人前で見せることにはなっていない、というアイテムだからこそ、見えてしまったときの衝撃は大きいものです。
サスペンダー。ブレイシズ(braces)と呼ばれることも多い、いわゆる「ズボン吊り」です。
日本では子どもや老人のもの、というイメージもあるようですが、私のイメージとしては、ジェームズ・ボンドにマイケル・ダグラス。ラリー・キングも有名だけど。どちらかといえば、男のパワーアイテムという位置づけです。
上のゴードン・ゲッコー(「ウォールストリート」)は「見せる」ことで力を誇示しましたが、「効く」のはむしろ、本人も意図しないところで「見えてしまった」瞬間です。
シャツと同色の白なのでわかりづらいですが、不意打ちを食らうようにちら見えしてしまったジェームズ・ボンドのブレイシズの色っぽさときたらどうでしょう。見せるアクセサリー的に着用しているゲッコーとちがい、<見せることにはなってない下着感>を残しているのがいいですね。まるで「パンちら」を見ちゃった男子高校生の喜び方みたいで(^_^;)恐縮なのですが、たぶん、似たような心理的インパクトなのかもしれません。
先日、まったく予期せぬ場面で、意外なブレイシズ姿を目の当たりにしてしまい、問答無用に悩殺されてしまった経験から、ブレイシズの威力を今一度、知っていただきたいと思った次第です。もちろん、トラウザーズのフォーマルなラインを崩さず着用する、という本来の機能は言うまでもないですが、女性のガーターベルトと同様、「前時代的で、かなりめんどくさい」アイテムであることが、機能を超えるセクシュアルなパワーを発揮していることは間違いありません。その場合、意図して「見せる」んじゃなくて、「見えてしまう」ことが重要であるのも、ガーターベルトと同じですね。
ブレイシズは本来、ウエストコートで隠すのが正しい? もちろん、正しいのがお好きな方は、上の戯言には目もくれず、どうか正しい道をきわめてください。
ブレイシーズ
隠れた拘りのアイテムですね。
間違っても、これ見よがしに
見せてはならないモノかと。
私はガーターベルトというよりは
ブラの紐のように感じます。
ウエストコートを着用している時は問題ありませんが
2Pの時は絶対に上着を脱いでは
なりません。
脱ぐならウエストコート着用のお約束で。
しかし、チラ見えした時は
セクシーというのは
参考になりました。
ありがとうございます。
>らみいさん
ご指導ありがとうございます。
ブラの紐。なるほど(^_^;)
>2Pの時に絶対に上着を脱いではなりません
その通りなのです。けれど。その「絶対」が不意に破られてしまったときの衝撃は、「正しさ」を凌駕します。
「正しさ」を突き抜けた先にこそ、甘美な喜びにあふれたライフが待っているというのもまた、ひとつの真実ではありますね。
↑ わたしは合理を説く評論家ではなく、むしろ魂の解放(というか既成の枠組みから自由になること)を応援したいロマンティストなので(~_~;)、オバカ妄想として笑って聞き流してくださいませ。
私は、クラシックな装いが好きですので、ブレイシーズは人に見せるものではないという考えが素敵に思え、常々そのように心掛けております。スリーピーススーツを好んで着ることが多く、不意に見えてしまうことはほとんどありません。ブラックタイの装いをするときも、カマーバンドではなく、やはりウエストコートを身に着けますので、残念ながら(?)ジェームズ・ボンドのようなことは起こらないはずです。ただ、外出する際は常にウエストコートを着用するというわけではなく、徒歩圏内の場所などへは、ツーピーススーツやトラウザーズとジャケットのような、比較的カジュアルな装いで参りますので、現時点では、不意に見えてしまうことがないとは申し上げられませんが…。
ブレイシーズとサスベンダーズは、単に英語と米語の違いだけではなく、その背景にある文化にも大きな差があるように感じます。ですから私は、二つの言葉を聞いて思い浮かべるものが微妙に異なります。同様のことは、以前らみいさんもおっしゃっていたのですが、中野さんはどのようにお考えでしょうか。
