さを保つことが上手な国民でしょう?(笑) それはともかくとして、純粋なスピリットを保つことがもっとも大切。スピリットは天からのギフトで、歳をとらないの。スピリットを高めれば、それが肉体に影響を及ぼして、心のレベルに相ふさわしい肉体でいられます」

このようなスピリチュアルな考え方は、信仰というよりもむしろ「ウィズダム(智恵)」である、と隣に座る彼女の親友が解説してくれます。

―――デビューから30年近く、第一線で活躍し続けていらっしゃるというのは偉業だと思いますが、成功の秘訣は?

「モデスティ(謙虚であること)ね。私はゼロから出発したわ。自分で自分のことはよくわからないけど、他人が自分のことをどのように見るか、評価するかはとても重要視してきた。ファンや周囲の人の意見に対して謙虚であることは大切ね」

彼女の親友はここで「とうもろこし」の喩えも出してくれた。とうもろこしは実れば実るほど穂を垂れる、と。中身が充実している人ほど、謙虚なんだ、と伝えたいのですね。同じような喩えが、日本にもありました……。成功のためには「モデスティ」がなによりも大切、という考え方は、同じレバノン出身の成功者である彼女の親友と共通するもの。

―――ナジワさんはポップ・ミューシャンであるばかりでなく、ファッションアイコンでもありますね。ファッションの影響力をどのように考えていらっしゃいますか?

「世界から見るアラビア語圏のイメージには、きなくさいものも多いけれど、それだけじゃない。アラビアの文化には、美しいもの、夢や愛や幸福に満ちたものもたくさんあるのだということを、私自身の歌やファッションを通して世界に伝えることができれば、うれしいわ」。

ここで親友の解説が入る。「彼女は、アラビア語圏の女性のシンボルであり、アラビア女性のロールモデルになろうとしているんだ」。

―――アラビア語圏の女性のファションアイコン、ビューティーアイコンといえば、ほぼナジワさんが第一号と言ってもいいくらいなので、シンボルとなれば責任が重大ですね。

「私はとても保守的な家に育ったの。歌手になったのは22歳の時ですが、父は当初、猛反対しました。でも、私は父と約束をしたのです。レバノンや、ザハレや、ファミリーに、恥ずかしくないよう、誇りと思ってもらえるよう、良い女性でいつづけると。歌手というキャリアを築くこと、世界的に有名な歌手になることにおいて、中東では女性の前例がなく、私が第一号です。だからこそ、アラビア文化のよい象徴になれるよう、後進の女性たちのロールモデルになれるよう、努力しているわ。私は天から歌の才能を授かりました。それを使って、アラビア女性のイメージをより良いように変えたいのです」。

ナジワ・カラームはアラビア語圏の女性のファッションアイコンであるだけでなく、教育、キャリア、女性のあり方においてのリーダーであり、ロールモデルなのですね。それを自覚し、行動しているナジワの責任感、芯の強さ、謙虚さ、あたたかさ、純粋さに心を洗われる思いがしました。

4.6.8
そしてインタビュー後半は、次項に続きます。

 

まったく思いもかけなかった幸運な出会いに恵まれるというのは、人生が与えてくれる最高の幸福の一つだと思いますが、私のささやかな生涯のなかでも最も運命的な、印象深い出会いになるだろうと思われるもののひとつが、この4月に訪れました。ナジワ・カラームとの出会いです。

2日の屋形船でご一緒したとき、「あなたを知っている。あなたに会ったことがある」と真顔で言ってくれ、私に好感をもってくれたナジワに、なんとアジア圏初の独占インタビューをするという機会に恵まれました。たっぷりと90分近く、ナジワに親しく話を伺いました。その余韻が、数日たった今もなお続いてます。

その詳細を書く前に、日本の読者の皆さんに対し、ナジワ・カラームとは何者かという話をしなくてはなりません。

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ナジワ・カラーム(Najwa Karam)は、1966年レバノンの地方都市ザハレ生まれの中東を代表するアーティストです。日本では言葉の壁が大きく、なかなか情報が入ってきませんが、中東、ヨーロッパ、北米、オセアニアではすでに60ミリオンのレコードを売り上げ、数え切れないほどの賞を受賞しています。18枚のスタジオアルバムのうち、大半がミリオンセラー。1999年、2000年、2001年、2003年、2008年には、中東でもっとも多く売れたアーティストとして記録されています。

