公開からずいぶん経ってしまいましたが、ようやく時間がとれて、鑑賞。
ボヘミアン・ラプソディ(楽曲)はフレディ・マーキュリーがファルーク・バルサラを殺して「なりたかった人になろうと決意し、なった」途上での混乱や栄光や絶望や孤独やなんかの物語だったのだな、ということをうっすらと思った。
ありのままの自分を受け容れて云々、などという手あかのついた教訓を受け容れるような人ではなかった。それゆえの栄光、それゆえの孤独。深い心の闇から逃げようとして手あたり次第に刹那の快楽を求め、その結果、フレディ・マーキュリーまでをも殺してしまったという物語。
フレディが髪をマッチョ系短髪にしたあとロジャーに「どうだ?」と聞いたときのやりとりは面白かったな。「Gayer」とロジャーが答えるんですよね。gayを比較級にしてgayer。さらにゲイっぽくなった、と。(字幕では「ゲイっぽい」) フレディは「髪じゃない、この家のことだ」と。
「家族」としてのバンドメンバーのつきあい方にも痛みを覚えながら共感。ひどい仕打ちをし、この上ない暴言をはいて、もう二度とその前に顔を出せないようなメンバーの前に、「君たちが必要だ」と戻ってくるというのは……。それを受け容れるメンバーもすごいな。規格外の「女王」ゆえん? いや、家族とはそういうもの?
Nothing really matters to me… ボヘミアン・ラプソディの最後の歌詞の意味がようやく理解できたような思いがする。この虚無、孤独の深さがうつったようで、観てから2日経っても重たい気持ちが去らず、延々と残っている。
大学で「モードの神話学」という講座をもっていたとき、クイーンの講義にまる一コマあてていた。ボヘミアン・ラプソディも6分、全部ホールで流した。この映画を観たあとの現在なら、全然、違うことを解説するような気がする。
<追記>
映画を観て「モードの神話学」が楽しかったなーということなども思い出していたら、たまたま、フェイスブックで元学生くんが投稿に下のような言葉を添えていてくれたのを発見。こんなことばにふれると、私がやってきたことは決して虚無虚無というわけでもなかったと知って、救われます。ありがとね!
「Bohemian Rhapsody が素晴らしすぎました。
唯一好きだった大学の授業でFreddie Mercury に出会ってから、数々のコンプレックスがあったにも関わらず乗り越えて自分のスタイルを築き上げ、時代のモードを作った彼は僕のアイドルです。」
クィーンのCDはベスト盤しか持っていない
程度の私ですが観ました。個人的な見どころは
メンバーのそっくりさんでした。
ブライアンメイなんかほんとよく似ている。
初めて知ったのはフレディが勝手にソロアルバム
を出して他のメンバーと仲違いしたことでした。
日本で人気者になった事なんかも映画で触れて
もらいたかったな。
> たけいさん
日頃映画を観ないひとまで巻き込んで大ヒットしていますが、
映画鑑賞のプロ?みたいな方は一様に
「そっくりさんぶり」のみを褒めていますね(^^;)
日本語の歌も彼らは作っているんですよね。
ちらっとでも映画で聞きたかったですね。