[E:clover]ルミネのコピーの快進撃つづく。18日(火)の朝日新聞全面広告。「脱いでいるわたしより、着ているわたしが、わたしに近い」。

「すっぴんの顔がホントのわたし。

それはたしかに間違いない。

だけどメークをしている顔が、

嘘のわたしというわけでもない。

人は飾ることで、

自分を露出している。

むしろ裸よりも、

その人となりの多くをさらす。

どんな人間なのか、気分なのか。

どう見られたいのか、なりたいのか。

東京の街を飾る女の子たちは、

自分を隠さずに今日も生きている。」

[E:clover]19日付朝日新聞教育欄、「子どもを読む」、週刊少年マガジン副編集長 朴鐘顕(ちょんひょん)さん。

「100万部を超すようなメガヒットを飛ばす作品の条件はシンプル。最大のポイントは老若男女に受け入れられることだ。(中略)「老若男女」のうち、最も難易度が高いのが女性なのだ。まず、女性が嫌いそうな要素を精査する。意味のないパンチラ、行き過ぎた薀蓄、不快なほど不細工なキャラクターなどが本当に必要かどうか考え直す。次に増強するべき要素を考える。登場キャラクターの過去やトラウマ、キャラ同士の相克と友情、そしてデザイン。(中略)こうして読者を意識することで、日本の漫画は世界に誇るエンターテイメントとなってきたと思う」

あたりまえのことのようで、でもなかなかこうして文章化して整理してくれた人はいなかった気がする。

いまやなんでもゲームになる。ダンディだってゲームになる。Dandy Makerという着せ替え人形ゲームがあることを知った。

そのゲーム世界において、ダンディの定義は明快である。

A dandy is a refined gentleman who dressed well, dotes on his appearance and acts like an aristocrat.

「ダンディとは、服を美しく着こなし、自分の外見をこよなく愛し、貴族のように振る舞う洗練された紳士である」

な、なるほど、すっきり。こういう外見の問題だけのダンディであれば、知人にお手本がわんさといますが^_^;

ヤボを承知でちょこっとだけマジメな話をすると、「貴族のように振る舞う」ダンディが出てきたのは、貴族社会が崩壊した後の19世紀初頭。近代市民社会において、貴族のように振る舞うなんて馬鹿げているわけなのですが、であるからこそあえて、精神の貴族性を忘れず、貴族がとったような行動をとってみせるわけですね。それによって市民社会の欺瞞を挑発する。それがオリジナルダンディたちだった。

現代の「なんちゃってダンディ」たちも、平板安易簡素絆効率至上主義になんの疑問もなしに向かう時代の流れに対して、彼らなりに掉さし、抵抗しようとしています。たぶん。遠目に見たら鼻持ちならない振る舞いと紙一重だとしても。