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ポップミュージシャンとして成功するばかりでなく、テレビのスーパースターでもあります。「Arab’s Got Talent」という人気タレント発掘番組のメインジャッジを4年間つとめ、どこへいってもパパラッチに追いかけられているというセレブリティです。

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コマーシャルの世界においても、アラブ首長国連邦の不動産会社、Pearl Propertiesのブランドアイコンを務めたり、高級宝飾会社Mouawad Jewelryの時計ライン、La Griffeの「顔」として活躍、ブランドイメージのアイコンになっています。また、2012年は化粧品のロレアル・パリから初のアラブ系スポークスマンとして選ばれ、アラビック・ビューティーの代表的な存在になっています。

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ファッションアイコンとしても名高く、カンヌのレッドカーペットで着たZuhairのマーメードドレスをジェニファー・ロペスがその年のゴールデン・グローブで着用する(まねする)など、彼女が何を着るかは、ファンばかりではなく、他のスターたちからも注目されています。

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当然、ソーシャルメディアでの人気も高く、たとえば今年のニューイヤーコンサートで披露したこの姿には、スターのフェイスブック史上最高値である432,000のLikesがつきました(写真は、Likes 最高値のものではありませんが、そのドレスを着てのパフォーマンス風景)。ドレスは、Nicolas Jebranのもの。

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どのくらい人気のある大スターであるか、以上の情報でおわかりいただけましたでしょうか…。本欄では、ナジワの公式フェイスブックページから写真を引用させていただきましたが、Najwa Karamと検索していただければ、ほかにも多くの美しくゴージャスな写真や輝かしい情報が出てきます。

そのナジワに独占インタビューさせていただいた内容は、次の記事で。

8日付、ボストン美術館のキモノウェンズデー中止についての記事に関しては、通常の300倍以上のアクセスがあり、やや驚いています。フェイスブックにあげた同じ記事には、まさかの1200を超える「いいね」と、260を超えるシェア。超有名人でもないかぎりこんな数字は見たことありません。国内でそんな大きなニュースにはならなかったゆえに、いっそう関心が持たれたのでしょうか。

この件に関して、ショーン先生からのご指摘で、さらに補足しておいたほうがよいと思ったこと。以下、フェイスブックのコメント欄にショーン先生が書いてくださったコメントを、勝手ながら私のほうで少し編集して、ご紹介します。

「現在の、社会的正義を気にする若いアメリカ人のなかには、文化の盗用に対する過度な不安(ニューロシス)があります。

彼らの考えでは、西洋人や白人は、非西洋文化やマイノリティー文化に対して主導権があります。西洋人や白人は、他国の文化を盗用することにより、人種差別やオリエンタリズムを助長する、と彼らは考えています。非西洋文化やマイノリティー文化の伝統的な服を着ることじたいが、人種差別、オリエンタリズムに該当する可能性があるというのです。

たとえば、ハロウィーンのコスプレパーティーに関して、ソーシャルメディアで69,000人にシェアされたブログがあります。「あなたのハロウィーンのコスプレは人種差別にあたる?」。そのなかでブログの書き手はルールをこのように説明します。「あなたのコスプレは他の人種や民族や文化からヒントを得たものですか? もしそうであれば、それは人種差別かもしれません」と。先住アメリカ、東アジア、日本やアラビアの伝統的な服のコスプレは、人種差別にあたる可能性があるというのです。


着物を海外のマーケットで販売することを視野におくにあたり、さまざまな課題に直面すると思いますが、アメリカの「文化の盗用ニューロシス」はまさに課題の一つだと思います。http://everydayfeminism.com/・・・/is-your-halloween・・・/ 」 Thanks to Shaun Odwyer sensei.

