SNSはたかがSNS ですが、個人の「表=現実」世界でのイメージを大きく左右するというのはもはや常識になっています。
ブランドはここ2、3年、やたらとコレクションやイベントを増やしていますが、その背景にはSNSの隆盛があります。雑誌に何百万円と広告をかけるくらいなら、インスタグラマーやブロガーに来ていただいて、おしゃれな写真スポットを提供し、写真を各SNSで拡散していただいたほうが、よほど宣伝効果が高いということになってきたようです。ジャーナリストが苦労して書き上げる2000字の原稿よりもインスタグラマーの一瞬のかっこつけポーズのほうが評価され、影響力も大きいというのは、微妙に悔しかったりするのですが。笑
誰もかれもがSNSで写真をアップするような時代には、そこに参戦しないのがもっともセクシーだとは思います。謎めいていたほうが、断然、神秘的でいいですし、よけいな人間関係のトラブルに心煩わされることもありません。しかし、たとえば私などは仕事上、書いたものを少しでも多くの方に読んでいただくためには媒体を告知するほうがいいし、公開講座などはできるだけ多くのお客様に知っていただくために宣伝する必要がある。そうすることが、編集者や出版社、大学事務局の方など、関わってくださる多くの関係者のご尽力に報いることにもつながります。
ただ、その必要だけに徹し、宣伝だけしかアップしないとなれば、それはそれで人は敏感なので、「なんだ宣伝かよ」と途端に冷淡になるものです。時たま宣伝をさせていただくのであれば、それ以外の、フォロワーの方にとって有益であったり楽しみになったりする情報も折々に提供する。そうして情報のバランスを保ち、人様に受け入れていただくことで、はじめて宣伝も機能する、そういうものではないかと思っています。(ちなみに匿名で罵詈雑言もとびかうTwitterにはついぞ近寄っていません。いかなる情報も、だれが、どのような文脈で発するのか、ということが重要なので、それが不詳な情報が飛び交う場は混乱を増やすだけです……もちろんメリットもあることは承知していますが。)
そのようなスタンスでSNSとお付き合いする中で、マナーブックには書いてないかもしれないけれど、それをやっちゃだめだろうと思うことがあります。今日は、日頃「これはSNSタブーだろう」と感じていることを3点、書いてみます。
・イベントの招待やイベントの告知での公開コメントに、「たいへん残念ですがその日は出席できません」とわざわざ書きこむこと。これが一つでも書きこまれると空気が盛り下がります。ましてや「その日は法事で…」とか、縁起のよくない理由を書くものではありません。「できるだけ調整します」もしらけます。「万難を排して参加する」のが本来の姿勢であろうと思うので、それができないのであれば、わざわざそのことを公に見える場で書きこむ必要はまったくありません。あなたの都合なんて誰も知ったことではない。主催者の立場になってみて、どうしても不参加メッセージを伝えたいのであれば、こっそり、主催者にだけ送れば十分です。
・プライベートの会合写真は、その人がどういう方々とおつきあいをされているのかがよくわかって非常に興味深いので(つきあう人はその人を映し出す鏡)、観察者としては大歓迎なのですが、そこにわざわざ「この仲間はやっぱりサイコー」「このメンバーだと心許しあえるのよね」みたいなコメントを書くのはいかがなものか。そのグループに近いところにいながらその輪に入れてもらえなかった人はどのように感じるのか、ちょっと想像してみればわかることでしょう。そのようなコメントをわざわざ書くならば、写真に写っている人のみで共有できる設定にしてからにすべき。
・あっちのカワイイ子ちゃんを褒めちぎったとおもえば、こっちの美人さんを褒めそやす男性。あるいは、あっちの「ダンディ」さんに媚びまくったと思えば、こっちの「紳士」にもすりよりまくりの女性。そのような「行動」がセクシーであるわけないどころか、かげで、いや、リアルの世界で多くの人に嘲笑されている滑稽な愚行であるということ、いいかげん気づきましょう。笑われているのを知らないのは本人ばかりなり。
つまり、現実社会と同じ、想像力の問題です。周囲の人にどのように見えるのか、どのように受け取られるのか。アップする瞬間はハイテンションになっていることが多いので、私もときたま「やらかす」こともありますが、やはりちょっと頭を冷やし、情報を受け取る他人の気持ちになってみたうえで、アップする。その一瞬のささやかな考慮の積み重ねをするかどうかが、その人の印象を決定的に変えていくように思います(自戒を込めて)。
中野香織さん、はじめてコメントを書きました。
この3点
引き算の美学のように思えました。
自分の都合を書かない。
自己自慢をしてしまわない。
言葉が残るSNSは博愛主義には向かない。
ネット上では言葉が残ってしまうことが難点ですね。
私も気をつけているのですが、書いた後から読み直して添削する客観的姿勢と余裕がないとやらかしてしまう盲点だなと肯いてしまいました^^;
稚架さま
コメントありがとうございます。
あまりに全方位を気にしすぎるとそれはそれで何も書けなくなってしまいますしね…。
その都度その都度の小さな心がけで、action & reflection を繰り返すことが
修養につながるのかなと思います。笑