林真理子『グラビアの夜』(集英社文庫)読み終える。「一流ではない」仕事現場で、それなりにあがいたり、日々をしのいだりしているスタッフたちのそれぞれの物語が、生々しいリアリティで描かれる。大きな山場があるわけでもなく、感情がドラマティックにゆさぶられるわけでもなく、けっして読後はすかっと快いわけではない。でも、まさにそのテンション低めの殺伐とした感覚こそ、作者が狙った効果であるようだ。
巻末の瀧井朝世さんの解説が、そのあたりのもやもや感をうまく表現していた。<上昇志向がなく、熱情もないけれど、現実に穏やかに満足しているという現代人の姿勢を浮かび上がらせている>と。以下、瀧井さんの解説から。
「トップを極めるというのは、かなり面倒くさいものだと分かってきたこと。(中略)栄華を極めた人間は、賞賛や憧れの対象というより、足元をすくうターゲットとなっている」
「トップがすぐ入れ替わる時代なのである。芸能界も経済界も政界も、いちばん上に行き着いたら、後はひとつでも失敗したら奈落の底まで落ちるだけ。しかも、どこに落とし穴があるか分らない」
「一流でなくても、いい暮らしはできる。(中略)ヘタに出る杭になって打たれてすべてを失うよりも、地味だけれども使い勝手のいい人間のままでいたほうが、同じ世界で息長くやっていけそうな気もする」
タイトルのことばも、瀧井解説より。こういう時代においては、「上を目指す」ことがばからしく、そこそこのところでささやかに満足を覚えながらやっていければそれもまたいいではないか、というひとつの考え方。
そんな考え方が救いとなる人が大勢いる。そのような日本の現実に、どこかわりきれない思いも残る。