分断が進む時代に「ローカルラグジュアリー」を提唱することが、100年前の民藝運動が文化的抵抗を静かにおこなったことと似ている、ということを前項で書きました。北林功さんが講演内で示唆したことなのですが、そのアナロジーがよくわからないという方のために、どのような点で民藝運動が文化的抵抗だったのかを以下、簡単に解説します。

〇規律や均質化に対する、生活レベルからの抵抗

1940年代、商工省主導で「大日本工藝会」や「美術工藝統制会」が生まれ、ほとんどの工芸団体や美術団体が一元的な統制・指導の下に組み込まれます。戦争が近づく不穏な空気が漂う中、民藝運動の旗手・柳宗悦らは、当時の軍国主義や国家主義が推進する「一元化」「統制」「均質化」に真っ向から対峙しました。彼らは「名もなき民」の手仕事や、各地の風土に根ざした暮らしの素朴な美にこそ本質的な価値があると主張し続けます。政府が設立した「大日本工藝会」など画一的な統制団体の枠組みから距離を取り、日本民藝館の独立運営を守り抜きました。

〇周縁、ローカルを尊重することによる、標準化への抵抗

民藝運動は、沖縄や朝鮮、アイヌといった「日本の周縁」の文化や工芸を尊重し、称揚しました。この姿勢は、「国家総動員」下の同質化圧力・中央集権的な文化政策に対する反発でした。中央統制のもとで多様性が抑圧され「標準化」が叫ばれる時代において、他者や多様なローカル文化がもつ独自の価値を尊重すること自体が明確な抵抗になったのです。柳宗悦の朝鮮工芸への評価や、沖縄における現地当局との対立なども、この流れの一環です。

〇日常、無名性、人の手仕事へのまなざしによる、国家による文化規制に対する抵抗

国家が推し進めた「工業化」「大量生産」に対し、民藝運動は無名の人が手仕事で生み出す日常の道具・雑器にこそ美があるという思想を打ち出しました。日常生活の中に潜む豊かさや、あるがままの暮らしへの賛美は、戦争遂行のために役割を割り当てられる社会への問題提起でした。雑誌『民藝』『工藝』の刊行や各地での民藝品展覧会の自主開催は、国家による文化規制を超えた価値体系を広く社会に提示する文化運動でもありました。

〇生活世界の美を死守することによる、価値の選別への抵抗

民藝館の維持や民藝品の保全に、時に命がけで取り組んだ事例(民藝館を空襲から守るために駒場に残った柳宗悦夫妻など)は、「文化こそ守るべきもの」とする強烈な意志のあらわれです。これは、国家や権力構造による「価値の選別」への根源的な異議申し立てであり、戦火の中でも消えない生活世界の美を守る姿勢そのものでした。

以上、とてもおおざっぱな「抵抗」のポイントだけ列挙しました。

民藝運動の抵抗は、政治的声明や直接的なデモではなく、生活の現場から湧き出す多様な美、日常と無名の豊かさ、周縁文化の尊厳を守り発信し続けることで、文化レベルでの独立を守り続けた運動でもありました。不穏な時代、統制や同質化が過剰に求められる時代にあって、柳宗悦らは、人間の営みの根元にはいかなる権力も奪えない多様な価値が息づいていることを示し続けていたのです。

こうした民藝の精神をふまえ、グローバル資本主義がもたらした社会的分断、過剰な消費に抵抗する文化運動として、ローカルラグジュアリーを位置づけています。

 

Photo: 1950年頃の柳宗悦

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