28日、交詢社 午餐講演会でお話をさせていただくという光栄に浴しました。

交詢社とは、銀座6丁目バーニーズの入っているビルの9階にある、日本最初の実業家紳士社交クラブ。

福澤諭吉が提唱して以来の、長い歴史を持ちますが、昨年、かつての建物の品格をそのままに保つ形でリニューアルされています。レッドカーペット、シャンデリア、重厚な木、高い天井。クラシックな時計やカレンダー。こんなに品格のある落ち着いた空間があるのかと感動しました。

福澤諭吉のお孫さんにあたる、名誉顧問の福澤武さまほか、理事の方々と同じテーブルでランチを一緒にいただいたあと、平均年齢75歳(なかには100歳超えの方も)という130名ほどの紳士を前に「ダンディズム その誤解と真実」をテーマに60分の講演でした。伝統的に質疑応答はありません、と言われておりましたが、すみません、伝統を破って私の方から2名ほどの方に質問させていただきました。「前例がない」と言われると、(許されると判断した場合のみですが)つい前例になる行動をとってしまうのです。

ふざけたタイトルでしたが、みなさまさすがに知的水準が高く、寛容で、すぐに理解し、とても面白がってくださいました。終了後も「シャツの胸ポケット」の話などでひとしきり盛り上がり。楽しい時間となりました。

 

 

記念写真をレッドカーペットの階段で撮っていただきましたが、内部の写真公開は禁止ということですので、アップする写真はありません。

(アイキャッチ画像は、旧白洲次郎邸)

図書館もあり、「酒場」もあり、ビリヤードもある、限られたソサエティの紳士だけのジェントルマンズクラブ。「女性」は巨大な4枚の絵画としてのみ存在。緊張感がありながらもすばらしい空間でした。入会するためには45歳以上でなくてはならず、2名の会員の審査が必要。かつてはイギリスのブラックボール制度(入会反対の意思は黒球を投じる)にならって囲碁の「黒石」投票をしたこともあるとか。笑

ここはドレスコードも厳しく、ジーンズやポロシャツは禁止。ポロシャツを着てきた場合は、入り口で襟付きのドレスシャツに着替えさせられるそうです。

伝統と格式を誇る、リッチで知的な世界で講演させていただきましたこと、貴重な思い出になります。心より感謝申し上げます。

 

 

 

紀尾井町のザ・プリンス・ギャラリーが開業一周年を迎えました。その前夜にあたる26日(水)、「ラグジュアリーコレクション」の名にふさわしい、一周年記念商品の発表会がおこなわれました。

Your Only Home Bar.  特別なウィスキーを、特別な場所で、特別なアイテムとともに。日本では、プリンス・ギャラリーのバー「イルミード」と、芝公園のプリンス・パークタワーのバー「もくれん」、この2つのバーで、それぞれ1セットのみ販売されます。

 

世界で100本限定のウイスキー“THE GLENLIVETウィンチェスターコレクション ヴィンテージ 1966”。1966年からザ・グレンリベット蒸留所の中で宝石のように守られ、ザ・グレンリベット史上最も長い、50年という熟成期間を経た最上級のウイスキーだそうです。日本に入ってきたのが3本のみ。(そのうちの1本はすでにほかのホテルのバーで売れてしまいました。)

これを、世界でたった一つのオリジナルチェアでいただく。椅子は世界的に活躍するデザイナー 小市泰弘氏によるデザイン。後ろの脚がクリスタルガラスでできており、電気をつけると光るのです。バーでは意外に後ろ姿が目立ち、それが神々しく見えるようにというデザイン。背が高いほうが「もくれん」用。アームレストの前の部分も光りますが、ここはぎざぎざになっていて、触れるとなかなかよい感触です。そこまで考え抜かれています。もちろん本革装。

そして手作りガラス工房の田島硝子による江戸切子のオリジナルペアグラス。

左側の黒いアクセントがあるものは、プリンスギャラリー。手前および右のグリーンのアクセントがあるグラスは、緑豊かな芝公園のパークタワー。

特別にカッティングされたグラスに注がれた最上級のウイスキーを手に、オリジナルのチェアで寛ぎながら、自分だけのホームバーとして楽しむことができる……というわけです。

