ブルネロ・クチネリ氏が、ドキュメンタリー映画『ブルネロ 静かなる先見者』(ジュゼッペ・トルナトーレ監督、11月6日公開)のために来日。会見に伺いました。

生きているうちに映画にした理由は、死後に作れば「いい人だった」で終わってしまうから。孫や曾孫に、自分の言葉で考えを残したかったそうです。

73歳のいまは、1日2、3時間、広場に座って「永遠」について考えているとのこと。イタリアでは変わり者だと思われているかもしれない、とも。

若い頃に村のバーで1日15時間を過ごした話から、伊藤忠本社の大時計の針をこっそり進めたいたずらまで、哲学と冗談がブレンドされた60分でした。映画には、そのバーの日々も再現されています。
映画の中ではブルネロさんは巧みなカードプレイヤーとして描かれます。カードを切るたびに周囲が驚く展開が始まるのです。「次に切るカードは?」と質問しましたが、バーの中のジョークですっかりケムに巻かれました。それもクチネリ流戦術なのだと理解した次第でした。
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以下は、新ラグジュラリーの理論につながるブルネロさんの話として、メモしておきます。
1. イタリアで22、23歳の若者が、月1500ユーロ、家賃だけで800ユーロという条件で、窓のない工場の手仕事を選ぶだろうか。工場に窓を作らないのは、空を見ると効率が落ちるという理屈による。仕事はまず倫理的な尊厳を、次いで経済的な尊厳を失った、と氏は語りました。
2. 同社は今年を「魂の年(Anno dellanima)」と定め、社員3500人と、仕事を共にする小規模事業者の9000人に、同僚の変化に気づいたら声をかけるよう呼びかけています。費用のかからない施策です。
3. 前夜に会食したトヨタの豊田氏には、トヨタの労働システムこそ映画にすべきだと勧めたそうです。 ラグジュアリーの価格は、ふつう素材、技術、希少性で説明されます。氏の論理では、そこに効率の計算からこぼれる作り手の時間が加わります。高価格が正当化されるのは、その時間が作り手の側に実際に確保されている場合に限られる。日本のものづくりの高付加価値化を考えるうえで、避けて通れない論点です。


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