家の前周辺の雪かきをしてから、銀座で仕事三件。取材を受ける・取材をする・原稿の打ち合わせ。なぜか銀座には雪の痕跡がない。
取材を受けたのは、英国王室の純愛をめぐるNHKBSの番組を制作するスタッフの方々から。ヴィクトリア女王&アルバート公、エドワード8世(=ウィンザー公)&ウォリス・シンプソンに関する思いを話す。超大好き分野。スタッフの方々がとてもよく勉強していらして、質問が鋭く、自分でも「思ってもいなかった」言葉が出てくることがある。ひとりだけで考えをめぐらしていては到底たどりつけないような予想外の新しい発見が生まれる、というのが対話や取材の醍醐味。
続いて取材、高橋洋服店社長。「サライ」連載記事のため。注文仕立て服、とりわけスリーピーススーツに関するお話をうかがう。詳しくは本誌にて。高橋社長に取材をするのは、「セブンシーズ」「翼の王国」などにつづいて3度目ぐらい。テーマはそれぞれ異なるが。スーツに関しては「知っている」と思いこんでいることが多いだけに、かえって自戒しなくてはいけない。はたして虚心にうかがって、「予想外の」お話がたっぷり引き出せるほどの質問ができたか? 反省しつつ。
別件の原稿打ち合わせを終えて帰宅したらまだ雪がしっかり残っている。
往復の電車の中で読んだのが、加藤和彦の『優雅の条件』(ワニブックスPLUS新書)。没後、一躍メンズファッション誌のスターとなった加藤和彦。かっこいい男を、男たちは生きている間にはなかなかほめないが、没後にほめる。白洲次郎しかり。生きてるうちは、嫉妬が邪魔するのか。没後は生々しさが消えるから美化されるのか。
「優雅、もしくは優雅に見えるというのは生活を楽しんでいる人にだけ与えられる特権みたいなもの」というのが、加藤和彦の優雅の定義。
衣食住・遊び・仕事・空白、すべてを自分の意志でもって楽しむことをすすめる。人生のムダを享受できる人ほど、優雅の条件を持った人、と。
「食事をゆっくりと摂るというのも、ある種のムダである。食事の仕方ほど優雅さが出るものはない。食事が優雅に出来れば、ほとんど人生は優雅になる。それほど毎日の食事などという、日常茶飯が大事なのである。時間や空間、会話や散歩、など目に見えないものにお金やらテマ、ヒマを使えるようになってくると自然と優雅に映るものだ」
昨今主流の効率的生き方のススメとは真逆をいく。自己啓発セミナー系の発想に洗脳されている人々の神経は、逆なでするかもしれない(いや、単にスルーされるだけか)。というか、日本には全般的に、優雅なるものに対して見下す風土が根強くある。軽蔑と冷笑のまじった、「優雅なこった。」というセリフを何度聞いたことか(別にこのセリフを非難しているわけではない。日本では優雅なるものが生きづらい、という意味で)。
主流の風潮に優雅に反逆しているという意味でも、加藤和彦は、やはりダンディの条件を満たしている。
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