maire claire 2026.1.29でラグジュアリービジネス業界における近年の激しすぎるデザイナー交替をどう読むか?という記事を書きました。

美学の刷新型/ブランド人格の再構成型/揺らぎの管理型、と強引に3パタンに分けてはみましたが書き終えたあとからまた交替ニュースが続いたりして書き手泣かせの業界です…。

NHK「ステータス」という番組にお招きいただき、収録でした。パリに現存するエレガンスの一大祭典に関する番組です。放映は春先になるそうです。

ちくまプリマー新書から『エレガンス入門(仮)』という書籍もそのしばらく後に刊行になる予定です。

両者が重なったのは全くの偶然で、どちらもテーマは制作サイドからのオファーです。「エレガンス」に社会的関心が当たる時代なのかもしれませんね。

25ans 3月号発売中です。

連載「ロイヤルの肖像」Vol. 3ではヨルダンのラーニア王妃について書いています。本誌でご覧いただければ幸いです。

 

プルデンシャル生命保険(日本)の社員および元社員 約100人以上が顧客約500人から不適切に金銭を受け取っていたことが明らかになりました。顧客への投資話の持ちかけや、個人的な貸借の名目で金銭を受領していたケースが含まれ、 約31億円相当 にのぼります。

これを受けて会社は広範な内部調査を実施し、謝罪会見が行われました。

炎上したのが、写真のようなスーツですね。Xのフォロワーさまのリクエストを受けて、短くコメントをポストしておりますが、ここで少しだけ詳しく書いておきます。

企業の謝罪会見において、スーツは言葉以前に社会へ発せられる「無言のメッセージ」になります。

今回の会見で注目されたのは、黒無地のスーツに白シャツ、黒タイという、いわゆる「謝罪の定型」を踏襲しながらも(ダークグレーという選択もあります)、ピークドラペルのタイトなスーツにダブルカフスのシャツ、カフリンクスという、エリートのにおい強めの完璧なスーツが選ばれていた点。

ピークドラペルは本来、礼装に由来する意匠であり、威厳や主張、舞台性を象徴します。一方、ダブルカフスにカフリンクスもまた、社交性や格式を示す装いです。いずれも「きちんとした服」ではありますが、「自己を目立たせない服」ではありません。

謝罪会見において最優先されるべきなのは、完成度の高さではなく、むしろ自己主張を消すくらいの姿勢でしょう。装いの役割は、信頼回復を助けることであって、個性や洗練を示すことではありません。理想とされるのは、控えめなノッチドラペルのスーツに、装飾性のない白シャツという、無個性で記憶されにくい装いです。

なぜそこまで「無難」である必要があるのかといえば、謝罪とは本質的に「社会的儀式」だからです。個人の美意識や趣味は、この場では一時的に封印されるべきもの。服が語り始めた瞬間、謝罪は演出に変わる危うさを見せ始めます。

今回の装いは、結果として、誠実さよりも美しいスーツの完成度が先に目に入り、炎上に至ったように見えます。

危機管理においては、「できるだけ普通に見えること」が最重要視されます。目立たないスーツ、ありふれたシャツ、記憶に残らない装い。服が沈黙できているかどうか。それが、誠意の深さを測る一つの物差しになるという、学びどころの多い事例でした。

少なくともこのスーツは、謝罪スーツNG例として今後、語り継がれるでしょう。

北日本新聞「ゼロニイ」2月号、「ラグジュアリーの羅針盤」Vol. 39は大蔵山スタジオについて書きました。

大蔵山スタジオの山田能資さまには雅耀会でご講演いただき、その後、雅耀会のツアーにて参加者のみなさまとともに白石蔵王の大蔵山スタジオを訪問し、広大な山をご案内いただきました。とても有意義で、生まれ変わるような体験ができました。

ご協力を賜りました山田さまに心より感謝いたします。

イタリア・モードの神話的人物のひとり、ヴァレンチノ・ガラヴァーニが93歳で逝去されました。彼はファッションという芸術を「美の秩序」として信じ抜き、半世紀以上にわたって世界にエレガンスの理想を示し続けました。