1セット700万円で販売されます。どなたのもとに嫁ぐことになるのでしょうか……。(*椅子に座っているヒトはついてきません)

Forbes Japan 9月号発売です。

5月にIWC×Forbes Japanの企画でシャフハウゼンに行きましたが、その模様が詳しい記事になって掲載されています。目次はこちら

「IWCの伝統と5人の日本女性たち」

なんと8ページにわたります。お話をうかがったクルト・クラウス、フランチェスカ・グゼル、クリスチャン・クヌープ、ハネス・パントリ、各氏のこともすっきり整理されて書かれています。私に響いたことと、ライターさんのまとめが若干ずれております。同じ話を聞いても、受け取る人によって違うところが印象に残る。なるほど、そこか!と。そんな受け取り方の違いを知るのも楽しいものです。

機会がありましたらご笑覧くださいませ。

 

本日付けの日本経済新聞「The Style」。先週に引き続きダイアナ妃の話題です。

ダイアナ妃のパーソナルデザイナーとして妃の日常着をデザインしていたアイルランド人のデザイナー、ポール・コステロ氏にインタビューした記事を書いています。

ダイアナ妃のパーソナルデザイナーとしてのコステロ氏を日本人がインタビューするのは(日本のメディアが記事にするのは)初めてのことだそうです。(釜石のコバリオンを使ったリングのデザイナーとしては一度NHKでちらりと紹介されました。)

ぜひご覧くださいませ。
ケンジントン宮殿で開催中のダイアナ妃展では、主に夜会に着られるフォーマルなステイトメントドレスを中心に展示されています。コステロ氏が作ってきたのは、いくつかの公式訪問服を除けば、ほとんどが日常着。そのため、今回の展覧会には展示されていません。


「マイ・ホース」(私の馬)と言って笑うコステロ氏(左)。右は息子さんでコステロブランドの広報を担当するロバート。

コステロ氏には6人の息子さんがいらっしゃいます。

2010年のロンドンファッションウィーク。ずらりと並んだ6人の息子さんがメンズのショウを締めくくりました。Six Sons. なんという壮観。

コステロ氏が釜石産の合金コバリオンを作って作る「クラダリング」の話も紹介しています。


(インタビュー中にさらさらとデザイン画を描いてプレゼントしてくださいました。)

 

 

*English version of the arcile

  

On Paul Costelloe – Princess Diana and Japan Claddagh Ring

23rd July 2017

 

Twenty years after her death, Princess Diana is still very much loved as “everyone’s princess”.  The image of the “royal but familiar princess “ has also been influenced by fashion. The designer who contributed to that image is none other than Paul Costelloe (72), one of Ireland’s leading fashion designers. From 1982 until 1997 when Princess Diana passed away, he served as her personal designer. I had the pleasure of interviewing him at his design studio in London.

 

It was a coincidence that Princess Diana found him. When Mr. Costelloe opened a boutique near Windsor where the residence of Queen Elizabeth II is located, the designs in the window caught the eye of the Princess. “She understood and liked my tailoring immediately”, Mr. Costelloe said.

 

Upon receiving a request from Princess Diana, Mr. Costelloe went to Kensington Palace for fittings. At the time, an Irish designer was perhaps not so welcomed by the staff of the palace.  But Diana was sure to give him a warm welcome. Mr. Costelloe remembers those moments well. “I always brought her a bouquet of flowers” he said.

Many of the styles requested by the Princess were worn on her official tours around the world, including print dresses created using Irish linen which she wore during a formal visit to Australia. But his most frequent work was her daily wear – outfits worn for her day-to-day responsibilities such as collecting the two young princes, William and Harry, from school. These outfits were functional but smart and beautifully tailored. It was these “everyday pieces”, which combined the elegance of the princess herself and the relaxed and real manner in which she lived her life, that helped to foster the image of Diana as “everyone’s princess”. Princess Diana sent Christmas cards every year to Mr. Costelloe until she died. And Paul is proud to call himself “everyone’s designer”.