そして、中野さんを悩殺(!)した場面とは、一体どのようなものだったのでしょうか、気になります…。
らみいさんや私の考えが、少数派であることは認識しておりますので、他の方に強制するつもりはありませんが、少しでも多くの方々に知識としてお持ちいただきたいものです…。
ところで、別の記事へのコメントで申し訳ありませんが…、「『無限に知恵を引き出せる』贈り物」で、資生堂名誉会長の福原義春さんが、スーツを同じ生地同じ型で数着お誂えになっていることを知り、現在の日本でも、そのような方がいらっしゃるのか…と嬉しくなりました。真似たくとも、私には到底無理ですが…。
>かいしんさま
丁寧なコメントありがとうございます。
嬉しうございます。
>ブレイシーズとサスベンダーズは、単に英語と米語の違いだけではなく、その背景にある文化にも大きな差があるように感じます。ですから私は、二つの言葉を聞いて思い浮かべるものが微妙に異なります。
たしかに、そうかもしれませんね。アメリカ的なサスペンダーには、子供や老人の、見せてOKなズボン吊りのイメージも色濃く漂います。
この項目をめぐっては、フェイスブックでもちょっとした議論がありました。「正しい」装い方いうよりもむしろ、エロい着脱法とか、そういう話にいってしまいましたけど^_^; また後日、チャンスがあれば、その後の議論の展開など、こちらのほうでも紹介できれば、と思っています。
正しくあるべきものであるほど、不意にそうではない姿が立ち現われた瞬間に、思わぬセクシーな効果を発揮するものですね。だいたい、そういう一瞬のスキに人は電撃的に恋に落ちます。私には縁がないですけれど ^_^;
紳士服をめぐる、本に書いてあるような「正しさ」を大切にすることは社会的にも美学的にも重要であることは、知っているんです。
それはそれとして。
くどいですけれど、私の関心は、「正しさ」にはあまりないんです。それが不意に破られた瞬間に訪れるロマンティックな世界とか、それが生まれた瞬間の不条理なばかばかしさとか、そういう人間臭い場面に研究の「やりがい」を感じます。
福原さんのようなスーツのあつらえ方こそ、本物の上流階級の振る舞いなのでしょうね。もう、「格が違う」という印象を受けました。
中野さま:興味の有る内容でしたので、コメントさせて頂きます。サスペンダー(ブレイシズ)を身に付ける人間が激減した昨今、こういった内容を記事にして戴く事自体、ワクワクします。ありがとうございます。大学を卒業し就職したての頃、何も知らないぼくはサスペンダーを付け、堂々と上着を脱いでいました。それを目にした当時の上司に「君はマフィアか?」と諭され、人前で見せる物では無い事を勉強しました。それ以来ベストを着用したり、上着を羽織ったりとマナー遵守に努めておりましたが、やはり宴席や夏場の外出時は上着の着用が辛く、我慢出来ずに脱いでしまう事もしばしばです。ぼくの中でのブレイシズに対する考えは、①きちんとしたビジネスの場や、上司、目上の方との席上ではマナーとして見せる事はご法度。②友人同士やプライベートな場では見せる事も容認。厳格な先輩方からはお叱りを頂戴しそうですが、自分の中で線引きしています。
>極楽トンボさま
極楽トンボ様の基準を教えていただき、ありがとうございます。やはり本人が納得できたルールに従っているかどうかが自信の有無の分かれ目になるのでしょうね。
多くの女から見れば、どうでもいいこと、というか、あまり気にならないことなのですが、やはり同性の目がいちばん厳しいのですよね。マナーにうるさい男性の前ではいかなる場合でもご法度のようです。映画のなかのゴードン・ゲッコーはたしかに「金融マフィア」でしたものね。
私は私的な場にかぎり、カラフルなブレーシズを見せていただくのは大歓迎ですが。笑。楽しい柄だと場も盛り上がります。