1932年、ロンバルディア州ヴォゲーラに生まれたヴァレンチノは、若き日にパリのエコール・デ・ボザールとジャン・デッセのもとでクチュールの基礎を学んでいます。その才能が真に花開いたのは、1959年にローマに自身のメゾンを開いたときでした。古都ローマの建築と光が、彼のデザインに特有の「クラシックとロマンの均衡」を与えたのです。
(アニタ・エクバーグが「甘い生活」の中で着用した伝説のドレスもヴァレンチノ)

彼の作品世界には常に構築と儚さの対話があります。精密に設計されたラインの上に、呼吸をするように揺らめくシフォンやオーガンザ。そこには建築的論理と感情的詩情が共存しています。そして何よりも象徴的なのが、彼自身が「唯一、女性を真に照らす色」と呼んだヴァレンチノ・レッド。深く華やかな赤は、情熱ではなく品格の炎として、時代を越えたアイコニックな色となりました。

(ジャクリーヌ・ケネディは再婚式にあたりヴァレンチノのホワイトコレクションからドレスを選びました)

ヴァレンチノの顧客リストは、20世紀のセレブリティリストそのもの。ジャクリーン・ケネディがオナシスとの再婚式に彼のレースのドレスを選びましたが、「再出発の気品」がそのドレスに託されています。オードリー・ヘプバーンやエリザベス・テイラー、グレース・ケリー、そして離婚後のレディ・ダイアナに到るまで。

彼は生涯、商業と芸術、流行と永続の間にバランスを保ち続けた希有なデザイナーであもあります。1970年代以降、プレタポルテが台頭し、ファッションが即時性を競うようになっても、ヴァレンチノはクチュールの理念——時間と手に宿る価値——を守り抜きました。「美は慎みと意思の結果である」という信念のもとに。

プライベートでは、長年の伴侶であり共同経営者であったジャンカルロ・ジアメッティとの絆が知られています。二人が築いた「メゾン・ヴァレンチノ」は、愛と友情、そして創造の連帯によって支えられたひとつの芸術共同体とみなされています。

2008年に引退後も、彼は自身の名が冠された「ヴァレンチノ」が新たな世代によって解釈される様を、遠くから静かに見守りました。今日、メゾンのコレクションに漂う繊細なロマンス――花びらのようなチュール、儀式のような正確さを特徴とする裁断の影には、なおヴァレンチノ本人の精神が息づいています。

ヴァレンチノ・ガラヴァーニは、人間の品格を芸術的に格上げする、息をのむようなエレガンス、めくるめく圧倒的な王道の華やかさを見せてくれました。

ご冥福をお祈りいたします。

(写真はすべてItalian E-Learning Fashion School から引用させていただきました)

ほんとうにどうでもよいことなのですが、私は名刺にもHPにもずいぶん前から「服飾史家」という肩書は一切、記していません。自分では名乗っていないのです。もともと、2000年に、連載を担当することになった日経新聞の記者に「漢字4文字で短くて便利だから」という理由で暫定的につけていいただいた肩書で、かくも長い間、流通することになるとは思ってもいませんでした。

でも、四半世紀経って、定着してしまった。もうそれで知られているからそれでいいですよね?という感じでいろいろなメディアでは使われている次第です。そこで抵抗するほどの大問題でもないので、私もそれでわかりやすければどうぞお使いください、と言っています。その程度の「肩書」です。

いかなる組織にも属していない人間にとって、その肩書が代名詞のようになっているのは、たいへんありがたいことではあります。すでに定着しているわかりやすい肩書が好都合、ということもよくわかってはいます。

一方、肩書の印象が作る壁や誤解で戸惑うことも時々あります。

一番多いのは、スタイリストさんと混同されること。「ファッションチェックしてください」といきなり言われることも多い。また、持ち物や着るものをまじまじ見られ「ファッショナブルであるべきなのになんだこれは」みたいに見られることもあります。きれいな人が活躍して当然と思われている領域だからか、ルッキズム、エイジズムがらみのコメントもいまだに途絶えません。

