◇朝日新聞から3つ、面白いと思った記事の記録。ランダムな書きっぱなしで申し訳ないが、引っ掛かりだけでも書いておくと、いくばくかの時間がたったときに、「あ、そういうことだったのか」と、意外なことがらと結びつくことがある。というわけで、まずは25日付、論壇時評。高橋源一郎の「伝えたいこと、ありますか」。

ジプリの小冊子「熱風」表紙になった、宮崎駿による「NO!原発」のひとりデモ、についてのコメントである。

「この面白さは、この写真が醸しだす『柔らかさ』から来ている、とぼくは思った。『柔らかさ』があるとは、いろんな意味にとれるということだ。ぼくたちは、このたった一枚の写真から、『反原発』への強い意志も、そういう姿勢は孤独に見えるよという意味も、どんなメッセージも日常から離れてはいけないよという示唆も、でも社会的メッセージを出すって客観的に見ると滑稽だよねという溜め息も、同時に感じとることができる。

なぜ、そんなことをしたのか。それは、どうしてもあることを伝えたいと考えたからだ。そして、なにかを伝えようとするなら、ただ、いいたいことをいうだけでは、ダメなんだ。それを伝えたい相手に、そのことを徹底して考えてもらえる空間をも届けなければならない。それが『柔らかさ』の秘密なのである」。

◇次は24日付、美の季想。高階秀爾先生による「日本美術の傑作 根底に『鑑賞の美学』」。

西洋の傑作は、芸術家の優れた才能によって生み出されるマスターピース、「創造の美学」であるのに対し、日本では「名」が関わってくる、というお話。

「名所」とは、多くの人が訪れ、歌に詠み、絵に描くなどした場所。「その先人たちの記憶の遺産が『名所』を『名所』たらしめるのである」

「広重晩年の名作『名所江戸百景』では、自然景に加えて、七夕祭りや両国の花火などの年中行事が大きな役割を果たしている。年中行事もまた、繰り返されることで人々を過去の記憶と結びつけ、また参加をうながす。日本人の美意識の根底には、西欧の『創造の美学』に対して、『鑑賞の美学』ないしは『参加の美学』とも呼ぶべきものが根強く横たわっているのである」

……深く納得。語られ、描かれ、繰り返されること。それによって、「名」がつく。

◇最後は、26日夕刊のHeroes File Vol. 57。俳優の柄本時生による「父のマネも演じる僕のもの」。

「街で『かっこよかったですよ』と声をかけられたらめちゃくちゃうれしいですが、『かっこよく映りたい』と思いながら演じていたら、それはすごく恥ずかしいこと。でも、気づくとお金がほしい、こんなふうに見られたいという欲が、年齢と主に以前よりも強くなっている自分がいて」

「欲を出したら途端に自分の浅さを見破られる」

……無心で、邪心なく、人前に立つこと。そのむずかしさ、とてもよくわかる。自分以外のものを演じようとしたり、「よく見られたい」という意識がちらついたりしたら、人はとたんに浅はかに、みっともなく見える。文においても同じなのだ、結局。21歳の若者とはいえ、あの柄本明の背中を見て育った息子。ひときわ説得力をもつ。

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