◇「RED」をDVDで。ブルース・ウィリス、ジョン・マルコビッチ、ヘレン・ミレン、モーガン・フリーマンがRetired Extremely Dangerous(引退した超危険な)スパイとして、自分たちを消そうとしている現役CIA相手にたたかう。俳優たちがそれぞれ自分のパロディを余裕で演じているような楽しさが見もののアクションコメディ。フラワーアレンジメントなんぞしているあの「クイーン」が突如バズーカを放つ。「観客がその人のキャリアをよく知っている」ことから生まれる笑い。

モーガン・フリーマンを撃ったのは誰だ?と最後までわからなかった。IMDBの掲示板を見てみたらやはりわからなかった人がいたみたいで話題に上っていた。回答の中に「たぶんサラ・ペイリンが関わっている」というのがあって、ゆるく笑う。

とはいえ、難しいお話はぜんぜんなく、そういう細部の疑問をはじめ、ブルース・ウィリスのお相手が若すぎる凡庸な女というのはどうなんだという疑問さえもどうでもよくなる類の、スカッと気が晴れるストレートな面白さ。

◇鷲田清一・石黒浩の対談集『生きるってなんやろか?』(毎日新聞社)。密な対談というよりも、おしゃべりに近いのだが、それだけに読みやすい。でもざっくり作った感が否めず、誤字・脱字が目に余る。校正がかなり雑。

……に目をつぶり、なるほどと思った指摘をメモ。

・鷲田「哲学というものは、実は普通の人の生き方や日常の振る舞いの中にあるものであって、人間の力や知恵というのは、発明ではなく、むしろ発見するもの」

・鷲田「哲学がすべきことは、その人たちの仕事を言葉に翻訳することやないかなと思ったの。服を着ることをの意味を服で考えている人、食べること、あるいは料理することの意味を料理で突き詰めようとしている人、そういう彼らの横で必死に見て考えて翻訳する―ひょっとしたらこれが哲学の仕事かもしれない」

・鷲田(80年代のファッションを論じて)「(60~70年代)当時は政治の季節と言われて、70年代安保とか右翼とか、とにかく政治が騒がれていた。そんな時代に3人(川久保玲、三宅一生、山本耀司)は、表現活動としての服作りを徹底的にやりだした。だからまわりからは、『おまえ、時代がこんな大きな問題に直面しているときに服作りかよ』ってバカにされた。ところが20年経った80年代、今度はファッションの季節だと言われるようになった。今振り返ってわかるのは、彼らの服作りの方が、大がかりな政治運動や思想運動よりも、はるかに時代を表現するメディアになっていったということ」

・鷲田(技術開発には、人を受け身にして、想像力を働かないようにしてしまうところがある、という議論の流れで)「そこで鍵になるのが、弱いもの、できの悪いものの存在。赤ちゃんや介護ロボットは、人を能動的にするんですよ。ハイハイする赤ん坊がころびそうになると、こっちが身を起こして助けにいくでしょう。『私がいないと、この子危なっかしくて』とか言ってね。この、『私がいないと』の<わたし>の存在理由というのは、弱いものを目の前にすると急に出てくるものなんです。だからなんて言うのかな、技術開発やデザインというのは、人のある種の能動性を引きずり出すことを大事に考えないといかんというのが、僕の考え方なんですけどね」

・鷲田(ズーラシアの象が、飼育係に喜んでもらうことがうれしくて絵を描いていた、という話をうけて)「喜びっていうのは、みんな自分が気持ち良くなることだと考えるけど、本当は、人を心地よくさせたり、人を楽しませるから、自分もうれしくなるんですね」

・鷲田(シュウカツのトレーニングに疑問を呈して)「自分が働いてみたいと思う企業になぜ直接、アプローチしないのかな、ということ。商店街や繁華街を歩いていて、ここで働いている人かっこええなあとか、働いてみたいなあ、っていうところを見つけたら、その場で『社長さんいはりますか?僕ここに就職したいんですけど』って直接アプローチするという就職の仕方をなぜまったく考えないのか、僕は不思議で仕方がないの」

