“Knowing love, I can allow all things to come and go, to be as supple as the wind and to face all things with great courage.My heart is a open as the sky” (By Maya in “Kama Sutra: A Tale of Love)
ミラ・ナイール監督の1996年イギリス映画「カーマ・スートラ」。タイトルだけでエロティックな作品と誤解されそうだが、真正面から愛と人のあり方と社会を問うた、なかなかに悲劇的な物語。
愛に素直にならなければ、人はやがて破滅する。愛をもてあそぶと国家が破滅する。愛をおろそかにすると自分も他人も国も不幸になる。ぐるぐるめぐるその因果関係が、中世インドを舞台にしたすべての登場人物を通して、あらゆる角度から描かれる。国家安泰のおおもとは、個々の男女の性を含む愛。これが監督のメッセージ。
ヒロイン、マヤを演じるインディラ・ヴァルマのなんと魅惑的なことか。まなざし、しぐさ、衣装、動き、声、すべてに目が耳が釘付けになる。パールだけをふんだんに使った「衣装」のあまりの美しさに、文字通り、思わず息が止まる思いがした。ミキモトさんが何年か前に発表した「ボディジュエリー」を思い出した。あのコレクションもすばらしかったが、この映画のパールはジュエリーじゃなくてがつんと「ドレス」として着られている。商品化希望(買えませんが(^-^;))。
彼女は、映画の中で「蓮の女」Lotus Womanと形容される。
映画の中では出てこなかった話だが、Lotus Womanという発想が面白いと思ってついでながら調べてみてわかったこと。Lotus Womanにふさわしい最上級の男は、Quintessential Man(至高の男)と形容される。Artistry, Assertion, Authority, Charisma, Creativity, Endurance, Knowledge, Passion, Self-control, Sensitivity, Sensuousness, Spiritual Wealth, Tenderness, Truth, Wisdom. これらすべてを兼ね備える男、それがQuintessential Man. わー。幻想の英国紳士も顔負けのいい男っぷり。
この世界には男も女も「階級」があるのだが、それは生まれとか資産とか社会的地位とかは関係ない。むしろ上に列挙したような人としての資質ばかりが問われるので、ある意味ではきわめてヒューマンな階級ですね。
女の階級の最上級に君臨するLotus Womanがベッドに招いていい男はQuintessential Manのみという厳格な階級制度。資質が相ふさわしくない相手と愛をもてあそぶと、因果関係はめぐりめぐって国家は破滅にいたるというのが、この映画にも暗喩として描かれる。
Lotus womanの資質もあれこれあるのだが、もっとも納得したのが、’natural aptitude of command’という要素。ごく自然に人の上に立てる能力、人が思わず従ってしまうような優雅で気負わない女神の風格でしょうか。媚びたりすがったり嫉妬したり(相手の上に自然に立っていれば、不要な感情)する女は、Lotus Womanの資格なし、なのです。
“Some things don’t make sense immediately” とは、映画のなかに出てきたカーマスートラの教師のことば。たとえ今はわからなくても。
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