文化の盗用神経症。なんだか<優越した>立場にある彼らが正義を過剰に意識することで、逆に非西洋社会のほうが迷惑をこうむってる感じですが。そんなことを気にしすぎたらもうなんにも着られない!とツッコミをいれたくなるのをぐっとこらえて。こういう神経症が白人社会のなかにある、ということを、私たちは意識の片隅においておくべきでしょう。

ボストン美術館の「キモノウェンズデー中止事件」。日本のメディアではなぜかほとんど報じられなかったのですが、海外、そして日本の中での海外コミュニティでは議論を巻き起こしています。

フェイスブックページも立ち上がり、私も参加して議論を見守っていたのですが、そのページにお招きくださった国際日本学部の同僚、ショーン・オドワイヤー先生がジャパン・タイムズにとても文化的な配慮の行き届いた記事を書きました。「キモノと文化の借用について」。ショーン先生と議論をしたなかでの私のコメントも最後の締めに引用してあります。光栄です。

以下、ショーン先生の論文のきわめて大雑把な超超訳です。きめこまかなニュアンスに関しては、Japan Times の原文をあたってください。

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キモノ産業はずっと衰退に向かっている。だからキモノ産業は主流である伝統的なフォーマルなキモノだけではなく、海外のマーケットに目を向けている。

最近、ボストン美術館がおこなった「東方を見る:西洋のアーチストと日本の魅力」展は、NHKも協力し、キモノ文化のプロモーションという役割も担っていた。

1876年にクロード・モネが描いた「ラ・ジャポネーズ」。モネが自分の妻に打掛を着せて見返り美人のポーズをとらせているが、当時のフランスにおけるジャポニスムの熱狂を皮肉ったものでもあった。

ボストン美術館はキモノ・ウェンズデーを企画。来場者は、モネの絵に描かれたような豪華な刺繍を施された打掛(用意したのはNHK)を着て、絵の前で写真を撮ることができるというイベントである。

ところが予期せぬ出来事が発生。アジア系アメリカ人と思われる若い抗議団体がプラカードをもってキモノ・ウェンズデーにやってきたのだ。「オリエンタリズム」「人種差別」「(アジア人を侮辱する)文化の勝手な流用」と。

抗議団体はフェイスブックページを立ち上げた。「Stand Against Yellowface」。そのほかのソーシャル・メディア上にも、エドワード・サイード(「オリエンタリズム」の著者)のへたくそなカラオケのような宣言を書き連ねた。白人至上主義的なやり方でアジアの文化を勝手に流用するなというような、美術館に対する批判が続いた。

7月7日、美術館はキモノ・ウェンズデーのイベントを中止。BBCとニューヨーク・タイムズがこの経過を報じると、こんどはイベント中止に反対するカウンター・プロテストが起きた。

カウンター・プロテスター(抗議団体に反対する人たち)の議論はこのようなもの。抗議団体のなかに日本人はいない(おもに中国系)。抗議者たちは、アメリカにおけるアイデンティティを主張したいがために、このイベントに場違いに乗り込んだのだ。

また、サイードの「オリエンタリズム」も誤用されている。サイードの議論は、19世紀から20世紀の西洋のアーチストが、中東やアフリカ社会を自分たちの植民地として帝国主義的な目線(上から目線)で表現していたというもので、その文脈における文化の借用・流用はたしかに非難されるべき「文化の盗用」であった。

しかしサイードの議論は日本やアジアにはほとんどあてはまらない。20世紀の初期、フランスのデザイナーたちは「流用した」キモノスタイルから西洋の女性のためのドレスを作り、日本のテキスタイル産業はこのトレンドを非常に喜んで受け入れた。

そのころは日本もどちらかといえば帝国主義的な力をもっており、「西洋化」の視線さえもって西洋文化を見ていたので、西洋が日本の「エキゾチック」な絵やファッションに熱狂したということは、サイードのオリエンタリズム論にはあてはまらないのだ。

現在のキモノ・ウェンズデーは、日本とアメリカが協働しておこなった文化交流のイベントであり、それに対して「白人至上主義目線から見たアジア人蔑視」というオリエンタリズムの議論をふりかざすのは、滑稽きわまりない。と。

しかしそもそも、こんなアカデミックな議論などここに関わってくるべきではないのだ。もっとも懸念されることは、こんなことが起きることで、キモノ産業の将来の頼みの綱である海外市場が閉ざされてしまうこと、なのである。いまやユニクロも浴衣やカジュアルキモノを世界中で売る時代。「白人が着物を着る」ことにオリエンタリズム云々の議論を持ちこむことはまったくナンセンスである。