 

“What kind of person was Princess Diana, from the viewpoint of a personal designer?” I asked Mr. Costelloe. After thinking for a while, he put it like this: “She had guts…she became a real game changer.”  She fought against prejudice, and talked honestly about her feelings, expressed in her own words. By breaking the standard mannerisms and customs of the royal rules she fundamentally changed the way the Royal Family should be and should behave. Mr. Costelloe says he feels happy Diana’s revolutionary words and actions have influenced her two sons in a positive way throughout their lives.

 

Mr. Costelloe is now working closely with a Japanese family-owned company that produces a cobalt-chromium alloy, Cobarion, in Kamaishi City, Iwate Prefecture. He is working with the firm on the design and development of an exclusive Claddagh Ring – the first of its kind to be made in this metal which is only produced in Iwate Prefecture and nowhere else in the world. The Claddagh Ring first emerged in Ireland in the 17th Century. It’s iconic heart, crown and hands motif has become a globally recognized symbol of love, friendship and loyalty.

 

The ring was launched in Japan in 2017 to coincide with the 60th anniversary of the establishment of diplomatic ties between Japan and Ireland but more importantly is a symbol of remembrance and solidarity for the lives lost in the tsunami which struck north-east Japan and Kamaishi City in March 2011. A wave engraved around the band of the ring is a reminder of the disaster and the many lives that were lost and all those affected. In a ring designed by the “everybody’s designer”, I feel that I can see the charitable spirit of Princess Diana living on – someone who strived to give love and friendship to the injured and suffering.

 

原文の言語: 英語

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(前項からの続き)
朝ご飯は、専用ラウンジで和食が用意されます。1の膳(スターター)、2の膳、3の膳(デザートとコーヒー)。朝からボリュームたっぷり。

珈琲(と漢字で書きたくなる)のカップ&ソーサーは九谷焼(久谷金山)。ゴールドがふんだんにあしらわれています。当然、食洗器にかけられないのですべて手洗いだそうです。

この花香路の宿泊客は専用ラウンジ(眺望がないのが玉にキズ)だけでなく、


庭園に面した眺めのいいグランドプリンスのクラブラウンジ「花雅」(はなみやび)も使えるうえ(↑)、

隣のさくらタワーのスパや新高輪グランドプリンスの2つのプールまで使えます。


(新高輪グランドプリンスにはダイヤモンドプールとスカイプールがあります。上はダイヤモンドプール、下がスカイプール。スカイプールは夜のライトアップがロマンティックです。)

つまり、和と洋のいいところどり+庭園でつながる3つのホテルのいいところどり。


さらに、都会のわびさびといった風情の庭園内の茶室のなかでのお茶の体験(ホテルスタッフがもてなしてくれる)や、着付け・折り紙・風呂敷体験までできるという盛りだくさんのお楽しみが用意されています。初心者にも形式をうるさく問われないのが嬉しいですね。


きめこまやかに選ばれたアメニティや浴衣や調度品など、海外からのお客様にはとりわけ喜んでいただけるのではないかと思います。


最近の外資系ラグジュアリーホテルは、高層ビルの30階あたりがフロントになっていて、さらにそこからエレベーターを乗り換えてさらなる高層の客室に行く……というタイプが多いですね。それはそれで非日常感があっていいのですが、こんなふうに広々と庭園が広がる昭和ゴージャススタイルのホテルもやはりすばらしい。内装やおもてなしを時代に合わせてアップデートしていくことで、外資に負けない日本独自の高級ホテルスタイルを発信できるのではないかと思いました。

ホテルスタッフのみなさま、あたたかなおもてなしをありがとうございました。

 

品川のグランドプリンスホテル高輪、「花香路」に滞在しました。和風旅館とラグジュアリーホテルの長所を折衷した、「ホテル内旅館」といった趣きの全16室。専用の入り口があります。



次の間もあり、廊下も広く、とても開放感のある和室。16室それぞれに花の名前がつけられており、各部屋にはその花をモチーフとした装飾がさりげなくあしらわれているのです。ちなみに今回泊まった部屋は「沈丁花」でした。