・石黒(「スタートレック」のボーグが、全員コンピューターネットワークで密につながっていて、意識は集団で一つしかないというシステムであるという話に続けて)「ひるがえって現代の携帯電話とかコンピューターを考えてみると、これらも情報交換を異様なまでに密にしてしまうので、本来は土地とか空間とか時間で分けてたものを無理矢理つないでしまってますよね。そういうツールにあまりに毒されるというか、依存しすぎると、性行為みたいな原始的なつながり方にはあんまり興味を示さなくなったり、必要としなくなるのかもしれない」

クリスティーナ・ヘンドリックス(「マッドメン」の女優)が、「フェイスブックはセクシーではない」という名言を放っていたが、それに通じる考え方。SNSやTwitterは便利なことも多いが、あまりにもそれに毒されてしまうと、石黒先生が指摘しているような状況になるのかもしれない。これから次第に明らかになっていくとは思うが。

ナンシー・ウッド『今日は死ぬのにもってこいの日』(めるくまーる)。ネイティブ・アメリカンの思想とファッションについて書く必要が出てきたので、読んだ資料。宇宙的な時間の流れの中で「自然の一部」として淡々と堂々と生き、祝祭のように死んで次代へと命をつないでいくネイティブ・アメリカンの考え方が、「詩」のような形式でつづられる。

原発事故のような、人のおごりが招いたとしか思えない災害が身近にあるいま、いっそう彼らのことばが説得力をもってくる。

「白人がわたしたちにすることには、一定のパターンがある。まず初めに彼らは、わたしたちが必要としない贈り物を持ってやって来る。それから彼らは、売ろうにも、もともとわたしたちの土地ではない土地を買いたいと申し出る。

土地はそもそも誰のものでもない。それはただ、感謝して、優しく使ってもらうためにここに置かれているだけなのだ。土地はそれ自身に属しているわけで、その点、空の月や星と同じことだ」

「彼らはずいぶん前から、わたしたちのところへやって来ては、みんなが同じ顔になるように、わたしたちを丸めこんで白い顔にしようと懸命だった。わたしたちは、このわたしたちを変えようとする彼らの固定観念、わたしたちの土地を、『利用』と呼ばれる言葉で割り切ろうとする彼らの固定観念が、よく理解できなかった。そしてもうひとつ、わたしたちのものではない考え方に沿って、わたしたちにもものを考えさせようとする固定観念、これも同じくわたしたちの理解を超えていた」

「口を開けば白人は、わたしたちにはもっと物が必要だと言う。しかし物を持てば、わたしたちはその代償として、自分の魂を売らねばならない」

がーんとやられるような、でも静かで深い衝撃。大地や宇宙の流れの中で完全に自然と一体となった生き方をしているからこその、「今日は死ぬのにもってこいの日」。歴史は円環的にくりかえしているし、万物は一度死ぬことによって、生を取り戻している。その死生観に裏付けられている、大きくて穏やかな思想に、洗われる。

「冬はなぜ必要なの? するとわたしは答えるだろう。新しい葉を生み出すためさと。(中略) 夏が終わらなきゃいけないわけは? わたしは答える、葉っぱどもがみな死んでいけるようにさ」

こういうふうに考えることもできる、と知ることで、逆に心を穏やかに保っていくことができる。

19世紀に大英帝国の拡大とともに世界に広がったのが、英語とスーツとジェントルマン理念。その余波が今に及ぶ。スーパークールビズを考えるときには、「ではそもそもなぜいったい亜熱帯に住むわれわれまでが、寒いヨーロッパで生まれたスーツを着ているのだ?」という原点から見直してみなくてはならないと思うんだが。

