喪に服す色は世界共通ではない。喪の色とは、その文化における死生観、宗教観、社会儀礼の結晶であり、それぞれの地域、民族、信仰によって意味づけが大きく異なる。
日本では明治以降「黒」が一般的となったが、それ以前の神道葬では「白」が正式な喪服であった。中国やインドでは今なお「白」が死者を弔う色であり、アフリカの一部地域では「赤」や「青」が重要な意味を持つ。つまり、喪の装いとは単なる服装規定ではなく、精神の表現であり、文化の記号でもある。
これを雄弁に示したのが、2025年4月に行われたローマ教皇フランシスコの葬儀だった。サン・ピエトロ広場に世界各国の要人が集い、最後の別れを告げたこの日、注目されたのは荘厳な儀式だけではない。各国首脳や王族、宗教指導者たちがまとった「喪服」の多様性である。現代のグローバル社会における弔意のあり方を象徴していた。
アメリカのトランプ大統領は、鮮やかな青のスーツに青系のネクタイという装いで参列した。西洋社会における一般的な喪のドレスコードから逸脱したこの選択は、批判も呼んだ。他国の首脳の多くが黒を基調とした服装で臨むなか、この明るい装いは「自己主張が過ぎる」「哀悼の空気を乱す」と受け止められた。しかし一方で、トランプ氏らしい「俺様がルール」という政治的パフォーマンスの一環とする見方もあり、その是非は文化と価値観の対立を浮かび上がらせた。
イギリスのウィリアム皇太子は、ネイビーのスーツに黒のネクタイを合わせて出席した。これは英国王室が葬儀においてしばしば用いる正式な喪服スタイルである。濃紺は控えめでありながら格式を保ち、また戦後の英国において「黒の過度な強さ」を緩和する色として受け入れられてきた。また、イギリスは宗教的には「英国国教会」であり、カトリックとはやや距離を置く。そうした微妙な宗教的立場の違いも感じられた。
ヨルダンのアブドゥッラー2世国王もまた、ネイビーのスーツで参列した。イスラム文化圏において、喪の色は一義的ではなく、白、緑、青、あるいは伝統衣装など多様なスタイルが認められている。ネイビーの選択は、バチカンの規律を尊重しつつ、自国の文化を損なわない礼節として成立していた。
インドのムルム大統領の装いも目に留まった。彼女は青のサリーで参列した。ヒンドゥー教において、死は魂の輪廻の一部であり、白が喪の色とされることが多い。だが、インドにおける女性の礼装=サリーは、弔意の文脈であっても一色ではない。ムルム大統領の選んだ深い青のサリーには、個人としての弔意とともに、国家の代表としての矜持も感じられた。
一方、戦時下のウクライナから参列したゼレンスキー大統領は、黒の軍服風ジャケットを身にまとっていた。喪服ではないが、国家非常時の指導者としての立場を象徴する装いであり、その佇まいからは、服装規定を超えた「戦時下」にいる指導者としての存在感が伝わってきた。
こうした多様な装いは、形式的ドレスコードと矛盾しているように見えるかもしれない。しかし、真に重要なのは色そのものではなく、「死者に対していかに敬意を表すか」という精神のあり方である。黒ではなくとも、ネクタイがなくとも、敬意があれば、背景に文化があれば、十分に「喪の表現」として機能する。
ローマ教皇という世界的精神指導者の葬儀が、このように多様な装いに彩られたことは、現代が直面する「儀礼の共存」というテーマを浮き彫りにした。「黒でないこと」にもまた、意味が与えられ、共感される時代へと移行しつつある。グローバル化と多文化共生の時代にあって、私たちは、弔意の形が一様でないことそのものを受け入れる寛容さを問われている。
それぞれの装いが語る弔意の背景を知ることこそ、異文化理解の第一歩である。(それにしてもトランプ大統領のブルースーツだけは、違う意味を放っていた…)
Photo: Dipartimento della Protezione Civile. CC BY 2.0
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