連休中は6月20日発売の『「イノベーター」で読むアパレル全史』初校ゲラと格闘です。

頻出する用語「エレガンス」をどう解説しようかとつらつら考えていて、2行で定義することなんてほぼ不可能なので、ちょっと書ききれなかった思考の余りみたいなものをここにメモしておきます。

 

タバコとシャンパングラスをもち、舞台裏でラフにしゃがむミウッチャ・プラダが「エレガント」と称され 、髪ぼさぼさでメイクもほぼなし、しわくちゃのシャツとパンツ姿のパティ・スミスが美のアイコンとされるのはなぜか?

普通であれば「上品とはほど遠い所作」「美の基準からはずれたヘアメイクと装い」。

でも彼女たちは「エレガント」と評される。

エレガンスとは、品格や美の型を演出することではなく「自分であること」という象徴的な例になっている。

フランス人は人格とからめて「エレガンス」を語る。

エレガンスとは、「どう見せるか」ではなく、「どう在るか」。 フランス人がこれを大切にするのは、文化として「美とは人の奥行きから滲み出るもの」と考えてきたからだろう。

シャネルもサンローランも「エレガンスとは拒絶である」と語る。

世間への迎合を拒絶し、流行型を拒絶して、自分の本質だけを選び取る。 それがエレガンスの要諦なのだろう。日本の「たたずまいの美」にも通じるところがある。

エレガンスとは、服の問題ではなく、人格の結晶。品格よりもむしろ品位。

(自分の現実からは遠い理想ですが、こうありたいですね!)

写真はパレスホテルのロビー花。

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