2025年7月22日
ラグジュアリー視点で考える日本の文化と工芸の記事を英語にして、noteで淡々と発信し続けて2年近く経った。そもそも取材の経費はすべて自分もちで原稿料など微々たるもの(英語版では完全にゼロ)、取材先に喜ばれるわけでもないし、反応も薄い。日本にはこんな埋もれた技術やローカルな思想があり、それに従事するユニークな職人がいるよということが海外の伝わればという思いから始めたことではあったが、こんな状態ではまったく誰得なのか、エネルギーと時間の無駄遣いだよなあ……と心折れかけていた。
ところが。先日、イギリスの某有名大学で教鞭をとる、ラグジュアリーマネージメントの専門家から連絡をいただき、昨日、オンラインで話をした。彼女は私の英語の記事をすべて読んでいる、と言ってくれた。そのうえで、ある提案をしてくれた。私一人では絶対に出てこないアイディア、しかしおそらく(こんな利益にもならず、日本では見向かれもしないことを愚直にやっている)私にしか協力できないグローバルなプロジェクトの構想だった。
全く予想もしなかった、不意打ちの大きなリウォードだった。暗闇を孤独に彷徨ってる迷走感が続いていたが、ようやく少し扉が開かれ、光明が見えた思いがする。
本当の奮闘はむしろこれから、なのだろう。
前例もないし、実現するかどうかもわからない。
ただ、この扉を大きく開いて、せめて後に続こうという若い人達が希望を失わないでいられる程度の光は届けたい。
報われない思いがする仕事を淡々と続けているすべての方に、どうかあきらめないで、誰かがどこかで見ている(こともある)、とお伝えしたい。
Photo: Goldsmiths, University of London. CC 2.0


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