ボストン・コンサルティング・グループとイタリアの業界団体アルタガンマが共同で発表したラグジュアリー業界の調査レポート、2025年版が発行された。
これによれば、世界の個人向けラグジュアリー市場は10年ぶりに成長の鈍化を見せているという。
この変化は、一時的な景気後退というより、根深い構造変化を示唆している。かつてブランドを支えた「アスピレーショナル層(憧れ消費層)」、つまり年に数十万円程度をラグジュアリーに費やしてきた中間層が、その支出を止めつつあるのだ。物価高や将来不安のなか、彼らはお金の使い道をウェルネス、投資、そして中古品にシフトさせている。実に約35%が、ここ1年でラグジュアリー消費を減らしたと答えている。
一方で、最上位の富裕層(市場のわずか1%以下)による支出はむしろ増加しており、個人ラグジュアリー市場の23%を占めるまでになった。このわずかな顧客層に向けて、ラグジュアリーブランド各社はいま、「再集中(re-focus)」を進めている。華やかな広告やインフルエンサー頼みのスケール戦略から、親密な顧客体験と真のクラフツマンシップへという転換である。言わば、原点回帰の動きでもある。
では、この動きは何を物語るのか。
ひとつには、グローバル化とSNSに後押しされてきた「民主化されたラグジュアリー」が、限界に達しつつあることが挙げられる。万人に開かれた「ステータス消費」は、かつては夢や活力を与えてくれたが、やがて情報過多と商品過多のなかで疲弊を招いた。調査では、顧客層の60%以上が「ブランドからのコミュニケーションが多すぎてうんざりしている」と答えている。高額な商品を買っても、自分の価値を正当に認識してもらえず、「誰でも買えるもののひとつ」として扱われる。そんな体験が、ラグジュアリーの本質と逆行しているのだ。
顧客がいま求めているのは、「つながり」「静かな親密さ」「ちゃんと見てもらえているという実感」である。混雑した店舗や騒がしい広告ではなく、落ち着いた空間と、パーソナルなやりとり。作り手の顔が見える品質。そして、自分が「ちゃんと見てもらえている」という実感。それは「信頼」に基づく関係性の構築に他ならない。
このような潮流は、ラグジュアリーの枠を超えて、私たち自身の暮らしや仕事にも通じる示唆を含んでいる。たとえば、あらゆる業種において、「数を追う」ことの限界が見えている。フォロワー数、売上高、アクセス数。こうした数は一時の勢いにはなるが、必ずしも顧客との関係を深めるものではない。むしろ、過剰な情報発信や過度の販促が、顧客との信頼を損なう例も少なくない。
いま求められているのは、「誰に届けるのか」をもう一度見つめ直すことでだろう。そして、選ばれた少数に対して、どれだけ丁寧に応えることができるか。効率や拡張性の追求ではなく、時間や手間をかけた「人と人との仕事」が、むしろ差別化の源泉になる時代が来ている。
ラグジュアリー領域で起きることは常に時代の動きを予兆している。このようなラグジュアリーの再構築は、量から質へ、ノイズから本質へという、現代の価値観の地殻変動を映し出している。私たち自身も、自分の仕事や暮らしのなかで「何を削り、何に集中するか」を問い直す時期に来ている、と覚悟したい。
では、こうしたラグジュアリーの世界的潮流のなかで、日本が取り組むべき道はどこにあるのか。
近年、日本でも「ローカルラグジュアリー」という概念が注目を集めている。大量生産・大量消費ではなく、地域資源や伝統工芸、自然と共生する暮らしの知恵など、日本各地に根ざした独自の美意識を、次世代のラグジュアリーとして再定義しようという動きだ。
これは、まさに今の世界の変化と響き合う潮流である。ブランドを規模で測る時代は終わりつつある。重要なのは、どれだけ深い物語を持ち、どれだけ誠実に顧客と関係を築けるかという点だ。ラグジュアリーは、時をかけて築かれた信頼や、場所に宿る美意識を体現するものへと変容している。
この観点から見ると、日本の地方に眠る価値は計り知れない。各地の工芸はいずれも、時間、手間、熟練を要する仕事であり、その土地の風土や歴史と切っても切れない関係にある。それらはグローバルなラグジュアリーブランドと同様、あるいはそれ以上に、「クラフツマンシップ」「ストーリーテリング」「唯一無二性」という価値を備えている。
ただし、単に伝統を守るだけでは不十分で、必要なのは、「ローカルなものを、グローバルな感性で磨き直す」戦略であることは、これまでに書いてきた記事でもたびたび触れてきた。ローカルラグジュアリーには体験価値と文化価値を統合するポテンシャルがあり、開拓はまだこれからである。
たとえば、伝統工芸を物販に留めず、滞在体験、食、建築、パーソナルなストーリーと結びつけて、「五感と記憶に残る世界観」を編集・演出する。その土地の自然、季節、精神性を、現代のライフスタイルと結びつけて再構築する。それらは観光でも民芸でもなく、「深く生きるための選択肢」としてのラグジュアリーとなる。
こうした構想を成立させるためには、「売る人」ではなく「編集する人」「関係をつなぐ人」の存在が欠かせない。いわば「文化のキュレーター」のような役割を果たす人材が、日本のローカルラグジュアリーの未来を支える鍵となるだろう。前回の雅耀会で講演をおこなっていただいた立川裕大さんの言う「ミドルウェア」がまさにそうした存在で、8月11日に講演をおこなっていただく北林功さんもまさにローカルラグジュアリーのキュレーターである。
ローカル特有の価値観やユニークな思想を掘り起こし、新しい言葉と体験で語り直すという試みには、大きな可能性が潜んでいる。


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