遊戯三昧、後編も公開されました。
ブロマンス、ハーフ、アジェンダー。最近、気になっていることをテーマにしてみました。
遊戯三昧、後編も公開されました。
ブロマンス、ハーフ、アジェンダー。最近、気になっていることをテーマにしてみました。
現代ビジネスでの島地勝彦さんの連載対談、「遊戯三昧」のゲストにお招きいただきました。
前編が本日、公開されました。スポンサーがJTさんということなので、煙にまつわるエピソードを話しています。
気仙沼ニッティング代表、御手洗瑞子さんとのトークセッション、伊勢丹メンズ館チャーリー・ヴァイスのサロンにて。
御手洗さんがなぜ気仙沼ニッティングを立ち上げるに至ったのか? ブータンの首相補佐をしていたころの経験と、その根本的な発想が地続きであることがわかる。
国家の支援とは子育てのようなもの。ほんとうに自分の力で稼ぐことができるようになる支援をするということ。ただモノやカネをあげても自尊心はかえって傷つけられる。自分の力で働き、自立できてこそはじめて人間として、国家としての誇りが感じられるという考え方に感銘を受けました。
同じように、彼女は震災後の気仙沼を支援しました。気仙沼の女性たちが、自分の力で最高レベルのプロフェッショナルな仕事をし、税金を納めることで、誇りと自信を取り戻すことができるように、と。
気仙沼ニッティングは、100年後も存続する「老舗」を目指す。選択において、どちらが100年後も生き残るために有効か?という基準で選ぶ。だから御手洗さんの選択にはぶれがない。
賢くて、タフで優しく、行動力とリーダーシップも兼ね備える。目の前の現実と楽しげに向かいながら長期的ビジョンに則って合理的な行動を着々とおこなっているのにまだ20代(あと数週間、だそうですが。笑)! 御手洗瑞子は日本の宝だ、とあらためて感じ入ったサロンでした。
シャンパーニュはじめ、御手洗さんが気仙沼からもってきてくれたお酒や美味も供され、満員御礼の21名のお客様とともに(定員越えで参加できなかったお客様、ほんとうにごめんなさい)、感慨深い2時間を堪能しました。ご来場のみなさま、チャーリーズエンジェルのみなさま、ありがとうございました。
メンズ館8階では、気仙沼から編み手さんがやってきてパフォーマンスをしています。春なのにどんどんセーターの注文が入っています。ストーリーのある手編みのニットに、誰もが魅了されるのです。すでにレジェンドとなっており、後世に語り継がれる別格のブランドとなりそうです。
均一の品質を保つために、編み手は「禅」の精神で平常心を保ち続けなくてはならないそうです。感情の揺れが反映されてしまうので。編み手ジュンコさんも、お客様の視線に動じることなく編んでいらっしゃいました。
・セーターの柄の神話について面白いと思ったこと。モノの本によれば、フィッシャーマンセーターの柄にはすべて「意味」があり、「地形」が編み込まれている。ケーブルは漁師の綱で、ダイヤモンド柄はアラン島の平地であり豊漁を祈るシンボル。ジグザグはアップアンドダウンを繰り返す結婚生活の象徴…というような。でも、瑞子さんがアラン島で見学したときには、編み手どうしが「私はこんなのも編める!」「私のほうがすごい!」と、テクニックの競い合いをしているような空気を感じたそうです。ひょっとしたら、編み手が集まっておしゃべりしながらいろいろ編んでいるうちに、先に柄のバリエーションが生まれ、それらしき意味は後からこじつけられたのかもしれませんね。意外と「起源」が生まれる現場ってそんなものなのかもしれません。
フィッシャーマンセーターにまつわる神話に、「水死体になって帰ってきても、セーターの柄を見ればどこの家の人なのかわかる」、つまりセーターの柄が家紋になっている、というものがあります。その話も実はある戯曲にまつわるフィクションであることが知られていますが、瑞子さんとの話のなかで、案外、間違いでもないのかもしれない、という一応の結論に達しました。つまり、セーターを見れば、「こんな編み方をするのはあの人に違いない!」と編み手を同定できる、それがすなわち着る人を同定できるということにつながったのでは?と。