英語とスーツとジェントルマン理念のように、言葉と衣装と理念は、完璧と思える三位一体になると、強い影響力を及ぼすことがある。

ここで引き合いに出すのはヒンシュクものと感じる人がいるかもしれないが、「言葉と衣装と理念」が一体になった強力なメッセージとしても心打たれた、盛岡の広告マンらによる「復興の狼煙」プロジェクト。力強いことば、服と表情、そして「被災地じゃねえ正念場だ。」の心意気。被災地に対するウェットな感情を飛び越え、アート作品としても敬意を捧げたくなる。

http://fukkou-noroshi.jp/

ポスターを買えば、義援金となる。

また、ここで一緒にしたら狼煙プロジェクトには申し訳ないかもしれないが、この名(迷)コピーと服とスピリットも、つきぬけている。FBで山口淳さんに教えてもらったもの。メンズナックルなどでやっていたアレが、さらにバージョンアップした感じの、ホストナックル編。

http://matome.naver.jp/odai/2125566699177299415

服+パワフル(すぎる)言葉+スピリットで、無敵なヒトたち。ホストだって生き残りをかけて闘わなくてはならない。中途ハンパでは誰も見向きもしない。「これが人間を超越した先にある奇跡の世界だ」「神の視点でしかオレを理解できないぜ」……た、たしかに。

あの「PRESIDENT」誌が「幸せになる練習」特集。それほどいま「不幸」感を抱えている人があふれているということの反映か。実際、自分も思わず反応して買ってしまったし(苦笑)。

「困難がつらくない」「ピンチでもうろたえない」「お金の苦労が消える」「最愛の人を失ったあと、どう心を立て直すか」「おひとりさまは最期まで幸せといえるか」などなど、目次だけおっていても、今こういう問題を抱えている人がいかに多いか、逆に浮き彫りになってくる。

災難や苦労が次々に押し寄せてくるときに、心を克服するにはどうしたよいのか? 臨済宗老師の井上さんの話をプレジデント誌記者は紹介する。「三昧」に入れ、と。

「例えば難しい仕事や、大震災のような恐ろしい対象と”一つになる”のは容易ではない。しかし、三昧に入るためには、苦しくとも逃げずに仕事や災厄とひたひたと同化し、自己を忘却することです。台風を恐れず、飛び込んでその目に至る、といえばわかりやすいでしょう。災難に遭うときは災難に遭うがよろしく候。己が対象に”なり潰れた”とき、そこに災難はないんです」

苦悩や災難との同一化。いろいろ考えても逃げてもダメだというとき、やはりそういうふうに実践するしか道はなさそうだ……。「真の幸福の泉もここにある」と井上氏は言うが、そこまでの境地というのは。

そんなこんなのメンタルの整え方も多様に紹介されていたが、もっとも印象に残ったのが、帝国ホテル山本一郎チーフデューティマネージャーのインタビュー記事。帝国ホテルは、あの震災の日、なんと帰宅難民2000人を無料収容し、水やパンや毛布を用意したばかりか、温かい野菜スープまでふるまったとのこと。近隣の外資系ホテルではドアも開けなかったのに。その裏話というか、ホテルマンの使命感がすばらしく、やはり危機のときこそ企業なり人なりの本質が浮き出るものだなあ、と。

一時期、日本の若い男の子の間でも流行った「ズボンの下げ履き」。英「ガーディアン」に最近の状況を伝える記事が出ていた。5月9日付。’Belt Up, youg man’ by Alex Needlam. 以下、面白いと思った部分を大雑把に抜粋。

Sagging Trousers (ずり落ちトラウザーズ)で下着を見せることに関し、フロリダは「禁止」。それ以前にもこれを禁じる圧力の前例は多数あり。オバマ大統領は、2008年の大統領選中に、MTVで「ブラザーたちよ、ズボンを引き上げよ」と発言。その一年前、ルイジアナのデルカンブルの市長は、お尻の下までジーンズを下げれば、6か月の禁固刑と500ドルの罰金を課す、と。

こうした権威からの圧力にもめげず、ずり落ちジーンズはストリートからはなくないどころか、形を変えて生き残っている。なぜに、かくもしぶとく?

