アイロニーやブリット的ユーモアが通じにくい時代になったなと思う。ここは笑ってもらうところと思って書いたつもりが、マジ切れされたりして。素直といえば聞こえはいいけど、文の背後や行間を読まず、字面のまんま受け取る人が増えましたね。真意を「説明」してもきょとんとされる。たぶんもう日本語が通じ合っていないのではないかと思うことがある。自己啓発本やSNSの影響か? 啓発本しか読まない人が言う「わかりやすい」「さくっと読める」(↞ハズカシ)というのが事務的でぺらぺらの散文で、書いたり読んだりするときの感覚的な喜びみたいなものが、まずない。まあ、なくても生きられるけど。
殺伐とした日には、アイロニーと毒舌とブラックユーモアが効きまくりの「イギリス的な」本がいい。イーグルトンのこれ、一度読んだけど、やはり痛快なので、再読。こういう感覚が共有できる世界があると思うと、少し安心する。年がら年中こういう世界だとまた疲れるけどね。この本に関して贅沢を言えば後半の翻訳がちょっと読みづらいのが難点。イーグルトンは英語も難しいから翻訳もたいへんだったでしょう。大学一年のときにふつうに教科書にされていて(「文学批評とイデオロギー」とか)、そのときにはまったく意味不明だった。この本も、たぶん、イギリス文化やレトリックを学んで、実人生でも苦い思いをなんどか味わってやっと、「読める」ように、というか「笑える」ようになる。
ブリット的ジョークをわかって「笑える」ようになったらなったで、逆にエリート主義として白い目で見られるか、そもそもスルーされるのが現代。
アイロニーが愛でられる土壌について、イーグルトンはこんな風に書く。「アイロニーの文化は、ある程度の余暇というものが欠かせない。平明な真実を差し迫って必要としないような特権的な地位にいることがアイロニーを愛でる文化を生む。事実とは、工場主にまかせておけばいいのだ」
「貴族は、見解の多様性を面白がることができる。なぜならそうした見解のどれも自分の生き方をゆるがすことはないからだ。これは貴族が、独自の見解をもっていないせいでもある。意見は平民のためのものだ。事象をめぐって熱くなるのは、よろしくない。見解をもつことは、好戦的な組合員のように、見苦しく一面的になることだ」
ここで「工場主」とか「組合員」を引き合いに出すあたりが、階級と共に生きているイギリス人らしい。日本人なら「差別」だの政治的な正しさだのの問題に配慮して絶対書かない。
アイロニーが廃れたことは、余裕がなくなったことばかりではなく、エリート主義への嫌悪とも結びついているわけですね。「わかりやすい」ドナルド・トランプへの共感が高まるような時代には、アイロニーやレトリックなど通用しなくなっていく。
私は余裕があるわけでもないし、貴族でもなければエリート主義者でもないけれど、平明を通り越してすかすかの散文を「さくっと読める」とほめることの恥ずかしさくらいは自覚しておきたい。
ソリマチさんのイラストが親しみやすさを感じさせますが、中身は決して親しみやすくはない。そこを乗り越えていけるか、試すようなところもある。