最近では、「あなたは服飾史家だからマフィア文化については知識が浅いよね」と言われたことが象徴的でした。服飾史=それ以外の分野の知識は浅い、服飾史そのものも表層的な分野、という固定観念がごくあたりまえに流通しているんですよね。服飾史の専門家だったらそれ以外のことは語るな、みたいな圧を受けることも、ときたまあります。世間はそういうものなのかと受け流していればいいんですが。

そういう違和感が積み重なるにつれ、自分からはこの肩書を名乗らなくなりました。でも他者さまから見てそのような表現がわかりやすいことは理解するので、あえて拒否はしていません。

服飾史は私の研究領域におけるごく一部です。もちろんこの領域での仕事も大好きで続けています。ただ、誤解を招くことなく仕事の全貌を理解していただくためには、とんでもなく圧倒的な質と量のアウトプットが必要だなと感じています。謹んで精進いたします。読者や視聴者のみなさま、ご協働くださる企業のみなさまのあたたかいご支援にはいつも心より感謝しています🌹

 

本日の毎日新聞(有料記事)「小野田紀美氏が投じた一石 専門家も驚いたモーニング姿」
に、服飾史の専門家として取材協力しました。

記事では、伊勢神宮参拝の場で女性閣僚がモーニングコートを着用したことをきっかけに、
・なぜ「女性の正礼装」はこれほど曖昧なのか
・礼装は性別ではなく「役職や機能」に基づいて考えられないか
・日本社会に残るジェンダー規範と服装慣習のズレ
といった点を解説しています。

単なるファッション論争ではなく、「誰が、どの立場で、公の場に立つのか」というリーダー像や制度の問題を、服装から問い直しています。礼装は個人の趣味ではなく、社会の価値観を映す装置。
その変化の兆しを読み解いた内容になっています。

 

有料版の内容はシェアが難しいこともあり、今回考えたことを基に、英語圏の方々のために英語版でエッセイを作成しました。When Formal Wear Has No Female Equivalent.

 

フォーマルの基本中の基本を図解した「フォーマルウェアの教科書(洋装・和装)」はもう書店の流通はしておらず、amazonでは中古品がとんでもない高価格で販売されておりました。新品は定価にてECでお求めいただけます。stores のショップ、verita ironicaで販売しております。

高知信用金庫で2022年より展開しているビジネスウェア創造プロジェクト、昨年12月の記者会見が今年1月の朝日新聞でも紹介されました。こちらです。

ビジカジは「軽装化」ではありません。

ビジネスウェアにおいて「カジュアル」には「カジュアル」のルールがあります。

ドレスコード運用後、高知に視察に行きましたが、店舗が明るくなり、イタリアの大理石やアートに彩られた店舗とも調和し、お客様にも好評で、職員にも活気ある笑顔が見られます。ひとりひとりが選ぶビジネスウェアを、3年以上もかけて、理論と実装で構築していくという企業は、他に類例を知りません。固有のストーリーに関してはこちらで詳しく書いています。

現在、ディズニー服飾史を執筆中です。テキストはほぼ全部完成している段階です。ですが、政治的な問題や著作権問題などで掲載できない原稿がいくつかでてきました。たとえば<ターザン>も、ディズニーが現在版権を持っていないという理由で掲載できなくなりました。もったいないというか、せっかく書いたのにくやしいので、ここに概要(要約版)を掲載しておきます。英語版はこちらです。どうせ書くなら、世界のディズニーファンに届けたいと思います。

☆☆☆☆☆

『ターザン』(1999年)は、同社作品のなかでも際立って「服の少ない」映画である。だがこの布の少なさは、裸身と衣服、自然と文明、帝国と他者という複数の主題を、一気に浮かび上がらせるための、精密な装置として機能している。

