8月31日におこなわれたDesign Week Kyoto 2024の内容が写真とともに公開されました。
私が話をさせていただいたプログラム3「モノづくりの持続性」はこんな楽しい図解でまとめてくださっていました。
かえすがえす、台風で現地に行けなかったのが心残りです。
さて、きもののルールやマナーや「格」について諸説とびかう状況が再燃していますが、きものを存続させたいという一心で書かれた、きもの愛に支えられた以下の2冊の本を、大前提としてお読みになることをお勧めします。
まずは、経済学者の伊藤元重さんと、きもののやまと会長の矢嶋孝敏さんによる『きもの文化と日本』。きもの警察さんが言う「格」や「正解」について、痛烈に斬っていきます。
矢嶋さんによれば、「きものの格」は着物業界の策略。シチュエーションごとに1枚ずつ買わせようという作戦であり、きものそのものに「格」があるという考え方が根付くのも、1976年以降とのこと。
みんなが「正解は自分の外にある」と感じていれば、その正解を知っている人が優位に立つ。ルールをつかさどる司祭のように。ルールを複雑にすればするほど、消費者より優位に立てる。その不安につけこんできたのが戦後のきもの業界だった。売る側からしたら高額なフォーマルのきものを売るほうがいい。フォーマルの場合、個人の美意識は無関係になる。「こういうものなんです」といわれたら、よくわからないまま買うしかない。いくらでも高いものが売れる、と。
そういう実態を知れば、今うるさく言われている格もマナーも、伝統でもしきたりでもなんでもないことがわかります。
もう一冊は、Sheila Cliffe, “The Social Life of Kimono: Japanese Fashion Past and Present”. Bloomsbury.
英語版ですが、「日本の着物を殺しているのはきもの学院」という旨をずばり書いています。
着物は本来、これほど着付けにうるさいものでもなく、因習にとらわれたものでもなかった。なのに、教条主義的なきもの着付け教室ではとても細かなルールを順守すること、がまんすることを強いられる。それ以外の着方をするだけで批判されるし、着物が本来もっていたエロティシズムがまったくなくなっている。これが着物から人を遠ざけている最大の要因である、としています。
上記の2冊とも、<きもののルールが恣意的に厳密に作られすぎ、敷居が高くなっている。一般の方がもっとカジュアルに自由にきものを楽しむことができれば、需要も増える> という思いに基づいています。フォーマルきものはフォーマルきものの世界があってもちろんよいですが、よりカジュアルに、日常で自由にきものを着られる雰囲気が醸成されれば、きもの産業全体へ利益が還元され、ひいては伝統の継承につながるのではないでしょうか。
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