午前中は銀座で宝飾業界の方々にラグジュアリーについての講演。午後は新宿・京王プラザでホテル業界のトップセミナーで、ラグジュアリーをテーマにした講演でした(もちろん、ご参加者に応じて内容を変えています)。

(京王プラザ43階の講師控室からの風景)

午前、午後、トータルで200分ほど、久々にヒールで立ったままのレクチャーでしたが、楽しかったな。お招きいただきありがとうございました。

以下、雑記。

 

「ジェントルマンの定義をすべて満たす男はジェントルマンではない」という”定義”がありますが、実際に会うとこの人はジェントルマンか否かかは感覚で「わかる」。いわく言い難い「ジェントルマンらしさ」というのが確実にあります。表情や言葉の端々、立ち居振る舞いからそれが漂うのです。逆にそれっぽくしていてもニセモノはすぐ「わかる」。

ラグジュアリーにも似たところがあります。ラグジュアリーの言葉による定義には曖昧さが常に残るのだが、実際にサービスを受けるとラグジュアリーであるかないのかが体感で「わかる」。あたたかみのある透明で崇高な清らかさに包まれる感覚というか、現世の価値基準を無にしてしまうような新鮮な感覚というか。(だからおそらくお金の価値基準もなくなるのでしょう)。逆にニセモノもニセモノのオーラをちゃんと出しています。贅沢っぽくしつらえればそれでOKという世界ではない。

ジェントルマンにしてもラグジュアリーにしても言葉による定義に曖昧な部分を残しているからこそ時代に応じて変わり続けることができ、人が追求してやまないという一面があります。言葉を使って考えていくためにはある程度の定義枠も必要ですが、やたらと「定義、定義」と固執しすぎないことも大切なときがあります。

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