まるまる一日かけて書いた原稿2000字分が、ワードの唐突な不調で飛んでしまう。復元を試みるも出てこない。よく書けたはずのものにかぎってなぜか残っていない。結局、思い出しながらアナログ復元。パニックになるしぐったり疲れるし、もっといい表現をしていたはずだとかあの構文は傑作だったのにとかあれこれ「過去」を思い出しながら書くのでよけいストレスがかかる。
まあこんな日もある……。こういうときはいったんそれを離れて、新しい気持ちで書きなおすに限る。
休憩のために、昨日DVDで観たラース・フォン・トリアー監督の「メランコリア」の感想でも書きます。(活字原稿の疲れは書きたい放題のブログで癒すパターン。笑)文章は書きなぐりのうえ、ネタバレありなので、これからご覧になろうという方は読まないでくださいね。ご覧になった方も、オカルト?ありなので、適当にスルーしてね。
第一部、自分の結婚式で周囲の小さな悪意や「いい人」の無神経やプレッシャーにやられていき、徐々に崩壊し、最後は病いの極致の症状をまきちらして、仕事も夫も、おそらく自分自身もなくしてしまうジュスティン。鬱(メランコリー)に押しつぶされるヒロイン。ゲストも不快になるし、観客もいらつく。
そして第二部、惑星メランコリアの衝突を前に、裸体にメランコリアの光を浴び、目に光を宿し、力を得て強くなっていくジュスティン。「まとも」だった姉夫妻が右往左往して状況に負けていく。
最後の圧倒的な光と音。「ハッピーエンド」とトリアー監督は言っている。鬱(メランコリア)とともに華麗に砕け散る。ほかに類が見当たらないカタルシス。これまでにこれと似た感情を味わったことがない。破壊にして絶対的な無。
冒頭のシーンと最後のシーンは、何度も何度も観たい。定義不能な、美しいカタストロフ。
“Life is only on Earth. And not for long.”
どこにも逃げ場のない、すべての終わりが迫ったとき、あなたはどのように迎えるのか?ということを問うようなラストシーンでもある。ともに手をつないで迎える人がいたらハッピーエンドなのかもしれない。「スターウォーズ ローグワン」もそんな終わり方だった。
これがたんにSFに思えないのは、Nibiruのことも頭の片隅にかすかにあるから。NASAは否定しているようだし、日本でもほとんど騒がれていないし、なんだかそんなことを書くとオカルト系のことを信じる人みたいに見られるのがアレですが。
Nibiru Apocaliplse が一部のメディアで根強く報道され続けています。
私が去年、カリフォルニアで目撃した二つの太陽 (写真ではわかりにくいですが、左のほうに太陽に似たものがもう一つ見えています)。あれもひょっとしたらNibiruではなかったのか? などと想像するのはちょっとワクワクすることでもあり。
Nibiruが迫りくるのかどうかはわからないけれど、絶対に来ない、ということも断言できないはず。そんな生々しい不安だか期待だかを感じながらMelancholiaの名シーンを反芻するのも味わい深い……。
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