車谷長吉『妖談』(文藝春秋)。あさましい「業」に憑かれた人々を描く、掌編小説が34篇ほど。

金銭欲、復讐欲、性欲、所有欲、ただの執着、なんだかわけがわからないけどからまりついてくる意味不明の欲、そんなこんなのべっとりとした業だか欲望だかに、突き動かされるままに動物的に動いている人々を、淡々とさらさらと描く掌編小説たち。作者本人のノンフィクションなんだか、フィクションなんだか、境界があいまいなあたりも、功を奏している。読みながら、ビミョウにうしろめたい。そんな思いを読者に抱かせるのも、車谷さんの芸のうち。

「作家になることは、人の顰蹙を買うことだ、とは気づいていなかったのである。気づいたときは、もう遅かった。人の顰蹙を買わないように、という配慮をして原稿を書くと、かならず没原稿になる。出版社の編集者は、自分は人の顰蹙を買いたくはないが、書き手には人の顰蹙を買うような原稿を書くように要求してくる。そうじゃないと、本は売れないのである。本が売れなければ、会社は潰れ、自分は給料をもらえなくなる。読者は人の顰蹙を買うような文章を、自宅でこっそり読みたいのである。つまり、人間世界に救いはないのである」。

中の一篇、「まさか」よりの引用。

「フロク」をつけなきゃ本も雑誌も売れないという時代。顰蹙を買えば、本は売れるが、同時にバッシングも激しく受ける。それでも書く覚悟があるか。売るために、多くのものを犠牲にして、というか、捨て去って、腹をくくって前進する書き手の心中はいかほどだろう。

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