前項で紹介したような中東の大スター、ナジワ・カラームが、プライベートで初来日するということじたい、スリリングで興奮ものだと思うのですが、来日中に二度もゆっくりとお会いすることができたナジワは、スター気取りなどとは全く無縁の、周囲への気配りを絶やさないあたたかくてオープンマインドな女性でした。

屋形船に続き、二度目に会ったリッツカールトン東京のスイートルームでも、大きな目をまっすぐに私に向け、「まちがいない。あなたに会ったことがある」と再び真顔で言われたのでした。嘘をつくような人ではなく、お世辞や社交辞令を言うような人でもない(私にそんなことを言う必要がそもそもない)。私も心の深いところで、同じような懐かしさを覚えたので、これは真実として受け止めました。たぶん、前世で会っているか、同じ魂を共有しているのかもしれません。そういう不思議な感覚って、あるのですね。

いずれにせよ、私を全面的に信頼してくれて、今回のようなインタビューができることになりました。通常であれば、マネージャーや事務所を通した、写真制限・時間制限ありの不自由なインタビューしか許されないところです。スマートフォンでの写真なのに、ナジワはわざわざハンサム&セクシーなスーツに着替えてくれ、言葉を選び、誠実に話をしてくれました。その場に居合わせた全員が、涙ぐむほどの深い愛を感じさせる言葉も発せられたほどのこの経験は、生涯忘れがたいものになるでしょう。najiwa 12
(By Courtesy of Najwa.  話に熱が入ると、英語からアラビア語になり、それを彼女の親友が英語に訳してくれました)

中東文化にほとんどなじみのない私は、中東といえばイスラム教と結びつけがちだったのですが、彼女の生まれた土地、レバノンのザハレという地方都市は、住民のほとんどがクリスチャンという町です。ナジワもカトリックの家庭で、フランス語で教育を受けています。英語も話します。ファッション上の制約もほとんどないそうです。

保守的な家庭で、四人兄弟の末っ子として育った彼女は、キリスト教系の大学を卒業して教師になりますが、幼少時からの歌手への夢をあきらめることができず、テレビのオーディション番組に出場します。ここで優勝し、厳しい父の許しを得て、レバノン音楽院で4年間学び、1989年にプロの歌手としてデビューしました。22歳のときです。

デビュー後しばらくは売れない時代が続きますが、キャリアのためには大手レコード会社からアルバムを出すことが必要と痛感し、1994年、アラブ語圏最大のレーベルである「ロターナ」と契約します。そこから出した最初のアルバム「Naghmat Hob(愛のリズム)」が大ヒット、その年の最優秀アーチスト賞を受賞し、以後、快進撃を続けて、活躍の幅を広げ続けているのは、前項で紹介した通り。

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(Photo cited from the official Facebook page of Najwa Karam)

―――ナジワさんは私とほぼ同世代ながら、ほとんど年齢を感じさせない美しさをキープしていらっしゃるのですが、若さや美しさを保つ秘訣は?

「あら、日本人は世界でいちばん若さを保つことが上手な国民でしょう?(笑) それはともかくとして、純粋なスピリットを保つことがもっとも大切。スピリットは天からのギフトで、歳をとらないの。スピリットを高めれば、それが肉体に影響を及ぼして、心のレベルに相ふさわしい肉体でいられます」

このようなスピリチュアルな考え方は、信仰というよりもむしろ「ウィズダム(智恵)」である、と隣に座る彼女の親友が解説してくれます。

―――デビューから30年近く、第一線で活躍し続けていらっしゃるというのは偉業だと思いますが、成功の秘訣は?

「モデスティ(謙虚であること)ね。私はゼロから出発したわ。自分で自分のことはよくわからないけど、他人が自分のことをどのように見るか、評価するかはとても重要視してきた。ファンや周囲の人の意見に対して謙虚であることは大切ね」

彼女の親友はここで「とうもろこし」の喩えも出してくれた。とうもろこしは実れば実るほど穂を垂れる、と。中身が充実している人ほど、謙虚なんだ、と伝えたいのですね。同じような喩えが、日本にもありました……。成功のためには「モデスティ」がなによりも大切、という考え方は、同じレバノン出身の成功者である彼女の親友と共通するもの。

―――ナジワさんはポップ・ミューシャンであるばかりでなく、ファッションアイコンでもありますね。ファッションの影響力をどのように考えていらっしゃいますか?

「世界から見るアラビア語圏のイメージには、きなくさいものも多いけれど、それだけじゃない。アラビアの文化には、美しいもの、夢や愛や幸福に満ちたものもたくさんあるのだということを、私自身の歌やファッションを通して世界に伝えることができれば、うれしいわ」。

ここで親友の解説が入る。「彼女は、アラビア語圏の女性のシンボルであり、アラビア女性のロールモデルになろうとしているんだ」。

―――アラビア語圏の女性のファションアイコン、ビューティーアイコンといえば、ほぼナジワさんが第一号と言ってもいいくらいなので、シンボルとなれば責任が重大ですね。

「私はとても保守的な家に育ったの。歌手になったのは22歳の時ですが、父は当初、猛反対しました。でも、私は父と約束をしたのです。レバノンや、ザハレや、ファミリーに、恥ずかしくないよう、誇りと思ってもらえるよう、良い女性でいつづけると。歌手というキャリアを築くこと、世界的に有名な歌手になることにおいて、中東では女性の前例がなく、私が第一号です。だからこそ、アラビア文化のよい象徴になれるよう、後進の女性たちのロールモデルになれるよう、努力しているわ。私は天から歌の才能を授かりました。それを使って、アラビア女性のイメージをより良いように変えたいのです」。

ナジワ・カラームはアラビア語圏の女性のファッションアイコンであるだけでなく、教育、キャリア、女性のあり方においてのリーダーであり、ロールモデルなのですね。それを自覚し、行動しているナジワの責任感、芯の強さ、謙虚さ、あたたかさ、純粋さに心を洗われる思いがしました。

4.6.8
そしてインタビュー後半は、次項に続きます。

 

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