“Being a dandy is a condition rather than a profession. It is a defense against suffering and a celebration of life.” (By Sebastian Horsley)
早春に発売予定の、某有名難関高校の入試対策問題集に、『ダンディズムの系譜』から一部抜粋して問題が作られるそうです。
全国の高校受験生のみなさん。ダンディズムのお勉強は必須ですね!笑
ちなみに、設問の半分も解けませんでした。数年前には『モードとエロスと資本』からも実際の入試問題が何回か作られるという光栄なことがありましたが、やはり全問正解とはいきませんでした。
作品はいったん出たら、パブリックなもの。入試問題に使われれば、それは出題者のもの。「誤解」されてなんぼ、誤解の余地が大きければ大きいほどヒットするというのは、みうらじゅん尊師も言っておる。
シェイクスピアなんて、いろんな時代、いろんな国で「誤解」されまくりだからこそ、今に生きているっていうところがありますもんね。
ご参考までに「傍線部の作者の気持ちを述べよ」という設問に対して、作者側の「正解」があるとしたら。
「はやく締め切りクリアしてシャンパン飲みたい」。
入試問題がでたらめだと言っているわけでは毛頭ありません。念のため。入試とは、出題者と解答者のコミュニケーション、というところがあります。一定のコミュニケーションのルールのもと、双方納得のもとにおこなう「こういう世界でやっていけるかどうかの選抜」であって、解答者の「能力」うんぬんは、また別の次元の話になると思っています。
それにしても数年前に書いた文章、若すぎて今読むと恥ずかしいなあ。ル・パランの本多バーテンダーも「若い時に作っていたマティーニはエッジが効き過ぎていた」と言いましたが。ダンディズムなんて重たく受けとめる話じゃないよ!(重たくしすぎるのはもっともダンディズム本来の態度とはかけ離れている)というメッセージもこめてあえて軽く書きましたが、それが今読むとちょっとつっぱってる感じかな。経験とともにとれるべき「角」はとれていくものですね。たんなる摩耗にならないように気をつけないとね!
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