ラグジュアリービジネスにおいて、もはや「体験型マーケティング」を採用するか否かは議論の対象ではない。問われるべきは、その体験がいかに戦略的に設計され、刹那的な感動をいかに持続的なブランド資産へと転換するかという点である。
ロエベの「クラフテッド・ワールド」展(東京・原宿にて開催)は、この問いに対する一つの鮮やかな解答を示したと思う。
本展は、まず視覚的な迫力によって来場者を圧倒する。なかでも、話題を集めたスタジオジブリとのコラボレーションの部屋は幻想的で、赤ちゃんの撮影室と化していた(笑)。巨大な植物モチーフ、シュルレアリスムを思わせるクラフトのインスタレーション、細部まで計算された空間演出、アートとして並べられたドレス。いずれも「思わず写真を撮りたくなる」衝動を巧みに喚起される(写真撮影は自由)。撮影された写真は、ソーシャルメディア上で無数に拡散され、ブランドは広告費を一切かけることなく、圧倒的なプロモーション効果を手にすることになる。現代のラグジュアリーブランドに求められる最も洗練されたマーケティングの形であろう。
とはいえ、この寛大さを装った体験の背後には、取引構造が隠されている。入場は無料だが、チケット取得時に個人情報の登録が求められる。来場者は、一瞬の感動的な体験、写真をSNSに掲載する承認欲求の満足と引き換えに、自らのデータを自発的に提供しているのである。この取引はあまりに巧妙で、消費者はその対価にすら気付かないまま、ブランドにとって貴重な行動データと心理的ロイヤルティを残していく。
すでに「ルイ・ヴィトン & 展」や「ディオール展」あたりから兆しがあったこの取り組みは、ラグジュアリー業界における本質的な転換を示している。もはやモノを売るだけの時代ではない。ラグジュアリーブランドは「エコシステムの構築」に注力している。希少性や価格ではなく、「個人的で、記憶に残り、そしてシェアしたくなる体験」こそが、現代のラグジュアリーを定義づける価値として浮上していることがわかる。
ロエベは、この展示を通じて単に楽しませるのではなく、欲望そのものを精密に設計してみせた。クラフトマンシップという伝統的価値を現代的な文脈で再定義し、ビジュアルの魅力の背後に、ブランドの核となるストーリーを強く刻み込んだ。その結果、訪問者は美しい写真と感動を手にして帰るが、ブランドはそれ以上のもの、つまり消費者データ、文化的影響力の強化、そして現代ラグジュアリーの価値観そのものを形づくる力、を着実に手にした。
ラグジュアリーの本来の価値には偶発的な喜びがあったかもしれない。でも、現在のラグジュアリービジネスは、偶然に委ねられるものでもない。緻密に設計され、消費者に意図的に経験させることで初めて、その価値が最大化される時代に入っている。ロエベ(というかLVMH)はその最前線に立ち、「次のラグジュアリー」の輪郭を描いている。
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