本作の衣装構成は極端だ。ターザンは腰布のみ、ジェーンはヴィクトリア朝風のフルドレス。この両極のあいだで、観客は「身体そのものを服として読む視線」と、「布の構造を文明観として読む視線」の両方を要求される。

ターザンは、ほとんど裸であるにもかかわらず、「裸の人」としては記憶されない。その理由は、彼の身体が、布の代わりに高度に設計された「機能的な衣装」として描かれているからだ。

アニメーターのグレン・キーンは、ターザンの身体を描くにあたり、徹底した解剖学的設計を施した。肩甲骨や背筋、上腕筋が動きに応じて連動し、ポーズごとにシルエットが変化する。筋肉の稼働そのものが、立体裁断されたスポーツウェアのような役割を果たしているのである。

象徴的なのが、樹木を滑走する「ツリーサーフィン」の動きだ。ここで参照されているのは、原始的身体ではなく、20世紀後半のサーフィンやスケートボードに代表されるスポーツ文化の身体操作である。本来なら高機能ウェアと結びつくはずの運動性能を、『ターザン』は布ではなく身体そのものに引き受けさせている。

腰布は、筋肉の動きを邪魔しない最小限のラインとして存在する。揺れは後ろ姿に限定され、視線を導きながら運動の軌跡を可視化する。ターザンは服を「着ていない」のではない。身体が服になっているのだ。

場違いなドレスがほどけていく

これと正反対の極に位置するのが、ジェーンの黄色いドレスである。張り出した背面を強調するバッスル・スタイルは、19世紀末のヴィクトリア朝女性を象徴する、文明的なシルエットである。

この服は、都市と社交空間を前提に設計された装いだ。整えられた床や室内では機能するが、熱帯雨林ではたちまち不適応を露呈する。裾は泥に絡まり、ボリュームは動作を妨げる。文明のための服が、環境の変化によって無力化される様子が、細やかな動作描写で示されていく。

物語の進行とともに、ジェーンの服装は変化する。ジャケットが外れ、袖がまくられ、シルエットは軽量化していく。この過程は、19世紀後半から20世紀初頭にかけて進んだ、女性服の機能化──スポーツウェアやリゾートウェアの成立──を圧縮した視覚表現として読むことができる。

手袋が外される場面も象徴的だ。手袋は礼節と階級の境界線であり、それを脱ぐことは、文明的距離を一枚剥ぐ行為である。布の層が減るほど、身体と身体の距離は縮まっていく。

帝国的視線の反転

19世紀ヨーロッパにおいて、布の量は文明度の指標だった。多く着る側が主体であり、ほとんど着ない身体は「未開」として客体化されてきた。

『ターザン』は、この図式を意図的に反転させる。物語の倫理的中心に置かれるのは、布の少ない側──ターザンとゴリラたちである。一方、布を重ねた探検隊は、知識や武力を備えながらも、搾取と暴力の象徴として描かれる。

ターザンとジェーンが互いの手を見比べる場面では、裸の腕と布に覆われた腕が並ぶ。しかし強調されるのは差異ではない。骨格と構造が同じであるという事実だ。布は、身体の本質ではなく、表面に加えられた文化的な層にすぎない。

『ターザン』が示すのは、「裸身=劣位」という19世紀的発想の終焉である。環境との関係の結び方次第で、裸身はむしろ倫理と共同体を担う側に立ちうる。その視線の転換を、服の設計を通して描き切った点に、この作品の革新性がある。

今年初の雅耀会イベントは、銀座・和光の庭崎紀代子社長のお話を伺い、和光をご案内いただくというワクワクの夕べを企画しました。

なんと、本日、SNSでの告知を出した瞬間に満席になってしまいました。主宰者、アドバイザーともにびっくりです。

和光社長直々の店舗案内なんて、それはそれはまたとない機会ですものね。庭崎社長はほんとうにエネルギッシュで魅力的な方で、面白くなることは必至、なのでした。

 