バスルームも広々としているばかりか、檜の枠と、十和田石という、お湯を入れると青く光る石の浴槽。

トイレもゆったり。

アメニティはジョン・マスターズ・オーガニック。和の香り、和のモチーフの形に作られた素敵な入浴剤がつき、女性にはミキモト基礎化粧品セットがプレゼントされるというのも海外の方にはとても喜ばれますね。

リラクゼーションサロン「たゆた」(←たゆたう、に由来する名)で、日本酒のフットバス(←足だけつかっているのに全身の血行がよくなります)の後、和製のオイルを使ったマッサージをしていただきました。室内の置物や器具などにいたるまで、すべて部屋の雰囲気と調和するように木や陶器などで作られています。


ゆかたと下駄風のスリッパ、香りつきの足袋なども備えられ、グランドプリンス内は浴衣で過ごすことができます。


備え付けの食器や急須なども選び抜かれています。これは南部鉄器。とても軽やかで粋なデザインです。




夕食も部屋で。しゃぶしゃぶのコースでは、前菜とお刺身、焼き物までの段階ですでにお腹がいっぱい……その後に佐賀牛のしゃぶしゃぶが続きます。薬味も全13種類!

部屋内のお風呂も外の景色が見えるうえ、洗い場も広くゆったりできるのですが、花香路の宿泊客は隣のさくらタワーの地下のスパ(ジャグジー、サウナ)も使えるようになっています。
夜の庭園も神秘的で美しい。(続く)

 

読売新聞夕刊連載「スタイル アイコン」。

本日は、ブルトン・ストライプを流行させたアイコン、芸術家のパブロ・ピカソについて書いています。

これが「ピカソのマン(手)」と題されたドアノーの写真。このシャツはブルトン・トップ(Breton Top)と呼ばれます。柄の名はブルトン・ストライプ(Breton Stripes)。

(French Sailors in Breton Stripes)

 

日本語ではこの柄を「ボーダー」と呼ぶことが定着しているようですが、

英語のborder に「横縞」の意味はありません。縞柄は、横も縦もstripe。

うめだ阪急のプレミアムウォッチフェア。

IWCの南出留理さんのスマートで的確な進行と解説のもと、Code of Beauty, Code of Lifeについて話をしてきました。IWCのコード・オブ・ビューティーとは論理であり、それは黄金比や「生命の花」などの数学的な規則的パターンを基盤にしていること。そこから出発して、ダ・ヴィンチに関わる人、ダ・ヴィンチの各モデルが連想させるさまざまなスタイルアイコンにおけるCode of Life のお話など、私の勝手な連想もまじえつつ。

 

どうも反応が薄いかな……まずかったかな……(時計のメカニカルな話を期待していらしたゲストの方には見当違いな話だったかも……笑いどころ?も思い切り外したし……)と思って落ち込んでいたら、終了後、ひとりの女性がやってきて「75歳ですが、今日の話を聞いて人生を変えようと思いました」と。

感激しました。
こういう方がたった一人でもいてくださると、少し報われた感がありますね。私も感想はできるだけ伝えるようにしようと心に誓ったできごとでした。ありがとうございました。

他社ブースですが、一着50億円といわれる宇宙服や、

日本初の「機械遺産」に認定された腕時計も展示されていました。「ローレル」という名前が大正ロマンっぽくていいですね。

豊かな時計の世界を楽しませていただきました。時計については学べば学ぶほど奥が深いことをあらためて実感しました。

ゲストのみなさま、およびお世話になりましたスタッフのみなさまに、心より感謝申し上げます。

本日付けの日本経済新聞 The Styleにおいて、ダイアナ妃ファッション展のことを書いております。

写真が大きく、ゆったりした構成で作られたきれいな紙面です。どうぞご笑覧くださいませ。

*日本のメディアではしばしば「ダイアナ元妃」と表記しますが、英語ではPrincess Diana のままで、「Ex」などつかないのです。だから、私はできるだけ「ダイアナ妃」として表記しています。

 

 

こちらのほうは海外の方が対象で、もう締め切られてしまったのですが。明治大学主催のクールジャパン・サマープログラムの一環として、8月1日、「ファッションとジャポニスム」についてレクチャーをします。English version is here.

