12日付日経コラムのこぼれ話です。
そんなわけで輪島・千舟堂の岡垣社長は、ブルネロ クチネリの表参道店で展示販売会をすることになった。
輪島塗の作品をクチネリの店舗に搬入するにあたり、岡垣社長は「お礼に服を買おう」と思い、価格を見て衝撃を受けた。なんでこんなに高いんだろう?と心底驚いた。
その後、クチネリのスタッフが輪島塗の作品を並べながら、「輪島塗ってなんでこんなに高いの?」と驚きながら話しているところを漏れ聞いた。
「ああ、同じなんだ」と岡垣社長は理解する。
輪島塗は塗師屋(ぬしや)と呼ばれるディレクター(岡垣社長もそのひとり)の指揮のもと、数人の専門職人の分業制で作られる。それぞれの工程を担当する職人さんに正当な賃金を払い、彼らが働けるシステムを整えていけば、それだけの価格になる。
クチネリの服が高価であるのも同じ理由であることを岡垣さんは悟る。職人に平均賃金より20%高い賃金を払い、彼らが創造性を発揮できるよう環境を整えると、それなりの価格になるだろう、と。
それまでアパレルにまったく興味のなかった岡垣さんは、以後、服にも興味をもち、生産背景まで考えるようになったという。
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繰り返し書いていますが、職人も尊重され、技術にふさわしい賃金を支払われると、責任を感じ、創造力を発揮して唯一無二の手仕事の成果を発揮する。それがラグジュアリー製品として高価で売られる。(そこに価値を感じて買う人がいる。)利益は、地域全体の環境を整える形で再分配される。ソロメオ村の文化的な価値も向上する。これがクチネリ型のラグジュアリービジネス。
これまでの高度資本主義時代のラグジュアリービジネスでは、その利益が一部の資本家のみに独占され、ますます格差が広がるという状況が生まれていましたが、これではもう社会がもたないのではないか。それに代わるあり方として、クチネリが実践するような、すべての人をフェアに尊重するやり方に向かうべきなのではないか、ということです。
そもそもそんな高価なものは不要、という考え方もあるでしょう。もちろん、そういう合理的な考え方もそれはそれでありだと思います。
ただ、時に熟練能力を過剰なくらいに発揮してすごいもの、すばらしいものを創りたいという職人の欲求(アルチザン魂)は自然に生まれてくるものだし、夢のように圧倒的に美しい世界に感動したい、という願望も人間にはある。だからこそ、無駄で余剰かもしれない「ラグジュアリー」は人類に寄り添い続けてきたし、これからも新しい形のラグジュアリーは存続していくでしょう。となったときにどういう方向に向かうべきか?
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