2015年5月16日
北日本新聞16日付。日展の作品の中から、宇津孝志さんの「雪国春を待つ」を鑑賞し、レビューを書きました。スーツケースをかたどった、ユニークな作品で、さまざまな「読み」方を誘う作品です。
400字では到底書ききれなかったのでここで書いてしまいますが(^-^;、実はベケットの「ゴドーを待ちながら」を思い出したのです。「ゴドーはくるかな」「いつくるのかな」と二人の男が話しながらついにゴドーは現れないままお芝居が終わるというベケットの不条理劇。「ゴドー」は「神」でも「成功」でも「春」でもなんにでも置き換えられるのですけれど、私たちは、何かが来ることを期待し、待っている間に人生を終えてしまうことがある……のかもしれない。それが来たらようやく出発できる、と思ってぐたぐたしているうちに永遠にそこにとどまっているとか。それはそれで、不幸せなことではない。
逆に、いったん「ゴドー」を忘れて、待つ時間そのものを充実させるということもいくらでもできそうです。
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