難解な用語をまったく使わず、市井の人に語りかけるようなイメージで経営学を説く。「余談の多い」経営学、と表紙にあるけれど、余談を聞きながらすいすい多様な事例を通して学べるし、その事例を起点として枝が広がるように考えさせられる。
ラグジュアリー市場に関してはやや手ごたえが薄いような印象も。でも「ステータスと仲間をつくれ」の章では、具体例を通してラグジュアリーにまつわる新しい表現というか見え方を示唆してもらった。以下は、備忘録を兼ねたメモで一言一句正確な引用ではありません。詳しくは本書をお読みくださいね。
・機能性、経済性といった科学的価値→芸術的価値→宗教的価値(あこがれの対象と自己同一化できるような感覚)
・織田信長が部下への恩賞として茶器を用いたこと。家臣は財産も手に入れ、権力も手に入れ、最後にはステータスを求めた。信長は巧妙に自らも茶の湯文化を尊んでみせることで名物である茶器をもつステータスを高めることに成功し、領地や権限以外の報酬を生み出すことに成功。
・正岡子規が東京帝国大学の学生時代にベースボールを輸入した。子規の本名「升」(のぼる)をいたずらで用いて「野」(の)「球」(ボール)→「野球」と訳されることになった。彼らに対するあこがれから野球はステータスを築き上げた。
・「ラグジュアリーブランドというのは、『華麗なるギャッツビー』、あの世界に出てくるものですね」
・デイジーの涙が、ラグジュアリーブランドという現象のどこかにまとわりつく哀しさを示している。
・大戸屋はなぜ一階にないのか? 「女のくせに自炊をさぼって外食している、と外から見る人に思われないかと心配せずにすんで助かる」 (←これには笑った。ここまで徹底的に考え抜いたブランディングだったのだ)
・ハーレー・ダビッドソンは、機能で他のバイクと競合しない。競合するのはむしろアウトドアライフスタイル。「家族の理解が得られるようになった」(ハーレーに乗っているパパがかっこいいと思われるようになった)からこそハーレーは成功した。ハーレーを乗る人たちのコミュニティ、帰属意識も満足させる。
・ハーレーに乗るライダーに「あなたは社会的階層のシンボルとして、この決して安くはないバイクに搭乗されているのですよね?」と聞いても、決して素直な答えは返ってこないでしょう。ことは人間の心のあまりにも柔らかなひだの奥に触れる話題なので、そこを意識すればこそ、ライダーたちは「いやいや、このハーレーの走りが、馬力がいいんですよ」と機能性にこだわった証言をするでしょう。商品のシンボル性にひかれたと、自分で素直に認められる方はそうはいないでしょう。(←これ、まさしく!! 人は虚栄心を認めない。この証言を言葉通りにとってモノづくりをしてはいけないのだ)
“God is a metaphor for that which transcends all levels of intellectual thought. It’s as simple as that.” (By Joseph Campbell)
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