・編み図の日英比較。日本はぱっと目で見てわかる「図」で編み図を表現する。着物の柄についても同じ。だからパーセンテージで拡大縮小も正確にできる。でもイギリスは文字で表現する。「表、2つ進んで一つ交差」のような。日本はやはり視覚に強い文化であること、このような設計図の違いからも見て取れる。
・最後にとっても私的な小ネタ。私の父は商船三井の船で働く船乗りでした(その後、「陸に上がり」小さな会社を始めました)。その話を、気仙沼の船乗りの話が出た時にちらっとお話ししたのですが、なんと瑞子さんのおじいさまも商船三井で、小さいときに船の模型をプレゼントしてもらったとのこと。なにか不思議なご縁を感じたお話でした。
朝日新聞3月28日(土)夕刊。「あのとき それから」。「パーマも指輪も全部悪」。 1940年の国策標語「ぜいたくは敵だ!」に関して。以下、備忘録としての抜粋です。
日本人はここまでやるんだ…という空恐ろしい歴史の実例。1940年7月7日、「奢侈品等製造販売制限規則」(7.7禁令)。
おおまじめにとなえられたスローガンの数々。
・「黙って働き笑って納税」「胸に愛国手に国債」「笑顔で受け取る召集令」「りっぱな戦死とえがほの老母」「米鬼を一匹も生かすな!」…。
贅沢禁止が徹底できた理由として、大衆の支持があったというのは、一ノ瀬俊也・埼玉大准教授。
「戦前は貧富の差が激しく現在とは比較にならない格差社会。ぜいたくできない人が社会の大半だった。戦時下でぜいたくは悪となり、貧乏は正義となった。そのお墨付きが『ぜいたくは敵だ!』で、社会の上層部や富裕層に対する恨みを晴らしたい気持ちとその行動を正当化してくれた」。
井上寿一・学習院大学長の著書「理想だらけの戦時下日本」より。
「ぜいたく禁止は、下が上を引きずり下ろす下方平準化だった」。
下方平準化。ネットでの有名人引き摺り下ろしにも同じメンタリティを感じる。であればこそ、この時代を笑えない。
国際日本学部第4期の卒業パーティー。プレゼミOBOGたちと記念写真。それぞれ超個性的ですばらしく優秀な学生たちです。東大大学院に進学するベトナムからの留学生Lさん。商社マンになるHくん。初志貫徹でファッションメディアに就職したSさん、某百貨店に就職して研修でまたまた私の講義を受けることになるKくん、大手企業の総合職に就くYさん。そして「僧侶」として出家を果たしながら企業に就職もするAさん。前方にひとり「?!」な彼がいますが、パフォーマンスで「黒一点」のモーニング娘。を披露した直後なのでこの衣装です。ひょうきんものですが、超メジャーテレビ局に就職します。
I am very very proud of you all. ご卒業ほんとうにおめでとう!
Tae Ashidaショーのあと、原宿ラフォーレミュージアムでのReturn of the Rude Boyのお披露目レセプションへ。ルードボーイとは、1950~60年代後半に起きた、ジャマイカ発ロンドン生まれのサブカルチャー。「やんちゃ」「不良少年」という意味ですが、移民のアイデンティティを表現した個人主義的なスタイルでもありました。
明治大学にも来てくれたスタイリストのハリス・エリオットいわく、そのココロは、「私はバッファロー・ソルジャーだ。挑戦はすべて受けて立つ」(展覧会掲示コピーより)。
レジェンドになっているDJ、ドン・レッツも登場。レゲエ、ソウル、カリブをロックにミックスし、ルーディーの文化をバックアップした彼は、「かっこよさは目の輝きで決まる」と。
モッズ、ロッカーズなどの「トライブ」を先駆けたルードボーイは、最初のブリティッシュ・サブカルチャーであったと同時に、もはやこれ以上新しく紹介されるブリティッシュカルチャーはおそらくない、という意味で、「最後の」ブリティッシュ・サブカルチャーでもある。