19世紀の第一次ジャポニスム、1980年代の第二次、21世紀の第三次にかけて一気に一コマで流れを概観します。今年度は明治大学も5年×2期、任期満了の年になります。本当に楽しくて充実した期間を過ごさせていただいたことへの心からの感謝をこめて、機会をとらえて「10年間の集大成」としてご恩返しをしていきたいと思います。

<To the students who have applied for the program>
We will overview the first Japonism of the 19th century, then the second wave of Japonism in the 1980s, when the Japanese designer acted as game-changers. After that, we shall look at the Japonism of the 21st century, and examine the interrelationship between the Japanese fashion and Western fashion. How is the identity of <Japan> expressed, or used in the global fashion scene?  Let’s think and discuss together.

I look forward to seeing you in the class.

 

7月17日(月・祝日)、大阪うめだ阪急にて催されているプレミアム・ウォッチ・フェアにおいて、IWCの時計を中心に、Code of Beautyについて語ります。シャフハウゼンのお話も。正午~13:00 。猛暑のピークだと思いますが、ご近所の方、よろしかったら涼みにいらしてください。

The Pirates of the Caribbean: The Dead Men Tell No Tales.  ディズニーの品質保証の枠内でのスリルとアドベンチャー。笑いどころも随所に散りばめ、海洋風景も美しく、外さないなあ。
(Photo shared from IMDB. Thank you)

酷暑の日、ハードな仕事を終えたあとにビールを飲みながらIMAXで鑑賞する映画としては最高でした。

最後のシーンでキーラ・ナイトレイとオーランド・ブルームが今回のヒーローの「親」として登場したときに襲ってきた「世代交代感」というか「時代が確実に移っている感」。でもジョニー・デップは相変わらず10年以上、主役を張り続けているのだ。これはちょっと偉大なこと。ジャック・スパロウの、あのいい加減で飄々としている魅力を演じられるのはジョニー・デップのほかにいない。恋愛ナシ(ここにいちばん共感)で主役を張り続けられる貴重な主人公でもある。代わりがいないってやはり最強だ。No Substituteをめざせ、という白洲次郎の名言を思い出す。

 

ラストのクライマックスをエモーショナルに盛り上げたセリフ。

Carina: What am I to you?

Barbossa: You are my treasure.

夏のディズニーシーに行きたくなる映画。ディズニーの目論見通り?!

ゲスト講義のメモ、続きます。3、4年生向けの授業では、「ザ・プラットフォーム」の著者、尾原和啓さんにゲスト講義に来ていただきました。(7月3日)

初っ端からステージにドローンとともに登場。

VR時代のファッションをサブテーマとして、現在、および近い将来に起こりうるさまざまな革命をテンポよく分析・ご紹介くださいました。ドローンをはじめ360度カメラ、VR、太陽光発電装備など、最新のハイテク機器の実物に触れたりしながらの、ワクワクする授業。

最先端の動画を駆使したパワーポイントからして斬新でしたが、講義のやり方においてもGoogl docs.を使った「グーグル方式」を採用。参加者全員で講義を聞きながら議事録を書き込んでいくというものです。こうするとあとで書き起こしてリライトする手間も省けるし、質問もその場で受けられるし、集合知によって間違いも聞き落としも少なくなる。なんとすばらしい!


尾原さんは現在バリ島に在住。プール付き、メイドつきの豪邸で家賃は10万円だそうです。分身である尾原ロボットが六本木で働いており、ほとんどそれで事足りる。どうしても本人が必要というときだけ、夜中の飛行機に飛び乗れば6時間半で朝の東京に到着する。これからの働き方を考えるときの、ひとつの模範例ですね。


以下は、Google docsに学生たちが書きこんでくれた講義録と、私が気になったことなどのなかからの、ランダムなメモ。

絵文字というのは、デジタル世界において感情を表現する最初の最新ツールであり、ヴァーチャルにおけるファッションの始まりと位置付けられること。

現代では共感と経験が新しい貨幣となっていること。「いいね!」は貨幣と捉えられる。


(ヒラリー・クリントンに背を向ける大衆はいったい何をしていたのか?)