答えはシンプル、「反抗」。このスタイルは、刑務所発。刑務所内での囚人は、自殺防止のため、ベルトを与えられない。ベルトなしでズボンをはかされるのだ。お尻を半分見せるはき方は、刑務所を連想させるのに、ストリートでこれをやると刑務所に入れられかねない。二重の犯罪的なイメージ。

また、「ケツを見せる」というのは、相手を侮辱する行為として、ヒップホップカルチュアでは何世紀にもわたって続く。ティーンエイジャーの間でグローバルに浸透しているSagging Trousersは、このカルチュアのややおとなしい変形版。

女性が浅めにジーンズをはくと性的魅力がアップするとみなされるが、男の子の場合、モラルパニックを引き起こすだけで、下げ履きには性的な意図はまったくない。それどころか、ゲイはだいたいにおいて、下げ履きを避けてきた。

下げ履き歴の長い、20歳前後の男の子たちへのインタビューもあり。「セレブもスケボー仲間もみんなこういうスタイルだから」という答えが多い。「お尻の肉がないのでこうなっちゃう」という拍子ぬけの答えも。流行し始めた90年代当初と違って、あまり「反抗」の意図は感じられないどころか、とんがった自己主張感もない。「みんなこうなので」。「あんまり考えてないし」。

真剣に考えているオトナがバカみたいに見えてくる皮肉。それこそが、今風の「反抗」?(これは私の個人的な感想)

鷲田清一『わかりやすいはわかりにくい?―臨床哲学講座』(ちくま新書)。これまで読んできた鷲田先生の本と重複する部分も多々ありながら、やっぱり「知性の王道」だなあ、と思わせる言葉と思想。

ほんとうに大事なことには、「答えがない」。政治上の駆け引き、地域や家族間のもめごと、介護をめぐる問題、子育てをめぐる問題、死、自分は誰かという問い、などなど。答えがないまま、それにどのように「正確に対処するか」が智恵、という前提のもと、その智恵を鍛えるためのさまざまな視点が示される。

白黒はっきり、とか、とりあえず「ベストアンサー」(最大多数の感情)を知って、叩かれないようにそれに従っておこう、とかの薄っぺらい風潮に対し、「それは違う」と大人の立場で諭してくれるこういう方がいるのは心強い。

「大事なことは、困難な問題に直面したときに、すぐに結論を出さないで、問題が自分のなかで立体的に見えてくるまでいわば潜水し続けるということなのだ。それが、知性に肺活量をつけるということだ。目の前にある二者択一、あるいは二項対立にさらされつづけること、対立を前にして考え込み、考えに考えてやがてその外へ出ること、それが思考の原型なのに、そうした対立をあらかじめ削除しておく、均しておくというのが、現代、ひとびとの思考の趨勢であるように思われてならない」。

「わたしたちがとるべきでないのは、周囲(つまりはマジョリティ)の意向を斟酌しあうというかたちで互いに同調を強いる、そういう行動である。それよりもむしろ、自分と他人とがすぐには同調できないという事実、同調できないひとたちがあちこちにいるという事実から出発して、それらをどう摺り合わせてゆくのかという智恵と対話の技量が、何より求められるものである。そういうおのれの瘡蓋をめくるような痛い経験を繰り返すなかでしか、ほんとうの意味での<民主主義>の社会などというものは生まれようがない」。

震災前に書かれた本だが、震災後にいっそう強くなっている「同調圧力」に警告を鳴らし、一面的な「正しい」イデオロギー支配に疑問をさしはさむという点でも、耳を傾けるに値する言葉。

キャサリン妃がウェディングドレスに選んだことで再評価の機運も高まっているブランド、アレクサンダー・マックイーン。NYのメトロポリタン・ミュージアム・オブ・アートで創始者の故アレクサンダー・マックイーンの作品の回顧展が行われている。NYタイムズにスージー・メンケスの記事(5月2日付)と、ほんの少しの作品だが、スライド写真あり。

http://www.nytimes.com/slideshow/2011/05/02/fashion/fmet03.html

死のイメージ、血、野蛮、SM、闇、プリミティズムなどの、ダークなロマンティシズムを洗練の「美」に昇華して、気持ちをざわめかせたり、苦くて甘美な感情をかきたてたり、思考を促したりしてくれる。