さらに興味深いのは、世界中のメディアがこれだけ騒いでいるのに、日本の主流メディアがほとんど話題にしていないこと。日本国内の文化人やファッション関係者もほとんどこの問題はスルーである。

そもそも、「キモノを試着することが人種差別であり、帝国主義的である」という発想じたい、日本人にとってナゾなのである。「抗議団体は、反・日本の立場をとる中国・韓国系の扇動者だ」とする右翼系の愛国者もいる。

おそらく、多くの日本人にとって、このような議論はまったくピントがずれているようにしか感じられないのだ。多民族国家アメリカの中での人種間の小競り合いなんだろうな、くらいにしか見えていないのだろう。しかし、浴衣に魅力を感じながらそんな繊細な社会問題にも気を配り、ほんとうにキモノを着ていいのかどうかためらってしまった良心的な外国人のためにも、今こそ日本側からはっきりしたメッセージを発することが必要だ。

そのメッセージを、京都の西陣織工房で働くある雇用者から受け取った。「だれでも、いつでも、いかようにでも、キモノは好きなように工夫して着てかまいません」

日本は西洋に虐げられた植民地だったわけではない。キモノ産業は、オリエンタリズムに対する固執と政治的に正しい「理解」とやらによって、かえって迷惑をこうむっている。このことはもっと広く伝えられなくてはならない。

明治大学でファッション文化史を教える中野香織・特任教授はこのように表現する。「文化の借用は新しい創造の始まりです。たとえそこになにか誤解があったとしても、その誤解から何か新しいものが生まれます」。このように受けとめることがキモノファッションの未来を開くカギになるだろう。

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最後の引用は、ショーン先生とのメールのやりとりのなかで伝えた言葉です。”Cultural appropriation is the beginning of the new creativity.  Even if it includes some misunderstanding, it creates something new.”

Shaun-sensei, superbly well written!  Thank you for citing my words in such an impressive way. I am so proud.

 

朝日新聞3月28日(土)夕刊。「あのとき それから」。「パーマも指輪も全部悪」。 1940年の国策標語「ぜいたくは敵だ!」に関して。以下、備忘録としての抜粋です。

img141日本人はここまでやるんだ…という空恐ろしい歴史の実例。img1421940年7月7日、「奢侈品等製造販売制限規則」(7.7禁令)。

おおまじめにとなえられたスローガンの数々。

・「黙って働き笑って納税」「胸に愛国手に国債」「笑顔で受け取る召集令」「りっぱな戦死とえがほの老母」「米鬼を一匹も生かすな!」…。

贅沢禁止が徹底できた理由として、大衆の支持があったというのは、一ノ瀬俊也・埼玉大准教授。

「戦前は貧富の差が激しく現在とは比較にならない格差社会。ぜいたくできない人が社会の大半だった。戦時下でぜいたくは悪となり、貧乏は正義となった。そのお墨付きが『ぜいたくは敵だ!』で、社会の上層部や富裕層に対する恨みを晴らしたい気持ちとその行動を正当化してくれた」。

井上寿一・学習院大学長の著書「理想だらけの戦時下日本」より。

「ぜいたく禁止は、下が上を引きずり下ろす下方平準化だった」。

下方平準化。ネットでの有名人引き摺り下ろしにも同じメンタリティを感じる。であればこそ、この時代を笑えない。

18日、モデリスト協会主催の新春セミナーで講演しました。晴れ渡る土曜の午後、100名ほどの聴衆に恵まれました。2時間にわたってこってりとスーツをめぐる文化史のお話をいたしましたが、最後まで熱心に聞いていただき、こちらのほうが感動。ご来場のみなさま、貴重な土曜の午後にご来場いただき、ほんとうにありがとうございました。

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ご来場くださった方の中には、メーカーズシャツ鎌倉の取締役会長、貞末良雄さんや、岡山からこのイベントのためにはるばる来てくださった方、拙著を全部コレクションしているという愛読者の方、拙著をぼろぼろになるほど愛読してくださっている方なども。じかにお会いして、お話することができて、しみじみ深い感慨を覚えた日。

講演+パーティーと全て終わったとあと、セルリアンの最上階のバーで、ほぼ満月とスカイツリーを相手に反省会(笑)。自分に勝った勝利の美酒を堪能。リミット越えしたあとのお酒ほど美味しいものはない。とか言いながらなにかと理由をつけて飲んでばかりという気もしますが。(~_~;) タイトルはチャーチルのことば。

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合衆国大統領の就任式。オバマ大統領のスピーチに感動する。写真はすべて、オバマ大統領とホワイトハウスのフェイスブックページからシェアさせていただきました。

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詩的で力強く美しい言葉の数々、中でもこの部分に深く感銘をうけた。Seize the Moment、時をつかめ、というポエティックな表現を見事に生かした一文。

"We are made for this momet, and we will seize it – so long as we seize it together."

