1666年10月のチャールズ2世による衣服改革宣言は、スーツのシステムを生んだという意味でも画期的でしたが同時に、ラグジュアリーの意味を変えたという意味でも注目に値します。

それ以前、宮廷は誇示的消費を宮廷の特権とすることで権威を保っていました。エリザベス1世時代には中産階級以下に「奢侈禁止令」を制定してまでラグジュアリーを独占しようとしていました。その「伝統」が続いていました。

しかし、「貴族に倹約を教える服」の導入により、王侯貴族が反・贅沢に向かうことによって文化的権威となろうとしたのです。これがいかに斬新なことであったか。

さらに1688年の名誉革命はイングランドにおける最初の民権条例を制定させましたが、これにより、貴族はいっそう贅沢から離れ、慎ましさへ向かうのです。

啓蒙思想がこの傾向を後押しします。啓蒙思想は民主主義と人権を大切にするという理念を育てていきます。

旧時代の貴族が耽溺していた誇示的装飾をやめたイングランド人は、地味で簡素なスーツを、このような政治的理念や社会思想と結びつけます。

旧貴族的贅沢の誇示を頑なに残していたフランスでは流血革命が起き、反・贅沢のドレスコードの力でうまく移行に成功したイングランドは、18世紀末までには、世界のメンズスタイルのリーダーとなっていきます。簡素なフロックコートは、個人の自由と立憲政府を支持する人間のドレスコードとなるのです。

とはいえ、フランス側でそんな立場をとる者は、仲の悪いイングランドではなくアメリカに倣った、という風を装います。ベンジャミン・フランクリンにちなみ、フランクリン風ファッションと呼ばれて採用されていきます。

ともあれ、その流れを作った発端が、チャールズ2世の衣服改革宣言にあったということ、これはもっと重視されてよいのではと思います。

それで、ラグジュアリーはイングランドから姿を消したのか?といえばそうではなく、質素・簡素の徹底の中にラグジュアリーを見出す「新しいラグジュアリー」として、ボー・ブランメルのダンディズムが開花させるのです。紳士型ラグジュアリーの誕生であり、今日も隆盛する紳士ブランドはこの時代のヘリテージを利用してラグジュアリービジネスをおこなっています。

 

 

 

 

0 返信

返信を残す

Want to join the discussion?
Feel free to contribute!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です