2024年11月24日
見て見て私すごいというアピール欲を抑制できず、大混乱を引き起こした可哀そうな女性PRさんを見て思い出した礼法がある。
「前きらめきを慎む」-自分の能力や個性を人前で得意げに見せない。
小笠原敬承斎先生『誰も教えてくれない男の礼儀作法』(光文社新書)に出てくる。小笠原流礼法の解説で、男性向けとされているが、社会性を求められる女性にも通じる話が多い。
前きらめき(キラキラアピール)は失脚の最大の原因になること、大昔から戒められてきたのだ。
もうひとつ座右の礼法を紹介したい。
「無躾は目に立たぬかは躾とて目に立つならばそれも無躾」 ー 作法の知識があるのだ、とひけらかすことは、作法を知らないことと同じく、非礼に通じる。
そんな礼法の目的とは、こころを練磨すること。「こころが平穏で落ち着き研ぎすまされている人と出会ったとき、自分の本質を見抜かれてしまうように思うことがある。自分の言動に後ろめたさがある人にとっては、相手のこころの落ち着きが脅威に感じられることもあるのではないかと思う」。
礼法を意識すると心のコントロールができるようになり、精神が安定する。こんな時代にこそ必須教養にすべきなんじゃないか。
心のコントロールでふと思い出した。私が両親から毎日のように言われてきたことがある。「足るを知れ」。今あるものに感謝して、それを活かして工夫してやりくりしていけ、と。機会や関係や立場や利益や貴重品など、なんらかの大きな喪失体験をしたとき、ひととおり絶望を味わったあと、とりあえず「今あるもの」の棚卸をしていくと不思議と少し落ち着いていきました。時間だけはいつも「足りない」と思ってしまうんですけどね。
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