2024年9月23日
谷崎ばかり引用しているこの頃ですが、それだけインスピレーションの宝庫ということでご寛恕ください。最近の量産型整形顔というのでしょうか、あらゆる手段を講じてみな同じ顔になっていく現在のトレンドを見ていて、女性みずからが、個性のない「トレンドの女子」に収束していくことを望んでいるようだなあ…と見ていたのですが、やはり谷崎にヒントがありました。
最近の特殊な傾向かなと思っていたら、谷崎潤一郎は『陰翳礼讃』のなかの「恋愛および色情」の章において、大昔から日本女性の顔は「どれも同じ」に描かれてきた、と指摘しているのです。
かいつまんでポイントをまとめるとこんな感じ。
<美人の型に幾分の変化はあるが、絵巻物にある美女の顔は、どれもこれも同じ。全く個人的特色がなく、平安朝の女はみな一つ顔をしていたのかと思うほど。歌麿には歌麿の好んで描く顔、春信には春信の好きな顔というものはあるが、同一の画家は絶えず同じ顔ばかり描いている。おそらく彼らは、個人的色彩を消してしまう方が、一層美的であり、それが絵描きのたしなみだと信じていた>
個性を消し、典型に押し込めてしまう方が、男の眼には「美人」に見えた、ということです。
「月が常に同じ月である如く、『女』も永遠にただ一人の『女』」という決め台詞にしびれます。
多くの女性が大金を課金しつつ「同じ顔」を目指している現象は、男の眼から見た美人(同じ無個性な顔)という日本の伝統を踏襲しているということでもあるのだな。
今もそれでいいのかな。
(写真は鈴木春信「中納言朝忠(文読み)」 Public Domain)
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