◇「クロワッサン」の仕事でビューティージャーナリストの倉田真由美さんと対談する@白金のスタジオ。最近注目のブースターコスメがテーマ。
メーカー側としては、手持ちのスキンケアに「プラス一品」買い足させるためのニッチな分野、というところが本音では・・・・・・とは憶測するのだが、あれやこれやと駆使される華麗な宣伝用のコンセプトがとにかくおもしろい。コスメの効き目だって、ことばしだいで大きく変わるのである。
◇その後、「シャネル&ストラヴィンスキー」の試写@ジュンアシダ代官山本店。
久々に、こってり濃厚なヨーロッパ映画らしい映画を堪能した。映画を見たあと、頭と心をフル回転させたあまり心地よくぐったり・・・・・となったのは、久しぶりという気がする。
まずは冒頭に出てくる、1913年パリで初演のバレエリュスの再現シーンからして度肝を抜かれた。観客が騒然となってスキャンダルに、ということは本などでは読んでいたが、あれほどのものとは。80年代に「ブトー」をはじめて観たときのショックを思い出した。白塗りの裸同然のダンサーたちが、ブキミに震えたりとび跳ねたりする、アレである。彼らはもしかしたら「バレエリュス」の子孫だったのか。
映画は細部の巧みな積み重ねで、こちらの心をぐいぐい絡め取っていく。ストラヴィンスキーの描写がうまい。湯船からあがって腕立て伏せをし、生卵の黄身だけをぐいっと飲むシーンを見せる。それだけでなんだか「あ~、この男、きまじめにエロっぽい」という印象を無意識のうちに植えつけられるのだが、その延長上に、シャネルの誘惑に「待ってました」とばかりシャツを脱ぐシーンがくる。シャネルの大人すぎる無言の誘惑といい、それこそ「むせかえるような」濃密な成熟した大人のエロスが満ち満ちる。
シャネル&ストラヴィンスキーという、至高と前衛を追求するアーチスト同士の、恋愛というよりもむしろ、大人のエロティックな情交が同志愛的な絆に変わっていく過程に、酔いしれる。そのさなかに、ストラヴィンスキーは「春の祭典」を書き上げ、シャネルは「No.5」を完成させる。いちいち美しすぎるシャネルのファッションの数々、各部屋に趣向を凝らした別荘のゴージャスなインテリアも、眼福のきわみ。
台詞の少ない映画だが、だからこそ、台詞の印象も大きい。夫の心身がシャネルに向かっていることに気付いたストラヴィンスキーの妻が放つ台詞がいい(というか、こわい)。正確には覚えてないのだが、たしかこんなふうな台詞だった。
「朝起きたら、何かが腐っているにおいがするのよ。はじめは花かと思ったけど、違うの。私のにおいなの。愛されずに死人になっていく人間のにおい」
シャネルのアナ・ムグラリス、ストラヴィンスキーのマッツ・ミケルセン、その妻のエレーナ・モロゾヴァ、といった俳優陣が適役で、すばらしい。
明快な感動は、ない。むしろ豊饒なざわつきがあとあとまで残る。コドモ文化全盛の日本で、この複雑でシブいニュアンスがどれだけ受け入れられるのか、不明だが、大人文化の底力をさあ見よ! と叫びたくなった一本。
ココについては彼女についての著作も映画も見てないので、ほぼ白紙状態だし、ストラヴィンスキーについても『ハルサイ』ぐらいしか知らないのですが、二人に接点があったなんてもっと知らなかったです。良いネタをありがとうございます。
私自身、今は絶縁状態ですが、以前に元同級生のピアニストと交流がありまして、その女性が『芸術家とはこういう人なんだ!』と圧倒される自意識と他者への攻撃性を持っていた人で、その矛先が自分に向いてきたときには、腹がたつというよりただひたすらビビッてしまった記憶があります。
多分、クリエイターと呼べる方たちは、そういう常人にはついていけないようなマグマのようなエネルギーを内側に持っていて、それが作品に上手く注がれたときには関わる世界そのものを変えてしまうこともありえるし、負に働いた場合は対人関係なんか簡単に破壊してしまうんだろうかな、と(もっとも本人がそれを『負』だと思っているかというと?ですが)
で、そういう方たちはえてして性エネルギーも強くて、常に『何か』があふれ出ているというか・・。そういえばそのピアニストの恋愛遍歴(多分、性愛遍歴も)は凄まじかったです。ココとストラヴィンスキーもそういうことなんでしょうか・・。
文面からも、むせ返るようなエロスを感じることができました。もの凄く興味あるので、こっち(神戸or大阪)での上映予定を調べてみます。
常人にはついていけないような、というか、セケンの基準やモラルの枠などあっさり越えていける人、なのかもしれないですね。じゃないと人をはっとさせるような作品などつくれないですもんね。
シャネルも「妻」に「良心のとがめはないのか?」と問いただされて「ない」とシンプルに答えてました。
この映画は「かんどうした!」とか「泣けた!」「第一位!」みたいな枠はあっさりムシしています(笑)。観客を選ぶというか、成熟した観客のインテリジェンスを信じる、というような作り手の覚悟も伝わってきました。