期日前投票に行ったついでに、近隣でありながらこれまで足を踏み入れたことのなかった辺りを歩いてみた。高速インターチェンジの高架下周辺になる。整然と手入れされた表通りからほんの2,3分歩き進んだだけで別世界が広がっていた。

何年も顧みられていないために雑草が森のようになっており、電柱や電線にまで雑草がからむ。

これはこれで趣きを感じる光景ではあったが、まさかほんの少し「裏」に入っただけでこんな光景が広がっているとは夢にも思わなかった。

さて、話は変わるが。

「ルルレモン」のウェルネスリポートで、最近の若い人が「ウェルビーイング疲れ」に陥っているという報告を見た。

<回答者の61%が身体的、社会的、精神的な健康を達成するプレッシャーを感じており、45%はストレスや孤独感、疲労感も引き起こす“ウェルビーイングへの燃え尽き”に陥っていることが明らかになった>(WWD)

最近の映画やドラマに、極端なホラーや不条理な恐怖を描いたものが増えているのは、表層的なきれいごと追求のプレッシャーに対する反動なのか?

ウェルビーイングが謳われれば謳われるほど、その世界観とほど遠いことが起きることを見逃すわけにはいかない(夜更かしドラマ一気見、異様な激辛、オーバードーズ、斧投げバー、感覚遮断タンクetc.)

うるわしい理想であるウェルビーイングのプレッシャーがかかれれば、そこに至れない場合に大なり小なりの自己破壊的行動を引き起こすこともある。

それって逃避なのか、反逆なのか、それとも別次元のウェルネスや再生を見出す手段なのか。

一応、レポートにはプレッシャーを感じる理由として3つ挙げられている。

・社会の期待
・矛盾する情報
・全てを一人でこなしている感覚

対策として、

・雑音を遮断し、自分自身の声を聞く
・心地良いことをする
・一人でなく、誰かと取り組む

という対処法も挙げられているが、いや、それが簡単にはできないから、代替の道に行ってしまうのではないか?

少なくとも、「ウェルビーイングであれ」のプレッシャーを緩和する、あるいはそこから解放するような理念やサービスやアートの需要はなくならないだろう。

整然とした理想の裏には乱雑な野生。そんな光景に重なって見えたウェルビーイング疲労。

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