間に合わなかった方々、申し訳ございません。

今後も楽しく学べるイベントを続々、企画していきますので、どうぞよろしくお願いいたします。同じ志をもった、素敵な方々の開かれたコミュニティが形成されております。ぜひインスタでフォローしてくださいね。

 

 

 

 

今年も雅耀会(日本の文化・伝統工芸をラグジュアリー文脈の中で考える会)のアドバイザーを務めるほか、新しいラグジュアリーの考え方に対する著述や講演、取材、海外発信を行っていきます。以下は、私の基本的なスタンスです。取材や議論を重ねるうちに少しずつ変化していく可能性もありますが、このような姿勢で取り組んでいくという備忘録を兼ねて記しておきます。

まず、世界のラグジュアリー市場の現状から共有します。
イタリアの高級品業界団体であるアルタガンマによる最新の「アルタガンマ・コンセンサス2026」では、世界のラグジュアリー市場は今後も年率5〜6%成長すると予測されています。地政学リスクや物価高、消費の二極化といった不安要素がある中でも、ラグジュアリーは依然として「選ばれ続ける産業」である、というのが世界の共通認識です。

では、この世界の成長の中で、日本はどのような立場で挑むべきなのか

結論から申し上げます。
日本は追いかける側に立つ必要はありません。むしろ、勝てるポジションにいます。

ただし、そのためには、ひとつ大きなマインドの転換が必要です。

それは、環境が整うのを待つ受け身の姿勢から、自ら市場をつくるという積極的な姿勢へという転換です。

いま世界で評価されているブランドは、「景気が良くなったら」「需要が戻ったら」動くブランドではありません。
自分たちで「良い天候をつくる」ブランドです。
市場環境を言い訳にせず、なぜ今、自分たちの価値が必要なのかを語り、需要そのものを形づくっています。

次に重要なのは、「行く理由」「選ぶ理由」を明確にできているかです。
高品質であること、丁寧につくられていることは、もはや前提条件です。それだけでは、世界では埋もれてしまう。

いま求められているのは、
「そこに行かなければ体験できない」
「それを選ばなければ得られない」という特別な体験です。

日本には、本来この点で圧倒的な資産があります。
場所、季節、時間、身体感覚、自然観。
それらを「商品説明」で終わらせず、体験として編集できるか
ここに、経営の意思が問われます。

三つ目は、顧客との関係性です。
いまのラグジュアリー顧客は、「教えられる存在」ではありません。
国籍も世代も流動的で、非常に学習意欲が高い。重要なのは排他性ではなく、信頼に基づいて共に学び成長するという伴走のマインドです。

価値を丁寧に説明することは、「このブランドは誠実だ」という信頼を積み上げる経営判断です。

四つ目に、価格について申し上げます。
価値とは、安さではありません。単なる希少性でもない。

誰が、どんな思想で、どんな時間をかけ、どんな未来につながるものとしてつくっているのか。
価格とは、物語と倫理と美意識の総和です。
この説明責任を果たせるかどうかが、日本のラグジュアリーの分水嶺になります。

最後に、日本ならではの強みについて。

日本の本当の武器は、「古さ」でも「伝統そのもの」でもありません。
それらを現代に翻訳し、編集し直す力です。
保存ではなく更新。懐古ではなく、いまを語る勇気。

世界は、日本が「自分たちの言葉でラグジュアリーを語る」ことを待っています。

日本のラグジュアリーがいま問われているのは、
規模でも、豪華さでもありません。

意味をつくれるか。
自分たちの価値を、自分たちの言葉で定義できるか。

それができたとき、日本はこの成長市場の中で、
「追随者」ではなく「指標」になる。

私は、そのように信じています。

As we enter the new year, the global luxury sector remains resilient.
According to Altagamma’s Consensus 2026, the industry is expected to grow by 5–6% globally, despite geopolitical uncertainty and economic volatility.

The question for Japanese luxury leaders is not whether the market will grow, but how Japan should position itself within that growth.

Japan does not need to chase global trends.
It is already well positioned to lead—if it chooses the right mindset.

