◇現存する唯一の「白洲次郎」秘蔵映像DVD、という付録にひかれて「新潮45」購入。DVDはなんだかもったいないくてこわくてまだ見る気になれない。本誌には、これに合わせて、知られざる「白洲次郎」特集。「憲法調査会」の発言の全貌あり、娘の牧山桂子さんによる「父の思い出」のエッセイあり。
桂子さんのエッセイでは、「マッカーサーを叱りつけた」という伝説に関し、そんなことはなくてやはりあれは「伝説」にすぎないらしいことがわかる。
旧朝香宮邸(=庭園美術館)に部屋があり、ほとんど家には帰っていなかった、ということも明かされる。
「父は日本人と外国人を区別することはありませんでした。上等と下等な人間の区別ができたということだと思います」
「白洲家は、父母を含め5人家族だったのですが、家族というものはこの世の仮の姿。実際は、ひとりひとりが独立した人格で、夫婦と言っても別個の存在だった。そこが、よその家庭とは違っていたところで、家族の集合写真を撮ったり、正月に家族が集まったりすることなどありませんでした。現に、白洲家には、家族写真など一枚もないのです」
◇同誌、巻頭の曽野綾子のエッセイ「ドグドグ・グダグダ」も思わぬ収穫。
do-gooder(空想的社会改良家)=独善的な慈善家心理、を批判した最後のあたり。
「最近のマスコミや組織で働く人々の日本語が、非常に防御的な姿勢になっていることを感じることがある。つまり悪人だととられないように、できれば人道的人間であることを示すことができるように、必死なのである」
悪い人だと思われないよう、ドウ・グッダー的な逃げの文章を書くことで、文章が生気を失い、グダグダになる、と。
共感。自戒をこめて。
◇朝日新聞、19日付「世襲の作法」、林家正蔵の「『芸は一代』継げませんから」。3回ぐらい繰り返して読んでしまう。「芸は一代」。息子は父が、父は祖父が、基準になってしまう。それゆえ苦しさがいっそう重い。苦しんだ末に自分の芸、形を、一代で編み出していくしかない、という話。
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