VRが普及していくと、まずはレベル1として、距離と時間に関係なく移動できるようになる。その場合、VRのライバルは飛行機!?
レベル2として人間が行けない場所へ行けるようになる。
レベル3では、物理想像の世界を体験できる。
レベル4では自分の世界を相対化することができる…。つまり、自分たちは時間も空間もすべてをデザインできるのだ!

現在、想像を超えるほどテクノロジーが急速に変化しており、今後は想像力(デザインする力)がいっそう必要になってくる。

ヴァーチャルの世界でのコミュニケーションが重要になってくると、たとえば、試着室のなかから、買いもしない服を着てアップして「いいね!」をもらおうとするような行為が派生する。これは「デジタル万引き」として問題になっている。

Tシャツの価値は、コミュニケーション誘発機能にもある。他者だけでなく自分とのコミュニケーションも含む。待ち受け画面というのも、自分に対してどのような感情を起こすのかということを考えて選定すべきもの。

あまりにも世の中が進んでいることを知らされて、めまいがしそうなときもありましたが、いやもう、たいへんに刺激に満ちた100分でした。


授業後は、近くの「Good Morning Cafe Nakano」にて、志の高い学生10人ほどと、お酒を飲みながら懇談会。学生一人一人の夢をしっかり聞いて助言してくださっていました。はるばるバリからご来校くださったうえ、サービス精神満点の、行き届いたすばらしいご指導をいただき、学生ともども心より感謝します!


手前の長方形の物体がカメラ付きのドローン。

 

 

 

 

ストリートファッションフォトグラファーのシトウレイさんに、ゲスト講義に来ていただきました。(6月23日)

「好き!を仕事にする」をテーマに、故郷の石川県の話から始まり、大学時代にモデルとしてデビューしてのちストリートファッションフォトグラファーに転身することになったきっかけ、独立、さらに「好き」を徹底してきわめることで仕事の幅を広げ続けている(ラデュレとのコラボをするほど!)現在にいたるまでの、キャリア構築と人生とファッション写真についてのお話。

ストリートを撮るということで、その国の裏事情まで映し出すことがあるということ。

被写体にインタビューすることで、その人自身の個性(とファッション)がより魅力的に浮かび上がってくるということ。

妥協せず、自分の好きなことだけを貫いていけば結局それが信用となり、ブランドとなっていくこと。

来るチャンスにはとりあえず乗っかってしまうこと、スランプやピンチも前向きにとらえることで成長のチャンスになっていくこと。

シトウさんご自身が楽しんでいらっしゃるので、ホール全体に楽しさが伝染し、刺激的な時間となりました。


終了後も、「質問」や「一緒に写真撮ってください」リクエストの長い列。シトウさん、すてきなレクチャーをありがとうございました!

 

ピッティ最後の日のショウは、OFF-WHITE c/o VIRGIL ABLOH 。ピッティ宮殿にて。

ショウ開始が22:00とあり、どれだけ苛酷なのかと心の中で恨む…。疲労も積み重なってかなり消耗してはいたが、なんとか気力だけで起きている。

先に軽く夕食をということで、コーディネーターTerashimasa さんのパートナーの勤務するホテルのテラスレストランに再び。

夕刻は昼間と違う雰囲気で、なんとも幻想的な夕暮れを楽しみました。



すみません、こんな場所でしかできないドルチェヴィータごっこでした…。

 

22:00にピッティ宮殿へ向かうも、始まる気配はナシ。このショーのために屋外に巨大な、特別な階段状のベンチが作られている。フロントロウではあったのだが、席がなかったと怒るカップルが目の前に陣取り、フロントロウの意味がまったくなくなる。プレスの人が注意しても「招待状があるのに席がないのはおかしいだろう」と逆ギレ、移動する気配はない。こういうのはあきらめるにかぎる。客席全体からイライラした空気が漂う。


22:30あたりからようやく始まり、ピッティ宮殿に大きな文字で「ポエトリー」が流れていく。世界のあり方や戦争に抗議しているのだろうか。これがとにかくうんざりするほど延々と続く。なかなかモデルは登場しない。