The brands that will succeed in the years ahead are not waiting for perfect conditions. They create their own weather. They do not rely on demand returning; they shape demand by clearly articulating why their value matters now.

In today’s luxury market, quality is assumed. Craft alone is not enough.
What differentiates winning brands is their ability to create irreplaceable reasons to choose—experiences, places, and moments that cannot be replicated elsewhere.

Japan holds a natural advantage here: a deep sense of time, place, seasonality, and human touch. The strategic question is whether these assets are merely preserved—or actively edited into contemporary, living value.

Luxury customers today do not want to be excluded; they want to be respected.
Exclusivity without generosity no longer builds desire. Trust does.
Explaining value is not a weakness—it is a sign of confidence and integrity.

Price, at the highest level, is not justified by rarity alone.
It is justified by meaning: who made it, why it exists, and what future it supports.
Price is the sum of story, ethics, and aesthetic conviction.

Japan’s true strength is not tradition itself, but the ability to translate tradition into relevance.
Not preservation, but renewal. Not nostalgia, but purpose.

The opportunity ahead is clear.
If Japan defines luxury in its own words—quietly, intelligently, and openly—it will not follow the global market.

It will help set its direction.

連載「ラグジュアリーの羅針盤」、ディルマCEOにインタビューした記事がウェブ公開されました。こちらです。

お正月にお世話になったウェスティン横浜でもディルマの紅茶がクラブラウンジ、客室共に使われていました。高貴な余韻が残る、良い紅茶ですね。

人間の都合に自然をむりやり合わせるのではなく、自然の時間の動きを尊重し、人間をそれに合わせていく。そうした手法でこそ本当においしい自然の恵みをいただくことができて、人間も環境も幸福に保たれる、という考え方。資本主義的な視点から見れば「効率わるい」ということになるのかもしれません。でも効率第一で突っ走ってきた結果が環境汚染であり労働搾取でありそれによる経済格差、ひるがえって自分たちの首を絞めることにつながっているとしたら?

長期的な人類の幸福を考えて行われているディルマのビジネス、応援しています。

神楽坂のかくれんぼ横丁でハートの石を発見♡

28000個の石(舗装材)のなかの唯一のハートだそうです。職人さんの遊び心、素敵ですね。

(この場所にあるというわけではありません)

近くの赤城神社は隈研吾さんデザイン監修のおしゃれな神社で、併設のカフェもお酒メニューが充実していておいしい。

元気になれるパワースポットですね。

ブルーのコートは「守破離」さん制作です。

NHKプレミアムカフェ 3回分の収録でした。

テーマは「ファッション」で、公開予定は2月2日(月)サンローラン、2月3日(火)アントワープ、2月4日(水)ヨウジ・ヤマモトとパリコレ。

アナウンサーは渡邊あゆみさんで、偶然ですが、イギリス科のレジェンドとして同窓からリスペクトされている先輩です。放送内ではもちろんそんなことには一切、触れませんでしたが、オフカメラの場面では共通の知り合いの教授のお話などで盛り上がりました。

さすがのベテラン渡邊アナのリードで、リラックスして話をさせていただきました。あゆみさんはじめスタッフのみなさまに心より感謝申し上げます。

ちょっと、というか、かなり失敗したなと感じたのが、衣裳選びでした。ジャケット、インナー、単品はよいものでしたが、組み合わせるとインナーの素材とジャケットの裏地がなめらかに滑らず、終始、着心地もよくないし、インナーもひっぱられて型崩れする…。ホント、こういうのは事前に実際に着て確認しておくべきでした。

というわけで細部に気が付かれる方には見苦しいと感じられるところもあるかもしれませんことをお詫びしたく存じます。

同じミスは決して繰り返さないよう、今回の経験を活かしていきます。

収録はNHKの東京メディアセンターで、成城学園の住宅街にあるスタジオ。初めて伺いましたが、こじんまりとあたたかい雰囲気で、スタッフのみなさまにもきめ細かくご配慮いただき、とても快適に仕事をさせていただきました。

 

 