ものすごく大胆に訳すと。「われわれはいまこの瞬間のために生かされている。心をひとつにして、時機をつかもう」って感じかな。朝日新聞の全文訳(要約)では、みごとにこの部分はスルーされていた。苦笑。そりゃ、要旨ではないかもしれないが。ここがいちばん美しかったのよ。

ミシェルの昼間のコートとドレスはまさかのトム・ブラウン!やられた。

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夜は前回と同じ、ジェイソン・ウー。

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大統領のタキシードはどうだったのかな。前回は3つのまちがいを指摘されていたが、今回も白いタイだとすれば、あれ、わざと「間違えた」わけですね。

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ミシェルのファッションに関しては、来週水曜日夕刊の読売新聞連載「スタイルアイコン」に書きました。お楽しみに。

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私がもっとも感銘を受けたのは、大統領のこの表情。これが最後だからと、退場のとき、もう一度ふりかえって、人々を見回したのだった。ぐっとくる。

「再読してみてやっぱり重要」メモ、もう一つ追加。朝日8月3日付、オピニオン欄、「『断捨離』『すっきり』はリスクが高い」の森永卓郎さんの話。ブームにさえなっている断捨離や片づけに対する、B級コレクターからの異議。

「物を捨てて何かが生まれる、ということはありません。無から有は生まれないですから。新しいアイディアも感性も、異質なものが融合したときに生まれています。学問だって過去の論文の蓄積の上に新しい論文ができます」

「心のガラクタは必要なんです。捨ててはいけません。だって、すべての発想や豊かさの源ですから。新しい物や考えというのは無駄の中からしか生まれないんですよ。それを不要だと捨ててしまうのは、自分で自分の可能性を捨てているのと同じです」

なぜ人は物を減らすことにひかれるのか、という質問に対し、森永氏の答え。「デフレの産物ですね。本来は豊かになればもっと大きな家に住めばいいわけだが、デフレのためにできない。だから物を捨て、狭い家を効率的に使う、おしゃれな暮らしを求める。物を買わないからさらにデフレが進む。経済全体では縮小均衡とリスク増大をもたらしているわけです。それと、こんなことを言うと怒られるかもしれませんが、私は陰謀だと思っています。国民を都合のいい労働力として飼いならすための」

陰謀、についてのより詳しい説明。「都会に住み、通勤時間が短くて、物を持たなくて、趣味もあまりないという人が、企業から見たら使いやすい労働力なんですよ。通勤コストは少ないし、疲れないし、無駄を切り詰めて最小限の物しか持たないから、ライフスタイルが規格化というか同じようになって、ブームが起きやすい。企業にとってはおいしい国民なんですね。ライススタイルが多様化すると、すごくコストがかかるんです。みんなが同じような衣類を求め、同じスイーツを喜び、同じ食事をしてくれるのが、一番効率がいいんですね」

ここしばらくの断捨離ブームのうさんくささを、自己啓発ブームの延長のように見ていたので、この喝破はかなり痛快だった。

切り抜きの山の中から、再読して「やっぱり重要」と思った記事2つのメモ。大部分は、そのときには盛り上がっても、2~3週間後に読むと「流してもいいかもしれない話」になっている。だからこそ逆に、後者のほうがあとから貴重度が増してくるかもしれないので、やはりその都度、何かあとで参照できるようにしといたほうがよいのだとは思うが。時間と体力・気力とのせめぎあい。