悪名高い「バムスター」(下げ履きパンツの元祖になった)が、サヴィルローのテイラードの技術があったからこそ可能だったという指摘に、なるほど、と。基礎的な力量ががっちりあるからこそ、想像を自由にカタチにできるのだ、たぶん。

ガリアーノのほうは、現在、裁判がおこなわれている。数週間前に弁護士を「解雇」していたりと、あまりはかばかしい進展ではないようだ。(ともにイギリス出身のマックイーンとガリアーノは、同じめまぐるしいモードのシステムの犠牲になったデザイナーではないかと思い、ついセットにして考えてしまっている)。

田辺聖子『欲しがりません勝つまでは』(ポプラ文庫)。1977年に刊行されたものが、2009年にポプラ文庫になった版。第二世界大戦の前夜からその最中、終りまでを、「文学少女」だった田辺聖子の正直な視点から見つめた、半自伝のような物語だが、異常な時代の雰囲気がよく伝わってくる。前半は乙女チックでコミカルにのんびりと進んでいくので、途中で読むのやめようかと思ったほどだが、戦争が始まってからの後半が生々しく、現在の状況とも通じるところがあって、がぜん面白くなる。

戦争に勝つ予感がどこをどう押してもでてこなくなりながらも、負けるとは信じられなかった時の、国民の不思議な高揚。

「悲壮感にはしゃいでいるのかもしれない」。

「憂国の至情」にかられてハイテンションな言動をしてしまう同級生ら。震災直後の、なにか「ポジティブな言動をしなくては日本人ではない」みたいなプレッシャーに覆われた頃の空気を重ねて読んでしまった。

友成先生のおだやかな諌めが、鎮静剤のように効いてくる。

「こういう時節であるから、よけい、軽々しく動いてはいけない。いつかは戦争も終わる。みなさんの学問がまた役に立つ時代もくる。学問は戦争にも滅びない」。

それでも戦局がいよいよひどくなってくると、少女・田辺聖子は、大本営発表に「ほんまかいな」と内心思いつつも、日記にはスラスラと「どこからも叩かれない正論」を書くのである。「これからさき何十年か続くであろう幾多いばらの道を、断乎とふみしめ、最後の光明を仰いでひたすら、つとめはげんでいくのみである」と。

「自分で書きながら(ほんまかいな)と思っている。ついに私は、自分自身にさえ(ほんまかいいな)と思うようになった」。

自分自身が正直に思うことを、日記にすら書けない時代のプレッシャーというものが、やはりあるのだ。

戦後の、ころりと一転した価値観に、やすやすと乗ってしまうマスコミや同時代人の描写も、秀逸。

「人間の生命は地球より重い、という言葉も、どこからともなく吹いてくる風のように人々の心を染めてゆく。天皇陛下と国のためには、命は羽根より軽いと、特攻隊員は敵艦に体当たりして突っ込んだのは、ほんのこの間のことなのに、なぜこうもめまぐるしく世界は変わるのか」。

おそらく、<戦時中>は、強いて何かひとつの「正しい」考えに自分をもっていかねばならない、という圧力がおのずと働くものなのだろう。似たような状況にある今も、そんな同じ圧力に無意識にさらされていないか、ふと考えさせられる。

「戦時中の私は、『生けるしるしあり』とは思わないくせに、強いてそう思おう、としていた。自分のほんとうのきもちに蓋をし、オモシをのせていた。これからは、ほんとうの気持ちを、さぐりあてる力をもたなければ。天皇陛下に命を捧げることが幸福だ、とは本当に思っていなかったのだ。ただ、そう考えることが、美しく思われたからにすぎないのだ」。

おそらく、時代の空気に悲壮感が満ち満ちているときは、「そう考えることが、美しい」と思われることを、言ったり、書いたり、しがちなのかもしれない。それが本心から出た言葉でなくとも。

ともあれ、こうやって、悲惨な状況も愚かしい状況も、ありのままに書き記し、後世へ伝えていくこともまた、書くことを仕事とする人の愛情であり子孫への貢献である、ということを教わる。