山田篤美著『真珠の世界史』(中公新書)。

仕事上の必要から読み始めたのですが、充実の力作。という表現が失礼にあたるほど、古今東西の膨大な資料をもとにまとめあげられた、まさしく「真珠の世界史」。具体的なエピソードが豊富で、真珠を通してみると、世界史の見方が変わる。

とりわけ興味深かったのが、御木本幸吉が成功させた養殖の真円真珠がヨーロッパで引き起こした騒動のこと。以下は自分のための備忘録メモとしての概要です。

★★★
1921年ごろ、ヨーロッパに送られた御木本の養殖真珠は「ニセモノ」扱いをされていた。

「スター」紙スクープ(「ロンドン真珠大詐欺事件」)のあと、ロンドン商工会議所の宝石業セクションが公式声明を出す。「日本の『養殖(cultured)』真珠を真珠として故意に販売した人物は、虚偽記載の罪で起訴されることになる」。「日本の養殖真珠は、真珠質に覆われた貝殻製のビーズに過ぎない」。

ロンドンのジャーナリズムは、日本の真珠養殖そのものについても関心を示すようになる。御木本真珠店ロンドン支店に記者が押しかけ、御木本は反転攻勢のチャンスと見て日本の養殖真珠についてのパンフレットを配り解説する。

「イラストレーティッド・ロンドン・ニュース」は海女(sea girls)の写真を紹介。当時のヨーロッパ人の理解では、真珠採りの潜水夫とは、借金にまみれて酷使される奴隷状態の人。ところが日本の真珠養殖では、健康な若い美女が海に潜っている!

真珠商たちにとっては、天然ものと区別ができないうえ、無尽蔵に作ることができる日本の真円の養殖真珠は、自分たちの商売をおびやかす悪夢そのもの。とりわけフランスで、激しい排斥運動が起きる。パリ商工会議所は、養殖真珠の発明を放棄するなら報酬を出すとまで。アメリカでは、日本の真珠をつけると皮膚病になるというデマまで出回る。しかし、御木本のパリ代理店は屈せず、フランスの行政官庁に輸入禁止の不当を訴え、裁判で訴訟合戦を繰り返す。(1927年まで排斥運動は続く)

科学者は擁護。オクスフォード大学のリスター・ジェイムソン教授、ボルドー大学のルイ・ブータン教授など、日本の養殖真珠はホンモノというお墨付きを与える。

国際的な真珠騒動が起きても一歩も引かず認めさせた御木本幸吉の強烈な個性の賜物!

(1929年のウォールストリートクラッシュのあと)1930年にパールクラッシュが起きる。天然真珠の価格は85%下落。欧米の天然真珠市場は壊滅。以後、欧米の名だたる宝石店は養殖真珠に嫌悪感を示す。ティファニーは養殖真珠を拒否し、天然真珠ももたず。ティファニーやカルティエが日本の養殖真珠を扱うのは、1955年以降。

オーストリア、バハレーンでも困難。バハレーンでは日本の養殖真珠の席巻により、唯一の産業だった真珠業が衰退していく。バハレーンは新たな産業の必要性を感じ、石油開発に乗り出す。バハレーンに石油収入が入りだすのは1934年。

そんな状況のなか、真珠そのものの救世主になったのが、ほかならぬココ・シャネルであった!

そしてこれ以降の、真珠から見たファッション史がまたスリリングなのです。リトルブラックドレスにあしらわれる真珠の意味、コスチュームジュエリーの余波。戦後ディオールのニュールックにあしらわれる真珠、グレース・ケリー、マリリン・モンローの真珠。真珠が似合わないミニスカート流行による真珠不況。マキシが復活させた真珠。などなど、これまではっきりと意識してこなかった真珠に焦点を当ててみると、ファッション史がまた別の見え方で立ち現われてくる。

山田篤美さん、リスペクト。

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