会場はルードボーイズでほぼぎゅうぎゅう詰め。Tae Ashidaを着ていた私は浮いてたかもですが、優しい彼らはウェルカムなホスピタリティで大勢のお客様をもてなしていらっしゃいました。左からハケット・ロンドンの大西さん、スタイリストのエリオット氏、日本にルードボーイを紹介した立役者の鶴田さん、中野。
新月と日食が重なった20日、そして春分の日の21日へ。長い長いトンネルを抜けて新しい季節に移る、という出来事が2つ重なり(新装ウェブサイトの公開、次男の編入学試験合格、ついでにもうひとつ新刊企画の決定)、友人4人で久々にルパラン集合、スターティングオーヴァーを祝う。
手前のカクテルは生のザクロを使ったジャックローズ。 フレッシュでありながらセクシー、軽やかなのにのど元を通ると重厚、そんな相反する味わいが魅力的な一杯です。
20日におこなわれたTae Ashida の秋冬コレクション、グランドハイアットにて。「不思議の国のアリス」のBGMに合わせて披露される、胸騒ぎが起きるような斬新でミステリアスなコレクション。ラップ風ジャケットとスカートで作るシルエットや、ワンピースにフードつきベストをあわせて作るレイヤードスタイルは、従来のアイテムの組み合わせからは生まれない新鮮さにあふれ、はっとさせられる。ラストの数着のソワレは、ドラマティックな音楽効果もあいまって、あまりの美しさに涙が出たほど。毎シーズン、エレガントに挑戦を続ける多恵さんには、いつも大きな刺激を受ける。リスペクト。
写真は、ショーを無事成功させた多恵さんと。着ているのは今シーズンのTae Ashidaです。ヤボに転びがちなヒョウ柄を品よく都会的に仕上げるセンスは、多恵さんならでは。
日本経済新聞広告特集18日(水)付け 阪急メンズ The Dandy Style 巻頭エッセイを書きました。
伊勢丹メンズが発行する冊子「Then Gentlemen Makers」。次号の「Japanese Dandy」紹介企画で談話。チャーリー・ヴァイスのサロンにて。 後ろ左からJDディレクターの河合正人さん、中野、ニューヨークから飛んできたケン青木さん、前列にお座りなのが、JD「カバーボーイ」になった穂積和夫先生。
84歳のマエストロこと穂積先生はあいかわらず飄々として洒脱です。「スーツを着て、おしゃれして背筋を伸ばして、街を睥睨(しながら歩くのがいいね(笑)」とか。説教くさいところがかけらもないのに(ないからこそ)、多くの男性に、お手本にしたいと思わせる。
ダンディ企画なので空気に溶け込むべくテイラードスタイルにしてみました。今年はメンズもレディースもテイパードパンツが主流。足首に向かって細くなっていくデザインのことです。ほんとうはストレートあるいはベルボトム系のほうが全身のバランスはエレガントに見えると思うのですが、不思議なもので、時代のトレンドではないと、とたんにそれが古臭く見えてくるんですよね。空気感がズレるというか…。侮りがたしトレンド。
神宮前のRust Londonが改装され(なんとすべてDIY!)、渡英17年、現在はワイト島で暮らすデザイナーの内海直仁さんが3年ぶりに来日して、今日まで受注会をおこなっています。2階のメンズフロアはイギリスの新しい「クリエイティヴ・クラス」の心意気を感じさせてくれる空間になっています。
Rust とは「さび」、時を経るからこそ得られるもの。彼が作るジュエリーには「ホールマーク」が刻印されています。ホールマークとは、イギリス政府による地金の保証です。製作者、地金の素材、純度、製作地、製作年度が記号化されたものです。時の経過とともに価値を得ていくジュエリー、たとえば記念日リングなどには最適ではないかと思います。
多くの日本人がイギリスに抱きがちなイメージ(「王室御用達」とかコスプレ風「古き良き伝統」とか)ではない、リアルで自然でアヴァンギャルドな現代のイギリスらしさを伝えたいと語るデザイナーは、静かな情熱をたたえた理知的な方です。
一緒にお招きいただいたイギリス好きの方々と。前列右は、山内美恵子さん。後列左からユニオンワークス社長の中川一康さん、中央がデザイナーの内海直仁さん、右はハケットロンドンの大西慎哉さん。