どの業界、どの職種においてもそうだと思うのですが、いま、ファッションブランドはAIとどう向き合うかという課題に直面しています。

ブルネロ・クチネリが展開するSolomeo AIという人工知能があります。クチネリの哲学や倫理観に基づいてインタラクションを展開するAIで、彼の頭の中と対話できるかのような体験を与えてくれるのですが、そのAIによれば、上記の答えは次の通り。

効率化やトレンド予測、顧客データ管理はAIに委ねることができるが、最初のスケッチや職人の手仕事、顧客との信頼関係構築、最終的な卓越性の判断は、「人間の聖域」として人間しか守ることができない。

ブルネロによれば、AIが雑務を担うことで、クリエイターはより人間らしい創造に集中できるということになります。

同じ問いは、文筆家にも突きつけられているんですよね。AIによるそこそこ質のいい文章生成が急速に普及するなかで、新聞や雑誌の記事にもAIっぽいものが増えました。それで「不便」はありません。記事内容によっては、人間性が感じられないほうが風通しもよかったりします。もう、記事を正確にまとめるだけの文筆家は淘汰されていきます。では、「人がわざわざ書く意味」とは何でしょうか。クチネリの姿勢と同じく「聖域を見極める」としたらそれは何でしょうか。

AIに委ねることができるのは、膨大な情報の整理、要約、構成の叩き台づくり、あるいは言葉のバリエーションの提案、誤字脱字の文章修正といった部分でしょうか。

一方で、人間が手放してはならない聖域、というか、文章に人間らしさを保とうとすれば人間にしかできないであろう領域があります。どのテーマを選ぶかというひらめきや直感。書く人の人生のコンテクストを踏まえた比喩や象徴の選択。その人らしさを感じられる独自の文体やリズム。読者と信頼関係を築き、感情を揺さぶる非合理的であたたかい力。さらに「何を信じ、何を伝えようとするのか」を決断する責任でしょうか。

完璧なAI文ではなく、不完全さを抱えた、生身の呼吸が宿る人間の言葉にこだわる文章は希少価値を増していくのではないかと楽観しています。とはいえ、そういう文章もAIが書けるようになる未来がいつかはくるのかな。

Photo: サモエドに遊んでもらいました。at 町田市。ただそこにいるだけで相手を笑顔にする、ただそこにいるだけで貴いという動物に学ぶところは大きいですよね。

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