11日の公開初日に「Barbie」鑑賞しました。

爆笑!最高!大爆笑!というシーンが続くその合間にシリアスな社会批評ががんがん投入され、最後は地に足のついた人間賛歌で終わりじわじわと余韻を残す快作でした。

現代社会への問題的は多々ありました。なかでも印象に残ったのが「自分はなにものにもなれていない、なにものかになりたい」症候群のこと。これは先日のやましたひでこさんとの対談でも提起された話題でした。今の50代、60代の女性のなかには「なにものにもなれなかった、これからどうすればよいか」と悩んでいる方が多いということでした。

バービーは「女の子はなんにでもなれる」という理想を謳い、大統領にも宇宙飛行士にも医者にも清掃員にもなれたわけですが、逆に、「なにものかにならなければ」というプレッシャーを女性に(男性にも)暗黙裡に与えてきた、という指摘が映画の中でなされていました。「なにものでもない」「なにものにもなれていない」というプレッシャーは国境や年齢を超え多くの人が感じている悩みであるようです。

なにものにかなりたい欲などかけらもなく、「なにものでもない」私がこんなことを言うのもまったく説得力がないのですが、

「レンタルなにもしない人」のビジネスがなぜあれほど盛況なのか。なぜお金を払ってまでなにもせずそこにいてほしいのか。なぜ敬意をもって崇められるのか。ここにも一つのヒントがあるように思えます。なにもできない自分を卑下もせずありのままに生きながら人に寄り添うこと、これが究極に難しくて、おそらく人間のあるべき理想形でもあるからではないのか。

映画ではケンがこの境地にいきつくわけですが、そこまでのプロセスがほんとにたいへん! (笑)

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