◇朝日新聞7月31日付、ザ・コラム 「災害と専門家 『敗北』にたちすくまずに」 by 山中季広

イタリアの地震において、地震学者の権威が、直前に安全宣言を出したことで過失致死罪に問われたことをめぐるコラム。

訴えられたのは、国立地球物理学火山学研究所長エンゾ・ボスキ氏ほか。

経緯は、こう。ラクイラで群発地震が半年ほど続き、在野の研究家が、地下水の観測をもとに「大地震が来る」と断言。市民の不安をしずめ、観光客を遠のかせないため、政府は安全宣言のお墨付きをほしがり、学者7人を現地に招いて討議させる。何人かが「安心してよい」と宣言した。

その6日後に、本震が起き、住民309人が犠牲となる。学者7人全員が起訴された。

告発は、正しく予知できなかったという理由によるものではない。予兆か、たんなる群発か、見極められないなら、そのようにありのままに語ることこそが誠実な態度であるはずなのに、あまりにもその誠実さを欠いていた、というのが理由。

関東大震災の時にも、同じような論争があったことが、コラムでは記される。「大災害には至りません」と告げるのが役どころだった地震学者の権威、大森房吉という人がいたそうである。群発地震に市民がおびえても、「大地震は来ない」を繰り返し、翌年、関東を巨大地震が襲った。大森は、責任を感じ、病気を悪化させて2か月後に亡くなる。

山中さんの締め。「共通するのは、市民が不安を訴えたこと、専門家は安全だと言ったこと、そして専門家の判断が間違っていたことだ。専門家の敗北としては、あえなく崩れた原発の安全神話も同じだろう。

思うに、これまで何世紀もの間、専門家の仕事は『解明できたこと』を語ることに尽きた。しかし東日本大震災を境に、期待される仕事は一変した。いま人々が渇望しているのは、専門知識をもってしても解明できないことを率直に語る誠実さだろう」

◇もう一つは、過去からの予言シリーズ、第1回。筒井康隆の小説『霊長類、南へ』(1969年)をめぐる筒井へのインタビュー。朝日8月22日付。

70年代には滅亡論がさかんだったけど、その後、文明批評色の強いSFは潮が引き、「文明が滅んだ後の暴力と荒廃の世界だとか、剣と魔法のヒロイックファンタジーだとかになっていく」。

なぜ、文明批評は消えたのかという問いに対し、筒井の答え。「設定やアイディアは書き尽くしたし、冷戦構造が壊れて批評の足場がなくなったし、若い人が本を読まず、大状況を書いたり読んだりする能力を失った。誰もが原発からエネルギーを享受し、グローバル資本主義に浸って生きています。そうしなければ生きていけない時代に文明批評を書いたってしかたがない」

今後、革命的な転回が起こる可能性は、との問いに、筒井の答え。「ないでしょうね。マルクスが予言したように、資本主義は世界を支配したとたんに自壊を始めて、すでに破綻していますし、フクシマの事故があっても原発は地球からなくせない。このふたつは車の両輪ですからね。こんな巨大な自走するシステムは、動き始めると止められないんです。人類の叡智を駆使しても、せいぜいあと数百年でしょう」

2011年の「ファッション事件」として記録されるべきイベント。パキスタンのイスラマバードで、はじめての4日間にわたるファッションショウが開催された。英「ガーディアン」1月24日付に関係者取材のリポートあり。印象に残った抜粋をメモ。

主催者側のひとり、カムラン・サニのことば。「イスラマバード・ファッション・ウィークは、人々のパキスタンに対する見方を変えるでしょう。モダンで、世俗的で、進歩的な明るい側面が、パキスタンにはあります。人々はタリバンや、爆撃や、貧困や、洪水のことばかり話題にしたがりますが。でもパキスタンは元気で勢いがあり、今こうして、ファッション産業がグローバルに発信する時が訪れたのです。西洋のみなさんは驚く必要はありません。グローバルカルチュアはパキスタンに十分に浸透しており、ファッションデザイナーもすばらしい力をもっています」

いくつかの写真を見ると、メイクもスタイリングもまだどこか野暮ったくて、装飾過剰な印象もぬぐえない。でも、貧困や宗教的な問題ばかりが報じられていたパキスタンで、ファッションウィークが無事に開催されるというニュース、勢いがあるデザイナーもモデルもジャーナリストもこんなにもたくさんいるというニュースは、パキスタンの変化の兆しを世界に向かって伝えるだけの力がある。たとえそれがごく一部の富裕層の誕生の結果でしかないものだとしても。