荒俣宏『図像探偵 眼で解く推理博覧会』(光文社 知恵の森文庫)読み終える。1992年初版なので昔ぜったいに読んでいるはずなのだが、すっかり忘れている。でも内容は今なお新鮮である。

いつもながら、いったいどこから集めてきたのか?という奇怪な図と、奇想天外な解釈で、アラマタワールドが全開。とりわけ興味深く感じたことをメモ。

☆イギリスのCGアーチスト、ウィリアム・レイザムの<形の征服>というコンセプト。「どんなに高度で複雑な図像も、実は四角とか三角とかいったごく単純な<原始形>をいじりまわした結果にすぎない」

「操作というのは、突き出させたり、たまわせたり、強調したり、つなげたり、ひねったり、叩き伸ばしたり、の六種類である。こうすると、形はどんどん変わっていく」

「立方体でも、球でも、これを無限に”彫刻”していくと、どんなに摩訶不思議な図像を作っていくように見えても、それはやがて私たちがよく知っているいくつかのイメージ・タイプにまとまってしまう。そのタイプとは、『建築物のように構造的な形』、『ケルト装飾のように幾何学的な形』、『有機体のようにうねうねとした形』、そして『中世ゴシック風のとげとげした形』」。

「私たちが哲学だ趣味だ思潮だといって極力神秘めかしてきた美術史上の様式区分は、すべて、形に対して加える”彫刻”すなわち操作のパターン集として解析できるのである」

→CGの時代になってもなお、形がすべて古典、バロック、ロマン、ゴシック、といった美術史用語に置き換えられる、という点に、なるほど、と。

☆18世紀半ばに描かれた蛇は、立ち歩きしている。這ってない。「蠕動」に近い動き方をする。なぜか?

17世紀のフランチェスコ・レーディという学者の説。「蛇が水中では鰭をもたぬ魚の一種であり、陸上では巨大な尺取り虫の一種とみなせる」。

「イギリスではシェイクスピアの昔からヘビを虫の仲間と考えたし、中国や日本でも、『虫』の字は元来ヘビのとぐろを巻く姿を形象したものだった。つまり、多くの土地ではヘビは『虫』だったのである」

→ゆえに、19世紀までの西洋のヘビ図は、立って這う姿に。

☆ブラジルの原住民がパンツをはいた理由。ブラジルの原住民はもともと裸で暮らしていたが、西洋人と並んで暮らすようになってから、パンツをはいた姿で描かれている。なぜか?

「キリスト教との西洋人は原住民にこう教えるだろう。裸でいることは罪なのだよ、知恵をもつとは、自分が裸でいることを恥じるところから始まるのだ、と。そして、原住民は裸でいることを恥じ、パンツをはいて白人と暮らすようになった・・・のか?

この答えは、半分当たって、半分外れている。たしかに彼らは自分の裸を恥ずかしく思った。しかしそれは西洋の知恵を獲得したからではなく、西洋人のペニスのものすごさに恐れをなした結果であった、と考えたいのだ。西洋人に向けた、彼らのおどおどした目は、この図からも如実に感じられる」

→この後に続く、とどめのアラマタ解釈がすばらしい。あまりにもおやぢっぽいおかしさで、ここではもったいなくて書けない。

0 返信

返信を残す

Want to join the discussion?
Feel free to contribute!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です