2019年6月、大阪で開かれたG20サミットにおいて、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領が着用していたスーツは、一見すれば何の変哲もないクラシックな装いに映った。しかし、あの場面を外交的コンテクストとともに読み解くならば、それはきわめて緻密に設計された、静かな演出であったと言える。

プーチン大統領が着ていたのは、黒に近いチャコールグレーのスーツに、白シャツ、そしてワインレッドのネクタイという、保守的かつ抑制の効いた組み合わせである。奇をてらうことなく、ただし冴えわたる精悍な佇まい。挑発ではなく統制、アピールではなく沈黙による圧力である。

当時、米露関係はきわめて複雑な局面にあった。2016年のアメリカ大統領選へのロシアの介入疑惑を発端に、トランプ政権は国内外からロシアとの癒着を疑われ、いわゆる「ロシアゲート」が政権を揺さぶっていた。さらに、INF全廃条約の失効を目前に控え、軍事・安全保障の枠組みも大きく揺らいでいた。トランプはしばしばプーチンに対して異様な親和性を示したが、アメリカの制度的な対露姿勢は一貫して警戒的であり、両国は、握手しながら疑念を深めているような状態にあった。

そのような文脈のなかで、プーチンの装いは明確な信号を発していた。深いグレーはロシアの現実主義を象徴し、ワインレッドのタイは、赤の持つ攻撃性を巧みに抑制しながらも、権力と主導権の意思をほのめかす。派手なスーツや強い柄を避けることで、「服では語らず、立ち姿で圧倒する」スタイルであり、いわばKGB出身の統治者にふさわしいスーツ美学である。

対するトランプ大統領は、淡いピンクのストライプタイというやや軽快な装いで登場した。政治的な含意はともかく、ビジュアル上は華やかであり、言葉も冗舌であった。プーチンの静けさとトランプの騒がしさ。そのコントラストは、米露の立場の違いを象徴するような一幕だった。

プーチンは、この「静」のスタイルによって、外交舞台においても「読ませない男」であり続けた。スーツに感情を載せず、しかしその無表情のなかに国家の影を背負わせる。

Photo: 駐日ロシア大使館Xより引用

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