いいかげん眠気をがまんするのも限界に来たところでショウが始まるものの、会場が広すぎて、モデルが「遠い」。よく見えないまま、あっけなくすべて終わる。

終了直後、正直すぎるジャーナリストのOくんが「くだらん!」と叫ぶ。たしかに、壮大な舞台設定、強いメッセージで斬新な演出を意識したものなのかもしれないが、観客のことをあまり考えていない印象だった。22:30開始という時間といい、「暗くて遠くてよく見えない」ショウといい。実際にどのような作品が発表されたのかを知るためには、撮られた写真だけをあとから見るほうがよほどよさそう。(デザイナーはストリートファッションに対するしっかりした知見の持ち主として高評価の方なのです。ただ、今回の見せ方が、狙いすぎだった。)

とはいえ、夜のフィレンツェの裏通りなんかも、こんなことがないとなかなか歩かないので、見ることができてよかった。映画で見たような光景。

真夜中の橋の上や下でも酒盛りをしている人々がいる。酔って川に落ちる人もいるらしいが、とくに対策などは講じられていないそうです。

 

翌朝。ようやく帰国。とはいえパリのシャルル・ド・ゴールでトランジット、待ち時間8時間と聞いてほとんど気絶しそうになるが、ラウンジでシャンパン飲んだり写真の整理したりしているうちに意外とあっという間に過ぎる。

10日間の休みなしの取材の旅でしたが、なんだか3か月ほど過ごしたような。脳内の一部分が書き換えられた感じというか、別次元にシフトした感じがする。

 

詳しい内容は追々、活字になっていきます。自分のための備忘録のような旅レポにおつきあいくださいまして、ありがとうございました。

 

個々の取材はきりがなく、つかみどころのないピッティ。膨大なピッティの全体を俯瞰する視点がどうしてもほしい。そんなときはトップへの直接インタビューにかぎる。と思ったので、だめ元でピッティCEOにインタビューを申し込んだらご快諾くださったばかりか、イタリアファッション業界の、半世紀以上にわたる歴史をわかりやすく解説し、ピッティとのつながりを解き明かしてくださいました。


ピッティCEOのラファエロ・ナポレオーネ氏。ロマンと現実を織り交ぜながら一瞬たりとも飽きさせない明朗な話しぶりに、すべての霧が晴れました。

イタリアファッションの歴史の本までおみやげにくださったナポレオーネ氏に、心より感謝します。お話はそのまま講演にしたいほど面白かったのです。詳しくは活字で。

イタリア語の通訳をコーディネーターのTerashimaさんにお願いしました。CEOは英語でもお答えくださるのですが、イタリア語になるとお話される量がとたんに3倍くらいになるのですね。となればイタリア語で聞く方がいい。

 

インタビュー終了後、ナポレオーネ氏が、ぜひ見に行くべき、と勧めてくださったピッティ宮殿でのモーダ展に急ぎました。なんとかピッティ宮殿の入場は間に合ったのですが、宮殿がまた大きくて、会場となる部屋までたどりつくのにさらに10分以上かかり、入り口にたどりついたとたんに「すみませんが、本日終了です」と扉を閉められてしまいました…。

ここで「5分だけなら」と開けてくれるのが日本ですが、ぴったり時間通りにクローズするのがヨーロッパ。終わりの時間がきたら1分たりとも開けていない。

というわけで泣く泣く見逃したモーダ展でした。



20時でも余裕で明るいフィレンツェ、サンタマリアノベッラ教会前の広場。

35度超のなか、バスでレオポルダ駅に移動し、ヨシオ・クボのショウ。会場に入ると冷たいドリンクを振る舞ってくださいました。席には扇子。こんな気配りがあることでほっと落ち着いてショウに臨める。この細やかさ、やはり日本のブランドならではのものでしょうか。ついでに連想したのですが、レストランでおしぼりが出てくるのは日本の常識ですが、ロンドンでもフィレンツェでもついぞ出てこない。むしろおしぼりなどないのが世界の常識。とはいえそのままパンをちぎったりするのはかなり抵抗があります……。コーディネーターの方はそんな日本人の葛藤を知り尽くし、常にウェットティッシュを持ち歩いていらっしゃいました。

さて、クボ・ヨシオのショウです。

 

アフガンの戦士?!と第一印象で感じたのだが、あとからデザイナーにインタビューしたところ、まったくそれは私の誤解であり、日本の伝統工芸の絞り染めの、新しい表現方法を提案したとのこと。なるほど、そのような視点で見ればまた見え方も違い、納得。




絞り染めで覆う、縛る、結ぶ、巻く……。新鮮な男性像を見せていただいた、力強いコレクションでした。

デザイナーのヨシオさん。世界の舞台での発表を今後も続けてください!


