とても深い薫陶を受けた恩師のひとり、故・安東伸介先生の論文、エッセイ、対談などがぎっしりつまった本が出版されました。「ミメーシスの詩学」。2002年に先に天に旅立たれたのですが、奥様の博子さまが膨大な安東先生のお仕事を丁寧に集め、こうして本の形になりました。
安東先生は、慶應義塾大学英文学の伝統に光り輝く方。ケンブリッジで客員研究員として過ごしていた1994年ごろに、同じケンブリッジで訪問教授をなさっていた安東先生ご一家と知り合い、家族ぐるみでのお付き合いが始まり、ほぼ毎日のようにご家族のどなたかと会ってご飯を食べたりお話していたりした記憶があります。
安東先生の偉大さは、なによりもそのお話ぶりにあるので、ここに書かれたものだけでその功績がすべて伝わりきらないのが悔しいですが。
帰国後も、家族ぐるみで渋谷のご自宅や八ヶ岳ふもとの山荘に呼んでいただいたりして、イギリス紳士の行動、日本の山の手文化、チョーサー、シェイクスピア、ミルトンなどの古典などなど多岐にわたるテーマについて、奥様の手料理(抜群の腕前!)とワインをいただきながら親しく伺えたことは、なんと贅沢な経験だったことか。
メディアに出るような俗っぽいことはあまりなさらない先生でしたが、一度、私が引っ張り出してしまいました^_^;。『性とスーツ』の翻訳を出した直後ぐらいだったかと思いますが、1998年A/Wの「ダイヤモンド スタイル」。モダン・ジェントルマンの特集で、ジェントルマン階級についてインタビューをさせていただきました。15年前、私の方はショートカット時代(笑)のお恥ずかしい写真ですが、安東先生「新刊」ご出版記念ということでご寛恕。ちなみに、「ミメーシスの詩学」に収録されている安東先生の肖像は、このときに撮影したグラビアページの写真(誌面では、下の記事の右ページに掲載)です。
今読んでも含蓄のあることば。「人間というものは外にあらわれたところで判断するしかない。陶器を評するのと同じで、重い、軽い、風格があるというような形容詞は、ことごとく人間にあてはまります。美醜にかかわらず、人間は顔で判断される。英国のジェントリイ階級は、おしゃれの部分でもそれを意識していますが、やはり顔が違うのです」
ちなみに写真のうしろに写っているのは、安東先生コレクションの高価な陶器。
今生きていらしたら、どんなお話が聞けたでしょうか…。当時、感動しながらたっぷりとうかがったはずの話をしっかりメモしておけばよかった(ブログがあったらしっかりメモしておいたかもしれない(-_-;))。「今この瞬間この人と話している」ことがどれほど貴重ですばらしいことか、ずっとあとになってわかるのですよね。
そんな時間を慈しんでいくことが、年を重ねた時に、美醜を超えた「顔のちがい」として表れていくのでしょうか。
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