東京で混雑を避けているうちに見逃してしまったビアズリー展を、なんと出張先の高知で堪能することができました。


ゆったりと鑑賞できた高知県立美術館は、建物もアート。

1993年に開館したこの美術館は、国分川のほとりに「浮かぶ」ように佇んでいます。設計は日本設計、環境建築設計事務所、山本長水建築設計事務所の協働によるもの。

特徴的な外観に採用されているのは、「土蔵モチーフ」です。土蔵はかつて、湿度変化の激しい土佐の風土から米や紙、藍、酒、そして漆器などの財を守り抜くための知恵の結晶でした。白い土佐漆喰の厚い壁と土佐瓦の屋根は、強い日差しや潮風、湿気から内を守るシェルターであり、同時に「蓄積の美学」を象徴します。文化資本を守り、次代へ渡す意思を外観で語る美術館になっています。

土地の叡智そのものを姿に変えた建築。高知県立美術館は、土佐の土蔵が持っていた「護りの精神」を21世紀のアートの器へと翻訳し直した、美しい「文化の蔵」でした。ミュージアムカフェのお料理も美味✨

至近距離でじっくり見るビアズリーの世界観にも引き込まれました。ビアズリー、エドワード・バーンジョーンズ、ウィリアムモリス、オスカー・ワイルド、イエローブックの世界については、20代の初めに河村錠一郎先生から直々に授業を受けていました。当時はなんのことかわからないままにぼんやりと聞いていたのですが、後々に、いろいろな場面で、意味がつながっていきました。


河村先生のちょっと気取った、でも情熱のこもった声は今も思い出すことができます。昨年秋に亡くなられていたことを知りました。感謝をこめて、ご冥福を祈ります。

愛車が故障して車が使えず、いつも車移動のところを徒歩で移動する日々。

車で通っていると見逃してしまうような裏通りのあれこれにも目がいくのが楽しいですね。

奈良山公園にトップ写真のような宇宙基地?!のようなオブジェが展開。怪我の功名というか、新しい発見が多くて面白い。

これは誰が設計したのか? 調べてみましたが、公式資料では作者も制作目的も確認できませんでした。非公表。ランドマークにはなっていますが、区立公園なので公務員である担当者が設計したため非公表になっているのかもしれない。「意味」や「作者」の明かされないランドマークというのもいいですね。

 

1月にこれだけ咲かせる山下公園の薔薇力。

まさかこの季節にこれだけの薔薇に出会うことができるとは思いもせず、寒さのなか来てよかった。幸運でした。

薔薇は見ることも食べることも好きで、中華街で大量にドライローズを購入してきて飲用もしています。部屋のアロマも当然ローズで香水もほぼほぼローズ系。コートの裏地は薔薇柄です(笑)

なんどか投稿してますがハマーヘッドのセブンイレブンはおもしろい。外から見えないようにカップラーメンで隠してありますが(!)、世界中のめずらしいビールや「なぜこんなお酒がこんなところに?!」という高級酒や輸入スイーツ、葉巻までずらりと並んでいます。コンビニに葉巻。横浜はディープです。

あけましておめでとうございます。

みなさまにとりまして、お健やかでお幸せな一年となりますように。

旧年中はたいへんお世話になりありがとうございました。本年もどうぞよろしくお願いいたします。

🌹🌹🌹

年末年始は近場のウェスティン横浜に滞在してみました。

元旦には総支配人の挨拶のあとお祝いの酒がゲストに振る舞われるなど、アットホームなサービスであたたかい気持ちにさせていただきました。

新年の挨拶をするアレン・ハウデン総支配人。

富士山もくっきり。

元旦の新聞、一面トップの見出しは日経新聞がもっとも縁起がよい印象。

スパエリアにはプール、ジャグジー、サウナも完備でリフレッシュできます。
元日から働いてくださっているスタッフのみなさまのおかげで、よい年末年始を過ごすことができました。ありがとうございました。

中華街は元日も通常営業で、とんでもない混雑でした…。