会場にはこんな万華鏡のような装置がおいてあり、中に入って楽しめました。

 

再びバスに乗りピッティ会場へ戻り、プレスルームで休憩。日頃なかなかお会いできない日本のメディアの方と遭遇することもある。


Men’s EXチームのみなさん。中野の右は大野編集長、左は副編集長の平澤さん。平澤さんはここ数年、イタリア語を学び続けて、かなりレベルアップしたという努力家でもいらっしゃいます。さすがのMen’s EX、35度超えでもタイドアップスーツなのです。


Leonの表紙でおなじみ、長いモデル歴でギネスにも載るジローラモさん。

そしてピッティはまだまだ続く……。今回、Pitti プレスのMorishige Makikoさんにひとかたならぬお世話になりました。

 

 

平和なファッション見本市が行われているとはいえ、バッソ要塞の入り口には写真のような特殊警察が武器をもって見守っているし、フィレンツェの駅周辺にはやはり武装した兵士が巡回しています。目にするといやおうなく緊張が走ります。


むしろこのような方々に守られているのだと心の中で感謝しつつ、3日目(6月15日)。午前中から外気温は35度に上らんとしている会場周辺。


写真を撮られたい方々も、さすがにこの炎天では日陰に逃げ込んでいらっしゃいます。


実は女性も少なくない。メンズにしても、華やかな方々が目立つのでついカメラを向けてしまいますが(彼らは撮られるために来場していたりします)、実際は、しのぎやすい半袖シャツの方も多い。

さて、Pittiのブース。ふと目についた個性的な「アロハ」シャツのブランド名を見たら、沖縄にある日本の会社でした。


PAIKAJ。服地から日本で作り、日本で縫製するアロハシャツを中心に作っています。


日本人にしかできないきめ細かさを活かしたシャツ、と解説してくださる社長の吉田さん。もともと奥様のご実家が沖縄でアロハシャツを作っていたことから、この会社を立ち上げたそうです。

カジュアルスタイルのなかに、ドレスシャツの技法が使われている。上質なカジュアルが中心ですが、上の写真のように、見えないところに遊びのあるドレスシャツも。

そしてユナイテッドアローズの鴨志田さんのブース。なんとピッティ11年目だそうです。世界から敬意を受けるMr. Kamoshitaについては、この後インタビューすることになるピッティCEOもわざわざ名前を挙げて讃えていました。


ジャケットスタイルのドレスダウンをさまざまに提案。「たとえば…」と言いながらその場でぱぱっと各アイテムを選んでコーディネート例を作ってくださいました。

この色使い、さすが。インナーとハーフパンツの色合わせはなかなか素人には思いつかないですが、両方の色を使っているジャケットを合わせることで、トータルにまとまります。


周囲に幸せな空気を作るカモシタ・スマイルは感染力があります。つられて笑顔になる。


そして強力な磁力を放っていた、Gabriele Pasini 。ただものではない美意識が、一体一体のコーディネートから伝わってきます。



「抜け感」も「隙」も、どこ吹く風。細部に至るまで手ぬかりなく緻密にドレスアップ。完成度なんていうことを超えている。

クリエイティブディレクターのガブリエルさん本人も、存在感のある方。強面な感じですが、話すとむしろシャイで優しく、丁寧に解説してくださいました。

あとからLEONの編集長に聞いたのですが、ガブリエルさんはLEON読者にもファンが多く、「ガブさん」の愛称で親しまれているとのことです。不勉強で失礼しました…。それにしても、ここまで突き抜けた美意識は、一種の共通言語になるのだなあと納得。