◇ニューヨーク・タイムズ紙4日付、ニューヨーク・ファッションにおけるアジア系アメリカ人の台頭を分析する記事。興味深かったので、ダイジェストを備忘録としてメモ。

今年の6月、CFDA(Council of Fashion Designer of America)が新人賞を授けたのは、すべてアジア系のデザイナーだった。メンズウエア部門がリチャード・チャイ(韓国)、ウィンメンズウエア部門がジェイソン・ウー(台湾)、そしてアクセサリー部門が、アレクサンダー・ウォン(中国)。

今週の木曜からニューヨーク・ファッション・ウィークが始まるが、注目を集めるデザイナーの多くは、アジア系である。上記の3人のほかには、タクーン、フィリップ・リム、デレク・ラムなど。1995年には、CFDAのメンバーだったアジア系アメリカ人は10人ほどだったのに、今日では35人も。

アジア系デザイナーが台頭する理由は、1980年代のニューヨークでユダヤ系のデザイナー(カルヴァン・クライン、ダナ・キャラン、ラルフ・ローレン、マーク・ジェイコブズ、マイケル・コース)が活躍した理由とほぼ同じ、と記事は分析する。ユダヤ系移民は、まず労働者として、次に工場経営者、製造業者、小売業者として、そしてついにデザイナーとして、ニューヨークの服飾産業に関わり、一大服飾産業地区を作り上げた。今日のアジア系アメリカ人の祖先も、服飾産業にさまざまな形で(工場労働者からモデルにいたるまで)関わっている、と。

たとえば中国系の移民であるデレク・ラムの祖父は、ウェディングドレスをつくるファクトリーを経営していた。父は香港から衣類を輸入する仕事をしていた。だがデレクは、もっとクリエイティブなことに関わりたいと思い、名門デザインスクール「パーソンズ」に入学して1990年に卒業。2002年に自身のブランドを始める前は、マイケル・コースのもとで働いていた。

最初は「デレク・ラム」のコレクションはさっぱり売れなかったという。数シーズン後、ようやく動き始め、いくつかの賞を受賞して、2007年にマンハッタンに店を開き、「トッズ」の服とアクセサリーを手掛けるようにもなる。最近、上海と北京へ行って、自分の認知度の高さに驚いたという。10年前にはまだファッション・デザイナーという仕事に対する偏見があったが、今では中国人の目には「傑出したキャリア」のひとつとして映り始めている。

アジア系デザイナーがモード業界で脚光を浴びる背景に、ファミリーがNYで移民として広く服飾産業に関わっていた経緯があるという指摘が、発見というか納得というか。

だから、ここでいう「アジア系」に日本が入っていないのを別に嘆く必要はなく、日本は日本で、オリジナルの文脈から発信していけばよいとは思うのだが。ただ、日本ファッションを底上げして盛りたてる層やムーブメントが、他国に比べてあまりにも希薄というか、エネルギー不足に感じられるのが、少しさびしい。

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