何が楽しいって、バラバラで、一見、何の関連もなさそうな断片が、脳内でつながった!と感じられたときの快楽ときたら。
ル・パランでいただいた「ブリティッシュ・フェスティバル」で火をつけられたボニー・プリンス・チャーリーへの関心。この王子様のことを調べていたら、なんと、小さいころからなじみ聞いていたあの歌、「マイ・ボニー」(My Bonnie Lies Over the Ocean)のボニーって、このプリンスのことを歌っていたらしいことを知る。
http://www.youtube.com/watch?v=N-Kow7RPkgM&feature=player_detailpage
Bring back, bring back, oh bring back my bonnie to me, to me (私のボニーをどうか返してちょうだい)…
っていうふうに歌われるボニーの姿が、はじめてはっきりと立ち現われてきた…。
なんだそんなことも知らんかったのか。と言われれば、はい、そんなことも今の今まで知りませんでした ^_^;
で「私のボニーを返してちょうだい」と言ってる女性なのだが。あとは想像というか、あまり根拠が定かではないところもあるのだが、有望なヒロインといえば、フローラ・マクドナルド。
ヘブライディーズ諸島のある島の族長の娘として育てられていた彼女は、24歳のとき、カロデンの戦いに敗れてベンベキューラへ逃げてきたボニー・プリンス・チャーリーを発見し、かくまう。そしてボニー・プリンスを、自分のアイルランド人メイド「ベティ―・バーク」として女装させ、スカイ島まで連れて行くのである。衛兵たちの目をごまかす必要がでてきたときに、彼女はハイランド・ダンスを踊る。その間に、プリンスはスカイ島からの脱出に成功。これがいま、Flora MacDonald’s Fancyと呼ばれているダンス。
無事にプリンスを逃がしたあと、彼女はつかまってロンドン塔に投獄されるが、まもなく釈放される。その後、フローラの勇敢さと忠誠心は称賛の的になり(マナーも気立てもよかったこともあり)、社交界でも人気者となる。1773年にフローラに会ったジョンソン博士は、彼女をこのように評す。
‘A woman of soft features, gentle manners, kind soul and elegant presence. (柔らかな物腰で、立ち居振る舞いは品よく、優しい心をもち、エレガントな存在感のある女性)
彼女の記念碑に刻まれていることばも、ジョンソン博士によるもの。
‘A name that will be mentioned in history, and if courage and fidelity be virtues, mentioned with honour.’ (その名は歴史の中に語られるであろう。勇気と忠誠が美徳であるならば、名誉とともに語られるであろう)
無事にフランスへ逃亡したボニー・プリンスは、その後二度とブリテン島の地を踏むことはなかった。で、冒頭の歌である。凛々しくもエレガントな愛国の士であるフローラが、再会を約束して果たせなかったボニー・プリンスを思って歌う場面が想像されてくるのである。「私のボニーを返してちょうだい」と (T_T)
・・・ドランブイ単品でもう一杯飲みたくなってくる。
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