大学時代に英文学史というのを勉強していたことがある。それぞれの専門分野での第一人者の高潔な教授陣の講義は、すばらしいものであったのだろうけれど、当時は、「何のために」学んでいるのかさっぱりわからなかった。歴史上の文学者の人間関係とか作品とか、ぷっつりと今と切り離して美しく解説をされても、「今、ここに、こうして座っている」私との関係がさっぱり見えてこなかったのだ。
大学の講義でもなんでもだけど、専門家であればあるほど、目の前の聴衆の「今の問題」とのかかわりを(本人がきちんと感じ取るように)示唆してあげなきゃ、モチベーションも高まらないし、学習効果も上がらないのだと思う。自戒をこめて。
で、英文学史である。30年たった今なら、ようやく腑に落ちて理解できることがたくさんでてきた。そのなかのひとつが、ジョン・キーツが表現した、Negative Capability ということば。
平板すぎるポジティブ・シンキングがあまりにもバラ色の思考法のように唱えられている現状に対し、「違うだろう!」と言いたくてその根拠を探していたら、運命的に再会してしまった。
キーツが1817年に弟あてに書いた書簡の中で使っている。
‘… it struck me what quality went to form a Man of Achievement, especially in Literature and which Shakespeare possessed so enormously-I mean Negative
Capability, that is when man is capable of being in uncertainties, Mysteries, doubts, without any irritable reaching after fact and reason.’
「ハッとした。人に偉業をなしとげさせるもの、とりわけ、シェイクスピアがたっぷりと持っていたもの、それがネガティヴ・ケイパビリティなのだ。手っ取り早く理由や正解を求めることなく、不確かなこと、不可解なこと、疑いだらけといった状態のなかに人がとどまることができるときに見出される能力、それがネガティヴ・ケイパビリティである」
さっさと自分が納得する理屈をくっつけて安心して、明るく前進する。そんなポジ・シンも結構かもしれないけど、むしろ、不確かでわからないことだらけのことをまるごと受容し、その不可解の渦中にがっつりととどまってみる。ネガ・ケパ(ひどい略だな…)。それができる辛抱強さからこそ、なにかホンモノのクリエイティビティというのが生まれてくるのかもしれない。
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